鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013.11月取材旅行「桐生~山之神~木崎」 その1

2013-12-02 05:55:33 | Weblog
崋山は天保2年(1831年)10月29日(旧暦)に、利根川の流れの南にあった前小屋(まえごや)村の天神社で開催された書画会に出掛け、その日は高島村の伊丹新左衛門家に、同じく書画会に参加した岡田東塢(とうう)や金井烏洲(うじゅう)らとともに泊まり、翌30日、東塢と烏洲の見送りを受けて、利根川を二ツ小屋(ふたつごや)の渡しで越えて桐生へと戻っています。この桐生から前小屋までのルートを、崋山はもう一度歩いています。それは同年11月のことであり、11月7日に崋山は前小屋の渡しで利根川を越え、それから深谷宿へと向かい、深谷宿で泊まっています。最初の時、つまり10月29日には、妹のお茂登(もと)が道案内として義兵衛という者を付けてくれ、その義兵衛は下村田(しもむらた)というところまで案内してくれたので、そこまでは道を迷わずに進むことができたし、その後も尾島を経由して、前小屋の渡しで利根川を越え、書画会が開かれる天神社のある前小屋村まで至ることができました。前小屋の渡しまでは崋山はすでに歩いていたから、桐生を出立して深谷宿(11月7日に宿泊)経由で大麻生村に向かう時も(三ヶ尻村をいよいよ調査するために)、前小屋の渡しを越えて深谷宿へと至るコースを崋山は選んだのです。崋山が歩いた桐生から前小屋村までの道筋をたどる試みを以前にしたことがありますが、実は、そのコース(道筋)は崋山が実際に歩いたコースからは大きくそれており、いつかその道をできるだけ正確にたどってみたいと考えていました。桐生や大間々、足利、前小屋、尾島、三ヶ尻、そして押切などの取材を終え、いよいよ最後の締めくくりとして、桐生~藪塚(やぶづか)~木崎(きざき)までの崋山が歩いた道筋(木崎~尾島~前小屋まではすでに歩いています)をたどってみることにしました。実は2日にまたがった取材旅行ですが、連続して桐生から木崎までを歩いたものとして、以下その報告をしたいと思います。 . . . 本文を読む