森村誠一氏の写真俳句ブログより。
氏が考案したのは「写真俳句」という新しい表現方法だった。推理作家がこんなものを思いつくとは意外な気もするが、若いころには歌人か詩人になりたいと思っていたという。
そもそものきっかけは散歩だったようだ。家で書いてばかりいるので運動不足になるので散歩をするようになったのだ。散歩の都度デジカメを持ち歩いて、思いついた俳句とセットにして表現するようになったという。風景や撮った写真を見ながら俳句を思いつくこともあるようだ。
あるインタビュー記事のなかでは「松尾芭蕉の“夏草や兵(つはもの)どもが夢のあと”は、わずか17文字。その中に何百年という歴史が詠み込まれている・・・」と風景や季節を凝縮する素晴らしさについても述べている。これはわずかな核から物語を作っていく小説とは全く正反対の表現のようだ。
「毎日見馴れている平凡な風景や、出逢いや四季の移ろいなども、俳句を通して眺めるとき、特別の風合(ふうあい)を帯びる。俳句と親しむようになってから、世界がより深く、広くなったような気がした。」と述べている。
最後の方には「人生の大きな表現の楽しみを発見した」とも述べている。これが素晴らしい。私たちもまた自分にとって新しい表現方法を見いだせれば新たな生き甲斐にもつながると思えるが、いったいいつになったらそんなものが見つかるだろうか・・・
蛇足ながら「写真俳句は森村誠一氏の登録商標です。」ともあった。写真俳句のブログ。
氏が考案したのは「写真俳句」という新しい表現方法だった。推理作家がこんなものを思いつくとは意外な気もするが、若いころには歌人か詩人になりたいと思っていたという。
そもそものきっかけは散歩だったようだ。家で書いてばかりいるので運動不足になるので散歩をするようになったのだ。散歩の都度デジカメを持ち歩いて、思いついた俳句とセットにして表現するようになったという。風景や撮った写真を見ながら俳句を思いつくこともあるようだ。
あるインタビュー記事のなかでは「松尾芭蕉の“夏草や兵(つはもの)どもが夢のあと”は、わずか17文字。その中に何百年という歴史が詠み込まれている・・・」と風景や季節を凝縮する素晴らしさについても述べている。これはわずかな核から物語を作っていく小説とは全く正反対の表現のようだ。
「毎日見馴れている平凡な風景や、出逢いや四季の移ろいなども、俳句を通して眺めるとき、特別の風合(ふうあい)を帯びる。俳句と親しむようになってから、世界がより深く、広くなったような気がした。」と述べている。
最後の方には「人生の大きな表現の楽しみを発見した」とも述べている。これが素晴らしい。私たちもまた自分にとって新しい表現方法を見いだせれば新たな生き甲斐にもつながると思えるが、いったいいつになったらそんなものが見つかるだろうか・・・
蛇足ながら「写真俳句は森村誠一氏の登録商標です。」ともあった。写真俳句のブログ。
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