商品を買うのは、使用価値を得るためではなく、それによって「気持ちいい」感じになりたいためだ。
at 2004 12/14 21:09 編集
「“気持ちいい”が企業を動かす」藤敬著より
ここでは宝飾品を一例に出している。たとえば、どんなに財産価値のある宝飾品でも、アクセサリーとしての評価が先に立つことになる。結局、デザインが個性的だとか、それを身に着けることによってどれだけ自己主張ができるかという主観的な軸で評価される。
高価なものでも気に入らなければ意味はない。逆にどんなに安くてもその人のセンスに合えば価値があることになる。
こんなことから、今は製品やサービスをとおして「気持ちいい」をいかに提供できるかが企業にとって、生き残るためは重要なことになってくる。
難しい理屈よりとにかく、気持ちがいいかどうかで人は買ってしまうものだ。気持ちがいいホームページに出会うとまた見てみようかと、思うのとちょっと似てるかな・・・
原則として形容詞の多用は文意をアイマイにするから慎んだ方がよい。
at 2004 12/13 22:03 編集
「異文化摩擦の根っこ」板坂元著より
何かを書いたり話したりするとき、ついつい大まかに大きい、安い、冷たい、熱いなどという形容詞をつかってしまうもの。しかし、それでは漠然としていて本当のところはよくわからない。
たとえば、比較できる何かを例にだすと随分とわかりやすくなる。たとえば、牛くらいの大きさ、や野球場くらいの広さなどはいいかもしれない。
ときどき東京ドーム何個分の広さという表現を目にすることがあるが、実際行ってみなければその大きさは想像がつかないかもしれない。でもなんとなくわかったような気にもなってしまう。そんなものでも、ただ大きいというよりはまだましなように思えてくる。
著者によれば英語には形容詞をできるだけ数量化する努力があってそれがアイマイさを少なくしているという。たしかに英語はイエスとノーの世界だから、アイマイな笑いはしばしば誤解をまねくというのもううなずける。
サービスは坂道発進。何もしなかったら、バックしていく。
at 2004 12/11 07:38 編集
「あなたのサービスが伝説になる」より
お客様相手の商売をしているときには、これを肝に銘じておくべきなんだろうな、とも思える。
とりあえず様子をみるか、では坂道をずるずると下がってしまうのだ。具体的に行動を起こすことでようやく現状維持ができる。
頼まれてないときにこそ、自分で考えて行動しなくてはならないということだ。言葉では簡単そうだがこれが出来れば一流のサービスマンといえるだろう。
もしこれを、いまやっているような日記に置き換えたらどうだろう。これは自分への将来へのサービスだ、と考えたとしたら書かなかった日が長く続けば坂道をバックしてしまうような気にもなる。そのうち、と思っていると空白の日ばかりになってしまう。ちょっとした問題意識を持って日々を送ることで前に進めるようにも思えるが・・・
マニュアル通りの対応は、A.B.CのBでしかない。
at 2004 12/09 21:30 編集
「あなたのサービスが伝説になる」中谷彰宏著より
マニュアルを完全に達成したとしても、やっとBであるに過ぎない。結局それは普通のことでしかない。あたりまえのことだから、そこには感動もなにもない。やはりプラスアルファのなにかがあってはじめてAになれる。
しょせんどんなに優れたマニュアルでもそれに縛られているうちは、気持ちが伝わるとは思えない。
場合によっては常にA以上をもらえるためのマニュアルを“自分独自で作る”のもいいかもしれない。
“そんなん、あってもなくてもええのや”というものをつくろうというわけ。
at 2004 12/08 21:21 編集
「地球時代の大阪文化」大阪府文化問題研究会編より
ここでは大阪の文化ということについて触れている部分のフレーズ。
「文化っていうのは、むだなことを妄想したり、想像したり、いろいろすることによって、ひょんなものが出てくるということです。」と話しているのは司馬遼太郎氏であった。
商売に身を入れたり、勉強するっていう部分は必要なものだから文化じゃないらしい。
つまり、暮らしのなかの遊びという部分が文化を育てるのだ、というようなことを述べている。
あってもなくてもいいものはけっこう面白くて時間を忘れてしまうもの。なんでそんなことやるんだろうっていうものの中に文化の芽はあるのかもしれない。でも、いま書いているこんな雑文が文化とはとても思えないが・・・
プロの審判を目ざす者の最終的な夢はワールドシリーズの球審をつとめることだ。
at 2004 12/07 21:45 編集
「野球と日本人」池井優著より
やはり世界の頂点を目指すのはメジャーリーガーだけではないことがわかった。しかもワールドシリーズで仕事ができるのは審判のなかでもほんの一握りの人だけだ。選手の人数よりずっと少ない。
米では審判学校でプロの審判に合格するのは10%程度らしい。メジャーリーグ、マイナーリーグの審判総数はそうとうな人数になる。しかもプロの最底辺のルーキーリーグから1Aに上がれるのは年に一人いるかどうからしい。その上には当然2A、3Aをへてメジャーにあがるわけだからかなりの狭き門だということがわかる。
日本で名審判だった富沢氏はつぎのように言っていた。「絵でいえば、選手のプレーがキャンバスに描かれた作品で、審判員は額縁のようなもの・・・」これもけっこう気になるフレーズでもある。でも、その額縁である審判がプレボールを宣言しなければ野球は始まらないし、またゲームセットにもならない。
我われの視界に入らないところでも、夢をもとめて仕事をしている人もいるもの。いま自分は夢をもっているか・・・
見ている人々の心をも照らすような光が、本当に美しいライトアップ。
at 2004 12/06 06:50 編集
「相鉄瓦版」12月号第135号 特集“街を彩るライトアップ”より
この部分は「ライトアップが街にもたらすもの」という題で照明デザイナーの石井幹子氏が書いていた。
いつもは何気なく前を歩いている建物も夜ライトアップされることで、その建物の背後にある歴史や物語が抽出されることもある、といっている。
昼間の明かりの中では見えなかったものが、暗い夜に光を当てられることで明暗がはっきりして奥行きに気づくもの。
こんなことは人にも似たようなことが言えそうだ。いつもそばにいる人が意外なときに意外な一面を見せてくれたりするときなど。へえ、こんな特技があったのかとか、意外にあることについて造詣が深いことに気づいたり・・・そんな面を見るとその人にまたべつの親しみを感じるかもしれない。
人のいい面を引き出すのは、いい言葉だったり、さわやかな接し方などのときもあるか。人の心をも照らすような素敵な言葉に出会いたいもの。
英語を話すにはまず身体から。
at 2004 12/05 21:03 編集
「AERA ENGLISH 1月号」斉藤孝のイングリッシュ・バデイ入門より
日本語を話している場合はとくに気にしてないことだが、英語となると身体のことを意識して話すほうがいいらしい。ふつう日本語ならぼそぼそと話していてもけっこう意味は通じるもの。しかし、英会話の場合はそこそこテンションが高くなくてはならない。
この斉藤先生はそのテンションをあげる一つの方法として授業で学生に少しの柔軟運動をさせ身体の緊張をほぐし、さらにハイタッチをさせたりしているという。その後で英語を話させると英会話のノリがいいらしい。
やはり、日本人より欧米人のほうが身体全体で会話していることもうなずける。で、もし我われがイキのいい会話をしようとする場合でも以上のことはちょっと役立ちそうな感じもしてくるが・・・
どんなに高性能パソコンでも、「こうやれば売れます」という正解をだしてくれるわけではない。
at 2004 12/04 10:28 編集
「7つの観察力をもて」西村晃著より
あたりまえのことかもしれないが、パソコンなら何でも正確に予測してくれると勘違いしやすい。過去のデータの分析や整理には役立つかもしれないが、決して売れるものや売り方については教えてくれない。
結局結果をだしたり、ものを考えるのは人が汗を流さなければならないのだろう。ただし、それが正解だという保障もないが。
こうやれば売れます、というようなことは意外にも販売員の笑顔やちょっとした気持ちのいい応対だったりしませんか。
確かにパソコンのデータも必要だが、ベテランの長年の経験や新人の初々しい新鮮な目も時にはけっこう役立つもの。とくに個人のお客さん相手の商売だったら、この人にはこれ、ときっぱりいえるセンスも必要でしょうね。
売れそうな高性能パソコン自体も膨大な人の汗水流した末につくられるもの・・・でもそれが本当に売れるかどうかは誰もわからないか・・・
オレンジ色の夜景は“究極のビタミン夜景”
at 2004 12/03 22:31 編集
「ドトールコミュニティ」(PR誌)の中の丸々もとお氏のコーナーより
最近ちょっと気分的に疲れきってしまっていたので、気になったフレーズ。
こんな夜景を眺めることで、自律神経を刺激することができ、元気&活力をアップさせる効果があるという。
本当だろうか、と疑ってしまいたくなる。でも、そう信じることでビタミン効果があるならいいものだ。
とくにこのクリスマスシーズンは街中にはイルミネーションが随分と目立ち始める。個人の家でも毎年イルミネーションを楽しむようになってきた。自宅でも数年前からやったりしているものの、もう木が大きくなりすぎてしまった。
ところで、オレンジ色の夜景はどのへんに行ったら眺められるのだろうか。