「聞く」には、「きく」「聞く」「聴く」「効く」の四段階がある。
at 2005 07/09 10:19 編集
「人を動かす!話す技術」より
著者は日本人の学校では、コミュニケーションの4つのモード「聞く」「話す」「読む」「書く」のうち、「聞く」を教えてくれるところはほとんどないという。
ところが、コミュニケーションでは「聞く」が45%を占めているのだ。だからどんなにすばらしいプレゼンテーションを行ったとしても、相手に聞かせ、アクションをとってもらわなければ意味がないことになってしまうのだ。
「聞く」の四段階。
1.「きく」Sensing・・・センサーが働いて音を感知すること。
2.「聞く」Interpreting・・・耳で受信したメッセージの意味がわかる段階。
3.「聴く」Evaluating・・・そのメッセージの意味を考え評価している段階。
4.「効く」Responding・・・反応しアクションを取ること。
結局、最終的な「効く」までいかなければ、コミュニケーションは失敗したということになってしまう。そう簡単なことではなさそうだな。
筆者の杉田氏はコミュニケーションの基本ルールはKeep it Simple and Specific.(シンプルにかつ具体的に)といっている。つまり、略してKISS.
これは判り易い!でもいつまで覚えていられるかな。
「コミュニケーション」ではなく「ゴミニケーション」
at 2005 07/08 06:03 編集
「人を動かす!話す技術」より
コミュニケーションの場合は「量=質」ではないという。似たようなことを繰り返したところで、ほとんど意味がない。ただしつこいということが先に来るかもしれない。
ある会社では本社から支店に膨大な量のメモやお知らせなどをメールやファックスで送信してくるものの、支店ではそれをコミュニケーションではなく「ゴミニケーション」と読んでいるらしい。サラリーマンの間ではコミニュケーションはノミニ(飲みに)ケーションだという人も多いだろう。
コミニュケーションはそれによって何らかの行動が伴っていなければ、本来の目的を達したとはいえない。少しでもいい関係をつくろうと思ったら、たまにはゴミニケーションになっていないか、チェックしてみる必要がありそうだな・・・汗。
質を求めたら量が減るような気もするし。そういえば、ケースバイケースで量と質をうまく使い分けていくという方法がいいか。初めは認知度を高めるために量、その後質への転換とか・・・できればいいけど。
北風でいくか太陽でいくか。
at 2005 07/07 05:46 編集
「人を動かす!話す技術」より
勘のいい方はもうこれだけで、すぐにイソップ物語の「北風と太陽」を思い出してしまうでしょう。
どちらかといえば、私は口下手なほうです。ですから、まわりくどい説明は抜きにして、家では子供らにストレートに、早く~しなさい、としばしば命令口調で言い放ちます。そんないい方は反発を食らってしまう。そういってもなかなか動こうとしないもの。つまりなかなか本来の目的を達成できません。
コミュニケーションの最終目的は「相手にアクションを取ってもらう」ということだとすれば、失敗の連続です。コミュニケーション下手な私はいつもこんなふうに強い北風ばかり吹かしてしまっている。旅人のコートを脱がせるには北風より太陽のほうが効果的だとわかっているのに・・・
こんなことでは、いつまでたってもコミュニケーションの達人にはなれはしない。いったいどこに問題があるのか。時間がない、気持ちにゆとりがない・・・
同時に子供らに対しては甘やかせられない、という気持ちもあるし・・・ここが一番難しい。(昔は頑固オヤジってのがいたがなあ。)
「意味」は辞書の中にあるのではけっしてありません。
at 2005 07/06 06:26 編集
「人を動かす!話す技術」杉田敏著より
杉田氏といえば1987年からNHKラジオの「ビジネス英会話」で長年にわたって講師を務めている人だ。かつて私もこの放送を楽しんだことがある。
しかし、彼の本業はPR会社で副社長をしている。
そんな氏がニューヨークの街を歩いていたとき、NAILSというサイン(看板)をあちこちに見かけたのだ。そのとき、釘や鋲を連想して金物屋さんが多いのかと思ったという。しかし、その後「つめ」の意味でもあることを思い出し、マニキュアを塗る店だと気がつき苦笑したらしい。
つまり、NAILという語を見て、どちらの意味を最初に思い浮かべるかは、性別や職業、年代によっても違ってくるというものだ。要するに「意味」はその言葉を使う人とそれを受け取る人の頭の中に存在している、ということだった。
かつて私が「鳥肌が立つ」は感動したときに使うのはおかしい、と述べたことがあります。実際、辞書には“寒いとき、恐ろしいときなど”と説明されています。ところが、読書、映画鑑賞、旅先の風景などで実際に“鳥肌が立った”人がいるのですから、辞書の説明だけでは充分ではないようにも思えてきたのです。
こんなことも、「意味」は辞書の中にあるのではない、を表しているようですね。真の意味は生活の中にこそあるのかな。
本当に強い人は型がないように見える。
at 2005 07/05 06:09 編集
「月刊現代」2005年8月号より
“スポーツラジカル派宣言”のコーナーで二宮清純が大鵬にインタビューしている。
力士はそれぞれそれなりの得意な型を持っている。しかし、その型にはまれば強いかもしれないが、そうでなければ真の強さは発揮できない。
つまり、大鵬は「その型でしかとれないというのは本当に強い力士ではない」と断言している。
本当に強い力士は無数の型を身につけているから型が見えにくいのだ。型は当然強み、得意技ととることができる。
もし私たちの仕事でも、ピリピリと勝負を意識しなければならないような時には、この型という考え方も必要そうだ。常にいい結果を期待するためには“ いくつもの勝てるパターン”を身につけていなければならないだろう。
もし、メーカーなら次々と新製品を生み出し、消費者にあらゆるコミニュケーションの手段を使って訴え続けていかねばならない。今では製品さえよければ売れるという時代ではないですからね。
史上最多の32回の優勝を誇る大横綱の大鵬は次のようにも言っている。「あなたは私の稽古を見たことがありますか?人の5倍は努力した。天才というだけで勝てるほど相撲の世界は甘くありませんよ」
ふだんから並みの努力もしていない自分はこんな言葉に反省させれてしまうばかり・・・
古さの中にこそ、学ぶべきことがある。
at 2005 07/04 06:18 編集
「月刊現代」2005年8月号より
“スポーツラジカル派宣言”のコーナーで二宮清純が大鵬にインタビューしている。そのなかで、「最近の力士は稽古という言葉をあまり口にしませんね」という二宮の言葉に対して大鵬が答えたもの。
すぐに温故知新という言葉を連想しそうだが、ここではそういう意味ではない。大鵬は「稽古は勝つための練習という意味ではない。あの丸い土俵で泥まみれになることで、何事にも負けない精神が培われる」という。経験がいわせる言葉だろう。
つまり稽古は器具を使って筋力を鍛えるトレーニングとは全く異なるものなのだ。
相撲には「道」がつく柔道、剣道、合気道などの武道、さらには茶道、華道、香道などにも通じる精神が流れているのだろう。
さて、先ほどの大鵬の言葉にあった「丸い土俵で泥まみれになることで~」には意味がある。似たようなことは一般的な仕事にもあてはまりそうだ。つまり、仕事への取り組み方次第で人も育つに違いない。何でも新しいものばかり学べば済むというものでもなさそうだ・・・な。
勝ち負け以外の何かを見せられるのが魅力・・・
at 2005 07/03 06:52 編集
朝日新聞(6.27)夕刊、“戦士のほっとタイム”のコーナーより
舞の海が萩本欣一氏にインタビューしている。「アマチュア野球の魅力はどんなところに感じますか」という質問に、「人間が頑張っている姿が見えること。・・・素人の成長を見ていると元気が出るじゃないですか」と答えている。
さらに欽ちゃんは「プロ野球の本当のサービスって先着何人に品物をあげるより、お客さんの声にこたえることじゃないかな。商売も仕事も勝負の世界だけど、スポーツはちょっと違う。勝ち負け以外の何かを見せられるのが魅力でしょう」と述べている。
商売では勝ち負けがはっきりする。それは売り上げ成績、利益という形で出てくる。組織のなかでも成果主義が徹底していれば、個人の報酬でも大きく差がつけられる。
しかし、スポーツ観戦では、とくにアマチュアの場合は感動が大きそうだ。欽ちゃんは観客と一体になって、盛り上がる機会を提供しようとしている。
やはり本物のコメディアンは従来の監督とは一味も二味も違っている。まだ64歳、あらたなチャレンジは始まったばかり。いくつになっても夢を持つことは素晴らしい!
金持ちになることが「勝ち組」だなんて価値観・・・
at 2005 07/02 06:59 編集
朝日新聞土曜版(6.18)“フジマキに聞け”のコーナーより
藤巻幸夫氏はタイトルのような考えには同意できないという。まあ、大抵の人はそう思うだろう。
確かに近年は「勝ち組」「負け組」という表現を時どき耳にする。
先々月亡くなった二子山親方は藤巻氏にとってはヒーローだったという。しかも、現役時代の千秋楽では8勝7敗でカド番を脱するというパターンが多かったことまで記憶している。私も見てはいたが、そこまでは覚えていなかった。彼によると8勝7敗には美学があるという。大関在位50場所(歴代1位)という最高記録はその結果だろう。
相撲でもダントツに強ければ、それだけで人気が保てるというわけでもないだろう。たとえば、現在横綱の朝青龍は強いが、人気を比べたら現役時代の大関貴ノ花(二子山親方)のほうに軍配は上がるだろう。
さて、話しはもどって藤巻氏は勝ち負けで人生を分けるより、むしろ「満足組」「不満足組」で分けたほうがしっくりくるという。だから当然金持ちイコール幸福ということにもならない。むしろ、金持ちほど不満が多いかもしれない。
たとえば、私たちが大衆食堂で美味しいと思えても、金持ちは高級レストランで食事してもこんなもの口に合わないというかもしれない。
家族、友人、健康・・・どれをとってもお金で計れないことのほうが多い。どうせ金持ちになどなれない僻みでもあるが、一つでも多くの満足をひろって生きてゆきたいと思った次第・・・
野球の選手はスランプになるとフォームのチェックをする。
at 2005 07/01 06:39 編集
『自分を「売る」力』斉藤孝著より
つまり、スランプに陥るのは、調子のいいときに比べて、フォームが崩れてきているということなのだ。
それは時によっては、疲労の蓄積も含まれるかも知れない。打者なら相手投手が最高の状態ならそうそうヒットを打てるものではない。しかし毎試合最高のコンディションの投手が登場するわけでもないからいずれは打てるはず。ところがスランプ状態が思いのほか長引くときがある。
そんなとき選手はフォームのチェックをする。つまり好調時のフォームに戻す努力をするということだ。
チェックが必要なのはなにもスポーツ選手に限らない。私たちの日々の健康状態、学ぶスタイル、食事、服装などのコーディネート・・・まで幅広い。
これらは時どきはチェックしてみる必要がありそうだ。何事もバランス感覚が大切かも。
体重が増えすぎたとき・・・これを戻すのが難しい。とりあえず食事と運動のチェックが必要そうだな。これは医者から言われたりすることでもあるか。
at 2005 07/09 10:19 編集
「人を動かす!話す技術」より
著者は日本人の学校では、コミュニケーションの4つのモード「聞く」「話す」「読む」「書く」のうち、「聞く」を教えてくれるところはほとんどないという。
ところが、コミュニケーションでは「聞く」が45%を占めているのだ。だからどんなにすばらしいプレゼンテーションを行ったとしても、相手に聞かせ、アクションをとってもらわなければ意味がないことになってしまうのだ。
「聞く」の四段階。
1.「きく」Sensing・・・センサーが働いて音を感知すること。
2.「聞く」Interpreting・・・耳で受信したメッセージの意味がわかる段階。
3.「聴く」Evaluating・・・そのメッセージの意味を考え評価している段階。
4.「効く」Responding・・・反応しアクションを取ること。
結局、最終的な「効く」までいかなければ、コミュニケーションは失敗したということになってしまう。そう簡単なことではなさそうだな。
筆者の杉田氏はコミュニケーションの基本ルールはKeep it Simple and Specific.(シンプルにかつ具体的に)といっている。つまり、略してKISS.
これは判り易い!でもいつまで覚えていられるかな。
「コミュニケーション」ではなく「ゴミニケーション」
at 2005 07/08 06:03 編集
「人を動かす!話す技術」より
コミュニケーションの場合は「量=質」ではないという。似たようなことを繰り返したところで、ほとんど意味がない。ただしつこいということが先に来るかもしれない。
ある会社では本社から支店に膨大な量のメモやお知らせなどをメールやファックスで送信してくるものの、支店ではそれをコミュニケーションではなく「ゴミニケーション」と読んでいるらしい。サラリーマンの間ではコミニュケーションはノミニ(飲みに)ケーションだという人も多いだろう。
コミニュケーションはそれによって何らかの行動が伴っていなければ、本来の目的を達したとはいえない。少しでもいい関係をつくろうと思ったら、たまにはゴミニケーションになっていないか、チェックしてみる必要がありそうだな・・・汗。
質を求めたら量が減るような気もするし。そういえば、ケースバイケースで量と質をうまく使い分けていくという方法がいいか。初めは認知度を高めるために量、その後質への転換とか・・・できればいいけど。
北風でいくか太陽でいくか。
at 2005 07/07 05:46 編集
「人を動かす!話す技術」より
勘のいい方はもうこれだけで、すぐにイソップ物語の「北風と太陽」を思い出してしまうでしょう。
どちらかといえば、私は口下手なほうです。ですから、まわりくどい説明は抜きにして、家では子供らにストレートに、早く~しなさい、としばしば命令口調で言い放ちます。そんないい方は反発を食らってしまう。そういってもなかなか動こうとしないもの。つまりなかなか本来の目的を達成できません。
コミュニケーションの最終目的は「相手にアクションを取ってもらう」ということだとすれば、失敗の連続です。コミュニケーション下手な私はいつもこんなふうに強い北風ばかり吹かしてしまっている。旅人のコートを脱がせるには北風より太陽のほうが効果的だとわかっているのに・・・
こんなことでは、いつまでたってもコミュニケーションの達人にはなれはしない。いったいどこに問題があるのか。時間がない、気持ちにゆとりがない・・・
同時に子供らに対しては甘やかせられない、という気持ちもあるし・・・ここが一番難しい。(昔は頑固オヤジってのがいたがなあ。)
「意味」は辞書の中にあるのではけっしてありません。
at 2005 07/06 06:26 編集
「人を動かす!話す技術」杉田敏著より
杉田氏といえば1987年からNHKラジオの「ビジネス英会話」で長年にわたって講師を務めている人だ。かつて私もこの放送を楽しんだことがある。
しかし、彼の本業はPR会社で副社長をしている。
そんな氏がニューヨークの街を歩いていたとき、NAILSというサイン(看板)をあちこちに見かけたのだ。そのとき、釘や鋲を連想して金物屋さんが多いのかと思ったという。しかし、その後「つめ」の意味でもあることを思い出し、マニキュアを塗る店だと気がつき苦笑したらしい。
つまり、NAILという語を見て、どちらの意味を最初に思い浮かべるかは、性別や職業、年代によっても違ってくるというものだ。要するに「意味」はその言葉を使う人とそれを受け取る人の頭の中に存在している、ということだった。
かつて私が「鳥肌が立つ」は感動したときに使うのはおかしい、と述べたことがあります。実際、辞書には“寒いとき、恐ろしいときなど”と説明されています。ところが、読書、映画鑑賞、旅先の風景などで実際に“鳥肌が立った”人がいるのですから、辞書の説明だけでは充分ではないようにも思えてきたのです。
こんなことも、「意味」は辞書の中にあるのではない、を表しているようですね。真の意味は生活の中にこそあるのかな。
本当に強い人は型がないように見える。
at 2005 07/05 06:09 編集
「月刊現代」2005年8月号より
“スポーツラジカル派宣言”のコーナーで二宮清純が大鵬にインタビューしている。
力士はそれぞれそれなりの得意な型を持っている。しかし、その型にはまれば強いかもしれないが、そうでなければ真の強さは発揮できない。
つまり、大鵬は「その型でしかとれないというのは本当に強い力士ではない」と断言している。
本当に強い力士は無数の型を身につけているから型が見えにくいのだ。型は当然強み、得意技ととることができる。
もし私たちの仕事でも、ピリピリと勝負を意識しなければならないような時には、この型という考え方も必要そうだ。常にいい結果を期待するためには“ いくつもの勝てるパターン”を身につけていなければならないだろう。
もし、メーカーなら次々と新製品を生み出し、消費者にあらゆるコミニュケーションの手段を使って訴え続けていかねばならない。今では製品さえよければ売れるという時代ではないですからね。
史上最多の32回の優勝を誇る大横綱の大鵬は次のようにも言っている。「あなたは私の稽古を見たことがありますか?人の5倍は努力した。天才というだけで勝てるほど相撲の世界は甘くありませんよ」
ふだんから並みの努力もしていない自分はこんな言葉に反省させれてしまうばかり・・・
古さの中にこそ、学ぶべきことがある。
at 2005 07/04 06:18 編集
「月刊現代」2005年8月号より
“スポーツラジカル派宣言”のコーナーで二宮清純が大鵬にインタビューしている。そのなかで、「最近の力士は稽古という言葉をあまり口にしませんね」という二宮の言葉に対して大鵬が答えたもの。
すぐに温故知新という言葉を連想しそうだが、ここではそういう意味ではない。大鵬は「稽古は勝つための練習という意味ではない。あの丸い土俵で泥まみれになることで、何事にも負けない精神が培われる」という。経験がいわせる言葉だろう。
つまり稽古は器具を使って筋力を鍛えるトレーニングとは全く異なるものなのだ。
相撲には「道」がつく柔道、剣道、合気道などの武道、さらには茶道、華道、香道などにも通じる精神が流れているのだろう。
さて、先ほどの大鵬の言葉にあった「丸い土俵で泥まみれになることで~」には意味がある。似たようなことは一般的な仕事にもあてはまりそうだ。つまり、仕事への取り組み方次第で人も育つに違いない。何でも新しいものばかり学べば済むというものでもなさそうだ・・・な。
勝ち負け以外の何かを見せられるのが魅力・・・
at 2005 07/03 06:52 編集
朝日新聞(6.27)夕刊、“戦士のほっとタイム”のコーナーより
舞の海が萩本欣一氏にインタビューしている。「アマチュア野球の魅力はどんなところに感じますか」という質問に、「人間が頑張っている姿が見えること。・・・素人の成長を見ていると元気が出るじゃないですか」と答えている。
さらに欽ちゃんは「プロ野球の本当のサービスって先着何人に品物をあげるより、お客さんの声にこたえることじゃないかな。商売も仕事も勝負の世界だけど、スポーツはちょっと違う。勝ち負け以外の何かを見せられるのが魅力でしょう」と述べている。
商売では勝ち負けがはっきりする。それは売り上げ成績、利益という形で出てくる。組織のなかでも成果主義が徹底していれば、個人の報酬でも大きく差がつけられる。
しかし、スポーツ観戦では、とくにアマチュアの場合は感動が大きそうだ。欽ちゃんは観客と一体になって、盛り上がる機会を提供しようとしている。
やはり本物のコメディアンは従来の監督とは一味も二味も違っている。まだ64歳、あらたなチャレンジは始まったばかり。いくつになっても夢を持つことは素晴らしい!
金持ちになることが「勝ち組」だなんて価値観・・・
at 2005 07/02 06:59 編集
朝日新聞土曜版(6.18)“フジマキに聞け”のコーナーより
藤巻幸夫氏はタイトルのような考えには同意できないという。まあ、大抵の人はそう思うだろう。
確かに近年は「勝ち組」「負け組」という表現を時どき耳にする。
先々月亡くなった二子山親方は藤巻氏にとってはヒーローだったという。しかも、現役時代の千秋楽では8勝7敗でカド番を脱するというパターンが多かったことまで記憶している。私も見てはいたが、そこまでは覚えていなかった。彼によると8勝7敗には美学があるという。大関在位50場所(歴代1位)という最高記録はその結果だろう。
相撲でもダントツに強ければ、それだけで人気が保てるというわけでもないだろう。たとえば、現在横綱の朝青龍は強いが、人気を比べたら現役時代の大関貴ノ花(二子山親方)のほうに軍配は上がるだろう。
さて、話しはもどって藤巻氏は勝ち負けで人生を分けるより、むしろ「満足組」「不満足組」で分けたほうがしっくりくるという。だから当然金持ちイコール幸福ということにもならない。むしろ、金持ちほど不満が多いかもしれない。
たとえば、私たちが大衆食堂で美味しいと思えても、金持ちは高級レストランで食事してもこんなもの口に合わないというかもしれない。
家族、友人、健康・・・どれをとってもお金で計れないことのほうが多い。どうせ金持ちになどなれない僻みでもあるが、一つでも多くの満足をひろって生きてゆきたいと思った次第・・・
野球の選手はスランプになるとフォームのチェックをする。
at 2005 07/01 06:39 編集
『自分を「売る」力』斉藤孝著より
つまり、スランプに陥るのは、調子のいいときに比べて、フォームが崩れてきているということなのだ。
それは時によっては、疲労の蓄積も含まれるかも知れない。打者なら相手投手が最高の状態ならそうそうヒットを打てるものではない。しかし毎試合最高のコンディションの投手が登場するわけでもないからいずれは打てるはず。ところがスランプ状態が思いのほか長引くときがある。
そんなとき選手はフォームのチェックをする。つまり好調時のフォームに戻す努力をするということだ。
チェックが必要なのはなにもスポーツ選手に限らない。私たちの日々の健康状態、学ぶスタイル、食事、服装などのコーディネート・・・まで幅広い。
これらは時どきはチェックしてみる必要がありそうだ。何事もバランス感覚が大切かも。
体重が増えすぎたとき・・・これを戻すのが難しい。とりあえず食事と運動のチェックが必要そうだな。これは医者から言われたりすることでもあるか。