素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

Hさんに昨日の写真をいただく

2015年02月23日 | 日記
 ジムのスタッフBさんを中心に3年前から「星田ジムランナーズクラブ」を立ち上げて活動している。寝屋川ハーフマラソン、交野チャリティーマラソンの時期に約3ヶ月ほど日曜日の朝集まってトレーニングをしている。今年は30人余り登録していると活動ニュースに書いてあった。どなたがメンバーになっているのかは知らない。昨日の大会におそろいのTシャツで参加されていることに途中で気がついた。「この人もそうなんだ」と赤いTシャツのランナークラブのメンバーを見つけるのも楽しみの1つになった。

 ゴール付近で先にゴールしたメンバーが後続のメンバーに声援を送っていた。私を見つけたBさんが声をかけてくれてハイタッチをかわした。他の人たちとも話をしたかったが、なにぶん汗と雨で記録証を受け取ってから急速に体が冷えてきたので着替えてから急いで家に帰った。

 今日はBさんの担当の日なのでランナーズクラブのメンバーの結果などを聞かせてもらいながらストレッチとピラティスで心身をほぐそうと午後からジムに出かけた。ランナーズクラブのメンバーも全員完走し、打ち上げが大いに盛り上がったと聞いた。Bさんも1時間50分と昨年の記録を更新できたと満足そうだった。

 Bさんをはじめ他のスタッフの方とマラソン談義をしていたら、1週間前に京都マラソンを走ったHさんがやって来た。写真愛好家でもあるHさん、応援方々ジムのメンバーの激走ぶりを撮ろうと9時前から会場にいたらしい。人が多くてまったく分からなかった。
 Hさんは、2時間30分を目標にしているとジムで一緒になった時聞いていたのでランナーズクラブのメンバーが続々とゴールした後も写真を撮ってあげようと私を待っていた、と開口一番。

 それが予定の11時30分を過ぎても一向に現れず、寒くなってきたのと空腹で「もう帰ろう」と思った時に、ひょこひょことやって来たという。他の人はラストスパートをかけて必死の形相で駈けてくるのでシャッターチャンスが難しかったが、私は実にお気楽な表情でカメのような歩みだったので余裕を持ってバッチリ撮ることができたと笑った。望遠だったので私は気付かなかった。他の人の写真も見せてもらったがHさんの話している通りであった。

 自分の姿を客観的に見るのは気恥しいものがある。ビデオでなくて良かったと思う。中学生の頃、陸上部の先生にフォームのことで色々注意を受けたとき、「自分の走っている姿を見ることができたらなあ」とよく思った。自分では脚を上げているつもりでも上がっていない。とか腕をちゃんと振っているつもりでも振れていない。などと指摘されるとどうしていいのかわからなくなりますます動きがぎこちなくなるという負のスパイラルによく落ち込んだものである。今は決して自分の姿を動画で見たいとは思わない。「知らぬが仏」である。

 Hさんも加わってひとしきりランニング話に花が咲いた。スタッフのBさんは3月に淀川ウルトラマラソンで70kmにチャレンジするようだ。
   4月19日(日)の交野チャリティーマラソンには、ランナークラブのメンバーはもっと多く参加するとBさんは言っていた。もちろん私もHさんも参加する。

 
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「第3回寝屋川ハーフマラソン2015」も制限時間ギリギリで完走

2015年02月22日 | 日記
 「大荒れになるかも」「春一番が吹くかも」「4月上旬並みの気温」などなど「第3回寝屋川ハーフマラソン2015」を走る者にとってはあまり良い天気予報ではなかった。ふたを開けてみれば小雨がパラつく程度で風も強くなく気温も10℃前後とまずまずのコンディションであった。

   家から自転車で5分ほどで行くことができるホームグラウンドなので、キャッチフレーズの「坂」の感じはわかっている。初めて参加した人にとっては想像以上に大変だったようで走っている時やゴール後に多く耳にした。

   5000人余りのランナーと応援の人でいつもは静かな公園もたいそう賑やかだった。健康(1.5km・3km)、クォーター(10.54km)、ハーフ(21.09km)の3部門合わせた参加者の年代別構成は次のごとく。
 3~9歳→ 3.6% 
 10歳代→ 5.4% 
 20歳代→ 14.2%
 30歳代→ 26.6%
 40歳代→ 30.2%
 50歳代→ 14.2%
 60歳代→ 4.8% 
70・80歳代→ 1% ハーフマラソンの最高年齢は男子は77歳、女子が80歳である。ハーフマラソン50歳以上の部は883名出場した。

 2年前の第1回の時は2時間12分25秒とおよそ1km6:15のペースで走ることができたが、膝の故障明けからは1km7分を目標にしてきたが1月末から2月初めにかけての生活のペースの乱れもあり思うように走り込みができなかったので1km7:30~8:00で完走できれば良いということで臨んだ。その分、沿道で応援してくれている人やスタッフの方たちがよく見えて走りを楽しめた。
 制限時間の関門は全部で5ヶ所あったが最初の6.4km地点の成田不動尊が厳しかった。スタートの号砲から約5分弱遅れてのスタートと坂の上り下りが数回あるので閉鎖まで4分弱ぐらいでくぐり抜けた。3時間の制限時間をにらみながら後半はよく粘ることができた。

 これで一区切りついたので、またじっくりと自分の体と向き合っていくことができる。

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昨夜のEテレ『団塊スタイル』は海原純子さんの話

2015年02月21日 | 日記
 毎日新聞の『日曜プライムくらぶ』のコラム”新・心のサプリ”でお馴染みの海原純子さんが、昨夜のEテレ『団塊スタイル』に出演されていた。20時過ぎにテレビ欄を見ていて気づいたので最初の部分は見逃した。

 31歳で女性専用クリニックを開業したあたりからである。
  病気の種類によって縦割りになっている診療体制では女性の悩みを解決できないと総合的に女性の心身を診ていくという新しい医療へのチャレンジは総合医療という概念がある今とは違って大変だったと思う。

 仕事を持つ女性が受けるプレッシャーを海原さんもくぐり抜けて来たんだと初めて知った。
   仕事も家事も完璧を目指した海原さん、40代になった時に体が悲鳴を上げたという。その体験を聞かせてもらったことで”新・心のサプリ”の底に流れているものがよりわかったように思えた。
  自分自身の体に起こったことを客観的に話されていたが、当時の困惑は容易に推察できた。それでも自分としっかり向き合って克服された。さすがだと思った。
 そのことをふまえて今は「ストレス  は予防できる」と提唱してさまざまなアドバイスを発信しているという。

 海原さんが取り組まれていることは、私の実践と照らし合わしても首を縦に振るものであった。
1つ目は、学生時代にアルバイトで歌っていたジャズを50代になって再開したこと。
  「いつも初心者」=「自分を違った立場における」というのがキーワードだった。
2つ目は、ストレッチの勧め。
 ストレッチによって体を緩めると心のこわばりも取れる。という。
3つ目は、料理。
  創意工夫もさる事ながら料理をしている過程で無心になれる時があるという。この「無心になる時をつくる」というのも人間にとってはとても大切なことだと思った。人によってさまざまな方法があると思うが、そのようなものが見つかった人は幸せである。

 最初の部分を見逃したのは残念であるが、2月27日(金)の午前11時~11時45分に再放送があるので録画をして、もう一度しっかり見てみたい。 

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あべのハルカスで大佛師・松本明慶さんの話を聞き「高野山の名宝」展へ

2015年02月20日 | 日記
「いきいき」講座で大佛師・松本明慶さんの話と「高野山の名宝」展鑑賞があったので参加した。会場はあべのハルカス25階の会議室と16階のあべのハルカス美術館である。ついでに60階からの展望も楽しむ。大阪マラソンの受付の時に大阪府咲洲庁舎からの展望を楽しんだ。、その時に、次はあべのハルカスだと思ったがやっと機会が訪れた。

 2ヶ所からの展望、大きく違わないが、大阪市内の真ん中にある分、印象は違う。真っ先に思ったのは、中沢新一さんの「大阪アースダイバー」(講談社)の本のことである。大阪の背骨上町台地が北に真っ直ぐ見え、東は古代の大阪の中心、生駒山麓の中河内、南は堺へと延びるあびこ筋、西に難波の海の玄関口などが一望できる。この本をベンチで読みながら日がな一日過ごしたい気分になった。またいつか実現しよう。

 大佛師・松本明慶さんの話は具体的で面白かった。目線は日本舞踊の基本の中にあるとかミケランジェロとの比較、運慶と快慶の作風の違い。(松本さんは運慶が好き。)チームとしての仏像づくりにおいて大仏師は、音楽の指揮者やスポーツの監督と同じようなものなど「なるほど」と思うことがしばしばあった。伝統と最先端の関係の話も自分の中に新しい視点を入れてもらった感じがした。

デジブック 『あべのハルカスで見る』
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「いきいき」3月号・『あいうえ折り句』ひらめきました

2015年02月19日 | 日記
 3月のお題は『やすみ』 「や」のつく5文字をつれづれなるままに書き出し、折にふれて「す」「み」とつなぎ五七五にまとめようとしたがうまくまとまらなかった。京都十六社朱印めぐりの時は気を紛らわすのにちょうど良かった。

 ひねっているうちにだんだんと「やきもち」という言葉に膠着してきた。今週に入ってからは頭の中は「やきもち」一辺倒。3句まで投稿できるので3つとも「やきもち」にしてしまえと無茶な縛りをかけてしまった。

 ボクササイズで汗を流した後、乗馬マシーンに乗って15分間ユラユラと揺れていたら何となくまとまりのある句になってきた。あわててスタッフに声をかけてメモ用紙と鉛筆をかりて揺れ動く中書き留めた。

 ☆やきもちが すぐさま炭に 身をこがし
 ☆やきもちに すったもんだで 身のあかし
 ☆やきもちも すっかり冷めて 三行半


 「やきもち」の焼き加減は難しい。「話のタネになる本」の中に、『やかぬ女房のやきもち』という話がある。

 「亭主の浮気にやきもちをやかないまことに貞淑な妻がいた。かこわれた二号夫人も本妻がやかぬので少々拍子抜けがして、何とか本妻を怒らせてやろうと思った。そこで旦那に本妻の大事にしている三味線を借りるように使いを出してもらうと、あっさり貸してくれた。次に琴を借りたいというと、これも文句なしによこした。
 
 二号夫人はあてが外れたので、さらに旦那に相談すると、それなら、あれが一番大事にしている白菊の鉢を借りるといい、よもや貸しはすまいし、怒ってくるにちがいない、と言う。二号夫人はいよいよ興がのり、さっそく使いを出すと、見事な大輪の白菊の鉢をよこした。が、それには短冊がむすびつけてあった。

   琴三味線 ことにかあいい 殿を貸し 何ほしかろう 白菊の花

 この短歌を見てホロリとした旦那は二号と別れて、本妻のもとへ帰った。」

というたわいのないもの。
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