素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

昨夜のNHKBSプレミアム『英雄たちの選択』は「忠臣蔵」

2014年12月12日 | 日記
 この番組、日記や古文書などをベースに多角的にテーマに迫るので面白い。この時期となればやはり忠臣蔵である。、家綱になって武断政治から文治政治へと方針を切り替え、綱吉の代になってより強固に基礎固めをしているさなかに起きた浅野内匠頭の乱心による突発的な事件は、その後の支配体制を決める大きなターニングポイントであったという視点からの論議は興味深かった。

 大石内蔵助らの吉良邸討ち入りは幕府(将軍綱吉)が強く推し進めている「忠義」という思想による支配に対する公の抗議行動であり、その処置を巡っての論争の中で、「忠義」を主君に対する狭義なもののとしてとらえないということを浸透させる意図が綱吉にはあったと指摘していた方がいたが「なるほど」と思った。

 家綱が殉死を無益なものとして禁止したのは、家臣が主人に仕えるのではなく、主人の「家」に奉公するという考え方を定着させる狙いがあったことを考えれば、「忠義」も主君にではなく幕府(=徳川家)に対するものということを定着させていくことが安定した支配体制を築くためにも欠かせないことだと綱吉が考えるのは自然の流れである。

 1年余の論議の上で「助命」「打ち首」「切腹」の選択肢から「切腹」を選択した綱吉はしたたか者という印象を持った。

 番組では取り上げられなかったが、この事件の根底には塩を巡る浅野、吉良の経済摩擦もあったことを指摘する人も多くいる。また、地形から歴史を読み解いている竹村公太郎さんは、徳川家と吉良家の積年の確執という視点から赤穂浪士の討ち入りは、幕府が仕組んだものという説をとなえている。幕府の真の意図は、足利将軍家の分家である名門で朝廷と幕府の仲介役として権力はないが権威をもっている吉良家を潰すことだという。そのことを江戸の古地図での吉良邸の位置や移転などから推察している。また三河の地元における矢作川を巡る徳川家と吉良家の微妙な関係も説得力がある。
 

 1つの突発的な事件をきっかけに政治の流れが大きく変わるというのは歴史の常。

 今年の14日は、奇しくも突発(?)解散の衆院選の投票日。ゆかりの赤穂市や山科では義士祭りがあるが投票日が飛び込んできたため、職員や会場の手配などで大変だったとラジオで聞いた。赤穂市などでは保育園の職員まで選挙に駆り出されるみたいである。投票率どうなるのだろう?
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