某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

ひじきと支那竹(メンマ)

2009-12-28 18:10:30 | ぼやき
 防空訓練反対は勇ましかったが寮の食事には参った。寮費が馬鹿安いためか、毎日おかずが「ひじき」の煮物。お陰で、同期の仲間の会は「ひじき会」という。「こじき会?」と聞き返されることがある。貧乏で汚かったな。
 寮委員会では「何故ひじきばかりだ?料理人がアル中で食費を飲んじゃうからだ。くびにしよう」と言うことになった。大学には頼んだが、寮委員が料理人に直接くびを言い渡さねばならなかった。「アル中だから包丁を持って暴れたらどうしよう」と皆腰が引けたが、とにかく「くびだ!」と言って逃げてきた。彼は学内のどこかに配転になって収まった。料理人が変った当座はおかずが良くなったものの、そう長くは続かなかった。料理人のせいではなかったのだ。
 そのころ、国立駅前に初めてラーメンの屋台が出た。バイトの帰りに食べるここのラーメンはうまかった。私はラーメンを食べるたびに「ああ、今日は肉を食った」と喜んでいた。暫くたって、それは支那竹(メンマ)というもので肉ではない、と教えられた。いやがっくりした。
 
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砂浜の足跡

2009-12-28 17:21:34 | ぼやき
 アイルランドの「祈り」にこんな話がある。

 ある男が、砂浜に二人分の足跡が長く続いている夢を見た。それは男がそれまで辿ってきた生涯の足跡だった。4っの足跡が続くのだが、ところどころ一人分の足跡しかないところがある。それは男が辛い目にあった時であった。男は怒る。「キリストさんよ、あんたはいつも一緒に歩いて、俺の苦しい時は助けてくれる筈だったのに、何故そういう時だけ、俺を一人にしたんだ」と。
 キリストは答えて言った「その時、いつも私が貴方を背負って歩いたんだよ」

 日本と違って向こうでは神様も弁解するんだ、と私は感心した。
 今年は私の生涯最悪の年だった。こっちが入院してる時に弟が亡くなった。「成人病」が全部いっせいに見つかった。放射線治療まで始まった。来年2月まで連日朝早く病院に通はねばならない。
 こういうときになると、友達が良くわかる。元気ずけてくれる人、自分の経験を教えてくれる人。有難いことだ。しかし、前には定期的に電話のあった人で、こっちの辛い話が出てきた頃から、ぱったり何も言ってこなくなった人もいる。「困難な時の友が真の友だ」と言われるが、その反対。忙しくて他人のことなどかまっちゃいられない、まして具合の悪い人など、と言うところだろうか。 
 
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ナットウハロック、何これ?

2009-12-28 16:10:16 | スポーツ吹矢の練習
 吹矢絶不調。僅か一週間練習できないでいたら、全然当たらなくなった。それまで、10メートル先の的に30本撃って、悪くても160点くらいだったのが、不調も不調119点まで下がった。合格最低点150点を殆ど出せない。練習会でも不調のまま。仲間に「不調ですな」「何か精神的悩みでもあるんじゃないですか」「女に振られたかな」と散々からかわれた。いつも「うまいだろう」と得意気な顔をしているから、ここぞとばかり仇をとられた。終わってからの飲み会でも「今日は絶不調でしたな」と駄目押しされた。普段、飲み会では吹矢の話はしないのに。「他人の不幸は蜜の味」か。
 練習中に高橋先生が見かねて「一本ずつ、7・10・8・6・9メートルと距離を変えて撃ちなさい。ナットウハロックと覚えると良い」と指示してくださった。初めの5本は難しかったが、次の5本ではかなりほぐれた。それまで10メートルで固まっていたのがほぐれて、当たっても当たらなくても気持ちよく吹けた。
 早速家での練習にもこれをやった。調子よくなって、6メートルから9メートルまでは殆どが中心に当たるようになった。だが、10メートルになるとまだいけない。たった1メートルの違いなのに。「来年中に四段になる」などと忘年会で公言したからバチが当たったのだろう。的に当たればいいのに。
 
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