まず、帯付きの表紙です。
帯を取った表紙です。
表紙、背文字、裏表紙です。
下は、帯の全体です。
▼8月12日発刊、すでに予約も受け付け中の(例えば
ここです)新刊…「死ぬ理由、生きる理由 英霊の渇く島に問う」(ワニブックス)について、か~な~り長いあいだ、目いっぱいの時間を費やし、力を尽くして取り組んできました。
けさ7月19日土曜の朝、ゲラ直しの全文の最終部分の60ページほどをようやく編集者に渡し、そのほか、編集者からの質問に答えるメールをまず羽田空港で打ち、それから機内でも打ち、岡山空港に着いて今、車中から送信し、これでようやく、ぼくの手を離れそうです。
つまり出版社による製本まっしぐらとなり、書店への配本と、進んでいきます。
正直、苦しかったです。
ほかの仕事を犠牲にはできず、削るのは、もともと短すぎる睡眠をほぼゼロにし、食事の時間を取らず、「ここでいったん休憩」という場面で休まず…こういうことしかありませんからね。
この、あまりに極端な戦闘状態が一応、終わりそうです。
しかし、ホッとする気分にはほど遠いです。
とっくに終わっているはずだった小説新作の仕上げ、それから、発売が延期されている「そこよみ」こと「祖国は甦る」(扶桑社/ロングセラーの『
ぼくらの祖国』の続編)の原稿書き直しが控えています。
すなわちシンクタンク社長や公職(文科省参与など)、教職(近畿大学客員教授など)の仕事以外に、たいせつな、急ぎの、書きかけの原稿がまだまだ「早くして!」と声をあげながら机のに積まれている感じ、実際にはパソコンの中で待っているのです。
▼ぼくはこれだけ毎日、講演をしていて、講演の内容を主とする本を出すのは初めてです。
実は、「講演を収録した本を出したい」という出版社や編集者からのオファーはとても多い。
しかしすべて、お断りしてきました。
なぜか。
今回のように、あまりにも大変すぎる作業になると、分かっているからです。
これは、出版社や編集者の常識とは真逆なのですね。
「青山さんは、作家も本職だけど、ほかの本職、そしてまさしく講演など本職ならざる仕事がとても多い。時間が無いでしょう? だから講演をそのまま本にしませんか」というオファーが、さまざまな出版社、編集者から来ます。
ちなみに、青山千春博士も同じことを言います。「社長は時間が無いのだから、講演をそのまま本にすれば?」と。
ぼくにとって、これが違うのです。
講演は話し言葉です。
文章とは本質的に違うので、文法をやや外していたり、話の途中で方向転換があったり、同じ事実の表現でも、その場の聴衆の眼を見ながら、柔らかくしたり堅くしたり、省略したり材料を増やしたりします。
むしろこれが、講演、話し言葉の醍醐味ですね。
しかし書籍は、あくまで文章です。
ぼくの本である以上は、ぼくが一字一句、永遠に刻みつけていく「文字による彫刻」です。
したがって、講演の起こしを本にしていくとき、すでに行った講演そのものを変えないように、文法を微妙に正したり、方向転換をモデレート(穏やか)にしたり、事実関係を確認したり、非常に微妙な作業を、一行一行、延々と続けることになるのです。
▼つまり、ぼくの場合は、最初から文章を新しく書きおろしていく方が、講演録に手を入れるより、ずっと楽、時間も取らないのです。
かつて一度、講演をもとにした本を出そうとして、あまりも消耗するので、それを途中でやめ、最初から新しく文章を書いていって本にして出版しました。
それ以来、講演を本にするオファーは全部お断りしてきたのでした。
世の中には「どうせ講演なんだから」と、そのまま本にしてしまう人はたくさん居ます。
それはそのひとの生き方なので、批判はしません、。
しかし、ぼくの生き方とは違います。
▼今回はなぜ、引き受けたか。
そのまさしく講演で、硫黄島の英霊の方々について話す時間がどんどん無くなっているからです。
終わらない福島原子力災害、規制緩和だけに傾いていくアベノミクス、移民への油断ならない動きが続く政治家、官僚やメディア、中韓のエスカレートする反日、自民党の腐った部分がのしかかってくる第二次安倍政権、そして直近ではマレーシア航空機撃墜のような突発的な大事件も次々に起きます。
こうしたことを取りあげていくうちに、講演時間が過ぎていってしまいます。
だからこそ自主開催で開いている、時間を5時間前後も確保している独立講演会は別です。
しかし一般の講演では、今のぼくは講演が終わるたびに、硫黄島の英霊や、白梅の少女たちの話が出来なかったと落ち込むことが多いのです。
新刊は、これに何とか、ひとつだけでも救いの灯火をともそうとするものです。
思いがけず硫黄島へのクルーズに招かれ、船内放送を合わせると4回も、硫黄島に絞った講演をし、その講演の最後には、これまで明らかにしてこなかった白梅のある真実も話しました。
ですから、これを本にして残し、一人でもこの話に触れていただくと、硫黄島の英霊と白梅の少女が、わずかにでも、ほんのささやかに、報われることに繋がると考えたからです。
それを69回目の夏、敗戦の日に、世に問いたかった。
▼現実の作業は、上述の微妙な作業(改稿)を130~140ページも続け、講演の前後に新たな書き下ろしを執筆し、膨大な写真ファイルを何度も1枚づつ見ていき新刊に載せる写真を選び出し、そのキャプション(写真説明)も一切、編集者らに任せず自分ですべて書き、講演で話した事実関係をもう一度、虚心坦懐に調べ尽くし、確認し尽くし、そして表紙と裏表紙のアイデアを考え、デザイナーが美しくつくってくださったラフを見て、修正部分をたくさん提案し、本の帯も同じようにし…うへへ、参りました。
▼さぁしかし、予定通りに、敗戦の日を前にした8月12日にこの新刊は、港を出発できそうです。
この試みが、わたしたちが正しく祖国と歴史を見る眼を育んでいくことに、どうか、ちいさき一助となっていきますように。