Our World Time

よい物を書きたい

2005年02月28日 | Weblog
▼『朝まで生テレビ』に出た徹夜明けの2月26日土曜日、いったん自宅へ戻って、そのまま眠り込みたい自分をどうにか励まして、近くのジムへ。
 テレビは、ぼくの本来の仕事ではないけれど、顔を出す以上はベストを尽くさねばならないのは当然だし、「むくんだような、みっともない顔で出るぐらいなら、出るのをやめなさい」と、かつて母が電話で言った言葉も、公平に考えて、正しいと思う。

 だから眠い顔のまま、次の出演にのぞむことをしないためにも、ジムへ。
 ここで仮眠してしまうと、躰の深奥に積み重なっている疲れがどっと噴き出てしまうから、だめなんです。
 逆に運動をすると、たいへんはたいへんだけど、もう一度、元気が出てくる。

 しかしジムでも、あまり時間がない。
 それでもひさびさに、ぼくの躰と目標にあわせてプロのトレーナーが練ってくれたメニュー、バーベル挙げやダンベル挙げ、それから機材を使わない腹筋、側筋、背筋の鍛錬などのメニューをフルにこなした。
 去年10月に海外出張のシーズンが始まってから、ほとんどやれないでいたから、たっぷり5か月ぶり。
 だけども前と同じメニューを、苦しみながらもこなすことができたから、ちょっとだけ嬉しかった。

 そのあとプールで、ブレストとフリーをインターバル方式ですこし泳ぐ。
 水と人間をテーマにした小説を書こうとしている、というより書きかけのまま時間がなくて置いているから、その小説のことも考えながら、泳ぐ。
 そのあと軽くサウナに入ったら、もう時間がぎりぎりだ。


▼自宅へ戻ろうと、ぼくのくるまに乗り込む。
(知っているひとはもう知ってくれているけど、アウディ・80クワトロ5vです。モンテカルロ・ラリーで2連覇したラリー・カーと同じモデル。ヤナセによると、日本には30台だけ輸入され、現存するのは、この1台だけだそうです)
 そのクワトロを運転して、地下駐車場から駆け上がるとき、気づきました。

 ね、ねむい!

 徹夜明けでも、ジムで鍛える。
 そこまでは良かった。
 良すぎて、躰が満足して、さぁ寝ようモードに入ったらしい。


▼それでも、もちろん眠るわけにはいかず、朝まで居たテレビ朝日に戻り、まずは日曜放送の『サンデー・スクランブル』のためのコメント収録。
 テーマは北朝鮮の核保有宣言。2月10日の北朝鮮・外務省声明ですね。

 実際に使われるのは、数分もあればいいほう。30秒だけ、ということもあり得る。

 それでも収録は、ディレクターやプロデューサーが問題を把握する目的もあるのだろう、1時間を超えた。
 インタビュアーを務めた若手アナウンサーが、しきりに恐縮なさっていたけど、TVタックルのコメント撮りはいつも、独研の社長室で2時間を超える。
 ぼくのコメントを画面で使うだけではなく、VTRづくり全体に活かすためだ。

 タレントとしての登録をお断りしている、ぼくのギャラは、スタジオ出演でも驚くほど安い。コメント収録となると、まぁ、視聴者が誰も信じてくれないような安さです。(いずれにせよ、すべて独研に渡します)
 そして使われるのは30秒から数分なのに、収録は1時間から2時間超。

 ここでも、ぼくの考えることは基本的にまったく同じです。
 コメント収録に応じる以上は、いい番組がつくられて視聴者のプラスになるように、ぼくに期待してくれたテレビ局スタッフの努力が報われるように、とにかくベストを尽くす。それだけですね。

 眠気と疲労をこらえて、コメント収録が終わると、あわただしく局内の別のスタジオに向かう。
 こんどは、TVタックルのスタジオ収録です。


▼タックルは、3月7日の月曜夜9時放送の分の収録です。
 テーマは中国。
 このスタジオ収録は、これまでのタックルよりは、まぁまぁ発言できたほうかなと思う。
 前夜の『朝生』で、自己評価が最低だった教訓が、いくらか活きたのかもしれない。
 このタックルの自己評価は、100点満点の35点ぐらい。

さぁ、原稿、原稿。
 ぼくは、物書きです。
 シンクタンクの経営を預かっています。



じこひょうか

2005年02月26日 | Weblog
 2月25日の金曜日は、朝から、実力部隊を持つ複数の政府機関を訪ねて、日本国民をテロリズムから護るための調整に、内心では懸命の思いで取り組んだり、独研・本社で総務部員への応募者の面接試験に臨んだり、エネルギー会社の幹部を訪ねて、日本の海洋資源の独自開発に協力を求めたり、あっちへ行ったりこっちへ来たり、まぁ目まぐるしい日程のあと、ぼくの母校の中学・高校(淳心学院というミッション・スクール)の東京同窓会の総会へ出席した。

 数時間後には「朝まで生テレビ」が控えているので、ほんとはお酒を呑んじゃいけないのだけど、あるいは身体を休めていなきゃいけないのだけど、おなじ同窓会でも「総会」とあれば知らん顔なんてできないから、結局、2次会まで行ってしまった。

 ただし、さすがに2次会は途中で失礼して、テレビ朝日へ。
 伝統の番組『朝生』は、ほんとうに生易しくない番組で、この夜も自己評価は最低に近い。
 ところが、同行した独研社員は「いままでで、いちばん良かったです」と何度も言う。
 それから、ぼくの信頼する読者、ハンドル・ネームを「まりあっちさん」という方が、「青山さんのテレビ出演は、自己評価が低いときほど、いい」という面白い書き込みを掲示板になさっている。

 しかし、それでもやっぱり、自己評価は最低レベルで、ちょっとしょんぼりして、自宅へいったん戻る。
 これから自宅近くのジムへ行って、久しぶりに躯(からだ)を鍛えるのです。
 もちろん眠いけど、躯が要求しているのは休息だけじゃなく、動くことだから。

 そのあとに、もう一度、テレビ朝日へ戻り、まず「サンデー・スクランブル」という番組のためにコメント撮りをしたあと、TVタックルのスタジオ収録に入る予定です。
 このタックルは、2月28日の放送ではなく、その次の月曜の放送です。28日は、コメントだけで出ます。

 あーあ、ぼくはテレビタレントでもテレビ評論家でもないけれど、顔をすこし出している以上は、もうすこし視聴者、国民にきちんと伝えられたり、それから期待してくれるテレビ局のかたがたにも報いられるように、なりたいナァ。


one and a half day in the life

2005年02月23日 | Weblog
 きのうの書き込みで「神さまからの、ちょっとしたプレゼント」と書いたのは、間違いだった。
 神さまからの至上のプレゼント、それがただしい。

 今回の講演は、ぼくの恩人の一人から頼まれたもので、どんなに日程がタイトでも、どうしても期待に応えたかった。
 聴衆の数が少ないけど、そんなことは最初から、ふだんから気にしていない。
 講演料がいくらかも知らないけど、これもいつものことで、そもそもぼくの講演料やテレビ・ラジオ出演料はすべて会社(独研)のものになるから、ふだんから詳しくは知らない。独研の総務部が把握していればいいことです。
 ただ激しい日程の海外出張から帰って、そのまま何の休みもなく国内でも動いているから、日程そして体調としては、なかなかに厳しいものがあった。

 出張先の大阪で(きっと疲れた顔をして)伊丹空港へ行き、搭乗口から外へ出ると、そこには優美で可愛い姿のプロペラ機が待っていた(スウェーデン製の「400型」だそうです。けっこう新しい飛行機らしい)。
 ヨーロッパ域内を移動するときは、こういうプロペラ機に良く出逢うけど、日本国内の移動では珍しい。
 ちょっと嬉しくなっているぼくを乗せて、それから信州の温泉に向かうらしい大阪のおばちゃんやおっちゃんたちを乗せて、素晴らしい冬晴れのなかを快調に上昇する。

 上昇してもプロペラ機だから、雲のすこしだけ上にとどまって飛ぶ。
 いつものジェット機よりずっと低くて、なんだか地上の景色が身近で、たのしい。

 ペルーに特派されていたとき、テロ事件の取材のあいまに毎日新聞の記者と一緒にナスカの地上絵を見ようとセスナに乗ったことを思いだした。
 滑走が始まった小さなセスナ機は、ぼくの横のドアが壊れていて閉まらない。そのまま雲の上に出たから、そりゃまぁ、地上の景色が身近も身近であります。
 太ももや足首のすぐ横が、まるまる、お空。
 ちいさな雲があちこちに、ぽっかり浮かんでいて、地上は夢のように遠いようでいて、生々しく近い。

 ぼくは高所恐怖症なんだけど、こういうときはなんだかいつも覚悟が定まってしまって、まったく怖くない。

 ぼくの後ろの席にいる毎日新聞の記者、彼の席はドアのないところだから地上に放り出される心配は全くないのに、恐怖で真っ青になり、うげげーと吐いている。
 ドアが開いてしまっているせいで、風が盛大に吹き抜けて、その臭いはしない。
 ぼくは毎日の記者に「あなたは大丈夫だよ。ドアがないところなんだから」と声をかけながら、なんだか生きている実感がいっぱいで楽しくて仕方がない。

 パイロットは、アメリカからペルーに流れてきた、やさぐれパイロットで、ドアが閉まらなくても飛んでいる限りは、まるで気にしていない。
 まるで雲のあいだを裸で泳いでいるようで、この地球に生きている実感を、体中に感じる。

 大阪から「信州まつもと空港」に向かうプロペラ機で、そのペルーの空を思いだした。
 もちろん、わがニッポンの飛行機はドアが壊れたりはしていないし、雪をいただく日本アルプスを間近に見おろしながらの飛行は、快適だった。

 長野県松本市の空港に降り立ち、迎えに来てくださった車に乗ろうとするとき、地上から見ても山々が澄んで美しいことに気づいて、思わず、深い疲労も一瞬は忘れて、見とれていた。

 講演会場は信州きっての温泉地、戸倉上山田温泉の名門ホテルだ。
 講演のまえに、すこし時間があり、冬の陽射しのなかを露天風呂に入ると、ほかには誰も入っていなくて贅沢な貸し切り状態です。
 湯が柔らかい。
 人生も柔らかくなる。

 ずっと海外出張が続いていたから、自宅近くのジムで始めている身体の鍛練は、ながくお休みしている。だけど、陽射しのなかで見ると筋肉はぼくの身体にそれなりに残っていて、そうだ、俺はもっと自分に自信を持たなきゃ、と考える。
 ぼくの読者や視聴者のみなさんには意外に思う人も少なくないだろうけど、ぼくの大きな課題の一つは「自分に正当な自信を持つ」ということなのです。

 そのあとの講演では、力を振り絞って聴衆に語りかけたけど、自分としては合格点を出せない出来だった。
 講演は1回、1回、自分の体調や気力によって出来具合いが変わる。
 これではいけません。仕事なんだから、好不調の波は克服しなきゃいけない。

 それでも聴衆のかたは、それぞれに喜んでくださった。
 この聴衆のかたがたは、実は、長野県の酒造卸組合の幹部のひとびと、それに国税庁OB(酒税の専門家)、それからサントリーなどお酒メーカーのみなさん、つまりお酒のプロ、超お酒に強い人の集まりなのです。酒造卸組合の年次総会での記念講演です。

 そのかたがたと、講演のあとに懇親会、すなわち宴会となった。
 乾杯も、ビールではなくて、いきなりお燗のお酒。グラスじゃなくて盃を干す、ほんとうの乾杯だ。

 そして、いやぁ、久しぶりに一升を軽く超える酒を呑んでしまった。
 しかも、ほとんどお燗のお酒ばかりで、ビールをチェイサー代わりに、呑んだ、呑んだ。一升半に近いと思う。
 ふだんなら、いくらぼくが酒に強くても、翌朝は二日酔い間違いなしのコースだ。

 ところが、翌朝は快適そのもの。
 二日酔いの気配すらなく、朝ご飯を食べて、朝風呂にまた貸し切り状態で浸かって、東京へ帰る新幹線に乗った。
 同行している独研社員によると、宴会で、酒造卸組合の副会長さんが「今夜のお酒は質がよいから、いくら呑んでも二日酔いしませんよ」と語っていたそうな。
 凄い!
 この話はほんとうだった。

 それにしても、朝ご飯のとき、お酒のプロのかたが「青山センセイには負けました。もう無茶苦茶な量を、平然と呑んでいましたよ」とおっしゃった。
 いくらなんでも、造り酒屋のかたがたよりも、強いかなぁ?

 東京へ向かう新幹線の車窓から、信州の山並みに別れを告げながら、考えた。
 そうだ、あのプロペラ機のおかげで身近に触れた冬の青空と、雪の日本アルプスが、ぼくの深い疲労をすこし和らげてくれて、精気をくれたんだろう。
 だから、がばがばと呑んでも大丈夫だったのかもね。

 二日酔いになるはずがならなかった、その身体の心地よさのおかげで、澄みわたる天と地がぼくの記憶にきっとながく残ってゆく。
 人生の一日と半分が、いのちのなかに残ってゆく。

 まさしく、神さまの至上のプレゼントだったのです。



2月の22日、火曜日のこと

2005年02月22日 | Weblog
 去年の10月から断続的に続いていた海外出張の季節はようやく終わりましたが、国内出張は、あいかわらず嵐の日程です。

 きょう大阪から、なんとプロペラ機に乗って『信州まつもと空港』へ降り立ちました。
 45分ほどの飛行は、中央アルプスの雪の山並みを間近に見おろして、まるで遊覧飛行のようでした。

 到着すると、迎えのかたが「この冬、こんなに晴れて山が見渡せる日は初めてです。飛行機からの眺めも素晴らしかったでしょう」とおっしゃいました。
 神さまからの、ちょっとしたプレゼントですね。

 きょうはこれから、長野県で講演です。


西日本のかたがたとは、月曜日に4回お目にかかります。

2005年02月13日 | Weblog
 みなさん、ぶじに中国・韓国への出張から帰国しています。
 こんかいは、ソウルから広島空港へ帰国し、福山市で講演してから、翌朝6時すぎにその福山市を発ち、東京へ帰るという初めての帰国スタイルになりました。

 ますます忙しくなったもんだナァと正直、思っていたら、帰京してすぐ北朝鮮の「核保有宣言」があり、忙しさが加速しています。

 その北朝鮮のことを中心に、すこしテレビ出演が続きます。
▼13日(日)10:00~テレビ朝日「サンデープロジェクト」
▼14日(月)8:00~テレビ朝日「スーパーモーニング」。

 これは、いずれも生出演です。

▼14日(月)17:30ごろ~テレビ朝日「スーパーJチャンネル」の『月曜特集コーナー』
▼同じ日、21:00~テレビ朝日「TVタックル」。

 これは、いずれもコメントだけの出演です。

▼それから14日(月)14:05~関西テレビ「2時ワクッ」は、いつも通りに生出演します。

 というわけで、関テレをご覧になれる西日本のみなさんとは、月曜は1日に4回、画面を通してお会いします。


 韓国では、ぼくの小説デビュー作「平成」の冒頭部分のモデルになった、実在の将軍と再会しました。
 このあたりのこと、すこし落ち着いたら書き込みたく思っています。




いま香港の夜明けまえ、ホテルの窓いっぱいのハーバービューが闇にとけています。

2005年02月06日 | Weblog
 北京から香港に移りました。
 北京では、思ったよりも充実したヒヤリング(当局者や関係者との対話)を進めることができました。

 乾ききって凍てつく北京の風から、ハワイによく似た南の甘い風に変わって、ぼくにとっては香港を再発見したような気持ちです。
 あいかわらず移動の車中や機中では原稿執筆に追われ、苦しくもあるのだけど、それを忘れるような素晴らしい風です。

 ここ香港には、たいせつな知友の一人である高官と会うために来たのです。
 なかなかにハードなトピックを話しあいながら、高官の案内でひさしぶりの香港、そしてぼくの知らなかった香港をみせていただく半日を過ごし、いまその翌朝です。

 出張に同行している独研の若き秘書室長は、彼女の育ったニューヨークや、いま暮らしている東京とはまったく違う異次元世界を次々と見て、生き生きと仕事をしています。胸のうちで、しゃちょうのぼくは嬉しいのです。

 あと3時間半ほどで、次の仕事先、ソウルへ向かいます。



近くて遠い道のり

2005年02月03日 | Weblog
 中国でのヒヤリング初日が終わりました。

 いま日本と中国は、政治や安全保障をめぐって厳しい関係にありますが、実際に関係者に会うと、ずいぶんとこころの通じ合うものもあります。
 変貌してゆく中国、まるで周辺諸国の民力を吸いとって呑み込むかのように膨張してゆく中国と、わたしたちの祖国が健やかな関係を築くためには、近くて遠い道のりを歩くしかないんだなと、凍てつく冬空の北京で、あらためて考えています。

 それにしても、経済が膨張した中国は、庶民がぎすぎすと、まるでイライラした成り上がりのひとびとのように変わっていることには、哀しみを感じます。
 かつての良き中国が、根こそぎ失われているような錯覚を感じます。
 きっと錯覚です。
 北京では事実でも、この広い中国に棲む庶民には、まだまだ変わらない人々がいると思います。
 日本人が中国に残してしまった残留孤児を、わが子と変わらずに育ててくれたようなひとびとです。

 ホテルのエレベーターを降りようとすると、真っ赤だのピンクだのきんきらジャケットを着た男たちが、こちらの顔をじろじろ見ながら、降りる人を全く待たずに肩肘を張って乗り込んできたりします。
 芸能人なのかもしれないけど、いやらしい振る舞いです。

 にんげんは、おカネだの虚栄だのに、ほんとうに動かされやすいですね。




2月3日木曜日、午前5時すぎ、ふたたび海外出張の途上にて。

2005年02月03日 | Weblog
 いま北京にいます。
 このごろ海外出張はアメリカやヨーロッパ諸国が圧倒的に多く、中国は4年か5年ぶりです。
 それでも合計すると、30回近く、この中国に来ていると思います。

 初めて来たのは、唐山地震というアジアの歴史に残る大地震の傷跡が、まだ癒えていないころで21年ほども前になります。
 ぼくは共同通信・京都支局の若い記者で、当時の京都府知事の同行取材でした。
 そこから、4半世紀近く、中国の変わりようを見てきたことになります。

 2005年の北京には、かつて想像もしなかった高層ビルも建っているけど、あいかわらず物乞いの幼子が親から渡された食器を持って観光客にお金をせびっていたりします。

 中国は激変したけど、ちっとも変わっていないなぁという印象も強い。
 たとえば、フェアネス(公正さ)という感覚、価値観がほとんど存在しない。
 それは変わらない。

 ただし、それは中国だけじゃなくて、ぼくの勝手な印象では、フェアネスという感覚が存在するのは、それが守られているかどうかは別にして、とにかく存在するのは、世界でもアメリカと、そして日本だけだと思います。

 北京空港に降り立ったとき、いつもの中国の匂いがしました。
 同行の、独研の若き秘書室長が「どんな匂いですか」と聞くので、「何か月もタンスの奥にしまっておいた古着のような匂い」と答えると、彼女は「たしかに」と笑っていた。
 世界のおおくの国には、空港に着いたとたんに感じることのできる、その国の匂いがあります。

 この中国には、ある政府機関から委託された、とてもたいせつな研究プロジェクトのためにやってきました。
 中国側にとっても、ぼくと議論してよかったと思えるようなヒヤリングをやりたいなと、この夜明けまえに考えています。