Our World Time

訂正です。

2011年12月30日 | Weblog
下の書き込みにある「元旦」は「元日」の間違いです。
元旦は、元日の朝ですから、夜のラジオ放送が元旦のはずはありません。
コメント欄で指摘があり、うっかり元旦と書いていることに気づきました。

とりあえず

2011年12月30日 | Weblog

▼この地味ブログを続けるかどうかをめぐって、ちょっと信じがたいほど沢山のコメントの書き込みをいただいています。
 すべて読みつつ、年末のぎりぎりも、独研(独立総合研究所)から会員制で配信しているレポートの「年末特集」の取材と執筆を続けています。


▼さて、とりあえず、お知らせしておきます。

▽大晦日は、関西テレビの特別番組「青山繁晴の緊急提言 世界は動く!正念場の日本~明日のニッポンを子どもたちと考える~」が午後3時から4時15分まで放送されます。

 ぼくが初めて「メイン・パーソナリティ」を務めます。
 スタジオには、10歳から18歳までの小中高生を招き、質問に答え、対話します。
 大人のパネラーも、水道橋博士、海原やすよ・ともこさん、滝沢沙織さんが質問などをされ、進行役は山里亮太さんと関テレの杉本なつみアナです。

 これは12月28日に、ぶっつけ本番で収録がありました。
 最初の北朝鮮の金正日総書記死去をめぐるコーナーが終わったところで、ディレクターから「青山さん、信じがたいでしょうが、すでに18分押しています」という衝撃のひとことが、苦笑とともに耳打ちされました。
「押す」というのは、テレビ用語では、予定の時間より遅れていることです。(ちなみに予定より早く進行していると、「巻いている」となります)

 ふつうの番組収録では、時間に合わせて進めることが何より欠かせないのです。
 しかし、この特別番組ではあらかじめ「段取りがどう、よりも、この祖国をどうするのかという熱気を大事にしよう」と関テレのプロデューサーやディレクター陣と話しあっていました。
 そ、それでも最初から18分も押していると、収録が完結しない…。

 ところが、そのあとの福島原子力災害をめぐるコーナーでも、大阪都構想のコーナーでも、TPPのコーナーでも、そして拉致問題のコーナーでも勢いが止まらず、どんどん行ってしまいました。

 少年少女にも読んでほしいと出した新刊「ぼくらの祖国」が3年半の苦渋のあとに世に出た、ちょうどその時に、青少年とぶっつけ本番で一緒に考える番組が偶然にも収録となった、その不思議な巡りあわせに、胸のうちですこし感激し、深く感謝していました。

 それにしても、スタジオに集まってくれた少年少女の眼の輝きに励まされ、何より、その質問がしっかりしていること、ちゃんと自分の意見を持っていること、他人からの借り物ではない本物の問題意識を抱いていること、そして「すべてのニュースは根っこで繋がっている。だからこそ、自分の頭で考えよう」という、ぼくなりのささやかなメッセージが、ちゃんと少年少女に届いて理解されたことに、こころの底から、感嘆し、こころの底から嬉しかったのです。

 こんな経験は初めてです。テレビ番組の収録で勇気づけられた。
 こんな立派な少年少女がいるのだから、みなさん、本気で日本は大丈夫です。

 大人のパネラーも、かつて関西テレビの「2時わくっ」という番組で一緒だった海原やすよ・ともこさんが、もうテレビということも忘れた感じで身を乗り出して熱心に聴いてくれたり、楽しかったです。

 生放送ではなく編集されますが、少年少女の素晴らしさが伝わることを、願います。
 もしもよろしければ、少年少女のためにも視てください。


▽元旦(→これは間違えました。元日です。コメント欄の指摘で気づきました。ありがとうございます)の午後7時半からは、ニッポン放送で「青山繁晴のサンデー ズバリ!ラジオ」が午後8時半まで放送されます。
 ぼくはラジオを前からやりたかったので、こちらの収録(12月29日)も愉しかった。

 ニッポン放送のとても人柄のよいアナウンサー、飯田浩司さんと一緒に、北朝鮮に2012年、日本外交がどう対峙していくか、福島原子力災害を踏まえて日本のエネルギーをどうしていくかなどをトークして、それから新刊の「ぼくらの祖国」について飯田さんの質問に答え、さらには、趣味のなかでモータースポーツについて話し、1曲だけですが、ぼくの選んだ曲もかけました。

 飯田さんは「ぼくらの祖国」をしっかり読み込んで、さらに福島原子力災害も、発表されたばかりの政府の事故調査委員会の中間報告書を読んだうえで、収録に臨んでいました。
 温厚なかたですが、やることをしっかりやる姿勢に、共感しました。

 ニッポン放送ラジオでは、1月からスタートする新番組「ザ・ボイス」の木曜日に、レギュラー参加(出演)します。
 これは生放送なので、最初のうちは、先に決まっていた講演などのために参加できなかったりしますが、1月19日木曜の午後4時には、お耳にかかれます。


▼写真は、きのう12月29日の午後、東京・有楽町のニッポン放送スタジオで収録した時です。
 ちょっと分かりにくいでしょうが、向かって右が飯田アナ、左の赤いフリースを着ているのがぼくです。フリースは、こないだサンフランシスコで国際学会(AGU)に出たとき、衣類の安売り店「OLD NAVY」で買いました。日本円で、数百円ぐらいです。千円しない。
 耳には、これも分かりにくいでしょうが、ガラスの向こうのディレクターの声が聞こえるように、レシーバーを掛けています。

 …とりあえずのお知らせでした。
  みなさんが穏やかな年末を過ごされていますように。



長年、続けてきたブログですが……

2011年12月27日 | Weblog
……記事をアップするには時間が掛かります。
 すべての原稿を書くときと同じで、伝えるべきを伝えようと、一字一句を丹念に記していきますから。

 ところが、たとえば先ほどのエントリーの後すぐに、そのエントリーのコメント欄に「それじゃ、予約しているけど、第二版にしてくれと書店に交渉することにした」という趣旨の書き込みがありました。
 ぼくを落胆させようという意図があるとは思いません。
 悪い冗談で書かれたのでもないと思います。
 コメントしたかたの善意は疑いません。

 ただ、意は全くと言っていいほど伝わらないことも多いですね。
 それから、コメントを書かれているうちにご本人がご本人の言葉に刺激され、昂奮されていったことが、ありありと分かり、主義主張以前の問題として、どんどん事実とかけ離れていく、激昂の書き込みと言うほかないものも必ず、あります。

 それは、どのブログでもそうなのでしょう。
 そして、力づけられる、勇気づけられる書き込みも沢山あります。

 けれども、ぼくもいい加減、時間配分を考えないといけませんね。
 いま新幹線の駅ですが、途中、大病院に寄って、人間ドックの結果に基づく医師と看護師さんのアドバイスを聞いてきました。
 きわめて強いストレスと、激務と、極端に短い睡眠時間に対して、「心身のストレスに異常なほど強力に耐えられる力で、ぎりぎり持ちこたえている崖っぷちの情況が、あまりにも明瞭に出ています」と医師はおっしゃり、ぼくのデータを克明に見ながら「大腸癌もあとかたもなく克服していますし、体内年齢は34歳、今年は重症肺炎も患ったのに肺活量は4500CCあり、年齢平均より3割増しです。しかし、その体質でなければとっくに死んでいたというだけの話であって、人間の限界をはるかに超えています。短い睡眠時にも、リラックスできていません。睡眠のようすの精密検査のために年明けに1泊だけですが入院してもらいます。仕事と生活ぶりを変えるべきです」という趣旨を、丁寧に誠実に、おっしゃいました。
 さて、アドバイスに従うのなら、何かをやめないといけません。

 意が伝わらないのは、ブログというものの性質もあり、そして、最終的にはすべてぼくの責任です。
 だから、続けるかどうかも、当然ながら、ぼくが判断すべきです。

 ブログという言葉が世に現れる前から、この On the Road というネット上のエッセイは続けてきました。
 われらみな途上にて、という含意と、この一筋の道を行くという含意を込めて、ずいぶんと前に命名しました。

 別れ道が来ているのかもしれません。
 よく考えます。
 ちなみに、「ぼくらの祖国」も重版は決定ではありませぬ。
 初版がなくなれば、という当たり前の予定があるだけです。初版が残れば、そこまでです。
 そのときは「重版のためのあとがき」を、「見ずに終わった重版のためのあとがき」にタイトルを変えて、このブログにだけはアップして、そしてブログも永遠に閉じる…先にあるのは、これかも知れませんね。ふひ。

 凡て、ぼくの責任です。
 凡て、という字は好きです。全て、というより人間世界の現実に合っていると思います。
 人間のやることが全てをカバーできることなんてあり得ない、しかし、ほんわかと、ほぼ全体を指しましょう、欠けているところが沢山ありながら、それでもほぼ全部のつもりでいましょう、だから「凡て」という字があるのです…という日本語の懐の深さを感じます。

 日本語はいいですね。
 ブログだろうが書籍だろうが、日本語こそ、ぼくらの祖国です。





急告!です。「重版のためのあとがき」は全文、ここで公開します。

2011年12月27日 | Weblog



▼きのう12月26日月曜、出張先の長野を朝5時半ごろに、社有車を運転して出発し、霞ヶ関で開かれた原発テロ防止のための公的会議に出席していたときのことです。
 独研(独立総合研究所)の総務部からEメールが入り、以下のように書いてありました。


~「ぼくらの祖国」の担当編集者から電話があり、秘書室が対応しました。
 社長がブログで、「第2刷では、金正日に関して内容を修正追記した」ということを記載しているため、一般の人から書店に問い合わせが殺到しています。つまり、自分は予約をしたが第1刷ではなく第2刷を購入したいということです。
 というわけで、「すぐにブログのその部分を消してもらいたい」とのことです。~


▼「第2刷では、金正日に関して内容を修正追記した」というのは事実に反します。
 ブログにも、そのように書いていません。
 このように書きました。

~まず、北朝鮮の金正日総書記の死去を受けて、「重版のためのあとがき」を書きました。
 初版のための原稿をすべて書き終わったあとに、この「アジア史に残る死」が起きましたから。~

 初版には、「ふしぎの本」というタイトルの、あとがきがありますが、本が重版になるとき「重版のためのあとがき」をさらに記すのは、出版の健康な常識、あるいは出版というもののちょっとした愉しみとしてあります。
 そのため、ぼくからこの「重版のためのあとがき」を書きたいと編集者に申し出て、「400枚詰め原稿用紙で(わずか)6枚までなら」という条件でOKとなり、書きました。

 これは、あくまで「あとがき」であり、本文に「修正追記した」のではありません。
 また、前述のように6枚という短いものですから、金正日総書記の死去や北朝鮮の今後について本格的に分析したものでも、全くありません。


▼そもそも、この「ぼくらの祖国」には、なるべく時事的な話題を入れないという基本的な考えが、著者のぼくにありました。
 このことは編集者にも一切、相談などしていません。なぜ、この本を書くのかという、ぼくの根本的な動機に関わることであり、著者がみずからすべて決すべきことだからです。

 時事的な話題はどんどん情勢も事実関係も認識も変化します。
 この本は、2千年を遙かに超える永い歴史を持つ祖国とは何かという根っこについて、できれば子供から大人まで、伝わる人には伝わってほしいという願いで書きましたから、変わるべきもの、色褪せるものはなるべく入れないようにしたのです。

 したがって、たとえば福島原子力災害についても、除染の具体的なことや、放射線障害を正しく避けることなどについては、別書に譲り、作業員の眼の輝きをはじめ、祖国と人間の根本的な生き方に絞って書いています。

「あとがき」であっても同じことであり、金正日総書記の死去は、あくまで、きっかけとして扱っているだけです。


▼原発テロ防止のための会議は、ふたつ連続であり、延々と5時間近くを要し、その後すぐにチャンネル桜の「答えて、答えて、答える」の、今回は辛かった(…)収録があり、そのために遅くなりましたが、担当編集者と電話で話しました。
 このひとは、もちろんお世辞は一切なく、ほんとうに誠実なひとです。

 ぼくは「個人ブログにいったん記したことは、自分の事情では、消さない。それが、現在のぼくなりの原則です。今回も、消したりはしません」とまず告げました。
 それから、著作権を持つ作者として(ちなみに出版社には版権があります)、「重版がもしも実際に出れば、この、重版のためのあとがきを個人ブログで全文を公開したい」と申し入れ、即、合意してくれました。

 また「消してくれ」と頼んだというのは、この編集者の真意でなかったそうです。


▼みなさん、もう一度申しますが、「重版のためのあとがき」は、実際に重版が出た場合は、そのままここに全文をアップします。どなたでも読めます。
 また、本文に影響を与える「あとがき」でもありませぬ。
 したがって書店を「大混乱」させる問い合わせは、なるべくなら避けていただけませんか。(書店からは、大混乱が起きているという悲鳴が編集者に寄せられているそうです)


▼なお、本文中の誤植については、初版本に付きものの「正誤表」と受け止めていただいて、これを理由にした予約変更は1件もなかったそうです。
 ぼくは前作でも、ネット上に、つまりこのブログに正誤表に当たるものを公開しましたが、そのときと同じ理解をなさった書き込みも今回、たくさんいただきました。
 深く感謝します。

 この地味ブログには、誤植の存在を「12箇所もある」と強く非難され、予約された初版本について「出版社の意地汚さが透けて見えるような『不良品』は届き次第、捨てることにします。第2版はもちろん買いません。AKB商法のカモになどなりたくありませんから。」と記された書き込みが1通だけありました。

 出版社とぼくは、祖国を甦らせたいという志で一致したから、出版に取り組み、3年半のあいだ難航し、最後の約束が「年内に出せるのなら、もう一度、取り組もう。ずるずると年明けになってしまうのなら、ご破算にしよう」という人間同士としての約束から、ぼくだけが徹夜したのではなく関係者がみんな、ぎりぎりと努力しました。
 その結果、ミスが出たことを深くお詫びします。

 ただ客観的な事実として、あるいは残念な現実として、世には、海外でも、正誤表が数ページに及ぶ、すなわち訂正箇所が50、60箇所とある初版本もそう奇異ではありません。
 12箇所が少ないということでは、ゆめ、ありません。今回、誤植と言うべきものは正確には11箇所ですが、二桁に達しているのは無念です。
 どうにも不思議なもので、ゲラで見ていると分からなくて、本になってみると目が覚めるように分かる誤植が存在してしまいます。
 もしも可能でしたら、たとえばウィキペディアの「初版」および「正誤表」をご覧になってみてください。もちろんウィキですから、ひとつの見解に過ぎませんが。
 それでも、この方がおっしゃっているように「1、2箇所」に抑えるべきです。
 もう一度、叩頭してお詫びします。

 このかたは、誤植だけではなく、重版で文章を変えたところがあるのも激しく非難されていますが、これには異論があります。
 たとえば、日本文学のもっとも良質な継承者であった井伏鱒二さんは、版を重ねるたびに、全面書き換えと言ってもおかしくないほど直そうとされましたが、それは編集者にとっては困りものでも、書籍としては良心の証しです。

 そのうえで、お一人といえどもこういう意見があったことは本質的に尊重し、この書き込みについては別途、このブログでお答えします。
 そのうえで、考えにお変わりなければ、できれば予約をキャンセルなさってください。一冊、一冊、ぼくと編集者と、校正スタッフを含むすべての関係者の祈りが籠もっています。
「捨てる」ということだけは、「本」というものの未来のためにも、なさらないでください。こころからお願いします。


▼なんやかやで、きのうは辛い一日、けさは哀しい朝です。
 チャンネル桜のことなども、またあらためて書きましょう。

 さぁ、きょうは静岡へ出張です。
 どうということはありませぬ。
 命は、もともと、滅ぶべきものとして悲痛なるものであり、そこからこそ私(わたくし)を超えるものを、ささやかに見出して、あとに続く命に渡すのが使命でしょうから。



その後の「ぼくらの祖国」 … and the Evening Star

2011年12月25日 | Weblog


▼みなさん、いまは12月25日・日曜の午前2時28分、出張先の長野県にいます。
 凄絶な一年だった2011年もクリスマス・イヴが過ぎ、主イエス・キリストの生誕日を迎えました。
 ぼくはキリスト教徒ではありませんが、母と姉がクリスチャンであり、幼い頃から聖書にも馴染んで育ちました。
 赤ちゃんのとき、母に抱かれて、日本キリスト改革派教会(プロテスタント)で幼児洗礼を受けましたが、大人になって、みずからの意志による信仰告白をしていませんから、クリスチャンではありません。
 今後も、キリスト教徒になることはありません。
 ありませんが、親しみと、多少の知識はあります。

 主イエスが生まれたとされるベツレヘムへ、イスラエル軍とパレスティナのゲリラ部隊が衝突しているさなかに入り、機銃弾の撃ち込まれた跡が生々しい坂を下った先にある「キリスト生誕教会」を訪ねた時のことを、クリスマスのたびに思い浮かべます。
 教会の内奥では、主イエスの生まれたという、その場所に直接、手で触れることができます。そして原始キリスト教とも言うべき、古い時代のままの祭礼がおこなわれていました。
 しかし一歩、外に出ると、自爆テロで死んだムスリム(イスラーム教徒)の青年や少年、そして女性の写真が、石の柱に貼り付けてあります。
 ぼくは一枚、一枚を丁寧に見ていきました。


▼さて、最新刊の「ぼくらの祖国」は、版元である扶桑社の編集者によると、予約されたかたが予想を超えて多くて、初版本はすぐになくなるのではないか、という情勢だそうです。
 そこで、1月にすぐ、重版が出せるように、作業をしておくことになりました。

 まず、北朝鮮の金正日総書記の死去を受けて、「重版のためのあとがき」を書きました。
 初版のための原稿をすべて書き終わったあとに、この「アジア史に残る死」が起きましたから。

 そのあと版元から、初版本のゲラが、どさっと届きました。
 というのは、あの4週間を超えてほとんど眠らずにサンフランシスコで原稿の仕上げを急いだ日々に、ゲラのチェックは一度しからやることができず、出版社の校正を信頼するほかなかったからです。
 もちろん、出版社の校正のかたがたはプロの誇りを持って仕事をしてくれたのですが、著者による校正は本来のぼくの考え方でも、一度では足りません。
 そこで重版に向けて、全ページをもう一度、著者の手で校正することにしたのです。

 ところが1月の重版ということは、年末年始に出版社や印刷所が休みになることを考えると、その全ページの著者校も、まったく時間の余裕がなく、またしても連日の徹夜仕事になりました。
 いくら徹夜には慣れているとはいえ、4週間を超えてほとんど寝ないという、あまりに無茶な仕事を終えたばかりでしたから、肉体よりも精神的に、ほんとうはきつかった。


▼だけれども、ゲラとほぼ同時に送られてきた初版本の実物、その装丁の美しさと潔(いさぎよ)さに励まされて、最後のページまで著者校を終え、修正を入れたゲラを合計61枚、宿泊先のホテルから版元の扶桑社へファクシミリで送りました。

 装丁は、原案こそぼくが提案しましたが、それを見事に仕上げてくださったのは、編集者とプロのスタッフです。
「日中の興亡」(PHP)、「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」(PHP)以来、装丁をたいせつに考えて、原案をぼくが提案するようにしてきました。子供の頃から、本の装丁というものが大好きだったからです。
 みなさんも、ネット上で読むだけではなく、本をやはり読みたいのは、手に感じる小さな重みがいいのと、そして装丁のデザイン、訴える志、発色ですよね。
 装丁がきっぱり美しいと、嬉しくなる。

    ※帯ありと帯なしの装丁です。


「ぼくらの祖国」は、少年少女でも読みやすいように、字と行をゆったり組んでありますが、およそ300ページあります。
 それを、独研(独立総合研究所)の仕事と同時並行で、急ピッチで著者校を仕上げていくのは、また言うけど、きつかったぁ。
 しかし、やって良かったのです。
 ちょっと信じがたいような校正ミスも見つかりましたから。

 校正したなかで、初版を読まれる人にお詫びして訂正しておかねばならない場所を、あらかじめ下記に記しておきます。

p24 (誤)百九十三か国ある(二〇一二年十二月現在)
    (正)百九十三か国ある(二〇一一年十二月現在)

p69 (誤)こんなことは書けない、書かないが
    (正)以下のことは書かないが

p75 (誤)つい二〇〇〇年の
    (正)ついに二〇〇〇年の

p81 (誤)柏崎・刈羽原発
    (正)柏崎刈羽原発

p92 (誤)車がやや乱れたで見渡す限り並んで…
    (正)車がやや乱れた縦列で見渡す限り並んで…

p102 (誤)四日後
     (正)二日後

p106 (ルビの誤り)ひろのちょう
      (ルビの訂正)ひろのまち

p170 (誤)一万二千人 ※2箇所
     (正)一万三千人 ※2箇所とも

p197 (誤)立ち尽くして、いると頭の中に
     (正)立ち尽くしていると、頭の中に

p223 (誤)栗林忠道大将中将(硫黄島の戦いの最終段階で中将から戦死後に大将に昇進)
      (正)栗林忠道大将(硫黄島の戦いの最終段階で中将から大将に昇進)

p224 (誤)中将 ※2箇所
     (正)大将 ※2箇所とも

p259 (誤)国会議員も沈し
     (正)国会議員も沈黙し

 特に、栗林さん、栗林閣下をめぐる箇所での校正ミスには驚き、すこしショックでした。
 これは、ぼくのパソコン上の原稿で消したはずの「中将」という言葉と「戦死後に」という言葉が、出版社に渡った原稿ファイルではなぜか消されていなくて、そのままゲラとして印刷され、出版社の校正でも「大将中将」という不可思議な言葉が見逃されたものです。
 最終的には、すべてぼくの責任です。
 深くお詫びします。


▼すこし落胆していると、青山千春博士が、いつも通りの平静な口調で「初版本の珍しい値打ちが出て、いいんじゃない?」と言ったので、多少は救われ?ました。
 救われてはいけませんね、ごめんなさい。

 こんなことを申して恐縮至極ですが、もしも興味のあるひとは、初版と重版を比べてみてください。
 ミスを訂正したほかに、ニュアンスを付け加えたところなどがあります。
 福島第一原発の所長だった吉田昌郎さんについては、本文中にわずかながら書き加えたところがあり、「重版のためのあとがき」にも、ひとことだけ記しました。


▼さぁ、すこし仮眠しようと思います。

 年末はまだ、独研から配信している会員制レポートが6本、残っています。
 さらに、原発テロを防ぐための専門家会議が複数あり、テレビ・ラジオも、関西テレビが大晦日の午後3時から放送する年末特番「青山繁晴の緊急提言 世界は動く!正念場の日本~明日のニッポンを子どもたちと考える~」の収録、テレビ静岡が12月27日火曜の午後4時半から生で放送する「年末回顧2011 あの日 そして 未来へ」への参加(出演)、ニッポン放送が元旦に放送するラジオ番組の収録などがあります。

 先日、ある大病院でおこなった人間ドックの結果が送られてきました。
 その悪さには、正直、呆れました。
 何もかも一気に悪くなっている。
 去年は、大腸癌をごく早期に見つけてくれた、同じ病院の人間ドックです。
 今年は、癌のようにすぐに手術が必要なものはなかったようだけど、去年は癌以外は、ほとんどすべて健全、ことしは癌はないけど、ほとんどすべて不健全…という結果です。

 今年は、いくら何でも無理を身体にかけすぎたナァ。
 そのなかで、愚かな中傷誹謗にもいくらかは対処していかねばならないのが、ほんとうに、情けないことです。

 ぼくは何も要らないのだから、せめて、祖国のためにささやかなりにやるべきことと、物書きとしての本来の仕事に、集中させてくれないかな。


▼写真は、いま出張に出ている長野県の空に見た、宵の明星です。
 こないだは明けの明星でした。
 凍りつく寒さのなか、救われるような光でした。
 画面の下の方、木立のなかに青いしずくが見えますか。




みなさん、おはようございます

2011年12月17日 | Weblog


▼いま出張先の雪国にいます。
 夜明けまでには、まだ時間があります。
 きのう、列車の中から一面の雪野原をみて、学生のとき下手くそなりにアルペン競技スキーに打ち込んでいた頃がありありと甦りました。
 思い出した、なんてもんじゃなく、あの時の身体と心に一瞬にして戻るような感覚です。

 何かのきっかけで、過去の時間が甦る…そのことだけを生涯かけて追求し続けたのがマルセル・プルーストですね。
 彼は36、7歳ごろからは「失われた時を求めて」という永遠の一作の小説を書いてゆくことだけに命を費やして、そのまま51歳で世を去りました。
 裕福な家に生まれたから、それができたのですが、ぼくは中学生の頃に、この生き方を知って関心を惹かれ、高校生の頃は「新しい手法、新しい感覚の実験小説」を産み出すんだと人知れず、考えて、試作をしたりしました。
 しかし、その当時から『小説を書くだけじゃなく、いろんな事をやる人生になるんだろうなぁ。ぼくは世の中を良くすることに、必ず貢献したいから』と感じてもいました。

 その通り、小説は、まったくの無名だったぼくの処女小説に近い(正確には2作目)の「平成」を文藝春秋社がいきなり単行本にしてくれる幸運に恵まれながら、その後の仕事の嵐で、次作を書かないまま、ここまで来てしまいました。

 ノンフィクションの「ぼくらの祖国」が12月29日に全国発売になるのを機に、小説の次作も、取り組み始めています。実に9年半ほどまえに初稿を起こした一作の完成を目指します。

 独研(独立総合研究所)から会員制で配信している東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)の年末特集も、11本の集中配信の予定が、あと6本残っているし、この出張のような民間・独立系のシンクタンクとして国民を護る仕事も年末年始にも沢山あるし、テレビへの参加も幾つかあるし(レギュラーの参加に加えて、来週月曜のTVタックル生放送への参加や、大晦日に放送の関西テレビの特番「青山繁晴の緊急提言」などがあります。後者は、初めてMC、メインキャスターを務めます)、さらには次のノンフィクション執筆の準備も始めているし…まぁ、少年時代の予感どおりに、プルーストさんとは真逆の人生ですね。
 そもそも人類史に残るマルセル・プルーストと比べてみたりすることが、僭越の限りですが。


▼さて、「ぼくらの祖国」の版元、扶桑社の編集者から、Eメールが届いていました。
 大阪ジュンク堂に、サイン会についての問い合わせが殺到して、まだ開催日だけしか決まっていないので、書店が対応に困っているそうです。
 みなさん、まことにまことに恐縮ながら、詳細が決まるまでは、書店への問い合わせはなるべく控えてくださるようお願いします。

 サイン会は、大阪だけではなく、東京や京都でも、あるいは他の都市でも開催していきたいと考えています。
 今後は詳細が決まったときに限り、この地味ブログでもお知らせすることにします。

 日本列島の多くの場所に、初雪が降った翌朝のきょう、みなさんが愉しい一日を送れますように。
 そして北海道をはじめ、すでに雪との戦いが始まっている地域のかたがたも、愉しい一日になりますように。

 ぼくは、きょうこの後、まだ帰京はせずに大阪へ向かって「たかじんのNOマネー」(テレビ大阪)に参加(出演)します。
 車中で雪をみつつ、執筆を続けます。


▼きのう野田総理が「福島第一原発は冷温停止。事故は収束」と記者会見で述べましたが、ぼくは全くそう考えません。冷温停止ではなく、以前からずっと言い続けているように「冷温破壊、という未経験の事態」だし、事故全体も収束とはとても言えません。

 来週月曜には、早朝から福島へ入り、飯舘村の村長さんと再会します。
 大晦日に放送する関テレの特番のためでもあります。
 福島から東京に戻ったら、そのままTVタックルのスタジオ入りです。







The Fireman

2011年12月15日 | Weblog


▼きょうも新幹線の車中です。
 夕方から夜に向かうなかで、西へ疾走しています。

 きょうは、朝早くに自宅を出て、まず、東京・三鷹にある消防大学校に向かいました。
 何年か前から続けている、消防官や自治体の危機管理担当者への講義です。
 ことしは「危機管理・国民保護コース」の担当です。

 朝8時半ごろに着いて、学生(受講者)の名簿をもらうと、首都を担うひとびとの参加がほとんど無い。ひとりしか、いらっしゃらない。
 こころのなかで大変に申し訳なかったけれど、あえて自分を励まして、怒った。
 サンフランシスコで参加していた国際学会(AGU)でも、日本の首都圏直下型地震と富士山などの噴火が大テーマになっていたのに、これでいいのでしょうか、と。
 不肖ぼくの講義への出欠を言っているのではありませぬ。
 この学生名簿は、消防大学校の「危機管理・国民保護コース」全体の名簿だから、そのコースへの首都からの参加がきわめて少ない、という実情です。
 首都を担うひとびとは、ふだんから、ほかで充分に研修されていることは承知のうえで、他の道府県からの参加者への影響も考えて、怒りました。

 そのあと懸命に講義して、3時間あまり、ぼくのささやかな命をカンナで削って、提供しました。
 怒ったからには、より深い責任が、ぼくに生じたから。

 みなさん、ほんとうに誠実に受講してくれました。
 消防官は、日本社会でも、もっとも良質の人材です。もちろん首都を担うひとびとも、世界最高水準の志とモラールと技術を持っています。
 がんばれ、ぼくらの祖国のファイアマン! これからも連帯するぞぉ。


▼さて、新刊の方の「ぼくらの祖国」ですが、版元の扶桑社から2点、連絡がありました。

▽都心の大型店―紀伊国屋本店や丸善丸の内、八重洲ブックセンターや神田三省堂など―は12月27日の夕方おそくから店頭に並ぶと思われますが、地方は12月29日からになるそうです。

▽サイン会はまず、ジュンク堂大阪本店で2月5日(日)で決まりました。
 スタート時間は、調整中です。

 ほかでも、どんどんやります。またお知らせを待ってくださいね。



The Morning Star

2011年12月13日 | Weblog


▼シスコから成田空港へ、成田から、小松空港へ、小松から北陸路へ。
 そして12月12日の深夜、久しぶりにいったん東京へ帰りました。
 休まずに、会員制レポート、東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)の年末特集の4本目を書く。
 このTCRはことし、癌手術や福島原子力災害などの影響で配信本数が少なくなっていたので、この12月の年末特集を11本、集中配信するつもりなのです。
 

 机に向かうのは、疲労の激しさからして、さすがにちょっと心に負担が大きいので、ソファでモバイルパソコンを開いて書いていると、繁子がトーゼン、膝に乗ってきて大昂奮。
 机で書いていると繁子が膝に乗れなくて寂しいだろうという気持ちもあって、ソファで書いていたのですが、繁子の喜びようは、はんぱじゃなかった。
 帰宅して玄関を開けると、繁子はいつも夢中で突進してきて、ぺろぺろ攻撃を繰り出すのですが、それも、すごかった。
 ごめんね、繁子、寂しかったんだね。

 レポートを書いている途中、午前1時前ぐらいに、ソファで無意識に寝込んでしまう。
 ホントはすこしでも、ベッドに横になりたかったので、自分のだらしなさに、がっかり。
 まぁ、とはいえ、ベッドでちゃんと寝たら起きられなかったかも。
 朝早くに、自宅を出て、入院中の母を見舞いに行き、そのまま関西へ出張に出ねばならないから、起きられなかったら大変だべや。

 午前3時半過ぎに、目を覚まして、レポート執筆を続けて、午前4時半ごろ、繁子を散歩に連れていきました。
 元気いっぱいの繁子と、寒さを気持ちよく味わいながら歩いていると、真っ直ぐ正面の空に、明けの星がくっきりと現れました。
 大きなお月さまが出ているのに、その光に負けずに、青く滴るように輝いています。


▼ぼくはこころに沁み入るように、静かに、感激したのです。
 明けの星には、忘れられない思い出があります。
 29歳のころ、共同通信の京都支局に属する事件記者として、京都の伏見区深草に棲んでいたとき、明け方まで刑事たちを夜回り取材して、マンションに帰りました。
 疲れ果ててベランダに出ると、東山連峰の南のはし、伏見稲荷の上の夜明け前の空に、明けの星が、ほんとうに青いしずくがたっぷりと滴るように、輝いています。

 ぼくはそのとき、「俺は世の中を良くしたいと思って、記者になった。その仕事を貫いて、貫いて、そしていつか、ひとりの物書きであることと両立させる」と胸に誓ったのです。

 その誓いを忘れたときはありません。
 20年近く、記者を務め、ペルー日本大使公邸人質事件をきっかけに記者を辞め、そして日本初の独立系シンクタンクを創立することになるとは、そのときは知りませんでしたが、不肖ながらシンクタンクの社長と首席研究員を務める志は、記者時代と寸分、変わらない「世の中を良くしたい」という気持ちです。

 亡くなった父は、「おまえは、記者の仕事だけではなくて、いつか実務をやって欲しい」と言っていました。
 父が、繊維会社の現役社長のまま、医療過誤で窒息死を遂げるまで、その言葉が胸に迫ることはなかったのです。しかしペルー事件で記者を辞める決心をしたとき、その言葉が甦りました。
 いま独研(独立総合研究所)の、テロから国民を護ることをはじめとする実務を通じて、祖国にほんのささやかに献身することを貫きつつ、物書きとして再出発することを、この秋に誓いました。

 ずいぶんと心身に無理はかけたけれども、その再出発の第1作が、あと2週間ほどで書店に並ぶことになり、そして、ふたたび明けの星に出逢いました。

 実は、新作の「ぼくらの祖国」の第1章は、「明けの星の章」と名付けているのです。
 今朝の出逢いに、深い感謝を捧げました。


▼繁子と家に戻り、パソコンをまた開くと、この地味ブログに、独研のまだ新しい会員組織「インディペンデント・クラブ」の会員のかたから書き込みがありました。
「アマゾンでも予約できるようになりました。ランキングの17位です」とあります。
 へぇ、と思ってアマゾンを見てみると、10位です。

 まぁ、2年半もお待たせしましたからね。
 最初だけです、謙遜ではなく。

 しかし、わざわざ予約してくださったみなさん、どうやって感謝したらいいのかな、と思うほど嬉しいです。
 サイン会などで握手に、ハグです。ふひ。


▼「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」そして「日中の興亡」(いずれもPHP)も、なぜか同時に再びよく売れている、読まれているのも、か~な~りの喜びです。
 一作一作、当たり前ながら一切、手抜きをせず、心血を注いで書いているので、どの作も、たいせつな親友ですから。

 ふつうなら、おのれの著作は「我が子」と言うところかも知れないけど、ぼくは「書いたものはいったん手を離れて書籍になれば、それは我が子ではなく親友と考えるべきだ。社会の共有物だから」というのが、プロの書き手としての、ちいさな信念のひとつです。


▼さぁ、冒頭の写真が、その明けの星なのです。
 空の彼方を携帯電話で撮りましたからね、見にくいでしょうが、見えますか、青いしずくが-。

 下の写真は、アマゾンに出ていた新刊の表紙写真です。




ちょいと

2011年12月12日 | Weblog


▼扶桑社の編集者からEメールがあり、初版の部数を間違えていたそうです。
 1万2千部と知らせるEメールをもらっていたのですが、1万5千部が正しいとのこと。
 ぼくも寝ていなかったけど、編集者も寝られない情況でしたからね、Eメールの打ち間違いもあるでしょう。


▼だから、ちょいと増えました。
 ちょいと、でも嬉しいです。

「楽天のベストセラーで、30位にランクされていますよ」という報せも読者の方からいただきました。
 売れ行きだけがすべてじゃないけど、これも嬉しいです。

 いま北陸のローカル線で、各駅停車に乗っています。
 夜を越えて、東へ進みます。
 なんとなく、銀河鉄道のようです。銀河鉄道を生みだした宮沢賢治さんは、ぼくがいちばん、敬愛する書き手のひとりです。

 子供の頃から、その宮沢賢治さんの作品群のなかでも、「セロ弾きゴーシュ」が際立って好きだった。
 あぁ、ゴーシュのように、夜っぴて練習していた気分です。
 ぼくはゴーシュのように生きたかった。それが本心です。

 ゴーシュも、夜ごと聴いてくれる動物たちと、舞台を待ってくれている聴衆がいたから、眠らずにセロ(チェロ)を弾くことができました。
 ぼくの、つたない本を待っていてくれて、そして予約までしてくださったみなさん、おかげでゴーシュになれるかも、です。

 感謝してもしきれませぬ。

よやく、ようやく

2011年12月12日 | Weblog


▼きのう12月11日・日曜の午後に成田に帰国、そのまま東京へは帰らないで(…ホントは帰りたかったぁ。おーい、繁子ぉ)、国内便に乗り継いで、今度は、国内出張に向かいました。
 小松空港に着いて、そこから特急とタクシーを乗り継いで、いま北陸にいます。
 日本はもちろん、いいですねぇ~。

▼サンフランシスコから成田への機中は、わずかに眠った以外は、独研(独立総合研究所)から完全会員制で配信している東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)の執筆に集中し、国内線でも書き続け、特急でもタクシーでも、それから北陸の小さなビジネスホテルでも書き続け、さきほど、まずは主としてシスコで執筆しブラッシュアップ(磨き上げ)を急いでいた2本を、東京の独研本社に送りました。

▼「ぼくらの祖国」は、ネットでも書店でも一部では、もう予約できるようになったようですね。
 喜びの書き込みを、この地味ブログにもいただきました。

 報われます、感謝です。





シスコの月に吠える

2011年12月08日 | Weblog


▼みなさん、今はサンフラシスコ時刻の12月8日未明4時25分です。
 2年半ぶりの新刊「ぼくらの祖国」は、ようやく、ぼくの執筆およびゲラ直しがすべて終わり、いま出版元の扶桑社で詰めの作業が行われています。

 正直、命を削りに削ったと言うほかありません。
 26歳で社会人になってから、ずっと多忙な仕事生活ではありましたが、ここまで極端に過酷な徹夜仕事を続けたことはありません。
 信じがたいことに、4週間ほど、ただの一度もまともに睡眠を取りませんでした。

 そしてこの「ぼくらの祖国」執筆以外の仕事も、一切手を抜くことはありませんでした。
 会食などの約束も、一度交わした約束は守るよう力を尽くしますから、すべて予定通りに果たしました。


▼さて、ゲラを直すとき、がんがん新たに書き加えていったために、扶桑社の編集者によると30ページ近くも本のページが増えてしまったそうです。
 そのために、定価が1500円の予定から、100円上がって、1600円になりました。
 みなさんの財布に負担をかけます。ごめんなさい。
 うーむ、もともとは1000円ぐらいの薄い本を考えていたので、うーむ、予定外です。

 ただ、その書き加えはどうしても必要なものでした。
 本に良心を込めるためには、欠かせない書き加えでした。
 100円の負担増を、どうか許してください。


▼最後に決まった予定通り、12月27日に主要な書店に並び始め、28日に全国の書店に回ります。
 といっても初版は1万2千部ですから、予約をされていないと、なかなか届かない書店もあると思われます。
 無理に予約をお勧めするつもりは、ゆめ、ありません。
 ただ、年末年始に読みたいなというかたは、予約なさらないと手に入らないかもしれないのが実際のところです。


▼サイン会は、必ず行います。
 みなさんと会いたいからです。
 すでに日程調整に入りつつあります。


▼きのうシスコ時刻の朝7時28分に、本の最後に入る「あとがき」のゲラ直しを扶桑社にメール送信して、ぼくの執筆は終わりました。
 このときも、完全徹夜でした。

 徹夜明けのまま、サンフランスシスコに同道している青山千春博士(もちろん睡眠、充分です)と朝食を食べに行き、しっかり食べて、ホテルの部屋に戻って、すぐに眠りました。
 胃が生まれつき丈夫なので、食べてすぐに寝ても問題ない、というかお腹いっぱいの方がしっかり眠れます。

 しかし、シスコに来ている本題である学会出席があります。
 だから4時間ほどだけ眠ったら、ふらふらしつつ起きて風呂に入り、資源・エネルギー・環境・宇宙をめぐる世界最大の国際学会、AGU(地球物理学連合)の会場に歩いて行きました。

 歩くうち、目が覚めていくだけでなく、体調がずいぶんと回復しているのをはっきり感じました。
 2月に大腸癌の手術をして以来、癌はごく早期で問題なかったけれど、全身麻酔で大きく開腹する手術をした影響が残って、本来の体調では全くなかったのです。
 ところが、この過酷な4週間を経て、むしろ体調が戻ってきたのを実感しています。

「ぼくらの祖国」は終わっても、独研(独立総合研究所)から完全会員制で配信している東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)をこの12月には合計11本、送る予定ですから、休むことは全くできません。

 それでも、気分は悪くありません。

「ぼくらの祖国」は、パソコンの中の原稿が、バックアップまで含めて、狙い撃ちのように二度にわたり完全破壊されたという不可思議な事件から、難行苦行が始まりました。
 そして、ようやくに仕上げの段階になったときに、このブログにもあえて記している、奇怪にして、あまりに悪質な名誉毀損が発生し、非常な妨害を受けました。
 しかし、とにもかくにも、すべての障害を打ち破って、発刊に至りました。

 祖国が甦るために、どれぐらいこの書が貢献できるかは、天がお決めになります。
 ぼくは、ようやくにして、物書きにも戻りました。
 今まであたためてきたものを、どんどん書物にしていきます。


▼写真は、きのうの夕方に携帯で撮った、学会の光景です。
 すさまじい人の群れでしょう。
 これがひとりひとり全員、研究者と学者なんです。
 世界中から集まっています。
 事務局によると、発表を申告した人だけで、2万人だそうです。ふひ。

 会場の外には、月が出ていました。
 画面の上は、満月の光です。
 研究者と学者が、会場の外に出ても熱く議論しています。

 きょう12月8日は、真珠湾攻撃から70年の日です。
 まだ70年しか、経っていないのです。



早速、こんな書き込みをもらいました。

2011年12月06日 | Weblog


「お忙しいところ申し訳ありません。
 新刊『ぼくらの祖国』を予約しようと思っているのですが、以前『王道の日本、覇道の中国、火道の米国』の発刊記念サイン会をされていましたが、今回は、サイン会などの予定は考えていらっしゃるのでしょうか?
よろしくお願いします」(男性のかた)


 うん、やりますよ、もちろん!
 まだ扶桑社には話してないけど、きっとやれる。

 みんな、そこで会いましょう。
 握手しよう、(特に希望されるかたには)ハグしよう。
 祖国は甦る。
 それを一緒に、感じましょう。


    サンフランシスコ時間 西暦2011年・平成23年・皇紀2671年12月6日火曜 午前5時47分

苦闘千里

2011年12月06日 | Weblog


▼みなさん、いまサンフランシスコの夜中、というか夜明け前の午前3時49分です。
 毎年、このシーズンにここシスコで開かれる、資源エネルギー・環境・宇宙をめぐる世界最大の国際学会「AGU」(地球物理学連合)オータム・ミーティングに出席しています。
 独研(独立総合研究所)の戦う自然科学部長、青山千春博士と同道しています。

 彼女は、メタンハイドレート探索の国際特許(アメリカ、オーストラリア、中国、韓国、ロシア)と日本国内特許を持っていますから、AGUのスターのひとりですが、特許料は1円、1ドルも取っていません。
 独研の社長として、経営難にも耐えかねて「特許料を取るぐらいは、すべきではないか」と彼女に聞いたとき、「え? この特許は祖国のためですから。わたしの探索技術は簡便に使えるので、そのうち中国や韓国が『自分たちが開発した。日本は使うな』と言い出すことも、あり得ます。そのときに日本を護れるように特許をとっただけです」と答えたことは、忘れられないですね。
 ぼくは思わず、「おまえ、祖国なんて言葉をどこで聞いた」と言いました。
 彼女は純然たるサイエンティスト、自然科学者であり、ふだん、社会科学をめぐることについて、ほとんど何も言わないからです。
 そして、敗戦後の日本社会は祖国を語ることのない、世界でほぼ唯一の国ですから、ぼくはここ何年も「ぼくらの祖国」という新刊を出そうと、取り組んできました。

 二度にわたって、パソコンの中の、この原稿だけバックアップも含めて全文が消されていたり、これほど異常なまでに産みの苦しみがあった書も、初めてです。
 それがついに、最終の最終段階に入っています。


▼もう4週間ほどになるでしょうか、まともに布団、ベッドに入っていません。
 ふだんのウルトラ過密日程をすべて、すべて約束通りにこなしながら、また極めて理不尽な中傷誹謗、嫌がらせも受けながら、眠る時間はほぼ全部、この「ぼくらの祖国」の完成に捧げてきました。

 成田からシスコへの機中も、30分ほど仮眠しただけで、食事中も書きに書き続け、太平洋を越えて機が着陸する、ほんの少し前に全文脱稿しました。
 サンフランシスコ空港の到着ロビーで、ネットに繋いで、パソコンから出版元の扶桑社に送り込みました。

 そしてホテルにチェックインして、ベッドに何でもいいから横たわりたいという、ほんとうに強い誘惑を感じつつ、前日にシスコ入りしていた青山千春博士とともに、そのまま寝ないで学会に参加してきました。
 ことしは、日本の3.11の分析一色という感もある学会になっています。
 シスコはクリスマス前の独特の雰囲気で華やぎつつ、去年より明らかにホームレスのひとが増えています。


▼現在は、ホテルの部屋で、寝ないでゲラの直しに取り組んでいます。
 時間が無いのと、ぼくが海外に出てしまったために、いつもの印刷されたゲラではなく、ワード上での直しですが、かえってやり易かったりします。
 これをシスコ時間の今夜10時までに終わらせれば、ぼくとしては、すべて終了です。
 逆に、それが遅れれば、「一切の努力が水泡に帰して年内出版が不可能になる」と、扶桑社からはキョーハクの、いやいや、編集者が最後までぼくのお尻を押してくれる連絡が来ています。


▼しかし、明らかに山は越えました。
 12月27日から主な書店に並び始め、28日には全国の書店に回ります。

 初版の部数と定価もすでに決まりました。
 初版は1万2千部、前代未聞の出版不況のさなかとしては、少なくない。
 ただ…多くはありませんから、予約でかなり埋まるかも知れません。

 定価は、1575円(本体価格1500円)です。
 千円ぐらいの本にして、中高生にも、もっと買いやすい本にしたかったのですが、かなりページ数もたっぷりの本になりましたから、2年半前の「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」(PHP)とまったく同じ定価になりました。そのまえの「日中の興亡」(PHP)とも同じです。
 財布に負担をかけて、心苦しいです。

 ちなみに、この「王道の日本…」も「日中の興亡」もまだ、売れ続けていて、版を重ねています。
 すべての読者のかたがたに、あらためて深い感謝を捧げます。

 さぁ、ゲラ直しに戻ります。
 写真は、その卓上です。
 地元テレビからは、ぼくの好きなサンタナのライブがずっと流れていて、いい感じです。

 窓の向こうに、寝静まるシスコの街並み、その遙か向こうは、ぼくらの祖国です。