Our World Time

悩む

2008年05月22日 | Weblog



▼今朝も、睡眠2時間弱で、午前4時すぎに眼が醒めた。
 身体は当然、起きない。頭が起きただけだ。
 それを無理矢理、身体をベッドから引きはがして、のろのろ、よろよろと歩いて水を呑みに行く。
 水も呑みたくないけど、せめてもの身体へのいたわりだ。

 仕事が強烈に押せ押せ、山積みになっているから、起きるのだけど、それだけじゃない。
 きのうの自分の仕事ぶりについて、深い自己嫌悪があって、寝ていられない。


▼ゆうべ5月21日の水曜、夜遅くに大阪出張から帰ってくると、自宅にPHP出版から、新著のゲラが宅急便で届いていた。

 校閲のひとからの疑問点(用字用語の問題など)が、鉛筆で記されていることをはじめ、編集者や編集スタッフの丁寧な仕事ぶりが感じられて感謝する。

 ぼくはこのゲラに、全面的な書き直し、書き足しをするつもりだから、たくさんの時間が本来は必要だけど、時間は全くない。
 シンクタンク社長の仕事から、たまのテレビ出演まで、ほかの仕事も一切、ペースを変えずに続けるから。

 それに、これまで提稿が遅れに遅れたために、ゲラ直しがこの1回しかない。
 ふつうは最低でも、初校ゲラを直したら、再校ゲラが出て、それをもう一度、直す。つまりチャンスは、ミニマムで2回ある。
 しかし、今回は、ただこの1回だけ。
 しかも、そのただ1回のゲラ直しを、わずか1週間強で、完璧に終えねばならない。出版社から、締め切りがそう設定されている。

 これは、原稿が遅かったぼくに全責任がある。


▼こうやって4年ぶりの新刊書を6月に出すためには、状況は苦しいのだけど、このゲラ直しで、とても愉しい点が1点ある。

 それは、枚数や行数の制限にとらわれず、ほぼ自由自在に書き足せることだ。

 ふだん雑誌に書くような記事は、スペースが定まっているから、当然ながらきわめて厳格な行数制限がある。
 最初のラフな原稿を、頭をひねって削り込んでいくのも、それはそれなりに愉しいのだけど、やっぱり自在に書くほうがもっと愉しい。

 だから、仕事ぶりに自己嫌悪を感じるのは、このゲラ直しを含めた原稿執筆のことじゃない。
 テレビ番組への参加(出演)だ。


▼きのうは関西テレビの報道番組「アンカー」に生で参加し、「青山のニュースDEズバリ」というコーナーで話す日だった。

 コーナーに割りふられた時間は、15分から16分間。
 これでもテレビとしては破格に長い。
 関テレ報道局はよく努力してくれていると思う。

 それでもなお、時間が絶対的に足りない。
 番組初期のころは、ぼくも「すこし時間を延ばせませんか」と打診したことがある。
 今はもう打診しない。
 そもそも、これ以上、時間を延ばすのは実際、無理だと思うからだ。このアンカーは、ぼくの加わっている第1部の全体で、CMを含めて1時間しかない。
 それに、夕方の時間帯にニュース番組をみてくださっている視聴者の側からも、多くのひとにとっては、おおむね、この15分か16分ぐらいが集中できる限度かもしれないからだ。

 同じ関テレの土曜日の情報番組「ぶったま」では、ぼくがニュース解説コーナーを受け持つとき、26分から29分の時間が割りふられる。
 これはもちろん、がらりと、やりやすくなる。それでも時間は足りないが、まったく状況は変わる。
 しかし、平日じゃなく土曜日の、情報番組でだからできることだろうと思う。
 同じことを、平日に帯(おび)で放送している報道番組で求めても、そりゃ無理だ。
 それに視聴者も、土曜日だからこそ30分近い話を聞いていられる、ということもあるでしょう。


▼したがって、ぼくはアンカーという報道番組に参加する以上は、今の15分か16分で、完璧な結果を出さねばならない。
 ぼくはテレビが本職ではないが、参加するからには、その100%の義務がある。

 ところが、番組初期のころよりも、大型ニュースが次から次へを世を襲ううえに、コーナーへの社会の関心もほんの少しだけ高まっていて、話すべきこと、視聴者・国民に伝えるべき情報は、格段に、増えている。

 同じ制限時間の中で、それを伝えようとするから、スタジオのフロア・ディレクターが正確に「あと何分」と出してくれる紙を見るたび、本来は話そうとしていたことを、この愚かなぼくは、忘れてしまう。

 きのうの放送も、自分では、そのために不満いっぱい、自己嫌悪いっぱいだ。


▼たとえば、中国の胡錦涛政権が軍の削減を図り、それに抵抗する人民解放軍が反日路線を死守しようとしているという趣旨の話のところで、「軍の削減」ではなく、「陸軍の削減」と言うべきだった。

 中国軍は、多すぎる陸兵(なかでも歩兵)を抱えていて、それを胡錦涛体制は削減して、代わりに海軍と空軍の近代化・現代化を急進展させようとしている。
 しかし陸軍からすれば、仕事のない農村の青年を陸軍が吸収していることもあり、絶対に譲れない。
 反日路線を最大の頼みにして、世界最大規模の陸兵を今後も抱え続けようと必死だ。

 四川大地震の現場は内陸部であり、活動している軍は陸軍が圧倒的に中心で、そのなかでも歩兵が主体だから、よけいに日本の国際緊急援助隊に対して、活動を組織的に阻んでしまうことが起きた。
 いわば陸軍による、胡錦涛主席の路線(主席が訪日してまとめた「日中共同声明」などの路線)への反抗だ。
 日本の国際緊急援助隊を、遅ればせながら優先して受け入れることは、胡錦涛主席みずからの決断であったことは、日米英などのインテリジェンス(機密情報)が、共通してはっきり指し示している。
 だから、その援助隊の活動が不本意なまま抑え込まれたことをみて、胡錦涛体制が軍部、特に陸軍をコントロールできていないと諸国が懸念している。

 ほんとうは、ここを精緻に言わないと、まるで胡錦涛主席が軍縮論者のような誤解も与えかねない。


▼わずか15分、16分のなかで、日本の国際緊急援助隊の高いモラルと尊い信念に基づいた活動ぶりや、深刻極まりない中国の軍事用核施設の被災懸念や、感染症・伝染病の、ビルマと繋がった広範な大流行懸念、さらには新型インフルエンザのパンデミック(世界的な爆発流行)の震源地になる怖れ、そしてチベット自治区について何も情報が出てこないということ、さらに、さらに…と、伝えなければならない情報はあまりに多い。

 だから上に書いたような説明は、実際の番組の中では、できない。

 できないが、せめて、「軍の縮小」ではなく「陸軍の縮小」とひとこと、言っておくべきだった。

 ほんとうは、生放送の中で話しながら、「陸兵、なかでも歩兵が多すぎるから、その縮減」と言わなければ、と頭を何度もかすめた。
 しかし、目の前で(カメラには写らず、視聴者にはみえないところで)、「あと何分」という紙のうえの残り時間がどんどん減るから、予定よりも猛ペースで減るから、その言葉を呑み込んだ。

 あぁ、ぼくはなんて、馬鹿なんだろうか。
 フロアディレクターが、その紙を出してくれるのは、ほんとうにありがたい。いや、その紙がないと、残り時間がまったく分からないから、番組にならない。
 馬鹿なのは、ぼくだ。

 ゆうべから、自己嫌悪に苦しんでいて、今朝、大阪の主婦のかた(ネット上のハンドルネームでは、ぼやきくっくりさん)が貴重な無償の努力で書き起こしてくれたフルテキストを一読して、あらためて頭を抱えた。

 自己嫌悪を感じる下手くそな点は、ほかにもある。
 正直、降りろ、降りろ、やめろ、やめろ、ぼくの中の「仕事ぶり検証チーム」が今朝もそう叫んでいる。
 こんな話しぶりでは、視聴者にも、局のスタッフにも、ヤマヒロさんらキャスターにも、申し訳ない。
 このままでは申し訳なさすぎる。

 一方で、ぼくの中の「市民、国民のひとりとして市民、国民と共に生きるおのれ」は、決して降りるな、けっしてやめるな、と小さな声でぼそぼそと、今朝もそう呟いている。
 声は小さいけど、消えることのない声だ。

 だからね、悩む。







ぼくが司会します

2008年05月19日 | Weblog



▼このひとつ前の書き込みにあるパネルディスカッション(東京)について、信州は佐久の居酒屋さんから、「食」を考えるために積極参加しようという素晴らしい書き込みがありました。

 長野から来てくれるひとがいる、それだけで、司会役のぼくとしては勇気百倍です。
 このかたは、長野県松代町で、硫黄島の戦いを率いた栗林忠道中将の63回忌法要が開かれてぼくも参列し、つたない講演をおこなったときに来てくださり、こころに染みいる味わいのお酒をくださったひとです。


▼その居酒屋さんの書き込みには、「パネルディスカッションには青山さんも来てくれるのですか?」という趣旨の問いもありましたが、これはぼくの書き方が悪かったですね。
 コーディネータを務める、としか書いていませんから、調整をするだけかなという受け止め方もあり得ますね。
(そこでさっき、少し書き足しました)

 事前の調整にも、独研(独立総合研究所)の社長として携わっていますが、当日のパネルディスカッションで司会役を務めます。
 パネラーのかたがたと一緒に登壇します。

 みなさんがお出でになるのを、ほんとうに首を長くして、待望しています。
 無理な日程をかいくぐって集まってくれるパネラーや、良心的に準備に取り組んでいる多くの関係者の、誠意と苦労に、応えたい思いも、つよーいですから。

 それに何より、「食の安全保障」というテーマは、この祖国と世界にとって、言い尽くせないほど大切です。






今度の土曜日、来てください

2008年05月19日 | Weblog



▼みなさん、5月17日の土曜日は、大阪・枚方でひらかれた憲法をめぐる市民ミーティングに、大阪、京都、兵庫の近隣府県はもちろん、遠く埼玉や徳島からも、びっくりするぐらい沢山のかたが来ていただいて、ほんとうにありがとうございました。

 ぼく自身が、魂のなかで船の帆におおきな風を受けるように、勇気づけられました。

 実は、同じようにぼくがコーディネーター(※事前の調整と、当日の司会)を務めるパネルディスカッションが、今度は東京で、そしてテーマを『食の安全保障』として開かれます。
 わたしたちの未来を担う5歳の女の子をはじめ、日本国民が毒入り餃子で命の危機に瀕しながら何らの解決もないこと、あるいは食糧自給率の目を覆うばかりの低下、そして日本のことだけではなく、世界を呑み込みつつある食の危機まで、にんげんが生き延びるための「食」のすべてを多角的に、考えます。

 パネラーには、政界、官界、そして学界まで、驚くほど広く深く、ほんものの専門家たちが集まってくれます。

 参加費は無料で、申し込みも要りませんから、どうぞ、どうぞ、来てください。


▼記 

楽水会記念講演会
「どうする 食の安全保障」~食糧自給から食品検疫・流通、海洋基本法まで~

 ※楽水会(らくすい会)とは、東京海洋大学・海洋科学部の同窓会です。

【主催】社団法人 楽水会
【日時】平成20年5月24日(土)14:30-17:00
【会場】東京海洋大学(東京都品川区)海洋科学部内 楽水会館・鈴木善幸ホール
【参加費】無料
【申し込み】不要
【備考】詳細は、独立総合研究所の公式ホームページの「プレスルーム」から飛べます。




ひとことだけで申し訳ない

2008年05月17日 | Weblog



▼いつも申していますように、このブログで個別の質問にひとつひとつお答えすることは、原則としてできません。

 ただ、「日本の根っこの課題」に関係あると考える質問がありましたから、それに簡潔ながらお答えしておきます。

 質問には、先日の関西テレビ「アンカー」での放送をめぐって、『アメリカ国務省の幹部に、ヒル国務次官補解任を改めて要求すると、相手は「解任します」とは言わないけど、「本国に伝える」と言ったそうですが、これはその幹部のリップサービスではないでしょうか? 失礼ながら、外国の、しかも一民間団体の代表である青山さんの言ったことを、逐一政府に進言するとは到底考えられないのですが』とあります。

 ぼくは、広く流れるテレビ番組で発言したのですから、事実と違えば当然、即、アメリカ国務省からテレビ局や独立総合研究所やぼくに、抗議が来ます。
 ぼくは「アメリカ政府筋」などとぼかさずに、「アメリカ国務省」と明示したのですから。


▼彼は、アメリカ国務省のなかでも良心派として、ぼくは信頼しています。
 彼も、独研が純然たる民間シンクタンクであり、ぼくが民間人であっても、アメリカを含む諸国の政府、それから日本政府と、批判するべきは批判し、議論すべきは議論し、テロから命を護ることをはじめフェアに連携すべきは連携してきた、その実績をインテリジェンス(機密情報)にも携わるアメリカ政府高官として、よく知っています。把握しています。

 官なのか民なのかが、アメリカ政府にとって決定的な要素ではないことを実感することは、よくあります。
 常に問題にされるのは、官も民もなく、中身です。

 その信頼関係に基づいて、彼の実名は仮に拷問されても出さないことを最低限のルールとしつつ、実際のぼくの行動、アメリカ国務省の現役の高官としての彼の回答を、その事実経過のままに、視聴者に伝えています。

 そして彼が、いつどこでぼくと、あるいは、ぼくプラス独研の研究員と会ったかは、国務省内部の記録に残ります。会談などをセットしたアメリカ政府スタッフも知っています。
 事実と違うことを、ぼくがテレビ番組で示せば、これも当然、抗議が来ます。


▼守秘と公開のぎりぎりのところで、ぼくも、たとえば彼も、それぞれの志を持って、主権者が知るべきは知らせるように努力しています。
 ぼくの個人的な欲かなにかで誇張するか嘘をついていると、もしもお考えになっての質問であるのなら、その発想が生まれる、志のありかたの問題ではないでしょうか。

 そして、官なら聞いてもらえるはず、民なら無視されるはずという思い込みを超克することが、まさしく日本の大切な課題の一つだと考えます。


▼ただし、質問者のかたがどのようにお考えになっても、ぼくはそれを阻みません。
 理解や称賛を求めて行動し、発言しているのではないからです。
 子々孫々にこの祖国を手渡していくときに、ちいさなカケラでも希望をこさえて渡したい。そして死ぬ。
 そのために、短い命を生きていますから、一切のお考えは自由です。

 ただ、「そんなことがあるはずはない、到底信じられない」という部分については、嘘であるならアメリカ国務省から抗議が来ますが来ません、という最小限の、そしてあまりに明瞭なことだけを述べさせていただきました。






本の話をするなら…

2008年05月17日 | Weblog



…この話をも、必ずせねばなりません。

▼ダライ・ラマ14世を支えてきた亡命チベット人のペマ・ギャルポさん、日本の仏教界から初めてチベット抑圧に抗議する良心と勇気の声をあげた大樹玄承師らが顔をあわせて議論し、ぼくも加わった対談の載った、撃論ムック「チベット大虐殺の真実」が緊急発売されています。


▼このムックには、対談だけではなく、さまざまな証言者から、凄絶なドキュメントや論考が収められています。


▼出版元から、ブログに載せてほしいと依頼もありましたし、ぼくとしても大樹玄承師のお話などを広く読んでいただきたいと考え、早くブログで紹介したいと思っていました。

 しかし、すこし遅くなりました。
 理由があります。
 対談のあと、それが編集者らの手で当然の必須作業として、整理されて、そのゲラがぼくの自宅にも、ある夜にファクシミリで届いたのですが、ぼくが確認できる時間が、驚いたことにその一晩しかなかったのです。
 緊急出版であったためですね。
 だから、やむを得ないことだったと思っています。

 ただ、その夜に、ぼくは別の、早くから約束のあった徹夜仕事があり、ゲラ直しができませんでした。
 朝になり、独立総合研究所(独研)社長として他の社員と中央省庁を訪ねて高官や幹部らと協議する仕事のなかで、タクシーの車中や、わずかな待ち時間を利用してどうにかゲラ直しを終えて、出版社に送りました。

 しかし「もう間に合わない」とのお返事でした。


▼それでも、対談を主催した気骨のジャーナリスト、西村幸祐さんらがしっかりと努力してくださり、ある程度は、ぼくの直しが採り入れられているそうです。
 「そうです」、というのは、ぼくはまだ確認できていないのです。

 出版社のせいでは、まったくありません。
 独研に届いているのですが、ぼくはこの間、出張や政府機関訪問など外の日程がたいへんに立て込んで詰まっていて、独研本社に出社できていないのです。

 ゲラ原稿をみると、ぼくの実際の発言とはニュアンスの違う記述部分、それから事実関係の誤解がいくつかあり、どこまで直っているか、それを確認してから、このブログに載せようと思っていました。


▼しかし、この一つ前の書き込みで、自分の本に触れた以上は、このチベット人のための緊急出版に触れないわけにいかないなぁと考え、出版社から送っていただいた表紙の写真と一緒に、載せます。

 みなさん、チベット人の命と、民族として人間としての自立と、それから宗教や良心の自由の尊さを知るムックとして、どうか手に取ってみてください。

 こころからお願いします。
 深々と、頭を下げて、お願いします。




 5月17日朝5時50分。大阪のホテルの一室で、関西テレビ「ぶったま」参加(生出演)へ出発するまえに。


とうとう、お知らせできます

2008年05月16日 | Weblog



▼ぼくは作家です。
 ぼくの本業は、ひとつが、独立系で株式会社組織のシンクタンクの社長、そして、もうひとつが物書きです。

 ところが4年間、1冊も本を出していません。
 2004年に「日本国民が決断する日」を出したのを最後に、出していません。

 物は書いています。
 たとえば月刊の経済誌に連載記事を書いています。ときどき論壇誌にも求められて書いています。
 もちろんプロとして書いていますから、作家であることに、変わりはないのかも知れません。

 しかし、ぼく自身が自分に課すのは、単行本を出せないなら、もはや作家ではないということです。
(ほかの書き手のかたのことは、一切、関係ありません。あくまでも、ぼく自身が自分に課したモラルです)

 なぜか。
「青山さんの本を読もうと思って書店に行ったのに、もう1冊も売っていない」という読者の声が、繰り返し届いているにもかかわらず、それに応えられないのでは、プロとは言えません。


▼出版社からの依頼は、計6社からあります。

 そのうち、ノンフィクション分野としてはもっとも早くから依頼があり、諦めずに単行本の原稿を求め続けてくれたPHP出版から、6月に、ついに新刊書が出せることが、ほぼ固まりました。

 きょう5月16日の金曜日、午後3時半、PHP出版の担当編集者に、全文の原稿を送付できたからです。

 来週の水曜日に、これがゲラ刷りになって出てきます。
 それを月末より少し前に、赤(手直し)を入れて、編集者に無事に戻せば、6月中に書店に並ぶことが実質的に、確定します。

 きょう送った全文は、原稿に関してだけは完全主義を採るぼくとしては、まだまだ不満いっぱいの段階の仕上がりですから、極めて短期間に全文に直しを入れるのは、充分に重い仕事量です。
 そしてもちろん、そのあいだに他の(数えてみたら)54種類ほどの仕事も同時進行ですから、まだまったく油断はできません。
 それでも、ここまで来たら、どんなに無茶無理をしてでも、編集者との約束通りに6月出版を実現します。


▼タイトルも、すでに決まっています。
 しかも、ぼくが私案として決めていた案を、ズバリそのままPHP出版でも最終決定してくれました。

 たとえば、4年前の本、「日本国民が決断する日」も、ぼく自身が考えたタイトルです。しかし、そう決めてもらうまでは、相当に苦しい交渉が続きました。
 これは、出版の世界では、ごくふつうのことです。
(それとぼくとしては、長いサブタイトルは、なるべくなら付けたくなかった)

 今回のように、タイトルをめぐって紛糾せずにすんなり、ぼくの案が通ったのは初めてです。
 ちょっとだけ、よい予感です。

 ここで、その決まったタイトルも明らかにしたいところですが、我慢します。
 PHP出版から、書店などに公式にお伝えしてからにします。


▼今回は、表紙のデザイン原案も、ぼくが自分でつくります。
 写真も、たくさん入れます。


▼さて、これでなにかを達成したのではありません。
 そうではなくて、作家として再生する戦いが、これでやっと始まるということです。

 ぼくはノンフィクション作家ではありません。
 分野を定める作家にはならないつもりです。

 文藝春秋社が、まったく無名だったぼくの書いた純文学小説を、かつて2002年8月に、異例な形で単行本として出版してくれました。「平成」です。

 その前の本は、テリー伊藤さんとの対談本でした。
 だから、この「平成」の出版が、作家としてのまさしくデビューでした。

 独立総合研究所の社員たちが思いがけず、寄せ書きまで作ってくれてお祝いしてくれたのを、鮮明に思い出します。

 実は、この後の小説の文章も、ずいぶんと書き進んで、完成はせずにパソコンの中に眠っています。
 作家として再生するなかで、これを完成させます。

 ほかのノンフィクションの編も、かなり書いているのに未完成のまま放置しているものが、数冊分あります。
 これらをすべて、年末に向けて、完成して、どしどし新刊書にしていきます。


▼物書きとしてのぼくを、ずっと変わらず支援してくださっている、みなさん。
 みんな。

 ほんとうはまだ油断禁物だし、早すぎるけど、やっぱり今夜、最初のお礼を、深々と頭を下げて申します。

 きょう全文を送った原稿は、日中をめぐるノンフィクションです。
 中国をめぐる現実が凄まじ勢いで動くだけに、苦吟に苦吟を重ねて、ほんとうに苦しみ抜きました。

 奇跡のような辛抱強さで待ってくれた、まだ若い女性編集者にも、感謝…あ、これは、ほんとうにまだ早い。
 ゲラ直しをきっちり、締め切りまでに終え、写真や図版の準備も、表紙デザインも全部、締め切りまでに終えてから初めて、ぼくには、彼女にお礼を言う権利が生まれます。

 でも、まずは、みーんな、ありがとうっ。






断腸の記  番外

2008年05月13日 | Weblog



▼ぼくは、いま実は、ほかのさまざまな仕事に加えて 、ふたつの仕事で一生懸命です。

 ひとつは、4年ぶりの新刊書の原稿を完成させること。
 完成の間際までいきながら、落ち着いて執筆する時間をとろうとすると、動かねばならないことが起きます。
 身体を原稿の前から引きはがして、人と会ったり、会合に出たりせねばならないことが続きます。
 原稿を辛抱強く待ってくれている出版社の誠実な編集者を裏切る日々が続いていて、苦しいことが多かったこれまでの人生でも、一番と言えるぐらいの鋭い苦しみのなかにあります。

 もうひとつは、ぼくが不肖ながら代表取締役社長を務めているシンクタンク( 独立総合研究所 )が、国造りのために決意して、新しく教育分野にも出て行こうとしているので、その準備です。

 つまり、いずれもぼくの本業( ひとりの物書きであること、それから、自立のために、また国家に税を払いたいがために株式会社組織を採っているシンクタンクの全社員を率いる代表取締役であること )にとって、とても大切な試みです。

 正直、ブログに割く時間がなかなか確保できません。
 それでも、日日をそのまま記した「断腸の記 その2」をすこしづつ書きためているのですが、きょうは、いくつか取り急ぎ、書き込む必要を感じましたので、それとは別に、簡潔で恐縮ながらすこし、いわば臨時に書き込んでおきます。


▼まず、「ふつうの生活者が、どうやって声を上げたらいいのか」ということについて。

 声の上げ方が分からないという切実な声の書き込みがあり、そして、「私はこうやって声を上げる」という書き込みも沢山ありましたから、すでに答えはある程度、出ている気はします。
 ネット時代であることを活用して、公的機関にメールを送ったり、これと思うブログにコメントを書き込んでいるかたもいるし、あるいは直接、関係先に電話をしたり、あるいは、次の総選挙ではこれまでにないほどじっくり考えて投票することで意思表示したいと思っているひともいるし、そのすべてが実際に、「声を上げる」ということです。

 ぼくが「この国の主人公として声を上げましょう」と申すときは、生活者としてそれぞれの場でできる範囲のことをしてみませんか、と申しています。
 特別な難しい努力や犠牲、あるいは特定の運動や行動を求めているのでは、ありません。

 そして「どうやって声を上げたらいいのか分からない」という切実な問いの背後には、「名もない庶民の声で、世の中がほんとうに動くのだろうか」という根本的な問いかけがあるようにも思います。

 ぼくが客員教授として国際関係論を講じている近畿大学経済学部の授業でも、学生からそうした真摯な質問が出ました。
 ぼくが答えた趣旨は、次のようなことです。

「きみがもしも、『すぐに結果が出て欲しい、世の中がぐらりと動くさまをすぐみたい』と思うのだったら、きっと無力感にもとらわれる。
 しかし、もしも、『自分の生きているうちには仮に、なにも結果が出なくてもいい。それでも、自分の生きているあいだに、ひとりとか、ふたりとか、同じ志を持つひとを見つけたらずいぶんと幸運だし、子々孫々の代になって、ほんの1ミリでも世の中が良い向きへ動くのなら、わたしがそれを見ることができなくても、わたしは生きて、戦って、良かった』と考えるのだったり、あるいは『わたしが世の中をよくするために、自分なりに、自分のできる範囲で戦ったことに誰も気づかなくていい。結果を求めるのじゃなくて、まず、わたしが、この蒼い天の下で、祖国の大地の上で、誰が見ていなくても、誰も耳を傾けていないようでも、ささやかに戦いたい』と思うなら、いささかも無力感に囚われることはない」

 これは、ぼく自身が生きようとしている生き方と同じです。

「声を上げる」ことについても、共通するのではないでしょうか。

 それから、もうひとつ申したいのは、小さな呟き声であっても、それがたくさん集まれば、案外に権力者にも届くということです。
 これは20年間の記者生活の結論のひとつなのですが、生活者が友だちに、あるいは近所のひとに、たとえば「アメリカでも中国でも、強い国に言いなりになる日本じゃ、もう嫌だよね」と雑談を交わすだけでも、それがたくさん重なっていけば、自然に、無視できない大きなプレッシャーとなって総理大臣や政府高官たちに、意外なほどに届くように思います。

 これは、なかなか信じてもらえないかもしれません。
 しかし、総理番記者として、中曽根康弘首相や竹下登首相(いずれも当時)が起床する前から首相の身近に詰めて、一日の激務を終えて首相が就寝するまで、息づかいを感じるほど間近で取材した日々に、いちばん、それを感じました。

 だからメールもできない、電話する勇気もない、ブログに書き込んだりすることもためらわれるというひとでも、家族や友だちと祖国や社会のことを話しあうだけでも、ほんとうは充分に意味があることを、ぼくなりに体感した実感として、知っていただきたく思います。


▼もうひとつ、長野事件をめぐって、特定の動画に騙されているのではないかという趣旨の問いが寄せられています。
 これも、最初の問いかけがあった直後に、他のかた( ぼくのつたない考えに、長く関心を持っていただいているひと )が別の意見を書き込まれていますが、ぼくから申したいのは、その動画に出てくる男性はそもそも、「殴られた」とも「殴られて血が出た」とも言っていないのではないか、ということです。

 その動画とは、男性が、「平和の祭典」にペケ印を入れ「血の祭典」と書いたTシャツを着て、赤いもの、または茶褐色のものをあご、頬、腕などにつけて、警官隊と揉めている画像ですね。問いかけで挙げられているのは、そうです。
 ぼくの見たたくさんの動画のなかに、この動画もありましたが、この動画の男性は「殴られた」とか「殴られたので、こうやって血が出た」と言っているでしょうか。

 音声はかなり聞き取りにくい部分もありますが、総じて男性は「中国人の集団に、自分の持っていた旗を奪われた」と警官隊に訴え、警官隊は「そんな刺激的な格好をして、中国人の側に近づくからだ」という趣旨を言っているように聞こえます。
 すくなくとも、男性が「殴られて出血した」と主張している声は、ぼくにはこの動画の中からは聞こえません。
 何度、繰り返し聞き直してみても、そうです。

 推測を含みますが、男性は「北京五輪が血の祭典になっている」という、この男性の主張を強調するために、赤いものを自分の身体につけ、旗を持って、中国人の集団に近づいて集団に旗を奪われ、その旗を奪うという不法行為について警官隊に訴えているようにみえます。
 殴られたとか、殴られて血が出たとか訴えているのではなく、この男性の場合はあくまでも「旗を奪った不法行為を見逃すのか」と訴えている、その音声しか聞こえません。
 警官隊もむしろ、赤いものは血ではなく男性の演出であることを前提に、「旗を奪われた」と言えるかどうか分からないと主張しているようにみえます。

 すなわち、この動画に記録されたケースは、男性も警官隊も、殴打とか出血とかで争っているのではなく、旗を奪われた事実を見逃すのかどうかについて争っているようです。
 不明瞭な音声だけですから、ぼくも確たることは言えませんが、ふつうに音声を聞き、この場面を見れば、そうではないでしょうか。
「殴られて血だらけになっている」という見方は、動画に付けられた、ほかのひとびと( 動画を見るひとびと )のコメントにあるだけです。
「赤いペイントを付けて、嘘をついているのじゃないか」という趣旨のコメントも付けられていますが、この男性は嘘をついていると言うより、血の祭典というみずからの主張を強調するために明らかな演出として赤いものを付けて旗を持っていたように推測するほうが、自然にみえます、聞こえます。
 ただし、あくまでも推測が主であることは、ぼくも、動画に付けられたコメントも、同じです。

 それらのコメントのなかには、「青山がこの動画を見て、血だらけの日本人が…とTVで言っている」という趣旨の大きな文字もありました。
 いろいろな憶測があるのは世の常です。別段、インターネットに限りません。
 だから、ひとつひとつをあげつらって非難するつもりはないし、「ネットの弊害」とも思いません。
 ただ、このコメントについては、動画の中で争われている場面そのものの解釈が、ぼくとは違うようです。


▼みなさん、夜がすっかり明けて、いま朝の5時50分です。
 正直、血の涙が出ます。
 ゆうべは、参議院関係の会合がひとつ、それからさらに海上保安庁の会合がひとつあって、それらをこなしてから、会合を受けての指示や調整を独立総合研究所の役員とおこない、さらにいつもの情報収集をやってから、眠気と疲労を押して、未明から朝までは執筆の時間を確保したつもりでしたが、このブログへの書き込みで、ほとんどの時間が費やされてしまいました。
 朝になればまた、シンクタンク社長としてのアポイントメントや出張がぎゅうぎゅう詰めでぼくを待っています。

 ブログへの書き込みは、ふだんの原稿よりも、時間を使います。
 活字で表現する書籍というのは、ひとに何かを伝える手段として確立されていますが、ネット上の書き込みは、まだ確立されていません。
 環境のまったく違う外国のひと、あるいは、書籍を買うほどの関心は持っていないひとも、きわめて簡単に読める新しいコミュニケーションが、ネットでありブログですから、従来型の原稿を書くよりも、さらに丁寧に書いていく時間が必要です。

 ぼくの原点は、ひとりの物書きであり、それを致命的に離れてしまっては、ぼくはもはや生きられません。
 物書きがプロとして原稿を仕上げ、それを世に問うためには、プロの編集者との確かな信頼が必要です。
 それを裏切ることにつながるのであれば、ぼくが万やむを得ず、ブログを休止することもあると思います。

 ぼくがまともに作家として活動し、小説の単行本「平成」を文藝春秋社から出版した頃も、担当のベテラン編集者から「青山さん、インターネットに書き込むより原稿を書いてください」と厳しく指摘されていました。
 その後、ぼくの執筆時間はさらに少なくなり、とうとうこうやって、作家としては休眠状態で4年が過ぎています。
 雑誌にすこしだけ連載はしていますが、ぼくの個人的な気持ちとしては、単行本を出さないなら作家ではありません。作家全般のことを言うのではなく、ぼく自身に対してのことです。
 今回のノンフィクション原稿を待ってくれている若い女性編集者を、今夜も裏切って、こうしてブログに書き込んでいることを、この編集者に限りなく、限りなく、申し訳なく思います。

 万一、ブログを休止するときは、一切誰のせいでもなく、すべてぼくの非力に責任があります。
 ただ、ブログは誰でも無償で読めるだけに、なるべく、力を尽くして続けたいとは思っています。
 力が尽きるまでは。