Our World Time

8月23日から、お願いします

2010年08月18日 | Weblog


▼『 忘れたらアカン 拉致被害者の救出を   青山繁晴氏が語る拉致問題 』という講演会が開かれます。
 一般市民によるボランティアの「大阪ブルーリボンの会」主催です。

 きっと秋も深まっているだろう11月の23日、勤労感謝の日(ほんらいは新嘗祭)に、大阪の中之島公会堂で、13時開場、13時30分開演となります。

 横田めぐみちゃんのご両親、横田滋さん、早紀江さんご夫妻と、有本恵子ちゃんのご両親、有本明弘さん、嘉代子さんご夫妻と一緒に、ぼくは登壇します。


▼実は、こう記していて、たいへんに悲しくもあります。
 同じ、美しいたたずまいの中之島公会堂で、同じく横田さん、有本さんのご夫妻をお迎えして、2008年の12月1日に、拉致被害者の全員救出を訴え、考える講演を開いています。
 それから2年近く、なにも進んでいません。同じ壇上に上がられるご夫妻の胸のうち、そしてあの飢餓に満ちた独裁国家に誘拐されたままの同胞(はらから)の毎日の暮らしを思うと、悲痛苦が込みあげてきて、このブログに書き込むことさえ、言いようなく辛く思います。


▼それでも、2008年12月のときには、物凄い数のみなさんが集まってくださり、遠くからも駆けつけてくださり、チケットはとっくに完売しているのに、それでも入りたいというかたが次から次へと押し寄せて、伝統ある中之島公会堂のまわりを取り囲むように列までできて、あとで聞くと警備に当たった大阪府警の警察官も驚いたそうです。

 それが、どれくらい、横田ご夫妻、有本ご夫妻の力になったか。
 講演会のあと、お話したときに、たとえば横田早紀江さん、有本嘉代子さん、この日本の母の、悲しみのなかにも勇気をあらためてみずから鼓舞されている深い表情が、ぼくの魂に残っています。
 それに、ぼくも勇気づけられ、再び登壇します。


▼今回のチケットは、8月23日から「チケットぴあ」のみで発売される(Pコード617-751/ぴあ各店舗・セブンイレブン・サークルKサンクス)そうです。
 大阪ブルーリボンの会事務所での直接販売・郵送販売は今回はないそうです。

 みなさん、どうか再び立って、結集してください。
 ブルーリボンに込められた日本海の青、空の青をつたって、同胞に、わたしたちの志が伝わることを、こころの底から願って。




(※ポスターの写真が小さくて、分かりにくくて申し訳なく思います。
 ただ、横田ご夫妻、有本ご夫妻の写真より、ぼくの写真が大きいポスターになっているので、ごめんなさい、小さいままにさせてください。
 ポスターを制作された大阪ブルーリボンの会としては、当然のレイアウトだと思います。
 ただ、ここは、ぼくの個人ブログ、地味ブログなので、わがままをさせてください。主役は、両ご夫妻です。ぼくは、ぼくのささやかな責任を果たします)



ふだんとは違うお知らせを、ふたつ

2010年08月16日 | Weblog




▼ニッポン放送が主催し、「がんばろう!宮崎」を掲げるMRT宮崎放送が後援する舞台劇、「終戦65周年平和祈念特別公演   永遠の一秒」に、ぼくも「語り」として出演します。
 この「永遠の一秒」は、特攻隊員を通じて、いのちそのものを考えるドラマではないかと、ぼくは思っています。
 敗戦を終戦と表現していることを含め、ぼくとこの舞台劇は、戦争観・平和観、日本の歴史の見方は同じではありません。
 しかし、いのちを真摯に考え、突きつめていったら特攻隊員になった、という演出の畠山貴憲さんのありのままの述懐に思うところあり、生まれて初めて、舞台というものに、ごくささやかながら関わることになりました。

 また、このドラマは、特別攻撃隊出撃基地のひとつになった帝国海軍の赤江飛行場(現・宮崎空港)を主要な舞台にしています。
 それに伴って、ドラマの収益の一部は、宮崎県の口蹄疫で重い被害を受けられた畜産農家への支援金として寄附されます。
 この点も、ぼくにとって大切なことです。

 主な出演は、塩谷瞬さん、伊嵜充則さん、住谷正樹(レイザーラモン)さん、中本賢さん、津山登志子さん、西尾舞生さん、千波丈太郎さん、ブラザートムさん、相楽清仁さん、原万紀子さん、水野久美さんです。
 語りは、女優の斉藤慶子さんと、ぼくです。


▼東京・新宿の東京グローブ座で上演されます。
 ぼくの出演日は、公演日のすべてではありません。9月18、19、20、23、24、25日のみの予定です。
 チケットの購入方法など、詳細は、「永遠の一秒」公式ホームページhttp://www.eien-1.infoを、みてください。(独研では、チケットを扱いません)


▼それから、以前にぼくのポートレートを撮られ、インタビューもなさった写真家の蛭田有一さんが、写真展『政界華肖像』を開催されます。
 50人のかたがたのポートレートと言葉が展示されるのですが、そのなかに、ぼくのポートレートと、それからインタビューから抜粋した言葉もある予定です。
 期間は、9月10日金曜~9月16日木曜、会場は、富士フィルムフォトサロン東京で入場無料です。
 ぼくが顔を出している時もあるかもしれません。

 また、蛭田有一さんのオフィシャルサイト「政界華肖像」にも、ポートレートとインタビュー(フル・テキスト)が掲載されています。
 蛭田有一さんのオフィシャルサイトと、展示会のハガキ(PDF)は、独研(独立総合研究所)の公式ホームページhttp://www.dokken.co.jp/から飛べます。

 会場でお目にかかれるかもしれませんね。よろしければ、どうぞ。
 蛭田さんは、時代を呼吸する素晴らしいカメラマンです。



勉強されているかたに、敬意を込めて

2010年08月06日 | Weblog



▼鳩山さんの残した負の遺産というのは、実はかなり沢山あると思うのですが、そのひとつが「普天間基地の沖縄県外への移転の可能性」に触れると、たとえば北朝鮮や中国の脅威を忘れていると即断されることがある、ということではないでしょうか。

 余談ながら、たとえばもうひとつは、鳩山さん以来、「思い」という日本語が使いたくなくなってしまいましたね。


▼さて、今週の関西テレビの報道番組「アンカー」で、普天間のアメリカ海兵隊・航空部隊をぼくの住んでいるところへ受け入れることを考えるのも、ぼくの日本国民としての責任のひとつではないか、という話を最後にしたところ、北朝鮮や中国を考えなくてもいいという意味か、といった問い合わせをいくつかいただき、正直、驚きました。

 テレビの短い時間で話すのは、ほんとうに難しいなと思いますが、番組の制作側に何も責任、問題はありません。
 すべて、ぼくの話しぶりが下手なことに全責任があります。
 問い合わせをされたかたは、ぼくのこの地味ブログをご覧になっているかたが多いようですから、ここですこし補っておきます。

 関西テレビの番組は報道番組であり、事実を指摘するのがあくまでも、どこまでも第一です。その意味で、たとえば講演会とも、ぼくの著作とも大きく異なります。
 ぼくなりの考えを示すこともあり、それはぼくだけではなく、たとえばMC(メイン・キャスター)のヤマヒロさんもそのお考えを述べることがあり、それからたとえば木曜アンカーに出演中の知友、宮崎哲弥さんらも、そのお考えを述べてもおられるわけですが、それはあくまでも二義的なことです。
 したがって、テレビの報道番組で『持論を全面的に展開する』ということは、決してできません。やっていいことでもありません。
 そのうえで、ぼくのように話しぶりが下手だと、今回のような誤解も、一部のかたとはいえ、招きます。全責任はぼくにあります。


▼以下は、ミクシィでの問い合わせにお応えした文章を、すこし手直しして、なるべくどなたにも分かるようにしました。


▼まず思い出すのは、沖縄県がまだ稲嶺県政の時代に、だからもう5年以上前になりますが、那覇市内で開かれたパネルディスカッションで、当時の副知事さんらと一緒に舞台に上がり、沖縄県民のかたがたと向かい合いました。
 そのときすでに、「普天間基地の県内移転だけではなく、本土への移転の可能性も考えています」「すぐにはできなくとも、わたしの住むところへの移転の可能性も、大切な課題として考えています」と述べました。

 沖縄県内だったから、そう述べたのではありません。迎合はしません。東京でも大阪でも、どこで開かれた講演会、パネルディスカッションでも、普天間問題に触れるときには、必ず同じことを5年以上ずっと申してきました。
 ぼくの講演を聞かれたひとならご記憶のかたも多いと思います。

 また、沖縄に媚びて、「最低でも県外」とおっしゃった鳩山さんの言説とは、何の関係もありません。
 前述したように、5年以上前です。まだ政権交代も、鳩山政権も影も形もなく、県外移転が語られることは、全くと言っていいほどなかった頃のことです。


 沖縄を含む南西諸島の重要な地政学的位置を、アジアの平和の確保のために活かすのは、第一義的に、あまりに当然ながら日本がやることであって、外国であるアメリカが主軸となっている現状は、将来に向けて変えるべきだと考えます。

 すなわち、中国や朝鮮半島にフェアに対峙するうえで、南西諸島のより有効な島・場所に、わたしたちの防衛力を展開し、そこの航空基地を、有事の際には同盟国のアメリカの在日米軍(もちろん海兵隊を含む)も日本の許可のもと共同使用するようにするのがベストだと考えます。
 わたしたちのその新しい航空基地は、沖縄本島とは限りません。限る必要はありません。わたしなりに南西諸島をかなり見て歩きましたが、日本国民にその意思さえあれば、わたしたちの防衛力を配置するにふさわしい場所は、沖縄本島以外に、現にあります。
「アメリカではなく日本の部隊だったら、受け入れたい」と、ぼくに話してくれた現職の自治体首長もいます。
 また航空基地だけではなく、陸上部隊の基地、水上艦・潜水艦の基地も、将来的には完備する必要があると考えます。
 そうでなければ、尖閣諸島をはじめとするわたしたちの領土と海と空を、護れない日が近未来に来てしまうでしょう。

 普天間にいるアメリカ海兵隊の航空部隊は、グアムなどに下げさせるべきではないと考えます。日本国内にいさせるべきです。中国の膨張する覇権主義、朝鮮半島のアンフェアな反日主義に毅然と、同時に戦争を起こさせないで、自然体で向かい合うには、日米同盟の力をじょうずに活用すべきです。
 しかし、アメリカのいま沖縄にいる部隊をすべて必ず沖縄県内に置かなければ、沖縄を含む南西諸島の地政学的位置を活かせないということは、ありません。
 それはアメリカではなく、日本が、わたしたちが中心になってやることです。

アメリカの海兵隊が沖縄にいるのは、基本的にアメリカの国益のためです。アメリカの国益のために沖縄の地政学的位置を利用、活用しています。
 それは同盟関係と何も矛盾しません。
 主権国家はそれぞれの国益に基づいて行動し、そのうえで共通の目的が見つかるのなら、結ぶべき同盟を、対等に、結ぶのです。

 わたしたちの防衛力は、沖縄県民のために、日本国民のために、すなわち日本の国益のために沖縄にいるのであり、それを今後、よりしっかりと展開すべきです。
 沖縄戦の無残な歴史を踏まえるからこそ、沖縄県民を永遠に護る日本国の防衛力を、沖縄を含む南西諸島にみずから充実させるべきです。


▼日米の同盟は、たとえば独裁国家の北朝鮮や中国に理不尽な行動を取らせないために、きわめて有効です。前述したとおりです。適切に、維持されねばなりません。
 しかしそれと同時に、あくまでも日本が主軸であるべきです。沖縄は日本国であり、日本はアジアの民主主義の盟主だからです。
 その日本の民主主義は同時に、日本のオリジナルな民主主義です。天皇陛下という無私の存在とともにある民主主義は、メイドインUSAではありません。
 そしてアメリカの真似ではなくオリジナルであってこそ、世界への普遍性があります。
 南西諸島に展開すべき日本の新しい防衛力は、その普遍性の高い民主主義を護るものでもあります。


▼2013年6月(あくまで予定ですが)までに、現在の航続距離の長くないヘリに換えてVTOL機のオスプレイが配備され、アメリカ海兵隊航空部隊の航続距離が伸びれば、ふだんは沖縄県外の日本国内に彼らがいて、有事の際に、南西諸島の日本の航空基地を拠点に共同作戦をとるという新体制がつくれる可能性が出てくると考えます。
 もちろん簡単な道のりではまったくありません。短期間で成就する案でもありません。
 しかし、辺野古への移設工事の実行が、今後もずいぶんと難しい以上は、中長期的な、日本国の自己改革を込めた、まったく新しい考え方をつくろうとする意志が、わたしたちには必要ではないでしょうか。

 ぼくの考えを「非現実的」というひとも沢山いらっしゃるでしょう。
 ただ、辺野古の現場にあらためて立ってみれば、完全な洋上工事になるアメリカ海兵隊航空基地の建設を、どうやって、この沖縄の社会・政治状況で、この憲法と自衛隊法のもとで、いかにして海上封鎖を実行して、安全に、確実に工事ができるのか。
 そのプランのどこが現実的なのだろうかと、すくなくとも現在の時点では、考えざるを得ません。

 また、この部分はぼくの個人的な考え、あるいは生き方の問題に過ぎませんが、辺野古の海辺に繰り返し立てば立つほど、ここにアメリカの航空基地を持ってきて、それで問題解決、一件落着としてしまうのは、どうにもこうにも、おのれを納得させられません。
 そして沖縄以外の国内を考えるのなら、まずは自分の住んでいるところを具体的に検討するのが、にんげんとして、ぼくなりに自然なモラルだと思います。
 実際、ぼくの住むまわりには、失政続きの都政のおかげで、使う当てのない広大な埋め立て地が広がっているのです。
 それに首都にアメリカ海兵隊がやってくれば、「安全保障なんて、誰かがどこかで勝手にやってくれている」という意識が、根こそぎ変わるとも思います。


▼日本とアジアの安全保障に関心を持つかたがたが増え、また実によく勉強もされていることを、ほんとうにうれしく思っています。
 問い合わせも、それがあってのことです。
 誤解は、ちょっと驚きましたが、問い合わせがあったこと自体は、本心から、心強く思いました。

 できれば、おひとりでも多く、辺野古の海の現場を訪ねていただくことを、こころの底では望み、もしもそうやって沖縄入りされるのでしたら、白梅の塔も訪ねていただければと、ぼくの静かな気持ちとして、願います。

「おまえはいつも民主党政権に極度に偏って辛く当たる」、と口を極めて非難するひとから、まったく逆に「菅政権になってから甘くなった」と強い落胆を口にするひとまで、いらっしゃいます。
 もちろん、いずれも心外です。
 ぼくがずっと目指してきたのは、右でもなく左でもなくまっすぐ真ん中から、ぼくらの祖国を見直すことでありました。
 砂粒のような存在の男としては、やれたとしても、その考えかたを、わずかに問題提起しただけです。

 上記のふたつの非難のあいだにこそ、いちばん多くのかたがいらっしゃるのかも知れませんね。もしもそうなら、深く感謝を申します。

 いずれにせよ、祖国の土にかえるときまでのことです。