Our World Time

★★急告

2013年10月31日 | Weblog


▼先のエントリーで、青山千春博士の講演のことを、ほんの少し触れただけで、びっくりするぐらい沢山の方から「青山千春博士も講演をしているんだったら、教えてください」という書き込みやメールをいただきました。

…そこで、直前になってしまうのですが、取り急ぎふたつ、お知らせしておきます。

▽まずひとつは、なんと明日です。(ごめんね)
 11月1日金曜の10時から正午。
 場所は岐阜大学の講堂です。(岐阜市柳戸1の1 連絡先 岐阜大学地域交流協力会事務局 058-293-3187)

「岐阜大学地域交流協力会 平成25年 秋の特別講演会」
「希望の現場 メタンハイドレート」 講師/青山千春 独研(独立総合研究所)自然科学部長

 参加無料です!
 事前申し込みについても、必要だとは聞いていません。誰でも、そのまま入れると思います。(心配なかたは、明日の朝、上記の電話で確認してください)





▽もうひとつは、来週です。
 11月8日金曜の夕方16時から17時半
 場所は、京都工芸繊維大学の60周年記念館2階・大セミナー室です。(京都市左京区松ヶ崎橋上町 連絡先 075-724-7757)

「未来を創る理系キャリア ー私の選択」 講師/青山千春 独研(独立総合研究所)自然科学部長

 このセミナー修了後に、交流会/意見交換会も開き、そこにも青山千春博士も参加します!

 こっちも参加無料です。
「事前申し込み不要」とポスターに明示されています。
 誰でも入れます。

…いずれも、ぼくは参加できません。
 代わりに青山繁子が同席します(これはウソです)

水曜アンカー直前の控え室にて  (*いくらか表現を補いました)

2013年10月30日 | Weblog


▼いま大阪の関西テレビにいます。

 きのう火曜の早朝に東京を出て、大阪に入り、青山千春博士が女性向けセミナーでおこなった講演に同席し、ぼくもいくらかメタンハイドレートと女性の生き方、男の生き方について語り、そして近畿大学経済学部で学生諸君のあいだを回りながら、ぼくなりに力を尽くしきって講義し、さらに、翌日の「水曜アンカー」のために、関テレでいつもの激論をおこなって、ようやくホテルに入り、わずかな仮眠から、きょう午前4時半に起きて空路、新潟へ向かい、新潟の「朱鷺メッセ」で、自治体が結成している「日本海連合」主催の画期的な、メタンハイドレートをめぐる初会議に参加して、ささやかに発言し、そこからトンボ帰りで空路、ここ大阪に戻ってきました。

 これから生放送が今週も始まる水曜アンカーをめぐって、たとえば、こんな対照的な書き込みがありました。


~ここから、引用。いずれも原文のまま~

▽(無題) 2013-10-30 12:24:51 (ここにハンドルネーム)

青山さんは、今日の水曜アンカーで秘密保護法についてまたとぼけるのでしょうか?違う話題にし、話さないのでしょうか

▽天安門テロの報道 2013-10-30 12:13:50 むらかみ

こんにちは、いつもテレビ拝見しています。
今日の水曜アンカーで天安門テロの件を取り上げられると番組表で見たのでメール致します。
今回の事件を日本の大手メディアは「民族衝突(対立)」、「改革解放以来の格差が原因」と報じています。
一見、なるほどと思う伝え方です。(中国通の解説者が補強します。)
でも、本当は「民族弾圧」、「大戦後の中国による武力侵略が原因」なのではないのでしょうか?
そのことは「日中宥和(=日本譲歩)」志向の日本の大手メディアにとって云いたくないから、いかにも納得出来そうな解説で済ましているように思います。
そのあたりについての青山さんのご意見を伺いたいと思います。

追記:12月に関西で独立講演会があれば、そこで伺えるかもしれませんが、タイムリーな話題じゃ無くなってるかもしれないですね(8月の神戸は参加しました。)
最後にお忙しくお疲れの様ですが、いつかくる「その時」までマイペースで頑張って下さい。(休養を!とは敢えて申し上げません。)

~ここまで引用~


▼前者のような書き込みがあると、まず、そのひとのこれからを懸念します。
 事実は、秘密保護法について、水曜アンカーのぼくのコーナーでとっくにきちんと取りあげました。
 しかし、そうした事実とは関係なく、ご自分の関心事ではないテーマが放送されたりすると、「とぼける」とか「違う話題にし、話さない」と考えてしまうのでしょうか。
 自分の関心だけに、まさしく関心があり、そこから逸れていると、すべて他人のせいになるのかもしれません。
 こうした精神で、悔いのない人生になるでしょうか。
 誰でも一度しか生きられないから、思わず、しばらく考え込んでしまいます。

 それから、どんなテーマを取りあげるかについては、おのれの良心のみによって決めています。
「水曜アンカー」のストレートニュース、すなわち「青山のニュースでズバリ」のコーナー以外のニュース項目の選択、決定には原則、関わっていません。
 それは権限がありません。テレビ局の報道部が決めることです。
 しかし、コーナーについては、どなたの干渉も受けませぬ。

 余談ながら、先週に「靖国」をとりあげたとき、テレビ局の内部からは、かなりの抵抗がありました。
 それは予想通りだったから、真正面から、しかし胸のうちでは淡々と、向かい合いつつ生放送を実行しました。
 放送後に「どうでもいいテーマに逃げている」という書き込みがありました。
 後世のわたしたちのためにこそ命を喪われた英霊、その弔いを、どうでもいい、とする人もこの祖国にいるのです。(書き込みの様子から、外国人には思えませんでした)

 また、「靖国の公営なんて、憲法違反だから、青山は右翼だ」という趣旨を書き込んだ人もいました。放送では、もちろん憲法の公正な改正を前提に、公営にするか私営のままかを問いました。
 戦没者の慰霊の地を、国際社会の常識にも従って公営にすること、あるいは改正のための条項(96条)を持つ憲法をリーガルに改正すること、それをもって右翼と呼ぶ人も、現にいるのです。(この人も外国人とは思えませんでした)


▼しかし一方で、後者のように、感嘆するような鋭い問題提起をする人もいらっしゃいます。
 勇気づけられます。

 この問題提起については、生放送で話したいと思います。
 さぁ、時間ぎりぎりです。


 
 

11月はここで! (*写真を追加アップしました)(*文中の日にちを訂正しました)

2013年10月23日 | Weblog
*RKB毎日放送(福岡)ラジオ祭りのトークショー

 

*福岡市内のライブハウスでのライブ&トークショー



*住吉大社(福岡)能楽殿での独立講演会




▼この地味ブログを訪ねてくださる、みなさん。
 いま大阪で、まもなく「水曜アンカー」の生放送に臨みます。きょうは「靖国」です。
 福岡で初めての独立講演会を開いて、もう3日目です。

 10月19日の土曜、早朝に東京を出発しました。正直、この時点で疲労感はとても強かった。
 ぼくが共同通信を去って三菱総研に転じたのが、平成10年、皇紀2658年、西暦1998年(皇紀は偏った考え方のカレンダーではなく、深い文化の香る、わたしたちのオリジナル・カレンダーです)の1月1日付のことでした。
 この前日の前年12月31日までは、およそ19年のあいだ共同通信社の記者だったわけですが、過酷なまでに多忙な記者生活ではあっても、休みはありました。共同通信は、たとえば総理官邸でも外務省でも、他社に比べていちばん記者の人数が多く、交代で休むことができたからです。
 しかし、三菱総研の研究員になった瞬間、代わりを務めてくれるひとがいなくなりました。研究員としてのぼくの担務は、外交・安全保障から金融・経済までを包摂する国家戦略の立案で、それは当時の三菱総研としては初めての試みでしたから、要は、ぼくひとりだったわけです。
 その三菱総研を4年3か月で去って、独研(独立総合研究所)をみんなと創立し、代表取締役社長・兼・首席研究員となりました。
 この役割も、代わりはいません。

 したがって、平成10年の元旦から今日まで、大晦日やまさしくお正月も、15年と11か月近く、1日も休んでいません。
 どちらかと言えば、体力はあります。しかし、いわば物理的な体力だけではなく、精神の疲労もさすがに重なります。

 ストレスは、共同通信の記者時代と、どちらかが強いか。
 現在は「上司」というひとが居ません。だから、にんげんというものに深い哀しみを感じるほど卑劣な嫌がらせや、信じがたい真っ赤な嘘八百にもとづく中傷がこれほどあってもなお、今の方がストレスは小さいのです。
 ぼくの父は、67歳で繊維会社の現役社長のまま、医療過誤で死にました。その父は、ぼくが26歳の遅すぎる新卒(親が止めるのを振り切って慶應義塾大学を中退し、早稲田大学を受け直して入り、卒業したとき26歳になっていました…)として共同通信に内定したとき、「自分の力だけでよく苦境を突破した」と喜んでくれる一方で、「おまえは本当は、上司の居る世界じゃなくて、ただおのれの信ずるところに従ってやれる世界で仕事するべきだよ」と言っていました。
 それは慧眼(けいがん)だったと、いま、思います。

 しかし、それでもなお、ここまで瞬時も心身を休めないような生活を続けると、尋常な疲れではなくなってきました。


▼さて、その状態で、午前中に福岡市内の海辺に近い、RKB毎日放送の「ラジオ祭り」の会場に着きました。
 ラジオ局が立派なお弁当を用意してくれていたのですが、疲労感で、ほとんど食べられません。
 同行した青山千春博士は、いつものようにパクパク食べています。青山千春博士も、その任務を果たすために無理の上に無理を重ねているので、その様子には、内心でとても安心しました。

 そして午後1時、RKB毎日放送の人気キャスター、中西一清さんとのトークショーが始まりました。
 その瞬間、心身の疲労はどこかへ飛んでしまったのです。
 あまりに沢山の申し込みがあったので、入場券の抽選が終わったあとも断るのにラジオ局は苦労なさったそうですが、集まられたリスナー、国民のかたがたの眼の輝きが素晴らしくて、ほんとうに、疲れが吹き飛びました。

 あっという間に、1時間半以上が過ぎて、終了時間が来てしまい、そのあと、ご希望の方すべてに「ぼくらの祖国」(扶桑社)、「希望の現場 メタンハイドレート」、「海と女とメタンハイドレート」(ともにワニブックス)に、青山千春博士とともに、魂を込めてサインしました。


▼そして、東京から持参していたギターを手に、ライブハウスへ。
 まずは、独研(独立総合研究所)の会員制クラブ「インディペンデント・クラブ」(IDC)の会員の中にたまたまいらっしゃる、プロのミュージシャンふたり、ギタリストの「しもやん」、そしてベーシストの「さっちん」と最後の音合わせです。

 と言っても、それまでに、ただの2回しか練習したことがない。
 それも直前の1回は、ぼくの疲労が深すぎて、ほとんど声が出ないだけではなく、まったくと言って良いほど音程が取れなかったのです。
 人間がここまで疲れると音が取れない、という事実を初めて知りました。

 さっちんは「いや、青山さんは本番になると必ず、声も出るし、音も取れる」と繰り返し言ってくれていました。
 しかしぼく自身は、まず声帯が、マイクを使わずに地声で広い会場のみなさんと対話を重ねたりしてきた講演会のために、深刻な炎症を起こしていて、専門医に通って薬を飲んでも、ちっとも治らないのです。

 不安は、まだありました。
 ぼくは「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」(PHP)のなかで、以下のようなことを記しています。
 かつて、ギターの弾き語りをしていた頃、「知床旅情」という国民歌も唄っていました。
 ところが、その歌詞のなかに国後島に白夜があるという真っ赤な嘘が含まれ、まるで国後島が遙か遠い別世界の島であるかのように日本国民に誤解させる内容だと、北海道を訪れてみて分かり、おのれを恥じて、名工の手になるギターを封印して、しまい込みました。

 つまり、それ以来ずーっと、長いあいだギターも弾いていないし、人前で唄ってもいなかったのです。
 ところが、ヤマヒロさん(いまはフリーの名キャスター。元は「水曜アンカー」のキャスター)と一緒に京都のライブハウスでトークショーをやることになり、ライブハウス側から「音楽もやらないと、ここは使えません」と言われて話が壊れそうになったのです。
「じゃ、いっそ、弾き語りを復活させよう」とぼくが言って、その封印を解きました。
 しかし、練習たった1回でのライブになりました。
 ライブハウスのオーナーの「悲惨なことになる」という予想を、幸い、裏切って、どうにか成功はしたけど、その次のライブは、遂に練習なし。
 だから今回3度目のライブも、練習はすべて通算しても3回、今回のメンバーとは練習2回で、そのうち1回は疲労で練習にならなかったという実情でした。

 しかし…自分であまり書くわけにいかないけど、おのれでも、すこしびっくりするぐらい声は当日、出ました。
 客観的にいって、まずまず成功したライブになったと思います。
 これも、聴衆のみんなの眼の輝きのおかげです。ぼくは社交辞令を言いません。
 夕方6時から夜9時まで、曲は5曲に、アンコール1曲を演奏し、そのあと会場から質問に答えていくトークショーでした。
 全国から集まってくださったIDC会員のみなさんと、気持ちは通じ合いました。

 このメンバーで、バンドを続けていき、これからはオリジナル曲もやり、いつかCDを出し、そしてIDC会員以外も来ていただけるライブも…なんちって、ですが…やろうかなぁという楽しい話になりました。


▼そして翌日、10月20日の日曜に、福岡市内の「筑前國一之宮・住吉神社」にある伝統の能楽殿で、東京・関西以外では初開催の独立講演会を開きました。
 この独立講演会は、ふだんの講演会では絶対できないこと、ひとつは時間無制限(お聴きになるかたの健康を考えて今は原則4時間半)、もうひとつは森羅万象について、ありとあらゆる質問を長時間、受けていく、これらを実行している講演会です。

 午後2時から、5時間近くを、みなさんと一緒に過ごしました。
 やっぱり、みんなの眼と熱意に励まされて、疲労はどっかへ吹き飛んでいます。
 そして、質問を受けるまえに、久しぶりに硫黄島の英霊のことをじっくり話しました。
 九州の地では記念すべき第1回の独立講演会でしたから。

 能楽殿の座敷は、5時間に近くなるような長時間の催しを聴くには、向いていなくて、参加された方々はたいへんだったと思います。
 だけど、ここでも気持ち、魂はお互いに通じ合ったことを、しっかりと実感しました。
 なんと北海道から鹿児島まで、そしてホノルルからも、予想を超える沢山のかたがたが来てくださいました。


▼さて、次回の独立講演会は、東京に戻っての開催です。
 今度もまた、とっくに受付は始まってしまっています。ごめんなさい。
 開催地は、今後も、名古屋など他地域を検討していきます。
 まずはふたたび、東京で会いましょう!

 独研の公式HPにある参加要領(ここです)を以下に抜粋します。

第23回 独立講演会@東京 (2013年11月23日 : お申込みの受付を開始しました)

【講演日】
2013年11月23日(土・祝)

【講演時間】
開場:13時05分
開演:14時00分 ~ 18時30分 予定

【講演内容】
「硫黄島の英霊の現在とこれから」
※これに限らず、柔軟にお話しします。

【場所】
日本科学未来館 みらいCANホール(7階)

135-0064 東京都江東区青海2-3-6
TEL:03-3570-9151
新交通ゆりかもめ 「船の科学館駅」下車、徒歩約5分/「テレコムセンター駅」下車、徒歩約4分
東京臨海高速鉄道りんかい線 「東京テレポート駅」下車、徒歩約15分
詳細は、こちらへ。

※青山繁晴からの補足 座席が広くなくて長身のかたはたいへんなようなので事務局で工夫することを考えています。

【受講料】
一般 5000円 / IDC会員 4000円

【定員】
300名
※定員を超えた場合、抽選となる場合もございますのでご了承ください。

【申込期間】
2013年10月21日(月)正午~ 2013年10月30日(水)正午 
※申込期間内のみ、申し込みを受付致します。

【申込方法】
「申込フォーム」ボタン(ここです)をクリックし、リンク先のページよりお申込みください。

※独研ホームページからのお申し込みに限り受付けます。

【抽選結果通知】
当選・落選発表は、10月30日(水)申込締切り以降、メールにてご連絡致します。

【禁止事項】
※参加資格の譲渡
※講演の撮影・録音・録画
※講演中のパソコンの使用
※事前にお申込をされていない方の入場

ラジオ祭りについて…

2013年10月18日 | Weblog
…こんな書き込みがありました。独研(独立総合研究所)の会員制クラブ「インディペンデント・クラブ」(IDC)会員の「わだ」さんからです。

~ここから引用~

 青山さん、RKB毎日放送のラジオまつりですが、整理券の入手が必要な事前申し込み制でして・・・(RKBのラジオまつりサイトにも「*事前のお申し込みが必要です。応募は締め切りました」との記述があります)。
 抽選で当たった方のみに整理券が発送されていますので、「よろしければ、お出でください」とのお言葉で来られた方が、入場できない可能性があるかも知れません。
 ただし私がRKBに事前に問い合わせたところ、「整理券がなくても、当日空席が出ればお入りいただけます」とのことでしたので、私(たちIDCメンバー)はダメ元で行ってみるつもりです。

~ここまで引用~

 まさしく、この通りだと思います。
 わださんが、問い合わせてくださったように「当日に空席があれば入れます」ということですから、もしも整理券なくお出でくださるかたは、こころから恐縮に思いますが、「もしも空席があれば…」という前提でお出でください。
 お忙しい方は、どうか、無理をなさらないように。
 今回(10月20日/日曜)、東京・関西以外で初めて開く「独立講演会」が、福岡で無事に成功すれば、また福岡でお会いできると思いますから。

(*独立講演会とは、独研が自主開催する時間無制限の講演会です。ただし聴衆のかたがたの健康を考え、いまは原則、4時間半としています)

吉祥寺の書店では、ぼくの身代わり?がお待ちしています。そして福岡で会いましょう!

2013年10月18日 | Weblog


▼今週の「水曜アンカー」の生放送のあと、「もの凄く疲れていませんか」というメールや、この地味ブログへの書き込みを、ちょっとびっくりするぐらい沢山いただきました。

 正直…その通りです。
 そして、ま、大丈夫です。
 単に超ハードスケジュールのせいですから、新しい問題があるわけではありません。ご心配なく。


▼たとえば、きのう木曜日のニッポン放送「ザ・ボイス」の生放送の前も、都内の芝公園の近くで講演、そして1時間半の生放送が終わると、ニッポン放送のある有楽町から、すぐにちょっと距離のある吉祥寺へ向かって講演。
 そしてこの日の朝一番から昼までは、小説新作をめぐって編集者とぎりぎり、突っ込んだ議論と、打ち合わせでした。

 そもそも寝る時間がほとんどないままに朝を迎えてから、このスケジュールですから、多少は疲れがたまります。
 独研(独立総合研究所)は、青山千春博士が自然科学部長に兼ねて総務部長代理を務めるようになってから、ぼくのスケジュールが一段と凄まじくなりましたね。ふはは。

 なにせ、すべてをありのままに記している「海と女とメタンハイドレート」、「希望の現場 メタンハイドレート」(ワニブックス)でも、「うちの社長は永遠に壊れないと思っています」という趣旨を、青山千春博士が平然と書いちゃっているぐらいですから。(ただし原文はもう少し和らげて書いてアリマス)

 いずれにしても、心配ご無用です。
 死生は天に預けています。


▼さて、きのうの吉祥寺での講演(そしてパネルディスカッション)は、武蔵野青年会議所の諸君の志に応えるためにおこないました。
 終わるともう、夜9時半になっていましたが、書店のみなさんが「ぼくらの祖国」(扶桑社)をはじめ、ぼくの書をたくさん持ってきてくださっていましたから、そこでミニ・サイン会を開いて、10時まで、かなりの方々と堅く握手しつつ、こころを込めてサインしました。

 この吉祥寺の書店のためにも、胸いっぱいの気持ちとともにサインしました。
 パルコブックセンター吉祥寺店です。
「ぼくらの祖国」、そして「希望の現場 メタンハイドレート」、「海と女とメタンハイドレート」をそれぞれ3冊づつ、合計9冊にサインしました。
 今日から店頭に並んでいると思います。
 電話番号は、0422-21-8122です。
 ご関心のかたは、お早めに電話して取り置きしておいてもらうか、店に行かれる方が良いとは思います。
 サインした本はどこの書店でもすぐに、出てしまうようですから。


▼明日は福岡へ飛んで、まずは午後1時から、福岡タワー2階ホールでRKB毎日放送の「ラジオ祭り」に参加してトークショーです。
 よろしければ、お出でください。
、そして午後6時から、福岡市内のライブハウスでトーク&ライブです。ただし、これはインディペンデント・クラブ(IDC)会員限定です。
 福岡に泊まり、あさって午後2時からは福岡で初めての「独立講演会」、すなわち自主開催の講演会です。
 原則4時間半、いつもよりは時間制限のない講演、いや対話になります。

驚きの、そくほー(速報) その2

2013年10月13日 | Weblog

▼いまは10月13日の日曜、午前2時を過ぎました。
 眠い、強烈に眠い。
 もう眼があまり開かない感じです。

 でも、ちょっと速報しておきましょう。深い感謝の速報です。


▼きのう10月12日土曜の梅田でのサイン会も、あとからあとから人が集まられ、出版社の社長さんも、ブックファースト梅田店のスタッフのみなさんも、そしてもちろん、ぼくも青山千春博士も驚きました。

 サイン会の対象の本は、「希望の現場 メタンハイドレート」、「海と女とメタンハイドレート」(いずれも青山千春博士との共著/ワニブックス)、それに「ぼくらの祖国」(扶桑社)でした。
 この3冊のどれかを、ブックファースト梅田店で購入されれば、サイン会に参加できる整理券が渡される仕組みですね。
 そういう仕組みになっているということは、正直、サイン会の途中に店内に流れる放送で知りました。
 ぼくとしては、どのような形でも、自著にはサインします。

 驚いたのは、集まってこられる人の多さだけではなく、3冊全部を購入されて、ぼくらの前に来てくださるひとが多いこと、そしてお友だちや親戚、家族にプレゼントするために、もっと購入されているひとの多いこと、さらには、とっくに買ってしまって読んでいるのに、このサイン会のために重ねて買われたかたの多いこと、いずれも驚きでした。

 この3冊に加えて、ぼくのすこし以前の本、たとえば「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」あるいは「日中の興亡」(いずれもPHP)を一緒に携えてこられたかたも、何人かいらっしゃいましたが、すべてサインしました。

 サインに加えて、短くても言葉を交わし、堅く握手し、希望のかたには写真を一緒に撮り、さらに希望のかたにはしっかりとハグをする。
 この時間は、もはやぼくにとっても、特別な時間です。
 青山千春博士は、前にも述べたように、ほんとうは一人っ子の人見知りで、初対面だと相手の目も顔も見られないから、こういうイベントは苦手なはずですが、かなり愉しげでした。
 まさしく、みなさんのあったかい、まなざしのおかげです。


▼実は、昨日はたいへんなこともありました。
 サイン会の終盤、同席している出版社の社長さんや書店のスタッフのみなさんの顔色が変わって、一生懸命になにか相談しています。
 参加されるかたが、想定を超えて、どんどん増えているので、時間が予定通りに終わらないためです。

 ぼくは、サイン会のあと、神戸で講演が予定されていたので、それは重大事態です。
 講演に遅れることは、決してあってはなりません。
 しかし一方で、せっかく並んでいるかたがたに、まさか帰って頂くわけにはいきません。

 ぼくも青山千春博士も、そんなことになっているとは露(つゆ)知らず、きっちり時間に間に合わせるつもりでサインを続けていると、出版社の社長さんから「並んでいる方が多すぎて、まだまだ時間がかかる」と知らされたのです。
 しかし、手を抜くことは絶対にしないので、それまでと同じように、サインだけではなく、握手も、短い会話も、写真も、ハグも続け、そして全力疾走で、待機していた車に急ぎました。

 しかし高速に入る前に、もはや間に合わないと分かり、講演会場のホテルに電話し、主催者のかたに何とか繋いでもらいました。
 深くお詫びしつつ事情を話すと、主催者のかたは、ぼくの講演のあとに予定されていた行事を先に済ませるように動いてくださり、そのおかげで、講演を予定時刻の30分後に始めることができました。

 だけども、たいへんなご迷惑をかけました。痛恨事です。
 そして、お詫びから始まる講演には、とても辛いものがあります。
 遅れた理由をありのままにお話をし、しかし、伝えるべきは伝えねばなりませんから、こころを励まして、いつものように、つたないながらに懸命に話しました。
 きょうは、医療関係のかたがたの集まりでしたが、ぼくが延長して話すのもじっと聴いてくださり、ありがたく思いました。
 最後の方は完全に声が枯れてしまって、お耳に障ったのではないかとも思います。


▼そのあと、同じ神戸市内の勤労市民会館に移り、定食屋さんで素早く食事をとったあと、神戸市内の20大学の学生諸君の主催による、神戸市長選挙に向けた討論会に参加し、司会役、そして候補者のかたがたへの質問者役を務めました。
 声が枯れて潰れてしまったことが、ちょっと気がかりだったのですが、なぜか討論会が始まるまでに、声は元に戻りました。
 特に何もしていないんだけどな。
 ごはんを食べる時間がどうにか、あったからかなぁ。

 討論会は、市民のかたがたも、かなり来場されて、メディアの取材もたくさん入っていました。
 4人の候補者に平等に、公正に討論会を運ぶこと、それでいて白熱の討論会へ盛りあげ、候補者全員の人格と本音がしっかり有権者に分かること、それを実現しようと、ぼくなりに努めました。

 すくなくとも、政治への意思表示をしようとする学生諸君の熱い志は、市民にも、候補者たち自身にも伝わったのではないかと思います。
 神戸生まれのぼくとしては、たいせつな務めでした。

 この討論会を予定時間内に終えて、猛然と、新幹線の駅へダッシュです。
 なんとか終電に乗れて、深夜に、東京に帰ってきました。
 つ、つ、つかれた。


▼そしてね…みなさん、信じがたいでしょうが、きょうの夜が明けると、サーキットへ向かいます。
 せっかくモータースポーツに復帰したのに、すさまじい忙しさで、またしても遠ざかっていたのですが、今朝からサーキットにも戻ります。
 ただ、午後にはすぐ帰京して、仕事、仕事、仕事です。

 12日深夜に帰宅すると、英国のレーシングクラブから会報が届いていました。
 そのなかに、サーキットを走る日を「a day in the life」(まさしく人生の一日)と表現していて、深く頷いたのでした。

 同時に、頭の芯はいま、小説新作の改稿でいっぱいなのです。
 編集者と協力しつつ、改稿をさらに進めています。
 今夜、眠くても、辛くても、その小説改稿をめぐって、たいせつなインスピレーションがありました。

 ぼくの命はすべて、天に捧げています。
 天の用意なさる場のままに、謙虚に、ありとあらゆる行動を、実は(意外でしょうが)ただ淡々と、続けていきます。

驚きの、そくほー

2013年10月12日 | Weblog

▼いま10月12日土曜の午前4時5分。
 きのうは東京からまず大阪に入り、税理士さんたちと生保関係者の集まりで講演してから、京都へ。

「講演を延長したらサイン会に間に合わなくなります」と、独研(独立総合研究所)の秘書室から言われていたけど、「ぼくは毎日講演していても、お聴きになるかたは、生身のぼくの話を目と耳にするのが生涯これが最初で最後かもしれない」といつもと同じように考え、延長してしまったために、サイン会場への到着が超ぎりぎりになりました。
 そして.講演で声を枯らして懸命に話したので、ノドも超がらがら。
 すでに声帯に炎症を起こしていて病院にも通っているので、いくらかノドが可哀相だった…。

 エレベーターが来なくて、6階までエスカレーターを駆け上がり、いくぶん遅れ気味でサイン会場に走り込んでいくと、す、すごい人の列。
(お待たせしたみなさん、申し訳ありません)
 あたたかく拍手して迎えてくださったみなさんは、「史上最大の人出」(アバンティブックセンター京都店の店員さん)。
 さらに、おひとりで何冊も求めてくださったひとが多くて、「本の数も史上最高」(同)ということでした。

 平日金曜の午後5時から、という無理な時間設定だったのに、みなさん、こころからありがとうございました。
 手伝ってくれた出版社の社長さんも、一緒にサインした青山千春博士も、驚いていました。

 
▼握手だけじゃなく、ハグも、これまでで一番多かったかな。
 青山千春博士の史上初めてのハグもありました。ぼくのハグは男女を問わないけど、青山千春博士本人がその場で「女性だけです」と宣言していました。
「海と女とメタンハイドレート」(ワニブックス)にも書いたけど、ほんとうの青山千春博士は一人っ子で人見知りで、初対面の相手には顔も上げられない人なので、よくもまぁ、ハグができたなぁ、えらい、えらいと思いました。

 ぼくはそのあと、福岡でのライブに向けて、ギタリスト、ベーシストと京都市内で、初の音合わせに、練習を2時間。
 おふたりとも、独研の会員制クラブ「インディペンデント・クラブ」(IDC)にたまたまいらっしゃった、プロのミュージシャンです。
 がらがらのノドで、ちと苦闘しました。


▼以上、京都サイン会の速報でありました。
 今日は、あと7時間もしないで、午前11時から大阪梅田でサイン会です。詳しいことはここです。
 午後2時頃まで続けます。会場のブックファースト梅田店にお出でになるのが遅くなっても大丈夫です。

(*10月26日土曜の東京・八重洲ブックセンターでのサイン会は、募集から1日でほぼ満員になったようです。そこで予定人数を拡大してくださっているようですが、会場のキャパシティには限界があります。それでも関心のあるかたは、これを前提にお問い合わせくださいね) 


★★
 今日12日土曜は、梅田のサイン会のあと、神戸で講演し、さらに夜6時から、神戸市勤労会館で開かれる「神戸若者討論会」に、参加します。
 これは神戸市長選挙に向けて、学生たちが投票率を高めるためにひらく、新しい試みです。
 ぼくは、学生たちのその志を活かしたいと思って、日程としては無理があっても参加を決めました。
 立候補予定者がすべて揃い、ぼくはそのディスカッションの司会進行役を務める予定と聞いています。
 詳しいことは、ここにあります。
 関心のあるかたは、どうぞ!


核保有の権限も、自衛としての核使用の権限も日本にあります。その上で持つか持たないかです。

2013年10月11日 | Weblog


▼岸田外相が記者会見で、国連が発表する予定の「核兵器不使用」声明について、署名する方針を初めて示唆したという報道があります。
 ぼくは、この署名に真っ向、反対です。

 日本は、核の保有も、自衛権の一部としての核使用も、いずれの権限も保有し続ける上で、核開発をするかしないかを、議論すべきです。
 ぼく自身は、現在の日本が核を開発することに反対を表明しています。
 そして同時に、前述の権利は断固、持たねばならないとも表明しています。唯一の被爆国として、また主権国家として、それが公正なことです。

 ぼくが電話で総理側近に強く抗議したところ、「今回の声明の文言は、日本の意見を入れてくれて、抽象的なものに変わる見通しになった。日本に核保有の権限があるという政府方針そのものは変わらないんだから」という弁明でしたが、間違っています。


▼安倍政権の本音は「アベは右翼だという中韓の工作に対抗するために、あらゆる機会を捉えて平和希求の姿勢を強調しておきたい」というところにあると思います。
 それでは、国家百年の計を誤ります。
 アジアの平和と正義も見失います。

ドン・ウォーリーです (Don't worry,please.)  *追記しました

2013年10月11日 | Weblog
敬愛するみなみなさま

 思いがけないほどの、沢山の書き込みをありがとうございます。
 いま東京は小雨に煙る夜明けです。

 ぼくは弱気になったり、強気になったりはしません。
 意外かもしれませんが、胸の内はいつも淡々と生きています。
 弱気と強気のあいだを揺れることはありません。

 気は強いです。
 こどもの頃から。
 
 意志は弱いです。
 こどもの頃から、たとえば毎晩、決心しないと寝る前に歯を磨けませんでした。ふひ。
 怠け者で、こういう細かいことがなかなかできません。

 しかし気が弱くなったことは、ははは、この半生でただの一度もありませぬ。

 この下のエントリーで「ぼくの発信など、その程度のことです」と記したら「すこし弱気になってませんか.心配です」という趣旨の、こころのあたたかな書き込みをかなり沢山、予想外にも、いただいたのです。
 上記のように、それは違います。
 ほんとうは、ぼくはいつも、前々から「ぼくの発信など、この程度のことである」と胸の奥深くで、考えています。




*まもなく東京を出発して、まずは大阪に入り、伝えるべきを伝えるために、講演します。
 そして京都に移動し、17時から20時頃まで、サイン会です。みなさんの眼を見て、言葉を交わし、堅く握手し、希望のかたには男女を問わず、ぎゅう~とハグします。
 会場のアバンティブックセンター京都店は、これまでもずっと、ぼくの本が出るたびに、サイン会を開いてくれています。最初は「日中の興亡」(PHP)だったと思います。大好きな本屋さんです。

 サイン会は20時までならいつ、お出でになっても大丈夫です。終了間際でも、問題なし。仕事や夕食が終わった帰りに立ち寄ってみてください。

 今日は実は、そのあと、福岡でよく知られたライブハウスを会場に、10月19日土曜に開く「トーク&弾き語りライブ」の初練習をします。
 これは独研(独立総合研究所)の会員制クラブ、インディペンデント・クラブ(IDC)会員限定のライブですが、なんと、そのIDC会員にたまたまいらっしゃるプロのギタリストとプロのベーシストがセッション初参加してくれます。
 この「ライブ・チーム」がうまく育っていけば、ひょっとして、一般対象にトーク&ライブの会を開く日が来るかも知れません。
 今のところはまだ、ライブはトークのおまけです。

 そして今日は大阪に泊まり、あす12日土曜午前11時から梅田のブックファースト梅田店で開くサイン会に備えます。
 こちらも、午後2時が終了予定ですから、それまでなら何時に来られても大丈夫です。この本屋さんも、雰囲気が大好きです。

(※詳しいことは、京都がここと、ここ、大阪梅田がここです)

もう一回、生放送中ですが…

2013年10月10日 | Weblog
…これも出版社の緊急連絡によると、あす11日金曜午後5時からの京都のサイン会に参加なさるかたが、かなりいらっしゃるのですが、それでも、これまでの数からは意外なほど少ないそうです。
 その翌日12日土曜の梅田のサイン会は、もういっぱいだそうですので、「明らかに金曜の夜だから、が理由です」(出版社の社長)

 これは、ぼくの不徳そのものですね。
 日の設定がどうのじゃなく、金曜の夜というだけで、あまり人がいらっしゃらない。
 それは、「水曜アンカー」も、お相撲が始まると途端に、視るひとが少なくなるのと同じです。
 すなわち、ぼくの発信など、その程度のことです。

 ただ京都は、金曜の夕方5時からといっても8時ぐらいまでやっていると思いますから、仕事を終わられたり、一杯飲みついでにとか、大丈夫じゃないかなとも思います。

 それじゃ行ってみようとお考えのかたは、来てください!
 そのかたがたは、ぼくと、青山千春博士と、独研(独立総合研究所)の宝物です。


*京都の情報はここと、ここです。
 大阪の情報は、ここです。

ひとつひとつが最後のものとして (*ポスター左下に30日とあるのは26日の間違いです)

2013年10月10日 | Weblog
*下掲は、八重洲ブックセンターから提供されたポスターです



▼ゆうべは、ぼくにとって、心苦しい夜が過ぎました。
 きのうの「水曜アンカー」から「これが最後の放送になってもいい」という覚悟で生放送に参加しました。それが空回りして、話しぶりが不充分だったと考えるからです。
 きょうのニッポン放送「ザ・ボイス」のラジオ生放送では、いくらかマシに、みなさんに伝えられるのではないかと思います。時間の制限が、楽だからです。

 テレビの生放送で、いちばん困難なことは、時間との闘いです。
 タレントなら、あるいは評論家なら、さらには生業(なりわい)としてのテレビコメンテーターなら、ほかにさまざまな制約があるでしょうが、ぼくは実務の現場から発信しているだけですから、発言内容には制約を受けません。
 あるのは、時間の制約という、誰も決して逃れられない永遠の制約です。

 きのうは特に、生放送の直前になって「体験話というのは長くなるから…(長く話すのをやめてくれ)」というプレッシャーを掛けられたので、やりにくかった。
 すべて自費でアメリカ・ハワイ州オアフ島まで情報収集に行ったのを「体験話」と表現するのも、どうかと思う。それに、味方に圧力をかけるようなことは、たとえばチームプレイのスポーツでは、もっともやってはならないことだ。
 チームプレイでなくても、個人競技のアルペンスキーを例にとれば、スタート前に練習でいいタイムを出していた選手にチームメイトが「練習がいいと本番は悪いんだよ」と耳元で言って、ぼくがそのスターティングゾーンでたまたま近くに居たら、そのチームメイトをレースのあと、ぶっ飛ばすと思う。
 コーチや監督が、その選手の個性を見ながら「練習で良すぎて滑りが荒くならないように」などとアドバイスするのとは、わけが違う。

 しかし何があろうが、結果について全責任を負うのは、ぼくであって、おのれで「不充分にしか話せなかった」と思うのなら、それは時間がないせいでも、ましてや他人のせいでもなく、一切が、おのれの責任です。


▼「ザ・ボイス」では、上記のようなことは起きたことがない。
 ぼくにとっては、とてもリラックスできる発信の場です。

 ただ、そもそもテレビは時間の制約が難しいと思います。
 絵、画像を出さねばならないから、それぞれのコーナーの持ち時間を柔軟に変えることができない。
 テレビというメディアは、画像で成り立っているのだから、そこに自分の意思で参加する以上は、参加者はぼくも含めて、その仕組みとうまく付き合う責任があります。

 ラジオは実は、時間管理の細かさでは、テレビ以上です。
「ザ・ボイス」でも他のラジオ番組でも、目の前に秒単位のデジタルの時刻表示があって、アナウンサーだけじゃなく、番組参加者自身がその秒を見ながら、話し出したり、話し終えたりせねばなりません。
 しかし、絵がないので、予定時間を延ばしたり縮めたりが、かなり可能です。


▼そのうえで、きのう「水曜アンカー」で取りあげた「中国によるアメリカ軍への浸透工作の深刻さ」というテーマは、いずれにせよマスメディアでは、なかなか話し切れないのも事実です。

*宣伝というのではなく、こうしたことに関心が強いかたは、独研(独立総合研究所)がクローズドの完全会員制で配信しているレポートをご覧ください。
 上記の件についてのレポートはまだ配信していませんが、1週間以内に、もっとも深い内容で配信することになります。関心のあるかただけ、独研の公式HPのここを見てみてください。


▼きのうのアンカーは、その前日に大阪の伝統ある中之島公会堂で講演をおこなってから、参加しました。
 台風を警戒して、予定より早い飛行機に乗り、講演開始時間のずっと前に会場に着いてしまったのですが、すでに、あとからあとから沢山の人が会場に詰めかけているところに遭遇し、驚きました。

 ぼくに気づいたひとは、どの人もどの人も「水曜アンカー必ず見てます」、「水曜は仕事を休んで見てるんです」(!)、「アンカーを辞めないでね」と、アンカーに触れて声を掛けてくださいます。
 水曜アンカーに、ぼく自身も育ててもらいました。
 この天がくださった機会を、しっかりと活かして、みなさんと一緒に考える意義の深さは、ぼくもよぉく理解しています。


▼さて、チームワークと言えば、ぼくの身近に、まさしくチームワークに徹している人材がいます。
 それは、独研・総務部の秘書室第2課に属しているYO秘書、25歳です。
 秘書室は第1課が日程担当、第2課が、社長同行担当です。と言っても、それぞれひとりづつしか居ませんが、ふたりとも体育会系です。
 1課は女子の体育短大を出て、もとはプロのダンサーだった変わり種。
 そして2課は、大学は法学部ですが、チームプレイのスポーツをずっとやってきた女性。チームプレイのスポーツを本気でやったひとは、やっぱり仕事でもチームワークがしっかりしていますね。

 この秘書室第2課のYO秘書は、同行担当ですから、文字通りずっと国内ではぼくと行動を共にしています。
 英語の勉強も短期留学も含めてしてきていて、大学を卒業するときに学業の優秀賞も受けていますが、海外出張に同行にするにはまだ、英語力も含めて足りないところがあると思われるので、今のところは国内同行専門です。
 きのう「水曜アンカー」が終わって、伊丹空港に向かっているタクシーの車中で「社長、空港の本屋さんに寄っていきましょう」と言います。
 ぼくは、いつものとおり無茶な強行日程の海外出張から帰国してすぐ、講演やアンカーだったので、ちょっとぐったりしていたのですが、いい意味で、それはお構いなし。
 ぼくの原始人体質を良く理解していて、変に身体を気遣うより、やるべきをさっさとやってもらった方が結局はぼくのためになることを、この秘書さんは、よく分かっています。

 ちなみに大阪出身、ぼくは「ヤング大阪おばちゃん」と呼んでいます。
 本人がきのう、「社長のブログでわたしは最近、YO秘書になっていますが、あれって、ヤング大阪おばちゃんの略かと思ってしまいました」。
 ふはは。
 そうじゃなくて名前のイニシャルなのですが、確かに、真の名前?とも一致している。
 ぼくは、大阪のおばちゃんが大好きです。だって正直で、分かりやすいから。

 そしてYO秘書が言ったのは、「きょうはフライトまでにすこしだけ余裕があるから、伊丹空港の書店スカイブックに寄って、サインしてあげてください」という意味なんです。
 そう、前に、意欲ある若い店員さんたちに約束していたので、早く実行すべきです。


▼そこで、懸命にサインしてきました。例によって飛行機はもう、羽をバタバタさせていました。(うそ)
 サインした本があるのは、次の2店です。

▽スカイブック大阪空港店
(伊丹空港ターミナルビルのANAとJALの中間1階にあり、飛行機に乗らなくても誰でも入れます。モノレールの駅からすぐです)
 電話(06-6856-6647)すれば取り置きも確実にやってくれます。親切な本屋さんです。
 きのうサインしたのは、以下の通りです。

・思いがけずロングセラー(16刷)になっている根本の書、「ぼくらの祖国」(扶桑社)が2冊

・青山千春博士との共著その1/ゴーゴー・イケイケ版
「希望の現場 メタンハイドレート」(ワニブックス)が6冊

・青山千春博士との共著その2/わはは版
「海と女とメタンハイドレート」(ワニブックス)が2冊

・ぼくにとって、いずれもたいせつな問題提起の書
「救国 超経済外交のススメ」(PHP)が1冊
「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」(PHP)が1冊
「日中の興亡」(PHP)が1冊

・いずれも友情の共著
「青山繁晴、反逆の名医と日本の歯を問う」(ワニブックス/ネットの動画特典付き)が1冊
「アベノミクスが激論で解けた!」(小学館)が1冊

▽スカイブック北店
(JALの17番搭乗口の前)
 ここも電話(06-6856-6683)すれば、必ず取り置いておいてくれます。店員さんは、優しくて意欲的です。

・「海と女とメタンハイドレート」(ワニブックス)がなんと、20冊。


▼サイン会も今後、「これで最後かもしれない」という姿勢でやることは、前のエントリーで述べました。
 その最初になる京都が、あす11日金曜の夕方です。
 次が、12日土曜の梅田です。午前11時からです。
 これらの情報は…ここと、ここと、ここです)

 そして今日から、東京でのサイン会の告知も解禁になりました。
 これは、講演会&サイン会です。
 京都や梅田でも、時間の許す範囲ですこしお話をしようと思っていますが、東京は、はっきり講演会のあとにサイン会です。

 八重洲ブックセンターで、10月26日土曜日の午後5時からです。
 会場が広くはなくて、100名で〆切になってしまいますから、関心のあるかたは、その前にどうぞ。HPはここです。


▼…と、ここまで書いてアップしようとしたら、Nさんという男性のかたから、次のようなコメントをちょうど頂きました。

「つい先ほど伊丹に降り立ち、書店にたちよってみましたところ、ありました!青山さんのサイン本!11日には京都で2冊目のぼくそこを受け取って、サインをいただくことになっていますが、きょうは希望の現場を購入させていただき、全部サイン本への入れ替え作戦開始です」(コメントの前半/原文のまま)

 ふぇー、ありがとうございます。
 Nさんはきっと、ぼくの以前の書き込みを見て、伊丹空港でスカイブックのどれかの店舗に立ち寄って頂いたと思います。
 実は、その書き込みの時のサイン本はすべて、売れてしまっていて、Nさんが手にされたのは、ちょうど昨日に新しくサインしたばかりの分です。
 よかったです、がっかりさせなくて済みました。

ちいさな覚悟

2013年10月09日 | Weblog


▼いま台風の気配の残る大阪にいます。
 まもなく、いつものように関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー水曜日」の生放送に参加します。
 ぼくは、ささやかな決心をしています。
 きょうから、「きょうが最後の放送になってもいいように、語るべきを語ろう」と。

 番組そのものは、これからも、しっかりと続いていきます。
 メインキャスターのひとりは、ヤマヒロさん(山本浩之アナ)から岡安ちゃん(岡安譲アナ)に代わり、新しい息吹をもって、そして変わらない志を持って続きます。
 ぼくは社交辞令は申しませぬ。アンカーは「キー局任せにしないで、自力で、自律して、ほんものの報道番組をやろう」という関西テレビの記者やドキュメンタリーづくりのスペシャリストたちが立ち上げた番組です。
 それに、メインキャスターのもうひとり村西利恵ちゃん(村西利恵アナ)は、さらにもっと個性を発揮して、女性キャスター像の新鮮な姿をつくれる人材です。

 ぼくが携わってきた「青山のニュースDEズバリ」は今日が、361回目です。
 長く続くのは良いことですが、マンネリになるのは、いけません。
 ぼくにはもっと覚悟が必要です。


▼念のためですが、関西テレビというテレビ局から一切、何の話もありません。
 だから、関テレに問い合わせをなさるのは、違います。
 誤解はしないでくださいね。問い合わせは、なさらないでください。しても意味がありません。関テレのスタッフたちは、きょうも頑張っています。

 あくまでも、ぼくなりの生きざまの問題です。
 実は、今までもとっくにそうでした。最初の放送から、そうでした。
 しかし今日からはさらに、「いつ終わってもいい」という覚悟でやります。


▼たとえば、サイン会も、同じです。
 ぼくにとってサイン会とは、「みなさんのお名前をまず大書し、すこしちいさくぼくのサインをしたため、みなさんと握手し、希望のかたにはハグする」という、たいせつな機会です。
 しかしこれも、11日の京都、12日の梅田からは「これが最後でもいい」という覚悟で、やります。


▼今夕のアンカーでは、画面越しに、会いましょう。
 そして10月11日金曜の17時からアバンティブックセンター京都店でのサイン会、10月12日土曜の11時からブックファースト梅田店でのサイン会では、あなたの手に触れて、会いましょう。
 いつかお別れする前に、会いましょう。


*アバンティブックセンター京都のHPはここです。
 フェイスブックの告知は、ここです。
 ブックファースト梅田店のHPの告知は、ここです。

遊んでこそ、にんげん

2013年10月07日 | Weblog



▼消耗する仕事だけをやって、あっという間に帰国するハワイだけど、帰国便に乗る日、ホノルルの朝の時間帯なら日本はまだ日曜の深夜から月曜の未明で、日米いずれも動いていないために、「社長(※ぼくです)、2時間半ほど時間がありますよ」ということになった。

 即、答えました。
「じゃ、サーフィンをやる」って。


▼なにせ、仕事の場所が海に間近いというか、たとえばアメリカ太平洋艦隊司令部だって何だって、海のすぐそばですからね。
 前後に時間を費やさずに、すぐやれる、と考えたのです。

 ちらりとは、「ジコ(事故)るかも」と思いました。
 まず、日本でもハワイでも、ほとんど寝ずに仕事を続けていて、その状態のまま、いきなり海に入ると、とても寒いだろうな、体温が奪われるだろうなということがあります。
 そして、さまざまに「するスポーツ」に下手なりにチャレンジしてきたぼくではありますが、サーフィンだけはこれまで、ただの一度もやったことがない、それどころか一度も「やろうか」と考えたこともないのです。

 ハワイでも、かつては仕事だけじゃなくて、スキューバ・ダイビングでナマコばっかりの海に驚いたり、オープンカーを借りてロング・ドライブで島々をめぐったり、それから、日本では1年に1度ぐらいしかしない下手くそなゴルフも、サンダルでOKというのでやってみたり、いろいろありましたが、サーフィンだけは近づかなかった。
 理由は、特にありません。ハワイではポピュラーすぎたからかな?

 ところが、この頃は「やってみようか」と、ほんの少し思うようになっていました。
 この変化のわけは、自分ではとても、はっきりしています。
 この頃、つまりこの年齢になってから、長年やって来たアルペン・スキーの滑りが、もの凄く良くなっていて「現役の時にこうであればナァ」と思っています。
 スキーとは、究極としては、バランスだけの競技、スポーツです。
 ハンドルもブレーキもアクセルもない、ただの板の上でバランスを取って、時速100キロを超えて急坂を突っ走るのです。
 滑りが良くなったということは、バランスが良くなったということです。
 その、ようやくにして獲得したバランス感覚を、サーフボードの上で試してみたくなっていました。


▼やる以上は、基礎からしっかり固めたい。
 だから、プロのサーファーに付きました。
 サンディエゴに生まれて、お父さんからサーフィンとスキーを教わって、ハワイでプロ・サーファーになったという、とてもとても眼のきれいな白人青年です。

 この地味ブログを読むひとにも、サーファーは少なからずいらっしゃるでしょう。
 以下は、そういう人からすれば「おいおい」という話でしょうが、あったままを書きます。間違いだらけでしょうが、かんべんしてくだされ。

 まずは砂浜に置かれたサーフ・ボードの上で腹ばいになり、ボードを両腕で漕いでいくやり方(パドリング)、そこから身体を起こしてボードの上に立つやり方を、練習します。
 ぼくは身体が柔らかいのでポンとワン・アクションで何気なく立つと、プロに「だめだめ、まずは膝をボードについてから」と厳しく言われました。
 この練習は、たった5分ぐらい。
 聞かれたのは、「今までほかにどんなスポーツをしてきた?」ということだけ。「アルペン・スキーとモータースポーツとスキューバ・ダイビング、それに乗馬ぐらいかな」と答えると、なんとなくプロ・サーファーは満足そうだった。
 んなこと言っても、実際どれぐらいやれるか分からないのにね。

 そして、いきなり、海へ。
 海岸線にごく近い当たりから、思ったより波が強い。
 そのなかで、ボードに腹這いに乗れ、と言われて、ちょい苦労する感じで、生まれて初めてボードによじ登る。
 すると、そこでやっと「泳げる?」と聞かれた。
 泳ぎは得意だけど、ここで「泳げない」と答えたら、どうなるんだろう。

 プロ・サーファーのボードと並んだり、前後しながら、せっせとパドリングして(両腕で漕いで)沖合へ。
 海岸線からかなり遠くへ、ひたすら漕いで、出る。
 この時点で、「これって、ほんとは、海に慣れてないひとや、泳ぎに自信のないひとなら、大変じゃないのかなぁ」と思うけど、プロ・サーファーは一切お構いなし。

 沖に出るにつれ、どんどん波が襲ってくるのだけど、プロ・サーファーはまだ「立て」という指示は出さない。
 内心で、「スキーでもふつう、初心者には緩斜面から滑りを教えるんだけどな、いきなり高い波でやるのかい」と思うけど、まぁ、やるっきゃない。

 そしてついに、プロ・サーファーから突如、「立て」という指示。
 よしっ、と、まず膝をついて立とうとすると、一瞬で波に呑まれてボードは吹っ飛び、水中でぐるぐるに身体を回される。
 頭から足の先まで、凶暴な力で回されながら、海がずいぶん深いことが何となく分かって、「岩に頭をぶつけたりする心配だけはなさそうだな」と考える。

 ようやく海面に顔を出して、足首に、黒いロープみたいなもので結びつけられているボードにすがりついて、よじ登ると、プロ・サーファーは「動作が遅すぎたよ」と一言だけ。

 そして次の波。
 懸命にパドリングしていると、ボードが急激に走り出した。
 波の上で加速する感覚が何となく分かる。ボードの先端が、明らかに海面より上にある。、「ここだ」と感じて、プロ・サーファーの指示を待つのも忘れて、そしてアドバイスも忘れて、膝はつかずに、さっさと自分の感覚でそのまま立つと、ボードは波の上を走る。
 

 足の下の感覚は、スキーとはもちろん違う。
 スキーは、硬いスキーブーツを履いて、そのブーツがバインディングで板にしっかり固定されている。
 だけどサーフボードは、素足で立っているだけ。

 それでも自然にスキーと同じ動作をしていた。スキーヤーによっては、あるいは斜面によっては、ブーツの中で足の指をわずかに曲げてグリップする動作をしている。素足の指でボードを掴む感じにすると、むしろスキーよりもバランスを取りやすい。
 わずかな時間、波の上を走る感覚があって、後ろから来た新しい波にひっくり返されるように、ボードから海に、頭から落ちた。

 気がつくと、プロ・サーファーと、彼の仲間らしいサーファーがふたり、ボードでぼくに寄ってきて海の上で拍手をしている。
「驚いたぜ、こいつは」、「すげぇ長く乗っていたよ」(原文は、当たり前だけどすべて英語)と口々に叫ぶ。

 まぁ、間違いなく初心者を勇気づける意味があるんだろうけど、正直、「長年のスキーも無駄じゃなかったなぁ」なんて余計なことをちらりと思った。
 スキーも何もスポーツは人間の遊び。
 無駄なことを一生懸命にやるのが、スポーツだから、おかしな感想ではあります。


▼このあと、失敗も山のようにあったけど、膝をつかない立ち方で、いっぱい波に乗る。
 たっぷり2時間、正直、へとへとだ。
 なにより「これを着て」と、サーフショップで渡された長袖のTシャツのようなウェアが濡れて、それが寒い、冷たい。
 曇り空のせいもあるだろうけど、水温は低くないのに、歯ががちがちと合わないほど寒い。

 しかし、もう新しい波にひっくかえされることもなくなり、次々に背後から来る波に乗り続けていると、横へ横へ切るように、距離が自分でも「へぇー」と思うほど、伸びる。
 最後についに波がなくなると、そのままボードに腹這いに戻る。

 これまで、映像でサーフィンを見るたび、「どんなにうまくても最後はボードから海に落ちないといけないんだ」と思っていたけど、やってみると、落ちることも多いけど、最後まで落ちないで腹這いに戻り、そのままパドリングで再び、沖合に戻れる時もあると分かった。

 プロ・サーファーが「ふつうは初心者は、なかなか立てない。立てる人でも、ボードが真っ直ぐに岸に向かうだけだ。あんたは、横へ横へ、波を切るように長く乗っていく。初めて見た。信じられないよ」と波のまにまに言う。
「スキーヤーだから?」と聞くと、「きっと、そうだよ」と答える。
 そうやって波間で話していると、また彼の先輩らしいプロ・サーファーらがボードで寄ってきて、ハイタッチの手を出す。ぱちーん。
 何度も何度も、大きな手と強烈にハイタッチ。ぱちーん、ぱちーん。
「すげえな。びっくりしたぜ。きょうはグレートマンに会ったよ」と真剣に言われた。


▼浜に上がって、ボードを返しに行くとき、プロ・サーファーが「みんなジェラシーを感じてたのが分かったかい?」と聞く。
 そんなことは何も感じなかったけど、もちろんプロ・サーファーたちのことではなく、ぼくのように初心者がかなり海に入っていたから、そのことだろうと思い、沖合をみながら歩くと、確かに、いろいろ苦労している様子だ。
 立つことができても、へっぴり腰で、すこし真っ直ぐ進むと、ボードごとひっくり返って落ちている人が多い。

 と言っても、ぼくも自分の感覚では、充分にへっぴり腰だったし、なにせ情けなく寒かったし、そしてボードで顎にヒットされるわ、頭もヒットされるわ、これが昔のように木製のボードだったら間違いなく大怪我をしていた。
 今は発泡スチロールのような感じの素材(実際は発泡ウレタンフォームやら樹脂やらの混合素材らしい。よく知りませぬ)。
 だから怪我をしなかっただけだ。

 シャワーに入ってから、独研(独立総合研究所)の研究員や青山千春博士と、次の仕事の打ち合わせを兼ねて昼ご飯を食べていたら、顎が右にずれているのに気づいた。
 わはは。
 最初に海中で全身をぐるぐる回されたあと、海中では力を抜くようにしたら、ごく自然に海面に浮上できたから、あまり意識していなかったけど、ほんとうは、そのあとも何度も激しくやられたらしい。
 ずれた顎で、巨大な皿の辛いサラダを食べているうちに思い出した。一度、ボードから真っ逆さまに落ちる時に、ボードの縁で左顎を強烈に打った。
 鼻血が出たかなと、海のなかで鼻を触ったりしたのでありました。

 今、帰りの機中でこれを書いています。そろそろ日本列島が近づいています。
 知らないあいだに、顎は元に戻りました。ふひ。


▼これで、またまた「するスポーツ」が増えてしまった。
 しかし、膝はつかなくて、ほんとうにいいのかなぁ。
 ぼくは我流では、スポーツをあまりやりたくない。スキー、レーシング・ドライブ、スキューバ・ダイビング、乗馬…すべて正式な訓練を受けてきました。
 サーフィンは、これからもやります。
 だから、またしっかりとプロに教わりたい。

 今回のことは、ただのビギナーズ・ラック(初心者ゆえの幸運)。
 と同時に、「おのれなりの感覚、個性」もスポーツには大切だなぁ、とあらためて感じました。

 それにしても、波乗り、サーフィンは、人間は遊ぶ動物であり、遊ぶからこそ人間になったということを、愉しく実感しました。
 これがいちばんの「ラック」ですね。

 さぁ、日本へ帰るとすぐに京都、大阪のサイン会だぁ。

祈りと意思の日

2013年10月06日 | Weblog


▼この地味ブログに来てくださるかたなら、多くがご存じのように、10月5日はわたしたちの横田めぐみさんの誕生日です。
 13歳で誘拐され、ついに49歳になられました。
 たいへんに数多くの拉致被害者がいらっしゃいますから、ほぼ一年中、実は、たいせつな誕生日が訪れています。
 たとえば有本恵子さんの誕生日は、1960年の1月12日です。1月から12月まで、誕生日がずっと埋めるほど沢山の日本国民が北朝鮮ごときに誘拐されたままです。
 したがって、これまで、この10月5日だけを述べることをしませんでしたが、滋さんと早紀江さんの胸のうちを思うと、どうしても書かないわけにいきませんでした。

 この内閣は本気で、最後のひとりまで取り返そうとはしています。
 主役は、われら国民の意思です。


*さきほど、ホノルル時間の10月5日夕刻に、小説の新作は改稿をいったん、完了しました。
 400字詰め原稿用紙で205枚の1行、1行に、すべてを込めました。

 改稿が遅れたので、年内の文芸誌掲載になるかどうかは、今はまだ分かりません。
 しかしいずれにせよ、遅かれ早かれ、みなさんの目に触れる時は来ます。

 まことに勝手ながら、めぐみさん、めぐみちゃんの誕生日と重なり、さまざまな感慨を持ちます。
 文学とは祈りと、世界への意思です。