Our World Time

すこしづつ…

2005年07月23日 | Weblog
…みなさんの書き込みにお返事していきます。

 新しくいただいたものからお返事するか、以前にいただいたものが先が考えましたが、申し訳ない、新しいものからお応えしていきます。

 書き込んでくださったかたは、どうぞ、ご自分の書き込みのところを時々、ご覧になってみてください。
 と言っても、たいしたお返事はできませんが、書き込んでいただいたかたの、そのさまざまなお気持ちは、ぼくの心のうちでしっかりと噛みしめています。




沖縄 ~辺野古の海~

2005年07月22日 | Weblog



▼写真は、沖縄本島・北部の辺野古(へのこ)の海を望む浜辺です。
 南部の普天間にあるアメリカ海兵隊の基地を、移転するために、この海に巨大な埋め立て基地を造るという日米合意があります。

 ぼくは、利害関係のない専門家として、この合意に正面から反対です。
 と言うより、もはや実現の可能性はありません。

 海兵隊のヘリコプター基地を、海の真ん中に造ったりしたら、そのヘリをずっと真水で洗わないと怖くてヘリ・パイロットは飛べません。兵も乗れません。
 どんどん錆びていきますからね。

 その真水をどっから持ってくるのですか。
 洗った後の水を、この海へ、じゃあじゃあ流し続けるのですか。

 いったい、こんなバカな案を誰がひねり出したのか。
 賛成、反対を言うまでもなく、不可能な話です。
 これを画期的な合意と称した橋本龍太郎首相(当時)の責任は重いと思います。


▼辺野古を訪れて、携帯電話でこの写真を撮ったのは、7月17日・日曜でした。
 台風が迫ってきていたので、浜辺で座り込みを続けている反対派のひとびとは、テントをたたむ作業をしている最中でした。

 アメリカ軍も実は、こんな計画はもはや「たたみたい」と思っているのです。
 日本政府は、形だけの調査を強行することなどさっさとやめて、ほんとうは普天間基地をどうするのか、どこへ移転ないし統合するのか、正直な議論を始めるべきでしょう。
 嘘は、やめなさい。
 こんな嘘はむしろ、日米同盟を危うくもします。



沖縄、東京、そしてロンドン

2005年07月22日 | Weblog



▼7月15日の金曜に、巨大台風の近づく沖縄で、青年会議所(JC)主催の『島から安全保障を考える』という新しい視点のフォーラムに、JC沖縄地区会長や沖縄県の副知事と出席し、17日の日曜深夜に帰京。
 数時間後の18日・月曜朝には大阪へ向かい、火曜にふたたび帰京。

 帰京すると、エネルギー・インフラをテロリズムから護る独立総研の研究プロジェクトのために、研究員たちと、実力部隊をもつ政府機関(複数)や、公共事業体をたくさん、ぐるぐると回って、ずいぶんな数の当局者や事業体幹部と、内心で気力をふりしぼって議論し、突っ込んで打ち合わせを重ねた。
 政府機関や公共事業体は、それぞれが複雑に異なる主張と利害を持っているから、それを調整しつつ物事を前へ進めるのは、つまりは神経戦の一種だ。
 心身を集中させて臨まないと、なにも進まない。

 ましてや独立総研は、徒手空拳の純然たる民間シンクタンクで、特権も権限も一切ないなかで国民の立場からテロ対策と取り組んでいるのだから。

 それをしながら同時進行で、タクシーのなかや、役所のロビーやらで締め切りのきた原稿を書き、モバイルで送稿し、さらにはPHP発行の論壇誌『VOICE』の連載コラムのゲラを直し、21日の木曜夕刻には、もう正直、ほんとうにグッタリになっていた。
 こころのなかは「はい、とりあえず任務完了、さよーならー」という感じだった。
 ふひ。

 それでも、独立総研・本社で全体ミーティングをやり、みんなの志気、戦意を一つにすること、高めることに努めた。
 シンクタンクである独立総研は、株式会社だ。それは自立を保つためであって、目指すものは、わたしたちの社会、祖国、世界の改革への貢献だから、志気と戦意がなによりも大切になる。


▼ミーティングのあと、もうこの疲れからすると帰宅しなきゃ、帰宅しなきゃと思いつつ仕事を整理していると、ロンドンでテロが再び起きたらしいという第一報。

 研究員は全員、帰宅させたけど、イギリスやアメリカとの時差もあって、ぼくはそのまま社長室で徹夜で情報収集となった。

 そして今朝、22日の朝は、まずまず元気。
 これからロンドンの真実を探りつつ、独立総研が会員へ配信している「東京コンフィデンシャル・レポート」を執筆する。



☆写真は、やんばる(沖縄本島の北部のこと)で撮った、台風の風に揺れるハイビスカスです。
 琉球芭蕉の葉のなかで、光をうけとめて毅然と美しく咲いています。

 沖縄で撮った携帯電話の画像を、このあと何枚かアップします。



ぼくの好きなデンマーク。しかし中東の諸国も大好きなのです。

2005年07月12日 | Weblog



▼このサイトを訪ねてくれるかたなら、もう想像はついていると思うけど、ロンドン・テロの発生でウルトラのうえにウルトラがつく過密スケジュールになっています。

 だけど、テロで手足を突然にもがれた被害者、ただ一回きりの命を奪われ過密スケジュールも何も無縁となってしまったひとびとがいるのです。
 疲労は深いけど、忙しいとか忙しくないとか、そういう言葉は、あまり頭に浮かびません。


▼きょうの画像は、ロンドン・テロで最初に出された犯行声明のなかで次のターゲットとして真っ先に名指しされたデンマークの、首都コペンハーゲンを流れる美しい運河です。
 これも5月に出張したときの撮影です。

 デンマークは、日本では「風力発電の穏やかな国」というイメージですね。
 それも間違いではありません。
 ただ、ぼくは数年前に最初に出張で訪れたとき、デンマーク政府の高官から「湾岸戦争でも陸兵だけじゃなく、戦闘機も潜水艦も出しました。だからイスラーム原理主義には狙われていると思うので、テロリズムには厳しく備えたい」という言葉を聞きました。


 

淡い海

2005年07月03日 | Weblog



▼いま7月3日の日曜、午後3時半。横浜のベイ・ブリッジが見えるホテル28階のバー・ラウンジにいます。
 ベイ・ブリッジは霞のなかに沈んでいて、海は、淡い灰色です。

 サンデー・プロジェクト(テレビ朝日系列)に生出演して、そのあと田原総一朗さんたちと昼食をとり、そこから真っ直ぐ、ここ横浜に来ました。
 午後5時から、このホテルで講演です。


▼サンプロは久しぶりだったけど、ぼくの出るコーナーはいちばん最後で、その前のコーナーが教科書問題をめぐって激しく盛りあがったので、かなり時間がなくなった。
 それは生放送として、ごく自然なことで、むしろ当然のことなんだから、短い時間のなかでもっと的確に国民に訴えるべき、伝えるべきを言えたら良かったのにナァ、とまた反省しきり。

 きょうは、サマーワで自衛隊車列がIED(手製爆弾)で襲われた事件をめぐって、その真相を話したのだけど、真相は何かという情報にとどまるのじゃなくて、その真相の持つ意味を伝えるのが、まだまだ足りなかったと、そこが自分で不満です。
 その真相から、わたしたち主権者が何を考えるべきか、そこをもっともっと、時間が短くても、工夫を尽くして国民に伝えなければ。

 そのあと保守強硬派の新大統領が誕生したイランの話になった。
 どうしても述べねばならないことだけは、かろうじて話した気もするけど、まさしく時間切れとなって番組そのものが終わってしまった。これが生放送です。

 だけど、ぼくは収録して編集する番組よりも、生放送のほうが好きですね。
 編集されるのが嫌というわけじゃない。
 それは番組に出る以上、文句は言えないと思う。

 生放送は、なんとも言えない張りつめた空気がスタッフから出演者まで現場に漂っているから、そこが好きです。これは、かなり好きだ。


▼疲労とストレスで発病した「異汗性水泡」は、ドクターの予想とは裏腹に、ずいぶんと早く回復しています。
 水疱が静まった手のひらや指は、盛大に皮がむけているので、サンプロ本番が始まるまえに控え室で何気なく薬を塗ったら、その皮剥けも本番中にほとんど治っていた。

 まぁ、ぼくの体質として新陳代謝が活発なことに助けられて、早い回復となったようだけど、ドクターはあくまで「仕事を制限していない以上は、再発します」とおっしゃっている。
 そのアドバイスには、本心から感謝しているけど、今はこのまま疾走するほかない。

 きのうは長野で講演だった。
 青年会議所のひとびとへの講演で、みなさんの元気の良さがうれしくて、ぼくも気分爽快になった。

 その講演へ出るまえ、自宅で朝方に仮眠していたら、夢をみた。
 夢なんか珍しくもないし、怖い夢だって誰でもみるけど、ちょっと記憶に残る夢だった。

 ぼくと独研の若き秘書室長が、地下のレストランで食事をしている。
 どうやら、どこかでの講演のあとらしい。
 ぼくらのテーブルの前のドアが、自然に、いや不自然に勝手に開き、そこには誰もいないのに明らかに誰かいる。
 それは、幽霊とかではなくて、ありありと死に神さんなのだ。おいおい。

 ふだん静かな秘書室長が、驚きと恐怖で背中をのけぞらせ、ほかのテーブルの客もざわめいている。
 ぼくは『参ったな、こりゃ、ほんとに怖いや』と思っている。

 すると、ぼくの右の中空に、腕と手だけが浮かんで現れ、ぼくを手招きする。
 行かねばならないのかな。かねて覚悟のことなのに、こんなに怖いのか、参ったなぁ。

 そう思ったとき、目が覚めた。


▼いま海をみながら、ごく落ち着いた気持ちです。気分は、すっきり。

 疲労は深くとも、最前線を疾駆すべきときはある。
 それに、ぼくの身体が疲労を克服しようとしている気配を、まだわずかだけど感じている。
 今週はあえて、ジムに三度、行った。
 時間のなさはいつも通りだから、徹夜明けに近い身体で、眠る代わりに、けっこうな重さのバーベルやダンベルを挙げることになった。
 無茶は無茶だけど、身体にしっかりいい反応はある。

 筋力で、過労死の危機を逃れることはもちろんできないけどさ、身体全体のパワーを底上げして、この危機を克服しようとする気配が、ぼくの身体に漲っていく(みなぎっていく)気配がある。


▼写真は、こないだの出張先のコペンハーゲン市内でアンデルセンが童話の舞台にしたところを見つけて、感激して、看板に、おもわず寄り添っているところです。ただの説明板なんですけどね。
 ぼくのつたない書物、『日本国民が決断する日』を読んでくれた人なら知っているとおり、童話は、ぼくの原点ですから。