Our World Time

あぁ無念

2013年11月30日 | Weblog
(*このエントリーは、11月29日金曜から翌30日土曜にかけて書きました)

▼いま11月29日金曜の夜、最終便で帰京するために伊丹空港の人混みのなかにいます。
 今週は、羽田と伊丹のあいだを飛ぶのが、これで6回目です。1週の間にこれだから、航空会社のクルー並みかな。
 海外出張では、行きのフライトのクルーと、帰りのフライトでまた一緒になることが、この頃は頻繁に起こります。
 クルーに同情されたり、噴き出されたりするんだよね~。
 フライト・アテンダント(すっちぃ)やパイロットは、その到着地で海外の休息を楽しんで疲れを取ってからから、帰りのフライトに乗務するわけですが、こちらは仕事だけして、あっという間に帰りのフライトに乗ります。

 ぼくだけではなく、海外出張に同行する独研(独立総合研究所)の研究員や、自然科学部長の青山千春博士もたいへんです。
 研究員のなかにはテロ対策の研究調査などで、ひとりで海外出張に出る者もいるし、青山千春博士も単独の海外出張がありますが、こんな無茶な日程にはなりません。そもそも、社長のぼくが彼らにそんなことをさせません。
 ぼくの海外出張に同行する時だけ、こうした旅程になります。


▼年末年始を含めて1日も休むことがなかった、この約16年のあいだでも、ことしの11月はいちばん過酷な日程のひと月だったんじゃないかなぁ。
 今週の火曜日、客員教授を務めている近畿大学経済学部で講義するまえに控え室で、うとうとして、おのれが死にかける夢を見て、眼が覚めたら、ほんとに死にかけじゃないかと思う体調になっていたのであります。
 ふひ。

 目の前にいた独研・総務部秘書室の優秀な秘書さんは、まったく心配しない。
 青山千春博士も同行秘書も、ぼくがロボコップか何かだと思い込んでいるんじゃないかと思うぐらい、ぼくについては心配しない。
「海と女とメタンハイドレート」(ワニブックス)にも、ぼくが大腸癌手術のあとの腸閉塞で死が間近に迫ったときに、心配せずにお弁当を食べていたと青山千春博士が書いていますね。この本の中には、「死なない化け物」とぼくを表現する場面もあります。
 わはは。何でやねん。死ぬよ、そのうち。
 そのうち、お別れです。

 …しかし、うーむ確かに、このあと授業を始めてみると、学生たちにどうやって自分の頭で考えさせるか、それに自然に集中しきって、授業が終わった頃には体調がすっかり回復してしまったのであります。
 この近畿大学での講義は、実はぼくにとっていちばん重い負担になっている任務です。
 受講する学生諸君の数は多く、ひとりひとりの表情も眼も、学力、気力も違います。
 ただひとりも、取り残したくない。特に、学力、気力が充分とは言えない学生こそ、ぼくは手助けしたい。
 そのために重い荷物を背中に乗せて、坂を上がるようです。学生諸君にはそう見えなくとも、ぼくの胸の内はそうです。
 しかし不思議なもので、荷が重ければ、それだけ心と体の奥の奥から湧き出てくる新しい力は、大きくなります。


▼それにしても、この短かった秋は、ひとりの物書きとしてのぼくにとって無念の秋になりました。
 文学、すなわち小説新作も、そしてノンフィクション、すなわち「ぼくらの祖国」(扶桑社)の続編も、いずれもまさかの越年。
 小説新作はいったん完成し、伝統ある文芸誌に掲載も決まっているけど、編集者とぼくの話し合いで、さらに深掘りしてから、さらに磨きあげてから掲載することが10月下旬に決まりました。

 小説を書くことは、ただの木から仏を彫り出していくことに似ていると、ぼくは常々、考えていて、その仏がまだ充分には姿を現していないと判断したのです。
 この越年の決断は、今も正しいと考えています。
 けれども、いったんそう決まると、他の仕事がどっと洪水のように時間という時間を埋め尽くして、小説の原稿に触る時間も作れなくなっています。
 来年の6月号までに、必ず掲載としたいので、原稿の最終的な校了は来年4月の下旬がデッドラインです。

 最初に印刷されたぼくの小説である「平成」(文藝春秋社刊)は、文芸誌の4月号に掲載されたので、できれば今回もそれまでに掲載としたいのが本音です。
 それなら校了は来年2月下旬。もう早くも時間が無くなってきています。
 編集者と議論する時間を考えると、来年1月の第2週までに書き直し原稿を上げていないと、4月号には間に合わないでしょう。

 一方、10月下旬に小説新作の越年を決めたとき、「ぼくそこ」(ぼくらの祖国)の続編を年内発刊しようと、ノンフィクション担当の編集者といったん決めました。
 そして11月27日のぎりぎりまで力を尽くしたけれど、時間は誰にも24時間しかない。

 ぼくの生きる力のひとつは、スポーツをすることです。
 今年は現役以来初めて、自前のスキー板を買って、いつか滑れる日を待っているけど、早稲田大学の後輩が選んでくれたその板には、なぜか24hoursと大書されてる。何これ。どういう意味かな。24時間、楽しめと?
 それなら最高だけど、ただし、もしもぼくに24時間のスポーツ時間をくれるのなら、4輪モーターレース、アルペンスキー、障害越えを含む乗馬、そして南の島のスキューバダイビングという、ぼくのやって来たスポーツを全部やり、それからハワイのアメリカ太平洋軍司令部、太平洋艦隊司令部との議論で出張したとき、帰りのフライトに乗るまでのぎりぎりの時間に生まれて初めて波に乗ってみたサーフィン、これもやる。

…思わず話が逸れたけど、時間は誰にも24時間しか無いので、洪水のような11月の過密日程に阻まれて、ノンフィクションもついに11月27日をもって、越年が決定。

 いま16刷のロングセラーになっているノンフィクション、「ぼくらの祖国」は、2011年12月にサンフランシスコで開かれた、エネルギーを含む地球物理学の世界最大の国際学会「AGU」(American Geophysical Union)に参加しながら、ホテルで苦しみ抜いてぎりぎり完成させました。
 つまり、日本時間2011年12月8日の未明に、校了して、わずか19日後の12月27日に、通称「赤本」の「ぼくそこ」が書店に並び始めたのです。
 今年はなぜ、デッドラインが11月27日になったか?
 そう連絡してきた編集者によると、今年は年末発刊の本が多くて、出版社や取り次ぎ、書店の手が回らないのだそうです。

 物書きの仕事は原稿を期限までに書くことであって、詳しい事情を詮索しても始まりません。越年した責任は、ぼくにあります。
 小説もノンフィクションも、みなさんの目に触れるのが越年したのは無念だけど、越年は本質的な問題ではありません。
 本質の問題は小説もノンフィクションも、言うまでもなく、あくまで中身です。


▼さて、今朝11月30日土曜に、朝日新聞の朝刊を広げると、下掲のような短い記事が載っていました。

~ここから朝日新聞のネット版から引用。著作権は朝日新聞にあります。原文のまま~

メタンハイドレート、日本海側でも確認 経産省
2013年11月30日05時00分

 経済産業省は29日、海底資源「メタンハイドレート」が日本海側にも広範囲に存在していることを初めて確認したと発表した。商業化できるだけの量があるかを確かめる調査を来年度に始めるという。
 経産省によると、これまでに、新潟県上越沖と石川県能登西沖で、メタンハイドレートがあるときにできる「ガスチムニー構造」と呼ばれる地形が225カ所見つかっていた。無人探査機を海底に沈め、そのうち1カ所でメタンハイドレートの存在を確認。他地点でも存在している可能性が高いという。
 太平洋側では3月、愛知県沖で世界で初めての試掘に成功した。

~引用ここまで~

 は?
「日本海側でも確認」?
「初めて確認」?

 馬鹿言ってんじゃないよ~という古い歌(※「3年目の浮気」。佐々木勉作詞)を思わず、口ずさんでしまった。別に好きな歌じゃないけどね。
 関西テレビの報道番組「アンカー」などをご覧になっているひとなら、みな知っているとおり、わたしたちは2004年から日本海でメタンハイドレートの純度の高い塊を実際に採取しています。
 経産省がどんな文章で発表したかは知らないけど、おそらくは「政府も確認した」という意味では初めてだというような言い訳を用意しているのです。

 政府がこういう発表の仕方をすると、さっそく、ある種の人たちは喜んで(一部の外国人も一緒になり)ネットに中傷誹謗をどっと流します。
 真実を知っているひとたちからは、具体的にそうした書き込みをぼくに知らせて「名誉毀損で訴えるべきだ」と義憤に駆られたコメントが、たくさん来ています。
 ぼくと独研(独立総合研究所)をめぐる不法な名誉毀損については、ずっと内偵捜査が行われています。
 ぼく自身は、そうした書き込みをまるで相手にしていません。読んでもいません。
 メタンハイドレートの調査研究は、ビジネスでやっているのではないから、そんなものに拘(こだわ)っていると、やる気を失ってしまうからです。
 日本国民に信を置いていないと、今ささやかに力を尽くしていることが、馬鹿馬鹿しくなってできなくなってしまいます。
 鉄槌を下すことも必要だと考えます。同時に、過度には拘りません。

 こうした事実に反する発表などに対しての反証の、もっとも有力なものが、最近にぼくと青山千春博士の共著で世に問うた2冊だと思います。
「希望の現場 メタンハイドレート」、「海と女とメタンハイドレート」(ともにワニブックス)ですね。
 前者は、祖国を自前資源の国にする歩みの克明な現場証言であり、後者は、それをめぐる人間の生き方を考える書です。
 前者は、誰にも分かる範囲内で科学的に記述していて、その記述とともにメタンハイドレートの実物写真が、永遠の証拠です。

 この書は、経産省でも、ぼくらが手渡すまえに経産省・資源エネルギー庁の担当セクションですでに買って担当官が読んでいて、責任者から「たいへんに参考になった。これからも教えていただきたい」という明言も聞いています。
 それでも、こうした発表ぶりになる。
 経産省・資源エネルギー庁で人事異動が行われてから、政府の対応はずいぶんマシになりました。
 特に、ぼくと独研の呼びかけに知事さんたちが真正面から応えてくれて昨年9月、「日本海連合」が発足してから、官僚とメディアの様子は変わりました。
 それでも、政府はこうして公正さよりもメンツを重んじ、マスメディアは、政府、お上のご発表となれば、そのまま垂れ流しです。

 今朝にこの地味ブログに書き込まれたコメントの中には、「まあ結果的には日本海側の調査に力を入れるようですが、青山先生が以前言っていたように日本では『東大』みたいに、なにか権威が無いと報道もしないのは残念な社会ですね」というコメントもありました。
「近大卒業生」というハンドルネームです。
 ぼくの授業を実際に受けた、まだ若い人だと思います。
 その通りです。まさしく残念でアンフェアだと考えますが、いちばん肝心なのは、日本が自前資源によって、ほんとうの独立を果たすことです。


▼できれば、国民のみなさんが真実を知るために、上記の2冊を手に取ってみてください。
 きのう講演で大阪に入ったとき、書物にサインをして、大阪に置いてきました。
 ぼくのサインの他に、いつもの「脱私即的」(だっしそくてき)、「祖国は甦る」、「深く淡く生きる」という銘に加えて、「希望」、「日本の出番」、「王道」、「一緒に国を救おう」、「友情」、「友ありて」という言葉などを銘として記した本も、中にあります。

▽ブックファースト梅田店(新阪急ビル) TEL 06-4796-7188

*「ぼくらの祖国」10冊
*「海と女とメタンハイドレート」10冊

▽スカイブック大阪空港店(伊丹空港ターミナルビル中央1階。飛行機に乗らない人でも、誰でも利用できます) TEL 06-6856-6647

*「ぼくらの祖国」1冊
*「海と女とメタンハイドレート」7冊
*「希望の現場 メタンハイドレート」6冊
*「青山繁晴、反逆の名医と『日本の歯』を問う」(ワニブックス)2冊
*「救国 超経済外交のススメ」(PHP)2冊
*「王道の日本 覇道の中国 火道の米国」(PHP)3冊
*「日中の興亡」(PHP)2冊

▽スカイブック17G(伊丹空港ターミナルビル・JAL17番搭乗口前。飛行機に乗らない人でも、上掲の誰でも利用できるスカイブック大阪空港店で頼めば、この店から本をすぐに持ってきてくれます) TEL 06-6856-6683

*「海と女とメタンハイドレート」10冊

…青山千春博士とぼくの共著の「海と女とメタンハイドレート」、「希望の現場 メタンハイドレート」は、ぼく単独の本に比べて、まだまだ読むひとが少ないのです。
 公正なフェアな情報が日本国民に伝わるためにも、手に取ってみてください。
 サイン本にあるぼくの筆跡は、その祈りの表れです。

すこしだけ疲れましたが、3時間半を視てくださったみなさん、ありがとう!

2013年11月20日 | Weblog

▼いま11月20日水曜の午前4時過ぎ。
 ホテルの窓の外はまだ真っ暗です。

 きのう19日火曜は、衆議院の国家安全保障特別委員会で、特定秘密保護法案(内閣の提出)と情報公開法改正案(枝野・元官房長官ら提出)について、参考人として意見を述べました。
 ほかの3人の参考人とともに、最初に15分間という時間指定のなかで意見を述べ、その後に各党の質問に答え、3時間半ほどのかなり長い審議になりました。

 額賀委員長から冒頭、「なお、慣行により、参考人から委員(この委員会に属する衆院議員)に質問はできません」と発言がありました。これは、もちろん額賀・元防衛庁長官の個人的見解ではなく、事実上のルールになっていることです。
 前のエントリーで書いたように、ぼくはこの日が3回目の国会証言ですが、いつも同じです。
 ほんとうは、できれば対話、対論になった方がいいと思います…。

 今回は、知友の西村幸祐さんも参考人として出席されました。
 審議前の控え室で西村さんが開口一番、「あ、たばこが吸えるんだ」と喜びました。ふはは。

 そうです、国会内は、まだ禁煙社会じゃないのです。どこの部屋にも大きな灰皿が置いてあります。
 ぼくは共同通信政治部の出身ですから、国会のなかは12年近く歩き回ったのですが、日本社会でいちばん変わっていないのが、国会とマスメディアとも言えますね。


▼審議そのものは、たとえばニコニコ動画の生中継で10万人弱が視聴されたということでした。(※「10万人以上と青山さんに伝えたけど、正確には10万人弱だった」という連絡をいただきました)
 衆院の公式なネット中継もあり、マスメディアがあまり取りあげなくても、ネットを活用したいろいろな手段で沢山のかたが編集なしでご覧になったようですから、内容については主権者それぞれの判断にお任せします。
 ぼくはただ、いつもと同じように、もはや右でも左でもなく真ん中から語っただけです。

 ひとつ残念なことがありました。
 それは共産党の沖縄選出の議員から、ぼくには何も質問がなかったことです。
 世界観、国家観、歴史観が真正面から違うからこそ、どしどし質問や疑問をぶつけてほしかったナァ。
 しかし、この議員のかたは、市民運動家と大学教授にだけ質問されました。
 それは当然、この議員の自由な判断です。
 しかし、たとえば世界観の相克を、主権者に公平に見ていただく機会ではなかったでしょうか。

 ぼくはじっと、議員の眼を見ていたのですが…。
 沖縄選出の議員であるだけに、よけいに残念でした。


▼ネットを活用した生中継でご覧になっていたかたから、ぼくが最後の方で時計(委員会室の壁に掛かっている時計)を気にしていたのまで良く分かったと書き込みがありました。
 ふひ。
 その通りです。
 飛行機に間に合うかなぁと、ときどき時計を見ていました。
 最終便に近いフライトで大阪に入らねばならなかったからです。

 間に合わなかったから、それはそれでやむを得ない、国会審議の方がはるかに大切です。翌朝いちばんに大阪に向かうしかありません。
 実はこの日、衆院本会議の開催が遅れ、それに伴って委員会の開始も遅れたので、その影響を頭の隅で考えていたのです。

 委員会審議が終わると、独研(独立総合研究所)の社有車を運転して、羽田に向かい、フライトに間に合いました。
 東京の夜景のなかを運転していて、「こんな時でもドライビングは愉しいな」と思いました。

 大阪に入るとすぐ、関西テレビで、翌日(つまり今日、水曜日)の「スーパーニュース・アンカー」のために、テレビ局のスタッフ陣と議論です。
 ありのままに言えば、スタッフはテレビだけが仕事だけど、ぼくの方は多種多様さまざまな仕事の果てに、この打ち合わせもあります。
 脳が疲れていて、早めに議論を終えたかったけれど、こちらの疲労にまったく無関心なひともいるから、夜がたっぷり遅くなってしまいました。
 関テレからホテルへ向かうタクシーのなかで、番組にとって必要な電話を政府高官にすると、「こんな時間に…」という、ちょっと迷惑そうな感じでした。
 まぁ、しゃあない。


▼11月20日水曜は、いつもの「青山のニュースでズバリ」のコーナーに加えて、自民党の石破幹事長に国会記者会館(東京・永田町)へ入ってもらって、関テレの報道スタジオと繋いで、ナマ議論をします。
 事実上の、コーナーの拡大版ですね。

 参考人審議で、日本維新の会の若手議員から「両親が(アンカーを)いつも視ていて、青山さんがこう言ってたと聞かされるんです」という発言があり、正式な国会審議の場ですから、思わず微苦笑しました。
 すると他のベテラン議員から「俺もいつも視てるんだ」という(ちょっとだけ楽しい?)不規則発言までありました。

 そのご両親を含め、いつも視てくださるみなさん、「水曜アンカー」も、この日の審議も、ありがとうございます。
 みんなの、日本の主人公、最終責任者としての強い関心に支えられて、疲労もかろうじて乗り越えています

 そして、大阪の主婦でいらっしゃる「ぼやきくっくり」さんが、ぼくのこの日の冒頭発言を直ちに起こしてネットにアップされているのには驚きました。
 起こし作業はたいへんです。この短い時間に仕上げられるなんて、凄いと思います。







(*いずれも、その、ぼやきくっくりさんのサイトからお借りした写真。「画像は衆議院インターネット審議中継からキャプチャさせていただきました」とあります)

三度目

2013年11月18日 | Weblog

▼あす衆院の国家安全保障特別委員会で、秘密保護法案をめぐり、参考人として証言します。
 政府・与党の側、野党の側それぞれに、ただ真っすぐ言うべきを申します。

▼国会で証言するのは、これで三度目です。
 最初は、有事法制をめぐって。
 二度目は、福島原子力災害をめぐって、福島第一原発に作業員以外では初めて入ったことを基にして、証言しました。

▼ぼくの証言は、マスメディアではあまり取りあげられないと思います。
 下掲の独立講演会では、詳しく、かつありのままに、みんなに報告します。

今回はやっと、募集開始日にお知らせできます。ただし時間は過ぎているから早めがいいかも。

2013年11月18日 | Weblog


▼このところ、みなさんが自由に参加できるわけじゃない講演会の話ばかりでしたね。
 しかし今日は、誰でも参加できて、そしてふだんの講演と違って質問をたっぷり直接、お受けすることができて、さらに時間無制限(いまは参加者全員の健康を考えて、原則4時間半から5時間ほど)ということを実現するために、自主開催している講演会の話です。

 もう、ご存じの方も増えたかもしれません。「独立講演会」です。
 この下に、独研(独立総合研究所)の公式HPから募集のポイントを抜粋します。


*第24回 独立講演会@神戸 ( お申し込みの受付を開始しました)

【講演日】
2013年12月22日(日)

【講演時間】
開場:12時30分
開演:13時30分 ~ 18時00分 予定

【講演内容】
「第二次安倍政権1周年をめぐって」

【場所】
神戸商工会議所 神商ホール(3階)
〒650-8543 神戸市中央区港島中町6丁目1番地
Tel.078-303-5804
「JR三ノ宮駅」、「阪急三宮駅」、「阪神三宮駅」からのりかえ。
ポートライナーで10分。「市民広場」駅下車。北へ徒歩約5分

詳細は、こちらへ。

【受講料】
一般 5000円 / IDC会員 4000円

【申込期間】
2013年11月18日(月)正午~ 2013年11月27日(水)正午
※申込期間内のみ、申し込みを受付致します。

【申込方法】
「申込フォーム」ボタンをクリックし、リンク先のページよりお申込みください。ここです。
    

独研ホームページからのお申し込みに限り受付けます。
※入力いただいたメールアドレスに、申込確認メールを送信しますので、迷惑メール等の受信拒否設定をしている方は、
「dokken.co.jp」をドメイン指定受信に設定してください。
※全ての連絡は、メールにて行います。メールアドレスが間違っていると連絡が取れなくなりますので、ご注意ください。
※FAX、メール、郵便でのお申し込みは受け付けておりませんので、ご了承ください。

【抽選結果通知】
当選・落選発表は、11月27日(水)申込締切り以降、メールにてご連絡致します。
※会場の規模によって抽選になる場合がございます。

【禁止事項】
※参加資格の譲渡
※講演の撮影・録音・録画
※講演中のパソコンの使用
※事前にお申込をされていない方の入場

【問い合わせ先】

独立講演会 運営事務局
※電話でのお問い合わせは対応しておりませんので、ご了承下さい。
※独立講演会については、独研の総務部では対応しておりません。


▼年内最後ですね。
 クリスマス・シーズンの印象深い神戸で、直接、お会いしましょう。

「ぼくそこ」がここに。

2013年11月16日 | Weblog
▼みなさん、いま神戸で講演して帰京する途上です。
 きょうも、およそ500人の、会場いっぱいのみなさんと一緒に、祖国とアジアのほんものの希望を深く考えることができました。

 そして地元の書店のかたが「ぼくらの祖国」(扶桑社)、「希望の現場 メタンハイドレート」、「海と女とメタンハイドレート」(いずれもワニブックス)、「アベノミクスが解けた!」(小学館)を持ち込んでくださっていたので、ご希望のかたに、「脱私即的」と、大きくみなさんの名前と、不肖ぼくの名前を小さめにサインし、握手をしました。

 さらに、この書店用に「ぼくらの祖国」にサインしましたので、関心のあるかたは、下掲の本屋さんに行ってみてください。新しい、大きな書店だそうです。
 10冊だけですから、早いほうがいいのかもしれません。

 大垣書店 神戸ハーバーランドumie店 078-382-7112

たまぁに顔を出すことも。

2013年11月16日 | Weblog
▼先日、「たかじんnoマネー」(テレビ大阪)の「特別編」という収録がありました。
 ぼくは東京裁判について、MCの黒田さんにレクをし、それを受けて黒田さんがアメリカ人と議論しました。

 その放送は、きょう11月16日土曜の午後2時からです。
 ただし編集されての放送ですから、東京裁判に対するぼくなりの見解がすべて放送されるわけではありません。

雪の東北から (一部修正しました)(さらに修正しました)

2013年11月12日 | Weblog


▼きょう11月12日火曜日は、いま雪の中を車で移動しています。
 羽田から秋田空港に着くと、烈しい大雪です。
 迎えに来られた地元のひとも「例年は12月に雪用タイヤに換えるので、びっくりして大慌てでタイヤ交換をしてきました」と話されていました。

 ことしは雪が早くて多い予感がしますね。
 いつものように独研(独立総合研究所)総務部・秘書室第2課のYO秘書が同行していますが、彼女は秋田県が生まれて初めて。
 こんな早く雪をみるのも、生まれて初めてでしょう。
 ぼくは学生時代、11月になるともう雪を探すようにスキーを担いで東京を後にして、競技スキー合宿が始まっていました。

 今日はこの秋田県の能代で、メタンハイドレートにテーマを絞って講演します。
 テーマを絞るのは地元の要請です。
 秋田県は、わたしたち独研の呼びかけに知事さんたちが応じてくださって発足した「日本海連合」の一員です。
 講演会場には、「希望の現場 メタンハイドレート」と「海と女とメタンハイドレート」(いずれもワニブックス)と、そして「ぼくらの祖国」(扶桑社)が沢山、これも地元の要望で出版社から運び込まれているそうです。

 現実を中央突破していく希望を、日本海沿岸のみなさんと一緒に考えたいと思います。


▼さて、講演と言えば、ふたつお知らせがあります。

▽ひとつは、みんなのための講演がぜひ増えていってほしい青山千春博士の次の講演です。 神戸市主催の無料の講演会です。
 下に、資料を貼り付けておきます。
 先着順ですから、早めに申し込まれた方がいいと思います。


▽もうひとつは、かなり先の話、来年5月の話なのですが、なんと、あのたいせつな硫黄島を見つつ航行するクルーズ客船の中での連続講演です。

 まだ日程のすべてが確定はしていないので、詳細は情報解禁になってから、あらためてお知らせします。

 ぼくにとって硫黄島は、原点のひとつです。
 いまも立ち入り禁止ですが、近くを航行すれば、英霊の地をどなたでも間近に望むことができます。
 その船の中で連続講演する…想像もしていませんでした。
 みなさんにとっても素晴らしい機会になりますよう、力を尽くして、天が与えてくれた役割を務めます。

いま羽田から都心に向かっています

2013年11月01日 | Weblog
      


▼j沖縄で知事らと議論したあと、きょうも白梅の塔と自決壕にお参りをしました。
 白梅の塔では、白梅同窓会長の中山きくさんをはじめ、沖縄戦で傷つき苦しみつつ生き残られた、白梅学徒看護隊(沖縄県立第二高等女学校の少女たちが、わたしたちの先輩のかたがたを看護してくださった隊)のみなさんが、台風29号の雨のなかを待っていてくださいました。

 秋の花を捧げ、そして、いつものように、碑に刻まれた先生がたと生徒たちのお名前をひとりひとり指でなぞり名を呼びながら水で清めました。写真がそれです。
 そのあと、自決壕には今日はひとりで入りました。
 雨の日の自決壕は、生き残りのみなさんにとっても、怖い場所でもあるからです。

 ぼくがいちばん最初にお参りを始めた時に比べると、はっきりと、少女の気配の数が減りました。
 例えば、ぼくのつたない講演を聴いたかた、「ぼくらの祖国」(扶桑社)という本を読まれたかた、「水曜アンカー」(関西テレビ)という番組をご覧になったかた、そうしたさまざまなひとびとが本土からも、沖縄県内からも、お参りしてくださるようになったからだと思います。

 ところが、なぜか、まだふたりほど気配があります。
 あくまでも、ぼくの個人的な感覚に過ぎませんが、きょう、あらためて鋭く深く、胸が痛みました。

 そのあと空港にも近いあたりで、みんなで食事をしました。
 お別れに、これもいつものように、生き残りの学徒看護隊のかたがたとハグをしました。
 かつては、まだ恋も知らなかっただろう15歳や16歳のかたがたは、今は、80歳を過ぎてらっしゃいます。
 しかし、こうしているといつも、わが腕のなかで少女に戻られます。


▼そして那覇空港から羽田に飛び、羽田では滑走路に予想外の飛行機がいて着陸を突然、やり直したりしました。
 ほぼ毎日、飛行機に乗っているので、こうしたトラブルに遭う確率もたいへんに高くなります。

 これから都心で、治安当局者たちと会い、議論です。

 われ、いまだ途上にあり。
 きょう、雨の自決壕でひとり、あらためて胸に迫ってきたのは、沖縄戦の少女たち、先輩がたや、硫黄島の戦いの先輩がたから、わたしたちがお預かりしているのが、この、ただひとつの祖国だということでした。

雨模様の南の島

2013年11月01日 | Weblog

▼いま11月1日の朝9時半、沖縄県庁にいます。
 今朝5時過ぎに自宅を出て、ここへやってきました。
 夜が明ける前に東京を出て、まっすぐ沖縄に来ても、もう9時を過ぎちゃうんだなぁ、という実感です。

 ここで知事とすこし自由な議論をしたあと、白梅の塔と自決壕にお参りをし、白梅同窓会長の中山きくさんとそこでお会いし、そしてすぐに帰京します。
 沖縄に35年間、通ってきましたが、日帰りはこれが初めてです。

 青山千春博士は、6時過ぎに出発して、いま岐阜大学に向かっていると思います。
 女性のためにも、女性と共に生きるわれら男性のためにも、青山千春博士の講演が増えればいいなと思います。(青山千春博士の講演会の情報は、この下のエントリーを見てください)
 関心のあるかたは、きょうの岐阜大学、来週の京都工芸繊維大学に行ってみてくださいね。


▼それにしても、この頃の日程は、凄まじいと言えば凄まじいです。
 とにかく朝がむちゃくちゃに早い。
 おとといは午前4時半に起きて、大阪から新潟に飛び、メタンハイドレートという希望の自前資源を実用化するための会議に出て、大阪にトンボ返りして、「水曜アンカー」の生放送に出て、すぐ帰京です。
 今週は、たとえば京都での講演もありましたが、京都駅前のホテルで講演すると即、京都駅から新幹線にトンボ返りして、東京での仕事です。

 京都は駅だけ、新潟は空港だけ、沖縄は県庁だけという感覚につい、襲われたりします。(実際は、すこしだけは違いますが…)
 来る日も来る日も夜明け前から深夜まで、トンボ返りに次ぐトンボ返り。
 わたしゃ、靴を履いたトンボか。
 ふはは。