ウルトラ超過密の日程が、さらに加速しています。
だけど、こんな地味サイトを訪ねてくれるひとにも、応えたい。
そこで、1週間の備忘録をちょっとだけ、ふたたび書いておきます。
▼4月16日の土曜
沖縄での講演から帰京したばかりだけど、きょうも講演のために、羽田から伊丹へ飛ぶ。
これで今週は7日間のうち5日、飛行機に乗っている。
来週も同じく、5日、空を飛ぶ。この2週だけで、飛行機に乗ること10回、うーん、さすがに身体はたいへんかも。他人事みたいだけど。
しかし、この2週が異常なのではなく、このごろは大体こんなペースだ。
かつては飛行機を見ただけで軽く吐き気がしたこともあったけど、最近はすっかり諦めもついて、ごく淡々と空港に現れ、雲海のうえへ上がり、機内でモバイル・パソコンを叩いている。
そう、飛行機にたくさん乗るのはもはや避けがたいけど、せめて機内では、島や都市や山並みをぼんやり眺めていたいな。
まぁ、それも無理、無理。このごろ、飛行機の中どころか、揺れるタクシーの車中でもモバイル・パソコンの小さな画面を見ながら原稿を書き、それでも締め切りを大幅に遅れる原稿がどんどん山積みになっている。
さて、伊丹空港に着くと、迎えに来てくださったひと、独立総研の若き秘書室長(24歳、ニューヨーク育ちの女性)、それにぼくの3人でタクシーに乗り、神戸の奥座敷、有馬温泉へ。
ここは、子供のころに家族で来ていたところだから、なんとも懐かしい。
神戸より標高が高いから、桜が今ちょうど満開で、山の緑はみずみずしく、そして山の高みには白いこぶしの花が咲き乱れている。
会場は、有馬温泉でも指折りの宿の「瑞苑」だ。
すこしだけ休んでから、経営者のかたがたに、講演。
ほとんどが社長さんなので、原油高の裏にあるものを中心に経済のことを冒頭でお話ししてから中韓の反日暴動の真実について、かなり時間を割いてお話しをし、最後に憲法のことを、聴講者のみなさんと一緒に考えた。
講演のあと、温泉に浸かる時間が貴重な時間があった。
ぼくは、ほんらいはお湯が大好きなので、懇親会が始まるまでの1時間半、ほとんどずっとお風呂にいた。
こぶしの花を遠くに望みながらの露天の湯が素晴らしく、こころも体も、かりそめにではあるけれど、生き返った。
夕刻から懇親会。
講演では質問をお受けする時間がなかったので、誠心を尽くして、質問にお答えするよう努めた。
瑞苑の料理はさすがに素晴らしく、地酒もたっぷりといただいた。
帰国子女の秘書室長にとっては、こうして「にほんの国」に触れる機会は、とても大切だ。みんなと同じく浴衣姿で、いつものように気品をもちながらも楽しげにしている。それを見ていて、嬉しかった。
部屋に帰ってから原稿を書こうとしたが、さすがにたまらず、しばし眠り込む。
▼4月17日の日曜
午前3時ごろに目覚め、独立総研から会員に配信しているTCR(東京コンフィデンシャル・レポート)を執筆。
しかし未完。
夜が明けてから、みじかく朝湯に入る。
午前7時過ぎには、もうきちんとスーツを着た秘書室長が部屋に着て、打ち合わせを兼ねながら一緒に朝食をとる。
朝ご飯も、びっくりするぐらい、おいしかった。
午前8時ごろに、ひとりで瑞苑を出発し、レンタカーを借りる。
入院している義姉さん(兄の奥さん)を見舞いに、高速を飛ばす。
義姉さんと久しぶりに顔を合わせ、手を握って元気な体温を感じ、付き添っている兄と充分に話し、病院を出て、母のところに、これもほんとうに久しぶりに立ち寄って、すこしだけ話した。
内心では後ろ髪を引かれながら、またレンタカーで高速を走り、伊丹空港へ。
空港で秘書室長と落ちあい、羽田へ飛ぶ。
秘書室長の出張はここまで。
羽田空港からひとりでタクシーに乗り、激しい疲れも感じたが、気持ちを励まし、スポーツ・ジムへ向かう。
ジムでダンベルやバーベルを挙げ、ひさびさにトレーニング。
ボディ・ケア(スポーツ・マッサージ)のあと、軽く泳ぐ。
帰宅して、TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の執筆と、電子メールを使った取材で徹夜する。
レポートは未完。
▼4月18日の月曜
朝、ふたたび羽田空港へ。
主任研究員(26歳、シアトル育ちの女性)と空港で落ちあい、伊丹へ。
伊丹からまず、大阪市内の定宿のホテルにチェックインして、プールで激しく泳ぐ。
徹夜明けの心身をなんとか目覚めさせる。
そして関西テレビへ。
レギュラー出演している「2時ワクッ!」で、中国の反日暴動などについて話す。ベストを尽くすよう心がけた。
出演後、やすまずに公共事業体へ。
新年度の委託研究プロジェクトが、まず2本決まり、そのほかに小ぶりな研究プロジェクトも2本決まった。
独立総研の創立から3年目の平成17年度も、滑り出しはまずまず順調かな。
ホテルへ戻り、主任研究員と打ち合わせ。
夕食は部屋で仕事をしながら、とも思ったけど、凄絶な奮闘の続いている、この若き主任研究員の激しいストレスを思い、ホテル近くの大阪らしいお店で軽く食事。
ホテルへ戻り、TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の執筆、取材や、そのほかの締め切りが来ている、あるいは過ぎている原稿の執筆、それにコラムを連載している「花泉」(華道の機関誌)のゲラ直し。
レポートは未完。
▼4月19日の火曜
朝、主任研究員とともに大阪駅から特急「サンダーバード」に乗り、3時間10分ほどをかけて富山へ。
富山県の立山連峰は、アルペン競技スキーヤーだった学生時代に、夏合宿で毎年、訪れていた。
雪渓を登る登山家の列のすぐ横で、ぼくらは長いスキー板をかつぎ、曲がらないスキー靴で1時間以上もかけて登り、数分で滑り降りてくる。
その繰り返しだ。
登山家たちと、それから雷鳥が、ぼくらを眺めていたのを想い出す。
だけど富山の駅から、富山市の中心部に降り立つのは初めてだ。
歩いて県庁に入り、たいせつな知己のひとりである知事と会う。
国民保護法制への取り組みなどについて、打ち合わせる。
主任研究員の話しぶりがとてもしっかりしていて、また成長を感じる。
県庁から富山空港へ。
レストランで、富山名物を次から次へと食べて、あぁ完全に食べ過ぎ。
飛行機は狭くて混んでいて、疲れがどっと噴き出す。
羽田から、自宅ではなくお台場のホテルに入り、その一室で「TVタックル」のコメントを収録。
収録のあと、自宅へ。
TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の執筆、取材と、そのほかの原稿の執筆。
レポートは未完。
取材はかなり進んだのだから、早く配信したいのだけど、やはり水準をもっと高めたくて、まだ未完にしている。
会員のかたがたには、お待たせして申し訳ない思いが、込みあげる。
▼4月20日の水曜
古巣の共同通信のために未だに連載している原稿をはじめ、もうどうにも締め切りを延ばせない原稿などの取材を急ぐ。
そしてTCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の執筆、取材。
まだレポートは未完。
夕刻、記者時代からのおつきあいの元外務事務次官、そして元航空自衛隊幕僚長と会食。
中韓の反日暴動をどう見るかについて、突っ込んだ話をする。独立総研の上席研究員が同席。
きょうは飛行機に乗らないで済んだ。
▼4月21日の木曜
絶対に締め切りを延ばせない原稿を5本、完成させて送ってから、新橋発の快速に飛び乗り、千葉へ向かう。独立総研の、きょうは秘書室長でも主任研究員でもなく、総務部の経理室員が同行。
どの社員にも、こうした機会が必要だ。
千葉の駅近くで開かれた、千葉県証券協議会・総会で記念講演。
この講演は、おのれでもまずまず満足できる出来だった。
千葉からまっすぐ羽田へ。羽田からは、ふたたび沖縄へ講演のために向かう。
沖縄の今回の講演主催者から「青山社長は時間がないでしょうから、千葉から羽田空港へのタクシー代を負担します」という連絡が来ていると、同行の経理室員から何度も聞いたけど、きっとタクシー代は高い。
ひょっとしたら、沖縄のかたは千葉駅前から羽田空港への遠さをご存じないのではと思い、タクシーに乗らず、羽田行きのリムジン・バスに乗る。
このバスが、考えてみれば当然ながら、まっすぐ羽田へは向かわずに、あちこちの駅を回ってはお客さんを拾っていく。
羽田に着くまでに、ずいぶんと時間がかかり、やっぱり主催者の言葉に甘えるべきだったかなぁと思うが、それでも自分で払うならともかく、人に支払ってもらうタクシー代のメーターがどんどん上がっていくのは、やっぱり耐え難かったなと思い直す。
だけど独立総研の社内には、きっと異論が多いだろう。これだけ時間がない状態にあるのだから。
経理室員とは、羽田で別れ、ひとりで深夜に沖縄着。
夜遅くにもかかわらず、主催者の沖縄タイムス社(沖縄の地元新聞)から出迎えの車が来てくださっていて正直、助かった。
ホテルにチェックインして、部屋へ向かうエレベーターのドアが開いたら、そこになぜか関西テレビの女性スタッフが立っている。
お互いにびっくり。
目がくりっとして、南国の顔立ちをしている人だから、思わず「里帰り?」と聞いてしまったが、そうじゃなく、「新婚さんいらっしゃい」のロケに来ているとのこと。
部屋に入ると、もう零時近い。
窓の下に、離島に行く船が着く港が、暗く静まっている。
すぐに眠りたかったけど、TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の執筆、取材。
レポートは未完。
▼4月22日の金曜
ぎりぎりまで原稿を書いてから、正午、講演へ。
講演の始まる直前に、独立総研の上席研究員が東京から合流する。
聴いてくださるかたがたは、沖縄の政治・経済界を代表する人がほとんどだ。
沖縄電力の役員、沖縄最大のスーパー「サンエー」の社長、沖縄タイムスの社長・役員、琉球放送の社長などなど。内閣府や外務省の出先機関のかたがたや、若手のひとたちも加えて、嬉しいことに、狭くはない会場の席はすべて埋まっている。
共同通信の那覇支局長も来てくださった。
実は、先週の沖縄講演と、聴講者は半分ぐらい重なっているとのこと。
そのために、新しい話をしたいのと、同時に、初めてのかたにも分かりやすくしたいのと、その思いが重なって、ぼくの内心ではなかなか簡単ではない講演だった。
講演のあと、みなさんはずいぶんと喜んでくださって、それに深く、深く感謝しつつ、ぼく自身の自己評価としては及第点ではない。
たいへんに心残りだ。
講演のあと、2週連続で、ぼくのつたない話を聞いてくださった沖縄電力のN副社長とお茶を飲む。
Nさんは、先週が初対面のわけだけど、ぼくは勝手に何か運命的な出逢いを感じていた。
もともと、沖縄に思い入れの強いぼくだけど、こんな出逢いはあるようで、なかったことだ。
お茶を飲みながら、意外な話を聞く。
Nさんは、地元の最大企業の役員でありながら、FMラジオでディスクジョッキーをしていて、ビルボードのヒット曲をかける1時間番組を持っているとのこと。
さすが、OKINAWA!
このへんも、僭越ながら、気が合う理由なのかなぁ。
そのあと、Nさんの部下に案内していただいて、独立総研の上席研究員とともに那覇市内で民俗衣装の店などを短時間ながら訪ねる。
夕刻から、Nさんや、Nさんの友人と会食。
なんと21年ものという沖縄の古酒を、たくさん、たくさん飲み干す。二次会まで、たっぷり話し込む。
Nさんから、TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の法人会員になっていただくということを聞き、とても嬉しく思う。
ながぁい、付き合いになりそうだし、信頼には、より深い信頼で応えたいと思う。
Nさんは、先週のぼくの講演を聴いたあと、「白梅の塔」についてあれこれ、ご自分で調べられたそうだ。
「青山さんの話を聞くまで、正直、白梅の塔についてよく知りませんでした」とおっしゃった。
沖縄での講演で、ぼくが白梅の塔に触れるたび、聴講者からちょっとポカンとするような反応があるわけが初めてわかった。
沖縄戦で犠牲になった女生徒たちの慰霊塔は、ほかにも例えば「ひめゆりの塔」があり、こちらは二度も映画化されたために有名だ。
映画化され、訪れる人がたくさんいるからといって、青春も人生も希望もすべて奪われた女生徒の悲惨が変わるわけじゃない。
だけど、それにしても白梅の塔は、いつ訪れても人影がなく、ひっそりと静まっている。
白梅の塔とたまたま出逢ったぼくの使命として、これからもお参りを続けていきたい。
(※白梅の塔については、この一つ前の書き込みをご覧ください)
▼4月23日の土曜
始発便で沖縄を発ち、羽田へ。
テレビ朝日に直行して、「サンデー・スクランブル」のコメント収録。
テーマは、中国の反日暴動。
帰宅して、締め切りのデッドラインが来ている連載コラム(宮崎日日新聞の「論風」)を書きあげ、送稿。
これもテーマは中国だ。
そのあと、アウディ・クワトロ80を運転して情報源のひとりのところへ向かう途中、ちょっと理由があって、首都高速を途中で降り、新宿の病院へ。
駐車場のない病院で、すぐに診察は終わるだろうと車を病院前の路上に停めて、院内へ。
ところが予想外に時間がかかり、1時間後に出てくると、クワトロがない。
やられました。レッカー移動されている。ずいぶんと長年、車に乗っているけどレッカー移動されたのはこれが初めてだ。
新宿警察へ行き、約3万円なりを払って、クワトロを返してもらう。
このごろ車の運転に謙虚でないところがあって、そんな自分を知りつつ変えられないで、なんとなく何かがある予感がしていた。
この3万円は、支払うべき授業料としては、高くない。
明らかに、正しい判断を見失っていた。軽率に路上駐車をした自分を、戻ってきたクワトロを運転しながら深く恥じた。
ちょっと不謹慎な言い方だけど、クワトロの全身に厄払いをしたような、すっきりした気配を感じた。
帰宅後、TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の取材、執筆を続けて、徹夜になる。
この週末に完成させて、週明けには必ず配信したい。
それに加えて、デッドラインの締め切りを超えつつある原稿が、びっくりするほどうず高く積みあがっている。
あす、いや正確にはきょうの日曜日は、日帰りで新潟で講演だ。
こりゃ、新幹線のなかはずっとモバイル・パソコンだなぁ。
(2005年、平成17年4月24日・日曜日、午前6時すぎ記)
だけど、こんな地味サイトを訪ねてくれるひとにも、応えたい。
そこで、1週間の備忘録をちょっとだけ、ふたたび書いておきます。
▼4月16日の土曜
沖縄での講演から帰京したばかりだけど、きょうも講演のために、羽田から伊丹へ飛ぶ。
これで今週は7日間のうち5日、飛行機に乗っている。
来週も同じく、5日、空を飛ぶ。この2週だけで、飛行機に乗ること10回、うーん、さすがに身体はたいへんかも。他人事みたいだけど。
しかし、この2週が異常なのではなく、このごろは大体こんなペースだ。
かつては飛行機を見ただけで軽く吐き気がしたこともあったけど、最近はすっかり諦めもついて、ごく淡々と空港に現れ、雲海のうえへ上がり、機内でモバイル・パソコンを叩いている。
そう、飛行機にたくさん乗るのはもはや避けがたいけど、せめて機内では、島や都市や山並みをぼんやり眺めていたいな。
まぁ、それも無理、無理。このごろ、飛行機の中どころか、揺れるタクシーの車中でもモバイル・パソコンの小さな画面を見ながら原稿を書き、それでも締め切りを大幅に遅れる原稿がどんどん山積みになっている。
さて、伊丹空港に着くと、迎えに来てくださったひと、独立総研の若き秘書室長(24歳、ニューヨーク育ちの女性)、それにぼくの3人でタクシーに乗り、神戸の奥座敷、有馬温泉へ。
ここは、子供のころに家族で来ていたところだから、なんとも懐かしい。
神戸より標高が高いから、桜が今ちょうど満開で、山の緑はみずみずしく、そして山の高みには白いこぶしの花が咲き乱れている。
会場は、有馬温泉でも指折りの宿の「瑞苑」だ。
すこしだけ休んでから、経営者のかたがたに、講演。
ほとんどが社長さんなので、原油高の裏にあるものを中心に経済のことを冒頭でお話ししてから中韓の反日暴動の真実について、かなり時間を割いてお話しをし、最後に憲法のことを、聴講者のみなさんと一緒に考えた。
講演のあと、温泉に浸かる時間が貴重な時間があった。
ぼくは、ほんらいはお湯が大好きなので、懇親会が始まるまでの1時間半、ほとんどずっとお風呂にいた。
こぶしの花を遠くに望みながらの露天の湯が素晴らしく、こころも体も、かりそめにではあるけれど、生き返った。
夕刻から懇親会。
講演では質問をお受けする時間がなかったので、誠心を尽くして、質問にお答えするよう努めた。
瑞苑の料理はさすがに素晴らしく、地酒もたっぷりといただいた。
帰国子女の秘書室長にとっては、こうして「にほんの国」に触れる機会は、とても大切だ。みんなと同じく浴衣姿で、いつものように気品をもちながらも楽しげにしている。それを見ていて、嬉しかった。
部屋に帰ってから原稿を書こうとしたが、さすがにたまらず、しばし眠り込む。
▼4月17日の日曜
午前3時ごろに目覚め、独立総研から会員に配信しているTCR(東京コンフィデンシャル・レポート)を執筆。
しかし未完。
夜が明けてから、みじかく朝湯に入る。
午前7時過ぎには、もうきちんとスーツを着た秘書室長が部屋に着て、打ち合わせを兼ねながら一緒に朝食をとる。
朝ご飯も、びっくりするぐらい、おいしかった。
午前8時ごろに、ひとりで瑞苑を出発し、レンタカーを借りる。
入院している義姉さん(兄の奥さん)を見舞いに、高速を飛ばす。
義姉さんと久しぶりに顔を合わせ、手を握って元気な体温を感じ、付き添っている兄と充分に話し、病院を出て、母のところに、これもほんとうに久しぶりに立ち寄って、すこしだけ話した。
内心では後ろ髪を引かれながら、またレンタカーで高速を走り、伊丹空港へ。
空港で秘書室長と落ちあい、羽田へ飛ぶ。
秘書室長の出張はここまで。
羽田空港からひとりでタクシーに乗り、激しい疲れも感じたが、気持ちを励まし、スポーツ・ジムへ向かう。
ジムでダンベルやバーベルを挙げ、ひさびさにトレーニング。
ボディ・ケア(スポーツ・マッサージ)のあと、軽く泳ぐ。
帰宅して、TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の執筆と、電子メールを使った取材で徹夜する。
レポートは未完。
▼4月18日の月曜
朝、ふたたび羽田空港へ。
主任研究員(26歳、シアトル育ちの女性)と空港で落ちあい、伊丹へ。
伊丹からまず、大阪市内の定宿のホテルにチェックインして、プールで激しく泳ぐ。
徹夜明けの心身をなんとか目覚めさせる。
そして関西テレビへ。
レギュラー出演している「2時ワクッ!」で、中国の反日暴動などについて話す。ベストを尽くすよう心がけた。
出演後、やすまずに公共事業体へ。
新年度の委託研究プロジェクトが、まず2本決まり、そのほかに小ぶりな研究プロジェクトも2本決まった。
独立総研の創立から3年目の平成17年度も、滑り出しはまずまず順調かな。
ホテルへ戻り、主任研究員と打ち合わせ。
夕食は部屋で仕事をしながら、とも思ったけど、凄絶な奮闘の続いている、この若き主任研究員の激しいストレスを思い、ホテル近くの大阪らしいお店で軽く食事。
ホテルへ戻り、TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の執筆、取材や、そのほかの締め切りが来ている、あるいは過ぎている原稿の執筆、それにコラムを連載している「花泉」(華道の機関誌)のゲラ直し。
レポートは未完。
▼4月19日の火曜
朝、主任研究員とともに大阪駅から特急「サンダーバード」に乗り、3時間10分ほどをかけて富山へ。
富山県の立山連峰は、アルペン競技スキーヤーだった学生時代に、夏合宿で毎年、訪れていた。
雪渓を登る登山家の列のすぐ横で、ぼくらは長いスキー板をかつぎ、曲がらないスキー靴で1時間以上もかけて登り、数分で滑り降りてくる。
その繰り返しだ。
登山家たちと、それから雷鳥が、ぼくらを眺めていたのを想い出す。
だけど富山の駅から、富山市の中心部に降り立つのは初めてだ。
歩いて県庁に入り、たいせつな知己のひとりである知事と会う。
国民保護法制への取り組みなどについて、打ち合わせる。
主任研究員の話しぶりがとてもしっかりしていて、また成長を感じる。
県庁から富山空港へ。
レストランで、富山名物を次から次へと食べて、あぁ完全に食べ過ぎ。
飛行機は狭くて混んでいて、疲れがどっと噴き出す。
羽田から、自宅ではなくお台場のホテルに入り、その一室で「TVタックル」のコメントを収録。
収録のあと、自宅へ。
TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の執筆、取材と、そのほかの原稿の執筆。
レポートは未完。
取材はかなり進んだのだから、早く配信したいのだけど、やはり水準をもっと高めたくて、まだ未完にしている。
会員のかたがたには、お待たせして申し訳ない思いが、込みあげる。
▼4月20日の水曜
古巣の共同通信のために未だに連載している原稿をはじめ、もうどうにも締め切りを延ばせない原稿などの取材を急ぐ。
そしてTCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の執筆、取材。
まだレポートは未完。
夕刻、記者時代からのおつきあいの元外務事務次官、そして元航空自衛隊幕僚長と会食。
中韓の反日暴動をどう見るかについて、突っ込んだ話をする。独立総研の上席研究員が同席。
きょうは飛行機に乗らないで済んだ。
▼4月21日の木曜
絶対に締め切りを延ばせない原稿を5本、完成させて送ってから、新橋発の快速に飛び乗り、千葉へ向かう。独立総研の、きょうは秘書室長でも主任研究員でもなく、総務部の経理室員が同行。
どの社員にも、こうした機会が必要だ。
千葉の駅近くで開かれた、千葉県証券協議会・総会で記念講演。
この講演は、おのれでもまずまず満足できる出来だった。
千葉からまっすぐ羽田へ。羽田からは、ふたたび沖縄へ講演のために向かう。
沖縄の今回の講演主催者から「青山社長は時間がないでしょうから、千葉から羽田空港へのタクシー代を負担します」という連絡が来ていると、同行の経理室員から何度も聞いたけど、きっとタクシー代は高い。
ひょっとしたら、沖縄のかたは千葉駅前から羽田空港への遠さをご存じないのではと思い、タクシーに乗らず、羽田行きのリムジン・バスに乗る。
このバスが、考えてみれば当然ながら、まっすぐ羽田へは向かわずに、あちこちの駅を回ってはお客さんを拾っていく。
羽田に着くまでに、ずいぶんと時間がかかり、やっぱり主催者の言葉に甘えるべきだったかなぁと思うが、それでも自分で払うならともかく、人に支払ってもらうタクシー代のメーターがどんどん上がっていくのは、やっぱり耐え難かったなと思い直す。
だけど独立総研の社内には、きっと異論が多いだろう。これだけ時間がない状態にあるのだから。
経理室員とは、羽田で別れ、ひとりで深夜に沖縄着。
夜遅くにもかかわらず、主催者の沖縄タイムス社(沖縄の地元新聞)から出迎えの車が来てくださっていて正直、助かった。
ホテルにチェックインして、部屋へ向かうエレベーターのドアが開いたら、そこになぜか関西テレビの女性スタッフが立っている。
お互いにびっくり。
目がくりっとして、南国の顔立ちをしている人だから、思わず「里帰り?」と聞いてしまったが、そうじゃなく、「新婚さんいらっしゃい」のロケに来ているとのこと。
部屋に入ると、もう零時近い。
窓の下に、離島に行く船が着く港が、暗く静まっている。
すぐに眠りたかったけど、TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の執筆、取材。
レポートは未完。
▼4月22日の金曜
ぎりぎりまで原稿を書いてから、正午、講演へ。
講演の始まる直前に、独立総研の上席研究員が東京から合流する。
聴いてくださるかたがたは、沖縄の政治・経済界を代表する人がほとんどだ。
沖縄電力の役員、沖縄最大のスーパー「サンエー」の社長、沖縄タイムスの社長・役員、琉球放送の社長などなど。内閣府や外務省の出先機関のかたがたや、若手のひとたちも加えて、嬉しいことに、狭くはない会場の席はすべて埋まっている。
共同通信の那覇支局長も来てくださった。
実は、先週の沖縄講演と、聴講者は半分ぐらい重なっているとのこと。
そのために、新しい話をしたいのと、同時に、初めてのかたにも分かりやすくしたいのと、その思いが重なって、ぼくの内心ではなかなか簡単ではない講演だった。
講演のあと、みなさんはずいぶんと喜んでくださって、それに深く、深く感謝しつつ、ぼく自身の自己評価としては及第点ではない。
たいへんに心残りだ。
講演のあと、2週連続で、ぼくのつたない話を聞いてくださった沖縄電力のN副社長とお茶を飲む。
Nさんは、先週が初対面のわけだけど、ぼくは勝手に何か運命的な出逢いを感じていた。
もともと、沖縄に思い入れの強いぼくだけど、こんな出逢いはあるようで、なかったことだ。
お茶を飲みながら、意外な話を聞く。
Nさんは、地元の最大企業の役員でありながら、FMラジオでディスクジョッキーをしていて、ビルボードのヒット曲をかける1時間番組を持っているとのこと。
さすが、OKINAWA!
このへんも、僭越ながら、気が合う理由なのかなぁ。
そのあと、Nさんの部下に案内していただいて、独立総研の上席研究員とともに那覇市内で民俗衣装の店などを短時間ながら訪ねる。
夕刻から、Nさんや、Nさんの友人と会食。
なんと21年ものという沖縄の古酒を、たくさん、たくさん飲み干す。二次会まで、たっぷり話し込む。
Nさんから、TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の法人会員になっていただくということを聞き、とても嬉しく思う。
ながぁい、付き合いになりそうだし、信頼には、より深い信頼で応えたいと思う。
Nさんは、先週のぼくの講演を聴いたあと、「白梅の塔」についてあれこれ、ご自分で調べられたそうだ。
「青山さんの話を聞くまで、正直、白梅の塔についてよく知りませんでした」とおっしゃった。
沖縄での講演で、ぼくが白梅の塔に触れるたび、聴講者からちょっとポカンとするような反応があるわけが初めてわかった。
沖縄戦で犠牲になった女生徒たちの慰霊塔は、ほかにも例えば「ひめゆりの塔」があり、こちらは二度も映画化されたために有名だ。
映画化され、訪れる人がたくさんいるからといって、青春も人生も希望もすべて奪われた女生徒の悲惨が変わるわけじゃない。
だけど、それにしても白梅の塔は、いつ訪れても人影がなく、ひっそりと静まっている。
白梅の塔とたまたま出逢ったぼくの使命として、これからもお参りを続けていきたい。
(※白梅の塔については、この一つ前の書き込みをご覧ください)
▼4月23日の土曜
始発便で沖縄を発ち、羽田へ。
テレビ朝日に直行して、「サンデー・スクランブル」のコメント収録。
テーマは、中国の反日暴動。
帰宅して、締め切りのデッドラインが来ている連載コラム(宮崎日日新聞の「論風」)を書きあげ、送稿。
これもテーマは中国だ。
そのあと、アウディ・クワトロ80を運転して情報源のひとりのところへ向かう途中、ちょっと理由があって、首都高速を途中で降り、新宿の病院へ。
駐車場のない病院で、すぐに診察は終わるだろうと車を病院前の路上に停めて、院内へ。
ところが予想外に時間がかかり、1時間後に出てくると、クワトロがない。
やられました。レッカー移動されている。ずいぶんと長年、車に乗っているけどレッカー移動されたのはこれが初めてだ。
新宿警察へ行き、約3万円なりを払って、クワトロを返してもらう。
このごろ車の運転に謙虚でないところがあって、そんな自分を知りつつ変えられないで、なんとなく何かがある予感がしていた。
この3万円は、支払うべき授業料としては、高くない。
明らかに、正しい判断を見失っていた。軽率に路上駐車をした自分を、戻ってきたクワトロを運転しながら深く恥じた。
ちょっと不謹慎な言い方だけど、クワトロの全身に厄払いをしたような、すっきりした気配を感じた。
帰宅後、TCR(東京コンフィデンシャル・レポート)の取材、執筆を続けて、徹夜になる。
この週末に完成させて、週明けには必ず配信したい。
それに加えて、デッドラインの締め切りを超えつつある原稿が、びっくりするほどうず高く積みあがっている。
あす、いや正確にはきょうの日曜日は、日帰りで新潟で講演だ。
こりゃ、新幹線のなかはずっとモバイル・パソコンだなぁ。
(2005年、平成17年4月24日・日曜日、午前6時すぎ記)