Our World Time

きのうの木曜日に…

2014年03月28日 | Weblog
…東京・有楽町のニッポン放送に行ったら、週刊文春が置いてあった。
 ま、いつも、週刊文春と週刊新潮は、この報道番組「ザ・ボイス」のスタジオには、新聞各紙と一緒に置いてあるんだけどね。
 この3週間は、ちょっとだけ、違う意味がありました。

 水道橋博士は週刊文春に大人気の連載記事を持っていて、そのなかで、なぜかぼくのことも取りあげて、それが3週間続いたのです。
 以前に、ぼくが新幹線のホームにいたとき、水道橋博士から携帯に電話があった。
「たかじんさんのことを書いたあとに、青山さんのことを書こうと思うんですけど」という話だったから、ぼくは「あ、いいですよ。書きたいことを書くのは当然です」とだけ答えて、何を書くのかとか、もちろん聞かなかった。

 そして正直、忘れていた。
 ぼくは自分の出ているテレビ番組も気持ち悪くて視ないので、この連載記事も、あまりしっかり読んでいない。
 自分のことが書いてあるのなら、それはあまり読んでもしょうがない。他人が自分をどう見ているか、それをいろいろ知っても、意味は大きくない。他人に評価していただくために生きているのでは、ないからだ。

 きのう、ニッポン放送のスタジオで週刊文春の今週号を手にしたときも、著者の水道橋博士の炯眼(けいがん)に敬意を払いつつ、ざっとしか読まなかった。
 だけど、自分のことじゃなく、水道橋博士の「書くこころ」に惹きつけられた。

 水道橋博士の達者な、面白い文章で書かれている、ぼくをめぐる細かい事実には、やや実際とニュアンスの違うこともないわけじゃないけど、何というのか、その根本を見る眼、ぼくなりのささやかな生き方のちいさな根っこを掴んでいる水道橋博士のこころの眼、それが澄んでいることに、実は、感動しました。


 水道橋博士は「ザ・ボイス」の飯田キャスターとぼくが横浜高島屋で開いたトークショーに、なんと、お忍びで来ていましたね。
 まことにまことに僭越ながら、水道橋博士、よければ独立講演会にもお出でください。4時だよぉ、あ、いや、ここだよぉ。



*4時だよぉ…が何のことか分からない人も、たくさんいらっしゃるでしょう。
 ごめんね、ニッポン放送の「ザ・ボイス木曜日」を、午後4時から聴いてくださると、えへへ、わかります。

その後も…

2014年03月27日 | Weblog
…「わたしも誤解していました」、「落胆していたので、誤解と分かって、こころからホッとした」という書き込み、メールが止まらないので、ちょっとびっくりしています。

 下のエントリーにあるように、RKB毎日放送の「インサイド・ショック」コーナーが終わるというのは、誤解です。
 コーナーも、ぼくの参加も続きます。
 キャスターが交代されるだけです。

 ゆうべ、ラジオ局のスタッフに電話もして、「番組の中でも、あらためてお知らせしてくれませんか」とお願いしましたが、「どうせ来週に青山さんがいつも通り出るんだから」という答えでした。
 ぼくは単なる番組参加者(一般的には出演者)ですから、これ以上何かを申す権限はありませぬ。

 誤解の元は、いつも、時間が足りずに充分には説明できないことです。
 これはラジオでもテレビでも、ふつうの講演会でも、なかなか避けられません。

 そのリスクが割と少ない、つまりは時間がしっかり用意されているのは、自主開催の「独立講演会」、ただ一つです。
 次回の独立講演会の申込〆切が迫りました。関心のあるかたは、ここです。

まるまる誤解です、それは。

2014年03月26日 | Weblog
 こんな書き込みがありました。

~ここから引用~

RKBラジオの件 2014-03-26 19:39:26 (※ここに実名が書いてありますが、伏せます)

 インサイドショックの終了、とても残念です。九州の地で青山さんの発信をライブで受け取れる唯一の場所だったのに、残念というか、ガックリきてしまいました。
 世界のどこにいても参加が可能なラジオの参加が減るのは、ある意味アンカー降板よりも意味が重いと思います。

 その分、実務に専念できるからよかったのだ。と思うのですが、正直、自分に言い聞かせている状態です。

 それだけ依存しているのでしょう。
 自分の頭で考え切れていない。だから人に甘えている。

 今回の件は残念ではありますが、自分を律するきっかけにもしたいと思います。

 それでは、青山さんのご無事をお祈りしておきます。

~引用ここまで(実名を伏せた以外は、すべて原文のまま)~

 この方だけではなく、似た内容の書き込みとかメールとかありましたから、お話ししておきます。
 RKB毎日放送(福岡)のラジオ番組で、毎週水曜の朝に「インサイド・ショック」という生放送のコーナーに電話で参加しています。
 きょう3月26日朝の放送で最終回になったのは、ぼくの参加でもなく、「インサイド・ショック」コーナーでもなく、番組全体の人気ベテランキャスターだった中西さんが、みずからの意思で引退なさったのです。

 来週以降も、「インサイド・ショック」コーナーも、ぼくの参加も、続きます。
 ついでにお知らせしておけば、これまでは午前8時半過ぎからのコーナーでしたが、来週から早まります。午前8時18分からです。
 これまでのように午前8時半からお聞きになると、「あ、コーナーが無くなってる」と、これも誤解を呼ぶ恐れがありますね。
 どうぞ、ご注意ください。

 そして、この書き込みを書かれたかたへ。
 何も依存じゃないと思います。
 ぼくの話をきっかけにして、さまざまに考えておられるのですから。

 これからもずっと、一緒に考えていきましょう。

ちいさな、しかしホントに不思議なミステリー

2014年03月25日 | Weblog
 さっき、新幹線を降りようとしたら、腕時計が止まっている。
 実は、ぼくが使う腕時計は、どれもこれも、電池を入れ替えても入れ替えても、すぐに止まってしまうのです。

 プロの科学者である青山千春博士(独立総合研究所の自然科学部長)は、いくつかの時計屋さんに相談した結果、「社長は体から強い磁場を発するかなんか、常人では理解しがたい作用があって、時計という時計を止めてしまう…のでは」と言っています。

 いくら何でも、そんなことはないでしょう。
 しかし現実問題、困っちゃうんだよね~。
 マレーシア機の事件みたいに重大なミステリーじゃないけど、ぼく個人にとっては、ほんとに困るミステリー。
 今日もこれから、出張の道中、時計がなくなってしまった。

 みなさん、独立講演会の最中も時計が止まってしまうかも。
 だから、独立講演会は、時間無制限?
 いや、違います!
 みんなの質問に答えるために、時間無制限という無茶な講演会を自主開催で始めたのです。
 今は、みなさんの健康を考えて、大体4時間半から5時間。
 それでも、ほかに無いと思います。
 よかったら、お出でください。ここです。

 …しかし、思いがけず「いくら何でも」シリーズみたいなエントリーになってしまった。

いくら何でも…

2014年03月25日 | Weblog
…無茶ぶり日程だよぉ。
 ゆうべ深夜に、西太平洋を越えて帰国すると、今朝8時にはもう出発。
 新幹線で京都に入ってから、奈良県へ、奈良県から大阪へ。
 あ、今日は飛行機に乗らない珍しい日だ。こないだからずっと、戦闘機に乗り、哨戒機に乗り、、軍用ヘリに乗り、そして民間航空機はほぼ毎日乗り、2日間に5回飛んだりするのがこの頃は、ふつうにある。
 その意味では、今日はマシ?

 ゆうべ真っ暗な海の上を飛んでいるとき、自然にマレーシア航空機の乗客のことを思った。
 ふつうに映画のチャンネルを視たり、CA(キャビンアテンダント)に飲み物を頼んだりしているさなかに、夜更けから朝にかけての迷走フライトが始まったのだろう。
 無言の叫びが、光のない海から湧きあがるようで、ぼくは疲労に耐え、原稿遅れの焦燥に耐え、窓のシェードを開いて、果てしのない闇をMH370便の乗客のひとびとと共にするように感じつつ、独研・研究員の書いた報告書を直す仕事を続けた…。


 さ、新幹線に乗ります。
 みなさん、独立講演会で会いましょう。(ここです)

ま、次の波に乗ればいいか

2014年03月24日 | Weblog


▼なんと言うのか、空しいと言ってはいけないけど、いまハワイにいて、仕事だけです。
 このわくわくする波の音を、外に聞き、胸を澄ませてくれる風が椰子の木を吹き抜けるのを、外に見つつ、部屋の中で仕事だけ!

 オアフ島の、かつて帝国海軍機が空を埋めた真珠湾を望む地域で、アメリカ軍の太平洋艦隊司令部(PACFLT/パックフリート)、太平洋空軍司令部(PACAF/パッカフ)、そして太平洋軍の統合司令部(PACOM/ペイコム)をそれぞれ訪ねて、中国・習近平政権の沖縄全土への決定的な野心や、韓国大統領の韓国みずからを窮地に導く異様な反日や、北朝鮮の金一族独裁のこれまでにない動揺、さらにはサイバー防衛のための日米の新しい連携などについて踏み込んで議論しました。
 マレーシア機の一件もあります。

 こうした司令部、たとえばPACOMは敷居がとても高くて、なかなか部外者は入れません。
 ぼくもかつては、東京から太平洋を飛んでハワイに着き、空港から真珠湾に来て、駐車場を出て、ゲートに向けて歩き始めたところで突然、「入構を許可できなくなった。理由は言えない」という究極のドタキャンを携帯電話に受けた、苦い記憶もあります。

 しかし今回は、去年の10月にPACOMとPACFLTを訪ねたばかりですから、わずか5か月での再訪です。
 よく受け入れたな、とも思います。
 これには、さまざまな要因があるけれど、第一には、ぼくとアメリカ軍の間に入った文官、自衛官を問わず日本側の人々がぼくを信頼してくれて、一生懸命に働きかけてくれたことです。
 そして、ひとつには日本の動きへの関心の高まりが間違いなくあります。
 アメリカの言うことなら何でも聞くから放って置いてもよかった日本とは違う、という意識があると言っても良いと考えます。


▼ひとりの民間人として、非公式な、自由な議論に徹して、進めました。
 ぼくはさまざまな公職にも就いていて、守秘義務も背負っています。
 ですから、今回の議論にはすべて、陸海空それぞれの自衛隊から米軍に派遣されている連絡将校が同席し、防衛省からホノルル総領事館に派遣されている文官も同道してくれました。
 ただし、ぼくの公職はいずれも、こちらから、すなわち主権者から政府に問題提起をする立場の公職であり、いかなる指示も政府からは受けない公職です。
 ですから、内閣の方針には一切、縛られません。
 そもそも、さまざまな内閣を貫いて公職を務め続けていますから、時の政権には左右されず、ましてや政党とは何の関係もありません。

 そして、たとえばいちばん新しい公職だと、2月に総務省消防庁の消防審議会の委員に就きましたが、この審議会は就任の際の正式文書のなかに「報酬を受け取るかどうか」という問い合わせ文書があったので、「1円も受け取らない」と回答しました。
 いかなる政権に対しても自由な立場を確保するためです。
 法体系によって定められた報酬を受け取るのはもちろん法的にも倫理的にも正当だし、金額も小さく、それによって審議会での意見が左右されるとは思えません。
 だから上述の消防審議会の初会合で、本業は学者である委員長が「わたしたち委員も報酬を受けている責任がある」という趣旨の発言をなさいました。
 全委員が受け取っているという観念が背景にあるのでしょう。
 ぼくは受け取りを拒否しています。しかし委員長発言の訂正は求めませんでした。
 これは、ぼくと、独研(独立総合研究所)の自律した姿勢によるのであり、他の委員の方々の報酬受け取りに何らの問題もないからです。

 したがってアメリカ軍との今回の議論も、自由な立場だけで遂行しました。
 その際の原則はふたつだけです。ひとつ、日本の国益のために議論する。ふたつ、相手国(今回はアメリカ)の立場と国益をフェアに尊重して議論する。
 独研は、みずからの食い扶持はすべて自分で稼いで自律するために株式会社であり、同時に、利益よりも国益を追求しています。
 日本に例がないわけではありません。幕末に、坂本龍馬さんが日本で初めて創った民間会社と言うべき「亀山社中」も同じでした。


▼写真は、アメリカ太平洋空軍司令部(PACAF)の構内にある「帝国海軍の射撃の跡」とされるものです。
 帝国海軍が攻撃したここは、1941年12月の真珠湾攻撃の当時も、現在も、アメリカ軍の専用施設です。
 真っ赤な嘘だらけのハリウッド映画「パールハーバー」にあるような、民生施設への攻撃では全くありません。


(ぼくと、アメリカ空軍の士官、航空自衛隊の連絡将校たち、独研の研究員)


 ただし、ぼくに同道した航空自衛隊の士官(戦闘機乗り)のうちのひとりは「おそらく、多くの弾痕はゼロ戦など日本海軍による射撃ではないと思います。角度などが合わない。攻撃目標も、この建物ではなく、背後にある滑走上の飛行機でした。アメリカ軍の混乱した反撃による流れ弾ではないでしょうか」と話していました。
 アメリカ軍は、すべてを日本海軍による攻撃の跡として、残しています。こうした軍施設の内部は改装を重ねても、外装は当時のままにしているのです。

 しかし大切なことのひとつは、アメリカ軍が恨みや日本批判として、こうして残しているのではなく、アメリカがみずからの油断を反省する材料として、むしろ日本海軍への敬意も込めて、日米の両国関係が平和であることへの真摯な願いとして、弾痕を残していることです。
 軍施設の中に掲げられた解説文や、現在のアメリカ軍の将校たちが語る言葉に、それは明瞭に示されています。


▼ハワイの風は、やっぱり爽やかです。
 ハワイは数え切れないほど来ています(ただし多くが仕事)。
 それでも、今回ほど風の気持ちよさを感じるのは久しぶりです。
 日本で何度も大雪に見舞われた時に来たからかなぁ。

 ハワイと日本の時差は19時間と、最大です。このところの極端な上にも極端な忙しさで体調はさほど良くないけど、時差呆けは、いつもの通りほとんど感じません。

 せっかく、気持ちのいいハワイにいるけど、仕事が終わるとすぐ、帰国です。まもなくホテルを出発し、ホノルル空港に向かいます。
 前回、昨2013年の10月に来たときは、ホテルのチェックアウトと飛行機の搭乗のあいだのわずかな隙に、生まれて初めて、サーフィンに挑戦したのでした。
 何気なく波にどんどん乗ってしまい、サーフショップのコーチやカメラマンが驚いて「凄い」と叫びましたが、ぼくも内心で驚きました。
 ぼくはスキーヤーでもありますが、そのスキーがバランスのスポーツだからかな?
 そのときの写真を、ちゃんとカメラマンが送ってくれたけど、この地味ブログで公開するのを、すっかり忘れていました。
 たくさん送ってくれた写真のうち数枚だけ、この機会にアップしておきます。


(浜辺で、右のコーチに、とりあえず、どうやって漕ぎ出すのかを聞く。聞いたのは、ほとんどそれだけ。だって、特に教えてくれないんだもの。ほったらかし、自分でやれ、考えろのアメリカ式。このやり方、実は大好きです。   …*これは今回の写真ではなく、昨年10月の写真です)

(さぁ、もっと沖へ漕いでいこうと思いつつ、で、どうやって立つんだ?とサーフボードの上で小休止しながら考えているところ。   …*これは今回の写真ではなく、昨年10月の写真です)

(ま、とにかく立ちゃいいんだろうと、生まれて初めてのサーフボードの上に立ち、適当にバランスを取ってみる。   …*これは今回の写真ではなく、昨年10月の写真です)

(波の先に乗る感じというか、先へ先へバランスを取ればいいのかなと、新しい波に立ってみる。   …*これは今回の写真ではなく、昨年10月の写真です)

(進む、進む。面白いぐらい、進む。何がいいフォームか、何も聞いてないけど、とりえあえず両足を均等に踏ん張ってみる。   …*これは今回の写真ではなく、昨年10月の写真です)

(併走しているコーチやカメラマンの大歓声も聞こえている。このあと浜辺のすぐ近くまで、波が完全に消えてしまうまで、ふつうに立っていき、サーフボードから降りた。これを繰り返して、やがて浜辺に戻ったら、見ず知らずのアメリカのおばちゃん、最初の写真に写っている人が、ぼくに抱きついてきて「なんて凄いの。あなた初めてでしょ。感激したわ。元気が出たの」と英語で叫んだ。ふひ。   …*これは今回の写真ではなく、昨年10月の写真です)


▼今回も、同じように時間の隙を狙って、二度目のサーフィンをやりたいけど、さぁ、時間を捻(ひね)り出せるか。
 …と考えていましたが、今回はやっぱり無理です。
 う~む、無念だ、本心から、無念だ。
 ま、次回に来たときに、波に乗ればいいと思うほかありませぬ。ふひ。

 アメリカ軍との日程が終わったあと、自衛隊から派遣されている連絡将校、それに文官もみな集まってくれて、ぼく、それに独研の研究員と懇親しました。
 ぼくはたくさん質問を受け、すべて答えていきましたが、ある士官が「明日一日は、さすがの青山さんも日程が入っていませんね」と聞きました。
 せめて一日は楽しく過ごせますね?という意味だと思いました。
 そりゃ、常識からすれば、そうだろうから、ただ笑顔を返しましたが、実際は、原稿げんこうゲンコウ原稿で、身動き取れないのです。
 素晴らしい波の音を聞きながら、ホテルの部屋で原稿を書くだけです。

 次回もハワイに来るのは、間違いなく仕事で来るでしょう。
 今のぼくは、アメリカ本土への出張も実質、日帰り、つまり機中泊だけでアメリカには数時間しか居ないという日々ですから。
 しかし、そのときは、二度目のサーフィンにも必ず挑戦します。


▼原稿のうち、最優先は、このところあまりに激烈な日程ですこし配信が滞っている東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)。
 これは、独研からクローズドの完全会員制で配信しているレポートです。(問い合わせはここです)

 その次が、小説新作の完成。
 できれば一両日中に終えたい。

 その次が、信じがたいことにウルトラ級のロングセラーになっている「ぼくらの祖国」(扶桑社、たとえばここです。電子版はたとえばここ。いちばん新しい音声版はここ)、このたいせつな本の続編というか、正編になる「その時が来る 祖国は甦る」(扶桑社)の脱稿です。
 何度も〆切を遅らせてもらったけど、このひとつ下のエントリーで、もう公約してしまいました。
 5月にアメリカ・サンノゼで、中韓の不当な日本中傷にフェアに対峙するためにも開く講演会(チケット購入とサイン本の予約はここ)で、みなさんがサイン本を手にすることができるように、最終的に、4月上旬に全文を脱稿します。


▼アメリカ軍との議論の中身は、できるだけ関西テレビの報道番組「水曜アンカー」やニッポン放送のラジオ報道番組「ザ・ボイス木曜版」でも取りあげようと考えています。
 しかし、いちばん踏み込んで語り、明かすのは、前述の東京コンフィデンシャル・レポート(TCR/問い合わせはここ)、それに独研が自主開催している講演会、独立講演会になると思います。
(3月30日に東京で開く会は、もう締め切っています。次回、神戸で開く会は、ここです)


▼上記のように、こうして海外出張に出ているうちに、次の独立講演会の申込がとっくに始まってしまいました。
 もう申込開始から1週間近くが過ぎ、申込期間はあと4日しか残っていません!
 関心のある方は、どうぞ急いでください。上掲と同じですが、ここです。
以下に、独研の公式HPにアップされている募集要領を抜粋して、掲げておきます。


*第28回 独立講演会@神戸 (2014年 4月20日 : お申込みの受付を開始しました)

【講演日】
2014年4月20日(日)

【講演時間】
開場:12時30分
開演:13時30分 ~ 18時00分 予定

【講演内容】
「祖国、アジア、世界を、あなたと一緒にどうするか その1」

【場所】
神戸商工会議所 神商ホール(3階)
〒650-8543 神戸市中央区港島中町6丁目1番地
Tel.078-303-5804
「JR三ノ宮駅」、「阪急三宮駅」、「阪神三宮駅」からのりかえ。
ポートライナーで10分。「市民広場」駅下車。北へ徒歩約5分
詳細は、こちらへ。

【受講料】
一般 5,000円 / IDC(独研の会員制クラブ、インディペンデント・クラブ)会員 4,000円

【申込期間】
2014年3月19日(水)正午~ 2014年3月28日(金)正午 予定
※申込期間内のみ、申し込みを受付致します。

【申込方法】
「申込フォーム」ボタンをクリックし、リンク先のページよりお申込みください。そのボタンは、前述の通りここにあります。

【抽選結果通知】
当選・落選発表は、3月28日(金)申込締切り以降、メールにてご連絡致します。
※会場の規模によって抽選になる場合がございます。

【禁止事項】
※参加資格の譲渡
※講演の撮影・録音・録画
※講演中のパソコンの使用
※事前にお申込をされていない方の入場

【問い合わせ先】
独立講演会 運営事務局
※電話でのお問い合わせは対応しておりませんので、ご了承下さい。
※独立講演会については、独研(独立総合研究所)総務部では対応しておりません。

飛んで、飛んで、しかし書くときは地に足をつけて

2014年03月18日 | Weblog
 夜遅い時間に、いま沖縄から空路、大阪に入ろうとしています。
 これから深夜にかけて、関西テレビの報道部の面々と、あす3月19日の「水曜アンカー」のために大阪市内で議論します。

 ところが、その明日はまた、テレビ朝日の「ワイド・スクランブル」から要請があり、早朝にいったん大阪から東京に帰って、テレビ朝日で生放送に参加し、またとんぼ返りで大阪にいったん戻って、「水曜アンカー」の生放送に参加し、明日はそのまま夜に大阪で講演をし、あさって木曜の朝に東京に戻ります。
 東京では、ニッポン放送のラジオ報道番組「ザ・ボイス木曜日」ですね。

 明日の「ワイド・スクランブル」は、マレーシア機のその後に加えて、クリミアのロシア編入などがあり、番組の始まりから終わりまで、初めてずっと居ることになりそうです。

 ところで、こんな日程では当然、原稿を書く時間を捻り出すのは、難行苦行です。
 しかし、第二次安倍政権が「河野談話見直さず」と国会の総理答弁で明言するような事態になっているからこそ、「ぼくらの祖国」(扶桑社、関心のある方は例えばここここ)の続編、いや、続編と言うより正編が必要だと考えています。

 そのノンフィクションの新作は、「祖国は甦る」としていましたが、「その時が来る 祖国は甦る」としました。
 4月発刊はもう難しいかも知れないけど、慰安婦をめぐる反日デマゴーグなどと戦っている「日本を思う在米日本人の会」主宰でアメリカ・サンノゼで5月18日・日曜に開かれる、不肖ぼくの講演会までには必ず、間に合わせます。
 当日、「ぼくらの祖国」、そして「希望の現場 メタンハイドレート」(ワニブックス。例えばここを見てください)、「海と女とメタンハイドレート」(ワニ・ブックス。例えばここを見てください)と一緒に、この「その時が来る 祖国は甦る」が希望者の手に、ぼくのサインと共に、渡るからです。
 ぼくや独研(独立総合研究所)は、太平洋を渡る往復の航空運賃などは自己負担で、この講演を遂行します。(講演チケットや、上掲の本の予約はここです)

 さぁ、公約しちゃいました。

そういえば、重大事 その2

2014年03月18日 | Weblog


 いまだ決着していない、ぼくの同行秘書( 独立総合研究所・総務部・秘書室第2課に所属 )探しについて、独立総合研究所の公式HPを通じた募集が、期間延長になりました。
 今月末、3月31日月曜の正午までです。
 関心のある方は、ここを見てください。


 海上自衛隊の哨戒機P3Cに搭乗し、侵入船の探索などを試みた帰途、那覇の空港にて  青山繁晴 拝
 写真は、P3Cの海上探索のための窓から見た東シナ海、わたしたちの沖縄の海です。

いま3月18日火曜の午前5時半…

2014年03月18日 | Weblog
…なんともう、羽田空港にいます。
 これから沖縄に向かいます。
 独研(独立総合研究所)の会員制クラブ「インディペンデント・クラブ」(IDC)の研修として、会員とともに海上自衛隊の基地から哨戒機P3Cに乗り込み、わたしたちの沖縄、尖閣を含む南西諸島の海を飛びます。

 このところの日程は、無茶ら苦茶らぶりに磨きがかかっています。
 おととい日曜は、長野県で、おなじくIDCの雪上集会、つまりスキーをがんがんに滑り、夜に懇親会で質問を受ける会でした。
 その翌日月曜は、今日のように早朝に長野県を出て、社有車を運転し帰京、夜の都内での講演を含め、正直、凄まじい日程でした。
 テレビ朝日の「ワイドスクランブル」から、「その途中に、飛び込みで生放送に来て欲しい」という要請があったのは、ちと、驚きましたが、こういう積極果敢な依頼は嫌いではないので、ほんとに全力疾走で間に合わせました。

 さぁ、那覇行きへの搭乗です。
 那覇に着くと、今度はそこからは自衛隊機への搭乗です。

会います!

2014年03月14日 | Weblog
 直前も直前、超直前になってしまいましたが、きょう午前11時から、横浜高島屋で、ニッポン放送「ザ・ボイス木曜日」のトークショーを、飯田こうちゃんアナと一緒にやります。
 正午からは、サイン会です。
 サイン会に参加されるには、事前に(午前10時ごろ)から「ぼくらの祖国」(扶桑社)か「海と女とメタンハイドレート」(ワニブックス)をお求めになることが必要です。

 みなさん、お会いしましょう!
 サイン会では、握手と、ご希望のかたとは男女を問わずハグしましょお~。

 ぼくはこのあと、大急ぎで仙台に向かいます。


祖国の蒼穹 その7 完(できれば、その1から見てください)

2014年03月12日 | Weblog




 そして場面は一気に、任務・戦技訓練を完遂して、地上に降り立ったあとの場面になります。
 空中戦の模様は、公開できません。
 また、ぼくの乗った隊長機、敵機役の大尉の機のいずれも、空中戦のあいだは写真撮影どころではありませんでした。
 実際は、空中戦はデジタル・データと共にコンピューターに記録され、地上に降りたあと、橋本隊長(中佐)が、城殿(きどの)司令(少将)をはじめ限られたメンバーに再現しました。
 城殿司令は「ほんとうに、これをやったのか」、「よく、ここまで、やったな」と、おっしゃいました。

 飛行中、F2の前席の隊長は、ぼくが部外者だからと言って、余計な説明をしたり話しかけたりは一切ありませんでした。
 おかげで、ぼくも集中できたのです。

 隊長は、不断に続けている戦技訓練、空中戦のまんま、ほぼ終始無言でした。
 機内の通信機から、ぼくの飛行ヘルメット内に、隊長の烈しい息づかいだけが聞こえ、響いていました。
 隊長が力を尽くして戦っていることが、よおく、分かりました。
 ぼくは激烈な6G、7G、そして信じがたい8Gの、どんな暴虐よりも凄まじいと思ってしまうほどの力、人間を潰しにかかる圧倒的な力に耐えながら、隊長のこの決意に深く感謝していました。

 保身第一なら、こんなことができるはずはありません。
 事故、後席での死亡などのリスクはちゃんと完璧に考えつつ、ほんとうに遠慮なく、ベストを尽くしてくれたのです。

 隊長の耳にも、フッと息を吐ききり、クッと腹筋、背筋、腰の筋肉に力を入れて圧力に耐えている、ぼくの息遣いがよく聞こえていたそうです。
 そして、ほんとうはある手段を通じて、ぼくの様子を眼でも確認していたそうです。
 ぼくは、人生で一度も考えたことのない「頭から胸から上半身の血がすべて一気に下へ墜ちていこうとする」ことにも懸命に耐えていました。放っておけば、確実に、意識を失います。
 教わったとおり、腹筋に本気で力を入れると、血流がそこでぴたりと止まってくれるのが分かりました。耐Gスーツが効いているのも感じました。
 

 隊長が、1時間半近くにも及んだ、この戦技訓練・空中戦で、後席のぼくに機内通信を通じて発した言葉は、たった、みっつです。
 ひとつは、Gをかけ始めた初期のころの「大丈夫ですか」。もうひとつは、空中戦をすべて終えて降下を始めたときの「大丈夫ですか」。
 いずれも即、ありのままに「大丈夫です」と応えました。

 そして、もうひとつは、後半戦の始まりに発した一言、「強靱ですね」。
 ぼくは答えるよりも、心身を引き締めました。
 褒めているより、「では究極の戦闘に入ります」という含意であることを、感じたからです。

 そのあとの上になり下になり、敵機の後ろについて攻撃、敵機に後ろにつかれて防戦、その長く険しい空中戦の凄絶さは、正直、首の骨も背骨も折れるかと思いました。

 しかし、前出のエントリーで記したように、高い空での低圧( 地上では1気圧。戦闘機は旅客機と違って機内を快適に与圧したりしないので、空気薄く、圧力が著しく下がり、物を考えたりできなくなることがある )に、ぼくは、ほとんど何の影響も受けませんでした。
 機は、何度も何度も宙返りもし、世界が逆さまになりましたが、眼で水平線、そして肉眼で敵機を探して、自分の位置が分からなくなることもありませんでした。
 そして「いちばん怖い」と事前に言われていたマイナスG(急降下の際の逆G)も、むしろ快適に感じました。

 なぜかは知りません。それがぼくの心身の現在のありのままです。

 任務・戦技訓練を無事に、橋本隊長や城殿司令、そしてすべての三沢基地の自衛官たちの志に応えて完遂でき、機を降りたときは、めちゃめちゃ嬉しく、魂の底から感謝が湧きあがってきました。
 この、われらの自衛隊を維持している国民への感謝も、はっきりと深く、あらためて感じました。

 写真の左が、橋本隊長です。
 真ん中が、城殿司令。
 飛行前に、ぼくが下着になって、耐水服( 海に墜落したときに備える特殊な服 )や飛行服に着替えているとき、ぼくのふくらはぎの筋肉が太すぎて、裾がなかなか降りませんでした。
 これは実は、いつも起きます。スリムのジーパンは、途中でふくらはぎの筋肉に止められて、無理に下へ降ろしています。
 城殿司令はそれを見て、「俺の足より筋肉があるじゃないか」と叫び、ますます「ほんものの戦闘訓練をやろう」と決心なさったそうです。

 ぼくの顔には、飛行マスクがGによって顔に強力に押しつけられていた跡が、目の下にくっきり入っていますね。
 わはは。


(* 写真の撮影、提供は、航空自衛隊)
…これら写真の一部は、きょう3月12日の関西テレビの報道番組「水曜アンカー」でも放送する予定です。
 戦技訓練を体験した詳細は、次回の独立講演会で話します。(ここです。申込は、きょう12日水曜の正午までです!
 また、会員制の東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)で書きます。(ここです)

祖国の蒼穹 その6 (できれば、その1から見てください)

2014年03月12日 | Weblog



 風防も閉じられ、ジェット戦闘機の轟きとともに、まさしく「出撃」へ。
 心身、機材、耐G服などなど、すべての用意が調っていることを示すために、ぼくは指のサインを出しています。



(* 写真の撮影、提供は、航空自衛隊)
…これら写真の一部は、きょう3月12日の関西テレビの報道番組「水曜アンカー」でも放送する予定です。
 戦技訓練を体験した詳細は、次回の独立講演会で話します。(ここです。申込は、きょう12日水曜の正午までです!
 また、会員制の東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)で書きます。(ここです)

祖国の蒼穹 その5 (できれば、その1から見てください)

2014年03月12日 | Weblog




 そして飛行ゴーグルを降ろしました。
 もう、どこにも逃げられません。わはは。冗談です。
 実際は、血湧き肉躍るとはこのことでした。
 一方で、魂の奥はしんと、鎮まっていました。
 ぼくは、ふつうの国民と一緒に飛ぶのです。



(* 写真の撮影、提供は、航空自衛隊)
…これら写真の一部は、きょう3月12日の関西テレビの報道番組「水曜アンカー」でも放送する予定です。
 戦技訓練を体験した詳細は、次回の独立講演会で話します。(ここです。申込は、きょう12日水曜の正午までです!
 また、会員制の東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)で書きます。(ここです)