Our World Time

ひとのゆき交う、空港にて

2007年06月20日 | Weblog



 ちょっと文字で表現しようがないほど悪かった体調が、すこし戻りはじめた。
 それを感じる。

 いま、大阪の関西テレビで報道番組『ANCHOR』にいつものように出て、その番組のレギュラー・コーナー『青山のニュースDEズバリ』で視聴者のかたがたへ語り、ジーパンにTシャツに着替えて局を去り、伊丹空港にやってきて、東京行きのフライトを待っている。

 まだ「すこし」ではあるけれど、こうやって軀(からだ)が戻っていけば、配信がいったん停止している東京コンフィデンシャル・レポート(独研の会員制レポート)も、それぞれの号を最終的に仕上げることができて、配信再開となるし、このブログも、いくらかは書き込みができるようになるだろう。

 共同通信を辞めてちょうど10年間、年末年始もふくめて一日も休みをとらずに、よたよたと走ってきた。
 休みなよ、限界だよ、軀はそのメッセージを、ぼくの魂へ送ったのだろう。

 だけど、ちょっと待ってくれ。
 まだ、休むことはできない。
 走りながら、みっともなく走りながら、青い天を仰いで、リラックスしろよ、ぼくの、からだ。





わたしたちが思い出す場所     (※もとの書き込みに加筆しました)

2007年06月03日 | Weblog



▼いまは6月3日の日曜、朝の5時半ちょうど。
 こころの奥で深く愛している、琉球沖縄の地にきている。


▼この1週間は、移動に次ぐ移動の日々だった。
 といっても、今のぼくのスタンダードな1週間に近いかもしれない。

▽月曜に、羽田空港から高松空港へ飛び、講演会場へ向かう車のなかで、松岡さんの自死を知る。
 講演直前まで、携帯電話などで自死をめぐる取材をして、講演で、安倍政権のこれからの運命について触れ、限られた講演時間の残り3分の1は、硫黄島がわたしたちの生きるヒントになると語って、高松空港へ。

 空港へ向かう車中、あるひとから、にんげんの虚栄心の根深さにあらためて暗然とするような電子メールが来ているのを読み、深い疲れを感じる。

 しかし、出張に同行した主任研究員Y(独立総合研究所・研究本部・社会科学部所属)と、帰りの機中で独研の現在と近未来について、活発な楽しい議論をして、すこし救われる。

 夜、自宅へ帰り、東京に迎えた母と、末っ子のぼくがなぜ母を迎える決心をしたかについて、話す。

▽火曜は、首相官邸で安倍さんと1時間強、話す。
 予定は45分だったので、1時間を回ったあたりから、総理の次の予定がたいへん気になった。たがいに、もっと議論する時間がほしい感じはあった。

 官邸から、独研の本社へ戻り、仕事あれこれ。
 独研から羽田空港へ向かい、夜、伊丹空港に着く。

 関西テレビに入り、報道部の面々と、翌日の報道番組のための打ち合わせ。

 定宿のホテルに入り、ほぼ徹夜をして「東京コンフィデンシャル・レポート」(独研から配信している会員制レポート)のための電話取材と執筆。
 ほぼ完成しているレポート8本を抱えながら、まだいずれも完成せず。

 未完成でもいいから早く欲しいという会員もいらっしゃるが、「青山さんの完成度の高い文章、情報、分析をみたい」と電子メールを送ってこられる会員もいらっしゃる。
 やはり完成度を高めてからでないと、配信はできない。

▽水曜は、ホテルで早朝、RKB毎日放送(福岡)のラジオ番組「スタミナラジオ」の「ニュースの見方」に、電話で生出演する。

 そのあと、東京コンフィデンシャル・レポートのための取材と執筆を続け、午後、ホテルのプールで泳いで、心身を目覚めさせる。
 午後遅くに、関西テレビに入り、打ち合わせのあと午後4時55分から、報道番組「アンカー」に生出演して、「青山のニュースDEズバリ」のコーナーで話す。
 アンカーも、スタミナラジオも、レギュラー出演だ。

 生出演のあと、ホテルの近くのうどん屋さんで、同行の若き秘書室長S(独立総合研究所・総務部・秘書室所属)と、うどんを食べる。
 旧知の前・民主党代議士と偶然、隣の席になる。
 落選中の彼は、堂々と元気に再起を期していた。

 定宿のホテルに戻り、朝まで原稿を苦しみつつ、書く。

▽木曜は、午前は原稿で苦吟し、定例の原稿の送信が遅れて、大阪の中小企業の若手経営者たちと懇談する席に遅刻して、到着する。

 懇談会では、中小企業が、中国にどれほど圧迫されているかをよく聞き、議論した。
 そのあと別の会場へ移り、「中小企業金融公庫」の主催で、講演。

 松岡さんの自死で政局がどう動くか、円安が日本経済にとってどれほど有害な麻薬であるかなどを話し、そのあと、硫黄島について話した。

 去年の12月7日に硫黄島に入ってから、ぼくが英霊に託された義務として、どんな講演でも必ず、力を尽くして、この、わたしたちが忘れていた日本の領土の島について、語るようにしている。
 深夜に、帰京。

▽金曜は、早朝から月刊誌の対談原稿(フィナンシャル・ジャパン誌)のゲラを直す。
 そのあとお台場のホテルに用意された部屋に入って、午前10時半ごろから夕方まで、新刊本のための口述筆記。

 ただただ時間がないために新刊が出せないでいる現状を打破しようと、口述筆記に挑戦することにした。
 5時間、6時間と、出版社の若手編集者を相手に、懸命に話すうち、かなり疲弊した。
 口述筆記といっても、全文くまなく、ぼくがあとで手を入れ、加筆する。

 夜、再び羽田から伊丹へ向かい、大阪入り。
 ぼくの人生は大半、機上で過ぎていく感じだ。

 その機上でも、飛行機を降りてからのタクシーのなかでも、絶え間なく、東京コンフィデンシャル・レポートの手直しを続けて、夜ホテルに入ってから、ようやく1本を全会員へ配信する。
 6月8日までに、完成途上の残り7本すべてを完成させて、配信する予定だ。

▽土曜は、朝から昼前まで、関西テレビの情報番組「ぶったま」に生出演。
 朝、原稿を書いていて遅くなり、生出演に遅れてはたいへんと、大急ぎでホテルを飛び出した。
 タクシーに乗ってから、シャワーのあと体をまったく拭かないまま下着をつけ、靴下を履き、ジーパンをはき、Tシャツを着たことに気づく。
 はは。ふひ。
 局に着くまでの10分で、なんとなく乾いた。
 必殺技、直乾かし。
 いや、実はあんまり乾いていないかも。

 といっても、そう急いでいないときも、体の裏半分を拭いていないことに気づかないまま、シャワーや風呂のあと、服を着ることはしょっちゅうあるから、ほとんど気にならない。

 出演のあと、神戸空港から、那覇空港へ。
 琉球沖縄へ行くというだけで、胸が躍る。
 夕方に到着すると、沖縄の盟友たちと、ばんごはん。
 二次会では、もう眠くて眠くて、内心では、ぐらぐら。



※この沖縄の話は、次に書き込みます。
 沖縄の島にも、わたしたちが長く忘れていた、戦争の場所があるのです。

 硫黄島が陥落したその日に、アメリカ軍は、沖縄の慶良間諸島への上陸を開始しました。
 沖縄、硫黄島、いずれもぼくにとって天命の地であるのかもしれません。