Our World Time

男はつらいよ

2011年03月30日 | Weblog
▼いま3月30日水曜の朝7時45分、大阪にいます。
 このあと関西テレビの報道番組「スーパー・ニュース・アンカー」の生放送に参加(出演)しますが、「青山のニュースDEズバリ」のコーナーは今週も、ありません。
 いつも申しているように、これはテレビ局の編成権・編集権であり、それにもとづく判断です。一参加者であるぼくは干渉しません。理由も尋ねません。
 今週も学者のかたと一緒に、ところどころで考えを述べるという放送になります。

 また、放送時間も、先週に引き続きいつもの時間ではありません。
 いつもの時間には、今週も、関テレのキー局であるフジテレビの番組が流れるようです。
 そして、先週が午後3時からの放送だったのですが、今週は午後4時からの放送になるそうです(正確には午後3時55分から)。
 先週は、視てくださったかたがたが、ふだんではちょっと想像できないほど少なかった。そりゃ、そうだろうと思います。この個人ブログでも事前にささやかにお知らせしたりしたけど、時間変更に気がつかないひとが大多数でしょうから。
 今週、それがさらに二転するのでは、視聴者はますます、いつ視たら良いのか分からなくなるとは思いますが、これも困難な調整と事情があってのことでしょう。ぼくは前述のとおり、関与しないし、関与できません。


▼アンカーに期待を寄せてくださり、「あれを話してくれませんか」、「これを取り上げるべきだ」「これに言及せよ」と優しいお願いから要求、命令まで、Eメールや個人ブログへの書き込みを、ふだんに増して、たいへんに沢山いただいています。
 仮にコーナーがあっても、これに全部、お応えすることは、みなさんご承知だと思いますが、物理的(時間的)に不可能です。

 いま医療現場でも、トリアージ(数多い傷病者が発生したとき、敢然と、優先順序を付けて治療していくこと)が遂行されていますが、情報の現場でも、同じように、それを遂行するほかありませぬ。
 ご自分が不安に思われていることを、青山の野郎にメールや書き込みで送ったのに取り上げてくれない…というかたは、その問題は心配ありませんよ、と青山が間接的メッセージを送っていると、とりあえず考えてくださるようお願いします。


▼先ほど、RKB毎日放送の「スタミナラジオ」の「ニュースの見方」というコーナーに、いつものように電話でナマ参加(出演)しました。
 この番組は福岡発で、九州ローカルなのですが、番組の努力で、音声がそのまま、その日のうちに番組公式HPにアップされます。
 だから、全国はもちろん海外の邦人を含めて、関心のあるひとすべてに向けて伝えるべきを伝える志で話しています。
 リスナーもよくご存じで、この頃は関テレのアンカーに近いぐらい、「これを聞きたい」という要望がEメールと書き込みで来ます。

 だから、きょうは覚悟を決めて、キャスターのご質問にひとつひとつ答えていくよりも、事前に溢れるほど届いていた不安や疑問に、なるべく答えようとしました。
 福岡の著名パーソナリティである中西一清さんは、柔軟にそれに応えてくれました。内心では、きっと大苦笑もされていると思います。
 中西さん、ありがとうございました。そして、ご迷惑をおかけしました。


国難をどう生きるか

2011年03月28日 | Weblog
▼国難のとき、ぼくはいつも、胸の奥で幕末の志士たちの声を聴く。
 幕末期は、日本という国家の青春だ。
 日本のたとえばミュージシャンは「青春が終わった」とよく歌うけれど、15歳のぼくが幕末の志士たちの生きかたを、とても身近に感じた、それは今もなお、まったく変わらない。なにも終わっていない。終わる気配すらない。


 幕末といえば、ぼくはきっと吉田松陰師をいちばん好きなのだろうという書き込みやメールを、よくいただく。
 吉田松陰師は、死ぬほどたいせつな存在です。すぐれた師であったことだけじゃなく、みずから行動するひとであったから。

 そのうえで、感情として、あるいはごくごく個人的にいちばん好きなのは、坂本龍馬さんは別格として、高杉晋作さんです。
 めちゃらくちゃらに遊びほうけながら、いざとなれば、「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや」と伊藤博文公が評したように、鬼神も避けるような烈火の行動をとった。
(※まことに蛇足ながら、駭然がいぜん、とはびっくりしてしまうこと。東行とうこう、とは晋作さんの雅号)

 ぼくはほんとうは、遊びこそ人生だ、と思っているから、この晋作さんが大好きです。


▼そして、志士たちの声を胸中、聴くとき、いちばん頻繁に浮かぶ名前は、実は、久坂玄瑞と池内蔵太(いけ・くらた)のおふたりです。
 松陰師は29歳で処刑され、龍馬さんは31歳で暗殺され、晋作さんは27歳で無理と無茶がたたって病没しました。
 みな、あまりに若いけれど、さらに久坂玄瑞さんは24歳のとき戦いのさなかに自決、池内蔵太さんは25歳で亀山社中の一員として日本海軍創設に努めつつ海難死しました。(年齢はいずれも、現代の満年齢に換算)

 久坂玄瑞さんは、吉田松陰師に、池内蔵太さんは、龍馬さんに、それぞれ無茶を止められつつ、あまり聞きませんでした。早い死は、その結果でもありました。

 ぼくも惜しいとは思うけれど、ほんとうは、惜しいとは思わない。
 ふたりとも、いささかの悔いもないだろうと、ありありと感じるからです。


▼徹底的に遊んだのは、龍馬さんも晋作さんと同じです。
 一切の悔いがないだろうと感じられるのは、松陰師も、龍馬さん晋作さんもみな、同じです。

 国難をどう生きるか。
 すみません、きょうは、みなさんに提案しているのじゃない。
 ぼくの身勝手な念願としては、一死一命、いっしいちみょう、一つの命だけがあるのじゃ無くて、一つの死があって初めてほんとうに生きている、という生きざまを貫きたい。


▼ぼくは、ひとの生きかたには、決して干渉しない。
 その意味でも、今日は、みなさんへの提案では、まったくありません。

 しかし国会議員をはじめ、みなに責務を委託されることを、みずから選んだ人たちは別だ。
 保身は許さない。
 

 




(前々項に関連して)

2011年03月26日 | Weblog
▼福島第一原発の3号機の建屋周辺の瓦礫における、不当に公表されていない異常な放射線量、単位が違う放射線量の問題について、その後も調べているが、3号機の核燃料棒の一部にMOX燃料がいわゆるプルサーマル(和製英語)によって使われていることと関係があるのか無いのか、あるとしたらどの程度、影響があるのかも当然ながら含めて、調べている。

 この3号機にMOX燃料が使われていること自体は、もともと公開情報で、昨年の10月に発表による新聞記事にもなっている。


(*問い合わせが多数あるので、念のため、記しました。「マスメディアがNHKをはじめ、3号機にはMOX燃料があるということに意図的に触れない、避けているのではないか」という指摘が、かなり寄せられるのですが、ぼくはナマの現場情報を追うために当事者に接触するので手一杯で、今ほとんどメディア報道、特にテレビには接していません。机に向かっている時にはテレビは付けているのですが、頻繁な電話での会話の邪魔になるので、音を消しています。それに、聞いていても、ほとんど得るものがない。
 したがって、マスメディアが意図的に触れない、という指摘あるいは疑念が当たっているかどうか、今は判断が付きません。
 公表済みの周知の事実ですから、今さら隠すかなぁとも思いますが、一方で、この原子力災害で初めて原発を意識したという国民も多いでしょうから、隠したい向きもあるのかもしれません。いずれにせよ、すでに公表されている事実ですから、まさか、なかったことにして隠すことは、そうしたい人間が仮に居ても、そんなことはできませぬ。
 ぼく自身はまだ、何号機、何号炉という具体的な炉についてメディアで述べたことがありません。というか、テレビラジオでの発信の機会は、関西テレビの報道番組が1回と、RKB毎日のラジオ番組が2回の計3回しか無かったですから、とてもそこまで行っていません。来週の関テレやRKBの番組でも話す機会がちゃんとあれば、昨日に情報の発端を把握した、この3号機の問題はなるべく取り上げたいと考えています。3号機を取り上げれば、MOX燃料にも当然、触れます)
 

(前項に関連して) その後の確認

2011年03月26日 | Weblog
▼3号機の建屋とタービン建屋の間の、異常に高い放射線量は、基本的に瓦礫(がれき)の山の表面から検出されるものであり、だから、その3号機の建屋とタービン建屋の間の空間において、風によっては、あるいは強い放水などの作業状況によっては、大気中からも高い放射線量が、一定の短時間ながら検出される…これが、現時点では、もっとも正しい情報だと確認した。

 この格段に高い、これまでとは単位の異なる放射線量の放射性物質が、福島第一原発の外には及んでいない理由が、これで分かった。
 地域の人々をはじめ広く国民には、今のところは大きな厄災に繋がるものではないということも分かった。それは広く知っていただきたい。


▼しかし一方で、この瓦礫の山の放射線量は、現場で作業するすべてのひとびとの人命に関わる問題だ。
 また3号機の建屋とタービン建屋の間に限られた問題なのかどうかも、精査されねばならない。
 1号機から4号機までのどこかに同様の情況がないのか、さらには5号機、6号機を含めた全構内、そして当然、福島第一原発の至近距離にある周辺地域、すなわち水素爆発による瓦礫や粉塵の一部が飛散していたり、激しい放水などにより吹き飛ばされたものが落ちていたりする可能性を否定できない地域について、これに近い情況がないのかも、徹底的に調べねばならない。

 したがって原子力安全・保安院は、まずは正しく、3号機の建屋とタービン建屋の間の、この情況を明示すべきだ。
 その意味で、公表すべき事実を「選別」して、一部を隠していることには、まったく変わりない。

 3号機に隣接するタービン建屋の地下で、3人の作業員が被曝されたのは、明らかに東電の重大な管理ミスである。
 そして、その背景に、こうした現場の作業環境について「これはやむを得ない」という意識なのか、情報公開を含む対処があまりにも不充分になっていることが存在している怖れがある。

憂国

2011年03月26日 | Weblog
(*ここはぼくの個人ブログです。ただ、今日のこの書き込みに限っては、ある部分は、個人レベルでぼそぼそ語るいつもの話ではありません。いつもの個人のつぶやきもあります。混じります。個人の庭に、ちょこっと臨時のちいさな掲示板を立てるようなものです)


▼原子力安全・保安院は、すくなくとも直近の記者会見で、真実を明らかにしていない。
 それは、3号機のタービン建屋で3人の作業員が被曝なさったことに関連して、どこからその強い放射線量を放つ漏れが発生したかについて、その水の線量だけを発表して、3号機の周辺、具体的には3号機の建屋とタービン建屋の間の、大気中の放射線量を一切、明らかにしていないことだ。隠している。
 水の中だけではなくて、建屋周辺の大気中でも、放射線量があまりにも異常に、あまりにも格段に、増えている。その具体的な数字には、極めて信頼すべき情報当局者によっても、二説あり、どちらか正しいのか、わたしは確認中だ。
 しかし現時点で、保安院の発表に隠されたところがあることは、わたしとしては、もはや疑いようがない。

 おそらくは使用済み核燃料棒のプールからの放射性物質漏洩だけではなく、すくなくとも3号機と隣のタービン建屋を繋ぐ配管の、つなぎ目、管そのもの、弁などに損傷が起きている怖れがある。
 3号の圧力容器や格納容器そのもの、あるいは圧力抑制室の損傷の怖れも、充分に考えねばならない。
 その怖れ自体は、原子力安全・保安院も公表しているが、その怖れの根拠として、水中の異常に高い放射線量だけを公表している。
 建屋周辺の大気中の線量も異常に高いことを公表していない。隠している。
 こうした姿勢は、まったくの大間違いだ。

 この大気中の線量も水中の線量も東電が測定し、原子力安全・保安院に報告し、保安院がそれをいわば選別して、水中についてだけ発表していると思われる。大気中の異変を隠していると思われる。
(ただし、この発表プロセスについては、わたしもまだ確認が不充分だ。この部分だけは、あくまで推測も加えて「思われる」すなわち「その可能性が強い」というにとどまる)


▼ただし、福島第一原発の外、発電所構内ではなく外の放射線量は実際に、増えていない。
 構内とはいえ大気中の線量が3号機とタービン建屋の間で異常に増えているのだから、発電所の外の環境にひろく拡散してもおかしくない、と言うよりその方が自然当然だが、実際に増えていない。むしろ全体には、あくまでも現時点では、減少傾向にある。
 この理由は正直まったく分からない。
 しかし水中だけではなく大気中の異変だから、今後、発電所の外にも出ていくリスクは、もちろんある。


▼わたしは、こうした情報を、内閣府の原子力委員会の原子力防護専門部会の専門委員だから、受け取っているのではない。
 また、総合資源エネルギー調査会の核セキュリティWG(ワーキンググループ)の専門委員だから、でもない。
 いずれも「原子力防護」、「核セキュリティ」の専門グループ、すなわち原子力や核へのテロ・サボタージュを防ぐという専門分野であり、『今回はテロやサボタージュという事態ではないから』という理由なのか、政府からの情報提供はただ一つ、原子力安全・保安院がプレス発表してから、かなり時間が経ってから、そのプレス発表で配られたのと同じ資料がEメールで届くだけで、そのほかの情報提供は一切ない。

 もともと、こうした専門委員を務めていても、政府側から情報の提供があったためしは、平時でも、こうした緊急時でも、基本的にない。
 それは民主党政権の情報隠しではない。
 わたしは自民党政権時代から、こうした公職を務め、それは政党色とは関係のない中立の実務であるから、民主党政権になっても、そのまま務めている。(※総合資源エネルギー調査会においては、政権交代後の去年4月に、坦務が、それまでの『無任所』から『核セキュリティWG所属』に変わったが、核セキュリティサミットが史上初めて開かれたからであり、政権交代とは関係がない)
 自民党政権の時代から、政府からの情報提供は何も無かった。

 だから自分で切り開いて、情報を集めていくしかない。筆舌に尽くしがたい分厚い壁があり、どんどん費やされる時間とコストがある。
 そうやって自力で集めた情報に基づいて意見を整理し、原子力委員会の原子力防護専門部会の会議や、総合資源エネルギー調査会の核セキュリティWGの会議で、タブーなく発言し、まっすぐ真ん中から実務上の提案をする。
 また同時に、わたし自身の情報と、独研の研究員が独自に集めた知見を統合して、さまざまな政府機関に、国家と国民を護るためのあくまでも実務上の調査・研究を、原子力発電をめぐる課題を含めて、逆提案する。
 日本のシンクタンク(といっても単なる提言ではなく、実務に関わっているシンクタンクは驚くほど少ない)は、政府から話が降りてくるのを待つところが多いから、これは「逆提案」である。
 ほとんどは、完璧に無視される。
 ごくごく稀(まれ)に、例外的に良心的な政府当局者が「これは、ほんとうはやらねばならないのでは」と考える。そして現実に動き始めても、それは「調査研究プロジェクトの公募」になり、こうなると突如、既存のシンクタンクがどっと押し寄せてくる。独研が実際に、調査・研究を遂行できることは例外的であり、したがって、政府に都合の悪い結論であってもフェアな報告書をまとめて提出できることは、少ない。
 独研がそうした仕事をしていると既得権益の側に良く知れ渡ってからは、ますます、どんどん少なくなっている。加速度が付いて少なくされている。それでも、かろうじて潰れないでいるだけで充分に奇跡だというのが、実感だ。
 この4月に創立から満9年を迎え、足かけ10年目に入る。まさか10年もつとは…。


 きのうの朝、わたしは日本政府のインテリジェンス機関のひとと会った。
 ほんらいは原子力と関係がない機関である。
 ところが、原子力安全・保安院が国内外で不信感を抱かれているために、この機関が実質的に仕切るようになっている。
 会った結果、保安院をはじめ、首相官邸も含めて現在の日本政府がどれほど機能を喪っているかを知って、あらためて愕然とすると同時に、この機関のなかで、彼をはじめとする良心派、そして国士の人々によって、かろうじて政府機能の一部は保たれていることも確認した。

 その彼の情報を、別ルートで精査・確認したうえで、独立総合研究所の祖国と世界への任務として配信している『東京コンフィデンシャル・レポート』にまとめて、配信しようとして、いったん止めた。
 なぜか。
 彼を通じたそのインテリジェンスの中で、あるいは彼と厳しく議論したなかで、3人の作業員のかたがたの被曝をめぐって、その原因となった高レベル放射性物質、つまり高い放射線量の構内漏洩について、まだ確認せねばならないところがあると考えたからだ。
 その作業の途中で、わたしはいったん自然に、わずかに仮眠した。退院したばかりの身体は、まだほんらいの体力を取り戻してはいないから、大腸を15センチ切り取る前のような、あんな無茶ら苦茶らな不眠不休は、やらねばならなくても、どうしても、できない。
 朝方にソファでわずかな仮眠に落ち込んでいると、良心派の別の人物(やはり政府のインテリジェンス機関の人物ではあるが別機関の別人)から携帯電話に電話がかかってきた。おかげで、飛び上がって起きることができた。そしてこの電話で、この書き込みの冒頭に記したこと、保安院が真実を公表していない、隠していることを最終的に確認した。

 東京コンフィデンシャル・レポートの会員からは「速報でもいいから早く配信を」という要求も届いている。
 しかし、短い言葉での速報はできない。しない。
 完全にクローズドな会員制レポートではあっても、社会の中へ発信しているのであり、短い説明で不用意に誤解されると、農業、漁業の尊い働き手、そして消費者や幼子の父母などなどに、風評被害をさらに広げることに手を貸すことになりかねない。

 今のわたしには、ふだんに増して、さまざまな強い言葉で『要求』が寄せられる。
 しかし、ここで、わたしが慌てたら、おしまいだ。
 何を言われようと、しっかり確認が取れたことだけを、充分な説明とともにレポートに記し、機会があれば、テレビラジオなどでも発信する。
 テレビラジオは、そもそもテレビラジオからのオファーが少ない。オファーが無いところに、わたしや独研から「発言させてくれ」と言うことはない。「では言ってくれ」という声も寄せられるだろうが、テレビラジオはそんなことでは変わらない。また、「売り込みはしない」という、わたしと独研の鉄則は、決して変えない。
「売り込みはしない」ということは、テレビラジオだけのことじゃない。たとえば講演についても、売り込みはしないし、前述の公職についても「なりたい」と売り込んだことは一切ない。
 いずれもある日突然、その政府機関から話が来た。
 わたしは、誰がわたしを推薦したかも知らない。そんなことは聞かない、調べないからだ。
 あまりにも当たり前ながら、政府が困ることもどんどん言うから、その政府の実務機関の中でわたしを推薦する人がいて、それが実現するということは、日本はすこし良くなったのかというのが、ありのままの気持ちだ。
 こう記すと、必ず「自慢話だ」と口を極めて非難するコメントが届くだろう。どうぞ、やってくだされ。
 わたし個人の話をしてるんじゃない。政府に都合の悪いことも申す人間を、審議会の委員などに起用することは以前からあった。しかし、それはガス抜きであり、実務の結論は官僚が用意した結論のままになっていた。しかし、前述の公職は、いずれも専門部会の実務家としての公務である。

 テレビラジオに話を戻せば、たまたまのご縁があって、つまり利害関係なく以前から関わっている関西テレビの報道番組「スーパー・ニュース・アンカー」と、RKB毎日放送のラジオ番組「スタミナラジオ」がレギュラーとしてはあるだけだ。それ以外に、最近にややご縁のできたテレビ大阪の、たかじんさんの番組にも、顔を出すことがある。
 これも長いご縁のテレビ朝日の「TVタックル」からはオファーがあり、いま独研の総務部が日程の調整を急いでいるようだ。
 タックルは、まだ未定だろうけど、画期的なナマ放送も考えているようで、最終的に実現するかどうかは別にして、わたしが参加するかどうかも別にして、その「編集できない」「やり直しできない」放送にチャレンジしようかという姿勢は、断固、支持する。

 独研は、この際だから、何を言われようがはっきり申しますが、日本で初めての独立系シンクタンクであり、いかなる既得権益からの圧力にも負けずに発行する「東京コンフィデンシャル・レポート」は、生命線の一つだ。
 独研の歴史よりもさらに古く、レポート第1号の配信は2000年3月30日、まもなく足かけ12年目に入り、いま仕上げ中の最新レポートは第501号になる。
 このレポートが有償でなければ、レポートのために費やしている膨大なコストをみずからの力だけで捻出することは全くできない。コストを自力で賄わなければ、ど真ん中のフェアネスを貫き通すことはできない。
 だから、レポートを支えてくれる会員は、レポート参加のきっかけが何であれ、考え方の違いがどうであれ、憂国の同志である。

防人

2011年03月25日 | Weblog
▼福島第一原発の最前線できのう3月24日、ケーブルの敷設作業に当たっていた東電の協力会社のかたが3人、被曝した。
 もっとも懸念していた最前線での被曝は、痛恨の極みだ。
 この一つ前の書き込みで、「原発の構内は別問題です。最前線で、わたしたちのために戦っているかたがたには、格段の対応が絶対不可欠です」と記した、その「格段の対応」が全く不充分だったことが明らかになった。

 その現場である3号機のタービン建屋地下1階には、深さ15センチの水が満ちていた。
 今回の災害で大量に放水しているのだから、使用済み核燃料棒がプール内で一部損傷した結果として漏洩しているとみられる放射性物質をはじめ、その水が放射性物質を帯びていることは必ず、想定されねばならなかった。
 それにも関わらず、たとえば、この3人のかたのうち、長靴を履いていたのは1人で、残る2人はなんと短靴だったという。
 その水中に、放射線管理の専門家の同行がないまま踏み込んだことを含め、これらは衝撃的な管理ミスであり、東電の責任は極めて重大だ。
 原子力安全・保安院も「それでも作業せねばならない」などと記者会見で言っている場合ではない。こうした発言は許しがたい。「最前線であえて戦うひとびとを護るために打つべき手をすべて打ちつつ、作業せねばならない」。保安院も東電も、その認識を明示し、官民ともに、その備えがまことに不全であるという事実を、すぐさま徹底的に改善せねばならない。

 3人のかたは、今のところの医師団の見方では、命にかかわる被曝ではない。
 また地域住民をはじめ一般国民には、放射線障害で治療を受けた人、受けねばならなくなった人は、年齢や地域を問わず、現在までのところでは、ひとりもいない。水道水も含めて、むしろ風評被害のほうが、現在も将来も、害が大きい。
 その事実は静かに踏まえつつ、最前線の同じ日本国民には、被曝によって救急車で病院に運ばれたひとが出たことは、痛恨事そのものだ。

 自衛官をはじめ警察官や消防官に加えて、いま、原子力災害の現場で戦うひとびとは、どなたであれ、現代日本の防人(さきもり)であり、わたしたち国民が支えねばならない。


▼たとえば虎の門病院血液内科の谷口修一ドクターが、「なんとしても原発作業員は守らねばならない」と題して次のような提言をされている。

~以下、引用~
「福島原発の放水作業に従事された東京消防庁職員の記者会見に胸を打たれた方が多いのではないかと思う。指揮をとられた隊長さんが男泣きをこらえ、時に嗚咽しながら、出動した隊員や送り出されたご家族に対して感謝と謝罪の言葉を述べておられた。出動された隊員およびご家族も、想像を超える世界ではあるが、我が身顧みずとも、なんとしても地域住民ひいては日本国民を守りたいという強烈な使命感で業務に従事されたものと考える。
 しかし、それではいけない。彼らにそんな思いをさせてはならない。
 技術者は現代の先駆技術を駆使して彼らを守り、我々医療者は有効な予防法を考え実行し、万が一の不測の事態でも、絶対に救命するという覚悟で、たった今準備、実行せねばならない。
 その準備とは、私の携わっている領域で言えば、作業に当たる方々の自己幹細胞を事前に採取し凍結保存しておくことであり、場合によってはそのために未承認薬を用いることである」
~引用、ここまで~

 そして、この志あるドクターは「いたずらに国民の不安をかき立てる目的ではなく、不測の事態を危惧しながらも決死の覚悟で原発最前線の業務に従事される方々を守らねばならないという一心」と強調されている。

▼ぼくは、この準備的措置を支持する。
 それには政治決断が必要だ。
 そして政治に決断を迫るのは、主権者しかいない。


    痛恨の日から一夜明けて(3月25日午前5時半)

ご心配なく

2011年03月23日 | Weblog
▼みなさん、3月19日の土曜に、最終的に退院しました。
 これを書いている3月23日水曜の未明4時ごろは、すでに退院から5日目になるわけですが、想像もしなかった呆れるほかない異常な忙しさで、書き込みができませんでした。
 今も、ゆっくり書いている時間はありません。


▼今朝のラジオ(RKB毎日「スタミナラジオ」の「ニュースの見方」コーナー。九州ローカルですが、番組の公式HPに音声がしっかりアップされます。だから他地域のかたも、放送時間に間に合わなかったかたも、いずれも大丈夫)で、原子力災害のその後について話します。
 先週にこのラジオで「チェルノブイリ事故のようにはならない」と断言しましたが、現在ももちろん、その通りです。
 今朝のナマ番組で具体的に申すつもりですが、これだけの騒ぎになりながら、放射線障害で治療を受けた、あるいは治療が必要になった人が、現在(3月21日現在の時点)までのところ、ただの1人も出ていない(正確に言えば、放射線障害で治療を受けた人や、治療が必要になった人が確認されていない)ことを、よく踏まえていただきたいと考えます。

 福島第一原発の地元のかたがたを含めて、放射線障害が出るレベルの放射性物質の漏洩は、現在までのところ、陸、海、空ともありません。(ただし原発の構内は別問題です。最前線で、わたしたちのために戦っているかたがたには、格段の対応が絶対不可欠です)
 当然ながらあくまで「現在までのところ」ではありますが、今はむしろ、政治の作り出した風評被害のほうがはるかに害が大きくなっていることを、わたしたちはよく考えるべきではないでしょうか。
 安全も味も総合品質が掛け値なく世界最高水準の日本の農産品、そして環境への配慮とモラールも技術も世界最高の漁業による素晴らしき日本の海の恵みが、国内でも世界でも不当に貶められないことが大切です。


▼きょう水曜の午後3時には、関西テレビの報道番組「スーパー・ニュース・アンカー」にもスタジオでナマ参加(出演)します。

 いつもより2時間早い放送で、また、いつもの「青山のニュースDEズバリ」のコーナーはありませんが、スタジオには居ます。
 なぜコーナーが無いのか、それはぼくには分かりません。
 いつも申しているように、ぼくは、ただの一参加(出演)者に過ぎず、番組の構成に関わる立場にありません。いかなる仕事も、参加者がその立場を無視しては成り立ちません。ぼくは範(のり)を超えることはしません。
 なぜコーナーをやらないのかと沢山、問い合わせをいただきましたが、ぼく自身もテレビ局に理由を聞くこともしていません。


▼ほとんどの講演が大震災で中止か延期になるなか、3月20日の日曜に、大阪・堺で、西村眞悟さんの主宰で、田母神閣下、勇気ある海上保安官だった一色正春さんと一緒の講演会だけは開かれました。
 そこでのミニ講演で、「菅さんがみずから退いてくれれば、ほんものの救国内閣を造ることもできる。その首班は、この際は、むしろ若い人、先のある人ではなく、すなわち野望を持ちがちな人ではなく、自分のことは考えない立場の人がいい。それは平沼赳夫さんしかいない」と語りました。
 平沼さんは71歳、まさしく国士であり、そして大病をなさって死と生を見つめられ、透徹の心境を獲得されたかただと、ぼくは理解しています。
 西村さんの会だったから、おもねていると曲解する人もいるでしょうが、それはどうでもいい。前述したように講演もほとんどする機会が無くなっていますから、直接に、みなさんに問題提起する貴重な機会を、活かすことが大事(だいじ)です。

 平沼さんが、与謝野さんらと組んで新党をつくられたことに、ぼくは批判もありました。与謝野さんのその後の行動(菅内閣に入閣)も意外ではありませんでした。与謝野さん個人の問題もたいへんに大きいけど、そもそもの新党の作り方に、ひとつの原因があったと考えます。
 しかし、そのことと、いま日本国が必要としている救国内閣の首班は誰か、ということとは別次元です。
 この講演集会には、民主党の地方議員もふたり、おみえでした。民主党にも菅さんにも、できれば祖国のために謙虚にみずからを振り返っていただきたいと、深くこころの底から願います。


▼ここは、あくまでぼくの個人ブログですから、個人のことをすこし記します。
 まだ痛みはあります。尿路結石の痛みがすこしだけ再発しているのと、早期大腸癌で15センチほど腸を切り取った手術の傷の痛みがすこしと、腸閉塞の名残による腹痛と、3種類の痛みはあります。
 しかし、いずれも充分に耐えられる範囲内です。

 退院は、無理な退院ではまったくなく、医師団とじっくり相談しての退院、協議を重ねての退院です。
 2月17日に早期大腸癌の手術をし、ほぼ1週間で退院し、その後に腸閉塞を起こして再入院し、これらと偶然、重なるように尿路結石の症状激化、それに重症肺炎があったわけです。
 大腸癌そのものは、まさしく早期で転移もなく、執刀医は「実質的に完治です」と明言されています。
 そして重症肺炎は、多臓器不全による急死の手前まで行きましたが、仕事をしつつ完治し、腸閉塞も緊急入院したときには、これも腸管破裂による死の手前だったという診断ですが、ほぼ快癒しました。
 尿路結石は、石が確認できないほど粒の小さなもので、痛いことは痛いけれども命に関わるようなものでは、もともとありません。

 そして、入院しているときに静養できれば、これ以上の入院に意味もあるのですが、ちょっと残念なことに静養にはならないのです。
 東日本大震災が起きる前から、病室でメールと携帯電話を使った情報収集や議論を欠かすことはできず、医師団による外出許可、外泊許可を得ての外での仕事も多く、震災の発生後は、これが当然、激しくなっていました。
 医師団としては、それでも適切な食事(いわゆる病院メシというやつ)を規則正しく提供できることと、すべての忙しさを医師団として管理できるということで、入院の継続を薦められ、それはぼくにとっても、ここまでの入院には、ほんとうに大切な意味がありました。感謝しています。
 そして医師団が「もうふつうの食事に戻っていっても大丈夫」と判断されました。
 まさか、いつまでも病院に暮らして仕事に出ていく生活を(費用の面からも)続けるわけにいきませんから、みんなが納得して、退院となったわけです。
 若い看護師さんが「あおやまさ~ん、今度は、死ぬ間際にまでなってから入院するのだけは、やめてくださいね」とおっしゃったのが印象に残りました。
 医師団のプロフェッショナルなドクターたち、いつも誠実な看護師さんたち、連日のCTスキャンとレントゲン撮影のときの技師さんたち、病室の掃除のかた、事務の優秀なスタッフ、みなみなさま、深く感謝しています。

 みなさん、お見舞いのお気持ちを、たくさん、たくさん、ありがとうございました。
 命をこれからも天にお預けして、今しばらくは、祖国と世界に、ごくささやかにだけ寄与したく思います。



 まずは、ぼくと独研を真正面から支えてくれている会員制レポート(東京コンフィデンシャル・レポート)の会員に向けて、レポート第501号の仕上げを急ぎ、それから大阪の関西テレビへ出発します。
 さっき東京の夜明けの雨に、しっかり濡れました。もちろん、まったく心配ありません。
 ちなみに、計3週間ほどの入院中のCTスキャンとレントゲン撮影で、ぼくの受けた放射線量の総計は、技師さんによれば、およそ160ミリシーベルト(およそ16万マイクロシーベルト)になっているということですが、これでもまったく心配ありません。




早春の夜が明ける

2011年03月19日 | Weblog
▼腸閉塞で再入院して12日目のきのう、3月18日の金曜日、医師団の外出許可のもと、都内で長時間の外出仕事をした。
 夜とても遅くに、病室に戻って、看護師さんに取っておいてもらっていた夕食をいただいた。

 都内は、きちんと節電が守られているように感じた。
 一方で、人も車も少なく、寂しげに沈んでいる首都であるようにも、感じられた。
 ただし、実際はそんなことは無いだろうと思う。
 たとえば、かつて都内のいくつかの経済講演会で、ぼくのつたない話を聴いてくださった中小企業のかたがたの顔がいま、思い浮かぶ。あのみなさんの小気味よい元気は、きっと健在だ。

 ぼくは五分粥(ごぶがゆ)と煮魚とキュウリもみの夕食をいただいたあと、情けないことに、気持ちが疲れていることに、嫌でも気づかないわけにいかなかった。
 体の疲労は、さして、なかった。腹痛も、再入院以来初めて、ほとんど起きなかった。早期大腸癌で腸を15センチ切除した、その傷の痛みはそりゃ、あるけれど、そんなものじゃない、思わず背中を丸めそうになるような腹の痛みが、初めて、おおむねは消えた。
 それもあって、体は疲れていない。

 しかし気持ちには、疲れがあった。なぜか。おのれを責める気持ちがあるからだと思う。おのれは、非力に過ぎる。ぼくは、一民間人であることにこだわって仕事をしてきた。記者時代もほんとうはそうだったし、記者を辞めてからは、一民間シンクタンクの一員として政治や経済に問題提起し、その問題提起を評論に終わらせず、実務策を具体的に、政府機関にも、公共的な仕事の民間企業にも、直接に提示することに徹してきた。
 ところが、実際には、その問題提起も実務策も、ほんのごく一部しか実現せず、あとは霧の彼方に消えた。

 いままでは、それをむしろ逆に考えてきた。
 百に一つと言うより、千に一つですらなく、ほぼ万に一つのことであっても、一民間の提示する具体策を、日本の政府機関が実務として採り入れること、たとえば日本の原子力発電所ですべて、テロ・サボタージュを含む外国勢力への妨害工作に対する抑止力として特段の訓練を受けた武装警官隊を常駐させる、それが実現した背景あるいは契機として、民間の考えが活かされたことは、物凄い変化だと考えてきた。
 ぼく個人や独研(独立総合研究所)だけのことを言っているんじゃありませぬ。利害関係を持たない、民間の知恵、それを活かして初めて国家を滅ぼすのではなく子々孫々へ受け継いでいけるという、国民国家の哲学を、つたないながら語ろうとしている。

 それが、大きな意味を持つことは、いまも変わりない。
 警察官を束ねる警察庁という官僚組織のなかに、ただのお役人ではなく良心派と言うほかないような、静かな愛国者たちが存在していること、電力会社という独占企業のなかにも、大企業にあぐらをかくのではなく、やはり良心派と言うほかない正直者の愛国者たちが、何もご自分を飾ることなく存在していること、その貴重な両存在が合わさって、それまでの日本の原子力防護には根幹から足らざる点があることを、初めてありのままに認めることに繋がり、それが原子力発電所に大きな抑止力を備えることに直結していった。
 これをたとえば、イギリス政府が参考にして、イギリス国内の原子力防護のあり方を変えた。
 ぼくは、敗戦後初めて、勝者の側が、敗者の日本から安全保障をめぐって学び、評価し、採り入れたケースだと、日本側にもイギリス政府側にもごく短くだけ話して、胸のうちでは、日本国をたいへんに誇りに思った。

 日本国内、イギリス国内、それぞれのもっと詳細な変化は、テロリストと外国工作員に情報を与えないために、これ以上は記さない、記せないけれども、日本は一般に「とにかく危機管理に弱い」、「守れない国だ」とだけ言われるような国であることから脱する努力も、前線では、始まっている。


▼だけれども今、東日本大震災によって苦しみ抜き、のたうち回る、福島第一原子力発電所がある。
 そして、自然災害への防災はぼくの関心分野であっても専門分野ではないにしても、想定をはるか超えた津波によって根こそぎさらわれた、膨大な命、家屋、生活、仕事がある。
 この、おのれのあまりの非力は、いったい何だろうか。
 民間人であることにこだわってきたことが、ひょっとしたら間違いでもあるのか。

 その考えが、くりかえし胸を噛み、病室の夕食のあと、ぼくはどうにもモバイル・パソコンを立ち上げる気になれなかった。
 必要な紙資料・書類の整理などをやりつつ、すぐに日付が変わり、夜明けが近づくなかで気づいたら疲れ果てて眠り込んでいた。
 そして悪夢をみていた。
 ひどい悪夢から目覚めて、気を取り直して、やっとモバイル・パソコンを立ち上げた。

 そして、「コメント例の公開」についての意見も読んだ。
 楽しい、という意見もあったけど、「そんなことに時間を取らないでほしい」という意見が、予想を超えて多かった。「自分のコメントをなぜ公開しないんだという不満が必ず来る。だから、すべて公開しない方がいい」という冷静な意見もあった。

 さらに、「自分の前のコメントは非公開にしてほしい」というコメントもあった。膨大な中から遡(さかのぼ)って探すことは無理ですよ、と明記しているのだけれど、やはりこういうコメントも来ます。
 申し訳ないですが、「逆に探していく」ということはやはりまったく困難なので、ひとつひとつのコメントを順番に読み返していくなかで「一例として公開していくかどうか」を、ゆっくり判断していきます。
 また、前述のような冷静な意見をも踏まえて、コメント例の公開のために、ぼくの24時間に無理がかかり過ぎるときは、こだわらないで再考します。


▼さぁ、非力ではあっても、戦わねば。
 きのう仕事先で会った経済人が、「なんだ、手術前よりずっとずっと顔色がいいじゃないですか」とおっしゃり、「まだ、やることがあるよって、そういう天の意思ですよ」と笑って言われた。
 この叩き上げの著名な経済人(ある企業の会長)とは、もしも菅さんが首相でなくなれば、どんなプロセスで新しい本物の救国内閣をつくり、その首班は誰か、という議論も交わした。

 うん、このちいさな存在のぼくは、いつか天にひっそりと帰り、あるいは地に朽ち果てるまで、身を澄ませて戦うだけだ。
 脱私即的。だっしそくてき。わたくしを脱し、ほんらいの目的に、即(つ)く。





*来週3月23日水曜、関西テレビの報道番組「スーパー・ニュース・アンカー」はやるそうです。
 ただし、生放送の開始時刻を2時間早めて、午後3時から4時までナマで放送(いったん1時間早める、という連絡があり、さらにそのあと、いや2時間早めるという再連絡がありました)。
 そして、「青山のニュースDEズバリ」のコーナーは無いそうです。

 がんばれ、志ある関テレ報道部。
 


選んで公開します→ 改め、「ごく一例として公開します」

2011年03月18日 | Weblog
▼内閣総理大臣である菅さんの問題を、感情論で論じるひとが、ぼくの眼に触れる限りはほとんどいないのは、ひとつの救いだと考えます。(ただし、ふだんから掲示板などは見ていませんから、そこを語る資格はぼくにはありません)
 しかし、この国難からの復興の指揮を菅さんが執り続けることについては、感情論の問題ではないだけでなく、「こんな非常時に」という一般論の問題でもありません。
 具体論の、かつ現在進行形の、日本国民にとっての課題です。子々孫々のための重大課題でもあります。

 あまりに蛇足ながら、日本国の内閣総理大臣は、自衛隊の最高指揮官でもあります。
 自衛隊法は、その第7条で「内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する」と明記しています。
(なお防衛大臣は、続く第8条で、「防衛大臣は、この法律の定めるところに従い、自衛隊の隊務を統括する」と規定され、さらに同じ8条の後半で、「ただし、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊の部隊に対する防衛大臣の指揮監督は、統合幕僚長、陸上幕僚長、海上幕僚長、航空幕僚長を通じて行う」という趣旨が定められています)

 たったいま進行している日本の建国以来有数の国難は、その緊急の救難・救護・被害拡大の食い止め、さらに再興への手がかりまで、自衛隊・警察部隊・消防部隊からひとりひとりの国民までが取り組んでいるものですが、福島原子力災害をみても、自衛隊が中軸の一つであることが明らかです。

 その意味からも、現在の菅総理の考え・意向、発言、行動、そしてその表情から機嫌までが、自衛隊も含めて、災害対処に大きく影響します。いや、直接に左右します。
 日本の総理大臣は、自衛隊の「最高」指揮権を含め、実は権限が強力だからです。
 たとえばアメリカの大統領に比べて、日本の総理は法的に権限が弱いという話ばかりが、よくされます。その側面も、間違いなくあります。
 しかし、その総理の力の使い方によっては、すなわち総理の個性によっては、たいへんに強力な権力を広範囲に発揮できるという特徴も、同時に、間違いなくあるのです。
 これは、ぼくが共同通信政治部の記者時代にその現場で「政治学の本に書かれてあることと違う」と気づいた点でもあります。


▼菅総理が、昨年の8月に統幕長らとの意見交換会で、ご自分が自衛隊の最高指揮官であることを会の直前まで知らなかったと受け取るほかない発言をされた、そのことを今回も指摘して首相辞任論を語るのなら、やや感情論に近づくし、「こんな非常時にそんな論議をすべきではない」という反論も成り立つと考えます。
 したがって、ぼくはその去年の話をいま、問題にするつもりはない。

 問題は、東日本大震災の発生以来、菅総理がすでに2度にわたり、実際の緊急活動を阻害したという事実(福島の現場に入り、その事前準備と現地対応に現場の力を削いで振り向けることになった。また東京電力の本店に入り、長時間とどまって、そのあいだ本社の指揮機能を鈍らせた)と、それだけではなく、現在進行形で、再び福島の現場で、もっとも喫緊(きつきん)の大切なことが実施できずに遅れているという事実があります。


▼その第三の事実は、この一般公開の場である個人ブログでは記せません。圧力や非難を恐れているのではない。そんなものは年中行事で、すでにあります。
 日本に常に不法な工作活動を行っている外国勢力にまで、やすやすと知らしめることは国益に反するためであり、また、現場の士気にも関わるからです。
 そこで、完全クローズドで独研(独立総合研究所)から配信している会員制レポートでは、ある程度、記しています(全部ではありません。会員外に漏れるケースを考えねばならないからです)

 きのう、その会員制レポート(東京コンフィデンシャル・レポート第500号)を全会員へ配信したところ、独研のメールアドレス各種に、凄まじい妨害工作がありました。
 しかし配信そのものは、完遂できました。
 入院中のぼくを含め、社員たちがその後始末に膨大な時間と労力を取られたという意味では実害がありましたが、実際の業務遂行、一民間シンクタンクながら国民に対する任務と自覚している責務の遂行については、まったく阻害されず、完遂しています。

 ぼく自身と独研に対する、強力な組織によると思われる妨害活動は、以前から延々と繰り返されてきました。
 たとえば、ぼくの旧モバイル・パソコンでは、いったんほぼ脱稿した「ぼくらの祖国」」という、扶桑社から出版を予定している新刊の原稿が、きれいに狙い撃ちされて全部、消され、バックアップまで正確に狙われて、その全文を消され、警察庁の外事部門の、あるセクションから「そのパソコンを預かって解析します」という申し出がありました。
 ぼくのパソコンの中身は誰彼を問わず、どなたにも見せるわけにいかないので感謝しつつお断りし、そのうえで、捜査当局とも連携すべきを連携して、独研として対策を練りあげてきた経緯があります。

 しかし、もう一度述べますが、会員制レポートの配信そのものは完遂されています。これからも配信を続けます。


▼そして、この個人ブログは、前から申しているとおり、ぼくの庭です。
 家の中は、外には見せません。完全クローズドの会員制レポートの会員は、その家の中の書斎にまでお迎えするかたがたであり、机の上の生のメモと金庫の中のペーパーやデジタル資料はお見せできないけど、ソファで、日本語としても完全原稿に仕上げたレポートをお見せする、そういうかたがたです。

 一方、お庭も、公園ではなくぼくのプライベートな庭ですから、勝手に入っていただくことはできません。
 しかし、公共の道に面し、そこはどなたでも歩くことができるのですから、庭は誰の目にも入ります。その意味では社会に向かって開かれていて、その責任もあります。
 だから、ただの地味な個人ブログであっても、アップするまでには内容も文章も練りに練ります。
 有償の会員制レポート、有償の出版物(本)、それと無償のこのブログと、情報の確認と文章の磨き上げにかける手間そのものは寸分、変わりません。
 それは、お庭としての責任に加えて、ぼくがほんとうに、ほんとうに日本語を深く愛し、信じているからでもあります。

 この一つ前の書き込みで、元政治記者として旧知の菅直人さんに向けて、「総理辞任」を求めたとき、たくさんの非難コメント、さらにはアンフェアな中傷誹謗も含めて山のように来るだろうと予測しました。
 以前のように、コメント欄を無条件公開制にしていれば、おそらく実際にそのようになったと考えます。
 しかし、コメントをすべて「保留」(公開をすぐにはせず保留にしている)としている現在は、3月18日の朝5時現在では、まことに意外にも、ただ1通しか来ていません。
 その1通の全文はこうです。

~引用の始まり~
>そして、菅さん、あなたはお辞めください。

これって、今、いうべきことですか(怒)
どんなに頼りなく信頼もできない総理大臣でも、この未曽有の災害の陣頭指揮している人へ何を言っているんですか。
管さんへの退陣要求を言うのは平時のときにしてください。それからにしてください。これはさすがに酷すぎます。
~引用の終わり~

 ハンドルネームは、このかたのために公開しませんが、これは前述のような組織的妨害工作とは、まったく考えません。
 個人が実際にそう思われて投稿されているのでしょう。だから意見として、ちゃんと耳を傾けます。
 しかし、これは冒頭に記したとおりの「こんな非常時に」という一般論だと考えます。
まさしく、こんな非常時だから、最高指揮官が交代すべきであり、交代しないと現在進行形の目を覆う阻害行動がやまないからです。国民の生命に関わります。

 そして、あえてもう一度申しますが、個人的にも記者時代から存じている菅さんに、こうして個人ブログとはいえ公開の庭で、すなわち社会的な責任も負って、菅さんご本人に「ご自分から、任にアラズと理解されて任を解き、私心に負けることなくおのれを抑制できる人に、最高指揮権を譲るべきです」と提案しています。

 批判はこれからも、ありのままに受けます。
 同時に、アンフェアな中傷誹謗や破壊妨害工作については、わたしたちの法に基づいて厳しく対処します。
 また、この個人ブログと、会員制レポート、出版物、インターネットTV(青山繁晴.TV)、そして公共物であるテレビ・ラジオ、あるいは公開の講演会、非公開の勉強会・研究会、それぞれ役割は違います。
(ちなみに、地上波のテレビであるなら、東京も大阪も同じです。だから東京と大阪のテレビ番組で言うことを変えたりはしません。発言をどうカットするかはテレビ局の編集権ですから、ぼくは関与できません。しません)

 ぼくの趣旨と見解は、どのような場でも、命ある限り、寸分の違いもなく貫きます。同時に、表現は、そのひとつひとつの発信手段にふさわしいものであるよう、力を尽くして努めます。工夫します。
 それがフェアにやれるのが、日本語です。

 ぼくは、ひとりの非力な物書きとして、しかしアマチュアではなくプロフェッショナルである物書きとして、「日本語は曖昧な言葉だから」という俗説に、断固、反対します。
 それは日本語の問題ではなく、その使い手の問題です。
 書き言葉であれ、話し言葉であれ日本語は、その使い手の、志と生きざまによってはきわめて公平、客観的に考えを、その場その場にふさわしく表現できる、素晴らしい言葉です。言葉という至高の智恵です。
 敬語すらろくに完備していない英語では、とてもできないことができます。

  ぼくはこの信念に基づいて、これからも、個人ブログ、会員制レポート、出版物、そしてテレビ・ラジオ、ネットTV、公開の講演、非公開の勉強会・研究会、それぞれにふさわし表現を下手くそながら模索しつつ、少しづつ違う表現、多様な発信を通じて、最終的にはただ一つの考え、僭越に申せばぼくなりに体を張って少しづつ体系化しつつある哲学を、お示ししたいと考えています。


▼さて、前述のように、このブログはいま、すべてのコメントを公開保留にしています。
 かつて、この庭を不当に踏み拉(しだ)く動きが激化し、ぼくだけではなく、庭を愉しく愛でてくれるかたがたも不快に思う日々が続きました。
 それへの緊急対処として、すべてのコメントをいったん公開保留にして、アンフェアな中傷誹謗や破壊妨害工作と判断せざるを得ないコメントはすべて削除し、そのほかのコメントはすべて保存してきました。

 そして、選択的に公開しようとして、「それは青山さんに都合の良いものだけ公開しようとするやり方だ」というコメントが届き、ぼくは、がっくり肩を落としてしまいました。
 ずっとフェアネスを志して、時間も費やして考え、取り組んでいることが、まったく理解されない、届かない感があり、自分自身が意欲をなくしてブログを閉鎖することを、みずから危惧しました。
「ぼくにとって都合のいい意見」? そもそも、ぼくの都合って何でしょうか。日頃の死生観からして、ほんとうはそれ自体が、ぼくには意味がありませぬ。都合よく生きようと、うまくやっても、死にます。死を常に見据えて生きている以上、都合よく、などと自分は守りません。

 しかし、そのあともずっと考え続けてきました。
 そして、この頃、こころから感嘆するようなコメントも、相次いでいるのです。
 ぼくの意見と同じコメント、という意味では全くありません。長文であればあるほど、ぼくの意見と違う箇所も散見されます。
 だけども、その冷静な視座が、たとえば凄かったりするのです。

 きょうは、上に述べたような感嘆すべきコメントとをいくつか、まさしく選んで公開します。
 考え抜いた末の、ささやかな「コメント選択公開制」の始まりです。
 まずは、この二つ前の書き込み、「遺書ならざる遺書 番外編]への書き込みからです。その書き込みの下に表示されます。


*と、ここまで書いて、アップして、いざコメントからいくつか選ぶ作業を開始してみたら、これが想像を絶するほど大変です。
 いつも述べているように、すべて読んでいます。読んではいますが、あらためて選ぶために読み直し始めたら、物凄く数が多い!
 それにいま、福島原子力災害への対応で、時間を取るのがふだん以上に、無理。

 だけども、いったん約束したことをやめるわけにいきませんから、とりあえずいくつかを、まだ作業は途中ですが、公開して、そこで作業は中断します。
 いくつか原則を書いておきます。

 ■ぼくを褒めすぎているコメントは、恥ずかしくて公開できません。ところどころ褒めてあるぐらいは、仕方ないですが。

 □公開されたコメントのかたで、「それは実は困るんです!」という人がいたら、そのように書いて、もう一度コメントをブログに送ってください。
  なるべく早く削ります。ただし、いつもこのブログを見ているとは、まったく限りません。まして今は、見るときは夜中かもしれません。

 ■コメントのなかで、「これは公開しないでください」という趣旨があらかじめ書かれているコメントは、決して公開しません。安心してください。

 □しかし、その逆は、無理です。つまり「コメントの中に公開するなとは書いてないけど、前に送ったあのコメントは公開しないで」と今から指定いただいても、もう探すことは不可能です。物凄い数のコメントですから。

 ■あと、「選んで公開されたのが良いコメントで、わたしのコメントは公開されていないから、良くないのか」という誤解だけはしないでくださいね。
 選ぶと言っても、全面的に選ぶ、選ばないのをやっているのではなくて、いくつかを例示として公開するだけですから。
 選択という言葉が、ほんとうは良くないですね。
 いまそれは、変えます。
「コメント選択公開制」ではなくて、「コメント例示公開制」にします。

 □あと、このぼくの使っているGOOのブログは、いただくコメントを公開、削除、保留にすることはできますが、そのコメントの中身に手を加えることは一切、できません。
 正しい仕組みだと考えます。

 したがって、コメントの中にメールアドレスがあっても、そこだけ削ることはできません。まずい場合は、上記の通り、「私のコメントの公開を取り消してください」と連絡をください。
 また、「公開の場合は匿名で」と書かれているかたがたが、たくさんいらっしゃるのですが、名前の欄を修正することも不可能なのです。だからこうしたコメントは、公開そのものが一切できません。

祖国

2011年03月17日 | Weblog
▼みなさん、おはようございます。
 きょうも朝だけは無事に明けてゆきます。
 東京は静かな青空で、被災地の空ばかりが思われます。

 入院先の病室で徹夜するというのも、医師と看護師さんの努力に対して申し訳ないことですが、今朝もまた、ほぼそうなりました。この危機には、そうならざるを得ません。
 しかし大切なことは、医師団(執刀医、主治医、専門医など)や看護師さんたちの常時、完全な監視と管理下で、いま生活と仕事をしているということです。
 同時に、他の患者さんに絶対に迷惑をかけないことが不可欠ですから、個室に入り、正直、毎日、個室代が膨らんでいることに内心でおののきながら、退院の準備もしています。
 もうこれ以上は、どんなに借金しても無理ですね。


▼おととい3月15日火曜に、友情から決してキャンセルできない仕事に、この入院先から外出許可を得て新幹線に乗って西方へ出向きました。
 そして夜更けの新幹線で帰京するとき、静岡東部の地震で停電し、いきなり急ブレーキで列車が止まり、真っ暗になり、暖も失われました。

 西向きだった、往路の新幹線は、その時間帯にはいままで見たこともないほどの超満員で、しかも京都でどっと大量に人々が下車していきました。
 逆に、東向きのこの、帰りの新幹線は、いままで見たこともないほどガラガラで、ひとり乗っているぼく以外には、みごとに誰もいません。(もちろん、ぼくの居た車両は、ひとりだったということです。他の車両にそれぞれ、数はおそらくは少なくても、ひとがいらっしゃっただろうと思いますが、見に行っていません)
 その真っ暗な寒中の車内にいると、やたら長細いお棺の中にいるようだなぁ、と淡々と感じていました。

 そして、なぜ西向きは極端に混んでいて、東向きは逆に極端に空いているのか、やっと、「ははぁ」と分かりはじめました。
 そこで、車内にぼくしかいないこともあり、携帯電話もどしどし使って情報を集めてみると、間違いなく「東京・首都圏から人が逃げ出し、逆に、東京・首都圏へ帰ろうとする人がとても、とても少ない」という事実が確かめられました。

 ぼく自身には、東京を逃げ出す発想がまったくカケラもなかった、いま現在もカケラもないから、行きの混みぐあいを見ただけでは、ちょっと首をひねるだけだったのですね。
 ふひ。
 もっと、さっさと分からなきゃ駄目ですね。ぼくは闇の車内で、ぽんぽんとおのれの頭を叩きました。

 福島の原子力災害をめぐって、すくなくとも今朝までの段階(3月17日木曜午前5時半)で、ひとびとが東京・首都圏を離れなければならない健康上の理由はありません。
 しかし、車窓から見たあのかたがた、京都駅の下り階段に殺到していたひとびとの、どなたも、ゆめ、いささかも責めるつもりはありませぬ。
 子供連れのかたが多かったのは、胸に染みます。
 自分のことだけではなくて、次世代を護ろうとするお気持ちもきっと、間違いなく、あるのです。
 祖国の首都は、わたしたち、首都にとどまる多くの、広範な都民で護ります。安心してください。

 そのうえで、せっかく京都にいらしたのなら、短時間でも御所も訪ねてみてくれませんか。
 白い玉砂利を踏んで、どなたも分け隔てなく、天皇陛下の本来のお住まいに近づくことができ、その塀に外塀とはいえ直接、触れることもでき、内側も一部とはいえ見ることができます。
 このように、ご自分を護らない帝(みかど)のお住まいは、世界のどの皇帝、王様の住まいにもありません。

 そしてそこに、今上(きんじょう)陛下は、いらっしゃいません。
 首都に泰然ととどまられて、どの国民にも、どんな立場・主張の国民にも、いっさい分け隔てなく、お言葉を発せられました。
(明治維新以降ずっと天皇陛下は東京の皇居にいらっしゃるじゃないか、というコメントを寄せるひともきっといるでしょう。そのことではありません。この際しばらくは京の御所に戻られては、と案じる声も非公式にはあるなかで泰然と、動かれないということです)

 なぜ陛下は、京都にお戻りにならないのか、わたしたちは、自分が東京にとどまっている、いないに関わらず、それぞれおのれの胸に手を当てて、静かに考えてみませんか。


▼そして、菅さん、あなたはお辞めください。
 私心に満ち満ち、かつあまりに軽率な、軽々しい、あなたの行動、言葉、表情もまた、国民に必要以上の不安を掻き立てているのです。
 辞めなさい、菅さん、救国のためにこそ。

 ぼくは共同通信政治部の若手記者の時代に、42歳だったあなたと出会った。職務として、ほんとうに数多くの政治家と出逢ってきたけれど、選ばれて内閣総理大臣になったひとは、ほんのわずかです。
 そしていま、告げます。あなたは、ご自分が間違って選ばれたことを、静かに知るべきだ。
 わたしたちの民主主義は、私心を脱せられた天皇陛下と共もにあるオリジナルな民主主義です。
 その「日本民主主義」のリーダーとして、抜きがたい私利私欲にも、おのれが突き動かされていることの謙虚な自覚すらできないあなたは、致命的に資格を欠いている。


▼運命の東日本大震災が発生したとき、このときも偶然、ぼくは今回の仕事の往路に乗った同じ、のぞみ111号の新幹線の車中にありました。そして新幹線は非常停車しました。
 もちろん、同じ病院から医師団の許可を得ての外出仕事でした。

 今回もたまたま同じ、のぞみ111号で違う仕事に向かうとき、ある種の予感がありました。
 そして帰途、静岡の地震で、新幹線はやはり停まりました。

 静岡は、わたしたちの富士のふもとです。
 そこで、ある大学の良心的な学者の話を聴きました。富士の非常事態につながる可能性(あくまでも、ひとつの可能性)があると、彼は判断しています。
 富士はこれまでにも、何度も傷ついてきました。
 だから、慌てることはありません。
 もしも富士がいまの美しい姿を仮に、万一、喪っても、われらの胸に永遠にとどめて、富士も陛下も、日本国の永い伝統を護り支えてくださることをもう一度思い、それぞれの職務を淡々と、たゆまず、続けていきませんか。

 ぼくの身体も、まもなく退院して、もちろんまったく大丈夫です。
 いったん退院したら、おそらくは外来に来ることも、限りなく難しくなるだろう日々が待っています。
 それに備えて、いま力を蓄えるために、いましばらく病院にとどまってきました。
 医師団と看護師さんたちに深く感謝しつつ、そろそろ新しい戦場へ、武器なく、砦なく、出ていきます。


▼今朝の最後に、被災地の福島県に毅然ととどまっている、ある女性の社会学者のことに、ひと言だけ触れさせてください。
 彼女は、学生たちを束ね、勇気づけ、おのれはふり返らず、そして自ら車を運転して、東北のある遠い北の街へ、息子さんのお嫁さんを訪ねていった。そして赤ちゃんと、お嫁さんと、そのお母さんと触れあい、励ますべきは励まし、そして、なぜ福島市内の自分のところへ連れてこなかったかと、ひそかに涙している。

 ぼくは、慰めでなく、その場限りの言葉ではなく、「あなたは断固、正しい」と携帯電話で申しました。
 彼女の福島市内のアパートには、水がない。その北の街には、かろうじて水がある。
 ふつうなら、その水を自分も欲しいと思うだろうに、彼女はカケラもその発想がなく、自分のアパートで護るべきだったのではないか、判断を間違ったのではないか、ガソリンがないからもはやあそこに当分、行けないのに…と、ひとり、苦しんでいる。
 大学では全身で毅然と戦い、アパートに戻ると、涙している。

 あなたよ、光あれ。
 祖国は、あなたをこそ、求めている。

 たとえば、原子力災害の最前線で力を尽くす、自衛官、警察官、消防官・消防団員、公務員、そして東京電力の名もなき社員・労働者、協力会社の名もなき社員・労働者と並び、あなたをこそ求めている。




*写真は、今朝7時50分ごろ、この病院から携帯電話で撮った、首都と、富士です。
 富士は深々と白く、いちだんと、たおやかでありました。







  
 

遺書ならざる遺書 その番外編

2011年03月15日 | Weblog
*このごろ二度まで間近な死に、重症肺炎それから腸閉塞によって直面したこと、早期ではあっても癌の宣告を受けたこと、それらを機に、これまで書かなかったことを書き残していく気になりました。
 その意味では、ひとつの遺書です。
 しかし、急死の手前まで行ったは行ったけれど、無事に帰ってきましたから、あくまでも「遺書ならざる遺書」です。
 大したことを書いているわけではありません。
 ここは、ぼくの書物でもなく、会員制レポートでもなく、地味な個人ブログです。

 時間のある方だけ、さらりと読んでくだされ。



 みなさん、悲惨極まりない煉獄のなかで、連帯と平常心をもって、それぞれが力を尽くしておあられることに、あらためて深い敬意を表します。
 そして、黒ずんだ波に奪われて二度と帰ってこないかたがたをはじめ、犠牲者に、永遠に尽きせぬ哀悼の意を表します。



▼今週の水曜日に関西テレビの報道番組「スーパー・ニュース・アンカー」のいつものコーナーで、原発災害の真実について話してほしいという要望を、目を見張るぐらいたくさん、メールや書き込みでいただきました。
 それだけ不安が強いということですね。

 だから、ぼく自身も、関テレの志あるスタッフに、今週水曜日のコーナーでは、柱を2本立てて話したいと、あらかじめメールで伝えました。


▼その2本の柱とは、まずひとつは、もちろん原発災害です。
 原子力をめぐってのぼくの専門分野は、原子力防護、最近の言葉で言えば核セキュリティです。
 具体的にいえば、日本国の原子力施設に対する、外国勢力を中心としたテロ機関などによる侵入、破壊工作を未然に阻止し、日本の自主エネルギーと地域住民・国民を護ることです。
 安全保障・外交と、自主エネルギー確保という、もともとの専門から原子力問題にアプローチしてきたから、原子力については、こうした課題が自然に専門分野になりました。

 原子力発電所で、最悪中の最悪の事態は、ほんらいは地震や事故よりも、テロやサボタージュといった人為攻撃による、大規模にして悪質な、放射性物質の環境への漏洩です。

 その最悪事態から、日本国を護りたいという志で、自民党政権、民主党政権を問わず、内閣府の原子力委員会(所属・原子力防護専門部会)の専門委員などの公職を務めてきました。
 政党色とは関係のない、まさしく中立の実務です。
 だから、自公政権時代の平成18年12月に上記の原子力委員会専門委員となり、民主党への政権交代があっても、そのまま変わりなく務めています。

 そして、こうした委員になる、はるか前の12年前から、「(テロなどの際に)原子炉が無事、自動停止するから大丈夫であると政府も電力事業者も強調するが、自動停止しても(やはりテロなどによって)炉を冷却できなければ重大事態に至る」という問題提起や、「放射性物質が漏れたとき、地を這って進むことはなく、現実には必ず風に乗って上空に広がるのだから、避難は同心円で行うのではなく、あらかじめ原発立地地域の地形に合わせて風向きをシミュレーションし、地域を細かく区割りして避難計画を立てるべきだ」、「そのリアルな避難区割りを行うことにより、いざという時に自力では動けない高齢者や障害者のかたなどの存在を正確に把握することができる」という提案を行い続け、委員になってからも、公式にずっと訴え続けてきました。

 こうした問題提起や提案は、評論とかコメントではなく、あくまでも実務の話です。
 だから、評論ではなく実務を遂行するシンクタンクとしての独研(独立総合研究所)も、この提案が政策として具体化するための準備として、決めつけのない、偏らないフェアな調査・研究を行うよう、いくつかの政府機関にも問題提起し、調査・研究プロジェクトを提案してきました。

 ふつう日本のシンクタンクは、政府からの委託の話を待つのですが、そうではなく独立の立場から逆提案することに徹してきました。
 しかし提案しても提案しても、ほとんど実りません。
 かろうじて、100に1つあるかないかの割合で、たとえば良心派の官僚が「そうか、確かに、これを研究してみるべきかもしれない」と考え、誰がもともとの提案者であるかはまったく関係のない公募になり、そうなると既存のシンクタンクなどなども急にどっと群がり、そのうち何十回に1回ぐらいの割合で、独研が遂行できることになり、なんとか具体的な調査・研究を重ねてきました。
 その報告書は、当時の若き研究員たちの徹夜続きの真剣勝負の賜(たまもの)です。

 しかし、まことに残念ながら、どんなに努力してもそこまで、でした。
 つまり「政策として実行するのなら、こうやるべき」という研究結果をまとめるところまでであって、現実に政策として実現することはないまま、その壁は民間人としてのぼくも、独立系の民間シンクタンクとしての独研も突き崩せないまま、今日(こんにち)の事態を迎えました。

 前述の「(テロなどの際に)原子炉が無事、自動停止するから大丈夫であると政府も電力事業者も強調するが、自動停止しても(やはりテロなどによって)炉を冷却できなければ重大事態に至る」という問題提起を、もう一度見てください。
 この(テロ)という言葉を、(大震災)と置き換えれば、そのまま現在の事態になるわけです。
 無念です。

 しかし、このままでは外国勢力を中心としたテロ工作機関に、日本の原発はやはり狙い目だと思わせることにもなりかねません。
 今回の無残な大震災は、現在進行中の事態の被害拡大を最小限に食い止めると同時に、このあまりに尊い教訓を、これからの日本に活かすことが大切ですから、その視点で、アンカーで話したいと考えました。


▼もうひとつは、大震災への政治の取り組みかたを、主権者がどう考えるかです。
 菅総理が、「国民へのメッセージ」として、まるでタイラント(僭主)のように言いっ放しをおこなうだけであること、停電問題は海江田経産大臣の職責なのに「節電啓発大臣」なる不可思議な屋上屋を重ねる大臣に、蓮舫行革相を起用したこと、ピースボートを主宰してきた辻元清美代議士を、震災ボランティア担当の首相補佐官に起用したこと、それらの「政治」というよりは「行為」を、アンカーで視聴者と一緒に考えたかった。


▼しかし、きのう3月14日月曜日の昼、今週の水曜アンカーは、フジテレビ(キー局。関テレは準キー局)の特別番組を放送するので、ぼくの番組参加(出演)やコーナーは中止、という知らせを電話で受けました。
 こうした大ニュースがあるときには、よく、こうなります。
 JR西日本の脱線事故のときも、関西テレビの地元で起きた大事故にもかかわらずフジテレビの特別番組が放送されました。ぼくは大阪入りまでしていましたが、局に入ることもなく、そのまま帰京しました。
 残念でしたが、不満はなかったですね。淡々と帰りました。だって、そういうものですから。
 今回が特別ではありません。異常なことが起きたのではありませぬ。

…だけども、なんとまぁ、ぼくがこの書き込みをアップする前からすでに、「今週、青山のコーナーがなくなってフジテレビと同じ放送になるのじゃないか」というメールや書き込みがすでに、ずいぶん来ているのです。

 たとえば、この地味ブログに昨日あった書き込みのひとつを、下にそのまま引用します。

~引用の始まり~
青山先生(※原文のまま)、こんばんは。
気になることがあるのでここでコメントさせていただきます。

あさってのアンカー水曜日はちゃんと放送されるのでしょうか?
大震災のことでそれどころじゃないと青山先生から怒られそうですが、しかしこの水曜日を楽しみにしてる私みたいな人間もいることをお忘れなく。

確かに日本国内で起こった未曾有の大震災は日本人にとって大事な事です。
しかし、大震災ばかりのニュースでいいとも思えません。
その裏で刻々と動いている政界の事も知りたいのです。
ここは関西テレビに問い合わせるべきで青山先生に聞くことではないかもしれませんが、気になってここへ来た次第であります。

あとで関西テレビにも問い合わせてみるつもりです。
では失礼いたいます。(※申し訳ないけど、ここも原文のまま。失礼いたします、ですね)
~引用の終わり~

 うーむ。ぼくがお願いできることではないですが、この書き込みをくださったかたと同じく「問い合わせ」までにしてくだされば、正直、うれしいです。
 こうしたとき、なかには抗議、詰問となることもあるようですが、関西テレビの報道部が志のある人々であることを、どうぞ理解してください。
 それに、ぼくはテレビ界の人間では全くなく、あくまでも一参加(出演)者に過ぎないので深くは分かりませんが、こうした場合のキー局と準キー局の慣行などもあるのではないかと思います。
 テレビ界は、客観的にみて体質が古く、慣行があるとしたら、それをなかなか変えられない業界でもあると思います。と言っても、これはぼくが一般的に持つ感慨であって、今回のケースがそれに当たるかどうかは、詳しい経緯を知らないので分かりません。

 しかし、いずれにしてもこの決定は覆りません。今週の水曜アンカー、「青山のニュースDEズバリ」はありません。
 先週も、ぼくの腸閉塞のために、同じく月曜日にお休みが決まっていましたから、2週連続でお目にかかれないことになります。
 みなさん、ごめんなさいね。ぼくも、さびしいですよ。

 なお、その電話の知らせのときに、さらに「来週も再来週も分かりません」という言葉(言葉のまま)も聞きました。
 驚きましたが、それだけ、この大震災が未曾有の出来事であるということです。もしも来週、再来週もお休みになっても、誤解なきよう。



 腸閉塞のために再入院している都内の病院にて。
 まもなく最終退院です。ご心配なく。
 わずか3か月半ほどのあいだに、尿路結石、早期大腸癌、重症肺炎、腸閉塞と、痛い痛いシリーズを歩んできましたが、すべて克服です。
 尿路結石の激烈な痛みと戦いつつ、どうにかこうにか、みなさんに話した12月1日の水曜アンカーを思い出します。
 なんと、視聴者からいちばん、「青山が元気で、コーナーを熱心に視ることができた」という反応をいただいた回でした。ふひ。

 よのなか、面白いですね。
 またいつの日か、その素晴らしきみなさんにお目にかかれますように。


 青山繁晴 拝
 西暦2011年、平成23年、皇紀2671年 弥生15日火曜 
 福島原発災害の情報を集めつつ、午前3時35分


お見舞いと仮報告

2011年03月12日 | Weblog
 わたしたちのかけがえのない国土を襲った大震災について、すべてのかたに、こころからお見舞いを申しあげます。

 わたしの安否について、たくさんの問い合わせをいただいています。ご心配いただいていることに、深く感謝します。

 独研(独立総合研究所)に物的な小被害はありましたが、人的被害はありません。
 家族、社員、いずれも無事です。


▼わたしは、地震発生時、東京から姫路(兵庫県)に向かう新幹線車中にいました。
 腸閉塞で日赤医療センターに入院中ですが、順調に急回復しています。
 信頼する清廉な知友のために、あらかじめ開催の決まっていた講演会に向けて、医師団による外泊許可のもと、東海道新幹線に乗りました。

 そして静岡県の安倍川を渡りきろうとするあたりで、地震により停止。
 すくなくとも何時間か車内にとどまることを覚悟し、講演会に迷惑をかけることも懸念しましたが、その新幹線がぎりぎり動ける位置まで西に近づいていたために、「動く新幹線の最後の一本」となり、最終的にはわずか9分の遅れで姫路に到着しました。
 そして、まずは講演会を予定通りに遂行しました。そのあいだ、同行の青山千春博士が、独研の自然科学部長として、多様な情報収集や連絡、対処に取り組み、そのあと車で大阪に送っていただく途中に、その結果を聞きつつ判断するなどして、大阪のホテルに入りました。
 この時点で東京に戻る手段はありませんし、大阪で、これもあらかじめ決まっていた予定(番組収録。関西テレビではありません)の責任がありました。


▼ゆうべは、さまざまな困難と責務のなかで徹夜されたかたが、全国で無数にいらっしゃると思います。
 わたしも徹夜して、情報の収集と、民間人ながら、できる限りの被害軽減協力をおこなっています。
 原子力発電所について問い合わせもいただいています。わたしはかねて、原子炉が自動停止しても、冷却ができなければ炉内の熱(核種の放射性崩壊によって生じる熱)によって深刻な事態に立ち至ると、12年にわたって電力事業者、および政府に対し自民、民主の政権を問わず問題提起してきました。これは主としてテロやサボタージュといった人的攻撃における懸念として、問題を提起してきたのですが、地震でも同じ懸念があることが、きわめて残念ながら実証されたことになります。
 まずは地域住民を護ることに加え、今後のためにも、徹底的にフェアな情報を集めねばなりません。
 現状について、安易なことは申せませんが、原則的には、放射性物質の放出は、自然災害、事故、ヒューマンエラー、テロ・サボタージュによって突発的に起きる場合と、今回のように自然災害に対応しつつコントロールして行う場合とでは、まったく異なるということがいま現在は、何より大切です。
 すなわち、放射性物質を放出する際に重層フィルターを正常に作動させ、放射線量を、自然界に実は常に存在している放射線量の範囲内にとどめることが何より重要です。
 放射性物質は、原発から外へ出たことそのものよりも、ほんとうは、あくまでその量、放射線量が問題です。放射線は常に、空からも大地からもわたしたちに当たっているのですから。
 量を抑えることができるかどうか、いまその瀬戸際の勝負です。


▼先ほど、テレビ局がすべて予定通りに行いたいということを決めました(ただし驚くべき無責任として担当者から連絡なし。朝8時までに最終決定を連絡しますと、昨夜に言っておきながら、まったく連絡なし。関東や東北と違って、連絡手段に困っているのじゃない。単なる無責任。だから局名は記しません。もう一度言いますが、関テレではありません。関テレでこんなことを経験したことはないし、これからもないでしょう)。
 そこで、その責任を果たして、飛行機が無事に飛んでいれば帰京し、公私ともに必要な対処をしたあとに、日赤医療センターに戻ります。

 入院を続けているのは、主として食事の管理のためです。といっても、ふうつの食事はまだまだできないので、大量の点滴で補っているわけです。
 昨日の講演でも、正直、空腹でふらふらしました。痛みは幸い、ほぼありません。
 すべて医師団のアドバイスと許可のもとに、病院から仕事に出て、また病院に戻っています。
 大震災への対処も、病院をベース(拠点)に取り組みます。


 とりあえず、ご報告しました。
 みなさん、これからも、くれぐれもお気を付けて。


追伸
 テレビ朝日の昼の番組(ワイド・スクランブル)のコメント撮りで、竹島を韓国に渡すごとき狂える行動をとった民主党の土肥代議士に対して、怒りをかつてないほど大爆発させました。させてしまいました。
 しかし放送されたかどうか。
 震災の起きる前ですから、震災との関係ではありません。
 ディレクターから3月11日金曜の朝7時過ぎに、「石原慎太郎都知事が急転、出馬することに(その時点で)なりそうなので、そっちを優先するかもしれません」という電話があったからです。
 救国態勢で震災に取り組む。その通りです。断固、正しい。しかし同時に、国土を売り渡すような国会議員が現存する問題を、ないがしろにはできません。
 震災からも、放射能災害からも、外国勢力とその追随者からも、わたしたちの国土、海、空、そして国民、すなわち祖国を護らねばなりません。


みなさん、ありがとう。魂から、ありがとう。

2011年03月10日 | Weblog
▼もの凄い数の応援コメントとEメールをいただきました。
 深く、勇気づけられました。
 責任を、あらためて実感しました。晴れわたる空のような、すがしい気持ちをいただきました。

 こうしたなかにも実は、善意の、しかし信じがたいような曲解(誤解と言うよりもはや曲解)のコメントと、おそらくは悪意のねじ曲げ中傷も来ています。
 だけども、さまざまな年代、いろいろな地域、お仕事の男女から、何もも増して勇気づけられる応援をいただき、病室でひとり、ほっこりしています。
 特に、関西テレビの志ある報道番組「スーパー・ニュース・アンカー」の視聴者のかたがたの声が、胸に染みました。もちろん、いろんな工夫と苦労を駆使してご覧になっている、世界の視聴者のかたがたです。(ほんとに海外邦人の視聴者も、びっくりするぐらい多い)


▼写真は、きのう3月9日水曜日の午後、テレビ朝日から戻って病室にいるところを、看護師さんが携帯電話で撮ってくれました。
 番組「ワイド・スクランブル」で短時間、話していたときのスーツ姿とは、別人でしょうね。本人は、別にそう感じないのですが。

 着ているのは、病院で借りた病室着です。
 左手近くにあるのが、ダブル点滴。
 日曜の朝から一切何も食べていないので、電解質と水分を補っています。夕方には、これに胃のための点滴も加わって、トリプル点滴になります。
 いま、ぼくの命を支えてくれています。
 コップはあるけど、実は水もほとんど呑んでいません。

、前の書き込みで詳しく記したように、ほんらいは水曜にレギュラー参加している関テレの「スーパー・ニュース・アンカー」は、番組からの提案で、月曜午後にはお休みが決まっていました。
 その月曜夜に、都内の大病院に再入院して、こうした点滴を通じて治療が始まり、火曜のたった1日で、ほんとうに劇的に腸閉塞は改善しました。

 しかし安心してください。
 油断しているわけじゃなくて、執刀医をはじめ医師団と十二分にすべて相談しつつ、医師団の許可の出たことだけをしています。
 自慢して、と言われるだろうけど、執刀医(大腸癌の権威)は「あなたは、つくづく超人だ」と申され、「だから動ける範囲では、どんどん動いてください。そのほうが、あなたの場合は、きっと回復もずっと早い。水曜日に大阪へ行くのは、そもそも無理だったけど、近いテレビ朝日なら、行っていいですよ。ただし、病院に戻っていただいて、われわれの食事管理のなかで仕事をしてください」と、おっしゃいました。

 そして、きょう3月10日の木曜は朝早く、午前6時20分にいったん病院を出て、テレビ朝日の「やじうまワイド」に顔を出します。
 中国の工作活動と、沖縄がテーマだからです。
 午前7時台には、病院に戻ります。
 昼ご飯は、ついに流動食が始まります。
 といっても、すべて汁だけ。具はゼロ。
 まだ形あるものは、さすがにぼくも怖くて食べられません。


▼来週水曜日には、大腸癌も、腸閉塞も乗り越えて、アンカーであらためてお目にかかれれば、いいですね。
 午前4時になっちゃいました。
 先ほど、地震があり、看護師さんが「大丈夫ですか」と覗きに来てくれて、パソコンに向かっているぼくを見ても、今更もう驚かずに去って行きました。
 午前6時20分に外出許可が出ていると、看護師さんは知っているんですけどね。
 ふひ。



 

補足

2011年03月09日 | Weblog
▼この下の書き込みの最後にある、「誤解」について、何人かの方から「その誤解は、3月6日の日曜日に放送された『たかじんnoマネー』を視た人の誤解ではないか」というコメントが届きました。

 なるほど、その可能性が高いですね。
 これはテレビ大阪の大阪ローカルの番組です(ちなみに関西テレビの「スーパー・ニュース・アンカー」は大阪ローカルではなく、近畿ローカル。近畿一円をカバーしています)。
 ぼくはレギュラーで、先約のあった講演会などとぶつからない限り、参加しています。

▼しかし、誤解であることには変わりなく、このコメントをくださったかたがたも「自分も、たかじんnoマネーを視ていたけど、前原外相(当時)を追及するなという発言では全くなかった」という趣旨を書かれています。

 その通り、この番組は生放送ではなく収録ですが、その時点で、西田議員による前原外相への追及もまだなく、この番組で話していた闇マネーの問題は、前原外相の今回の問題とは関係ありません。
 もちろん、収録がいつあったのかは視聴者にすぐに分かる情報ではありませんし、あくまで放送されたときに社会的影響も生じますから、視聴者がいちいちそれをお考えになる必要は少ないと思います。
 しかし、番組での話題そのものが違いましたね、ということです。

 したがいまして、この下の書き込みで述べたとおり、ぼくはそのような発言はしていません。
 ただし、これも書き込みで記したように、たぶん善意の誤解だと思います。ぼくのつたない発言に関心を寄せてくださること、そのものに、あらためて感謝しています。

残念なお知らせと、その後の現況(書き足し、書き直しました)(イレウスについても書き足しました)

2011年03月08日 | Weblog
▼え-、会員制レポートの会員へのお知らせがまだなので、正直、順番が逆なんですが、なにせ明日のことだし、一般に広く(僭越な物言いながら)影響があることかもしれないので、急ぎ、お知らせしておきます。

 明日3月9日水曜の関西テレビの報道番組「スーパー・ニュース・アンカー」は、お休みします。
 大腸癌の切除手術は、すでにお知らせしたように、成功し転移もなく、その後も問題ないのですが、お腹で腸閉塞(イレウス)が起きました。
 腸閉塞(ileus)は、ご存じの方も多いでしょうが、ぼくのようなケース(あとで詳述)では癌そのものとはまったく関係がありません。(*つまり、ぼくの発症した腸閉塞は、癌性腹膜炎などによる腸閉塞ではなく、機械的な単純性イレウスです)
 癌切除手術に限らず、腸に何かの手術を施した場合など(ただし、もちろん手術が原因になるとは限りません。胆石などいろいろなきっかけがあります)、腸管の内容物の移動が難しくなり、閉塞、つまり詰まった状態になる症状です。
 放置すれば、短期間で死に至ることもある恐ろしい症状です。

 ぼくは同年配の友だちを実際、この腸閉塞で喪っています。
 住博司(すみ・ひろし)くん。
 早大政経学部卒も同じで、京都府警担当の事件記者時代、彼がNHKのキャップで、ぼくが共同通信のキャップでした。こころ優しい、清潔な人柄のナイスガイで、やがて自民党の若手ホープの代議士になりました。
 ところが腸閉塞を患ってから、あの顔色もよく爽やかに元気だった男が、わずかな闘病のあと43歳で亡くなってしまいました。

 ぼくは、きのう3月7日月曜の朝に「イレウス(腸閉塞)」という診断を受けました。
 この日は大阪で講演予定がふたつありましたが、医師から「講演すれば、舞台の上で、ショックを起こして救急隊員に運ばれるか、腸管が破裂して、死に至るだろう」と言われてしまいました。
 そこで、独研(独立総合研究所)の総務部秘書室が、ぼくの意見を聴くまえに、ふたつのうち延長可能な講演について主催者のかたと交渉し、4月12日へ延期を無事に決めました。
 この主催者の大阪木材工場団地協同組合・教育・情報委員会さん、ほんとうに、ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました。

 しかし、残るひとつは延期はできない講演会だったので、自宅からタクシーに乗り、羽田から飛行機に乗り、伊丹からタクシーに乗り、尼崎市のホールで講演し、ホールからタクシーに乗り、新大阪から新幹線に乗り、新幹線の車中でひどく嘔吐し、品川駅からタクシーに乗り、大腸癌の切除手術をした都内の大病院に行き、そのまま入院しました。

 そのホールからのタクシーに、関西テレビのプロデューサーに同乗してもらい、車内でじっくり相談しました。
 プロデューサーはもともと、ぼくの健康最優先という考え方がとてもはっきりしている人で、今回も「お休みなさってください」という考えでした。
 ぼくとしては、いったん再開した番組参加を中断したくなかったけれど、ぼくに万一のことがあったときなどに、関テレに「無理をさせたんじゃないか」といった、あらぬ批判が来ることを懸念して、その場で、お休みに同意しました。

 その夜に、前述したように大病院に入院して、お腹に長時間の点滴で輸液(水分や電解質)をゆっくり送り込む処置や、同じく点滴で痛み止めなどの薬剤を体内に入れる治療を施してもらいました。
 すると、きょう3月8日火曜の午前6時55分ぐらいから、4日ぶりの排泄作用があり、それから夕方までに実に9回、ほとんど水のような大量の排泄がありました。
 今日の午後2時ごろから、あの激烈な腹全体の痛みは嘘のようにほとんど姿を消し、激しかった嘔吐もなくなりました。大腸癌の切除手術を執刀した副院長が、「物凄い体力を感じる」と表現された急回復となりました。


▼しかし、関西テレビは当然、すでに代わりの方と出演交渉も終えています(どなたかは知りません)。
 また、さすがにまだ、飛行機や新幹線に乗るのは、無理です。

 実は、きょうの午後4時過ぎに、テレビ朝日の番組「ワイド・スクランブル」から生放送に参加(出演)依頼の電話がありました。アメリカ国務省のケヴィン・K・メア日本部長が沖縄県民を侮辱した問題について、話してほしいということです。

 入院中の大病院は、テレビ朝日から遠くありません。ふだんなら歩いて行けます。また参加(出演)するのも短時間です。
 アンカーの「青山のニュースDEズバリ」コーナーには必要不可欠な、番組側との時には4時間に達したこともある事前の議論の必要はなく、伝えるべきことのコア(要点の要点)を実質3分ほどで伝えるのみです。
 取材そのものは、モバイルパソコンのEメールと携帯電話の会話で、しっかりやらねばならず、その負担は同じですが、情報収集はどうせ、いつでもやっています。コーナーの組み立てがないことは決定的に負担が小さいのです。
 そして、このメア発言は、視聴者と考えたいテーマです。まだまだ裏もあると思われるメア発言への注意は、一過性でなく喚起しておきたい。

 そこで、前述の副院長と相談のうえ、短時間の外出許可のもと、参加することにしました。
 ぼくが顔を出すのは、正午過ぎぐらいの見通しです(生放送ですから前後することがあります)。
 アンカーを楽しみにしていただいているかたがたには、重ねて申し訳なく思います。ぼくが急回復して大丈夫な証拠でもあると、受け止めてくだされば嬉しく思います。

 また、水曜日のもうひとつの定番、RKBラジオ(福岡)の「スタミナ・ラジオ」への電話によるナマ参加(出演)も、体調の回復ぶりから可能と判断し、ベッドの上から携帯電話で、いつも通りにこなすことにしました。テーマは、前原外相の辞任を契機に外国のカネを使った工作活動をリスナーと一緒に考えることです。
 これも、一過性のテーマではありませんね。


▼以下は、もうすこし詳しい話ですが、今となれば、余談のようなものです。ただし、実はぼく自身にとっても、きっと大切な備忘録になります。
 興味のある方だけ、どうぞ。

 この一つ下の書き込みで、「(関テレ・アンカーのために大阪入りした3月1日火曜の夜から)腸閉塞を疑う事態となって、(3月2日水曜の未明に)救急車で(大阪市内の救急)病院に運ばれました。しかし幸いに、イレウスではなく、術後のやむを得ない痛みということになり、今も出張先の長野で、痛みに耐えています」と記しました。

 これを記し、アップしたのは3月5日の土曜の夜でしたが、そのあと腹部の痛みでほとんど眠ることもできず、翌3月6日の日曜の朝6時半ごろ、思いがけなく激しい嘔吐も始まりました。
 めちゃ苦しい長時間の嘔吐なのですが、吐瀉物は、ただただ白い泡か水のようなものです。
 嘔吐は、誰でも小さい頃から経験があるでしょう。ぼくも同じです。ところが、その嘔吐はこれまでに一度も経験したことがない嘔吐でした。
 吐瀉物が、見たことのない、ひたすら白いものだけだし、とにかく吐いても吐いても楽にならず、吐けば吐くほど胸も、肩のあたりも掻きむしりたいほど苦しくなるだけです。

 それでも、大阪の信頼する救急病院の診断ではイレウス(腸閉塞)ではなかったし、その2日後の3月4日に、都内の大病院で、大腸癌の切除手術の執刀医にも診ていただきましたが、やはり「イレウスではない」と明言されていました。

 3月6日日曜の朝、『イレウスでもないのに、こんな激しい嘔吐が起きるかな』と首をかしげながら長野新幹線に乗り、東京へ向かいました。
 車中でも、激しい嘔吐があり、こんなに苦しい新幹線乗車も経験がありません。
 ようやく都内の自宅にたどり着くと、テレビ朝日への出発時間まで、あと30分もありません。生放送ですから、ドタキャンなど、絶対にしてはいけません。
 痛み止めの座薬をお尻から入れ、嘔吐と痛みで涙を流し続けた顔を洗い、スーツに着替えて、おのれを信じて、ひとり自宅を出て、「サンデー・スクランブル」という番組で、日本の自主資源について、ありのままに話しました。

 予定では、6分30秒のトークの時間があるということでしたが、その前のテーマが携帯電話のカンニング事件で(ぼくはこのテーマの時は参加していません)、すこし時間が延びました。
 自主資源のテーマになり、ぼくが席に着いたときには「トーク時間は5分だけです」ということになっていました。
 しかし、それはテレビの生放送にはつきものです。
 予備知識のないひとにも、日本は隠れた資源大国であって、アメリカやイギリスの主導する国際メジャー石油資本などの言いなりになる必要は、もはやないのだという趣旨を、ぼくなりに話しました。
 腹から声を出して。
 痛みも吐き気も、ほとんど感じなかった。

 ところが自宅に戻った瞬間に、激烈な腹全体の痛みがぶり返し、嘔吐も再開。
 しかし日曜日で病院は休みだし、また救急車を呼んでお手間をかけるのも嫌だったので、布団を被って、イテテ、イテテと言いながら、脂汗を大量に流して、午後も、夕刻も、真っ暗な夜も転がり回りました。
 痛み止めの飲み薬は、都内の大病院でも大阪の救急病院でも処方もされているのですが、なにせ嘔吐を繰り返しているから、何も飲めない。水も一切、飲めない。
 座薬は、1度使ったら、6時間半以上ぐらいは間をあけないといけない。しかも座薬も、ほぼ効かなくなっていました。

 やっと地獄の夜が明けました。
 大阪で講演が二つある日が、来たのです。
 朝8時を回るのを待って、自宅の目の前の開業医に電話をしました。

 午前11時の飛行機に乗らないと、延期できない講演会、すなわち尼崎アルカイック・ホールで開かれる講演会に間に合わないから、執刀した大病院に行く時間はありません。
 看護師さんは「まだ診療開始前です」とおっしゃいましたが、「救急車を呼びたいくらいの痛みなので、先生に繋いでいただけませんか」と頼みました。
 この自宅前の開業医は、ぼくの重症肺炎を見つけてくれた医師で、「町の名医」です。
 この町の名医は、電話に出てくれて「すぐに、いらっしゃい」と言ってくれました。

 そして町の名医は、超音波でぼくの腹を調べ始めるとすぐ、「こりゃ、間違いなく、腸閉塞だよ」と叫びました。
 そして「小腸に至るまで、ぱんぱんに腫れ上がっている。こりゃ痛いはずだ。救急車を呼びたいぐらいだというのも、当然だ。いつ腸管破裂を起こしてもおかしくない」と、おっしゃいました。

 ぼくは、当日の講演のうち、ひとつはどうしてもキャンセルも延期もできないことを話しました。
 訳は、特に話していません。

(訳は、その講演会は、宅地建物をめぐる公益法人による研修会の一環であって、宅地建物の専門家が二人、ぼくの前に講演なさいます。だから、ぼくの事情で延期というわけにいきません。もうひとつ訳があります。この公益法人の事務局の熱心な女性から、何度もぼくにEメールが来て、一般のかたに「スーパー・ニュース・アンカー」で告知してほしいという要望があり、関テレが特例として認めてくれて、先週の番組の最後に「生身のぼくの無事を確かめたい方は、どうぞ」と話したのです。
 もちろん、都内の大病院や大阪の救急病院の「イレウスではない」という初期の診断を信じて、そう申したのでした。誤診ではなく、まだ初期の段階の診断では、そうなったということです。
 いずれにしても、自分の発言で多くの方の来場となりながら、自分の都合でキャンセルなど決して、できません)

 すると、町の名医は、前述したように「講演すれば、舞台の上で、ショックを起こして救急隊員に運ばれるか、腸管が破裂して、死に至ると思うよ」とおっしゃったのです。
 そして、「青山さん、重症肺炎のときもあなたは、人にはうつらないと分かったら、多臓器不全による急死の怖れを押し切って講演をしたよね。あのときと同じとも言えるけど、今回のほうが、さらに、はるかに、危険性が高い。ほんとうに、ほんとうに、命がけの講演になりますよ」と、ぼくの眼をじっと覗き込んで、おっしゃいました。
 そして、ぼくの決意が変わらないことが分かると、「この痛みのなかで、声が出ますか」と尋ねられた。「出ます。いや、出します」と答えると、さらに「しかし、こんな苦痛のさなかに、頭が回りますか」と聞かれた。「回ります」と確信を持って答えました。

 すると町の名医は、大病院の執刀医に電話をされた。
 そして協議をされて、「本日中に入院する」ということを条件にして、大阪行きのために、ぼくに点滴を始めてくれました。
 飛行機は避けて、ということも条件にしたいとおっしゃったけど、もう飛行機でないと講演時間に間に合いません。
 そこで町の名医は、痛み止めの点滴をたっぷり、実に3本、それと同内容の痛み止めの筋肉注射もやり、さらに痛み止めの座薬も処方してくれて、ぼくは自宅でそれを体内に入れて、つまりは全身痛み止め満タン人間となり、羽田へのタクシーに乗り込みました。
 正直、タクシーの小さな揺れのひとつひとつすら、一身にこたえました。
 しかし講演会を完遂できるという、確信は、まったく揺らがなかった。

 講演会場に着いたのは、講演開始の1時間以上前でしたが、もう、さまざまな世代の方が、びっくりするぐらい長い列を作っておられて、ぼくとしては内心で、すこし涙ぐむ感じがするぐらいでした。
 例外として告知を許してくれた関テレ、そして番組最後で時間がなかったから日時と会場の名前しか言えなくて、そのために尼崎アルカイック・ホールに問い合わせが殺到し、たいへんな目に遭ったホール関係者のかたがた、そしてもちろん、ご縁を作ってくれた主催者(社団法人 兵庫県宅地建物取引業協会)に感謝し、ぼくのつたない話を聴きに集まってくださったみなさんに、長い列から離れた陰から、頭を下げました。

 主催者のかたがたに挨拶をしたあと、失礼を承知で、そのかたがたのすぐ隣でソファに仰向けとなり、時間が来ると、あらためて意を決して、舞台に向かいました。
 講演は、「祖国は甦る」と題して、予定では1時間半でした。
 会場の都合から、講演時間の延長は5分だけですと、主催者から告げられていましたし、町の名医の強烈な警告がありますから、さすがに「きょうは延長は無理です」と聴衆のかたがたに告げました。
 というのは、この頃、目の前の出来事について話さねばならないテーマが増えすぎて、ぼくが講演のたびに話したい、沖縄の白梅学徒看護隊と、硫黄島の英霊のかたがたのことは、いつも延長した時間で、それも、ごくかいつまんで話さざるを得ないようになっていたからです。
 この日は延長できないから、最初から「白梅と硫黄島を主として話す」と決めていたのです。

 ところが、この講演は、前原誠司外務大臣の辞任とぶつかりました。
 ぼくなりに、この日が来ることは、1月の半ばから予期していました。
 しかし、聴衆のかたがたにとっては意外な成り行きでしょう。だから、その深い背景を話さないわけにいきませんでした。
 それやこれやで、結局は、白梅と硫黄島のためには、20分しか残らないことになり、実は20分近く延長して、合計40分弱で、やっぱりかいつまんで、ようやく話すことができました。
 それを認めてくれた主催者およびホールと、最後まで強い関心で聴いてくださった聴衆に「ありがとうございました」と叫びつつ、舞台で倒れて主催者に迷惑をかけるようなことがなく済んだという安心感と、無事に東京に戻って入院できるか分からない、この後も命が続くか分からない、講演はこれが最後かもしれないという思いも込みあげ、特に遠い2階席から聴いてくださったかたがたに、「聴きにくかったでしょう」と最後に声をかけたら、2階席の、それも最後列から両手を大きく広げて振る方がいて、ぼくも思わず、それに応えて、両手を振り、すると場内みんなが手を振り、ほんとうに涙するような終わり方になりました。

 さて、そのあと飛行機は医師のアドバイスに今度は従って、避けて、新幹線で東京に向かい、名古屋を過ぎて、やれやれ何とか無事に入院できそうだと思ったら、その名古屋から先が苦しかった。
 ひどい嘔吐と、身をよじってもよじっても耐えられない、腹全体の痛み。新幹線のトイレが、忘れられない場所になってしまった。
 それでも、どうにか都内の大病院にたどり着くと、もう遅い時間なのに、執刀医の副院長が待機してくださっていて、診察しながら「こんな状態で、ほんとうに講演なんかできたんですか」と、同行していた青山千春博士に聞かれ、青山千春博士は「本番になると、別の力が出るようです」と、あっさりと答え、ぼくは激しく嘔吐しながら、そのやりとりを聞いていました。
 この段階では、大病院での診断も「イレウス(腸閉塞)」でした。

 あとで正確に聞くと、ぼくの大腸は15センチにわたって切除され(今までは10センチだと思っていた)、その手縫いの吻合(ふんごう)部が、初めは大丈夫でも、術後2週間ぐらいからもっとも、むくみ、腫れ、浮腫を起こす時期であり、ぼくの場合は、そのために閉塞が起きて小腸にまで及んでいる状態でした。だから凄まじい嘔吐も続いた。
 腹の開口部は、この副院長の優れたメソッドでわずか7センチにとどまっているけれども、大腸の切除は、癌のリスクを考えて、大きかったのです。
 しかし、ぼくの腸閉塞は単純性イレウスで、腸捻転を伴うような複雑性イレウスではなかった。わが友、住博司代議士を襲ったのは、この腸捻転でした。

 そこで副院長は保存的治療(切らずに治す)をまず選択し、点滴で輸液を入れていったのです。
 すると、ぼくの体には予想以上に効果があり、今日の早朝からずっと排泄が続いたために、痛みも吐き気も、嘘のように軽快していったわけです。
 副院長は、点滴で効果が薄ければ、救命のために、内視鏡で一部切開することも考えていたようですが、今夜、「その必要はほぼなくなった」と診断され、明日の短時間の外出(テレビ朝日の番組参加)も認められたのです。

 忘れられない講演会になった尼崎で、ひとつ、心残りだったのは、秘かに参加されていた有本ご夫妻、すなわち拉致被害者で、ぼくと神戸の幼稚園が同じの有本恵子ちゃんの父、有本明弘さんと、母、有本嘉代子さんを聴衆に紹介しなかったことです。
 それが気になったので、大病院に入院して、副院長の診察を受ける前、当直医の手になる痛み止めの点滴を受けているとき、携帯電話で有本さんのご自宅に電話しました。
「次の機会からは、秘かなるご参加でも、みんなに、みなさまに紹介したいと思います」という趣旨をお話しして、諒解していただいた。
 講演会はいつでも、ぼくの話しぶりはなんと下手なんだろうと(謙遜ではありませぬ)、心残りがある。
 しかし、今回の心残りは、解決しておきたかった。



*ところで、この個人ブログへの書き込みに、このごろ(おそらくは善意の)誤解があります。
 たとえば「青山さんは、3月6日の日曜日に、自民党だってカネの問題があるんだから前原外相をあまり追及するなと発言していたが、賛成しかねる」という書き込みがありました。
 そんな発言は、していません。
 そもそも3月6日は、テレビ朝日の「サンデー・スクランブル」に参加して、メタンハイドレートや熱水鉱床といった日本の自主資源のテーマで話をしただけで、ほかには発信していません。講演会もありませんでした。
 おそらくは、同じ番組で、まったく別人が前原外相の問題で発言したのを、ぼくが発言したかのように思い込まれたのではないかと考えます。
 ぼくは、その日の「サンデー・スクランブル」の全体を視ていませんから、分かりませんが。
 まったく信じがたいような誤解は、よくあります。
 この一つ下の書き込みでも、「退院してすぐレースに復帰したのか」と誤解された方もいるようですが、写真は2009年の撮影と明記しています。

 ブログへの書き込みは、今、承認制をとっていて、それ以来、まだどなたの書き込みにも公開の承認を出していませんが、すべて目を通しています。
 いまだにある、根拠のない(どうみても悪意の)中傷誹謗については、即、削除していて、ぼくも覚えていませんから、公開されることは、いずれにしてもありませぬ。