Our World Time

急ぎ、お答えします

2008年03月22日 | Weblog



▼いま、3月22日土曜日の夜9時すぎです。
 大阪で関西テレビ「ぶったま」の生放送に参加し、それから東京にとって返してテレビ朝日「TVタックル」の収録を、またまた、いろいろ失敗しながらもどうにか終えて、久しぶりに帰宅したばかりです。
 いくつかの書き込みに、急ぎ、お返事する必要がありますね。

 あすの日曜朝早くに、長野県松代町の明徳寺でひらかれる栗林忠道将軍の法要(と講演)へ出発することもあって、時間がなんとも足りないので、ごくごく簡潔な答えになってしまうことを、どうか許してください。


▼いわば物理的に、すぐにお答えしなければならないかたがたへ

▽大樹玄承さんへ

>私は姫路市にある山寺の圓教寺と言うところの僧侶です。

→おおー、書寫山圓教寺ですね。
 山寺と謙虚にお書きになっていますが、西の比叡山と呼ばれる、天台宗の別格本山ではありませんか。

>私は抗議をしようと思っています。今までもチベット、ダライ・ラマ法王について、意見を持ちながら同じ仏教徒として何もしないまま来てしまいました。
ウチは天台宗に属していますが、恐らく他の教団同様に何もしないと思います。
(中略)
効果的な方法、間違いのない情報を得た上で、私は声を上げたいのですが、時間が経つばかりで、イライラしています。

→わたしは、これを読んで、飛びあがりたいような、頭の奥が熱くなるような思いがしました。
 あなたの勇気に、助力させていただきます。

>独研ではそういうサポートをしてくださるのでしょうか。

→わたしが個人としてサポートさせていただきます。
 まずはお会いしましょう。
 大樹玄承さんからは、独研の総務部にメールも頂いていますね。
 そのメールの中に、「有料でも構わないから貴研究所でサポートをお願いできませんか」という趣旨がありますが、もちろん無償で、わたし個人がサポートします。
 独研は、わたしの個人事務所ではなく、またNGOでもなく、自立して(すなわち自前で食って)どこにも遠慮せずフェアに調査・研究ができるよう株式会社の組織になっています。ですから、独研の仕事にすると基本的に無償でなくなってしまいます。
 そうではなくて、わたしが個人で取り組みます。
 ただ、わたしのすべての動き、スケジュールは、独研の総務部秘書室が管理していますから、実際には、独研の秘書室にも協力を要請しますが、それであっても報酬その他のご心配は一切、要りません。独研の秘書室も、無償の協力となります。

 大阪においでになれるということですから、来週の火曜日あたりをまず、お会いする日として想定しておいていただけますか? 可能でしょうか?
 このあとは、わたしと、それから独研の秘書室からも、eメールでご連絡を差しあげることになります。


▽ランチさんへ

>松代町の明徳寺ですか、青山さんの足元にも及びませんが、やはり時期的にキツい、情勢的には更に辛い!しかし内密にでもぜひ伺いたい。でも声をかけるなんて出来ないだろうな~何時ぞやの公開アンカーでも影から熱い視線を向ける事くらいしか出来ませんでしたし、講演の後ともなると絶対泣いてしまうだろうし。

→きっと、おいでください。そして、きっと、声をかけてください。
 握手を交わしましょう。
 らくーに、声をかけてください。


▽佐々木さんへ

>今回のこの講演の知らせにぎりぎり今日出会えたのも何かの縁と考え今から心踊り、騒ぎ、ワクワクしています。是非、行かせて頂きます。楽しみにしています。本当にサインや握手などしていただけるのでしょうか?
少し勇気を出してみようか…

→手が腫れるぐらい、握手させていただきます。
 サインも、お望みなだけ、いたします。
 硫黄島でわたしたちのために命を落としてくださった、その魂魄のための法要なのですから。



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▼ふだんは、ぼくは印象的な書き込みがあっても、ひとつひとつにはお答えしません。
 それを始めると、必ず、どんな書き込みにも等しくお答えしたくなり、いったんそうなると、ひとつの答えもゆるがせにはできないので、何度も書き直すことになります。

 そうなると、「脱稿させるための時間がない」というだけの理由で、もう4年近くも新刊を出せていないぼくが、ますます本を出せなくなって、物書きという自分の根っこを失ってしまうことにも、きっと繋がるでしょう。

 きょうは「物理的にすぐにお答えしなければならない」問いかけがあったので、いくつかお答えしました。
 そして、きょうだけは、上記の問いかけと、同じ書き込みにコメントしてくださったかたがたに、等しく、お答えします。だって、同じなのに、返事がないのは寂しいですもんね。

 しかし、たった一言だけのお答えです。申し訳ない。
 そして、このあとはまた、「すべてのコメントをしっかり読んでいますが、個別にお答えはできません」というぼくに戻ることを、どうか、ご容赦ください。


▽Freewillさんへ

>江田島の卒業生の方々には、国民の一人として感謝し、期待しているとお伝えください。

→はい、しっかり伝えました。
 江田島に行くまえに、この言葉をいただいて、Freewillさん同じひとりの国民として嬉しく思いました。


▼おふさんへ

>コメンテーターの方やキャスターに「これはなんだと思いますか?」の様な質問を
時折されますが、あれをやめるというのはいかがでしょう。

→うーむ。これは悩みます。すこし考えさせてください。


▽ランチさんへ

>帝国海軍 海軍兵学校ですか、今は亡き祖父の母校です(何度か連れて行かれました)。
首席を頂いていた事を、祖父の葬儀の日、戦友の方から聞き驚いた事を覚えています。

→これは凄い!
 海軍兵学校で首席というのは、当時の日本では東大法学部を首席で卒業するより価値のあることだったようです。
 ぼくの母は、実の弟さん(つまりぼくの叔父)が海軍の戦闘機乗りとして死んでいます。
その母から、そのように聞いていますよ。
 ところが、お孫さんのランチさんに、まったく自慢されなかったのですね。それがいちばん凄い。
 ところで、ランチというハンドルネーム、なんとなく好きですね。


▽ぼやきくっくりさんへ

>私も個人的には15分間の時間をめいいっぱい使ってほしい、青山さんの論説で埋め尽くしてほしい、とは思います。が、それではやはり視聴者が置いてけぼりを食ってしまうのではないかと。それでなくても政治、外交、安全保障といった重いテーマなわけですし、笑いというか和むシーンも必要じゃないかなと思います。

→このお考え、よく分かります。
 番組に関わっているディレクターらの考えも、実は、同じなのです。
 おふさんの意見とも合わせて、よおく考えます。
 それにしても、ぼやきくっくりさん、あなたの志あふれる尽力と、それから夫婦愛に、こころのなかで感嘆しています。


▽Unknownさんへ

>青山さん、これからもどんどんメディアに出て世論の喚起に貢献してください!僕らも声を上げていきます!

→ぼくの下手くそな発信に、当然ながら反感や反発を示されるかたも多いし、さらには脅迫や妨害、中傷もいーっぱいありますから、正直、すこし嬉しく読みました。
 しかし、いちばん嬉しいのは、「僕らも声を上げる」という、そこです。
 それこそが、ぼくが、つたないなりに発信する、ほんらいの目的です。


▽Unknownさんへ

>テレビだけじゃ時間がないと察します。もっと青山さんの声と情報を聞きたい!
webなどで直接動画を流してはどうですか?
寄付してでも、もっとお話が聞きたいです。

→ネットの活用は、いずれ考えたいと思っています。
 いまは正直、新刊書を出すことが、先決です。
 本じゃあ、声が聞こえない…うーむ、そうですか。
 物書きとして復活できたあとは、ネットの活用を必ず、考えます。
 ほんとはぼくは、忙しくても、もうすこしラジオに関わりたいのですが、いまレギュラーで週に一度だけ電話出演しているRKB毎日放送(福岡)を除いては、どこからもお声がかかりません。
 下手っぴですからね。



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来てください

2008年03月20日 | Weblog



▼あまりに直前になってしまいましたが、今度の日曜、23日の午後1時から長野県松代町の「明徳寺」で開かれる栗林忠道・帝国陸軍大将の63年回忌法要に、ぼくも参列し、つたない講演も行います。

 硫黄島の戦いで、敵だったアメリカからいまだに名将と敬愛され、祖国日本からは忘れ去られていた、あの栗林将軍です。

 クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」で、渡辺謙さんが演じ、ジェネラル栗林は、ようやく日本国民にも知られました。
 しかし故郷の松代町では、若者をたくさん死なせた戦争犯罪人のように誤解して、その名を記憶していた人もいたようです。

 いわば名誉回復の法要でもあると、ぼくは考え、参加させていただくことにしました。
 ぼくが2006年の12月に硫黄島を訪れ、島内をぼくなりに懸命にみて歩いたこと、そのあとはいかなる講演会でも、硫黄島で後世の日本の輝きのためにこそ死んでいった将兵の生きっぷりを話していること、それらをご存じのかたも、このブログを訪ねてくださるなかには、いらっしゃると思います。

 交通費はかかりますが、講演などはもちろん無料です。
 誰でもおいでになれます。
 ぼくのためにじゃなく、栗林将軍のご遺族のため、また硫黄島に命を埋めたすべての、わたしたちの先達(せんだち)のために、どうかおいでください。

 写真は、その法要と講演会のちらしです。


▼ぼくは、きょう間もなく、江田島の海上自衛隊・幹部候補生学校の卒業式に列席し、海上自衛隊機で、ほかの列席者とともに夜には東京に帰り、翌日の金曜夜には再び、大阪入りして、土曜日の午前に関西テレビの「ぶったま」の生放送に参加し、そのまま東京にとって返して、TVタックルの収録(放送は3月末)に臨み、翌日の日曜朝に長野県松代町に向かいます。

 ぶったまやタックルに関心があるひとは、どうぞ番組をみてください。
 そして、できれば、松代町でお会いしましょう。
 一人でも多くのかたと、松代町でお会いしたいです。

 このブログを読んで、長野県松代町の法要と講演会に来られたかたは、ぜひに、ぼくに声をかけてください。
 固い握手を交わしたいと思います。
 サインなどを、僭越ながらもしもお望みでしたら、すべてのかたのご要望にお応えします。


 青山繁晴 拝 3月20日春分の日 未明3時40分

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勇気

2008年03月20日 | Weblog



▼いま春分の日、3月20日の未明2時8分。
 広島県は呉市のホテルにいる。
 雨もやんで、軍港の街は、水辺に灯りを映して静まっている。

 去ったばかりの昨日、19日の水曜日には、いつもの水曜と同じく大阪で関西テレビの報道番組「ANCHOR」の生放送に参加し、ぼくのコーナーではチベットの反乱をめぐって話した。

 コーナーは、テレビ番組としては長い15分ほどが割り当てられているのだけど、それでも、いつものことながら時間が、ない、ないのだ!。

 カメラの背後のフロア・ディレクターや番組ディレクターが、時間切れという趣旨を書いた紙をかざして、ぼくの目を惹きつけようと懸命だ。
 スタジオ内に「時間が足りなくなるっ」という異常な緊張が満ちるのを肌で感じながら、それは視聴者には関係のないことだから、視聴者に最低限、伝えるべきはどうにか伝えたいと、内心ではひそかに冷や汗を流しながら、言い足りないところを残しつつも話し終えて、どうにか時間内に収まったと、ほっとして、最後に「中国を一方的に非難するんじゃなくて…」と言いかけたら、キャスターのコメントが入って、ぼくは言葉を飲み込んだ。

 コーナーの最後は、やはりキャスターや、ほかの出演者の自由な語りがあってほしいし、そのキャスターのコメントは印象深い、明快なコメントだったから、ぼくが言葉を続けられなくても、それはそれでいい。

 ただ、ぼくが「中国を一方的に非難するんじゃなくて…」の後に続けたかった言葉は、「事実をあくまでもフェアに観て、考えたいのです」ということだった。

 ひょっとして視聴者には、「中国にも言い分はある」と青山は言葉を続けようとしたのかと、誤解するひともいるかなぁと、関西テレビから新大阪の駅に向かうタクシーのなかで気になった。

 チベット民衆の反乱をめぐっては、中国にもそれなりの言い分があるなどと偽善的に認めるわけにいかない。日本が日本であるように、チベットはチベットであり、中国ではないのだから。

 ま、テレビの番組に参加したあとに、ああ言えば、もっと伝えるべきが伝わったのにナァと後悔するのは、いつものことです。
 ただただ、ぼくがまだ下手くそなだけ。
 コーナーは、今回が98回目だった。100回まで、あと2回。
 このごろ、「コーナーをみるうちに、自分の頭で考えるようになった」という趣旨のeメールや書き込みをいただくことがあるのは、魂から、うれしく感じる。

 きのうの生放送のあと、少年時代にプラトニックな女ともだちだったひとから「あのコーナーで、自分には関係ないと思っていた政治に、目を向け耳を傾けられるようになった」というeメールをもらって、自分の下手くそぶりを悔いる気持ちが、やわらいだ。
 ありがとうっ。
 そして、へたっぴで、ごめん。


▼いつもは関テレから帰京するのだけど、きのうは新幹線で広島へ。
 車内で原稿を書いているうちに、新幹線が強風で遅れていると知って、広島駅に着くと、同行の独研・自然科学部長といっしょにダッシュで走って、在来線の普通電車へ。
 思いがけず、満員電車。
 それに揺られつつ、またモバイル・パソコンを開いて原稿を書き続け、呉駅で降りた。
 もう夜の10時になろうとしていた。春の小雨が降っていた。

 きょう夜が明けると、呉から江田島に移動する。
 桜は、すこしは咲いてるかなぁ。

 江田島には、海上自衛隊の幹部候補生学校がある。
 海軍兵学校であった帝国海軍の時代には、イギリスのダートマス、アメリカのアナポリスと並んで世界の三大海軍兵学校と呼ばれた。
 その江田島で、幹部候補生たちの卒業式に列席する。

 もちろん、海上自衛隊と何の利害関係もない。
 なぜか招待状をいただき、お受けした。

 正直、この3月の年度末の季節は、すべてのシンクタンクにとって地獄の季節だ。
 ありとあらゆる調査・研究プロジェクトが報告書の締め切りを迎えるから。
 東京へ帰らずに西へ向かっている場合じゃない。
 誇張じゃなく、1分1分を惜しんでも、まだ、まったく時間が足りない。

 徹夜の続く夜に、ふとぼんやり、おのれにはひとつの身体、ひとつ分の時間しかないのだから、どうやって割り振っていけばいいのかと、呆然とすることもある。

 だけども、この卒業式への招待だけは、どうしても受けたくて、受けた。
 もしもぼくが戦前に生まれ、戦前に思春期を迎えていたら、作家になるか、海軍軍人になるか迷い悩んだあとに、おのれひとりで、ものを書いているわけにいかないと、この江田島の海軍兵学校を受験し、幸いにして難関をとおれば、どうにか卒業して海軍少尉となり、戦闘機に乗り、そして、そそっかしいぼくはあっという間に、昇進も、ろくな戦果もないままに、さっさと戦死しただろう。

 これはつまり、かつて、わが母が唱えていた説でもある。
「だからね、今のあんたの苦労なんて、さしたることもない。生きてるんやから」

 その思いがあるから、江田島の卒業式への招待を初めていただいて、即、受けた。


▼さて、今朝も早起きせねば。
 あと2時間ほど経って身体が要求すれば、仮眠しよう、いろんな後悔は、うずめて。

 そして夜が明けて今朝に会う、卒業生たちよ、もののふの誇りもて遠洋練習航海に旅立ってほしい。
 イージス艦の衝突事故で深く傷ついた海上自衛隊よ、悔いが希望を生む。
 いつの日か、この国の永い2千年の歴史で初めて、国民軍が誕生し、国民海軍となる。その日に備えて、謙虚に、フェアに、わたしたち主権者とともに歩もう。


 あらためて、思う。
 テレビ番組に参加するときも、ただ、ほんらいの目的に集中したい。
 スタジオにいるときの、ほんらいの目的とは、ひたすらに視聴者、国民に伝えるべきを伝える。
 それだけだ。
 おまえがどう、みられるか、できればカッコよくしたい。そんな偽の目的は、命を曇らせる。

そして、番組にはさまざまな制約があり、番組スタッフのためにもさまざまな配慮が欠かせない。
 それは、大切に踏まえつつ、ほんらいの志は貫こう。
たとえばチベットの反乱をめぐる、ほんらいの志、それは仏とともに生きてきた優しい心根の民衆の、チョモランマの朝のような勇気を支えることにある。





※写真は、まだ足の骨折で松葉杖をついていたころ、東京の晴海埠頭へ、東京海洋大の調査・研究・実習船『海鷹丸』(うみたかまる)を訪ねたときです。

 シンクタンクである独研(独立総合研究所)の、研究本部・自然科学部は、東大と並んでこの東京海洋大とも連携し、日本の革命的な海洋資源、メタンハイドレートの探索に取り組んでいます。

 われらがパートナー、海鷹丸に敬意を表しに行ったのですが、ギブスの右足と松葉杖を無意味に掲げている、ただの怪しい奴ですね。
 ふひ。

 空と海が青かった。
 海上自衛隊にとっても、漁船にとっても、大学の研究船にとっても、帝国海軍にとっても、海は青い。




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再起したい夜、生まれ変わりたい夜

2008年03月10日 | Weblog



▼中東カタールの首都ドーハで、徹夜仕事をしながら、日本のことを考えている。
 独研(独立総合研究所)の社長としても、いま大きな心配事がひとつあって、なかなかきびしい。

 徹夜仕事は、その独研から配信している会員制レポート「東京コンフィデンシャル・レポート」(TCR)の執筆だ。
 ドーハは今、3月10日の月曜、午前3時半。
 ここで開かれている国際会議の参加者は、たいていは寝ているだろうけど、日本は6時間も先に時間が経過していくから、徹夜でレポートを書かないと、配信を待っている会員に届くのがどんどん遅くなるばかりだ。


▼国際会議のほうは、きのうのプレ・オープンで会った中国系の参加者が、いきなりぼくに「東シナ海のガス田問題で、中国と日本はもう裏合意ができている。だから胡錦涛国家主席は(毒ギョウザ問題が未解決でも)、予定通りに4月に訪日するよ」と、ウソかまことか分からない言葉をホンコン・イングリッシュでぶつけてきたり、わりに刺激的な幕開けとなった。

 東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)で「北京オリンピックに、ウイグル独立運動によるテロ情報がある。詳報は後送」とお知らせしていたら、それと関係があるのかどうかはまったく分からないけど、いや、まさか関係ないだろうけど、中国の当局がいきなり「北京五輪へのテロ準備でウイグル独立運動の活動家を逮捕した」と、あまりに異例な公表をしたり、このごろの中国には、けっこう驚かされる。

 何をやるか、しでかすか、分かりまっせーん。


▼ドーハにいながら、強い関心を持っていた「日本のこと」のひとつは、名古屋国際マラソンだった。

 Qちゃんの優勝と、北京オリンピックへの出場を願っていたから、モバイルパソコンをネットにつないでスポーツ新聞の速報をみてリアルタイムで結果を追ったりしていた。
 超スローペースのなか、われらがQちゃんが、わずか10キロにも達しない時点でまさかの脱落という現実には、すこし驚いた。

 そして、「引退しない宣言」にも、ほんのすこしだけ、びっくりした。
 だけども、「実は…」とヒザの手術の打ち明け話があったのには、全くびっくりしなかった。

 Qちゃんは、レース前にすでに「山ほどハプニングがあって」とメディアに語っていたから、もしも失敗したら「実は…」という話があるだろうなと、考えていた。

 いまの彼女については、いろんな見方、もっとありのままに言えば、きつい批判もあるだろう。
 特に「実は…」というエキスキューズに落胆したひとも多いのかもしれない。
 ぼくは、落胆まではしないけど。


▼Qちゃんが怪我で苦しんで失速したのは、2006年11月の東京国際マラソンもそうだった。

 そのレースが近づく日の夜、たまたま赤坂プリンスホテルで会合に出るためにエレベーターに乗ったら、小出監督がいらっしゃった。
 まったくの初対面だったけど、小出監督はちょっと身体をぐらぐらさせながら、いきなり「あ、青山さん、いつも視てるよ」とおっしゃった。
 そして「愉しく呑んでいたんだけどね、これからまた一人で呑み直すんですよ」と言って、最上階のバーへ、たったひとりの後ろ姿で向かっていかれた。

 ぼくは、その小出監督の、さっぱりした感じが即、大好きになったけど、Qちゃんのそのあとのレースに、どことなく不安を感じた。

 その時点で、Qちゃんが小出監督との師弟関係を解消して、1年半ぐらいが過ぎていたのじゃないかと思う。
 ぼくはエレベーターで別れ際、思わず「監督、頑張ってください」と声をかけた。もちろん、Qちゃんのために頑張って欲しかったのだ。もはや小出さんは、Qちゃんに手が届かないのに。

 監督は、えへへと笑って、ほんの一瞬だけ、凄まじい勢いで通り過ぎるつむじ風のようにほんの一瞬だけ、命の奥底まで寂しいような顔をみせて、バーへと去っていった。

 ぼくは内心で思った。
『ぼくら日本国民の大好きな、Qちゃん、あなたが自立のために小出監督のもとを離れたのは素晴らしい。でもね、でもね、いつも自立を語るぼくでさえ、やっぱり小出さんとは一緒に最後までやってほしかった』と思ってしまい、それから、いやいやQちゃんの高い志を尊重しなきゃ、と自分に言い聞かせた。


▼ネットでみた、ある新聞に、こう書いてあった。

~「引退は考えていません」。レース後に(高橋尚子選手は)きっぱりと話した。ただ、「あきらめなければ…」と訴えてきた今回の北京五輪への挑戦。応援し、夢を託した人たちも、それぞれの変わらぬ日常の現実の前に引き戻された。~

 こりゃ、ちょっと、言い過ぎだよなぁ、よい記事、核心を突いている記事だけど、ぼくならやっぱり、こうは書かないなぁ。
 変わらぬ日常の現実に引き戻される、うーん、そんなふうに決めつけたら、日本国はどんどん世界の孤児になっていくかも。
 …などと、ちらり思い、それから、大袈裟なことを言うものではない、おそらくベテラン記者が書いた率直な記事じゃないかと、また自分に言い聞かせた。


▼ひとつ前の書き込みについて、ある視聴者のかたが関西テレビの報道番組「アンカー」の「青山のニュースDEズバリ」のコーナーについて、「100回を区切りにするのではなく、日本国が変わったことを区切りにするべきだ」という趣旨のコメントを書いてくださった。

 正しい!
 確かに、100回なんて、うわべの区切りにすぎない。
 こういう書き込みがあることそのものが、ぼくとしてはひとつの目的だったから、こころに沁みるように嬉しかった。

 同じく視聴者のかたのコメントで「あのコーナーで、ニュースの見方を知った」とあるのには、飛びあがるぐらい嬉しかった。

 さて、これからのぼくは、どっちへ、どれぐらい、走っていくべきなのだろうか。

 少年の頃のぼくは、通知表に「あきっぽい」と毎年、先生に書かれるような少年だった。
 いまは、諦めないタイプにみえるのかもしれない。
 だけど、ほんとうのぼくは「諦めなければ夢は叶う」という言葉を、ひとに述べるのは嫌だ。
 ほんとうのぼくは、文学で育っている。
 文学は、こんなこと、言わないよ。叶わない夢が山積みなのが、生きていることだから。

 Qちゃん、あなたは偽善者じゃなく、本心から「諦めなければ夢は叶う」と言っているから、好きだけど、ぼくはやっぱり『おのれ自身が諦めないのではなくて、なかなか諦めない粘り強い後進のランナーを全身全霊で育てるのが、金メダリストの、新しい夢じゃないかな』と思う。

 小出監督がいつまでも、どこまでも、あなたのことを好きで、こころから支持し、心配してくれているのは、あなたの宝物ですね。
 それを新しい基準にして、今後のことを決めてほしい気がします。

 ぼくも…そうですね、やや疲弊していることや、メディア関係者の自覚なき身勝手にすこし困惑することや、あるいはさまざまに中傷されることを思うより、数はおそらく少なくても、まるで小出監督のようなハートの視聴者、それから、なかなか出ない新刊を辛抱強く待ってくれている熱い読者のことを、ぼくの生きる基準に、あらためて据え直すべきでしょう。


▽写真は、ホテルの自室のベランダからみた、未明のドーハの光景です。
 中東のひとは、なぜか青い灯火が好きで、だから携帯で撮っている手前では、夜がうっすら青く染まっています。
 そして遠くの街の光はオレンジ色です。

 いちどだけ死ぬために、いちどだけ生きよ。充分だろう、それで。
 ことしもドーハのさびしい灯りが、そう告げています。




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ことしもドーハへ

2008年03月09日 | Weblog



▼いま、カタール航空の機内にいます。
 成田からは中東カタールへの直行便がないので、羽田からまず関西国際空港に飛び、そこからカタールの首都ドーハへの直行便に乗りました。

 ドーハで開かれる国際戦略会議に今年もまた、カタール政府の公式招待で参加します。
 独研(独立総合研究所)の秘書室長Sが同行しています。

 関空を飛び立って6時間15分が過ぎました。ドーハまではあと6時間弱、ちょうど中間あたりです。
 まっくらな窓の外の遙か遠くに、くすんだ黄金色で都市の灯りが暗闇のなかに浮かんでみえます。
 どこか中央アジアの都市でしょうか。
 宇宙の暗黒のなかに浮かぶ、孤独な惑星都市のようにもみえる、不思議な光景です。


▼去年のこの国際戦略会議では、ドーハから、関西テレビの報道番組「アンカー」のために生中継しました。
 ことしは、それはありません。

 その代わり、来週12日の水曜日に、関西国際空港へ帰国し、そのまま空港の一室からスタジオとつないで、ナマで番組に参加します。
 ほんとうは、現地からの生中継より、こっちのほうがキツイ、キツイ。
 現地も時差があり、中東の地でのややこしい交渉などもあるけど、日本で飛行機を降りてそのまま中継、というほうが、ちと辛いですね。

 海外出張のささやかな楽しみの、上空で呑むお酒も呑めなくなるし、狭い機中でぼろぼろになって原稿を書いていた、そのまんまで出演(参加)ですからね。
 嫌だったけど、「ナマで青山さんの話を聞きたい視聴者が多いんです」という番組スタッフの言葉で、視聴者がそうであれば、とOKしました。


▼水曜「アンカー」のなかの「青山のニュースDEズバリ」のコーナーも、はや、その来週12日の水曜日で97回目です。
 100回が潮時、やめ時かなぁと、このごろ時々、考えなくもありません。
 ふと気がつくと、胸のうちで、おのれにそう呟いていることがある。

 正直、1回1回が全力投球で、情報源への神経がぴーんと張りつめる取材や、時間がたいへんにかかるロケなど、事前の(膨大になる一方の)労力を含めて、負担が想像以上に大きい。
 たいした話もできていないのにね。失敗作ばかりなのにね。


▼ただ、近畿大学経済学部で、国際関係論を講義している学生たちと呑んでいるときに、ちらりと聞くと、やめないでほしいという意見がびっくりするほど強かったから、それには、たいへんに励まされています。
 視聴者のかたがたに、とても真摯に視て、聴いてくれているひとが少なくないことも、強烈な支えです。

 一死一命。
 いっし、いちみょう。
 このごろ胸に去来する言葉です。
 もともと、こういう言葉があるかどうかは、知りません。
 ごく自然に、浮かんできました。
 ひとつの命に、ひとつの死があるだけ。
 非力のまま、やるだけやって、死ねばよい。

 それはテレビ番組でもなんでも、そうなのでしょう。

 窓の外は、まだ真っ暗です。
 時差の関係で、飛行機が近づくにつれ、目的地カタールでは夜が深くなる。
 朝と昼と夜がめぐる丸い地球の上を、まるで、ただただ夜の中へ突き進んでいくかのように飛ぶ。
 ぼくの人生に似ているような。
 一度切りの人生に似ているような。


▽絵は、カタールの国旗です。
 なんだか新撰組の羽織かなんかに共通するような感じですよね。

 白色は平和、そしてエンジ色は、その平和に至るまでカタールの歴史で流された戦いの血を表すとのこと。
 過去の血だから、赤じゃなくエンジ色だと考えれば、なかなかリアルですが、実際は、最初は赤だったのが中東の強い日差しで変色して、そのまま定まってしまったという説が有力らしいです。

 ぼくがかつて、慶應義塾大学文学部を中退して、早稲田大学政経学部に一から入り直したとき、大隈講堂で開かれた運動部の入学歓迎式で、応援団がエンジの旗を掲げて「これは大隈公の血の色である」と叫んだのを、このカタール国旗にまつわる話を聞いて思い出しました。

 スクールカラーの紺と赤をじょうずに使う慶応から、同じスクールカラーでもエンジは血の色だと絶叫する早稲田に移って、こりゃ、えらいところに来たかなと思ったけど、とにかく早稲田は無事に卒業したのでありました。

 ちなみに「青山さんは、中退した慶応と、卒業した早稲田のどちらが好きなのですか」と、けっこう聞かれます。
 慶応を中退したのは慶応が問題なのじゃなく、文学部を去ろうとして転部制度が慶応になく(今はひょっとしたらあるのかも知れませんが当時はなかった)、早稲田も中途入学制度があったのは夜学の社会科学部だけだったから、慶大文学部を中退して、早大政経学部を受験し直しただけのことです。
 だから慶応も早稲田も、正直、好きですね。

 早慶戦はどっちを応援するのですか、とも聞かれるのですが、ぼくはなにせ、ひとりで早慶戦をやっていたようなもの。
 そりゃ、あんた、どっちかを片寄って応援なんてできません。 

 ついでに独研(独立総合研究所)の社員は慶応が多いけど、これもつまりは偶然です。
 卒業大学がどこかで優劣をつけたりしません。
 世に貢献するのは、まさか大学の名前じゃない。ただ実力があるだけ。おのれの実力に謙虚な信頼を置くひとは、ぜひ、来たれ。





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