Our World Time

最前線の夜明け

2009年06月14日 | Weblog



▼みなさん、ぼくは今、国境の島、隠岐の島にいます。
 隠岐の島(おきのしま、島根県)は、知られているようで知られていないけど、日本の海の最前線です。

 竹島にもっとも近く、この島に棲む2万5千ほどの島民のかたがたは、島根県の全県のひとびと、それから鳥取県をはじめ近県のひとびとと連携して、懸命に竹島を取り戻す運動を続けているのです。

 ぼくは、この隠岐の島の青年会議所(JC)の創立25周年の祭典に招かれ、きのう6月13日の土曜に、島に入りました。
 そして記念講演をいたし、そのあと「大懇親会」に参加して、みなと心意気の酒を酌み交わし、いまは部屋でひとり、原稿を書いています。


▼隠岐の島の青年会議所(JC)は会員がわずか9人です。
 しかし、近くの地域のJCの諸君が続々と駆けつけ、講演会には、島民のみなさんも強いまなざしで駆けつけてくれました。

 懇親会では、島根県庁総務部の山岡尚さんというかたから、管理監・竹島担当という名刺をいただいて、感激しました。

 山岡さんに「竹島担当! 島根県庁の心意気、取り組み、断固として支持します。前線にたつ自治体に竹島担当の部局があり、なぜ国にないのか。国にも竹島担当を置くよう、いっしょにやりましょう」と話しました。
 山岡さんは、爽快に笑い、「はい、がんばりましょう」と答えてくれました。

 この山岡さんの名刺には「かえれ島と海 竹島はわが国固有の領土です」と印刷され、「2月22日は竹島の日」とも、くっきりと記されています。


▼隠岐の島に入って、痛感するのは、竹島をも古くから漁場とする、この島のひとびとが、ご自分たちの生活と仕事の場だからというだけではなく、この祖国をどうにか立て直したいという思いで、こころをひとつにして竹島を取り返す自主的な運動にながく、しっかりと、たゆまず取り組んでいること、そして、その志と努力が、多くの国民に知られないでいるという悲痛な事実です。

 ぼくに講演会に来てほしいという依頼が最初にあったのは、もう1年半も前です。
 ぼくはもちろん、即座にお受けし、それから隠岐の島JCの野村竜平さん(監事・25周年実行委員長)、赤沼親志さん(理事長)、齋藤晋一さん(青少年開発委員長)をはじめとする若き面々は、ずっと努力を続けてこられました。

 不肖ぼくが、2月末に腰の骨を5本折ったときには、いちばん「無事に開催できるだろうか」と心配されたそうです。
 ぼくは今もまだ、5本のうち2本は繋がっていませんが、逆に言えば3本は無事、繋がっているわけで、いつものとおり、聴衆のかたがたのあいだを歩き、走りながら、下手くそながら講演を完遂しました。
 ほんとうに、ほんとうに、みんなのおかげです。

 野村竜平さんは、坂本竜馬から一字をもらってご両親が命名されたそうで、ぼくが無礼にも「竜平っ」と呼ぶと、快活に返事をしてくれます。
 竜平さんは、講演会のまえに「ほんとうに来てくれた」となんども繰り返しながら、ぼくの顔をまじまじと見つめました。
 そりゃ、来るよ。みんなの、この生きざまを見て、来ない男子はいない。

 懇親会は、隠岐の島の伝統の婚礼行事(披露宴)を模して開くという、素晴らしいアイデアで、日本の最前線の伝統文化をしっかり肌に感じながら、痛快に、盃をあげました。
 この地味ブログに集ってくれるみなさんにも、参加してほしかったなぁと本気で思いましたよ。


▼きょうの日曜は、この隠岐の島で、たいせつな対談をします。
 それは、古くから竹島をも漁場とされ、竹島が古来、日本領であることの生き証人の八幡家、その現在のご当主である八幡昭三さんとの対談です。

 八幡昭三さんの父上の故・八幡才太郎さんは、1954年6月14日、きょう2009年6月14日・日曜からちょうど55年前のこの日に、武装した韓国官憲の不法占領のなかを竹島に上陸しました。
 そして、日本領土と大書された古くからの標柱が破壊され、朝鮮領土と書き換えられてあるのを発見し、日本国島根県と書き直してこられたのです。

 なにかの活動家じゃないのですよ。
 ひとりの漁民として、生活者の権利として、みずからの漁場である海の竹島に上陸されたのです。
 国民が、政府にできないことを、きちんと完遂したのです。

 政府にできない…しかし、この当時はまだ、海上保安庁の艦船が八幡さんたちの行動を、支援していました。
 いまでは、こうした事実を知る機会すら、日本国民からほぼ喪われています。

 きょうの八幡昭三さんとぼくの対談は、NHKの依頼にもとづいて隠岐の画像を撮っておられる、地元の斉藤さんが撮影し、いずれ設立する竹島のためのミュージアムに常設展示する動画にするそうです。


▼写真は、この隠岐の島の夜明けです。
 左下の明るい灯火の船は、漁から戻ってきたイカ釣り漁船です。
 湾の出口には、これから早朝の漁に出て行く漁船も走っています。ちいさくて見にくいとは思いますが(いや、ごめんなさい、ほとんど見えませんが)、ふがいない政治家や官僚が竹島を外国に侵略されたまま捨て置くことにめげずに、生き抜く日本の漁民の心意気が、なんとか伝わってほしいです。

 われらは海の民、みんなで、この隠岐の島を応援しませんか。
 まずは、観光でもいい、隠岐の島という「現場」、ザ・ゲンバに行きませんか。
 飛行機でも船でも、すぐに行けます。

 ゲンバ主義は、誰でも決心さえすれば、どんどん実行できます。
 おかねがないときは、それは仕方がないです。しかし、もしも何かの買い物をちょっと待ったり、飲み会を何回か延期したり、家族会議で意見が一致できたりしたら、最小限の旅費をこしらえて、この隠岐の島をはじめとするゲンバへ行っていただけませんか。
 それだけで、最前線のひとびとへの素晴らしい応援になります。


▼それから…応援といえば、みんなが「賢者tv」という動画サイトを応援してくれているようで、感謝しています。

 たくさんの日本の社長たちの印象深い動画がアップされているなかで、信じがたいことに、不肖ぼくごときの動画が、動画視聴時間、アクセス数ともに、ずっと第1位を続けています。

 前にも書きましたが、この「賢者tv」という無料サイトからインタビュー収録に来られた若いスタッフたちの熱意は、大したものでした。
 これからもサイト全体を応援してあげてください。

 アクセスは、サイト全体が http://www.kenja.tv/、ぼくが紹介されているページが http://www.kenja.tv/index.php?c=kenjadetail&m=index&kaiinid=8090です。



▼あと、このごろ、いただくEメールがますます増えて、返信がますます遅れていることを、許してください。

 実は、さっき気づいたのですが、このブログにもメール機能があるのですね。
 物凄い数のメールが未読のまま溜まっていました。
 その多くは、スパムですが、ブログに来られたかたがたの真摯なメールも沢山ありました。
 いつかは返信できるでしょう。

 ごめんね、気長に待ってください。





あ、書いていませんでした

2009年06月06日 | Weblog



▼下の、いちばん新しいエントリーの写真、なんの写真かを書いていませんでしたね。

 これは、つい最近に、横須賀の潜水艦隊司令部を訪ねて、日本の最新鋭の潜水艦のひとつ「八重潮」(やえしお、八重に重なる潮の意。美しい日本語です)に、独研(独立総合研究所)の社員たちと一緒に、搭乗したときの写真です。

 下の写真では、向かって左側が、潜水艦隊幕僚長の三木伸介・海将補(国際社会では海軍少将   Rear Admiral )、そして右側が、八重潮の艦長(the captain)の藤田泰三・二等海佐(国際社会では海軍中佐 Commander)です。


▼下の写真は、八重潮の甲板上で、艦尾の旭日旗を背にして、撮っています。
 海の色と見分けがつきにくいですが、足もとは、かなり広い甲板ですね。
 広くても潜水艦ですから、甲板は丸みを帯びていて、気をつけないと海に落ちます。

 上の写真(このエントリーの写真)は、桟橋に降りて、八重潮のセール(潜水艦の真ん中あたりで上に突き出た部分)を背にして、三木少将とふたりで撮っています。
 写真の左脇に、礼式をもって見送ってくれた若い乗組員たちのひとりが、わずかにうつっています。


▼ぼくが、ささやかながら「現場主義」を掲げていることは、ご存じのひともいると思います。

 独研の社員たちとも、それを共有したくて、たとえば海上自衛隊機にみんなで搭乗し、尖閣諸島や中国が日本の資源まで吸い上げてしまっている東シナ海のガス田を見て回ったり、護衛艦(ミサイル駆逐艦)に乗って、すばらしい海風に吹かれながら海洋国家日本の護りの最前線を航行したり、そうした機会をつくるようにしています。
 そのなかでも、潜水艦への搭乗は、もっとも機密性の高いものです。

 今回の八重潮でも、艦内をくまなく回りながら、独研の社員たち(総務部員や研究員たち)は艦長らと自由に議論し、質問していきます。

 実は艦内で撮った写真も、その多くについて三木少将、それから藤田艦長から公開許可を得ています。
 それは別の機会に、みなさんに見てもらおうと考えています。
 もう少し正確に言えば、公開許可が出ているからと言って、それをインスタントにすぐに全部、公開してしまうのではなく、ぼくなりにもう一度、精査してから公開すべきを公開しようと考えています。
 潜水艦というものは、それぐらい機密性が高く、また現代の海の護りを支えているものです。


▼それから、独研の社員たちにも汲みとってほしい「現場主義」というのは、もちろん、こうした防衛(国家安全保障)の最前線に限りません。
 現場に触れることができるのも、独研の社員たちに限りません。

 ぼくが大学の講義などで紹介しているのは、たとえば誰でも入れる京都御所の玉砂利の上も、世界に類例のない『現場』です。
 なぜか。
 また、いつか書きましょう。書籍ではすでに書いています。新刊でも、もう一度、触れるかもしれません。

 現場、ゲンバ。
 この言葉を口にするとき、ほんとうはぼくの胸に、どっとさまざまな思いがあふれます。

 たとえば、戦火のイラクで、首に大きな、大きなコブをこしらえた少年と会った、その土ぼこりの道。
 アメリカ軍は劣化ウラン弾の健康被害を否定しているけれども、その劣化ウラン弾で破壊された戦車の墓場へ、少年に導かれて行き、そこで、カネになるものを漁らねばならない少年、それにその友だちと身振り手振りにわずかなアラビア語で話しているとき、アメリカの頭ごなしの否定をきちんと諸国で検証せねばならないという思いが込みあげ、敗戦国のドイツや日本では、この劣化ウラン弾を保持していない事実を、あらためて考えたこと、それが甦ります。

 たとえば、沖縄の白梅の塔で、暗い自決壕の奥へ降りていくと、訪れるひとがごく少ないために、学徒看護隊の少女たちが亡骸になり、骨になっていった、その柔らかな黒い土がそのまま残っています。
 その土の手触り、この手の平にありありと伝わった少女たちの魂の名残を、思い起こします。

 たとえば、ぼくの原点ともなっている記者時代の、そのいちばん最初の若い新米のサツ回り(事件記者)時代に、あるマンションで、「いなかから、おいしいものを送ってきたので」と隣室の男から言われてドアを開けた、若い奥さんが、その男に襲われて植物人間になってしまった、その部屋のドアノブの冷たい感触も、思い出します。



 あ、気がついたら、もう午前3時50分だ。
 今朝は、関西テレビの「ぶったま!」に生出演する日だから、午前4時半に「起きる」つもりだったのに、起きるどころか、寝る時間がないや。
 でもね、ちょっとだけ、これから寝ます。
 みなさん、また朝に会いましょう。






えー、みなさん

2009年06月05日 | Weblog



 このブログで、みなさんと話したいことは、てんこ盛りです。
 実は、書きかけのエントリーは何本もあるのですが、まだ「着地」してなくてアップしていません。
 そうしたなか、みんなに(みなさん、より、ホントはこう呼びかけたい)早くお知らせした方がきっといいことも幾つかはあって、そのお知らせがどんどん遅れるばかりだから、急ぐお知らせに絞って、まずはアップしておきます。


▼関西テレビが土曜の朝9時55分から生で放送している情報番組「ぶったま!」に、ぼくも隔週ペースで参加(出演)していることは、ご存じのかたもいらっしゃるでしょう。

 いま、『ニュースふかよみ』というコーナーで、30分前後というテレビ番組としては、ずいぶんと長い時間をつかって、ニュースの分析や解説をしています。
 有望な若手アナウンサー、林くんと一緒に立って、そのフレッシュなアシストに気持ちよく助けてもらっています。

 ふだんは隔週ペースなのですが、ぼくの講演や出張の予定によっては、連続の番組参加(出演)になることもあります。
 あすの6月6日土曜は、その例外の週です。
 つまり、先週も出ましたが、今週も出ます。

 それに、今週は、ちょっと新しい試みのある週になりそうです。
 いつもは、オープニングでは、あまり話しません。北朝鮮の弾道ミサイル発射などの重大事が生の動きとしてあれば、オープニングからすぐに、ぼくのニュースの分析と解説を始めることもありますが、それは「特別な日」です。
 しかし、今週は「一応、ふだんの日」でも、オープニングからすぐ、いくつかの?ニュース項目について、ぼくがやや短めの分析と解説をします。

 そのあと、いつもは最初にある野球コーナーが、すこし時間をずらして続き、その後、もう一度、ぼくが立って、いつもの『ニュースふかよみ』コーナーに入ります。
 ぼくが立つ時は、すべて、テンポのいい林アナが一緒です。


▼さて、その「ぶったま!」では、これも新しい試みとして、携帯サイトでぼくのコラムがアップされています。
 ぼくが、ぶったま!に参加(出演)する週に更新されます。
 したがって、今週は連続で更新されます。

 これは、番組に「青山繁晴さんは、いつもは何をしている?」という質問が沢山くるので、関テレから「青山さんのふだんの姿、できればプライベートな生活なんかも書き込んでくれませんか」という要望がありました。
 ぼくは基本的に、プライベートな部分もずいぶんオープンにしています。
 ただし、ぼくは脅迫、嫌がらせ、テロ予告に近い行為などに日々、さらされているので、家族については、家族の人生のためにあまり公開しません。
 ぼく自身は、たとえば死と向かいあう覚悟もそれなりにできているので、要は、家族や友だちの安全を侵さない範囲であれば、すべてオープンです。
 だから関テレの、このちょっとユニークな要望にも即、OKしました。

 そこでコラムのタイトルは『こてこてプライベート』となっています。

 有料(月に315円)なので、関心のあるかただけ、試してみてください。有料といっても、売り上げはもちろんぼくじゃなく、関テレに入ります。


▼さて、その携帯サイトへの入り方です。

 まず、携帯電話のweb検索で「関西テレビ」を検索すると、関西テレビのサイトがヒットします。
 関西テレビのサイトに入ると、ページ中ほどに「番組ページ」が書かれているので、そこから「ぶったま!」を選択します。
(トップページに「ぶったま!」へのリンクがない場合は、右にある「その他番組」を選び、そこから「ぶったま!」を選択してください)

 「ぶったま!」のページに入ると、上の方に「青山繁晴のこてこてプライベート」へのリンクがあるので、それを選択すると最新コラムの冒頭部分を読むことができます。

 ここで、「本文続き」を選択すると、会員登録されているかたは全文が表示され、まだ登録されていないかたは会員登録のページに誘導されます。
 会員登録は、有料で上に記したように315円/月です。
 関テレによると、支払いについては各携帯電話会社のサービスにより異なりますから、利用規約をよくご確認ください、とのことです。


▼次は人気のネットテレビ「賢者.tv」です。
 人気…と知ったかぶりで書きましたが、ホントはぼくは知らなかった。
 だけども大人気なのは本当で、いろんな企業の社長さん、とくに起業家にもフォーカスを当てて、紹介している動画サイトです。

 この「賢者.tv」から取材の申し込みがあり、お受けしました。
 スタッフが独研(独立総合研究所)の本社におみえになり、録画とインタビューが長時間ありました。
 ぼくは、ふつうのテレビとは違ってネットだから、きっと時間制限はあまりないんだと勝手に思い込んで、たくさん話したら、実は「ネットテレビこそ短くないと、誰も見てくれなくなる」(スタッフ)んだそうで、まるで、フラッシュがときどき光るみたいな感じで切り取られた話が、動画としてアップされています。
 だから、なんだかいきなり熱く話しているようにみえたりすると思いますが、それは、実際は長い話の山場だったりします。

 でも、見事な編集ぶりで、感心しました。プロですね。
 これは無料です。


▼さて、このネットテレビは、「賢者.tv」トップページ http://www.kenja.tv/ にアクセスし、右上のテキストボックスに「青山繁晴」または「独立総合研究所」と入力して「検索」ボタンをクリックすると、検索結果に青山繁晴のページへのリンクが表示されます。
 写真、または名前部分をクリックすると、青山繁晴のページが開きます。


▼すごーく急いでいるひとは、ぼくが紹介されているページに直接アクセスもできます。 http://www.kenja.tv/index.php?c=kenjadetail&m=index&kaiinid=8090
 だけどね、それだと、ぼくと独研のページだけ見て終わるひとが多くなっちゃうかも。 ちょっと面倒かもしれませんが、上記のようにしていただくと、賢者.tvに集まった、ぼくよりはるかに素晴らしい社長さんたちをたくさん、ただで見られますから、そうしてくださいね。
 ぼくとしては、賢者.tvのスタッフの心意気が、とても気持ちよかったので、ぜひ、たくさん見てあげてください。


▼きょうは、ここまでですが、ノンフィクションの例の新刊は、この夏には必ず出せます。
 それから、自分で言うのもなんですが、純文学分野の小説の第3作が、急速に、完成に近づいています。
 この小説の執筆のことは、すこし関テレ「ぶったま!」の携帯サイトの第5回(今週分)に書いています。






それぞれの庭、みんなの庭

2009年06月02日 | Weblog



▼今さら言うまでもないことですが、ここは、ぼくの個人ブログです。
 外からそのまんま、すべて見えるけれども、あくまで個人の居宅に付いている庭です。
 どなたか、よその人の庭ではありません。

 個人の居宅の庭は、居宅の内側とは違って、外から見えるのであり、社会にも開かれています。その意味では、社会全体の眺めをつくる、みんなの庭の一部とも言えるでしょう。
 しかし、あくまでそれぞれの個人の庭ですから、よその人がご自分の庭のようにふるまうことは、できません。

 どなたかが、みんなに興味を持ってもらいたいサイトなどに誘導なさりたい場合、あるいは、ご自分の思想を長い文章で主張なさりたい場合は、ご自分のブログやサイトにURLや主張をアップされるのが筋ではないでしょうか。


▼この個人ブログのコメント欄は、なるべくオープンにしておきたいと考えていますが、最近あまりにコメント欄が重くなり、ブログ全体がアクセスしにくくもなっています。
 古くからこの地味サイトを尋ねてくださるかたがたから、何とかなりませんか、というEメールもいただきます。

 みんなに見て欲しいサイトに誘導したい気持ちや、主張をここで長く述べてみたい気持ちは、よく分かる気がします。
 それに、上で述べたようなことは、あまりに常識的なことですから、ここまで書かずにきました。
 あえてこうして書かねばならないことに、深い疲労を感じます。


 2009年6月2日 夜明け前の午前3時40分ごろ