Our World Time

チャオプラヤ河のほとり

2008年02月23日 | Weblog



▼いま、バンコクを流れる大河チャオプラヤに昇る朝陽をみています。
 河岸に頭を覗かせたと思うと、みるみる高く大きくなり、濁った河面(かわも)に金色に照っています。

 2月14日に、ここタイに入り、タイを拠点にカンボジアやラオスに出て、またタイに戻ってきました。

 いちばん胸に刻みつけられたのは、忘れられた国になってしまっているラオスの農村で会った少年少女です。
 少年たちは、鼻水を手でぬぐいながらも、きりっと精悍な眼で家と村のために働き、少女たちは、服はきれいじゃない、いやありのままに言えば垢だらけでも、見とれるぐらいに自然に美しく、きびきびと働きます。
 訪れた小学校では、先生がいない教室でも、みな一心不乱にラオス語の書き取りをしています。

 あぁ、日本もこんな若い国に戻りたいなぁ。
 農家のあいだを縫う、埃(ほこり)っぽくて狭い道を辿りながら、思わずそう声に出ました。


▼日本では、イージス艦が漁船と衝突する重大な事故が起きました。
 フジテレビの報道番組から生放送への番組参加( 出演 )の打診があったけど、それに間に合うような帰国便が満席でとれず、応えられなかった。

 旧知の海上自衛隊佐官や海上保安庁幹部らと、電話や電子メールで連絡を取りあっている限りでは、イージス艦に、実はとても単純な、それだけに信じられないような落ち度があったことは、ほぼ確実なようです。

 海自の艦船に乗るときに、ふと感じることのある不安、たとえばアメリカ海軍の艦船に乗るときとは微妙に違う、かすかな緩さ。
 その不安が現実になった気がしています。
 日本の海軍力は、敗戦後に MARITIME SELF DEFENSE FORCE という国際的にはまったく意味不明の名を与えられました。

 それでも、諸国の海軍と比べて将兵のモラルは低くない、いや高い。技術も高い。
 だけれども、海軍ならざる海軍力という不可思議さ、奇妙な感覚が、ほんとうは組織のすみずみに染みわたっていて、それが、あのかすかな緩さにつながっているように思います。


▼今週の水曜日2月20日に放送された関西テレビの報道番組「ANCHOR」(アンカー)の『青山のニュースDEズバリ』コーナーは、ぼく自身はまだ見ていません。

 ぼくがこうして海外にいますから、事前に洞爺湖で収録したロケがVTRで放送されたのですが、ロケがどのように編集されるか、事前にはまったく知らないのです。
 これは今回のロケに限りません。
 ロケがあれば、その現場で一生懸命にやるけれども、そのあとの編集については原則としてテレビ局のディレクターの編集権に口出ししません。

 大阪の主婦の「ぼやきくっくり」さんが、いつも完璧な番組起こし、内容のテキスト化を行ってくださっているので、今回も、それを読んで、放送の様子を知りました。

 生放送の、その場にいないと、好きなことを言われてるナァ。
 キャスターのヤマヒロさんが「青山さんの足の骨折を考えて、スキーはしないようにスタッフは止めたんですよ」という趣旨を話してるけど、ええー、こりゃ違うわい。
 ま、こんなことは事実と違っても、いいんですけどね。

 ディレクターから独研(独立総合研究所)の秘書室長に「サミット会場になる洞爺湖のホテルには、小さいけれどスキー場も付いています。滑りますか」という打診があって初めて、そもそも、スキー場がロケ地にあることを知ったのです。

 秘書室長から電話でそれを聞いて、「うん、滑る」とは即、答えました。
 スキーは学生時代に打ち込んで、やっぱり世界でいちばん好きなスポーツだし、番組にもプラスになるかなぁと思ったから、即座にOKしました。

 でもね、止められたのに無理に滑ったというのとは、正反対ですね、こりゃ。

 この「ぼやきくっくり」さんの起こしてくれたテキストを読んで初めて、「青山さん、いい格好をみせようと無理をして、スタッフが止めるのを押し切ってスキーしたりしないでくださいね」という趣旨のメールを、視聴者のかたからいただいた理由が分かりました。

 スキーを13年間、1度も滑っていなくて、練習ゼロでいきなり滑るのだから、いい格好なんてできにゃい。
 見る人が見れば、滑りの欠点、身体が後ろに残り気味だったり、ストックが短くてちゃんと突けていなかったり、カッコわるいところが分かります。

 番組のなかでスキーをしたのは、ひとりでも多くの視聴者に番組をみてほしいからです。
 あのコーナーは、ぼくが生放送の現場にいなくてロケのVTRだけで放送すると、ふだんより見てくださるかたが、かなり減るんです。

 ちょっとでも興味を持ってもらえるかなぁと、カッコわるい滑りになるのを承知で滑ったので、メールをいただいて意味が分からず、なんだろうなぁと首をひねっていて、テキスト起こしで、あぁなるほど、と分かりました。

 …と、書いてきたけど、もちろん、まぁいいんです。
 ぼくがスキーを滑ろうとどうしようと、それは、どうでもよくて、あのロケでは何より北方領土のことを伝えたかった。
 その部分は、テキスト起こしによると、ちゃんと放送されていたようですから、嬉しく思いました。

 ロケは実際は、ほぼ1日中ずっとカメラを回して、いろんなことを山のように話し、それをわずか十数分に編集するわけです。
 テキスト起こしをみると、「遊びに行ったんじゃないの?」というコメントも言われちゃってるようだけど、ほんとは、スタッフもぼくも、てーへん、大変です。
 もちろん、このコメントも冗談ですよ。ロケがしんどいのは、実際はよくご存じだと思うから。

 ヤマヒロさんも、コメンテーター陣も、明るく軽いジョークで言っているのです。
 ぼくは、だからOKなんだけど、いくらか意外なメールもいただくので、ちょっと書いておきました。
 もっとも、そのメールもジョーク混じりです。


▼さて、朝陽はもう昇りすぎて?雲のあいだに隠れちゃいました。
 ぼくも…どちらかというと隠れたい。

 隠れて、書きたい原稿だけを書いていたい。
 もの書きは、ものを書き上げた瞬間に、それは自分のものでなくなって、読者のものになり、どのように解釈されても、もはやその解釈には書き手は踏み込まない。

 それが、ぼくにはいちばん生きやすい。
 ぼくはほんとうは、子供のころから、人の目に立つのが嫌いです。
 見知らぬ人のあいだに紛れているのが好きです。

 少年のころにロックバンドに熱中したときも、前に出てくるヴォーカリストよりも、うしろで気楽?に演奏しているメンバーが、いい感じ、たのしい役割に思えました。

 日曜の深夜にバンコクを発ち、月曜の朝には日本に戻っています。



※写真は、チャオプラヤ河です。
 朝陽が隠れてしまったあたりの雲が、深い光をはらんでいます。






2月20日水曜、みてください

2008年02月12日 | Weblog



▼みなさぁん、いま北海道は洞爺湖で、ロケの真っ最中です。
 洞爺湖を一望する、山上の「ウィンザーホテル洞爺」にいます。
 夏には、ここに世界の首脳たちが集まってサミットがひらかれる、美しいリゾートホテルです。
 いまは広大な雪景色のなかで、ブルーグレーの湖とともに、ひっそりと静まっています。


▼ロケは、2月20日水曜に放送される関西テレビの報道番組「ANCHOR」(アンカー)のいつものコーナー「青山のニュースDEズバリ」のためのロケーションです。

 ぼくはこの日、アジア出張の真っ最中で生放送には出演できないので代わりに放送するVTRを収録しているのですが、きょうのロケは、これまでと、ひと味ちがいます。

 たとえば!
 ぼくがスキーをしているシーンも、先ほど撮りました。
 大学時代はアルペン競技スキーヤーだったぼくも、スキーをするのは実に、きょうが13年ぶり。
 まったく無練習で、用具は何から何までレンタル、しかも、13年前には影も形もなかった新しいスキーの「カービングスキー」。
「かつてアルペン競技スキーヤーだったひとは、カービングスキーがあまりにも感覚が違うので、泣くような苦労をする」と聞いていましたし、どうなるかなぁ、とは多少、思ったけれど、とにかく練習する時間なんかない。

 13年ぶりにゲレンデを見て、スキー板をそこに置いて、さぁ足を入れようとして思い出した。
 骨折もまだ、治りきってはいないや。
 ついでに、前夜の睡眠時間は、2時間半ということも思い出した。
 それに足をどうやって、バインディング(締め具)に入れるのかも、一瞬、忘れているっぽい。
 
 だけどまぁ、現役時代も骨折したまま、リハビリも兼ねてガンガン滑っていた。
 ぼくの躯は、むしろ現役時代よりも筋力は付いている。バーベル挙げをはじめ、筋力トレーニングの方法が昔より、はるかに科学的になっているから。
 とにかく、なんとかなる。

 そう思っているうちに、躯は自然に反応して、もうスキーを蹴り出し、滑り出していた。
 さぁ、どうなったやら。
 それはね、番組をみてくださいね。
 同行してくれた番組スタッフの苦労が報われるためにも。


▼もちろん、報道番組なので、スキーシーンは単なる味つけです。
 サミットを北海道で開くからこそ、日本国が絶対に世界へ訴えねばならないこと、それから安倍さんが首相時代に洞爺湖をサミット会場に選んだ隠れた理由、などについて語りました。

 うーん。スキーシーンは味つけだけじゃなく、関テレスタッフ陣の、ぼくへの気配り、贈り物だったかも知れない。
 ロケで滑るのじゃない限り、今のぼくには、スキーを復活させる時間なんてあり得なかったから。

 ただ滑るんじゃなく、みてくださる視聴者が『わたしもサミット会場のここ洞爺湖へ行ってみたいな』と思えるように滑ったつもりです。
 サミットなんて縁遠い…のじゃなくて、洞爺湖で開くなら、みんながその現場を踏むこともできる。もしも現場を踏んでいただいたら、日本国と世界のかかわりが急に、きっと身近に感じられる。
 その思いは確かにあって、その目的があって、滑りました。

 だけどね、えへへ、生き返ったように、うれしくも、ありました。
 



※えー、写真はですね、宇宙人でしょうか。
 違うと思います。

 けさ早く、このホテルの温泉に行ったら、露天風呂の脇に雪の壁ができていました。
 ここに倒れ込んで、躯を冷やして、それから湯に飛び込むと、かぁっと躯が燃えるように血がめぐって、気持ちいいだろうなぁ。(実は、前にも、青森県の出張先でそれをやっているし)

 そう思って、まずは内風呂で躯を温めてから、朝陽が雪を照らし始めた外へ出て、ばったーんと、うつ伏せに雪に倒れ込む。
 その瞬間、もしも雪が薄くて下が岩だったら大怪我だなと、頭をかすめる。
 ぼくの仕事は人の安全を護ることだけど、おのれの安全にはあまり関心がないので、そのまま、ばったり。

 幸い、雪は深かったぁ。
 しかし、その深い雪で、窒息するかと思いました。

 次の瞬間、よこの露天風呂の湯に飛び込むと、痛いっ。
 痛いというほど刺激が強い。
 そして期待通り、躯が燃えるようにあったかくなる。

 あんまりスカッとするので、今度は仰向けに、やっぱり、まっぱで倒れてみました。

 ふと気づくと、一部始終を見ていたらしいガラスの向こう、内風呂につかったおじさんの顔が、右半分で笑って、左半分で引きつっていた…。
 ふひ、ふひ、ふひ。

 写真の右上に、北の朝陽の光が映っています。




東京のテレビ、大阪のテレビ

2008年02月11日 | Weblog



▼東京のテレビは「自主規制」が激しく、大阪のテレビでは出演者が自由闊達な発言をできるのではないか…という印象がこのごろ、視聴者のかたがたに強まっているようだ。
そのようなeメールや書き込みを、多くいただく。

 このブログにも「政治家や評論家らがみずから、大阪の番組では問題なかった発言を東京では問題にされると、発言している」という趣旨の書き込みをいただいた。
 ぼく自身は、政治家や評論家から、そうした話を直接聞いたことは一度もなく、また政治家、評論家、職業的コメンテーターという人たちと、この話題を話したことも一度もない。
 だけども、その書き込みはフェアな姿勢で貫かれていて、きっと指摘は事実なのだろうと思う。

 また、日本のメディア、特にテレビに、北朝鮮、中国などが工作活動を強めていることは、日本のインテリジェンス( 政府機関などが国益のために収集した機密情報 )によって、よく承知している。
 テレビの影響力の強さに注目した工作活動は、世界の常識だが、日本に対しては「国民国家として目覚めていく」ことへの警戒感から、このごろ格段に工作活動が強まっている。
 ぼく自身は、テレビ局によって、それが地域であれ局の個性であれ、発言を変えたことはないし、これからも変えない。
 しかし一方で、この工作活動、アンフェアな働きかけの存在については、客観的な事実として考えねばならない。

 さらに、日本のひとびとはテレビに依然、関心が強い。
 インターネットの時代になっても、その関心の強さは変わらないように思う。
 アメリカに似ている。ヨーロッパとはかなり違う。いずれにしても国民の関心が深いことは、しっかり受け止めなきゃいけない。


▼そこで、ぼく自身の体験から、すこし考えてみたい。
 ゆうべ生放送に参加した「新報道プレミアA」( フジテレビ )を例に、フェアに、かつ具体的にみてみたい。

▽番組から、参加( 一般用語で言えば出演 )の依頼が来たのは、2月7日木曜か8日金曜。独研( 独立総合研究所 )の秘書室経由だったから、ぼく自身ははっきりとは分からない。
 これまで、この番組とは一度も接触がなかった。
このごろ日曜の夜10時から11時という時間帯には、テレビそのものを見ていない。この番組がスタートした頃には、パソコン画面の隅に開くテレビ画面で、ちらちら見たこともあったが、最近の番組の様子はまったく見たことがなかった。

 しかし「毒餃子事件をテーマに話してほしい」ということだった。
これは、われら日本国民の安全のために極めてたいせつなテーマだと思っているから、「受けるよ」と独研の秘書室に返事をした。

 慎重な性格のひとなら、ここで、番組のVTRを取り寄せてみてみたりするのだろうけど、ぼくは自分自身のことにはまったく慎重ではないので、それはしなかった。
 それに、そんなことをしている時間が、まるでない。

▽放送前日の2月9日土曜の夜に、「台本」がeメールで届いた。
 台本といっても、大まかな流れが書いてあるだけだ。
 発言内容が指定されているようなことはない。

 台本の表紙には、ゲストが三宅裕司さんと春風亭小朝さんの2人であり、ぼくは「コーナーゲスト」、毒餃子事件のコーナーだけのゲストであることが明記されている。

 大まかな流れとして分かったのは―
 番組の冒頭は、大相撲のリンチ傷害致死容疑事件で、そのあとに毒餃子事件になること。
 毒餃子事件も、あらかじめつくられたVTRが続き、それが終わって初めて、ぼくが参加すること。
 参加すると、安藤優子キャスターの問いに答えて、一言二言だけ話し、そのあとも安藤さんの問いに一、二、答えたら、ゲストの三宅裕司さん、春風亭小朝さんに振られて、ぼくの発言はないことが前提になっていること。

 つまり、発言時間はあらかじめごく限られた番組参加(出演)になることが分かった。
 いつも言っているように、こうしたことはテレビ局に全面的な決定権があると考えている。ぼくがどうのこうの言うことではない。
 それが嫌なら、参加( 出演 )を断ればいいのであり、ぼくは一方で、いったん受けたものをひっくり返して断るということは、よほどの例外事がない限り、しない。
 だから台本をそのまま受け止めた。

 これが橋下・現大阪府知事や、庶民派で名高い経済評論家、反権力の姿勢で鳴る社会評論家ら、芸能プロダクションと契約しているかたがたなら、なにか番組や局に言うケースも、ひょっとしたらあるのかも知れないが、ぼくは芸能プロダクションと関わらないので、それは分からない。
 他人がどうなさるかは、そのかた次第。ぼくの干渉することではない。そして、ぼく自身はテレビタレントではないのだから、上記のとおりの姿勢でいる。

 この台本がeメールで送られて以後、生放送の当夜まで、番組から接触その他は何もなかった。

▽放送当夜の2月10日日曜午後9時30分に、フジテレビに入った。
生放送が始まる、わずか30分前だ。この時間を、番組に指定された。
控え室に入ると、プロデューサーのNさんと、副プロデューサーのWさんが、打ち合わせに来られた。
 打ち合わせは、これがまったく最初だ。

 この打ち合わせで、Wさんは、ぼくと防衛庁記者クラブで一緒だったフジテレビ政治部記者と分かり、うれしかった。
 粘り強い取材力が際だつ記者だったので、顔を見てすぐ思い出した(ぼくは、社交辞令は言いませぬ)。防衛庁担当のあとは、北京支局の特派員などを歴任されたそうで、中国事情に明るい。

 この打ち合わせで、毒餃子事件のコーナーの中心は、エキストラによる餃子製造工程の再現であることが分かる。
 この番組は、こうした再現に力を入れていることを、おふたりの話から初めて知る。
 VTRも再現を中心に作ってあるそうだが、そのVTRも見ていない。番組本番で初めて見ることになる。
 VTRから降りて、スタジオトークになっても、生でエキストラに再現してもらうそうだ。ほぉー。

 ほぉーと感心しつつ、番組がぼくに期待しているのは、要は、その再現を裏打ちすることなんだなと理解する。
 その仕事に関わる以上は、その仕事を主管するひとびとの意思を尊重するのも、ぼくの信条のひとつ、というか性格上、それしかできないので、今夜はぼくが沢山しゃべってはいけないなと、胸のうちで考える。
 ぼくに寄り添ってくれている少数の視聴者、読者のかたには申し訳ないけど、このやりかたは変えられない。

 Nさんに「最初に安藤さんが、ぼくに質問しますね。それに答える尺( 時間のこと )は、どれぐらいですか」と聞くと、「50秒ほど。まぁ長くて1分ですね」。
 明快な答えに、内心で感謝する。
 視聴者のみなさま、50秒です、ほんらいの割り当ては。

 このあと、ぼくが、こう話した。
「ぼくは、中国の当局がすでに容疑者を実質的に拘束しているということを話すときに、これまで関西テレビなどでは、ある中央官庁の局長級幹部によると、と話してきました。おふたりに、完全オフレコで申せば、この官庁は●●●です。情報ソースが、ある中央官庁の局長幹部であるというだけでは、視聴者が信用していいのかどうか迷いも出ると思いますから、関西テレビでは、この幹部との3度の電話のやり取り、2月5日午後4時ごろ、同じ5日の深夜11時ごろ、それから2月6日の午前11時ごろの電話のやり取りを、そのまま明らかにしました。今夜は、とてもそんな尺( 時間 )はないと思います」

 Nさんが深く頷いた。

 ぼくは続けて、「そこで、今夜は、この中央官庁を、国民の安全に責任を持つ政府機関、中央官庁の一つと表現しようと思います。これなら、すこし具体的になりますが、該当する省庁はいくつもあります」と話し、ふたりは了承した。

 さらに、ぼくが登場してから最初の、安藤さんとの質疑のあとについて「台本には何も書いてありませんが、要は最後まで、安藤さんの質問に答えるということですね」と確認した。
 ふたりは「そうです」と明快に答えた。
 つまり、あくまでもコーナーの仕切りは安藤さんであり、同じキャスターの滝川クリステルさんでも、台本の表紙に「コメンテーター」と書いてある櫻井よしこさんでもなく、もちろんぼくは安藤さんの仕切りに従ってくださいということだ。

 これで打ち合わせは終わり。
 というより、番組から局入りを要請されたのが、生放送のわずか30分前だったから、そもそも、もう本番まで時間がなかった。
 中国国内での食品テロの可能性にどこまで踏み込むかとか、何を言ってくださいとか、あるいは何を言ってもらっては困ります、といった打ち合わせはなかった。
特に、「これを言うな」という要請は一切、なかったことを明記しておく。

▽このあと、ぼくは急いでメイク室へ行き、顔がライトで、てからないようにだけしてもらった。
 ずっと以前、ある信頼している女性作家が「男性も、テレビに顔を出す以上は、その顔がライトで、てからないようにだけはしなさい。見苦しいから」と雑誌にエッセイを書いていたのを、いまだに覚えている。
 髪は、ぼくが「このままでいいです」と言ったので、メイクさんは何も触らなかった。昼間にジムでバーベルなどを挙げて、そのあとジムのお風呂で頭を洗っているから、今夜はその自然なままでいいと思った。

▽そしてスタジオに入る。
 同じフジテレビで、たまに参加する番組「報道2001」とは違うスタジオで、初めてのスタジオだ。
 もう生本番のスタートが秒読みに入っていて、安藤優子さん、滝川クリステルさん、三宅裕司さん、春風亭小朝さん、いずれもまったく初対面のひとたちと、一言のあいさつを交わす機会もなかった。
 ただひとり、櫻井よしこさんは、何度か一緒に講演しているので、よく存じあげている。その櫻井さんとは、局に入ったときに廊下ですれ違って、あいさつを交わした。

 まず大相撲のリンチ傷害致死容疑事件のコーナーが始まった。
 ぼくはスタジオの一角で、立ってそれを見ている。
 付き添ってくれているAD(?)のYさんが、椅子を持ってきて勧めてくれるが、立っているほうが緊張感が維持できるので、そのまま立っている。

 やがて毒餃子事件のコーナーに入る。
 先ほど述べたような「再現」のVTRが始まる。まったく初めて見るので、雑然としたスタジオのなかで、懸命に見る。
 内心で『これはふつうなら緊張してしまう、典型的パターンだなぁ』と考える。
 まるまる初めての番組を初めてのスタジオの中で、しかも、ぶっつけ生放送、あいさつすらしたことのない初対面のキャスター陣と、その生放送の中で「会う」。さらには、自分の発言と密接にリンケージするはずのVTRを、生放送中に初めて見ている。

 ぼくは、テレビに出始めたときから、いつもこころの内で、ひとつの原則を唱えている。
「ただただ、本来の目的に集中する」

 たとえばラグビーの試合で、ノーサイド( 試合終了 )の直前に、スタンドオフ( 選手のひとり。走り屋の役割 )が、ボールを掴む。これをトライすれば、奇跡の大逆転で優勝する。
 そのとき選手が、トライしたら俺はヒーローだと思ったら、それは本来の目的を誤っている。
しかし、これ入れたらチームは優勝だ、チームに貢献できる、チームは栄光に包まれると思うのも、本来の目的ではない。
本来の目的は、ただ風を切って右に左にステップを踏み、敵陣を駆け抜けてゆき、ただ一撃で逆転する、そのラグビーゲームの本来の愉しみをたのしむ、そこにある。

 テレビに出演する、本来の目的とは何だ。
 ただ生放送の心地よい緊張感のなかで、視聴者、国民、この国の主人公たちに、伝えるべきを伝える、それだけだ。
 てめぇがいい格好をしたいとか、ゆめ考えるな。

 ゆうべも、そうこころの内で、そう唱えた。
 おかげで、緊張は限度ぎりぎりに抑えられていた。
 隣に寄り添って立ってくれているYさん、このひとも初対面だけど、若い女性のYさんがにこにこと柔らかくほほえんでいてくれるのも、ぼくの緊張を抑えるのに役立っていた。
 Yさんからは、この番組にぼくが参加するのを心待ちにしていてくれたような雰囲気が、無言のまま伝わってきていた。

▽4本にわたったVTRが終わりに近づき、セットの中のマルチビジョンの前に呼ばれる。
 やっと、安藤さんと一言だけあいさつを交わす。ほかのかたがたは、時間がないので、目顔であいさつをするだけ。

 さぁ、生放送のカメラが回る。
 安藤さんの問いに答えているうちに、あっというまに時間が過ぎ、安藤さんは台本通りに春風亭小朝さんに振る。
「もし、犯罪だとしたら、動機はなんだと思いますか」
 小朝さんは、「えっ、動機?」と、すこし大きな声を上げて、それ以上は話されない。
 次に振られた三宅裕司さんも、すぐには答えが出ない。
 ほんの少しだけ、スタジオ内の時間のなめらかな流れが止まったのを感じて、ぼくは迷ったけれども、「あの、いいですか」と安藤さんに声を掛けて、三宅さんの眼を見ながら、動機として考えられる三つ、反工場、反中国政府、反日を語った。
 ただし、時間のなさと、自分が割り込んでいるということを考えて、極度に言葉を絞った。

 ぼくが「あの、いいですか」と入ろうとしたとき、その場に一種、異様な緊張感もわずかながら走った。
 初登場のぼくが喋りすぎることを、警戒したのだろうと思う。

 今夜の「局入り時間」の遅さ、打ち合わせ時間の短さ、それらからして、番組がぼくを信頼してくれているのは感じていた。
 この番組が、フジテレビと関西テレビとの共同制作であることも、関係しているのかも知れない。
 同時に、関西テレビの報道番組「ANCHOR」( アンカー )で、15分というテレビにしては破格の長さの、実質的にひとり語りに近いコーナーをぼくが持っていることを知っているのかも知れない。それと同じように話されては困ると、警戒したのかもね。
 それから、副プロデューサーのWさんは「防衛庁記者クラブで一緒だった青山さんを何度もテレビで見た」とおっしゃっていたから、大声で怒鳴り合うテレビタックルのような番組を思い浮かべる番組スタッフも多かったのかも知れない。

 だから、ぼくも迷ったけど、一瞬の判断で、動機の可能性については、ぼくが引き取って話した。
 そのために、ぼくの性格からしても、信条からしても、もうそれ以上割り込むことはできなかった。
 これが食品テロの可能性が高いこと、福田康夫首相の指導力が問われていること、この2つも話したかったが、番組としては、春風亭小朝さん、三宅裕司さんという「硬派ではないゲスト」に話させることをコンセプトにしているのだろうし、櫻井よしこさんの大切なコメントを視聴者に聞いてもらう時間も必要だ。

 そう考えて、割り込むことをせず、黙っていると、もうテレビカメラの横でフロアディレクターが「餃子の皮が売れている話題へ」と指示を出し、滝川クリステルさんが、その話題を仕切るパートに移り、コーナーが終わった。


▽そのコーナーが終わるとすぐにぼくは、スタジオを去り、顔を洗って、自宅へ帰った。
 ミクシィで、「食品テロの言葉が出なかったのは、東京の番組では規制が強いからではないか」という趣旨の書き込みを読み、「F問題( 福田問題 )に触れて欲しかった」という書き込みも読み、ぼくは、いろいろな意味で、あぁ申し訳ないと、ほんのすこし落ち込んだ。

 ここまで、ありのままに具体的に書いてきたように、番組からの規制は一切なかった。
 ぼくの語りに足りない点があったならば、それは、番組構成上の必然性はあったとはいえ、すべてぼくの責任だ。

 ほんのすこし落ち込んで一夜を過ごし、先ほど、同じミクシィに「食品テロという言葉はなかったけれど、バランスの取れた中身で、充分に伝わった」という趣旨を読み、ちょっと安心した。

 いずれにせよ、いかなる事情があるにせよ、ぼくを支えてくれるミクシィのひとびとに、いくらかでもガッカリする気持ちをおこさせるから、ぼくは、この個人ブログにいつも書いているように、テレビに参加したときの自分を下手くそだなぁと思うのです。

 ゆうべ局を出るとき、廊下でWさんと偶然に会い、「動機のところで、あえて引き取りましたが…」と聞いてみたら、Wさんは「あれは、いいフォローでした」と言ってくれた。
 もっとも、元記者クラブ仲間としての社交辞令かも知れない。


▼さて、これでお分かりいただけたように、「新報道プレミアA」に関しては、自主規制めいたものは、ぼくの参加したコーナーについては、一切なかった。


▼だからといって、テレビメディアに自主規制がないとは、ぼくもまったく考えない。
 前述したように、北朝鮮、中国の工作活動が存在することは、日本の複数の政府機関が確認しているし、それ以外にも、個人の弱さと組織の弱さ、個人の欲望と組織の欲望によって、自主規制があることは充分にあり得る。
 日本の視聴者の感覚は、実に鋭いものがある。
 もう一度言うが、ぼくは社交辞令は言わない。
 視聴者が、このごろのテレビメディアに異常を感じている事実、それを大切に考えねばならない。


▼ちなみに、毒餃子事件をめぐってこのほかに、在京のテレビ局から朝の番組のためのコメント収録の依頼があり、日曜のスケジュールを無理に変更して時間をつくったら、「キャンセルします」。
 この番組に、中国への配慮があったのかどうか、キャンセルの理由説明は一切ないから、知るすべもない。

 もっともテレビ局は、この在京局に限らず、この番組に限らず、実に恣意的に依頼をし、そして恣意的にキャンセルをする。
 ぼくや独研であれば絶対にしないことが、常識的に行われる。
 その事実からも、このキャンセルを中国への配慮と決めつけるのは早計だ。ただ同時に、可能性としては存在する。





※さて、ぼくはまもなく、北海道は洞爺湖へ出発します。
 夏のサミットが開かれる会場で、関西テレビ「ANCHOR」のためのロケをやります。
 ぼくは今週から、アジア出張に出るので、2月13日水曜は、生放送に参加できません。
 そこでロケーションでVTRを作成し、いつものコーナーで放送するのです。

 洞爺湖のサミット会場「ウィンザーホテル洞爺湖」には、小さなスキー場が併設されていて、番組のリクエストでそこでスキーをする様子も録画する予定です。

 ぼくは、もとは大学でアルペン競技スキーヤーでした。
 多忙な記者時代も、どうにか滑走日数を確保していました。
 しかし1996年冬、ちょうどスキーシーズン開幕のときに、地球の裏側ペルーで「ペルー日本大使公邸人質事件」が起き、そこへ共同通信の臨時特派員で出張して、それ以来スキーは滑っていません。
 だから13年ぶりの滑走になります。
 ふひ。






人間の軸

2008年02月07日 | Weblog



▼いま2月7日の朝4時40分ごろ。
 大阪で定宿にしているホテルで目を覚ました。
 春に出版を予定している新刊書の、原稿を完成させないといけない。

 窓の外は、まだ真っ暗だ。
 ふと、2006年7月5日の未明を思い出した。
 この同じ大阪のホテルで寝ていて、北朝鮮の弾道ミサイル発射の一報を聞き、反射的に窓を見たら、真っ暗だった。
『ああ、これはただの発射実験じゃない。実戦ベースの演習だ』と思った。現代のミサイル戦は昼間ではなく夜に行われるからだ。

 あれから1年半、北朝鮮の問題は何も解決せず、わたしたちの同胞(はらから)を誘拐したままであることも変わらない。
 むしろ核保有国として独裁を強化している。
 しかし、たとえば東京のテレビで、北朝鮮の問題が取りあげられることは、めっきりと減った。ほぼなくなった、と言ってもいいぐらいだ。
 なぜか。
 それは言うまい。
 ひとりの物書きとして、また独立系シンクタンクの社長として、ただ淡々と努力を続ければよい。
 謙虚に、謙虚に、そして謙虚に、おのれを澄ませればよい。そして死ねばよい。


▼きのうは関西テレビの報道番組「ANCHOR」(アンカー)に生出演し、そのあと鳥料理を食べにいった。
 来週からアジア諸国への出張に出る。その出張には、在阪のある報道人が同行するので、打ち合わせだ。
 鳥さんも、焼酎もおいしくて、酔っぱらってしまった。どうやってホテルに帰り、どうやって寝たのか、記憶にない。ふひ。

 生放送に参加したあとは、しばらく体調が良くなる。
 どんっと、自分の腹に気合いを入れて、スタジオに入る。
 そして、放送のあともアドレナリンが出たままになる。だから躯が生き生きとして、しばらくは季節を問わず半袖のシャツで良くなる。
 ゆうべも、びっくりするほど寒い大阪の街へ、半袖のラガーシャツで出て、ひんやりと気持ちが良かった。

 このごろ、ふだんは思い切り体調が悪い。
 ぼくの躯は、ともかく睡眠を求めている。
 シンクタンクが猛烈に忙しくなる年度末の季節が終わったら、4月か5月に、できれば入院して点滴を受けながら、昏々(こんこん)と眠りたい。
 この想いを知っているのは、いつも身近にぼくに寄り添ってくれている、独研(独立総合研究所)の秘書ふたりだけだ。

 しかし生放送のあとだけは、ほんらいのぼくの躯に戻る。
 それが嬉しくて、鳥さんも焼酎も、おいしくいただいた。


▼大阪のテレビでは、東京のテレビよりも出演者の発言がストレートになるという話が、ネットにしばしば出ている。
 ほかの出演者のかたがたについては正直、知らない。わからない。

 しかし、ぼく自身は、大阪と東京で発言の中身、発言の仕方を変えたことは一度もない。
 なぜ変える?
 テレビに限らず、相手が誰でも、場所がどこでも、おのれを変えないことが、僭越な物言いながら、武士道の基本ではないだろうか。
 相手の立場や気持ち、その場のTPOに配慮することは、とても大切だ。そのことと、おのれの軸を変えない、ぶれさせないこととは、しっかりと両立する。

 同じ発言をして、それをたとえばテレビ局がどのように編集し、あるいは生放送に参加を求めるか求めないかは、それはテレビ局に決定権があり、ぼくの関知するところじゃない。
 テレビタレントではないのだから、そのようなことに考えをめぐらす理由がない。

 これからも、大阪でも東京でも、変えません。





※写真は、この夏にサミットが開かれる洞爺湖に、テロ対策立案の下調べで独研の研究員たちと行ったときに携帯電話で撮りました。
 広大な洞爺湖の周辺をめぐる山のなかに、こんなエメラルド色の小さな湖がありました。
 思わずテロリズムも何も忘れて、見とれました。