Our World Time

その後

2006年04月16日 | Weblog



▼ブログに「視聴者は、やはりよく観ている」を書き込んだあと、トレーニング・ジムへ。
 と言っても、ブログを書いたためにバーベルやダンベルを挙げる時間はなくなり、プールで短時間、泳いだだけになった。
 それでも、やらないよりは、いい。
 仮眠をとる代わりに無理にでも運動するようにしてから、すこしだけ疲労感がマシになったと思う。

 無心で泳いでいると、テレビ番組の件も、ごく自然にもう一度頭に浮かんでくる。さっきよりも無心に考えられる。

 泳いだあと、アウディ・クワトロ80を駆って首都高速に乗り、横田めぐみさんの夫が判明した件で、長い付きあいの情報源に会いに行く。
 会うと、めぐみさんの件のまえに、北朝鮮のつくった偽円札の話が延々と続き、すこし戸惑う。
 偽円札の件も極めて重大だけど、何かわけがあって横田めぐみさんのことから話をそらしているのかなぁ、とも思う。

 本題からそれて他の話をされても、耐えて、じっと耐えて、その話をよく聞いたうえで、本題にじりじりと迫っていくという情報収集・取材が、このごろすこし辛くなっている。できにくく、なっている。
 倦んでいる感じだ。

 この倦む感じは、たまに、やって来る。
 当然、休んで回復するのが王道だろうし、人になら間違いなくそれを勧めるけど、今のぼく自身にはできない。
 これだけ仕事を兼務すると、休んでも、そのツケが自分にどっと回ってくるだけだ。
 まぁ、さほど心配はしていない。
 とにもかくにも前へ、前のめりに進みつつ、自然に、元気と根気を回復していくだろうと思う。


▼帰宅して、パソコンを起動すると、この個人HPにどっとコメントが来ている。
 読んでいると、まず、みんなテレビにはやっぱり関心があるんだなぁと考えてしまう。
 ぼくの本業の一つは物書きだけど、書籍をはじめとする活字の世界の出来事なら、こんなに強い関心がたちどころに集まるだろうかと思った。

 もっとも、ぼくは活字の世界の現在と将来を、それほどには懸念していない。
 ひとびとにとってのオプションが広がっているだけだから。
 よいものを書けば、その書籍を読むことに貴重な人生の時間を使ってくれる人も、多い少ないは別にして、きっといてくれる。


▼そのHPへのコメントのなかで、自民党議員がイラクと間違って塗りつぶした白地図が、ヨルダンではなくてシリアだったという指摘を読んだときは、ひっくり返った。
 しかも、放送で「ヨルダンでもなくシリアです」というテロップが流れたという。

 収録のとき、スタジオのいちばん端だったぼくの席から、スタジオの中心に席があって、ぼくからもっとも遠かった自民党議員の持つ白地図を垣間見たときは、いま思い出しても、ヨルダンに見えた。
 イラクは塗られないまま白く残り、イラクの半分ぐらいの大きさのシリアも白く残り、シリアの下の、さらに小さいヨルダンを、議員は黒く塗りつぶしているように見えたけど、テロップが流れたのなら、ぼくの間違いだろう。
 それに視聴者が放送を見るときは、その白地図がアップで映るのだから、コメントを書き込んだひとが、きっと正しい。

 言い訳と思う人がきっといて、それは仕方のないことだけど、断じて言い訳じゃない。
 ふだん講演で白板に、中東諸国の国境線がいかに人工的に英仏によって作られていったかを図に書いて、そこから説き起こして話を進めている。
 シリアやヨルダンを知らない、などということはありません。
 スタジオで、自民党議員の持つ白地図まで距離があって、見間違えたと思う。

 だけども、間違ったことを書き込んだのは事実だから、ごめんなさい。
 それに、放送でテロップが流れたのにも、まったく気がつかなかった。
 このHPへの書き込みで、どなたかが「シリアの人も怒るよ」と書いているのには、自分の失敗なのに、笑いました。
 その通りです。


▼さて、プールで泳ぎながら、自然に頭に浮かんだことを、すこし書いておきたい。

 ぼくがたまに顔を出す番組で言うと、たとえばTVタックルで、ぼくの発言があまり使われないことは良くある。
 ほとんど使われないことも、何度かあった。
 めったにスタジオ収録には行かないのに、せっかくスタジオに行って発言したときでも、放送ではただ黙って座っているだけの姿しか流れない、という時もあって、ぼくの読者で放送を待っていた人から「がっかりしました」というメールをもらって申し訳なく思ったこともある。

 独研(※株式会社 独立総合研究所。ぼくが社長・兼・首席研究員を務めるシンクタンクです)の社長室にTVタックルのクルーがやって来てコメントを撮るときは、2時間ほどフルに発言を収録して、使われるのは2分ぐらいというのが、むしろ常態だ。

 だけども、ただの一度も文句を言ったことはない。
 文句を言おうとか、このHPに書き込もうとか、考えたことすらない。

 理由はとても、はっきりしている。
 明らかに、テレビ局の編集権の範囲内の編集だからだ。
 ぼくの発言を使わずとも、充分にディベートになっているし、結論の出ないディベートに終始はしていても、誰かの一人舞台になっていることはない。
 だから、ぼくの発言が使われなかったからと言って、文句を言おうという発想は起きない。
 独研でのコメント収録は、VTRを作成する上での全体のコンセプト作りに、ささやかには寄与しているようだから、コメントそのものの使用が1分、2分でも、かまわない。


 今回の「太田総理」の番組だけ、なぜ、これは捨て置けないと思ったか。
 太田総理の主張はとても、はっきりしている。
 その主張への賛否は別として、とにかく明確だ。
 だからこそ、太田総理の主張がくっきりと明確であるからこそ、強い反論もあったことを放送するほうがいいのじゃないだろうか。

 TVタックルと違って、この番組が太田総理の主張を押し出す番組であってもいい。
 それが番組の個性だし、どのような個性の番組にするかはテレビ局の裁量権だし、視聴者の公平な評価は、視聴率という形でも出てくるのだから。
 TVタックルであれなんであれ他の番組と、この番組が違っているからこそ制作する意味もあるのだろう。
 だから最終的には、太田総理の主張を押し出してもいい。

 しかし、その主張をめぐって、収録でせっかく議論が熱く盛りあがったのだから、それをほとんど黙殺する編集は、やはり、あまりにも限度を超えているのではないだろうか。


▼たとえば、収録の冒頭はこうだった。

 「首相候補に資格試験をやり、足切りをする」というマニフェストを解説するVTRがスタジオのモニターに流れ、さらに太田総理が趣旨を説き、「さぁ、どうですか」と振った。
 ぼくはすぐに「その資格試験の採点は誰がやるのか。太田総理の主張やVTRの中身を聞いていると、『小泉さんが靖国神社に参拝して中国、韓国と仲が悪くなるという失敗をしたから資格試験をやろう』という発想を感じた。それじゃ、試験の採点に、中韓という外国が実質的には加わるかのようだ。そんな資格試験は発想からして間違ってる」と発言した。

 太田総理はすぐに、小泉首相の靖国参拝は許せない、第一に説明が足りない、言葉が足りない、侵略された中国の人々が靖国参拝をどれほど悲しんでいるのか分かっているのかと、激しく切り返し、ぼくは「ここで靖国参拝をやめたら、中国や韓国の嫌がることは何もできない日本になってしまうと小泉さんは、最近の会見で説明した。この説明は断固、正しい」と反論した。
(あとで、「小泉さんの言葉が足りているとは誰も思っていないけれど、小泉さんはあくまでスターターだ。だからこそ言葉も足りない。これから日本が自立して、独立して、国の運命を決めていくための、スターターであることを積極的に評価する方がいいと思う」とも述べた)

 そして他の出演者もどっと発言して、話は、まずは靖国参拝をめぐる猛烈な応酬になった。太田総理の主張への賛否が激しく入り乱れた。
 靖国参拝の是非がマニフェストに掲げられていたわけじゃないけど、この流れからすると、自然な展開だとは言えると思う。
 太田総理とぼくのこの冒頭のやりとりを必ず、紹介してくれ、放送してくれと言うのじゃない。
 他の出演者も懸命に、熱く、面白く、太田総理の主張に反論したり支持したりしたのだから、一方的に太田総理の主張を容認したような感じの編集は、それを多くの視聴者が歓迎するだろうかという意味でも、やはり首をかしげる。


▼このぼくの個人HPの書き込みをめぐって、番組から圧力があったのかというコメントがいくつかあったけど、それは全くありません。
 圧力も何も、なんの接触もない。嘘など言わない。

 たぶんテレビ局は、そんなにヒマじゃないでしょう。
 ぼくの文句をそんなに気にする、あるいは関心を持つとは思えない。

 この件で初めて、この個人HPに来た人も多いようだし、ぼくは知名度がまったく低いので、何をしている男なのか知らない人も多いでしょう。
 それはそれでいいのだけれど、ぼくは、おのれ自身の基準でしか動かないことは、ぼくの数少ない読者や視聴者は、よおく知っている。
 今回も、まったく同じです。今回だけ違うという理由がない。

 自分の書き込みが正しくないと、おのれが思ったから、削除した。
 いったん正しいと思ったことが、考え直してみると正しくないことは、もちろんあります。
 ここは、ぼくの個人HPですから、正しくないと思ったことは、自分の思うように直します。直して、整理します。いただいたコメントは、一つの例外もなく、ぼくのパソコンに保存しました。ぼくにいただいたコメントとして、無駄打ちにはなっていません。

 そして、その心の経過を他人に知られること、批判されること、それは全くかまいません。
 批判されると、正直、哀しいですよ。しかし、全くかまいません。
 なぜなら、ぼくの本業の一つは物書きです。
 物書きとは、自分の心の動きをプライバシーとはせずに、広くみんなへ、さらけ出す仕事です。
 ぼくが胸に定めた覚悟のうちの、もっとも大切な一つです。
 だから、ぼくが削除したぼくの書き込みが2チャンネルに転載されたことには、異議がない。


▼写真は、ぼくの読者からいただいた電子カードに添えてあった写真です。
 この読者からは、今回の件で、このHPにコメントもいただきました。
 いつも、ありがとう。
「弘前城の古木の幹に咲いたソメイヨシノ」だそうです。
 この感覚、ぼくも共感します。

 3月31日、独研の社員・スタッフのみんなと、千鳥ヶ淵で恒例の花見をしました。
 独研の社員・スタッフは、アメリカなどで育った帰国子女が多いので、無名戦士の墓のある千鳥ヶ淵も、その隣の靖国神社も、それから千鳥ヶ淵と接する皇居のたたずまいも、すべて新鮮なのです。
 彼らが実感できる、祖国の手触りです。

 ぼくは、皇居のお堀がみえる場所にみなと集まり、桜の幹に手をやって、「こうやって古い、古い桜の幹から、こんなに新しい若い芽が出て、花が咲くところも凄いんだよ」と社員・スタッフに話しました。

 だから、この写真は、特にうれしく思いました。



視聴者は、やはりよく観ている

2006年04月15日 | Weblog


▼このHPへの書き込みに教えてもらって2チャンネルに行ってみると、たしかに、いくらか話題・議論になっていた。

 ぼくの削除した書き込みを、2チャンネルに転載されていること自体は、まったく異論がない。
 それがネットだから。

 その話をしたいのじゃなくて、展開されている議論の中身について、すこし話したい。
 ありのままに言うと、たいへん面白かった。
 そして、もっとありのままに言うと、2チャンネルに書き込んでいる人は、言葉遣いはかなりラフでも、直感力とか本質を掴む力は、かなり高いと思った。

 こういうことを書くと、2チャンネルにおもねていると言われるだろうし、言いたい人は言えばいいけど、ぼくはぼくなりに覚悟して残りの人生を生きているから、おもねたりなどしない。
 ほんとうに、感心したのだ。

 まず、書いてある内容のうち少なくないものが、フェアだと思う。
 もう一度言うけど、言葉遣いはラフだ。ぼくなら使わない言葉が多い。
 それに皮肉っぽい書きぶりが多い。ぼくは皮肉は言わないので、そこは感覚が違う。

 だけれども、たとえば、ぼくを批判する書き込みのなかに「時間や構成の制限から発言を削除されることはテレビではやむを得ないことなのに、番組が偏向しているかのように言うのは、間違っている」という趣旨の書き込みがある。

 前半は、もともと、同じ考えだ。
 それを承知の上で書いたことは、削除した一文「正直、驚いた」でも、そのあとにアップした一文「みなさん、書き込みをありがとう」でも、ぼく自身も触れている。
 感心したのは、後半の部分。
 ぼくの言い分は、自分の発言があまりに極端にカットされていた、ということだから、受け取り方によっては、自分の不満だけを述べている、逆に自分の発言さえ採用されていればそれでいいのか、という感じ方があってもおかしくない。

 HPへのコメントで、そういった書き込みは一つもなかったけれど、ぼく自身がふと、そう思った。
 そして「視聴者は収録をみることができないのだから、この青山の言い分は、身勝手なだけなのか、それともいくらかはフェアな部分があるのかという判断はできないな。だから、この一文は正しくない」と思って削除した。
 主文を削除したから、コメントも削除した。しかしコメントは、そのほとんどが参考になるものだったから、ぼくの記録には保存した。

 コメントが嫌で削除したというのは、誤解に過ぎないから、そう考えている人にはそれも伝えたいけど、いま述べているのは、それよりも、上に例示したぼくへの批判書き込みが「自分の発言が削除されたことが不満なだけ」などとはせずに、「番組が偏向しているかのように言うのはおかしい」としているところだ。

 問題を下のレベルに持っていかずに、きちんと、ほんらいのレベルに保って批判している。
 そこが、いい。

 そのとおり、ぼくは、こう述べたかった。
「いくらバラエティでも、出演した政治家、タレント、専門家、一般市民の大半が、太田総理の言い分に対して、収録では真剣に、しかも単に堅苦しく真剣に反論したのじゃなくて、熱く面白く、そして真剣に反論して、凄く活発な議論になったのに、ほとんどその片鱗も残らず、一方的に太田総理の立場を容認気味になったかのように編集したのは、いくら編集権がテレビ局にあっても、やりすぎではないか。そもそも視聴者は、熱いディベートを望む人のほうが、一方的な作りを望む人よりは、多いのではないか」
 ぼくへの批判コメントは、そこをちゃんと踏まえている。

 そのうえでの批判だから、批判は批判として、耳を傾けます。
 この批判を書き込んだ人が誰かについて、2チャンネルには推測も書き込まれているけど、それは分からないし、それを追求するより、誰が書いたかにかかわらず汲むべきは汲みたい。
 批判を受け容れるということではないですよ、汲むべきところがないか、きちんと見たいというということです。
 

▼2チャンネルに、ぼくがイラクの場所を知らなかったような書き込みがあるけど、ここは中東をも専門分野にする者としてちょっと見逃せないので、事実を書いておきます。

 放送された「抜き打ちテスト」は3種類。
 このテストは、ぼくの知る限りほんとうに抜き打ちだった。そこは、この番組はフェアです。嘘をついていない。

 一つは、白地図にイラクを書き込むテスト。
 2人の自民党議員は、なんとヨルダンを塗りつぶした。
 社民党の福島さんは、正解だった。
 ぼくは当たり前だけど、正解です。
 これについては、正解者リストがちゃんと放送された。
 ぼくは収録で自民党議員に、「いくらなんでも、これはひどい。ヨルダンの人も怒るよ」と言い、それから「言い訳をしちゃ駄目だ」とも言った。
 放送では、完全にカット。

 もう一つは、官製はがきの値段。
 2人の自民党議員も、ぼくも、それから、たぶん出演者の半分ぐらいが正解。

 残る一つは、小泉さんの前の首相を5代ほど書かせるテスト。
 これも自民党議員は2人とも間違えた。
 さらに、言い訳もあった。
 だけども、これは記憶違いで済む話じゃない。政治の流れが分かっていないのではないかと思ってしまう。

 政治の流れとは、たとえば宮沢政権を最期の自民党単独政権として、細川政権で非自民連立政権が誕生し、その細川さんがあっというまに退陣して、羽田政権ができたけれど、小沢さんが社会党とケンカしたために2か月でつぶれ、怒った社会党が自民党と組んで自社政権の村山政権が成立、おかげで息を吹き返した自民党が橋本政権、そして小渕政権と続け、小渕さんが小沢さんとのトラブルのあと急死し、森さんが急遽、政権を担ったけれども、無惨に崩壊したために変人と言われた小泉さんが首相になることができたーということです。
 小沢さんの表舞台への再登場で、政界が活気づいているのに、この流れが分かっていないのなら困ったことです。

 このテストの正解者はなぜか、太田総理を支持する側に割り当てられていた出演者、福島さんらだけリストアップされて、太田総理を支持しない側にいた、ぼくを含む正解者はリストアップされなかったのです。
 特別な意図があったとは思わない。
 しかしリストを出す以上は、最低限、誤解がないようにして欲しかった。

 ただし公平のために言うと、ぼくは実は放送前、自民党議員のあまりに問題の多い間違い2つ、なかでもイラクの場所を知らなかったシーンは、放送されないのじゃないかも知れないと思っていたので、それがちゃんと放送されたことは、この番組には、そのフェアネスはある。そこは評価する。

 だけども、もう一度最後に言うと、賢い視聴者が望むものは、一方的な展開じゃなく、収録通りの、盛りあがった熱いディベートだったのではないだろうか。

 ぼくへの書き込みのなかに、「青山さんが何も発言しないように放送されたので、太田総理の主張を容認したのかと思った」というのもあった。
 こうしたことも起きるのが、時間の制限のあるテレビだから、絶対に困るというのではない。やむを得ない場合もある。
 だけども、具体的な収録の様子からして、今回はそれがやむを得なかったとは、やはり考えにくい。






みなさん、書き込みをありがとう

2006年04月15日 | Weblog


 きのう4月14日金曜の夜8時から放送されたTV番組について、ぼくも出演者の一人として参加した収録と、放送された内容に極端なまでに大きな違いがあり、それをめぐって考えたことをアップしました。

 その趣旨はー
 収録したものをどう編集するかという編集権は、テレビ局にあり、出演者はオファーを自らの意志で受けて出演するならば、その編集権を受け入れなければならないのが基本です。
 しかし、物事には限度があり、また物事には一定以上のフェアネス、公平さが必要です。
 収録の実際の流れや様子と、放送内容が、あまりに異なるのは驚きです
 ーということでした。

 それに対して、視聴者のかたから短時間でたくさんの書き込みをいただきました。
 どの書き込みも、しっかり読みました。

 そのうえで、ぼくの記事自体を今、みずから削除しました。
 なぜか。
 視聴者は、収録の様子をみることができないのだから、ぼくの書いていることがフェアかどうか判断できない、ぼくも収録の様子を視聴者にみせることができないのだから公平な根拠を示せない、と考えたからです。

 いただいた書き込みは全て例外なく、ぼくの記録に保存しました。
 多くのかたの冷静な判断、きちんとした物の見方が印象的でした。
 ぼくにとっては貴重な情報です。



大阪の番組、全国の番組、そして会員制レポート、この個人HP

2006年04月12日 | Weblog


▼みなさん、いま大阪にいます。
 関西テレビの新しい報道番組『ANCHOR』(スーパーニュース・アンカー)の生放送の本番まで、あと4時間半ほどです。
 番組第1部の『青山のニュースDEズバリ!』というコーナーで、横田めぐみさんの夫が韓国の拉致被害者と断定されたことについて、これからいったい何が起きるか、そこにこそ踏み込んで、解説したいと思います。

 そのために、電子メールと電話を使って、情報を集めている最中です。

 ぼくはテレビ出演が本業ではありませんが、すこしだけ、ささやかに出る以上は、この国の主人公である国民、有権者に、ほんとうのことを、しっかりした根拠と見通しのよい分析・予測にもとづいてお話しする、重い、ほんとうに重い責任があります。

 このコーナーでお話しできる時間は、ごくわずかです。
 CMもVTRも全部入れて、15分ほどです。
 実質、10分強でしょうか。

 ですから、情報収集・取材の成果の全貌は、独研が会員のみなさんへ配信している会員制レポート『東京コンフィデンシャル・レポート』に盛り込むことになります。

 横田めぐみさんをめぐる新展開のレポートは、さらに取材を深めたうえで、レポート第277号としてまとめ、木曜か金曜日に会員へ配信されます。
(→週末に政府筋と接触しますから、その結果をレポートに書き込んだ上で配信します。会員のみなさん、お待ちください。 ※4/15土曜朝、記)


▼この番組を見られない地域のかたから、「わたしたちも観る機会がほしい」という電子メールや、この個人HPへの書き込みを、かなり、いただいています。
 関心を持っていただいて、こころから、嬉しく思います。

 番組のHPにアクセスされ、「ネット局を増やして欲しい」という電子メールを送っていただくのも、ひとつの手段だと思います。

 とりあえず、今週の金曜日14日の夜8時に、日本テレビ系列で「太田光のわたしが総理大臣になったら」という番組に出ています。
 こちらは全国ネットなので、よろしければ、ちらりとご覧になってみてください。


▼この個人HPのための書き込み、写真とも、準備中・書きかけのものがたくさん、実は溜まっています。
 まぁ、連休入りまでにはすべてアップできるでしょう。
 もうすこしだけ、待ってください。



あんしん・めーる     *関西テレビ『ANCHOR』 その3

2006年04月07日 | Weblog



▼そして、在阪局で初めて夕方5時(正確には4時55分)から始まる大型報道番組『ANCHOR』(正式には、スーパーニュース アンカー)の本番がスタートしました。
 ほんらいは毎週、水曜日にレギュラー出演するのですが、今回だけはアメリカ短期出張のために木曜日に出ています。
 きょうが初出演ですね。

 写真は、これも同行の独研の秘書さんが、ぼくの携帯で撮ってくれました。
 本番のときのCM(コマーシャル)中です。
 左から、中西アナ、ヤマヒロ・アナ、関西で大人気のソウル歌手、大西ゆかりさん、そしてぼく。


▼秘書さんはいろんな写真を撮ってくれたのですが、そのなかで、ふだんみなさんがテレビ画面で見るのとは違う画像を選びました。
 これはスタジオの全体がすこし分かりますね。
 ぼくらの前にある、大きな黒いのは、モニターです。
 本番中に流れるVTRは、ここで見ます。

 それから、何台かのカメラ、右下には、ADさんの持っている台本も写っていますね。
 テレビ画面には、この写真の真ん中あたりだけが、映っているわけです。


▼この番組には『青山のニュースDEズバリ』という解説コーナーがあります。
 第1回のきょうは、民主党の代表選でした。
「小沢さんが新代表になるのは、9割9分9厘まちがいない」と言い切ったあと、具体的な票読み、そして小沢民主党になったとき、新体制では誰がどこへ起用されるのか、小泉自民党との対決はどうなるのか…といった解説をしました。

 じぶんでは、出来具合にたいへん不満だったけど、プロデューサーやディレクター陣の評価は、悪くなかったです。

 でもねぇ、局の人は悪くいったりはあまりしないよな、初回だし。
 ほんとうは、視聴者、国民のかたがたに、伝えるべきをちゃんと伝えきれなかったんじゃないかなと、ちょっと悩んでいたら、信頼する読者&視聴者のかたから、たいへんに評価してくれる電子メールが届いたので、すこし安心しました。


28時間を越えて     *関西テレビ『ANCHOR』 その1

2006年04月07日 | Weblog



▼さて、復路はシャーロッツヴィルからプロペラ機でワシントンDCのダレス空港へ、ANAに乗り換えて成田空港へ、そこで国内線に乗り換え伊丹空港へ、伊丹から関西テレビへ。

 実に、28時間かかりました。
 ぼくの海外出張歴でも、ただ一か所だけをのぞいて、過去最長です。
 その一か所とは、地獄のイラクへ入ったときでした。

 関西テレビでは、まずその夜に、プロデューサーやディレクターから構成作家やADのみなさんまで加わって、綿密な打ち合わせです。
 それが4月5日水曜の、夜でした。

 成田空港で国内線乗り換えを待っているあいだに、モバイル・パソコンで民主党代表選について、当事者の一部のひとびとと電子メールで情報と意見を交換して、その成果をもとに、ぼくは、この時点で「小沢さんが勝つ」と断定しました。
 もしも万一、間違っていたら、ごめんなさいっ。


▼明けて4月6日の木曜、まず電話と電子メールで情報と意見の交換を続け、独研から配信している会員制レポート『東京コンフィデンシャル・レポート』の第275号を書きあげて、送りました。
 このレポートのタイトルは、★速報版「あすの民主党代表選を予測する」です。

 それが終わると、大急ぎでプールへ。
 泳いで全身を目覚めさせないと、ちょっと出演できないほど眠くて疲れた顔になっています。

 プールでは、ブレストで軽く流して身体を水になじませてから、フリーでしっかりアップして泳ぎ、クイックターンを繰り返して、全身の細胞がリフレッシュするのを感じてから、力を抜ききったブレストでクール・ダウン。


▼そして、また大急ぎで関テレへ。
 まずは、さらりとメイクです。
 といっても男性ですから、顔があまりテカらないようにする程度です。
 髪は、プールから上がったばかりで、ぼっさぼさ。それを、優秀なメイクさんの野村さんが、さぁーとドライヤーでまとめてくれます。
 整髪料とかは、まったく使いません。
 だいたい、全部で5分ぐらいで終わります。

 写真は、同行した独研の秘書さんが撮ってくれました。
「写真を個人HPにアップするから、撮ってね」と、ぼくの携帯を預けていたのです。
「どこでも、何でも撮っていいよ」と言ったので、さっそくメイク室から撮っちゃってます。
 なんだか愉しんで撮っているので、ぼくは吹き出しています。


▼髪をブロウしてもらいながら、ぼくは、台本に目を通しています。
 ただ、生放送の報道番組ですから、台本といっても進行の目安が分かるだけです。
 MC(メイン・キャスター)の局アナ、やまひろさんと中西利恵さんは、この台本で何を話すかを実際に掴んでいきますが、コメンテイターのぼくは、発言・言葉はその場のぶっつけ本番です。


 

にほんの「会議」とはこんなに違う     *アメリカ短期出張 その8

2006年04月07日 | Weblog



 その会議は、こんな感じでした。


▼参加者のなかから選ばれたパネラーによるディスカッションが、中央の楕円形のテーブルで開かれ、その周りをタイトに他の参加者が囲んで、聞き入ります。

 参加者は、ブッシュ大統領補佐官やブレア首相補佐官をはじめ議員や、政府高官、専門家です。

 アメリカでもイギリスでも、ほんとうに中身を追求して真剣に討議する会議は、こんな風に参加者が膝をつき合わせ、眼をのぞき込む感じに、まさしくタイトにセッティングします。


▼ぼくは、非公開セッションのパネル・ディスカッションにパネラーとして参加し、『日本の真実』と『民主主義国家に共通する、たいせつな課題』について発言しました。
 傍聴した独研のワシントン駐在員によると、参加者は真剣に耳を傾けてくれていたそうです。

 独研の若き主任研究員は、地下鉄サリン事件について、そうそうたる重要人物が揃ったこの場で立派なプレゼンテーションをおこない、参加者を感嘆させました。
 適当な褒め言葉を言っているのでは、ないのです。
 次世代の日本の希望が、ここにも、ささやかに生まれていると思うのです。



さぁ戦略会議へ、の朝     *アメリカ短期出張 その7

2006年04月07日 | Weblog



 なんのために、行きは21時間、帰りは28時間をかけて、たった1日半の滞在のためにアメリカを訪れたのか。
 それをちょっとだけ、おさらいして、アメリカ短期出張の巻はおしまいです。


▼往路は、東京の自宅から成田空港へ、成田からANAでワシントンDCのダレス空港へ、そしてダレス空港でアメリカ国内線のプロペラ機に乗り換えて、花と林と緑の丘が美しいシャーロッツヴィルに着きました。

 このシャーロッツヴィルは、アメリカの首都ワシントンDCの奥座敷のようなところです。
 奥座敷といっても、アムトラック(高速列車)で3時間かかる遠さなのですが、国の広さに慣れているアメリカ政府の高官たちは車でさぁーと訪れ、緑のなかで頭をリフレッシュさせつつ戦略を練り直して、首都に戻り、政策を改変していきます。

 それでもなお、イラク戦争のように間違った判断も下されてしまうのが国際社会の現実ですが、シャーロッツヴィルはアメリカ合衆国が戦略国家であることを象徴する場所です。


▼ここで、アメリカ、イギリスを中心に『安全保障・テロ対策・国際戦略会議』が開かれ、日本から今回、ぼくと独立総研の若き主任研究員の2人が、日本人として初めて公式招待されて参加しました。

 写真は、21時間かかった往路を越えて、シャーロッツヴィルに着き、早朝にホテルを出て会議場に向かうときのぼくです。
 ホテルは、こんな雰囲気です。敷地のなかに、3つの湖が点在し、建物はすべて平屋づくりで林と花のなかにあります。
 撮ってくれたのは、独研のワシントン駐在員です。



しんけんな横目     *アメリカ短期出張 その6

2006年04月05日 | Weblog



 いま日本へ向かう機中です。

 ワシントンDCを飛び立った飛行機は、五大湖の上空からアメリカ大陸の北限へ飛び続け、たったいま、アラスカの大地からベーリング海へ抜けるところです。
 その先には、にんげんの引いた見えない智恵のライン、日付変更線が待っています。
 この同じ機体に命のすべてを託している乗客はみな、そのラインを超えた瞬間、得をしていた一日を返して、一日で二日分、年をとります。

 ぼくはこのあたりの光景が、大好きです。
 きょうも窓ガラスにへばりついて、眺めていました。ガラスからは、マイナス54度の外気の冷たさがほんのり伝わります。
 真冬には、アラスカの大地とベーリング海は真っ白に繋がっています。永遠に誰も分かつことができないようにみえます。
 きょうは、黒色と見まがうほどに深く青い色が、白い大地と海のあいだに突き刺さって、くっきりと分けています。

 これが、春です。


▼アメリカにいるより、飛行機の座席の上にいたほうが長かった今回の出張は、おかげで機内で映画をたくさん、見ました。

 ワシントン路線の機材は古くて、旧式シートテレビは小さく、しかも突然、早送りになったり、画面がブラックアウトしたり、いろいろあったけど、ほんとうは死ぬほど映画が好きなぼくは、とても幸せでした。

 といっても、すべては、原稿を書きながら横目でみる映画なので、すこし哀しかったけど、横目ではあってもしっかり真剣に、みました。


▼1本目。
「イーオン・フラックス」

 実は、無謀にも、この多忙のなかで自宅近くのシネマ・コンプレックスのオールナイトに見に行った。
 上映が終わるのは、なんともはや、アメリカ出張への出発まで5時間半もない時刻だ。
 荷物のパッキングは一切できていなかったし、夜明けまでに送らねばならない原稿も、複数あった。

 それを無理して見に行ったのに、ごめんね、ほかの観客のみなさん、いびきをかいて寝ちゃった。
 ところが、飛行機に乗ったら、やってたのです、この映画。

 見たかった理由は、シャーリーズ・セロンが出ているから、それだけ。
 南アフリカ生まれのこの俳優が、大好きだ。
 こういう、きりっとした女優には弱い。とりあえず、すぐに好きになる。
 もしも彼女が、地底生まれの地底人でも大好きだ。

 とはいえ、この映画にはまったく、カケラも期待していなかった。
 ぼくの信頼するひとが「映画というより、アメリカのテレビみたい」と言っていたけど、それも正しい。

 だけども、よかったのですよ。
 みたあとに、なんだか妙に高揚して元気になる映画だ。

 ストーリーは、ほとんど滅茶苦茶。ただの思いつきと言った方がいい。
 だから、基本的には、シャーリーズ・セロンという本物のプロの俳優が、どれほどまでに節制して身体を作ったかを、みるだけの映画です。

 でもね、まず、それだけで値うちがある。
 セロンがモデル出身であろうが無かろうが、そんなことは関係ない、彼女はいま俳優なんだから。

 この映画のために造った身体、神さま、造物主もきっと嘆息する。

 それにね、どうしてこの映画は元気になるのだろうか。
 セロンの相手役の男優は、最悪に近い。
 すこし疲れた感じがむしろいいと、きっと監督は考えたような気がするけど、もしもそうなら、それはただの俗説のようなものだ。
 セロンの完璧な「元気」の相手役は、疲れた感じ、それもすこしだけ疲れた感じがいいと監督が考えたことが、ばればれだけど、それこそが俗説なのだ。

 そんな俗物の監督がつくった映画なのに、なぜか元気になる。
 映画は不思議なだぁ。
 それを感じさせるから、これは、ずばり、良い映画です。


▼2本目。
「博士の愛した数式」

 導入部は最高。
 自然でいて、その先を知りたいと引きつけられる。

 にんげんへの自然な目線、抑えた映像と音声が、薄口の醤油のように効いていること、いずれも世界の映画シーンで、きっと邦画しか創れないものだろう。

 ただ、小川洋子さんの原作小説はきっと良いのだろうなぁと思わせる映画だ。
 映像表現よりも、きっと文体表現の方がいい。
 映像ではリズムのない間延びした表現にみえるところが、文章ではなんとも言えない間合いになっているのじゃないだろうか。

 でも、これも不思議と、元気になる映画だ。


▼3本目。
「NANA」

 泣いてしまったところを、フライト・アテンダントに何度も見られた。
 これは、共感する若い人が多い映画だろうナァ。
 凄い人気らしいのも、よく分かる。

 日本の俳優の演技は、正直に言うと好きになれないことも多いのだけど、この映画は主役の女性二人から端役の男性陣に至るまで、最高。
 日本はこんな映画を作れるようになったんだ。

 だけどね、その一方で、日本のロックシーンが気になった。
 映画のなかで演奏されるロックが、歌謡曲にしか聞こえない。

 ぼくは中学生から高校生まで、下手くそなバンドをやっていた。
 謙遜じゃなくて、ほんとうに強烈に下手だったから、プロのみなさんに文句を言える筋合いじゃないのだけど、日本のロックが当時から歌謡曲だったのは間違いない。
 大学生になって、ロックバンドのいるサークルにも顔を出してみたけど、なんだか気障な人が多かったし、アルペンスキーに打ち込むようになって、音楽からは遠ざかった。

 ぼくが遠ざかっているうちに、日本のロックはきっと歌謡曲を克服しただろうと思っていたのに、こりゃ変わってないぞ。
 一体いつまで、ただの歌謡曲を、ロック風にやっているのか。

 インストルメントの演奏は、良くなった。
 日本のロックプレイヤーの最大の問題だったリズムが、良くなっているから。
 ベースもドラムも、本物のリズムがある。
 問題は、ヴォーカルだ。

 NANA役のひとりは、N・Mさんという有名なシンガーだけど、声が前へ戦っていない。
 サビのファルセットは素敵だけど、その前の声が戦っていないから、うーん、ロックとは前のめりに戦うことだと思うけどな。
 それから、歌詞が、こんな言い方で悪いけど、ひどい。
 理屈とセンチメンタリズム。おセンチ理屈。

 英語は英語に聞こえない。こりゃカタカナの不思議な、日本語まがいだ。
 だから英語で歌うと、よけいにキレが失われる。
 ファンのみなさん、ごめんなさい。

 映画のなかで『成功したメジャーバンド』になっていたロックバンドの、女性ヴォーカルはもっと情けない。
 こんなおセンチ歌謡の俗物ロックまがいで、ほんとうにみんな、熱くなれるのか。
まさかね。
 ぼくらの世代と違って、いまのロック世代は、日本のおセンチ叙情を克服しているはずだ。

 ロックは戦って、なんぼ。
 そんなの、別にミック・ジャガーを見なくても誰でも分かる。


▼4本目。
「WALK THE LINE」

 カリスマ・ウェスタンシンガーのジョニー・キャッシュの伝記映画。
 キャッシュは日本ではさほど知られていないけど、アメリカではヒーローです。

 吹き替えなしで俳優が歌っているのは、凄い努力だけど、うーん、この唄がね、やっぱり魂が弱い。

 ちゃんとキャッシュ風に歌っているのだけど、それだからこそ、つまりキャッシュのエッセンスを出そうと、めいっぱい努力して慎重に歌っているから、歌の腹が据わっていない。
 バックバンドのリズムはまさしく最高だ。特に、ウッド・ベースのキレの良さ、正確さ、音の厚みとまろやかさと強さ、さすがです。

 絵は、全体にセピアカラーをかぶせてある。
 ふつうなら、わざとらしい映像になりそうだけど、みごとに成功している。
 キャッシュの奥さん役の女優の、自然な存在感がいい。

 でもまぁ、すくなくとも日本では、あまり観る人がいないだろうな。
暴力的な父親との少年時代からの葛藤、ミュージシャンとして成功してから、成功しているからこそのドラッグ漬け、もちろん事実なのだけど、もはやお決まりすぎて、観る者の上を型どおりに通り過ぎていく感じがないでもない。

 と、思って、原稿を書きながら横目で真剣に観ていると、奥さんと子どもがジョニーのもとを出て行ってしまってからは、俄然、トツゼンに、よくなる。
 だから、この映画をたまたま観る人は、最後まで観ていると、いいことがあります。

 表現者の暗黒と、恢復。
 それが泣きたいぐらいの親密さで、ぼくの胸に迫ってきた。

 こういう音楽映画を観ると、いつも、小説の書き手としてのぼく、表現者としての自分を考える。
 画家の伝記映画や、それから小説家を描いた映画を観るよりずっと、魂に一つの声が沸き起こる、ああ、ぼくも書きたいと。
 なぜかな。
 おのれの書きたいものと似てる? 音楽が?
 これから、たまに考えてみます。



 写真は、アラスカからベーリング海に飛行機が出てゆくときです。
 わずかな時間に、どんどん眺めは変化します。
 そのうちの一瞬の光景です。
 素晴らしいグラデーション・ブルーの地平線と水平線には、地球の丸みもあらわれています。



やわらかな夜明けまえ     *アメリカ短期出張 その5

2006年04月04日 | Weblog



 あと2時間弱で、日本へ向けて出発です。
 まず、ここヴァージニア州シャーロッツヴィルから、おそらくプロペラ機でワシントンDCのダレス空港へ向かい、そこで乗り換えて、成田へ。
 成田でも乗り換えて、大阪へ。
 大阪では、関西テレビの新報道番組「ANCHOR」に初出演です。

 こんどは、何時間かかるかなぁ。
 往路の21時間を、さらに超えそうだなぁ。


 いまアメリカ東部時間の4月4日午前3時10分。
 真っ暗だけど、春のやわらかな空気が感じられるのです。

 安全保障とテロへの備えの国際会議できのう、日本からはただ一人のパネラーとして、地下鉄サリン事件などを踏まえて「日本の真実」を語りました。

 この会議に、ぼくと独研が公式招待されるまでの、独研の若き主任研究員の努力や、アメリカ政府のなかの良心と良識の豊かな友人の応援を無駄にしちゃいけないと、発言のときは、必死でした。
 ほんと。
 こんなに緊張したのは、たぶん20年ぶりぐらい。
 ふひ。

 写真は、帰国してからアップします。


 

ぼくはねむい     *アメリカ短期出張 その4

2006年04月03日 | Weblog



▼いまアメリカ東部のシャーロッツヴィルで、現地時間、4月3日月曜の未明3時15分。
 もうサマータイムだから、日本では、午後4時15分。

 ここは政治都市ワシントンDCの奥座敷というべきところだけど、それでもAMTRACK(高速列車)で3時間かかります。
 シャーロッツヴィルは、びっくりするぐらい美しい、花と大学の街でもあります。
 ここへワシントンの高官たちが車でさぁーっとやって来て、国際会議が始まりました。

 アメリカ合衆国の広さと、それからパワーや豊かさもあらためて感じます。


▼きのうは、東京の自宅を日本時間の4月2日早朝6時50分に出て、ここのヴァージニア大学系のホテルの部屋に入るまでにかかった時間が、実に21時間。
 予想をはるかに超えて、遠かった。

 遠いというかねぇ…。そりゃ距離もあるけど、例によってスムーズには行かないためも大きい。
 ワシントンのダレス空港にANAで着いて、そこからユナイテッド航空のプロペラ機に乗り換えて飛び立とうとしたら「離陸許可に必要な書類が届かない」という首をひねる理由で、笑えるほど狭い機内に長時間、閉じこめられてから、やっとこさ飛び立ったり、これもまた、いつも通りのアメリカです。


▼時差ぼけは起きない体質になっているはずが、ふだんの疲労もどっと出て、眠い、眠い、眠い。

 だけども、きょうの会議を考えると、地下鉄サリン事件を英語でおさらいしておかねばならないから、こうやって真っ暗なホテルの庭を見ながら、起きてます。
 同じホテルにいる独研の主任研究員や、ワシントン駐在員も、きっと眠らないで奮闘してると思います。


 

いちばんめ     *アメリカ短期出張 その3

2006年04月03日 | Weblog



 機内で考えたことが、もう一つあります。

 こうやって海外出張に向かう機中でも、ぼくはいつも仕事でいっぱいです。
 それは、この地味サイトにふだんから来てくれている人なら、みなさん、ご存じ。
 そして、ぼく自身も、それは別段、かまわないのです。

 若い時代にたくさん、たくさん怠けたので、いまが忙しいだけです。
 神さまはすべてを見てらっしゃるから、ちゃんとバランスをとって今を忙しくさせているだけなので、この凄絶と言いたくなるような異常な忙しさも、実はごく自然なことなのです。

 ワシントンDCのダレス空港に飛ぶ機中で考えたのは、それではなくて…
 いつもぼくは目の前の仕事を優先させてきました。
 今だったら、まず、ワシントンDC近郊で開かれる安全保障会議の準備ですね。
 そりゃ、その会議に出るためだけに、この飛行機に乗っているのだから。

 会議で議題の一つになる、地下鉄サリン事件への見解をまとめること。
 アメリカ側から示されているAGENDA(議事進行)を頭に入れること。
 パネル・ディスカッションで一緒に舞台に上がる人たちの経歴や主張をチェックすること。(ブレア英首相の現職のスポークスマンも居ます!)

 それから、週刊誌から頼まれている原稿、会員のみなさんが配信を待ってくれている会員制レポート「東京コンフィデンシャル・レポート」の原稿、共同通信を辞めてもう8年3か月が過ぎたのに、いまだに共同通信のために書いている連載原稿。

 それに、出版が遅れているノンフィクションの本の、書きかけ原稿。
 5月の連休明けに、完成稿を編集者に渡す「最終約束」をしているから、もう待ったなし。
 さらに、政府機関から委託された研究プロジェクトの報告書。
 これは、独研からすでにドラフトとして、その政府機関に送ってあるけど、いずれ手直しが必要になるかも知れない。

 機中でのぼくのモバイル・パソコンには、これだけの文書が開かれています。

 なぜ、いちばん書きたい小説の書きかけ原稿が、開かれていないんだろう。
 こうやっていつもいつも、ほかの仕事を優先させて、小説を書くことを後回しにするなら、一体いつ書きたいものが書けるのだろう。
 いま書かないで、いつ書くのだ。

 機中で取り組んでいる仕事で言うと、まず「東京コンフィデンシャル・レポート」は、書きたい。
 会員のみなさんが待ってくれている!
 ぼくと独研を、まさしく支えてくれているレポートなのです。

 安保会議の準備も、必ず、充分にやりたい。
 この会議へ、ぼくと独立総研の主任研究員が公式招待されるまでに、この主任研究員が尽くした努力を考えると、いい結果を出したい。
 それに、日本国民をテロリズムから護るうえで、これ以上はないぐらいに大切な国際会議になる。

 共同通信は、ぼくを育ててくれた。
 だから恩返しと思って、共同通信の社員と同じ原稿料で、ずっと毎週、毎週、3本の原稿を書き続けている。

 週刊誌の原稿は、なんともう20年以上書き続けていて、とっくに、やめるべき潮時は来ている。
 独研の秘書室は、ぼくの忙しさに日々、直面しているから、独研の研究本部も、社長の力を取られるのは困り果てるから、みな声をそろえて「やめてください」と言っている。
 だけども、ぼくが降りると編集者が困ると思うと、踏み切れない。

 ノンフィクションの本も、ぼくの講演を聴いてくれる人を中心に、ずいぶんと待ってくれている人たちがいる。
 編集者も、考えられないぐらい辛抱強く待ってくれた。「最終約束」は絶対に裏切れない。

 研究プロジェクトの報告書は、もちろん完成度を徹底的に高めねばならない。

 だからね、小説を書くのも、ほかの仕事と同時進行で、やるっきゃない。
 だけどね、せめて同時進行でやらないと、永遠に小説は書けない。

 小説だって、編集者が待ってくれているし、ほんの少数だけど、待ってくれている読者もいる。
 単行本として出版された小説「平成」のあと、なぜ書かないのか、みなが首を傾げている。

 なぜ、いつもいつも、小説以外の仕事が最優先なのか。
 それはたぶん、小説をいちばん書きたいから。
 いちばん、やりたいから。
 いちばんやりたいことを、いちばん優先させると、悪いと思ってしまうのだ。
 小説もプロとして書いている。
 純文学として「平成」を仕上げて、文藝春秋から出版したのは、もちろんアマチュアの世界ではない。
 プロとしてデビューしているのに、まるで自分の趣味を優先させちゃ悪いみたいに思って、いつも先送りする。

 これは、間違いだ。

 機中でそう思いました。
 ワシントンDCのダレス空港まで、あと1時間ちょっと。
 窓から、海と、アメリカの地方都市がみえています。
 ナイアガラの滝の近くです。
 地方でも、日本の倍くらいの幅の高速道路がどこにも走っていて、たとえば中東へ飛ぶ機中からみる光景とは、あまりに違います。

 だけども、こうやってワシントンDCやニューヨークに向かう飛行機に乗っていると、2001年9月11日、テロリストにハイジャックされた飛行機に乗り合わせたひとびとの気持ちがいつも胸に迫ります。
 その飛行機は、二度とひとびとを地上に降ろすことなく、超高層ビルや、国防総省の五角形のビルに突っ込んでいきました。

 写真は、さっきと同じ場所の花です。
 なんとなく、これがいちばん、ふさわしい写真なんです。



個を生きる     *アメリカ短期出張 その2

2006年04月03日 | Weblog



 アメリカの首都ワシントンDCから、プロペラ機で30分ほど南へさがったあたり、シャーロッツヴィルという美しい街にいます。
 ここのヴァージニア大学の会議場などを使って、テロに立ち向かうための国際会議が開かれます。

 アメリカ東海岸へ向かうとき、ぼくがいつも乗る飛行機は、陽のあるうちはひたすら太平洋の上を飛び、アメリカ大陸に入るころは真っ暗です。
 だから、あまり外は見ません。
 ヨーロッパへ向かうときは、陽のなかでシベリア上空を飛ぶので、白い大地に大河がうねり、吹雪がすさぶなかで軍事基地らしいものが見えますから、外に目を凝らします。
 だけど、アメリカ東海岸行きでは、仕事のパソコン画面と、機内テレビの映画ばかりです。

 今回はふと、飛行機がアラスカのジュノー上空あたりを過ぎるとき、窓のカバーを開いて夜空を見ました。
 凄絶なまでの数の星が埋め尽くしていました。

 日本を発つとき、成田空港の混雑のなかでまたしても体験したバッドマナーのことを、すこし考えました。

 パスポート・コントロールのカウンターへ向かう列のなかで、自分のグループだけで騒ぎ、止まってしまって進まなかったり、肩を人にぶつけても気づかなかったり、後ろへ下がり、横へ広がり、自分たちの集団以外は「人」ではないように振る舞う、ひとびと。

 ところが、どのひとも一人でいるときは間違いなく、善良で礼儀正しいのだろうと思うのです。

 わたしたち日本国民は、なぜ集団、グループになると、外の人が見えなくなるのか。
 マナーの問題だけでは済まない、根の深い問題に繋がっているのかも知れません。
 そしてこれは、日本国民だけではありません。
 ぼくが海外で体験する限りで言えば、中国や韓国といったアジアのひとびとに、怖いぐらいに共通しています。
 ぼくは、集団で海外を旅している日本、中国、韓国の人々をみると、とりあえず逃げ出してしまいます。
 ぼくも日本国民、アジアの一員なのにね。
 それほどまでに、集団になったときの振る舞いが、ひどい、恥ずかしい。

 わたしたちは一体、何者なんでしょうか。
 個人では生きられないのでしょうか。

 独立総合研究所、この名前にある「独立」、INDEPENDENCYには、さまざまな意味を込めています。
 ここに述べたことも、関係があります。
基本的には、「いかなるヒモも付いていないシンクタンク、いかなる利害関係からも自由に、自立して、社会と祖国と世界に、ささやかに寄与するシンクタンク」という意味です。
 だけども、もっと、に・ん・げ・ん的な意味合いも、ほんとうは、こっそりと込めているのです。
 そして、わたしたち日本国民ひとりひとりの自立があって初めて、この祖国のほんとうの独立もあるのではないでしょうか、という問題提起も、込めています。

 この独研には、政府や自治体、民間企業から出向や研修の形で、人材を受け入れる制度があります。
 そのなかに、沖縄電力から1年間の研修で来ている32歳の女性がいます。
 沖縄電力では、会長秘書や、アメリカ軍への営業などで実績を積んできた実力派ですが、ぼくはこの人を見ていて、いつも胸の奥で感嘆するのは、個で生きていることです。
 しっかりと、てらいなく、おのれの足だけで立っている、歩いているから、集団やグループに入っても、まったく何も変わりません。
 誰に対しても、ごくさらりと、しかし浅くはない思いやりを持って接しています。

 こんな日本国民が登場してきたのだから、成田空港をはじめ公共の場で、どれほどのバッドマナーが繰り返されていても、まぁ、大丈夫なのかも知れません。

 それにしても、どんな育ち方をしたら、沖縄から来た彼女のように、なるのでしょうか。
 その謎を知りたいのですが、彼女の話からは、ごくふつうの家庭の姿が浮かぶだけです。

 ご両親の工夫と努力の「成果」なのか、それとも天のくださった「奇跡」なのか。
 はてさて。



 写真は、その沖縄でぼくが撮った、道ばたの花です。
 うしろの葉っぱを見て分かるように、ごく自然に咲いた花です。



ふたたび、外へ     *アメリカ短期出張 その1

2006年04月02日 | Weblog



 いま再び成田空港にいます。
 アメリカのワシントン近郊で、歴代のホワイトハウス高官らがずらりと勢揃いして安全保障やテロへの備えを討議する、初めての国際会議が開かれます。
 その会議に、日本からは、ぼくと、独立総合研究所の主任研究員の二人だけが、公式招待されました。

 ぼくは、会議の前半だけの参加です。
 関西テレビの新しい報道番組「ANCHOR」が始まるので、第1回の出演から休むわけにはいかず、たくさんの話し合いを関テレや、それからアメリカ側とおこないました。
 その結果、「ANCHOR」はレギュラーの水曜出演を、今週だけは木曜にして出演する、国際会議はぼくの参加を前半だけにして、後半は独研の主任研究員とワシントン駐在員がカバーすることが決まりました。

 まぁ、早い話が、ぼくは飛行機に乗っている時間のほうが長いような、凄まじい日程となりました。

 だけど、そういう疲れよりも、例によって日本の空港でのバッドマナーのほうが疲れます。
 春休みシーズンということで、成田はたいへんな混雑です。
 それはいいのだけど、たとえばパスポート・コントロールで並ぶ列で、団体の人や、日本の若い女性のグループ、アジアの女性を連れた日本の男性、そうした人々が自分たちのおしゃべりに夢中で、前へちゃんと進んでくれないのですね。列を乱して騒ぐことも、当たり前のようです。
 それでいて割り込むときには、決死の勢いで割り込みます。
 自分たちが何をしているのか、自分のグループから外へ出てみれば、どうみえるのか、それがなぜ分からないのかなぁ。

「この国を愛している。だけども、この国は愛するところを探すのが、なかなか難しい国でもある」と思ってしまうのです。
 おおくの心ある人が感じることでしょうね。

 それはともかく、行ってきます。
 そして、あっという間に、帰ってきます。
 会議では、日本国民と、そして世界のふつうのひとびとがテロをはじめとするさまざまな脅威から自由に生きられる世になるよう、すこしでも寄与してきたいと思います。

 写真は、成田空港のラウンジです。
 同行の若き主任研究員が、撮ってくれました。