Our World Time

太平洋へ飛び立つまえに その2 (その1から読んでください)

2010年04月30日 | Weblog
【この個人ブログとネットをめぐって】

▼ぼくの庭である「ON THE ROAD 道すがらエッセイ」のコメント欄のあり方について、ぼくなりの考え方を先の書き込みで示しました。
 その書き込みに、250件を超える多数のコメントが寄せられています。それらを読ませていただいたうえで、以下のように決しました。相談したひとは、誰もいません。

 今回の、この書き込みをアップすると同時に、コメントを承認制にします。
 今後もコメントは自由にできますし、ぼくは、猥褻コメント以外はすべて読みます。
 しかし、すぐにコメント欄には反映されないことになると思います。寄せられたコメントのうち、ぼくがコメント欄にそのまま登場していただこうと考えたコメント、つまり庭にさりげなく置こうと考えた草花だけが、反映されることになるでしょう。

▽そのわけと経緯 その1

「この個人ブログは、ぼくの庭です。家の内とは違い、社会に対して開かれています。それと同時に、あくまでも個人のささやかな空間であり、すくなくとも半ばはプライベートな場所です」という趣旨には、やはり沿わない実状もコメント欄にはあるなぁと考えます。
 どなたがどうというのではなく、これまでのような完全開放を、まことに残念無念ながら打ち止めとすることを、まず決しました。

▽わけと経緯 その2

 ぼくの本心は、できればコメント欄の完全開放を、これからも続けていくことでした。
 それを諦めると決めたとき、「二者択一しかないのでしょうか」という問いかけを含んだコメントは、ぼくをあらためて考えさせました。
 そして、先の書き込みで「コメント欄をすべて閉じるか、あるいは、個人ブログそのものを永遠に閉じるか、どちらかしかありません」と記したことを、省みて、撤回することを決めました。
 コメント欄を閉じずに、承認制で続け、それによって個人ブログも続ける。
 これが結論です。

 先の書き込みで、「猥褻書き込み以外は、特定の書き込みを削除することはしません」と記しました。
 削除して、誰にも読ませないようにすることは、しません。
 寄せられたコメントは、ぼくが読みます。ぼくの庭への訪問者ですから。
 そのうえで、訪問者の持ってこられた草花は、ガーデニングの常として、恐縮ながら選んで置かせていただきます。
 しかし置かない草花は、折って捨てるのではなく、ぼくの家の内、胸の内には、とっておきます。いろいろな人の思いがこもっているのですから。

 そうやって、コメントを選んで置くことを、すぐにできるとは全く限りません。
 ぼくの仕事の数々について、信頼と負託に応えられるよう、こなしていくことが優先です。
 だから、時間がたくさんかかってから、コメント欄に反映することも起きると思います。コメントされるかたは、それをご承知のうえでお願いします。


▼コメント欄をこのようにすることと合わせて、ツィッターに参加するどうか、検討を始めます。
 これまで「ツィッターをやってほしい」という要望は、ずいぶんといただきました。
 仕事と生活の現状からして、きわめて困難ですから、これまでは検討もしていませんでした。
 ただ、コメント欄の問題をみなさんとともに考えているとき、この砂粒のような存在のぼくと一緒に歩きたい、というお気持ちを感じることがありました。
 だから、検討を始めます。
 ただし、ツィッターに参加するかどうか、それはまったく分かりません。無理があることはありますから。


▼新刊の「ぼくらの祖国」の現況についても、お知らせせねばなりませんね。
 ほんらいは、3月末までに、つまり新入学や新学年までに出版したかったのです。
 これは初めて、日本の子供たち、小中高生と、その親のかたがたや先生に語りかける本でもありますから。
 それで、ずいぶん無理に無理を重ねて執筆したのですが、ついに時間切れとなりました。
 ちなみに、ぼくはこのとき、ほんとうに疲弊しました。生涯でもっとも疲弊したと言っていいと思います。顔も変わってしまいました。

 そのあと、すこし執筆ペースをまともなペースに落として執筆を続けていて、疲労も取れはしないですが、ふだんレベルの疲れになりつつあります。顔つきは、ふだん鏡をあまり見ないので分かりませんが、もう元には戻らないかもしれませんね。

 その後も、仕事があまりに重層的に積み重なっていて、書く時間がなかなか取れず、苦しんできました。
 そこで、このゴールデンウィークは、アメリカ太平洋軍と「中国海軍の西太平洋進出」について議論するために出張しますが、その出張中に、とにかくふだんにない時間をつくって書いて、連休明けと同時に、全文を版元の扶桑社の編集者に渡す予定です。
 6月中に書店に並べることができればいいなと思っています。

 この書き込みの冒頭の写真(その1の冒頭)をご覧になって、「お、出たのか」と喜んでくださったかたも少なくないでしょう。
 これは実は、表紙と装丁の見本として扶桑社が作ってくれたものです。
 ページを開けると、真っ白なのです。
 だけども、この見本は、めげそうになるぼくを励ましてくれました。
 今回の海外出張中も「ことしもまた、連休もまったく休めないんだ」という気持ちを、さらりと乗り越えられるよう、ぼく自身への励ましのためにも、この見本の写真を撮って、アップしました。

「ぬか喜びをしちゃったよ」というかたも、きっといらっしゃるでしょう。
 そういうかたには、こころから、ごめんなさい。

 この新刊のデザインは、「日中の興亡」、「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」(いずれもPHP)と同じく、ぼくが提案しました。
 それをプロフェッショナルなデザイナーが、発色も美しく仕上げてくださいました。
 帯の言葉も、上記の前著、前々著と同じく、ぼくが書きました。


▼お知らせの最後は、ブルーリボンについてです。
 みなさんがよくご承知の通り、ブルーリボンは、拉致被害者を最後のひとりまでこのわたしたちの祖国に取り戻す運動の、鮮やかな象徴です。
 だけども、ぼくはこれまで終始一貫、こう申してきました。
「ブルーリボンを胸に付けているひとと、ブルーリボンを知らなかったり、あるいは付けたくないひとの、あいだに立って、非力ながら仲立ちをいたしたい」

 実際には、ふだん着のセーターの上などにはブルーリボンをひっそり付けて外出することもあったのです。ほんとうの思いは、ブルーリボンを付けているひとと同じですから。
 ただ、たとえば横田めぐみちゃんのご両親、有本恵子ちゃんのご両親をお迎えして2008年12月1日に大阪の中之島公会堂で「大阪ブルーリボンの会」が開いた集まりで講演したとき、このようなときには逆にブルーリボンを付けませんでした。
 そして講演の始まりのあたりで、なぜブルーリボンを付けないか、それは付けているひとと付けていないひととの橋渡しを、僭越ながらいたしたいからだと述べました。
 講演に来てくださった、びっくりするぐらい沢山のひとや、それからこの講演をDVDで聴かれたかたには、覚えていらっしゃるひともいるでしょう。

 しかし、とうとう、そんなことを言っている場合ではなくなってきました。
 わたしたちとまったく同じ日本の主人公が北朝鮮に奪われたまま、忘れられは決してしないけど、まるで忘れられたかのようになる怖れが、現実のものとなっています。

 そこで、ぼくは姿勢を変えて、ブルーリボンをこの出張から付けます。


▼かなり長い書き込みになりました。
 書き始めは、4月29日、昭和の日の朝5時半ごろだったのに、今はもう、4月30日の夜7時が近づいています。
 仕事をしつつ、合間あいまにこのブログのエントリーを書き溜めて、今、成田空港にいます。
 アメリカ太平洋軍と議論するアポイントメントが、極端なショート・ノーティス(短兵急な申し込み)にもかかわらず、さまざまな立場のかたがたの友情によって、どうにか確定し、これから夜のフライトに乗り込みます。

 最後の写真は、なんでしょう。
 これは、ぼくが「零戦五五型」と名づけた飛行機のフライト前です。
 先日に熊本で若手経営者のために商工中金がひらいた講演会で、つたない講演をし、そのあとの懇親会で、明治20年創業という「浜田醤油」の若手社長、濱田康成さんが「父は特攻の訓練を受けているうちに、敗戦となったひとです。エアロスバル(名高い日本の軽飛行機)に零戦とおなじ塗装をほどこして、空を飛んでいるんです。明日の朝、帰京される前に飛びませんか」と思いがけない提案をされました。

 即、お受けして、翌朝に濱田社長の車で熊本空港に向かうとき、若社長が運転しつつ「おやじは、16歳で祖国のために死のうと決意したときと、おんなじ気持ちでいるんだと思います。少年のままの純粋さを持っているんですよ。だから、青山さんに乗って欲しかった」と問わず語りにおっしゃいました。

 なんという素晴らしい言葉でしょう。こんなことを息子に言ってもらう父上は幸せですね。

 そのエアロスバルに近づくと、お父さまの浜田醤油会長、濱田定勝さんは、熱心に出発準備をなさっていました。
 元は熊本大学航空部の監督でもあり、この帝国海軍の少年航空兵は、80歳代も半ばの今も、すらりと背筋が伸び、若々しく毅然としていらっしゃいました。

 ほとんど一瞬で意気投合し、ぼくは、この世界にただ一機のエアロスバルを「零戦五五型」と勝手に命名してしまいました。
 ね、お父さん、それを許してくださいましたよね。
 零戦、ゼロファイターは、その三菱五四型を最後の「試作機」として実用化しきれないまま、すなわち抜本改革を遂げないまま、戦いに敗れたのです。

 この少年航空兵に帝国海軍の敬礼をお願いすると、写真のように、まことにきりりと敬礼をなさいました。
 ぼくは、硫黄島を訪ねた翌日にお会いした、硫黄島でわたしたちのために戦った帝国海軍の金井啓さんを思い出し、胸の内で涙しました。
 ぼくは「60年以上も、おまえたちは硫黄島の戦いを忘れていたじゃないか」と叱られるために、御年82歳だった金井さんをお訪ねしたのに、金井さんはただの一言も怒らず、3時間にわたって、ぼくと話してくださいました。
 そして、お別れし、車に乗ったぼくが遠ざかり、金井さんはそのお顔に『あぁ、青山さんはもう見ていないな』という表情を浮かべられた、その瞬間に、きりりと敬礼をなさいました。

 その謙虚な美しい姿勢に、ぼくはふたたび落涙したのでした。




太平洋へ飛び立つまえに その1 (こちらから読んでください)

2010年04月30日 | Weblog
▼すべてのかたがた、おはようございます。
 いま4月29日木曜の朝5時27分です。

 東京は静かな朝です。曇り空です。けれども、うっとうしくはありません。遠い青空がうっすらと、雲の向こうにはみえています。ふしぎに清潔な空です。
 昭和天皇のお生まれになった日にあたり、あらためて先の陛下への深い敬愛と感謝を、ささやかに捧げます。


▼いくつか、とりあえずの(仮の)お知らせがあります。
 とりあえずのお知らせではありますが、たいせつな知らせもあります。


【ネット動画およびTV番組】

▽かねてから試験版をアップしていたネットテレビの『青山繁晴.TV』(青山繁晴・ドット・ティーヴイー …という、こっぱずかしい名称です)の本番が、4月28日の夜に始まりました。

 こちらから飛べます。http://www.xn--rhtw6ui2tl3w.tv/
 そのまま「青山繁晴.TV」とグーグル検索に入れていただいても出てきます。この場合は「青山繁晴」と「TV」のあいだにドットをお忘れなく。

「試験版は無料サイトだけど、本番では有償になるのじゃないか。それは良くないですよ」という趣旨で心配されるEメールやコメントを少なからずいただきましたが、ご心配なく、ぼくも同意見でしたから、完全に無料のサイトです。
 志のあるスポンサーの支えだけによって、サイトの維持を試みていくことになります。

 短くはない準備期間を経て、本番がいよいよ始まったのですが、残念ながら、すこし不具合があります。まだ一部、未完成な部分があります。
 たとえば…各テーマ別に、話が途中で終わっているようにみえます。
 実は、そのテーマごとに、続々と後編を重ねていくスタイルなのです。ところが、「これで終わり」( The End )じゃなく「続く」( To be Continued )であることが、視聴者には分かりにくくなっています。
 続編のあることが分かるように、改善したいと思います。

 また、支えてくれるスポンサーへのリンクも、まったく未完成です。

 一方で逆に、ぼくとしてはリンクすることを必ずしも望まないサイトにリンクするように、提携会社がリンクを(ぼくと独研の諒解を経ずに)設定してしまっているので、提携会社に修正を申し入れています。
 この修正はすぐに成されるかもしれないので、この書き込みをアップする頃には、この一件に関しては問題解決となっているかもしれません。

 このように、まだ未完成のスタートとはなりましたが、まずは、よろしければアクセスしていただいて、ぼくがいったい何を話しているか、どんな問題意識をみんなと共有したいと拙(つたな)いなりに訴えているか、ちらりと視てみて、聴いてみていただければと、願います。
 また、試験版も従来通りに、YouTubeで視ることができます。
 試験版と言っても、ぼくは手を抜いたわけではありません。下手くそながら、全身全霊で話しました。


▽次回の水曜アンカー(関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー」の水曜日版)は、番組自体がお休みです。5月5日水曜ですね。
 ぼくはこれを活かして、急遽、海外出張を準備中です。
 ただ、ふつうならアポイントメントに最低でも6週間以上かかる相手方に、「中国海軍の西太平洋進出などについて議論する」ためのアポイントメントを申し入れていて、実現できるかどうか未確定な部分もあります。
 このアポイントメントが未確定でも、ほかに取材したいところ、ぼくがふだん講演で触れている場所で再訪したいところがありますから、4月30日に出発することは、決しました。
 こうした成果を、5月12日水曜以降の水曜アンカーや、近く出版予定の新刊「ぼくらの祖国」(扶桑社)の仕上げなどに活かしていきます。

 それから、こないだ久しぶりにTVタックルのコメント収録がありました。
 長寿番組のTVタックルは多くのディレクター陣を擁していますが、そのなかでも、志のある人だなぁ、よく勉強なさっているなぁと、ぼくがかねてから思っているひとが、たいへんに久々に収録に来られました。
 予定通りであれば、5月3日月曜の放送で、流れるのではないかと思います。

 TBS系列(毎日放送制作)の「知っとこ」は、今週の土曜は出ないと思います。まだ収録がありませんから。

 これらTV番組について、こちらから働きかけることは今まで一切なかったし、これからもありません。
 ぼくはTVタレントではありませんから。
 一方で、志には、いつでも応じます。
 志のある人はすべて連帯する、それだけが、わたしたちの祖国の再生をいつか実現すると、強く信じていますから。


▽CS放送の日本文化チャンネル桜で、新番組「青山繁晴の答えて、答えて、答える」がスタートしていることは、ご存じのかたもいらっしゃるでしょう。
 チャンネル桜は、無料でもご覧になれるようにしてくれています(SakuraSo TV)
 たとえばhttp://www.so-tv.jp/channel/title/channel_number_cd/00001/program_regist_no/00001030120100416-12713838038985

 これは、みなさんからチャンネル桜に直接、寄せていただいた質問の数々に、これも直接、答えるという番組です。
 質問にとことん答えていきたい、どのような分野でも答えられる限りは答えていきたい、という気持ちは、ずっと前から育んできたので、この収録は重い責任を感じつつ、すこし愉しいです。
 チャンネル桜の、穏やかな人柄に剄(つよ)い志を秘めたディレクターの井上敏治さんらの最初のオファー(お申し出)は、このように質問に答える番組を創りたい、というのではなく、とにかく参画してくれませんか、というオファーでした。
 ぼくは正直、最初は「無理じゃないかな」と思いました。もう日程も時間もいっぱい、いっぱいですから。

 だけども、まず独研(独立総合研究所)の、いざというときだけ極めて簡潔に考えを述べる自然科学部長(メタンハイドレートの研究・開発に取り組む科学者、Phd.海洋音響学の博士。日本の既得権益と真正面から戦い、中国や韓国の日本の海への浸食とも洋上で、非武装の研究船で戦っている江戸っ子の女性)が「社長、やるべきです。たとえば海上自衛官もみてくれて、しっかり考えると思います」と言いました。
 ぼくも、チャンネル桜の苦闘、そして健闘をぼくなりに受け止めたかったのと、ふと、「すべて質問に答えるという番組なら、一からつくってみたい」と考え、チャンネル桜に提案してみたら、よしっ、そうか、それで行きましょう、という感じで諒解してくれたのです。

 番組タイトルについては、チャンネル桜からは別案がいくつか提案されました。
 ありのままに言って、その別案は「青山が暴く」みたいな感じのタイトル案が多かったのです。ぼくは暴くために、発信しているのではありません。
 ぼくはディレクターに「徹底的に答えて、答えて、答える、それをやりたいのだから、そのまま番組タイトルにしたい。これしかないと思います」と応えて、それを認めていただきました。

 この番組の収録も、続いています。
 いっぱいいっぱいの日程のなかで、数時間を空けて、まとめ撮りをしますから、ぼくは文字通りに精根尽き果てます。
 しかし、この番組の視聴者から寄せられる質問のレベルの高さに驚き、こころの奥から励まされています。
 凄いですね、みなさん。
 それも、番組の放送が始まる前にいただいた質問よりも、放送が始まったあとに現在、いただいている質問はさらに質が高くなっています。
 ぼくは、ちいさな砂粒のような存在の男ですが、ささやかな信念として社交辞令、お世辞のたぐいは言いません。


▽それから、先日にある旧知の代議士のパーティに友情として顔を出し、求められるままに挨拶に立ち、日本政治への願い、怒り、祈りをそのまま述べました。
 すると、パーティに参加されていたかたがたが「話をしたい」と集まってこられ、そのなかに気品ある女性がいらっしゃって、「わたしは、既存メディアにはない情報を発信するためのネットTVをやっていて、いろいろな方に無償で出てもらっています。青山さんも出てくれませんか」とおっしゃいました。
 名刺をみると、「超人大陸」とありました。
 恐縮ながら、ぼくは知らなかったけど、そのパーティに友情で参加していたこともあって即、OKしました。
 あとで、ぎゃー、独研の秘書室はまた日程調整に困惑するだろうナァと思いましたが、いったん約束したら、よほど特別な事情がない限りは変えられません。

 そして、最初の収録で、ぼくはこれまで一度も話さなかった独研へのまことに卑劣な、あるいはほんとうに間違って思い込んでしまった?ための中傷について、真情を述べました。
 超人大陸のスタッフ陣によれば、フェアな強い反響があったそうです。
 そこで、2度目の収録に来られました。
(ぼくは知りませんでしたが、この「超人大陸」のサイトに「青山繁晴の熱血トーク」というコーナーができてしまっているそうです。ぼくは正直、自分の話が「熱血」とは思っていないので、うーむ、とは思いましたが、それは超人大陸のスタッフのかたがたの解釈であり、訂正することでもありません)

 ぼくは、その2度目の収録の日、講演と講義も複数、テレビやネットTVの収録も複数、独研社長としての業務もたくさん、という凄絶な一日で、その長い一日がふつうならもう終わっているような遅い時間帯での収録でしたから、ほんとうに疲弊していました。心身をふり絞りました。
 そのまえに、独研の自然科学部長が「海の王国」という素晴らしい名前のコーナーのために収録しました。

 実は、この超人大陸、ぼく自身はまだ自分の収録分を視ていないのです。
 ひとによっては、ご自分の動画とかTV出演の録画を熱心にご覧になるかたも少なくないですが、ぼくは自分の画像なんて気持ち悪くて見る気がしません。
 だから、どんな具合でアップされているか分からないので、この個人ブログで何も触れませんでしたが、超人大陸のスタッフによると「生き方を変えようと思った」という趣旨のコメントが次々と寄せられるというので、そのコメント欄「THEVOICE」を、ちらりとだけ拝見してみました。

 すると、「無給でもいい。青山社長の下で働きたい」というコメントに思いがけずぶつかり、不覚にも落涙しました。そこで、この地味ブログにもURLをアップしておきます。
http://www.choujintairiku.com/top3.html

真夜中の空を見つつ  (熊本に着いてから、すこし補足したり書き直しました)

2010年04月20日 | Weblog


▼ぼくは、この個人ブログのコメント欄を完全開放していることについて、2009年6月2日の未明に、すでにお話しをしました(下掲)。
 そのように書いた以上は、それぞれのかたの見識に待つべきだと考えます。

 この国の唯一の主人公であり最終責任者である国民に、立場や考えの違いを超えて信頼を置くことを、ぼくは基本にしてきたのですから。

 中傷も、宣伝か、それに類する書き込みも、みずから見識を発揮されることを待ち続け、それが実現しないことに、いくらかは落胆する思いです。
 そして、ぼくがこうやって、あらためて述べねばならないことを、いちばん深く悲しみます。


▼しかし、猥褻書き込み以外は、特定の書き込みを削除することはしません。
 なぜか。
 それをすれば、ぼくにもいつかは、判断基準のぶれが生まれるからです。

 最初は、あまりにアンフェアな、誰からみても公平さを欠く書き込みなどに絞って、削除するでしょう。
 しかし、ぼくも人間ですから、やがては、とにかくおのれに都合の悪い書き込みはみな削除するようになる可能性があります。
 にんげんの弱さをみつめて生きるのは、物を書く人間としての根本姿勢です。

 また、ぼくの仕事が多層的のうえにも多層的に重なりあい、そしてすべてがリアルタイムの対応、それも完全な仕事を求められる現状からして、コメントの中から選んで削除する物理的な時間が、まったく取れないことも十二分にあり得ます。
 しかし、そんな実状は、独研(独立総合研究所)の秘書さんや役員でない限り、どなたも当然のこととして把握できませんから、「なぜ削除されないんだ」という誤解にも、きっとつながります。
 では、誰か他者に管理させるか。
 いえ、ここはぼく個人のこころの庭ですから、そんなことはしません。


▼したがって、みなさんそれぞれの見識によって改善することがないのならば、コメント欄をすべて閉じるか、あるいは、個人ブログそのものを永遠に閉じるか、どちらかしかありません。

 ぼくは、硫黄島の英霊のかたがたと、白梅学徒看護隊の少女たち、それから亡き父をはじめとするご先祖さまに清いお水と、深きも深い感謝と、ささやかな誓いを捧げるのと同時に、京都の広隆寺に半跏思惟のお姿でいらっしゃる弥勒菩薩に、祈りを捧げています。
 修行者でもある弥勒の汲めども尽きぬ微笑に込められた、赦しのこころを、忘れないために。
 悲しみ、落胆はしても、どなたも憎みませぬ。

 コメント欄の完全開放を続けるのか、コメント欄かブログそのもののいずれかを閉じるのか、その判断も、なるべくゆるりと、ゆっくりと致したいとは思っています。
 最後の最後まで、それぞれのかたにこそ、期待したいですから。


▼写真は、ぼくの書斎に掲げてある弥勒菩薩(みろくぼさつ)のお顔を撮りました。
 いまリビングで、暗い空を見ながら、この書き込みをやむを得ず書いていますから、書斎は明かりを付けていません。
 そのまま撮りました。





(かつての書き込み)
 
それぞれの庭、みんなの庭
2009年06月02日 04時07分33秒


▼今さら言うまでもないことですが、ここは、ぼくの個人ブログです。
 外からそのまんま、すべて見えるけれども、あくまで個人の居宅に付いている庭です。
 どなたか、よその人の庭ではありません。

 個人の居宅の庭は、居宅の内側とは違って、外から見えるのであり、社会にも開かれています。その意味では、社会全体の眺めをつくる、みんなの庭の一部とも言えるでしょう。
 しかし、あくまでそれぞれの個人の庭ですから、よその人がご自分の庭のようにふるまうことは、できません。

 どなたかが、みんなに興味を持ってもらいたいサイトなどに誘導なさりたい場合、あるいは、ご自分の思想を長い文章で主張なさりたい場合は、ご自分のブログやサイトにURLや主張をアップされるのが筋ではないでしょうか。


▼この個人ブログのコメント欄は、なるべくオープンにしておきたいと考えていますが、最近あまりにコメント欄が重くなり、ブログ全体がアクセスしにくくもなっています。
 古くからこの地味サイトを尋ねてくださるかたがたから、何とかなりませんか、というEメールもいただきます。

 みんなに見て欲しいサイトに誘導したい気持ちや、主張をここで長く述べてみたい気持ちは、よく分かる気がします。
 それに、上で述べたようなことは、あまりに常識的なことですから、ここまで書かずにきました。
 あえてこうして書かねばならないことに、深い疲労を感じます。


 2009年6月2日 夜明け前の午前3時40分ごろ


(かつての書き込み、ここまで)


▼きょう(2010年4月20日火曜)は、熊本で講演です。
 朝とても早い時間に出発しますから、この書き込みをすることによって、睡眠の時間がまったくゼロになりました。
 講演を聴かれるかたは、それぞれの人生の二度とない時間を割いて、聴いてくださるのだから、なるべく徹夜はせずに、いくらかでもましなコンディションで出発したかったですね。

 この地味ブログのコメント欄を訪れたどなたにも、新しい朝の訪れますように。

 西暦2010年、平成22年、皇紀2670年卯月20日 午前4時ちょうど


▼きょうの講演先の熊本に、数時間まえに着いています。
 咲き始めたツツジが美しく、雨上がりのお城のたたずまいが胸に沁みます。
 いま、そのお城の前にいます。

 熊本は、独研が有明海の海洋環境改善について熊本大学の滝川教室と連携し共同研究をしているために、ぼくらにとって特別な場所です。
 きょうの講演は、商工中金の主催ですから、その共同研究と関係はありません。
 しかし、肥後もっこすのみなさんと会うのが楽しみです。


 午後零時15分、講演直前にて。


えー、今度は一応、直前じゃなく…

2010年04月14日 | Weblog




…お知らせしておきますと、今週も土曜日朝の「知っとこ」(毎日放送制作、TBSネット)にコメント参加(出演)するようです。
 収録が木曜日に、独研(独立総合研究所)の社長室であります。

 何度か書きましたように、この番組は、かつての「ぶったま」(関テレ)と同じく、放送される曜日が、みなさんの視やすい週末です。時間帯も朝ということでは似ています。そして制作スタッフも重なっています。
 だからコメント出演でも、この個人ブログでもお知らせしてきました。
 もう3度目ですから、お知らせするのは今回限りにします。
 これからも、ときどき、あるいは、たまに、コメント参加があるかもしれません。


▼いま、大阪の定宿ホテルにいます。
 東に面した窓から、げんきな朝陽が大阪の街いっぱいにあふれているのがみえます。
 咲き残りの桜も、胸に沁みます。
 部屋の中には、ホテルのスタッフの心づくしで、ミニテーブルの上と、洗面台に花が置かれています。
 ぼくが部屋に入ったら、桜も見に行けなくて、籠もりきりで電話とEメールで取材したり、原稿を書いていたり仕事ばかりだということを、ホテル・スタッフたちも知っているようで、この心づくしです。
 ストレスフルな日々のなかで、うれしいですね。

 さきほど、福岡のラジオ番組「中西清のスタミナラジオ」(RKB毎日)への電話を使ったレギュラー生出演が終わったばかりです。「ニュースの見方」というコーナーです。
 毎水曜日、仮眠あけの朝一番にナマで話すのは、正直、いくらかキツイですが、いつも聴いてくださるかたも増えている気配で、ぼくなりに懸命に務めています。
 今朝は、最後のところで、平沼さんへのありのままの思いを吐露してしまいました。

 きょうはこのあと、午後4時まえに関西テレビに入り、午後4時55分から報道番組「アンカー」の生放送にレギュラー参加します。
 ずいぶんと時間があるようですが、実際は、「青山のニュースDEズバリ」のコーナーを含めて、話す内容をめぐって国の内外へ確認取材をしたり資料をもう一度、集めたり、関西テレビのスタッフと電話で議論をしたりで、まったく時間がありません。

 夕方6時まえに生放送が終わり、同行の独研の秘書さんとタクシーに乗ると、全身がぐったりします。
 そのタクシーの車中では、モバイルパソコンを開いて、原稿に戻ります。


▼きのう火曜日は、客員教授を務めている近畿大学経済学部での平成22年度の講義が始まりました。
 新1年生を迎えての講義ひとこまと、2年生以上のための講義ひとこま、合わせて3時間、ぶっ続けです。
 あいだに10分の休みがあるのですが、学生諸君から質問を受けるために教室にとどまります。

 ことしの新1年生は、目の輝く学生がかなりたくさんいて、とてもとても、内心でうれしかった。
 そのために余計に力を込めて講義してしまって、こころの内側で疲れが出て、その疲れを外に出しちゃいけないと次の授業では、すこし無理をして、内容が上滑りになった気がする。
 学生諸君に申し訳なかったナァと、ゆうべから、これも内心ではかなり自分にがっかりしています。

 毎週火曜は、この連続授業のあと、関西テレビに入って、きょう水曜の生放送のための議論をやります。
 これは、いつも、キツイ。
 以前は4時間にもなったことがあり、この頃はさすがに改善を申し入れて、時間を前よりは短くしてもらっています。
 この議論があったうえで、きょう水曜日に、また電話で議論があるわけです。

 関西テレビ報道部の面々と、メイン・キャスターの男の中の男ヤマヒロさん(山本浩之アナ)、実物はテレビよりさらにきれいな利恵ちゃん(村西利恵アナ)も、ほんとうに誠心誠意、努力してくれるし、議論も真摯です。
 地上波のテレビは、視聴者からの眼が年々、厳しくなっているし、スポンサー離れもあって明らかに曲がり角に来ているけど、こういう努力もあります。


▼努力つながりで、写真をアップしています。
 それは、3月13日に北海道は中標津(なかしべつ)町を訪れて講演したときのことです。
 中標津のJC(青年会議所)の諸君の志に共鳴して、北方領土をはじめとする領土問題の根幹について、話してきました。

 ぼくのつたない講演に先だって、わたしたちの北方領土の択捉島で少年時代を過ごされた岩田昇三さん(千島歯舞諸島居住者連盟理事)の講演もあり、ぼくも熱を込めて聴かせていただきました。

 翌日に、中標津JC理事長の柳原雅幸さんをはじめJCのみんなと、国後島までわずか16キロの場所にある展望台など野付半島を回りました。
 そのときの写真です。
 みんなで国後島を指さしていて、実はこの写真を、いま原稿執筆中の新刊「ぼくらの祖国」(扶桑社)に載せようとしたのですが、携帯電話で撮ったために粒子が粗すぎて無理だということで、残念ながら諦め、せめてこの地味ブログに載せることにしました。

 北方領土の返還は、ちっとも進まないけれど、現場でこうやって、誰にも褒められない、本土ではほとんど誰にも知られない、何も報いはない、それなのに変わらず努力を続けている、この青年たちもいるのです。
 そして、その青年たちと連携している岩田さんのような北方領土の島民(メディアで元島民と表現しているのは、ちょっと耐え難い)のかたがたもいらっしゃいます。

 ぼくも、このわずかな命のある限りは、変わらず、その報いを求めない努力に連帯していきます。
 ぼくにとっては、ラジオ番組への電話参加も、コメントであれレギュラー・コーナーへの生出演であれCS放送であれTV番組への参加も、大学でのまずい講義も、全国での下手くそな講演も、そしていちばんプロ意識を持っている本の出版も、すべて、どれもこれも一切、その連帯として、ぼくなりに取り組んでいます。

 さらに日本初の独立系シンクタンクである独研(独立総合研究所)の社長と首席研究員を不肖ながら務めていること、インターネットTVの本放送を開始すること、本だけではなく雑誌やネットなどさまざまなメディアへ原稿を書いていること、すべてまったく同じ、その連帯です。

 ぼくにとって、ありとあらゆる、かなり種類の多い仕事はすべて、例外なく、ひとつの目的で貫かれています。
 違う目的の仕事はありません。
 ぼくらの祖国に新しい誕生をもたらし、われらのアジアと世界をよくすることに、報いなく、寄与する。おのれが生きているうちの実りは求めずに、寄与する。
 このひとつの目的があるだけです。




また直前で、しかも…

2010年04月10日 | Weblog
…ちいさなお知らせばかりで、申し訳ないけど、明日というか今日の土曜の朝、7時半から再び、毎日放送制作でTBSネットのTV番組「知っとこ」にコメントでちらりとだけ顔を出します。(東京では6チャンネル、大阪では4チャンネル)(★番組表を確認したら、今日に限り、マスターズゴルフの中継の影響で、「知っとこ」は朝8時からです)


▼コメントだけの出演は、独研(独立総合研究所)の公式ホームページでは告知しても、この個人ブログでは原則、告知はしない、ということは変わらないのですが、土曜の朝というと、かつての関西テレビ「ぶったま」という番組をどうしても思い出しますし、なにせ、この「知っとこ」は、スタッフが「ぶったま」と重なっているのです。

 前回は、放送作家が同じ人らしいということを書きましたが、実は、コメント収録に来られるディレクターも、「ぶったま」の制作に加わっていたそうです。
 その若手ディレクターから、「ぶったま」という番組名の由来も初めて聞きました。

「ぶったま」が終了した理由は、あくまで部外者のぼくの知る限りは、阪神タイガースの不調に関係していたようです。もともとは阪神タイガースの応援番組で、ぼくのつたないニュース解説のコーナーができたのは、番組開始からずっと後のことでしたからね。
 だけど、この「ぶったま」終了を惜しむEメールが今も絶えずにぼくに届くし、関西で講演すると、聴衆のかたから「アンカーは水曜の夕方で、仕事中だから視られない。ぶったまは土曜日の朝で視られるから、楽しみにしていたのに」という声を、必ずと言っていいほど聞きます。

「知っとこ」のコメント出演がその代わりになることは、まったく思いませんが、まぁ、お知らせだけは書きたくなりますね。
 みなさん、いろいろ期待に応えられなくて、ごめんなさい。


▼今回の収録は昨日の金曜に、独研の本社・社長室でありました。
 だけど、新刊「ぼくらの祖国」(扶桑社)が脱稿していなくて、ほとんど寝ていない生活がずっと続いているままなので、たぶんめちゃ、ひどい顔と声、しゃべり方だと思います。
 顔は鏡も見ていないので、よく知らないけど、声としゃべり方には、自分でうんざり。

 今回のテーマは、「中国で覚醒剤の密輸をめぐって日本人4人が死刑になったことは、日本の若いひとの覚醒剤汚染とどう関係するの?」ということで、ディレクターの質問にぼくが、そうですね、小一時間ほど答えたかな。もうちょっと短かったかな。
 いずれにせよ、放送されるのは1分半ほどだと思います。

 この事件の最大の問題点のひとつは、中国の司法・裁判制度が想像を絶するぐらい、民主主義の司法とはかけ離れていることで、4人について「北朝鮮製の覚醒剤を日本に密輸しようとした」「その覚醒剤の量は、これこれ(たとえば1.5キロ)だった」ということぐらいしか中国側から示されていません。

 だから、具体的にどのようなルートで北朝鮮製の覚醒剤が日本に入るのか、日本が把握するのが難しいし、たとえばビジネスの出張者や観光客が、みずからの意志に反して罠にはまって覚醒剤を持たされ、監視されながら空港から日本へ帰国しようとして捕まるケースがあるのかないのかも解明できません。
 しかも、上記のようなケースの場合でも、現在の中国の司法・裁判制度では、事実解明も、情状のフェアな考慮も不充分なまま死刑判決があっという間に下される懸念があります。
 今回の4人がそれに当たると言っているのではありません。当たるかどうかも確認できないのです。
 司法はもちろん、その国の主権に属しますが、国際法によれば人権をめぐる問題については国際社会から一定の関与ができます。
 だからこそ、拉致を含む北朝鮮の人権問題が、拉致の被害国である日本などだけではなく国際社会全体の問題として取りあげられているのです。

 したがって、鳩山政権が及び腰なのは正しくありません。
 4人について、どのような逮捕の経緯があり、どのような取り調べと証拠の発見があり、そして裁判においてはどのような審理が行われたかを、日本に開示するよう、中国に強力に求めねばなりません。
 実は、この鳩山政権の姿勢が、新たな悲劇を呼ぶ恐れがあります。
 なぜなら、覚醒剤など薬物をめぐって中国に今、拘束されている日本国民は、死刑を執行された4人以外にも、驚くほどの数、いるとみられるからです。ここではこれ以上は書けません。(クローズドの完全会員制のレポートでは詳細に記しました。ご関心の強いかたは、どうぞ独研・総務部に問い合わせてください。ただしレポート1本ごとの配信サービスはありません。独研・総務部の配信実務として、それは不可能です。…そして、宣伝で言っているのではありません。クローズドの場でしか記せない情報はあるのです。みなさんがご承知の通りですね)

 ディレクターは誠実なひとで、ぼくもこの真意が伝わるよう懸命に話しはしましたが、さて、短く編集されるコメントで、どれほど伝わるかはわかりません。
 せめて誤解は与えないよう願う、祈るばかりです。
 コメントは短く編集されるのが常であり、たとえばTVタックルでは2時間収録して放送されるコメントは2分ほど、ということも常識的にありました。
 それを承知で、国民のかたがたに問題提起などをいたす機会のひとつとしてコメント収録に応じているのですから、TV局の編集権によってどのように編集されても、どれほど短くても、なるべく真意が伝わるよう、ぼくはできる限りの努力を尽くさねばなりません。



ちいさなお知らせ (続き)

2010年04月05日 | Weblog


▼先ほどの「ちいさなお知らせ」は、実は大阪の伊丹空港で、羽田行きのフライトの搭乗が始まっているなか、大急ぎで、1分ほどで書きました。
 いま帰京して、必ず付け加えておかねばならないことがあります。

▽大阪府知事の橋下徹さんとのトークでは、橋下新党のこともぜひ、話したい。政界の流動化が現実に始まっている、この時期です。有権者のかたがたの関心も強いと思うからです。

▽また、ぼく自身、橋下さんの「大阪都」構想に関心があります。これも聞きます。

▽さらに、関西テレビ報道部としては「空港問題」、すなわち橋下さんが伊丹空港の廃港と関西国際空港への集約を提案していることについても、テーマとして、知事サイドに送ったそうです。
 ぼく自身は、この件は今までに関テレのことしの正月番組で橋下さんとトークしているし、その中身に大きな変化はないだろうから、あまり時間を取りたくはない感もある。
 だけど、関テレ報道部がこのテーマも入れるのは当然だし、橋下さんご自身もたぶん、話したいでしょうね。

▽そして、橋下さんが高校無償化に関連して、拉致問題について北朝鮮を厳しく批判したことも話したいと思っています。


▼伊丹で1分で書いた書き込みによって、外国人地方参政権のことしか話さないように万一、受け取るひとがいらっしゃったら、それはそうではない予定ですから、念のため上記のようなほかのテーマもあらかじめ書いておきます。


▼今回は、関テレ報道部は「青山のニュースDEズバリ」特別編と名付けています。
 そして、事前の打ち合わせや摺(す)り合わせは、ありません。見事に、ない。

 関テレ報道部から大阪府庁の広報に、「たとえばこういうテーマを考えています」と、上記の通りのテーマを(外国人地方参政権を含めて)伝えることは、したそうです。
 だけども、ぼくが橋下さんにどう聞くのか、橋下さんがどう答えるのか、その打ち合わせや摺り合わせは、ぼくと橋下さんもやらないし、ぼくと関テレ報道部ともやらないまま、あえて生放送のガチンコ勝負でやります。

 なかなか凄いですね、関テレ報道部の志。


▼志と言えば、もうひとつ、きょうは気持ちが励まされた日でもありました。

 きょう4月5日月曜日は、関西大学法学部の新入生歓迎会での講演でした。
 この地味ブログに立ち寄るかたならご存じのとおり、今ぼくは、新刊「ぼくらの祖国」(扶桑社)の原稿全文を仕上げるための執筆時間を、どうにか捻(ひね)り出すために悪戦苦闘しています。

 関西大学の学生組織、「法学部祭典実行委員会」から与えられた講演時間は、わずかに1時間。
 東京から飛行機を使って関西大学(大阪府吹田市)に往復するには、フライトタイムは短くても、羽田空港・都心間の往復、伊丹空港・関西大学間の往復、そして待ち時間などすべて合わせると移動時間は6時間を超えます。
 これに支度の時間もかかる。

 きょうは、独研(独立総合研究所)の秘書室の工夫もあって予定はこれだけだったから、もしも講演がなくて執筆に集中できたら…ということになるけど、いやいや、そうじゃないです。

 まず関大の諸君の志が、いい。
 グッと来る。
 この新入生歓迎会(法学部祭典)は、学生の自治によるものです。3年前に、ぼくにある日突然、打診が来て、もちろん即、受けました。
 そして3年目のことし、特に、集まって講演を聴いてくれた新入生諸君の眼の輝き、意識と知識の高さ、ほんとうに、ぼくは感心したなぁ。
 ぼくが社交辞令は言わないのも、知っている人は知っている(当たり前)。

 おーい、きみたち、実行委員会の諸君と、新入生諸君、きみたちのおかげで「ぼくらの祖国」という新刊を完成させる意欲が、よけいに強くなった。
 ありがとう、こころから。


▼そういうわけで、きょうの夕刻、伊丹空港にいたのです。
 講演は、1時間の予定が、1時間50分にもなってしまって、ごめんなさい、主催者もきっとたいへんだったし、聴き入ってくれたみなさんも、ほんとうにお疲れさまでした。

 飛行機は、『もう駄目かなぁ、間に合わないかな』とも講演中に思ったけど、ぎりぎり間に合いました。

 新年度に入って5日目、平成22年度の目標のひとつは、講演を時間内になるべく収めることです。
 ぼくは、朝までやってもいい。
 職業的な講演者のなかには、終了予定の時間が来れば突然に話を打ち切ってでも帰ってしまうひとが、信じ難いことに結構いらっしゃるそうだけど、ぼくは、みんなと一緒に祖国と世界を考えるために話しているから、そんなことはゆめ、致しませぬ。

 だけどね、主催者の苦労と、聴衆のかたがたの疲労を考えて、なるべく時間内に収めるよう、もっと精進します。



ちいさなお知らせ

2010年04月05日 | Weblog



▼今週の関西テレビの報道番組「アンカー」の「青山のニュースDEズバリ」は、新しい試みとして、橋下徹・大阪府知事をお迎えして、トークをやります。
 たとえば、BBC(英国)のフェアで激しい「ハード・トーク」みたいなのも、ひとつの参考かなと思います。


▼橋下さんは、外国人地方参政権についてまだ公式にはあまり発言されていないとのことですが、これも聞いてみたいと考えています。



ちょこっとだけ

2010年04月03日 | Weblog


▼あのー、あまりに直前ですが、土曜日の今朝7時半からTBSで放送される「知っとこ」という番組に、コメント録画で顔を出す予定です。

 ふだん、コメントVTRでの出演について、この個人ブログで事前にお知らせすることはないし、たぶん1分か1分半だけの短い時間だし…なのですが、この「知っとこ」は、大阪の毎日放送の制作なのです。

 そして、あの関西テレビ「ぶったま」と同じ放送作家が担当されているとスタッフにお聞きし、今はなき「ぶったま」を思い出して、すこし感慨を持ちましたから、ちょっと書き込みました。


▼いまは土曜の7時15分、新刊「ぼくらの祖国」に載せる写真をさまざまなファイルから探して、徹夜明けです。