Our World Time

父とわたし

2007年02月21日 | Weblog



 いま大阪の定宿にしているホテルにいます。
 2007年2月21日水曜の早朝です。

 きょうの夕方4時55分から、関西テレビの報道番組「Anchor」に生出演します。
 ホテルでは、その準備(電話とeメールを使った情報収集、それに考えを頭の中で練っていくこと)、それから独立総合研究所(独研)が、ある公共的な事業体から委託された訓練プロジェクトの報告書の修正作業、それと、雑誌に載る原稿のゲラ直し、この3つを、同時進行させているところです。

 3つの同時進行というのは、むしろ少ない方で、ふつうは7つか8つの仕事が同時進行になり、10を超えていることもそう珍しくない。
 幸い、なぜか頭はあんまり混乱しないけど、生身の肉体は一個だけ、そこがね、ちと、困りますね。

 画面に大きく映っている青いボールは、椅子の代わりに使っているのです。
 このごろは知っている人も多いと思うけど、たとえばデンマークの小学校では、椅子の代わりにこうしたボールを使い、こどもたちの勉強への集中力を高めることに成功しました。

 ぼくも、この大阪の定宿ホテルと、東京の自宅の書斎では、こういうボールを使っています。
 集中力は、うーん、ぼくの場合はあんまり高まらないけど、腰痛を防ぐのと、自然に筋力を養い、バランス感覚を磨くのには確かに役立っています。
 最初は当然、ぐらぐらして難儀したけど、いまでは、無意識にこのボールのうえで正座なんかして、われながら絶妙のバランスを保ちながら、原稿を書いていたりします。

 独研の社長室では、使っていません。
 たまにテレビのコメント取材があるときに座っている、あの赤い椅子を使っています。
 社長室でぼくがボールに座っていると、きっと来客が驚くし、テレビ視聴者のかたがたも同じでしょうから。

 さて、この書き込みの本題は、ボールじゃないんです。
 画面の左半分に移っている紙類のうち、この写真では一番上になっている大きめの紙は、PHP研究所の論壇誌「VOICE」4月号に載るエッセイの、ゲラです。
 ちょっと珍しく、父について書いています。

 ぼくは、ほんとうはこういう柔らかい原稿を書くのが、大好きです。
 父について、何かを書くのはあんまり機会がなかったし、みなさん、もしよければ手に取ってみてください。
 4月号です。3月10日ごろに発売されるようです。

 実は、ですね、きのう昼、独研の社員ふたりと、出張先ちかくのコーヒーショップで打ち合わせやなんやかやをやりつつ、この父をめぐる原稿を書いていたときに、胸の深くからこみあげてきて、こみあげてきて、涙を、いくらかこぼしてしまった。

 独研の若き秘書室長(ニューヨーク育ちの女性)が、この原稿を読んでくれて、「誰にとっても、お父さんも、お母さんもたったひとりで、かけがえがないんだなぁと思いました」という感想を、聞かせてくれた。
 うれしかった。




ちいさな冬富士をみた

2007年02月19日 | Weblog



 いま二千七年、平成十九年の如月(きさらぎ)十九日の午前十時半ちょうど。
 お正月に書き込んでから、一度も、書き込むことができずにきた。

 年が明けて、ぼくの一身のまえの権威主義の高い壁、反権力と権力との巧妙な癒着は、いっそう分厚くなっている。

 このブログに、ひとことを書き込むための数分の時間もなく、この二月下旬ちかくまで来た。
 多忙には耐える。
 いつか死がぼくを休ませるから。
 ただ多忙のなかで強まっていくばかりの徒労の感覚と疎外感は、ほとんど誰にも話せず、正直、ここ七、八年ではもっとも苦しい時を、かろうじて生きている。



 慌ただしく乗り降りする狭い機中から、よく富士をみる。
 先日、いつもよりずっと南のルートを飛行機が飛び、そこから、富士をみた。
 わたしたちの列島の色と姿をよく伝える半島に、ぽつぽつと雲が湧き、その向こうに小さな富士をみた。

 富士を、間近な空からみることが多い。
 その大沢崩れの傷の深さ、ことしの雪の薄さをありありと何度も眼にして、富士の苦しみを感じるように思うときが増えた。

 それでも、小さくなった富士をみて、胸のなかの灯火が揺れた。かすかに明かりを強くした。
 太宰治の「富嶽百景」を、高校生のとき感嘆しつつ読んだ記憶も、ふと思い起こす。太宰のあがることのなかった天空から、富士が、しんと清冽に鎮まっているのをみている。

 富士を造った、わたしたちの列島のエネルギーは、南の硫黄島に、運命の火山をも造った。擂鉢山、すりばちやまだ。
 日本国民の島に星条旗が打ち立てられた擂鉢山は、富士火山帯につながり、ぼくが訪れたときも水蒸気を、白い末期(まつご)の息のように吐いていた。

 ああ天よ、ぼくのあまりに小さな命が死して地の奥に埋(うず)もれる、そのまえに、せめてひとつなりとも、われらの祖国と、それからできれば広く国境を越えた人の世に、寄与せしめよ。