Our World Time

たいしたことじゃないけど、ちょっと意外なこと

2006年10月24日 | Weblog



▼このごろのぼくの『ちょっと意外かもしれない』こと。

 ひとつ。
 自分のテレビ出演を、独研(独立総合研究所)のホームページで知る。

 テレビ番組への参加には、蛇足ながら、3つの種類がある。
 生出演と、スタジオ収録による参加と、独研の社長室その他でのコメント撮りによる参加。

 このうち、スタジオで収録した番組も、このごろ放送日を忘れていることが増えたけど、コメント撮りだけだった番組は、放送日を覚えていることの方が少ない。

 みなさんの眼には、テレビ出演ばかりが目立つのは当然のことだけど、実際のぼくは、本業のシンクタンク社長と、物書きが、この頃めちゃらくちゃらに忙しいから、といっても単なる貧乏暇なしに過ぎないのだけど、テレビ出演をひとつひとつ、とても覚えていられなくなってしまう。

 テレビ番組に参加するときは、それが本業ではなくても、視聴者への重い、重い責任があるから、ぼくなりに、つまり下手くそなりに、せいいっぱいの力を尽くして集中する。
 それは、生出演でも、スタジオ収録でも、コメント撮りだけでも変わらない。

 だけど、そのあとは、忘れる。
 テレビ出演が増えたとか、多すぎるとかじゃない。ほんのちょっとだけ増え気味かもしれないけど、実際は、あまり変わらず、出演は少ない。
 忘れるほどには、とてもとても、ありません。
 ところが、忘れる。

 パソコンで、情報源と電子メールのやりとりをしたり原稿を書いているとき、いつもパソコン画面の右上に小さく、テレビ画面が出ている。
 その画面に、たまに自分が現れるので、すこし驚いたりする。

「あれ? 出てるな」。
 これが多いので、このごろ、たまに独研のHPの『プレスルーム』を見てみる。
 そこに載せ忘れている番組は、つまり、ぼくも、みなさんと同じく見逃してしまうのです。

 そして、自分の出演を無事に見られたときは、残念ながら、いつも穴があれば入りたい心境に襲われてしまう。謙遜などでは、全くない。
 もっと分かりやすく話せなければ、だめだ、駄目だ、だめだ。

 自分をテレビで見ると凄く恥ずかしいということが、番組の放送日を忘れる理由になっているのかなぁ。
 それもあるだろうけど、もともとぼくは、本業の物書きとしても、書き終わった瞬間にかなり強烈なカタルシス(浄化作用)が起きて、何を書いたか忘れる方だ。
 どんな本を出したか、どんな雑誌に寄稿したか、それは忘れないけど、内容に自分の考えや思いや情報のうち何を盛り込んだかは、あっという間に忘れる。

 物書きには、ふたつの種があると思う。
 自分が何を書いたか、それを大切に手のひらに載せて、なんども眺める人。
 それから、書きあげた瞬間にカタルシスが自然に起きて洗い流してしまう人。

 ぼくは、生まれながらの性格としても、それからプロの書き手としてそれなりに自己鍛錬した副産物としても、後者の方だ。
 それがテレビ出演にも、たぶん、共通しているのだろうと、いま思った。


▼意外かもしれないこと、もうひとつ。

 ひとりになる時間は、ほぼ無い。
 常に、同行者が付いてくれている。

 そのこと自体は意外じゃないかもしれないけど、ひとりの時間の無いことが気にならない、負担にならない、それは自分でも、ちょっと意外だ。
 誰でも、ひとりの時間を確保したいだろうし、ぼくも、かつてはそうだったのだけどなぁ。
 逆に言うと、ぼくよりも、付いてくれる同行者がたいへんです。


▼意外かもしれないこと、さらにひとつ。

 この生活のさなかでも、ノンストップで終夜、お酒を馬のごとく呑むことや、仮眠の代わりにジムへ行ってバーベルとダンベルを挙げること、それから、絶対に見たい映画だけはどうにか見ること、それらは続いている。

 先日、20数年間ずっと変わらずに、ぼくの情報源でいてくれるひと、つまり記者時代から変わらない信頼関係のある人物に会って、北朝鮮の核実験をめぐる話をしているとき、突如として、昭和天皇を描いたロシア映画「太陽」を見ようということになり、銀座で、場所を移動して、いきなり、見た。

 映画が終わって、そのひとの顔をちらり見ると、即座に「青山さん、びっくりしたんでしょう」と言われた。
 いやぁ、さすがに長い付き合いですね、そのとおり、とてもびっくりする映画だった。
 明らかに歴史的事実に反するところも少なくないから、あれが、わたしたちの昭和天皇の実像だと考えるのは、間違っている。
 ただ、それでも、監督の視座に、驚いた。

 そして、ぼくの知らない事実が、いや、ぼくが真実だと思い込んでいて真実でないことが、この世にはまだまだ凄まじく沢山あるのだということ、その当然のことを、胸に呼び起こした。
 それは感謝している。

 命をひっそり閉じるときまで、そのときまで、恥多き日々のなかにあっても、なにより謙虚でいたい。
 自由自在でいて謙虚な、魂でありたい。





*写真は、黒部ダムへ登る行程で見あげた、剣(つるぎ)立山連峰の山々。
 画面の中央に、針ノ木の大雪渓がみえます。
 携帯電話で撮った写真だから、見にくいでしょうが、よく見ていただくと、白い雪渓が分かると思います。
 かつては夏、この雪渓を登り、夏スキーを滑っていました。
 あのとき非力なりにつくった足腰が、今もなお、ぼくの支えです。




眠いって、恐ろしい

2006年10月17日 | Weblog



▼ゆうべ、イギリス大使館で、英国海軍の駐在武官らと話しているとき、じぶんの根深い疲れを感じないではいられなかった。
 相手が「青山さん、あのときの、あの話ね」と、じっくり(英語で)話しかけてくれるのだが、頭の芯がぼんやりしていて、思い出せない。

 そのうち、人柄のよさそうな、雰囲気の柔らかな男性と立ち話になった。
 困ったなぁ、見た顔だなぁと思いつつ、やっぱり頭がぼぉーっとしていて、思い出せない。
 ぼくに同行していた研究員が名刺交換をして、その名刺をちらりと見て、ぼくは、やれやれ、どなたなのか分かったよと安心して、こう言った。
「ところで、オーストラリア海軍は、北朝鮮の核実験に制裁を加えるための臨検に参加しますか?」

 その感じのよい男性は、え?なに?という顔になった。
 ぼくは、ぼんやり頭のまま、こう付け加えた。「参加しないという説もあるけど、オーストラリア海軍の伝統からして、きっと参加されるでしょう、ね?」

 すると男性は、ああーっという感じで、こう言った。
「わたしは、オーストラリアではなくて、オーストリアですね」
 あちゃちゃー。そうだった、このひとは、ヨーロッパの伝統豊かな国家オーストリア政府の高官だ。

 ぼくは「ごめんなさい、勘違いしました」とすぐさま頭を下げ、「オーストリアには海軍がないですもんね」と言った。
 彼は、あははと笑い、そうですねと言いながら、さぁーと去っていってしまった。
 オーストリアは、かつて大帝国としてイタリアの一部を領有していた時代には、誇り高い海軍を持っていた。
 いまは、海に面した領土がないから、空軍と陸軍、特殊部隊しかない。
 つまりぼくは、ユーモアでその場をしのごうとして、オーストリアの政府高官があんまり言われたくないことを言ったのかも知れない。
 重ねがさね、ごめんなさい…。


▼そして夜、帰宅して、きょう超多忙を縫って、会員へ配信した「東京コンフィデンシャル・レポート」で、数字の単位を間違えたことに気づいた。
 核実験をめぐって、爆弾量を「トン」と書くところを、なんと「キログラム」としてしまった。
 決してイージー・ミスが出ないように気を付けてきたから、こんな間違いは初めてだ。

 こりゃ、疲労と言うだけではなく、とにかく睡眠不足、あるいは睡眠ゼロがもう、これ以上は無理というところに来ているらしい。
 そう思いつつ、今夜ももう、未明3時をすぎたよ。

 あと4時間ほどで、テレビ朝日の「スーパーモーニング」に生出演するために、出発しなきゃいけない。
 1時間でも、ぐっと寝るように、ビールを、のも。
 夜明けまえのビール、なんか、愉しいね。



*写真は、黒部ダムへ続く、地中深くの「インクライン」です。
 すなわち、工事に従事するひとびとが犠牲者を出しながら掘り進めた、地中のケーブルカーのための縦穴です。
 このインクラインを完成させて、人を拒む秘境にようやく、多くの工事従事者を送り込み、物資を運んでいったのです。
 画面の左にみえる小さな白い点が、出口。下にみえる銀色の箱が、ケーブルカーです。

 この日本の電源を造るために、工事で命を落としたひとは、前にも書いたように171人にものぼりました。
 このひとびとのことを思えば、ぼくだって、身体も命も張らねばなりません。



これは、やはり、もう語らねばならない

2006年10月15日 | Weblog



▼北朝鮮の核実験から6日目を迎えた、きょう10月14日の土曜日に、関西テレビ(大阪)の番組で、ぼくとしては初めての話をした。

 それは、北朝鮮が保有していることが確実な悪魔のバイオ兵器、天然痘ウイルスによるテロリズムに、生活者レベルではどうやって備えるか、その具体的な心がけだ。
 ただし、ほんの少しだけの話になった。


▼テレビ番組は、一般に想像される以上に、いつもいつも時間との戦いだ。

 きょうの番組で、ぼくの話したコーナーは、どんな構成だったか。
 北朝鮮がおこなった核実験について、まず「いったい何のためにやったの?」あるいは「ほんとうに核実験だったの? 核実験だったとしたら成功なの、失敗なの」という基本的な問いから始まって、「中国や韓国、ロシア、アメリカは、本音ではそれぞれどうするつもりなのか」、そして「安倍新首相は、本心ではどうしようと思っているの?」といった問いまで、とにかく洪水のような質問に、ぼくが答えていくという構成になっていた。

 このコーナーには、テレビとしては異例に長い21分という長尺の時間が用意されていたけど、こうした問いに答えていくうちに、あっという間に時間が尽きそうになった。

 そのとき、関西では根強い人気のある山健さんという、元大阪府議のジャーナリストが「北の脅威は核やミサイルだけではないですよね」と絶妙な最後の質問をしてくれた。


▼そう、まさしく、その通り。
 核実験は、間違いなく歴史を変えるような脅威だけれど、実験された核爆弾が弾道ミサイルに積み込まれるには、まだ時間がかかる。
 さらに、もしも核ミサイルが完成しても、それが撃たれることは実は当面、考えにくい。
 なぜなら、核ミサイルをたとえば日本に撃てば、必ず北朝鮮が撃ったことが分かるのだから、アメリカ軍は在日米軍基地を守るために、もはや何の躊躇もなく反撃ミサイルを北朝鮮に撃ち込むからだ。

 北朝鮮が持っているのは、核だけじゃない。
 バイオ(生物)兵器すなわち細菌・ウイルス兵器、ケミカル(化学)兵器すなわち毒ガス兵器、そのいずれについても、世界で有数の大量保有国である疑いを、たとえば国連の専門家たちと、テロ対策の実務を専門分野のひとつとする独立総合研究所は、深い意味で共有している。

 そのなかで、いちばん心配されるひとつが、天然痘ウイルス兵器だ。
 これはミサイルと違って、それが使われる兆候を、政府が掴むことはできない。
 政府だけではなくて、誰も、事前の兆候は掴めない。

 対処する唯一の方法は、感染者がまだ少ないうちに、天然痘ウイルスが秘かに使われた事実を把握し、その周辺にワクチンを集中投与することだ。
 そうすれば感染は止まり、テロの破壊力も、そこで止まる。

 天然痘ウイルスの感染者には、特徴的な発疹が例外なく出る。
 その発疹は、最初は平たくて赤い。やがて、一斉に盛り上がってくる。

 できれば最初の段階、すなわち平たくて赤い段階で、「これはひょっとして」と保健所などに通報してもらえると、この恐ろしい天然痘テロの威力は、どんと下がる。


▼何か悪いものでも食べたのだろう、たとえば鯖にあたったのじゃないか、それか、たまたま何かのアレルギーが出たのだろう。
 発疹が出たとき、ふつうの生活者は、そう考える。
 ほとんどの場合は、実際にそうだろう。

 しかし、北朝鮮が最後のカードである核実験カードをもう切ってしまい、国連が制裁決議をまもなく決め、日本がそれに先んじて独自の制裁をすでに実行している今、北朝鮮がもしもアクションを起こすとしたら、証拠が何も残らないのに誰もが「あの国では」と怯えるバイオ・テロこそが心配される。

 いま日本国内では、警察、自衛隊、海上保安庁、そして消防がこうしたバイオ・テロ、ケミカル・テロをもっとも警戒して、核実験のあと、特別態勢をとっている。
 しかし、それだけでは抑止力にならない。
 お上(かみ)任せでは、バイオやケミカルのテロには立ち向かえない。

 警察官や自衛官や海上保安官や消防官が、市民生活のすべてをウオッチすることは、もちろん全くできないし、日本がそのような警察国家になってはならない。

 しかし生活者が、みずから、すこし気を付ければ、あるいは「なんだ、鯖にあたったんじゃないですか」と保健所に笑われる結果になっても、ためらわずに通報する姿勢に変われば、これは有効な抑止力になる。
 素早い通報によって、ワクチンが素早く使われれば、そこでテロは止まってしまうからだ。


▼危機を煽るのでは、決して、ない。
 専門家の端くれとして、ぼくはリスクを決して誇張しない。

 このブログに、今こうやって書き込んでいるのも、テレビ番組であえて天然痘ウイルス・テロに触れたのも、わたしたちの国民生活に、ただしい抑止力を、それも生活を犠牲にせずに、働く生活者に大きな手間をかけさせずに、わたしたち国民みずからの手で育んでいくためだ。

 それが、テロの世紀に、新しい理念を掲げる国民国家のひとつの姿ではないかと考えている。
 戦争と革命の世紀であった20世紀が終わると、わたしたちの世界は残念ながら文化の衝突とテロの21世紀になった。
 そのことを、日本発で超克していくためにも、お上に任せ切りにしない日本国になりたい。


▼きょうの番組の最後に、山健さんが貴重な質問をしてくれたおかげで、ぼくはかろうじて「これから、ほんとうに怖いのは、たとえば天然痘ウイルスのテロです。赤い発疹が出たら、ためらわずに通報してください」という趣旨で発言することができた。
 ほんの短い一言をコーナーの終わりで述べることができた。

 そんな短い言葉でも、驚いたMC(メイン・キャスター)のかたがたとのやり取りもあって、コーナーは予定の21分には収まらず、23分になってしまった。
 きょうは、これが限界だった。

 この「生活者みずからが護ること」については、いずれ関西テレビの報道番組「ANCHOR」などで、しっかりと詳しく、みなさんにお伝えしたいと思っている。
 それから、ぼくの執筆している「東京コンフィデンシャル・レポート」では、より踏み込んで、バイオ・テロやケミカル・テロの恐ろしい「準備状況」についてお話しする。
 テレビやラジオでは、広く一般の視聴者のかたがたを考え、過度なショックや不快感を起こさないように抑制しなければならない。しかしレポートの会員のかたがたは、みずから志して深部の話を聴こうとされているからだ。





(きょうはタイトルを付ける気になれないのです)

2006年10月10日 | Weblog


 いま2006年10月10日火曜の未明4時17分。
 きのう北朝鮮が地下核実験に踏み切ってから、18時間近くが過ぎた。

 きのうは、自分の無力をつくづく感じた。
 北朝鮮というテロ国家に対してではない。
 日本という、ぼくのただひとつの祖国にある、目にみえない権威主義という壁に対しての、自分の無力ぶりだ。

 きのうは、わたしたちのアジアが根こそぎ、変わる日になった。

 そして、ぼくは私的にも、忘れがたい日になった。
 きのうの午後から締めていた明るい薄緑のネクタイに、夜、ある愚かしい理由で、ひとつの染みが付いた。まだ真新しいネクタイに、申し訳なかった。どこかの工場で、このネクタイをデザインし、染め、縫いあげた人たちに申し訳なかった。

 その小さな染みを、ぼくは、わが無力を実感した日のおかしな象徴として、むしろ忘れないようにしたい。

 わたしたちの国の、目にもみえる官僚支配と、目にみえない権威主義の存在は、一枚のコインの裏表だ。
 日本のマスメディアは、それを打ち破るのではなく、その古びたコインを頭の上に載せて、落とさないように懸命に足を使って、行きつ戻りつしている。

 はははと嗤うべき哀しさだが、その権威主義に無力なぼくも、嗤うべき情けなさだ。
 戦う手段が全くないわけでもない…のかも知れないのだから、ね、短い命がどうにかあるうちに、せめて悔いなくやりたい。

 ああ、もう午前5時を過ぎた。きょうも眠りのない夜が明ける。
 あと1時間半ほどで、テレビ朝日に向かう。そこから大阪へ。
 映画「ドクトル・ジバゴ」の冒頭シーンは、身を裂く風の吹く凍土に、亡骸を埋める葬儀の場面だ。
 神父が、永遠の安らぎ、という決まり文句を言う。
 ただの決まり文句だとは、いまは、思えない。

 苦闘千里。その果てにあるのは、名誉でも栄光でもなく、草一本の緑もない凍土なのだろう。しかし、しかし、それはそれでよい。
 それでよいから、この愚かな無力を、ぼく自身の責任である無力を、ほんの一瞬だけ、克服してみたい。



仕事とは、職務とは

2006年10月08日 | Weblog



▼わたしたちの、かけがえのない祖国に新しい政権が生まれてから、きょう(10月7日土曜)で2週間近くが過ぎた。
 そのあいだ、ほとんどまともに首都にいなかった。死のロードだなぁ、これはと、思わず呟くような出張の日々が続いている。

 その2週のあいだ、新政権を支えるひとびとから、新政権と鋭く対立するひとびとまでと、電話と電子メールを使ってやりとりをしながら、正直、ぼくは憂いをいだいた。
 とくに10月5日木曜に衆院予算委員会が始まってから、憂いは急速に、深まった。

 きのう金曜日の朝、羽田から関西国際空港へ飛ぶ飛行機に乗るとき、搭乗口近くのテレビで田中真紀子代議士と安倍晋三首相が、たがいに額に青筋を立てるように質疑に臨んでいるのを、ほんの一瞬だけ見た。
 夜、東京に戻って、質疑のフルテキストを取り寄せた。

 この質疑に、嫌なものを感じた国民は多いのではないだろうか。真紀子さんの拉致をめぐる質問は、おそらくは拉致被害者の家族の胸にも響かない。

 ぼくは被害者のひとり、有本恵子ちゃんと幼稚園が同じということもあり、有本さんご夫妻の永い苦闘を目の当たりにしてきた。
 それは、ごくまっとうに生きてきた庶民を、北朝鮮というテロ国家が突如、理由もなく死よりも苦しい痛みのさなかへ突き落とすという、世界にも類例のない、許されざる悲劇だ。
 だが同時に、有本さんご夫妻や横田さんご夫妻の「わたしたちの娘だけが帰ればいいのではない。みなを、最後のひとりまでを取り戻すことだけが、わたしたちの闘いです」という生き方に、ぼくら日本国民はずいぶんと教えられ、勇気づけられてもいる。
 拉致被害者の家族会のかたがたの生き方は、「私(し)に発して公(こう)に至る」という、戦後の日本としてはまったく新しい生き方だと、ぼくは考えている。

 真紀子さんの政略的にして品を欠く質問は、その家族会を支え、後押しするのではなく、むしろ家族会が生み出した尊い価値観を、傷つけるにちかいものだったのではないかと思う。


▼しかし真紀子さんは今や、ただのトリックスターだ。
 田中真紀子さんが外相だったときの狂態を、冷静に今も覚えている国民は少なくない。

 安倍政権初の衆院予算委での最大の問題は、安倍首相と真紀子さんとの質疑にあるのではなく、菅直人さん、岡田克也さんとの質疑にあると思う。
 ぼくが関西テレビの報道番組「ANCHOR」で安倍外交について話した翌日の、10月5日と6日に、その質疑はおこなわれた。

 先に述べたように、拉致被害者の家族会が明示する生き方は、わたしたちの日本国が戦争に敗れてから喪っていたものを取り戻す生き方ではないだろうか。
 発したところは、あくまでも「わたしの肉親を返して」という、たいせつな、たいせつな私的な思いだ。
 そして、そこにとどまらず、おなじ被害にあったひとびとの最後のひとりまでを取り戻すために闘ってこそ、わたしたちは人間であり、おなじ同胞(はらから)の最後のひとりまでを取り戻すまで闘ってこそ、この日本は国民国家だという、公(おおやけ)を掲げる生き方に至っている。

 ぼくは、これこそ「ほんものの日本型民主主義」の芽生えだと考えている。

 安倍政権は、その芽生えを育てるためにこそ、誕生したのではないのか。

 菅さんと岡田さんの質問は、戦争責任をめぐる諸問題を追及しているようでいて、そうではない。
 中国をはじめとする外国の視点で、自国の宰相の足元をすくおうとしたと言わざるをえない。「中国や韓国が支持してくれているんだから、とカサにかかって質問しているような嫌な感じがしたね」とぼくに電話で語った、経済界の友人もいる。

 日本国は、1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効したとき、主権国家としての独立を回復した(ただし沖縄諸島、尖閣諸島など南西諸島は1972年の日本返還まで独立の回復が遅れた)。
 極東国際軍事裁判(東京裁判)の効力は、そこで消滅した。
 なぜなら独立国家の責任とは、わたしたち主権者がみずからの視点で、みずから明らかにするものであり、独立を回復した以上は、東京裁判のように二度と外国から裁かれるゆえんはない。
 日本の視点で申しているのではない。国際社会の真ん中、すなわち国際法の視点である。
 ところが菅さんと岡田さんの質問は、公平にみて、東京裁判に依拠し、中国や韓国の視点を重視していた。

 すなわち、それら質問は、戦争責任をめぐる追及ではなく、安倍新首相の変節や曖昧さを追及する政略であった。

 そして、その安倍新首相の答弁は、安倍さんみずからが重い時限爆弾を抱えたに等しいと考えている。
 質問がどのようなものであれ、宰相の足元をすくおうとした質問にまさしく足元をすくわれるなら、すくわれた宰相の側に、最大の問題がある。
 それが内閣総理大臣の責務だ。


▼特に、菅さんへの答弁に、問題がある。
 村山談話と河野談話の正当性について、安倍内閣が国民に問いかける機会を、みずから失った。
 なかでも平成5年に出された河野洋平官房長官(当時)の談話は、いわゆる従軍慰安婦について「日本軍の強制があった」と実質的に述べている。

 河野さんは、宮沢内閣でこの官房長官を務めたあと、村山内閣などでも外相となった。そのとき、ぼくは共同通信の記者として霞クラブ(外務省記者会)にいた。
 中国軍が天安門広場でパレードをし、日本の諸都市に照準を合わせている中距離弾道核ミサイル「東風21号」も行進した。そのとき「パレードに、中国の活力を感じて感動した」という趣旨の公電を外務大臣として打ったひとだ。
 ぼくは強く抗議したが、ほかの記者はなぜか無関心だった。
 河野洋平さんはそのあとも、小渕、森の両内閣で外相を務め、いまでは三権の長たる衆院議長閣下である。

 安倍さん個人が、この談話の言う「軍による強制」は根拠がないと考えていることは、これまでの国会などでの発言から明らかだ。
 平成9年5月に安倍晋三代議士は、国会で「河野談話の前提がかなり崩れてきている」と発言しているし、首相としても10月5日木曜の国会答弁で「(軍による)狭義の強制性があったかどうかの確証について、いろいろな疑問点があるのではないかと申し上げた」と述べている。

 それにもかかわらず宰相としての安倍さんが、この河野談話も認めたのは、「とにかく日本政府がいったん決めた談話なんだから」ということを唯一の論拠としている。

 しかし、ちょっと待ってほしい。
 河野談話から4年後の平成9年3月に、参院予算委員会で平林博・内閣外政審議室長(当時)が「日本政府の調査で見つけた資料のなかに、軍による強制連行があったという証拠は一切、なかった」という趣旨で答弁した。

 すなわち、日本政府はすでに河野談話を修正している。
 慰安婦という、女性の尊厳をひどく損なう現実があったことは、談話の通りに認め、それが日本軍の強制によって起きたという部分は、少なくとも日本政府が集め得た資料のなかでは根拠がないとして、修正したのだ。
 外政審議室長が参院予算委という公的な場でこう答弁したのは、その意味である。

 だから安倍内閣が「一貫性をもって続いている日本政府が、とにかくいったん決めた談話だから」と河野談話を認めるのは、まったく論拠にならない。
 それどころか、おおきな誤りのある談話が出た4年後に、せっかく日本政府が修正したことを無視して、あえて誤った時代に逆戻りしたことになる。

 河野談話が出された当時の関係者のなかで、重要な人物であったひとりに、石原信雄・内閣副官房長官(当時。現在は、地方自治研究機構の理事長)がいる。
 このひととぼくは、記者時代から今に至るまで、信頼関係がある。

 その石原さんは、新聞や月刊誌のインタビューに、繰り返し「政府もずいぶんと探したんですけどね、強制連行を裏付けるものはなかったですね。慰安婦を募集した文書から、担当者の証言に至るまで、強制にあたるものはなかったんです」という趣旨で証言している。

 これは国会答弁のような公的発言ではないから、政府が修正したことにはならないが、ぼくは石原さんが良心をかけて、あえて証言を残したと考えている。
 石原さんは、公平に、「韓国で十六人の元慰安婦に聞き取り調査をしたところ、明らかに本人の意志に反して連れていかれた例があるのは否定できないと調査担当官から報告は受けた」という趣旨も述べている。
 そのうえで石原さんは「日本政府がどう探しても証拠はないが、韓国の当事者は強制があったと証言し、食い違いは埋まらない。そこで、強制性を認めれば、韓国政府の意にも沿い、問題は収まるという宮沢喜一首相や河野洋平官房長官の判断があって、河野談話になった」という趣旨を語っている。
 見かけよりずっと度胸の据わった石原さんらしく、率直にほんとうの経緯を語ったのだ。


▼これを書いているうちに午前零時をまわって、10月8日の日曜になった。
 安倍さんはきょう、中国を訪れ、9日には韓国を訪れる。

 この訪中と訪韓を実現するために、安倍さんは「安倍家康」と呼びたくなるような、したたかな動きを見せた。
 それは、成果である。

 しかし、おそらくはその成果を守るために、直前の衆院予算委で、なんら認める必要のない河野談話を拙速に認めてしまったのは、間違っている。
 安倍さんはたぶん、訪中と訪韓で、いわゆる歴史問題で激論になると「大失敗」としてマスメディアで喧伝されることを心配したのだろう。

 しかし戦後の日本のあり方を見直すならば、「揉めれば外交失敗、揉めないで相手がニコニコすれば外交成功」という、まさしく根幹から間違った外交観をただすことに、少なくとも一歩は踏み出してほしい。

 具体的なことをひとつ言えば、靖国神社への参拝がある。

 小泉さんは、任期中の靖国参拝を貫くなかで終始、「こころの問題だ」と言ってきた。
 しかし政権の終盤には、「中国や韓国との関係において、こういう時期も必要だったと、いずれ分かる」とも述べるようになった。
 後者の言葉は、きわめて正しいと考えている。

 小泉さんは『中国や韓国に対しても、いわゆる歴史問題があっても、ノーと言うべきはノーと言う、すなわち内政干渉には断固、ノーと言わねばならない』という姿勢を、靖国参拝を通じて、明示した。

 だから小泉さんは、「ただただ、こころの問題だ」と言ってきた自分の言葉を、最後にはいわばみずから裏切って、本音に置き換えたのだ。

『こころの問題でもあるよ。しかし、いちばん大切なのは、ノーと言うべき時にノーと言える日本になったことを、人口が世界最大の隣国にも、きちんと知らしめるために、わたしは靖国に参拝し続けたのだ』という本音が、政権の末期に露出したのだと考えている。

 小泉政治には、賛否両論がある。
 というより、小泉政治はそれが終わると、あっという間に否定論が力を増している気配がある。
 そのなかで『小泉語』への世の評価の高さは、安倍さんの言葉が簡潔ではないだけに、変わらない。

 しかし、ぼくは『小泉語』を評価できない。
 お相撲の土俵の上のような場所では、「感動した」というフレーズが確かに天才的なきらめきを放っていた。
 だが肝心の国政の場では、年金の保険料を払っていない時期があったのではないかという疑問に対して「人生いろいろ、会社もいろいろ」と、国会論議を愚弄する言葉で誤魔化してしまった。
 その影響は、ふつうに考えられているより大きいと思う。
 宰相のいい加減な発言がまかり通ったために、年金をめぐる国会審議から、真摯なところが失われた。
 だから、国民の誰もが納得できない年金改革を「100年は持つ改革」とする露骨な嘘がそのまま、今のところまかり通っている。

 だから靖国参拝を「こころの問題」とだけ言い続ける小泉語にも、賛同できなかった。
 しかし鮮やかな引き際で権力の座からみずから降りるとき、小泉さんは、『靖国参拝は、こころの問題だけじゃない。まさしく政治と外交の問題なのだ』と国民にようやく告げたのだと、ぼくは考えている。

 小泉政権が終わりに近づいたときから、マスメディアには「アジア外交の懸念」なる奇怪な言葉が溢れた。
 その言葉に押されるように、硬派を標榜しているはずの評論家も、靖国参拝を支持するかどうかについて、なにやら曖昧な言葉を語るようになった。

 ぼくは靖国参拝をどこまでも断固、支持する。
 日本の視点だけで言っているのではない。
 アジア国際社会にフェアネス(公正さ)を確立するために、必要な感覚なのだ。

 中国がこれからどれほど膨張し、日本だけではない、アジア諸国に影響力を行使しようとしても、内政干渉だけは許さない。
 それを日本が示さねば、アジアのどの国が示すことができるのか。

 マレーシア、シンガポール、ベトナム、タイ、ぼくの知るアジアの国の多くは、中国の膨張主義に怖れを抱いている。
 その怖れが、より深刻な現実とならないように、アジアで唯一、中国に対抗できる大国の日本が、内政干渉をあくまでも排する姿勢を、いま明示しておかねばならない。
 小泉さんの言う、「こういう時期が必要だ」という思想には、日本の戦後を終わらせる意味があると思う。
 そして、それだけではない。
 アジアのこれからを考えると、今この時期にこそ、日本がきちんとアジアの国際社会に、内政にはいかなる大国も干渉できないし、いかなる歴史があろうと内政には干渉できないという独立国家自決のルールをつくっておかねばならない。

 安倍さんの訪中、訪韓では、おそらく靖国参拝について明確な議論は何もないだろう。
 そして中国も韓国も間違いなく、訪中と訪韓によって安倍新首相は実質的に「任期中は参拝せず」と約束したのだと、アピールする。
 訪問直前の衆院予算委で、安倍さんが河野談話まで認めてしまったために、中国も韓国も「安倍は、小泉と違って、膝を屈することのある宰相だ」と解釈しているだろうからだ。

 だから安倍さんは、任期中に必ず靖国神社に参拝しなければならない。
 そして、内閣総理大臣であるから、24時間365日の行動が国民にみえていなければならない。すなわち「参拝したとも、しなかったとも言わない」という戦術は、もはや使えない。

 もしも参拝しなかったら、この衆院予算委で村山談話や河野談話を認めたことが、中国や韓国のプレッシャーに負け、訪中と訪韓をとにかくニコニコと終わらせたいという間違った外交観に基づいていたと、みずから証明することになる。
 なにより、靖国参拝がただの小泉さんの個人的な奇行のごとくになってしまい、内政干渉をあくまでも排するというほんとうの意味を、喪わせ、日本の国民益と、国益、そしてアジア社会の利益に反することになる。
 それで安倍内閣が延命できるとは、ぼくはゆめ、思わない。

 だから、あえて申せば、時限爆弾を抱えたのである。
 その爆弾の信管を外すのは、宰相みずからがやるしかない。

 安倍さんは、衆院予算委員会ですべてを間違ったのではない。
 岡田克也さんが「A級戦犯を犯罪人と認めよ」と、菅さんや真紀子さんと同じように執拗に迫ったのに対して、今度は「A級戦犯と言われたようなひとを、裁く国内法がないのに、どうして犯罪人と言えるか」と、はねつけた。
 しごく正当な答弁だ。

 安倍さんは、もともと靖国神社は例大祭こそ大切、という考えだったから、来年10月の秋の例大祭に参拝するつもりでいると思う。
 それを、あくまでも実行してほしい。
 宰相になったのは、宰相であり続けるためではない。この祖国の国民と、アジア、世界のために、しなければならないことを成すためだ。
 もちろん靖国参拝だけが仕事では、まさか、ない。
 ほんらいは靖国神社は、わたしたち国民の生活や運命を左右するようなものではない。

 それに、靖国神社そのものの現在のあり方は、ぼくは良いとは思っていない。
 たとえば遊就館を若いひとが見て、なぜ祖国が戦争に負けたのか、その原因が分かるだろうか。まるで勝ったかのような展示になっている。

 一例を申せば、零式戦闘機を展示しているのは、よい。だがゼロ戦は、戦争の初期にこそ大活躍したが、後期には、アメリカ軍にその弱点を見抜かれて多くが撃墜され、優秀なパイロットを大量に失うことによって、むしろ戦局を悪化させた。
 帝国海軍の内部から、改良の上申書も出されたが、海軍軍令部は無視した。
 そこには、現代日本にもそのまま通じる、日本型組織の根本的な弱点が居座っている。技術力は世界最高だが、自由な内部議論がきわめて乏しく、指導部に志がなく、おのれの目前の保身だけがある。
 こうした敗因を、しっかりと身を抉って展示しなければならないと思う。

 しかし、その靖国神社を、大問題に仕立てあげたのは、中国である。
 中国が日本の頭を抑えて、アジアに覇権を立てるために戦術的に作り出した問題なのだ。

 靖国神社にA級戦犯が合祀されたから、中韓と紛糾したのではない。
 いわゆるA級戦犯が合祀され、さらにその事実が明らかになったあと、大平正芳首相が3回、鈴木善幸首相が実に8回、参拝しても中国も韓国もまったく無関心だった。
 突如として問題にしたのは、中曽根康弘首相が「公式参拝」を掲げて参拝してからであり、その中曽根さんが、中韓の抗議で参拝をやめてから、中国と韓国は靖国参拝をまるでリトマス試験紙のように使って日本の内政に巧みに干渉するアンフェアな外交ツールに仕立てあげた。

 ナショナリズムから言っているのではない。
 国際法からして、アンフェアだから言っている。

 外交では、こうした策略を無視して良いときもあるが、受けて立たねばならないときもある。
 靖国は、もはや明らかに後者である。
 参拝をここで中断すれば、日本は、戦後の歪みをさらに固着する。

 初の戦後生まれの宰相、安倍さんは、参拝を続けることによって靖国が外国による内政干渉のカードであることを、やめさせなければならない。
 もし安倍さんの時代に、やめさせることができなくとも、継続することによって次の首相に手渡さねばならない。

 そして、みずから抱えてしまった時限爆弾の信管を外すには、それだけでは足りない。
 かつて鈍牛とからかわれた大平正芳首相は、そのからかいには意を介さず、一方でみずからの職務を、十字架を背負いて歩むがごとしと呟いていたという。
 ねがわくば、この祖国の新しい宰相に、より重き十字架を背負う覚悟のあらんことを。





※写真は、この2週間の過密日程出張のなかで黒部ダム(富山県)を訪れたとき、公務関係者専用の行程をいく途中に、携帯電話のカメラで撮りました。
 黒部ダムは、日本が敗戦後の電力不足に苦しんでいたとき、水力発電の電源をそなえて国を復興させようと、立山連峰の想像を絶する急峻な山々を克服して造られました。
 実に、171人もの工事従事者が、亡くなったのです。
 平和な時代の工事で、まるで祖国防衛戦争のように闘って、目のくらむ谷底に転落死したり、発破で吹き飛ばされたり、地中トンネルの崩落に埋まるなどして、ただひとつの命を落としたひとびとが、こんなにいました。

 写真に後ろ姿が写っている、こんなひとたちのなかから171人、亡くなったのです。
 仕事とは、職務とは、何だろう。

 山中や地中の長い行程を登りつめて、黒部ダムに至り、深いエメラルド色の黒部湖のそばにある、171人全員の名を刻んだ慰霊碑に、祈りと感謝を捧げました。
 そしてダムの巨大な壁から噴き出す、真っ白な怒濤の放流を見ているとき、ぼくの胸にわっと「おまえよ、もっと捧げよ、もっと命を、捧げよ、職務に」という声にならない叫びが沸きあがりました。

 黒部ダムには、かつて記者時代にも、まったく同じ行程で訪れています。
 しかし、今回のような胸の叫びは沸きあがりませんでした。
 今のぼくの仕事から来た、叫びなのかも知れません。
 黒部行きには、独立総合研究所から研究員と総務部員のうち3人が、ぼくに同行していました。
 そのことも、無意識に影響していたのかも知れません。 

 そのようなことを想いつつ、遠く首都でおこなわれている国会論戦をも、思いました。
 まだ衆院予算委の質疑に入るまえ、代表質問の段階でしたが、なぜこの国の民主主義の根幹をなすはずの国会での論戦が、こうも不毛なのだろうか、と。
 政治家たちは、ただこの国のために死んだ171人の魂に顔向けできるのだろうか。
 仕事とは、職務とは、何だろうと、その意味からもふと、考えたのです。
 


 この2週間の日々については、項をあらためて、書き込みます。