Our World Time

お久しぶりです

2009年11月18日 | Weblog



▼沢山のひとが、この地味ブログの新しい書き込みを待っていてくれるのに、こんなお詫びで始まる書き込みで、ごめんなさい。

 きょう11月18日水曜の関西テレビ(大阪)の報道番組「アンカー」の「青山のニュースDEズバリ」コーナーで、オバマさんの東京演説の場所を「大使館で」と申しましたが「サントリーホール」の誤りです。

 大阪から特急電車に乗り、いま次の出張先の福井にやってきて、やっぱり寒いなぁ、睡眠不足だと体温が奪われるなぁと考えていて、脈絡なくふと、「あ、間違えた」と気づきました。
 寝てないことが、すこし影響したかもしれません。

 みなさん、ごめんなさい、事実関係の間違いはただの一つもないようにしたいのに、間違いが生まれてしまって、申し訳なく思います。


▼特急を待つ駅のホームにいたとき、「きょうの放送では一度も笑顔がなかったね。当然だけどね…」という趣旨のEメールを、いつも視てくれる幼なじみからもらいました。

 ぼくは、「うん、その通り。きょうは、どうしても笑顔になれなかったなぁ。みんなに希望を持ってもらうために、番組に顔を出しているんだから、笑顔も明るい話も必要だと思うんだけど、時間も限られてるからね。きょうは、やむを得なかった(後略)」という返事を打ちました。

 幅広い有権者が祈りと期待を込めて政権交代を実現して、まだ2か月、日本国の内外政に愕然とするような現実も生まれつつあります。
 とくに、この1週間あまりのショックは大きかった。

 しかし、きょうの番組でもすこし申しましたが、たとえば、ぐらぐらに揺れる外交について鳩山さん個人をあげつらうより、ぼくたちの戦後の64年が、彼のような内閣総理大臣を生んだのであることを、真正面から見つめたいと考えています。

 鳩山さんの言う「友愛」なる、ぐにゃぐにゃのもの、国際社会から誰にも相手にされていないものこそ、戦後の「平和主義」、すなわち、平和と唱えれば外国の浸食、侵略を受けないという思い込みや、たくさんの同胞が誘拐・拉致され人生や命を奪われていても「戦後の日本は平和だった」と平然と言えるような生き方と、深いところで絡みあっていると考えます。

 それを見据えるところから再出発して、政権交代のメリットを、われら日本国民は活かせるのではないかと、ぼくは希望をつなぎます。


▼テレビ番組、なかでも生放送は、やはり難しいです。
 いつもいつも時間との戦いであり、ぼくのような放送の素人が、番組が生き残ることや、スタッフの努力に報いることを、それなりに常に考えねばなりませんし、きょうのようなミスは、たった一つもしたくないし…。

 その難しさを感じながらも、驚くほど多くのかたの要望や、独研(独立総合研究所)内部の積極意見や、それから放送関係者の勧めに答えて、独研とぼくは今、インターネットTV・ラジオへの取り組みを始めています。
 早ければ、年内に試験番組をリリースできるかもしれません。

 そして、ネットTV「たかじんのそこまでやって委員会」というネットテレビには、すでに参加(出演)しています。(よみうりテレビの「たかじんのそこまで言って委員会」には、ぼくは出ていませんが、こちらのネット版にはゲスト参加しています)

 先日は、チベット弾圧に抗して日本の仏教界で初めて立ち上がった、あの書寫山圓教寺の大樹玄承師をお寺に訪ねて、ロングインタビューをしました。
 もうアップされています。シリーズでアップするようです。
 よろしければ、覗いてみてください。
 
 
▼このロケで書寫山を訪れると、深みのある美しい紅葉が始まったところでした。
 お参りする善男善女の姿を見ることができたのもうれしかったし、師は、眼が澄み渡っていて、素晴らしかったです。
 師をしっかりと支える奥さまに久しぶりにお会いできたのも、嬉しかった。
 そして、秋の陽のあたる縁側で師にインタビューしている最中に、サプライズでお父上が登場されたのも、忘れられない喜びでした。

 お父上は、実は天台宗の座主(ざす。蛇足ながら、宗派を頂点で率いるお坊さま)の候補の一人でいらっしゃる高僧で、80歳代半ばながら、去年まで寺を囲む山中でバイクを駆っておられていたそうな。
 なんとも驚くほかない生気と、蒼空のような洒脱を身にまとっておられるかたです。
 いずれ番組中に、その登場場面も出てくるはずです。

 写真は、インタビューの始まるまえ、大樹玄承師と携帯電話のカメラに収まったところです。
 ぼくは自分で見ても、まんま、うれしそうですね。



※最初の書き込みでは、「何でもやって委員会」とか「何でも言って委員会」と書いてしまいましたが、正しくは、「そこまでやって委員会」と「そこまで言って委員会」でした。
 コメント欄のご指摘通りです。ごめんなさい、失礼しました。
 …というわけで、この書き込みは、最初も最後も「ごめんなさい」になっちゃいました。
 やはり寝ないと駄目ですね、もう。
 書きかけの原稿を保存して、いったん仮眠します。
 福井の夜は静かです。




あたらしい秋

2009年11月01日 | Weblog


▼みなさん、この個人ブログでは、すっかりご無沙汰してしまいました。
 更新がなかったのは、単に時間がないからで、体調も含め、そのほかの理由は何もありません。
 ご無事でしょうか、という問い合わせもいただいていますが、無事はまったく無事です。相変わらず中傷や嫌がらせ、脅迫はありますが、それはいつものことです。

 この個人ブログは、まだブログという言葉もなかった時代に始めた、ごく個人的な地味ブログです。
 それもあって、ほかの執筆、たとえば独研(独立総合研究所)から配信している会員制レポート(東京コンフィデンシャル・レポート/TCR)などの執筆が必ず優先して、ときどき更新が途絶えがちにもなります。

 だけど、たとえば先日、神戸の流通科学大学(ダイエーを創業した故・中内功さんが創立した元気のいい大学)の学園祭で関西テレビの報道番組「アンカー」のキャスター陣と、スタジオを飛び出したトークショーをやったとき、女性の市民のかたから「ブログの更新をお願いします。いつも待っているんです」と声をかけられました。
 こうした声は、ときおり聞きます。
 それでも、ぼくにも時間は24時間しかなくて、睡眠時間をどれほど削り込んでも、時間はもはや1分も増えません。

 しかし、このトークショーには驚くほど多くの市民のかたや学生諸君が集まり、会場は溢れかえり、入れないでお帰りになったひとびとが150人ほどもいらっしゃったと聞いて、ぼくはその残念なお気持ちが伝わるようで、胸の奥が痛かったのです。
 だから「ブログの更新を」という女性の願いの声は、いつもに増して、こころに響きました。


▼実は、ブログを更新するために、ずっと、それなりに工夫をして時間を捻(ひね)り出し、書き続けてはいるのです。

 移動中の揺れるタクシーの中などでモバイルパソコンを使って仕事をし、ひとつの原稿が終わって次の原稿へ頭を切り換える、その2、3分の時間を使ってブログの書き込みをすこし書く、ということに加えて、たとえば海上自衛隊の観艦式の予行演習に招かれたときの艦上、つまり護衛艦の甲板の上で強い潮風に吹かれながら書いたり、モバイルパソコンが人間だったら「こんなところでまで書かなくてもいいでしょっ」と、ちょっと悲鳴をあげるようななかで書いています。

 いまは海外出張の途上にあって、きわめて限られたタイトな日程のなかにいますから、とてもブログはアップできないのですが、更新を待っているひとの気持ちが胸に迫ってきます。
 だから夜明け前の時間を使って、とりあえず書き込みを一つ、アップしようとしているところです。

 この地味ブログに、いずれ書いておきたいことが、いま、二つあるのです。
 ひとつは、一定の期間を、いわばサンプルとしてそのまま切り取って、日々の歩みをありのままに記すことです。
 これまでも、たまに、アップしてきました。
 今回は、政権交代となった時からこれまでをずっとフォローしてみる、というのをやりたいのです。

 ふたつめは、これは不法な中傷に関わった、あるとても有名なひとに、国内の空港で直接、問いただした時のことを、フェアに記録しておきたい。
 ちなみにこの著名人は、帽子をとって謝罪されました。ただし、それで問題が終わっているわけではありません。第一の当事者が、別にいるからです。

 それぞれ、かなり書いているのですが、まだアップしていません。
 ぼくは、こと文章になると、完全主義になってしまいます。
 ほんらいのぼくは、よく言えば楽天的、ほんとうは意外なほどに抜けているのですが、文章だけは句読点のひとつひとつに至るまで完成させないと、ブログにもアップしないし、会員制レポートも配信しません。本を書くときは、編集者に渡しません。

 これでは、なかなか人様に読んでいただけない。
 みなさん、ごめんなさい。

 だからブログをめぐっては、例のTWITTER(ツィッター。つぶやき投稿型コミュニケーション)も始めようかなとも思いました。上記の二つのことのうち、ひとつ目のことと似ていますしね。
 だけど、それをやると、ほんらいの仕事に必ず影響が出るほどアップするだろうなと思いますから、やめておきます。


▼今回の海外出張の最大の目的は、海外の人脈と久しぶりに会って、顔を見ながら、直接に情報と意見を交わすことです。
 このごろは「アンカー」への参加(生出演)と、近畿大学経済学部での国際関係論の講義に縛られて、なかなか海外に出ることができず、国外の知友とはいつも電話とEメールで議論するだけになってしまいます。

 それをすこしでも解消するために、トルコを経由して、ヨーロッパに入っています。
 詳しく書くと、人脈が特定されることにも繋がりますから、あまり書けません。
 ヨーロッパの秋は、いつものように美しい。
 写真は、ちいさな会食ランチのときのシーフードスープです。なにげに、おいしかった。どこでもあるスープのようでいて、ここにしかない深みがあって、思わずたがいに話が弾むぐらい。


▼さて、関西テレビの情報番組「ぶったま」が9月末に終了して、きょうで、ひと月と1日が過ぎました。
 9月は最後の1か月ということで、関テレ制作局から「青山さんは隔週出演でしたが、この最後の9月には毎週、出てくれませんか」という依頼を受け、それをお受けしましたから、実はかなり、たいへんでした。

 前から毎週の出演であれば、それはそれなりに日程に吸収して、独研(独立総合研究所)の秘書室がどうにかスケジューリングして、ぼくもそれに合わせて心身を動かすので、むしろ、やりやすい。
 それまでが隔週で、急に毎週になったのは、ほんとうは結構てーへん、いや、たいへんだったわけです。

 しかし無事に毎週の生放送を終え(と言っても、自分では自分の放送ぶり、話しぶりに不満で、視聴者のかたがたに伝えるべきを完璧には伝えきれなかったと考えています)、10月からはすこし楽になるかなぁと、独研の秘書さんも、ぼくも期待したのですが、土曜が空くとそこへどっと、講演をはじめ他の日程が入ってきたので、ここ11年と11か月のあいだ切れ目なく続いている、ちょっと過激な多忙は変わりませんね~。

 そのなかで、「こてこてプライベート」の今後はどうなりましたか、というコメントの書き込みがこのブログにありましたね。10月半ばのことでした。
「こてこてプライベート」は、「ぶったま」の放送に合わせて、ぼくが関テレの携帯サイトに連載してアップしていたコラムです。

~「こてこてプライベート」の今後の予定はどうなったのでしょうか? 半月以上たった今も、「継続・終了」いずれのアナウンスもありません。もし継続しないのであれば、サイトから退会したいのですが。~

…という書き込みでした。
 ほんとうは、こうした周知は関テレがやるべきだし、ぼく自身もコラムが終了するかどうかの通知をきちんと受けていないから、ぼくが動くのは筋違いという気もしました。

 だけど、ぼくのコラムの読者が困っているのですから、そのとき急いで、関西テレビの担当者に問い合わせました。
 すると担当者からは、「番組が終了したので、コラムも終わりです」という回答があり、「サイト入会者へのお知らせがなかったのは申し訳ない。すぐに分かるようにしました」ということでした。

 この担当者からは「私自身も愉しんで読んでいたので、青山さんがみずから配信してはどうですか」という個人的な「提案」も聞きました。

 うーむ。
 独研は、新しい事業としてネットTVや、ラジオ番組づくりに取り組みつつあります。まだ、準備段階ではありますが。
 その新規事業のなかに、こうしたコラム配信もあり得るかもしれませんね。

 海外に出ると、気分、気持ちは物凄くリフレッシュします。
 日程はめっちゃタイトだし、日本に帰るとまた、詰め込み日程です。
 だけど、元気が出たなぁ。

 それにね、今回は日程のなかに、ちょっと遊びもあって、そのとき、全身に新しい力が甦る神秘体験もしたのです。
 それは、また、今度。

 今は、泊まっている小さなホテルのカフェで、早い朝ごはんを軽く、食べています。
 膝の上にモバイルパソコンを置いて、上記の文章のチェックです。
 さっき、隣のテーブルの若いアメリカ人女性が話しかけてきました。「日本のラップトップ(モバイルパソコン)なら、あなたの膝の上からネットに繋がるの?」

 あぁ、疲れているのに、寝ていないのに、なんだか心身が軽い。
「いや、このラップトップは今、どことも繋がっていないけど、きみなら世界のどことも繋がるさ」と、思わず答えてしまった。日本語だと、こんなキザなことは言えにゃい。

 まだ二十歳ぐらいの学生かな、アフリカ系アメリカ人のこの女性は、真っ白な歯をみせて、晴れやかに、にっこり。