▼誰でも、外から見える、そのひとの人生と、内から考えている、人生の姿は違うだろう。
このぼくも、外からどう見えるかは別にして、こころの内では、苦闘千里とつぶやきつつ、ただ一度きりの、短い、あまりに短い生を、生きている。
外からは順調にみえるかも知れない、ぼくの、もろもろの仕事は、泥の中を這って進むようだ。
いま、直感的に思う。
現在のぼくにとって大切なことの一つは、権力に対して、清潔であることだ。
▼誰でも、生きることは、不安なのだろう。
その不安の根っこは、わたしたちの生が、死に対して、無力であるからだ。
それを逆手にとらえ直して、死から生を見れば、不安は鎮まる。
永遠に生きようとする欲が、すべての不安を生むからだ。
誰でも、宇宙に目を転じれば、そのとき、おのれの不安が小さいことを知る。
そして、すぐに忘れて、不安のただなかを、よろよろと生きる。
輝く星は、生のあかしではない。
宇宙は死に満ちている。
もともと、わたしたちの生に意味はない。
生の意味は、原始生命から、これほどまでに進化した人類まで、ただ一つしかない。生命を次に継承していくことだ。
しかし、どれほど継承しても、最後には意味を失う。宇宙にも終わりがあるからだ。
だから、死生観こそ、わたしたちの生きるあかしだと、ぼくは信じている。
意味のない、短きも短い、一度きりの命に、誰もが、そのひとにだけある意味をこしらえて、死ぬ。
死こそが、ぼくを生かしてくれている。
(写真は、この夏、防衛庁の幹部研修で講義しているところです。いちばん最近の講義です。この回は「中級幹部研修」でしたから、これから中級幹部に昇進する、まだ若い防衛官僚たちです。
ただただ力を尽くして、語りかけ、問いかけ、一緒に考えます。
みんな、なんのために、この祖国の防衛を職務としているのかと。
ぼくら国民と、どうやって新しい日本国を創っていこうかと。
祖国とは、文化です。)