Our World Time

夏の早い朝に

2006年08月22日 | Weblog



▼誰でも、外から見える、そのひとの人生と、内から考えている、人生の姿は違うだろう。
 このぼくも、外からどう見えるかは別にして、こころの内では、苦闘千里とつぶやきつつ、ただ一度きりの、短い、あまりに短い生を、生きている。
 外からは順調にみえるかも知れない、ぼくの、もろもろの仕事は、泥の中を這って進むようだ。

 いま、直感的に思う。
 現在のぼくにとって大切なことの一つは、権力に対して、清潔であることだ。


▼誰でも、生きることは、不安なのだろう。
 その不安の根っこは、わたしたちの生が、死に対して、無力であるからだ。

 それを逆手にとらえ直して、死から生を見れば、不安は鎮まる。
 永遠に生きようとする欲が、すべての不安を生むからだ。

 誰でも、宇宙に目を転じれば、そのとき、おのれの不安が小さいことを知る。
 そして、すぐに忘れて、不安のただなかを、よろよろと生きる。

 輝く星は、生のあかしではない。
 宇宙は死に満ちている。

 もともと、わたしたちの生に意味はない。
 生の意味は、原始生命から、これほどまでに進化した人類まで、ただ一つしかない。生命を次に継承していくことだ。
 しかし、どれほど継承しても、最後には意味を失う。宇宙にも終わりがあるからだ。

 だから、死生観こそ、わたしたちの生きるあかしだと、ぼくは信じている。
 意味のない、短きも短い、一度きりの命に、誰もが、そのひとにだけある意味をこしらえて、死ぬ。

 死こそが、ぼくを生かしてくれている。




(写真は、この夏、防衛庁の幹部研修で講義しているところです。いちばん最近の講義です。この回は「中級幹部研修」でしたから、これから中級幹部に昇進する、まだ若い防衛官僚たちです。
 ただただ力を尽くして、語りかけ、問いかけ、一緒に考えます。
 みんな、なんのために、この祖国の防衛を職務としているのかと。
 ぼくら国民と、どうやって新しい日本国を創っていこうかと。
 祖国とは、文化です。)


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日本の戦争を知らない世代のひとりとして、世界の戦争を歩いてきたひとりとして

2006年08月08日 | Weblog



▼ブログの書き込みもままならない過密日程が続くなか、8月7日の夜、スポーツ・ジャーナリストの二宮清純さんとの対談に出かけた。
 二宮さんが代表取締役を務める「SPORTS COMMUNICATIONS」という会社のホームページにアップされる対談だ。

 二宮さんは、スポーツという文化を通じて「日本国民のあり方」を問いかけているひとだと思ってきたので、SPORTS COMMUNICATIONS から「とても忙しいでしょうが…対談を受けていただけますか?」と、やや遠慮がちに申し入れがあったとき、即座にお受けした。

 受けてから、その対談が「この人と飲みたい」というタイトルなのを知って、ちょっと嬉しくなった。楽しそうだなぁ。

 対談には、独研(独立総合研究所)の自然科学部長、秘書室長が同席し、それに独研と連携しているある自治体のひとも飛び入りで同席して、みな一生懸命にメモを取りながら耳を傾けてくれた。

 対談の場所は、東京・南青山のニッカ・バー。大人っぽい、いい雰囲気のバーだ。
 まるで地球儀のように真ん丸な氷を入れたロックでウイスキーを呑みながら、予定時間を超えて、世界中のことを話しあった。
 二宮さんの話は、興味深かったけど、ぼくは、ろくに話せたとも思えない。
 ただ、同席した独研のふたりと、自治体のひとが「おもしろかったです」と言ってくれていたから、まぁ、良かったのかな。
 二宮さんとは、いくら話しても話し足りない感じだった。

 ボクシング・ライトフライ級の亀田選手の「負けなのに勝っちゃった判定」をめぐっても、なるほどという裏話を聞いたけど、それを、ぼくのブログでぶちまけちゃうわけにはいきません。
 まだ検証の過程にある話だしね。
 二宮さんがそのうちきっと、しっかりとした確証で、みんなに話してくれると思う。ぼくもそれを待つ一人として、期待しています、ね、二宮さん。


▼対談のあと、新刊本の原稿を書くために、珍しく、とても珍しくまっすぐに自宅へ帰った。
 原稿を打つパソコン画面のなかの、小さい画面で、パソコンに録画された「TVタックル」を横目で見る。

 このタックルのスタジオ収録は、7月29日の土曜日だった。
 早朝から大阪へ向かい、関西テレビの「ぶったま」に生出演し、東京へとって返して、羽田から真っ直ぐ、テレビ朝日に入った。
 TVタックルの、いつものセットがこしらえてあるスタジオに入ると、ディレクターが近寄ってきた。
 なにやら、いつもと表情が違う。なんだか、恐縮している気配だ。ん、なぜ?

「青山さん、すみません、前の収録、靖国で予想外に盛りあがってしまって、青山さんのコメントがあるヴイ(VTRのこと)、使えませんでした」

 タックルは、2回分の放送を1日で収録する。この日は、7月31日月曜、それに8月7日月曜の放送分の収録だった。
 その7月31日放送分の収録で、靖国参拝であまりの激論になったために、外交を主に話したぼくのコメントが盛り込まれたVTRを出せなくなってしまったそうだ。

「ははぁ」。ぼくは、そう声が出た。
 初めての経験だ。
 このコメント撮りは、ウルトラ過密日程のなかを秘書も呆れてしまう無理を押して帰京し、夜中に収録したものだったから、いくらかがっくりした。
 しかし、これまでもこのサイトで言ってきたように、編集権は基本的にテレビ局にあるし、とにかく議論が盛りあがるのは視聴者にはいいから、「分かりました」とだけディレクターに答えた。
 まぁ、こんなこともあるさ。


▼そして、ぼくもスタジオ出演する「第5回 タックル国際会議」の収録となったわけだが、この収録もやっぱり靖国参拝をめぐる激論になってしまった。

 靖国神社への参拝が、そう本質的に重要な最優先の問題とは思わない。
 しかし、ここまで激論になる以上は、靖国参拝を通じて、わたしたち日本国民が、あの戦争をめぐるすべてのこと、東京裁判や、戦後の日本型民主主義の歩みとか、それらを考える貴重な契機として、むしろ積極的にとらえるべきなのだろう。


▼「タックル国際会議」の収録でも、昭和天皇がA級戦犯合祀を批判された発言をメモしたという「富田メモ」が一つの焦点になった。

 ぼくは、この収録の後日、ある政府関係者から「あれは昭和天皇の発言ではありません」という電話をもらった。
 それを鵜呑みにするのではなく、ぼくなりに調べてみて、「合理的な疑いはある」と結論づけて、独研から会員へ配信している「東京コンフィデンシャル・レポート」で2回連続で詳しく述べた。
 第3回を、今週中に配信するつもりだ。

 この地味ブログを訪ねてくださったかたにも、結論だけは述べておきます。

 断定はできないが、徳川義寛侍従長の発言だった可能性は否定しきれないと考えている。
 ただ、誰の発言だったかという迷宮に踏み込んで、それでよしとするのではない。
 昭和天皇ご本人の書き残されたものではなく、側近中の側近だった富田朝彦・宮内庁長官(当時)とはいえ他人の書き残したメモを、過大にとらえて、靖国参拝の是非を論じることの危うさを、考えるべきだと思う。

 それに昭和天皇ご自身が、「立憲君主制としての日本型民主主義」の意味を、深く理解されていて、御自らの発言によって、たとえば内閣総理大臣の行動が変わるといったことを厳に慎まれていたことを、わたしたちはもう一度よく、思い出したいと考える。

 いずれにしても、靖国参拝をめぐって、この夏は暑い。
 東京裁判というものを、20代の日本国民の9割が知らないという調査結果(…これをそのまま信じるのではないが)も出ているのだから、靖国参拝も、富田メモも、やはり良い契機だとは思う。

 あの戦争を、わたしたち国民がこの国の主人公としてとらえ直し、世界に発信すれば、アジアと世界のこれからの歩みが変わる。
 それは凄いことだ。



*ところで、7月25日の不肖ぼくの誕生日に、ずいぶんと沢山のお祝いメールや書き込みをいただきました。
 ことしも、こころから嬉しく、すべて読ませていただきました。
 お礼がたいへんに遅れ、しかもおひとりおひとりにお礼を申せなくて、ごめんなさい。この場を借りて、胸いっぱいのお礼を申します。

 写真は、独研の社員・スタッフたちが、祝ってくれたケーキです。
 みなさんも、よかったら、ひと囓りしてください。
 おいしいです。



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