▼きょうという日を、正直に表現すると、人間というものはここまで疲れるものか、疲れ果てると、ここまでどうしようもない状態になるのか、それを知ったと言うほかない。
とにかく、あまりにも疲れていて、横になってもなにも楽にならず、身の置きどころがない。
横になっていても辛いだけで体調は良くならないし、休んでいては、仕事が前進せずにおのれが困るだけなので、机に這いあがって、急ぎの原稿を書こうとすると、またモバイル・パソコンが突然に再起動してしまい、エラーチェックを始めてしまうトラブルが頻発する。
それでも、さして気にせず、なんとかなるだろうとパソコンのエラーチェックが終わるのを待っている。
もうすこし苛(いら)ついてもいいのに、これも実はむしろ疲れのせいで気力がないのかも知れない。
▼と、思っていると、モバイル・パソコンが完全にブラックアウトしてしまい、いくらやっても二度と起動しなくなってしまった。
さぁ、これは大変だ。
デッドラインの締め切りが来ている、週刊誌の連載原稿が送れない。
記者時代から、それも共同通信の東京本社へ上がるまえの地方支局時代から続けている連載だから、もう20年を超えている。
匿名原稿なので、こうした仕事はもう整理したい。
週刊誌の編集者になんども「もう他のひとに代わってもらいたい」と話したが、いつも、「他の人では、こんな原稿は出てきません。なんとかお願いします」という答えだ。
もちろん無理に切ってしまおうとすれば、それで終わる仕事なのだが、僭越ではあっても確かに他の人ではこういう原稿にならないだろうと思うので、編集者と読者のことを考えて、続けてきた。
もう、やめなさいという天の声かなぁとは思ったが、とりあえず、そんなことを言っている場合じゃない。
このままでは、週刊誌に穴が開いてしまう。空白のページになるわけではないけど、連載が前触れなく中断することになる。
このとき、ぼくは都心からかなり離れたところにいたから、独研の本社に戻って他のパソコンを使うのでは、間に合わない。
編集者に電話をしておいてから、インターネット・カフェを探す。
幸いに、見つかったけど、そこのデスクトップ・パソコンには、PCMCAカードの差し込みスロットルがない。
モバイル・パソコンの原稿ファイルは、このカードでバックアップしているので、これでは、せっかくほぼ書きあげていた原稿のデータが取り出せない。
やむを得ず、まったく頭から書き直す。
疲労で身体がぐらぐらしているが、休んでいる場合じゃない。
1時間半ほどで、ようやく書きあげて、送信し、どうにか間に合ったようだ。
壊れたモバイル・パソコンのようにブラックアウトしてしまいたいぐらい、なんとも表現できないぐらいに疲れた、ぼくが、残った。
▼モバイル・パソコンが壊れてしまうと、自宅へ帰ると、なにも仕事ができないから、帰るわけに行かなくなり、深夜に独研の本社へ戻る。
こんな状態で会社へ帰るなんて、自分でも信じられない。
このモバイル・パソコンは前から不安定になり、いつかブラックアウトするぞと警戒していた。
修理に出すと、その間に仕事ができないし、凄まじいハード・ユースだからもう寿命かも知れないので、買い換えようと考えた。
しかし独研の経理担当者が、あまり嬉しそうな顔をしなかったので、つい遠慮してしまった。
ぼくはワンマン社長にみえて、実は調和型だ。
こういうやり方も、そろそろ限界なのかも知れない。
自分がブラックアウトしてしまうまえに、もうすこし、自分の都合を優先させてもいいのかも知れないね。
独研の本社でただひとり、夜が深まり、やがて朝が来る。
いま2005年6月24日金曜の未明3時51分。
会社にひとりいるとき、ぼくはときどき、誇りと、気持ちのよい責任を感じる。
このオフィスも、朝になったら集まってくるスタッフも、この会社のすべては、誰の力も借りずにぼくが立ち上げた。
ふーん、ちょっとだけ頑張ったじゃないか、なかなかラッキーじゃないか、天に感謝しろと、自分に呟くときも、たまにないではない。
疲れがいつか、去っていく日もあるだろう。
前へ、前へ。
▼きょうの写真は、サンフランシスコへ出張したとき、画面に映っているノート・パソコン(VAIO)が壊れてしまって、困り果てたホテルの部屋の中です。
このあと、街へ出て、日本語が使えるパソコンを探し回りました。
ホテルのビジネス・センターには、英語しか使えないパソコンだけだった。
それでは、日本語の原稿が送れない。
もう二度とこんな苦しい時間を過ごさないようにと、この写真を撮ったのにね。
だけどまぁ、きょうは国内だったから、この時よりは、はるかにマシな状況ではありました。