Our World Time

追伸の2

2007年12月27日 | Weblog



 もっと、ありのままに書かねばなりませんね。

 テレビなどのメディアで、裏取りのされた事実が事実として、なかなか伝わらないことがあるのは、ぼくの話しぶりなど、もろもろが、どうしようもなく下手くそなのが第一の原因です。放送が終わると、実際に、後悔ばかりが次から次へと沸いてきます。おのれが情けない。
 ただ、それと同時に、日本国のどうしようもなく深い権威主義の壁もあります。

 官僚だった経験が一度もない、純然たる一民間人が、国や自治体の安全保障に関わると…怪しい、となる。
 旧財閥系のシンクタンク、三菱総研にいたときは、怪しくなくて、独立系のシンクタンクを同志と一緒に創建したら、とたんに怪しいとなる。
 大組織の共同通信で記者をしていたときは、情報入手の絶対のルール、モラルとして情報源を明かさないことが社会的にも当然だったけど、共同通信を去って情報に接し、それをもとに発信すると、情報源を明かさないから怪しい、となる。

 このままでは、わたしたちの祖国は、いつまでも官僚をあがめ、旧財閥のヒモを必要とし、大組織に属さず自立しようとする人間はむしろ信頼されない国であり続けるのではないでしょうか。

 もう一度申せば、事実が事実として伝わらないことがあったときの最終責任は、すべて百パーセント、ぼくの下手くそぶりにあります。
 権威主義の壁を打ち破れないのも、下手くその一種ですから。

 ただ、いつかは、権威主義にまみれていない、みんなが自律している国民国家に変わりたい、変わってほしい。
 それが、ぼくの短い生が終わり、ぼくが跡形もなく消え去ったあとでも、いいから。
 ぼくのように下手くそな人間は、きっと、その新しい国民国家をこの眼で見る権利がないのだろうと今、思います。

 ビートたけしさんが、かつてTVタックルを収録するスタジオで、ふと「あの人は下手くそじゃん」と、ある評論家をさして、小声で漏らしていました。
 ぼくに語りかけたのじゃなくて、たまたま耳に入りました。
 もう何年も前のことです。
 ははぁ、テレビ参加(出演)にも、上手下手がやっぱりあるんだなぁと、ぼくは素朴に感心し、それ以来、テレビとかそういうことだけじゃなく、自分の万事にわたる下手くそぶりを見つめています。





追伸

2007年12月27日 | Weblog



 テレビにもラジオにも出たくない、というのは、数は少なくても真摯に耳を傾けてくれる視聴者のかたがた、それから、テレビ・ラジオ局の良心派のスタッフのみなさん、このひとびとを考えると、言えない、限りなく言いにくい。

 ただね、毎晩、未明から夜明けにかけて落ち込んで、朝にむりやりフッカツしている、おのれの実像も、ありのままに記しておきたいのです。
 ぼくは物書きだから。おのれをさらけだすのが、ほんらいの物書きだから。

 真摯な視聴者と、良心派のスタッフには、魂から、感謝しています。
 感謝だけじゃなくて、みなさんがいなければ、とっくにテレビもラジオも、関西テレビの報道番組「アンカー」も含めて、全面的に降りていました。

 降りなかったのは、ただただ、みなさんのおかげです。ぼくが強いからではありません。




この社会のひとと組織と、そして祖国の危機管理が仕事だけど、おのれの危機管理はしない。許せ、みなさん。

2007年12月27日 | Weblog



 もうテレビもラジオも出たくないなぁ。
 それが、たった今の、いちばん正直な気持ちかな。

 といっても、もともと、あんまり出てはいないけどね。

 へたくそな話でも、こころの耳を傾けてくれるひとたちが数は少なくても、いるから、ぼくには、短く生きているあいだに、どうしても伝えたいことがあるから、すこしだけテレビやラジオの番組に参加している。

 出演という言葉は、違うと思う。
 俳優じゃなくタレントじゃなく、演じているのじゃないから。
 裏取りのできた事実だけを話してきた。

 ぼくだって憶測も推測もする。
 共同通信の記者として生きた19年と8か月のあいだに、その憶測や推測を、そのまま人様に読んでもらう記事にするのではなく、仮説に変えて、その仮説をもとに、事件や経済の動きや政局の当事者の、その懐に飛び込んで、話を聞いて聞いて、また聞いて、確認ができたことだけを記事にしていく。
 それを学んだ。
 ほとんど、それだけを学んだ。

 報道機関から、シンクタンクの三菱総研に移って、さらに三菱総研で出逢ったひとたちと共に、独立系のシンクタンクを創立しても、この記者時代の原則は変えなかった。これからも変えない。

 おのれの、いちばん大切な原則が、ぼくのあまりに下手くそな話しぶりによって、なかなか信じてもらえない…ときも、ある。
 めげる。

 めげるから、もう、やりたくない、というのでは、ただの子供に戻ってしまう。
 だから、逃げるわけにはいかない。

 それでも、年が越せない気分、というか、こんな気分は、生まれて初めてだ。
 刀折れ、矢尽き、という言葉があるけれど、それだね、それ。
 伝えたいことが通じない。
 いや、違う。
 伝えたい事実が、通じない。
 いや、事実の背後にある積み重ねが、通じない。
 どれほど積み重ねても、テレビ画面やラジオのスピーカーの真向かいにある、この日本社会の常識や決めつけや利害によって、あっさりと幻にされる。
 すべては、ぼくの非力のせいである。

 年を越していくとしたら、ぼくの力ではなく、天がぼくを越させてくださる。
 もっともっと、もっと、私、わたくしを捨てる。
 それしか解決はないのだろう。


 2007年の12月27日未明3時4分 ゆうべ輝いていた月がみえない