▼いまは4月29日日曜の午前4時28分。
きのうの書き込みから、丸一日ほどが経ちました。
そして今日は、昭和天皇のお生まれになった日です。
きのうの第5回独立講演会(神戸)は、たくさんのかたが詰めかけてくださり、なかにはフランスのリヨンから、あるいは東京から、横浜から、広島からと、神戸・大阪以外にも遠くからわざわざ来てくださいました。
ぼくは、思いがけず4月28日土曜の午前から、急激に体調が悪くなりました。
去年2月のガン手術の直後とか、ガンの後の腸閉塞で死に直面したときとか、講演会のまえに極端に体調が悪かったことはありましたが、このように、何気ない日常のなかで体調不良を起こして、そのまま講演に臨むのは初めてでした。
なんとか立て直そうとシャワーを浴びて、髪もまだ乾かないうちに独立講演会の会場に入りましたが、多くのかたが、ぼくの顔色の悪さをありのままに感じておられたようで、みなさん、なんというか、さすがですね。
講演を始めてから、突然、女性のかたから「腰は大丈夫ですか」と聞かれました。
そのときは、腰はまったく問題がなく、はてな?という感じだったのです。
ぼくはスキーのジャンプで墜落して、左腰の骨(腰椎横突起)を5本全部、引きちぎるように骨折してから、まだそう何年も経っていません。しかし後遺症はないのです。ぼくの身体をケアしてくれる鍼灸(しんきゅう)師は「分厚い筋肉がトレーニングで腰に付いてるから、後遺症が起きていない」という診断です。
だから、この女性のかたから腰の心配を聞かれたときも、不思議に思いつつ「大丈夫ですよ」と応えたのですが、それからしばらくして実際に腰が痛み出したのです。
体調が悪いと、身体を支える腰や足に、微妙な変化が出るのでしょうね、これまで経験しなかったタイプの腰の痛みでした。
いつものように、5時間強(午後1時すぎから午後6時15分ぐらい?)を立ったまま講演し、ご質問に答えていったのですが、後半には、珍しく立っているのが苦痛になっていました。
心残りは、そのために、最後にみなさんにしっかりと頭を下げてお礼できなかったことです。腰が深くは曲がってくれませんでした。
あの女性のかたの直感は凄いですね。
そして5時間強を、ただひとりも居眠りなさらず、どんどん手を挙げて質問してくださった参加者のみなさん、みなさんは凄いです。
講演が終わり、みなさんひとりひとりとの握手、たまにはハグ、それも終わり、さぁホテルに帰ろうとなったとき、どっと疲労が噴き出し、ホテルに着くと、ぶっ倒れて眠りました。それが午後7時前後だったでしょうか。高熱で汗びっしょりでした。
そして午後9時過ぎに目が覚めたときには、もう7割方、回復していました。
熱もかなり下がり、うどんを食べることができて、ホテルからもらった薬を飲みました。
そのあと再び、眠り、今はもうほとんど問題ありません。独研(独立総合研究所)から会員制で配信している東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)の執筆に戻っています。
講演中から、両足の土踏まずが痛み出したのも驚きでした。にんげんの身体って、面白いですね。全体のバランスがわずかに崩れていたのでしょう。
その両足も、すっかり回復しています。
身体の回復力は健在のようです。
▼今回の独立講演会のなかでは、拉致被害者の奪還に、長年取り組んできた良心派の情報当局者が、非常に厳しい、辛い見方をしていることを、あえて初めて紹介しました。
しかし講演でお話ししたように、ぼくの見方は違います。
長年、フェアに意見を戦わせて、その良心を信頼する相手であっても、意見の違いはあります。
独立講演会にいらっしゃるかたがたは、みずから目を覚ましているかたがたです。
意識の高いみんなだからこそ、楽観論や理想論に逃げることなく、厳しい現実と真正面から向かいあって、拉致被害者をひとり残らず取り返すということを、いちばん、伝えたかった。
みなさん、ありがとうございました、こころの底から、ありがとうございました。
みなさんがどれほど拉致被害者とそのご家族の苦しみを、我が事として捉えているか、それがぼくに深く伝わりました。
それが日本国民にある限り、希望は途切れません。
▼さぁ、夜が明けてきました。
写真は、ゆうべの夜景の神戸港の、きょうは夜明けです。
このあと兵庫県加西市に向かって、講演です。
ぼくには、ふるさとが3つあります。
ひとつは、生まれた神戸ですね。
ぼくの父は、繊維会社の経営者の8番目の子、末っ子でした。
その繊維会社の神戸支店にいたとき、ぼくが生まれました。父のお兄さんがたが、落馬で亡くなったり、当時はまだ珍しかったオートバイに乗っていて川に転落して亡くなったり、次から次へと亡くなって、末弟の父に突然、社長に就任するという重い責任が回ってきたそうです。
そこで父は、繊維会社のある兵庫県加西郡(現・加西市)に戻り、ぼくたち家族も神戸から引っ越しました。
この加西市が、ふたつ目のふるさとです。
ぼくはその加西市から、姫路市の淳心学院中・高等学校にバスで通いました。だから姫路市が、みっつ目のふるさとです。
今日は、ふたつ目のふるさとで講演するわけです。
講演のまえには久しぶりに、父のお墓参りにも行ってきます。
父には申し訳ないけど、父の遺髪をぼくは仕事部屋に置き、水を捧げています。
硫黄島の英霊のかたがたや白梅の少女たちに水を捧げるとき、最初に父とご先祖さまに捧げているのです。
そのために父は、ふるさとならざる地にとどまっているのではないかと心配していたのですが、去年、この加西市で講演したとき、舞台で話しているぼくの傍らに父が来ているのをありありと感じました。
あぁ、ちゃんと青山家のお墓にいるんだなと、安心したのでした。