Our World Time

ところで…

2011年09月24日 | Weblog
▼…ありとあらゆるニュースのうちで、これほど驚いたニュースはない。
 ニュートリノが光速を超えたというニュースだ。

 未来へのタイムマシーンはある。ありえる。
 光速に限りなく迫る列車があれば、その車中にいる乗客には時間がゆっくり流れる。
 そして、この列車が地球をぐるぐる廻ったあとに、駅で降りれば、ふつうに時間が流れていた外は、すっかり未来になっている。
 もう友だちも、愛する人々も死に絶えたあとの世界に、乗客は降り立つ。

 しかし、過去に行くことのできる列車はない。
 なぜなら、光速を超える物質が存在しないからだ。

 ところが、もしも光速を超える物質があるのなら、それに仮に人が乗っかれば、時間は逆戻りする!


▼ぼくたちは、二度と過去には戻れない。過ぎた時間は決して戻らない。すべての歴史も取り戻せない。やり直せない。
 そう理解し、覚悟するところに、人生観と世界観もある。

 それが、過去に戻れるとなると、やり直せることになり、歴史も変えることができることになる。
 これこそまさしく時間のパラドックスを生み、現在と未来も無限に、無秩序に変わってしまうことになり、世界が崩壊し、だからこそ「やっぱり過去への旅だけは、ない」ということにもなっていた。

 もしも、ほんとうにニュートリノが光速を超えたという実験が正しいのなら、その世界崩壊の始まりだ。


▼まぁ、やがてこの壮大な実験に見落としや欠陥が見つかって、「やはり光速を超えるものはなかった」と落着する…のかも知れないが、ホント、驚きました、このニュース。

「単純年齢」を問わず、頭と身体と魂が若い、若者よ、隠れた天才よ、物理学をやれ。
 残された最大のフロンティアは、まだ見ぬ荒野は、宇宙論にある。




*この地味ブログ、これからは、余談も、日々の点描もすこしづつアップしていきます。



日々の点描(2)

2011年09月21日 | Weblog


▼いま9月21日水曜の午後1時35分。
 台風のなかを沖縄へ飛び、そこから大阪に移る出張の、3日目だ。東京に帰るのは、明日になる。

 明るくなってきた大阪の空を見ながら、関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー」生放送への参加(出演)まで、あと3時間半たらず。
 ずっと、その準備のための情報収集を続けている。
「青山のニュースDEズバリ」のコーナーだけではなく、みんなにむごい被害をもたらしている台風についてもフォローする。


 ふと、こころの支えを探すことがある。
 こころの支えは、がっちりしているのに。
 なぜかな。

 全身麻酔の手術のあとの、細胞の疲れというやつが、まだ、去っていかない。
 根気がなくて、仕事がどんどん遅れている。
 だから、こころの支えと言うより、ほんとうは、身体の支えなのかも知れないね。

 

▼1週間まえの9月14日水曜は、いつもの水曜と同じように「スーパーニュース・アンカー」を終えたあと、京都に急行し、ライブハウスで青山千春博士とともにトークショーをやり、最後には「アンカー」の名キャスターにしてミュージシャンのヤマヒロさん(山本浩之アナ)とデュオを組んで、ミニ・ライブコンサートもやった。

 そんなことも、この地味ブログに書き込みたいけど、遅れている仕事がまず優先なので、なかなか書き込めない。
 独研(独立総合研究所)から発行してる会員制レポートも配信が滞っているから、9月末までにたっぷり配信するのと、「ぼくらの祖国」(扶桑社)の原稿の全面改稿を、同じく9月末までに完了するのと、これらが終わってから、楽しく書き込みます。

 とりあえずは、ちょっと写真だけアップ。



日々を、ちょい点描

2011年09月13日 | Weblog


▼きのう午後、たまたま空いたわずかな時間に、独研(独立総合研究所)近くの鍼(はり)治療院に行った。
 ぼくの身体をよく知る、ちょっと天才的な若い鍼師が「癌だという診断を受けられたそうですね」と言う。

 驚いて、「えっ? それは今年1月の話で、2月にもう大腸癌の手術を受けましたよ」と答えた。
 そんなに長い間、この信頼する鍼師の施術を受けていなかったのか、とびっくりしたのだった。
 忙しい、という言葉があるけど、そんな言葉では表現できないほどになっていることを、実感した。

 大腸癌そのものはごく初期で心配は要らないこと、術後の本格的な検査を受けたばかりだけれど何の異常・転移もなかったこと、術後の詳しい検査結果によると大腸癌はⅠ期の、その前という極めて初期の状態だったから執刀医は「今後も転移の心配はありません」と言っていること、しかし大腸癌の前後に、尿管結石、重症肺炎、腸閉塞を経験し、肺炎と腸閉塞では死の一歩、いや半歩手前まで行きつつ講演のドタキャンはせずに遂行したこと…などを手短に話した。
 鍼師は、そう驚く様子もなかった。ぼくの身体も、生きる姿勢もよく分かっているということなのだろう。


▼1時間ほどの施術のなかで、前半の終わり頃に、もう何か、晴れ晴れしてくるような効果を感じた。
 しかし施術が終わると、鍼師は言った。
「身体が張りを失っていますね。ツボというツボが、元気ない」
 このごろ、言葉にできないような疲れを感じてはいたけど、身体は依然、水を弾いてつやつやしてるなぁと、たとえばトレーニング・ジムの風呂場では感じていたから、ちょっと、がっかりした。


▼夜、福島原子力災害をめぐってBBC(イギリス国営放送)のドキュメンタリー制作チームのディレクターから取材を受けたあと、深夜に、青山千春博士と話すと、彼女もこの鍼師の施術を、たまたま夕刻に受けたそうだ。
 ぼくの4時間ぐらい後だ。

 そして、鍼師は「青山繁晴さんの身体は、手術にびっくりした状態がまだ続いていて、細胞がふつうの人と同じレベルになってしまっています。それでも、今まで通り超人的に動いているから、とても疲れやすくなっている」と話したそうだ。

 ぼくは「じゃ、ふだんは、ふつうの細胞じゃないわけ?」と笑いながら聞くと、青山千春博士は真顔で「そう言っていたよ」。
 ふーん。
 ま、いずれにしても、癌の手術後の休息がやはり足りない、ということなのだろう。

 しかし休むわけにいかない。
 ふひ。

 忙しさにかまけて、いろいろな方々に不義理をしているようで、それがいちばん、気になる。
 仮眠のとき、短い夢をみると、大体はそのことが出てくる。
 ふひ。



「長すぎる書き込み」のうち、その2に、すこし書き足しました

2011年09月02日 | Weblog
 出張先の沖縄で、組閣をめぐる情報を電話とEメールを使って集めて会員制レポートの仕上げを急ぎつつ、同時に、航空自衛隊の機関誌「翼」のための福島原子力災害についての原稿の仕上げも急ぎ、そして、この地味な個人ブログにおいても、必要な書き足しがあると考えました。

 今回の沖縄出張で、わたしたちの日本国と沖縄のあり方をめぐって、希望の芽生えがあったと実感しています。
 だから、すこし明るい気持ちと、「ぼくらの祖国」の全面改稿の仕上げがまたしても遅れていることに、何とも鋭い苦しみも感じています。

                      9月2日金曜 早朝 沖縄にも台風の風が来ています

訂正とお詫び

2011年09月02日 | Weblog
下掲の「長すぎる書き込み その1」で、われらが栗林忠道中将のお名前が、栗林忠通中将となっていました。
「道」が「通」と変換されていることに、気づきませんでした。
たいせつなお名前を誤記していたことを、深くお詫びします。

長すぎる書き込み(1/2)

2011年09月01日 | Weblog

▼いま9月1日の朝5時過ぎ。
 夜明け前の、那覇にいます。
 きのう8月31日夕に、関西テレビ・アンカーへの生出演を、今週もどうにか終えて、関西国際空港から最終便に乗り、沖縄に入りました。
 わたしたちの「白梅学徒看護隊」の少女たちと、沖縄戦の日本の将兵のために、なさねばならない緊急の役割あり、沖縄に来ました。
 今日の午前に、たいせつな人と会います。

 以下の書き込みは、この地味な個人ブログで過去最長だろうし、これからも、これより長い書き込みはないでしょう。

 字数制限があって、1回ではアップできないので、2回に分けてアップします。
 したがって、この書き込みはここから読んでください。


【長すぎる書き込み その1】

▼8月18日木曜の未明から、以下のように綴りはじめました。

─────────────────────────────────────

▽このところ、あまりにも徹夜が続いていて、絶え間ない吐き気や、珍しく頭痛もあるから、今夜だけはいったんは寝て、夜明け頃から仕事を再開しようと思った。
 しかし、いくらなんでも理不尽なことがあり、寝ないまま、これを書く。いつ書き終わるのか分からないし、いつアップできるかは分からないけど。


▽8月10日の水曜日、関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー」にいつものようにレギュラー参加(出演)したとき、プロデューサーやディレクターから、次のような趣旨の話があった。

「俳優の渡辺謙さんに、戦争をテーマにした新作の映画があり、まもなく公開です。来週の『青山のニュースDEズバリ』のコーナーは、その渡辺謙さんとの対談にするのはどうでしょうか。夏休み企画として、考えませんか」

 渡辺謙さんは、映画「硫黄島からの手紙」で、わたしたちの魂の灯火である栗林忠道・帝国陸軍中将を演じたひとだ。
 ぼくは「新作映画のことだけではなく、硫黄島の英霊たちをめぐっても自由に対論できるのなら受けます」と答えた。

 その後、この新作映画「SHANGHAI」とは別の映画会社のフィルムである「硫黄島からの手紙」について話すということに、先方が難色を示しているようだという話も、関テレからEメールで、あった。(先方とは、渡辺謙さんご自身ではありませぬ)

 硫黄島のことを話せないのであれば、この対論はやらない。
 ぼくはそう決めていた。
 淡々と、その新作映画のDVD(非売品の公開前DVD)を見て、準備はしていた。しかし、前述のEメールの雰囲気からして、「対論はキャンセルになるんじゃないかな」とも思っていた。

 そして1週間後、8月17日の水曜が迫ってきて、ぎりぎりのタイミングで関テレのディレクターから「先方から、硫黄島の話も含めてOKが出ました」という、こころから喜んでいるようすのEメールが来た。
 記者出身で元特派員のこのディレクターは、渡辺謙さんと不肖ぼくの対談、いや、さらにヤマヒロさん(山本浩之アナ)が加わっての鼎談を「男対男のがっぷり四つ」として期待しているらしかった。
 こんな言いかたは何だけど、ぼくは、その期待をほほえましく思った。このディレクターは就任したばかりだし、仕事ぶりに良心的な緊張感があり、期待に応えてあげたいなと、僭越ながら胸のうちで考えていた。


▽8月17日水曜の朝も、徹夜のまま迎えて、朝、RKBラジオ(福岡)「スタミナラジオ」の「ニュースの見方」コーナーに電話で生参加(出演)した。
 そのあと、夕方のアンカーのために仮眠を取ろうかなとは思ったけれど、まるで山が崩れるように散乱している書類と資料を放っておけなくて、独研(独立総合研究所)社長としての仕事に戻り、一睡もしないまま大阪へ向かい、関テレに入った。

 初めてお会いした渡辺謙さんは、芸能の世界には珍しく自意識の過剰をまったく感じさせないひとだった。そして「新作映画の宣伝なんて、しなくていいですから」と、さらり、おっしゃった。
 私心なき栗林中将を演じるに、ふさわしいひとだったんだ。そう思った。おかげで激しい、辛い眠気も、すこし軽くなる気分だった。
 ぼくは、それだからこそ渡辺謙さんの立場を考えつつ、ぎりぎりのバランスを取って話した。世界的な映画スターだから考えたのじゃない。生放送だけにある緊張感いっぱいのスタジオで目の前で向かいあって、澄んだこころ、静かな水辺のような気配を感じたからだ。

 そのうえで、「アメリカの言う、いおうじま、ではなく、祖国の一部である硫黄島を、いおうとうと正当に呼んでいただきたい」、「硫黄島の英霊たちの戦いについて、戦争は悲惨だと語るだけではなく、ひとのために、公のために生きた値打ちのある戦いだったことも子々孫々に伝えていただきたい」、この二つのお願いを、あくまで一方的なお願いとして(すなわち強いるのではなくて)話した。

 生放送でのここの下りはどうだったか。
 水曜アンカーのこのコーナーをいつも、無償の努力で一字一句正確に起こしてくださる大阪の主婦「ぼやきくっくり」さんのブログから引用してみる。

~引用の始まり~

青山繁晴
「あの、渡辺謙さんが『硫黄島』の映画を撮られる前に、中将の人間性を訪ねて、長野県松代へ行かれてですね、あの、中将が実際に残されたお手紙も読まれたこと、実はご遺族からも僕も聞きまして、あの、今日の謙虚に(青山註:放送前に関テレの報道部に)挨拶に来られたのと同じように、その、ほんとに礼を尽くされる方でもあると思いました。で、実はその硫黄島については、僕は、あの、お願いがあってですね、渡辺謙さんに。そのうちのまず第一は、あの映画の、英文名は『Letters From Iouzima』、それはしょうがないんですよ、アメリカが間違えて『いおうじま』と読んでるから。でも、これは僕たちの祖国の一部で、これ『いおうとう』ですから」

渡辺謙
「『いおうとう』ですね、はい」

青山繁晴
「『いおうじま』って鹿児島県に無人島が別にあります」(これについては番組最後に訂正あり)

渡辺謙
「はい、はい」

青山繁晴
「それから旧島民、旧って言いたくないんですが、島民の方々は、ずっと戦後何十年間も『いおうとう』に名前戻してくれとおっしゃってたわけで、だから映画の題名はしょうがないけれども、あの、折に触れ、硫黄島のことを語られる時にはやっぱり『いおうとう』とおっしゃっていただきたいと」

渡辺謙
「ああ、なるほど」

青山繁晴
「それから、もう一つはその、栗林中将以下、2万1000人の、私たちの先輩の方々の戦いが、あの、無駄ではなかったと。つまり、戦争はおっしゃった通り殺し合いですから、僕なりにユーゴ戦争、旧ユーゴ戦争やイラク戦争を歩いて、戦争がどれほどむごいものかを、この身でも体験しましたけれども、しかしその中であの、硫黄島の英霊たちの、戦いというのは、その、人間が私利私欲じゃなくて人のため、公のために生きるという生き方を示した。だから、殺されたアメリカ兵の側ですら、硫黄島の英霊たちを尊敬して、どうして遺骨が未だにあの島から帰らないのかということを、僕に聞く、アメリカ人も多いわけですね。だから、あの、戦争は悲惨だって言うだけじゃなくて、文字通り、栗林中将が乗り移られて、あの映画で演じられたので、あの、無駄ではなかったんだということも、あの、私たちの子供たち、子々孫々に伝えていただきたいなと、あの、思うんです。2つお願い、今日、申し上げたいなと思いました」

渡辺謙
「はい」

青山繁晴
「もうそろそろ喋るのやめにした方が…(一同笑)」

~引用の終わり~


 ふだんより「あの」が多くて、自分の語りが嫌になる。
 ひとつには、コーナーの入り口でいきなり次のようなやり取りがあって、あまり喋っちゃいけないと本気で思っていたからだ。

~再び、「ぼやきくっくり」さんのブログから引用~

山本浩之
「ええ。あの、渡辺謙さんにもたっぷり喋っていただきたいので、あんまり喋りすぎないようにお願いしますね(一同笑)」

青山繁晴
「はい、そうですか(笑)、はい分かりました。じゃああの、口にチャックを、半分、半分閉めながら、このあとヤマヒロさんを交えて、あの、鼎談(ていだん)で、生でお送りしたいと思います」

~引用の終わり~

 もちろんヤマヒロ(山本浩之)さんに他意は全くなくて、渡辺謙さんの語りが短くなることを単純に心配なさったのだろうと思う。
 ただ予想外だったので、ぼくはちょっとびっくりした。
 生放送というのは、ぎりぎりのバランスで放送する微妙なものだし、ぼくは信頼する人の言うことは何でも聞いてあげたくなるほうなので、すこしだけ影響した。

 ただし、鹿児島県の硫黄島(いおうじま)を「無人島」と間違ったのは、その影響じゃない。すべて、このぼくのせいだ。
 以前に防衛当局者と鹿児島、沖縄両県の島々の防衛について話していたとき「たとえば鹿児島県の硫黄島(いおうじま)のように無人島であっても中国には奪う価値がある」という話が当局者から出て、うかつにも、恥ずべきことに、そのまま鵜呑みにしていた。
 当局者のせいではなく、確認しなかった、ぼくのせいだ。
 これはとんでもない間違いで、島の方々にたいへんな失礼を働いた。あらためて、この頭を強く叩いて深くお詫びいたします。

 番組全体の終了間際のCM中に、プロデューサーからヤマヒロさんに「無人島ではないので、訂正してくださいね」という指示があった。
 しかし、番組ではなく、ぼく自身に重い責任がある。
 だからヤマヒロさんに「ぼくに謝らせてください」とお願いをした。放送界の通例あるいは慣行上のルールとして、番組での発言の訂正は、その発言をした参加(出演)者ではなくメイン・キャスターが行うらしい。
 しかし男ヤマヒロさんは、即座にぼくの気持ちを分かってくれて、OKしてくれた。
 そこで、ぼくは番組の最後15秒ほどの時間をいただいて、誤りを正し、深くお詫びした。

~みたび、ぼやきくっくりさんのブログから引用~

山本浩之
「先ほどのコーナーの中で一点、訂正があります」

青山繁晴
「はい、あの、コーナーの中で、鹿児島県の硫黄島(いおうじま)を無人島と表現しましたけれども、8月1日付で、121人の方がお住まいです。皆さん、申し訳ございません(頭を深々と下げる)。全責任は私にあります」

山本浩之
「いえ、あの、こちらから訂正しても良かったんですが…」

青山繁晴
「とんでもない間違いをいたしました」

山本浩之
「青山さんご自身が訂正を、ということだったので、えー、お任せしました。今日はどうもありがとうございました」

~引用の終わり~


▽硫黄島をめぐること以外では、映画「SHANGHAI」に出てくる上海の「日本租界」なるものは実在しておらず、映画にあるような、日本兵が次々と租界で人を殺害していったという歴史的事実はないこと、むしろ日本人居留区(アヘン戦争などで列強が作った租界ではない)にユダヤ人を受け入れて、ドイツ軍から守ろうとした歴史こそがあることも、渡辺謙さんに話した。


▽放送のあと、関テレ報道部のみんなは興奮気味で、前出の新任ディレクターは「まさしく男と男の対話が実現しましたね」と、噛みしめるように言った。
 ぼく自身は、鹿児島の硫黄島の方々に申し訳なくて、苦しくて、正直、それどころじゃなかった。
 何度も何度もディレクターやプロデューサーに「あの間違いはいけない」と繰り返して言い、プロデューサーは「人間ですから間違いもあります」と慰められ、その気持ちはありがたかったし、他のひとの間違いなら確かにそうだけど、自分の間違いは許せなくて、しっかり落ち込んだ。

 落ち込むぼくはぼくとして、関テレ報道部のみんなは喜んでいる。
 一言だけ別のことも申した。
「ふだん通りのコーナーをやって欲しかった、とおっしゃるひともきっといますから、賛否両論でしょうね、視聴者は。そういう反応もあると思いますよ」と話した。

 帰京するためにタクシーに乗るぼくを、わざわざ見送ってくれる関テレの面々のなかに、先日に大阪で開いた「第2回独立講演会」に来られていたひとがいた。関テレ報道局の幹部だ。
 ぼくは、このひとを講演会で、みなさんに紹介した。
 このひとは「静かに隅のほうで聴いていようと思ったのになぁ」とおっしゃるから、ぼくは「独立講演会に来てくださった聴衆のみなさんは、ほとんどがアンカーを大好きだと思いますよ。アンカーの志を、大好きなひとがきっと多いから、敢えて、紹介しました」と話した。
 このひとは、誠実が服を着ているようなひとだ。「海外からも(在外邦人のかたがたが)講演を聴きに来ていましたね」とおっしゃった。
 ぼくは「だから、一日も早く、アンカーの放送内容をネットで配信してください。みなさん、仮に有料であっても、きちんと視たいと思っているのですから」と、これまで何度も何度も提案してきたことを、もう一度、お願いした。
この人は、深く理解してくれたようだった。


▽そして帰京し、頭痛にすこし苦しみながら、航空自衛隊の機関誌「翼」から依頼された福島原子力災害をめぐる原稿を書きつつ、ネットをすこし見て、驚いた。

「アンカーのスポンサーに、K-FOODS(韓国農水産物流通公社)が加わったから、菅総理ら民主党議員による拉致事件容疑者側の団体への献金問題を取り上げなくなり、渡辺謙との対談に替えた」という趣旨が、たくさん書き込まれていた。

 え?
 なぜ、ぼくがスポンサーに影響されねばならない?
 ぼくは関西テレビを含め、どこのテレビ局とも契約をしていないし、芸能プロダクションといったところとは一切、契約しないから、番組のスポンサーの意向には決して影響されない。
 そもそも、どこがスポンサーかも知らない。
 なぜか。
 放送中のCMタイムは、資料や情報メモを確認したり、文字通りぎりぎりの忙しさで、画面をまったく視ていない。
 たとえば別寅という、おいしそうな大阪の蒲鉾屋さんがスポンサーの中にいらっしゃるらしいのは、「別寅を応援しよう」というネットの書き込みで承知しているが、実際にCMを視たことは一度もない。

 これに関して、独研から配信している会員制レポートですこし触れたら、レポートを読んだ高校生から、この地味ブログに次のような書き込みがあった。

『青山さんは「生放送中にCMが流れているとき、スタジオ内にCMの音声は聞こえないし、CMが終わって生放送が再開するとき何を話すかを考えつつ、情報メモや資料を見ていて、モニター画面もまったく見ていないからだ。」と(配信されたレポートの文中に)記されていました。ぼくはかつて青山さんが「べっとらかまぼこのCMの後に…」とおっしゃておられたことを覚えていたので、「全く」とはいいすぎではないかと思います。いかがでしょうか?
まぁ、これも大人の流儀かなのかも知りませぬが。
ぼくは少し疑問をいだきました。』

 大人の流儀とは、いったい何だ?
 すこしなら話の流れに合わせて誇張してもいい、言いたいことを強調するためには、すこし事実を変えてもいい、それが大人の流儀なのかも、と言いたいのかな。
 この書き込みにも、ちょっとだけ落胆した。
 大人も中高生も関係ない。ぼくが常日頃、いったい何を訴えていると、受け止められているのだろうか。
 大人を分かったようなことを言うべきじゃないし、どうしてこう、それこそ大人も高校生も、志を、低きに置き直すかのように解釈なさるのだろうか。


▽テレビ番組に参加(出演)するとスポンサーにへつらって、阿(おもね)なければならないのなら、ぼくはこれまで一度たりとも番組に参加することはなかっただろう。
 テレビに顔をたまに出すようになってから何年かな。
 共同通信の記者を辞めて、三菱総研の研究員になってしばらく経ってからだったと思うから、12、3年か。
 その間、一度も「スポンサーの意を汲むように」とテレビ局から求められたことはない。
 ある情報番組で欠陥マンションの問題を扱っていたとき、番組に同席していた芸能界のひとが、他の出演者(芸能人)に「マンションの会社がスポンサーに付いてんねんから、マンションの悪口は言いなや」とスタジオで声を掛けているのは見たことが一度ある。
 しかし、そのひとも、芸能界と関係を持たないぼくには、何も言わなかった。
 ましてや、テレビ局から何かを言われたことは、関テレに限らず、まるでない。

 今後も、スポンサーのご意向なるものが、もしもぼくに伝えられることが起きれば、ぼくは即、その番組を降りる…のではない。
 もしもそれが起きれば、その番組がアンカーのように視聴者・国民にとって値打ちがあると思える番組であればあるほど、まず、テレビ局に猛然と抗議し、その言葉を撤回するよう迫る。
 それが聞き入れられなければ、降りる。
 テレビへの参加(出演)で生活しているのではないから、しがみつく理由が、ぼくにはない。
 考えるのは、視聴者・国民の願いと、テレビ局のスタッフの献身的な努力だ。
 しかしそれでも、おのれの発言内容をいささかでも曲げられる怖れがあれば、降ります。


▽そして、フェアに申しておきたい。
 ぼくを驚かせたネット上の書き込みも、「青山繁晴が、K-FOODS(韓国農水産物流通公社)がアンカーのスポンサーに加わったために、発言を曲げた、あるいはコーナーのテーマを変えた」とは、ぼくが視た限りでは(といっても見たのは、ただ一晩の、それも限られた時間のみだけど)、一言も書いてなかった。

「関西テレビがアンカーの内容を変えるのでは」、あるいは「アンカーがおかしくなるのでは」という疑念であり、「変えるに違いない」というものもあり、そして「アンカーのスポンサーに、K-FOODS(韓国農水産物流通公社)が加わったから、菅総理ら民主党議員による拉致事件容疑者側の団体への献金問題を取り上げなくなり、渡辺謙との対談に替えた」という憶測すら、前述したように、あった。

 しかし、ぼくの知る限り、これはあまりにも水曜アンカーの「ニュースDEズバリ」コーナーの実際と食い違っている。
 コーナーで何を取り上げるかは、常にぼく自身の提案であり、関テレ報道部の諸氏にヤマヒロさん、村西利恵ちゃんのMC(メイン・キャスター)ふたりも加わって、生放送前夜に激しい議論を戦わせはするが、決定は、ぼく自身がしている。
 具体的な話す内容についても、まったく同じだ。
 前夜に、怒鳴りあいを含めた議論はするが、最終的には、ひとことひとこと、ぼくが決める。
 それは実は、コーナーに限らず、ストレートニュースでの解説もすべて同じだ。
 ストレートニュースでの解説は、前夜ではなく、生放送当日の午後4時ぐらいから、つまりオンエアのまさしく直前に議論しているという違いがあるだけだ。
 ストレートニュースは、時々刻々起きていくナマニュースを扱うのだから、当然こうなる。

 したがって、もしもテレビ局が、スポンサーや国家権力などの意向で、ぼくの選ぶテーマや、話す内容を変えたいと思えば、ぼくにその事実を提示して交渉するほかないが、これまで、一度もそれが起きたことはない。
 だからこそ、ぼくが鹿児島の硫黄島(いおうじま)について無人島だと、恥ずべき間違いをしたとき、「全責任はぼくにあります」と生放送で明言して、深くお詫びした。
 また、だからこそ、渡辺謙さんの対談ないし鼎談をやるかどうか、事前に提示と相談があったのであり、「韓国のスポンサーが加わったから、菅総理ら民主党議員の拉致加害者側への献金問題の代わりに渡辺謙との対談を入れた」という事実経過は、全くない。
 第一、拉致事件は北朝鮮の問題であり、韓国ではない。
 それに、民主党議員の拉致加害者側への献金問題は、ぼく自身も、関西テレビ報道部も、それぞれの力を尽くして、ずっと情報収集と取材を続けているのであり、それが熟してきてから、再び放送するのは当然のことだ。
 新たな情報収集が充実しないまま、放送するなどということがあるはずがない。
 獅子はずっとひっきりなしに吠えているのが獅子なのか。
 ずっと吠えているのなら、それはおのれの気弱を隠したい犬であり、力にたやすく屈服する。
 わたしたちは獅子ではない。そんな格好の良いものではなく、ただの弱い人間であるが、力に屈しないことにおいては、獅子でありたいとは願っている。

 水曜アンカーのあのちいさなコーナーは、百パーセント、視聴者・国民の支えでこれまで260回を超えて、およ5年半続いてきた。
 視聴者・国民に媚びて申しているのではない。視る人が沢山いてくださるから、続けられる。

 そして韓国のスポンサーが付いただけで、ねじ曲げられるのなら、これまで続くはずがない。
 もっともっと強大な圧力が、政治からもあったし、半島勢力からも、その他からもあったからだ。
 しかし、1ミリたりとも、ねじ曲げられていない。
 政治、もっと明確に言えば自民党政権時代の政府機関から圧力があったとき、ぼくはひとりでその政府機関に行き、強く抗議して、「もう、こうしたことはありません」という確約を当時の政府高官から取った。
 これは、関テレには話していない。
 もう一度申すが、自民党政権の時代に起きたことであり、ことし4月22日に福島第一原発の構内に入り、その映像を含めて4月27日水曜のアンカーで放送したことを指しているのではない。
 現在の民主党政権(菅内閣の当時)は、テレビ局にではなく、ぼく自身に向けて、福島第一原発に入ったことを理由に逮捕しようとして、捜査当局に「違法性が皆無である」と拒否された事実がある。

長すぎる書き込み(2/2)*すこし書き足しました。

2011年09月01日 | Weblog
【長すぎる書き込み その2】
(*これは、その1の続きです。上の、その1から読んでくださいね)


▽ぼくは、テレビ番組への参加(出演)を、辞めたい。
 それは事実だ。
 圧力が複数回、あったからではない。
 それはよけいに闘志が湧く。

 今夜、ぼくががっかりしたようなことに、疲れた。

 ぼくは、もともと目立つのが、かなり嫌いだ。それは以前にも、この地味ブログで申した。だからテレビは最悪に近い。
 そして本業は、ひとりの物書きであることと、小なり、いや極小なりと言えども日本初の独立系シンクタンクの社長であり首席研究員だ。
 したがって、テレビに参加する理由が、本来はない。
 それなのに、フェアなオファーがテレビ局からあれば、参加する。芸能プロダクションとは契約しないから、オファーがあるときは、常にテレビ局から直接、独研の秘書室に来る。秘書室がぼくに、「これこれ、こういう趣旨の番組ということですが、受けますか?」と、ひとつひとつ聞いてくる。

 フェアなオファーという意味は、ぼくにとって「伝えるべきを伝えられる」という意味だ。
 すなわち、視聴者・国民に伝えるべきを伝えたい、それだけしか、ぼくにはテレビ番組に参加する理由はない。
 その視聴者・国民のなかから、たとえば今回のように「スポンサーのご意向に左右されているはずだ」という声が、ネットを通じて届くと、正直がっかりする。
 あまりに真実、事実とかけ離れていると、あぁ、もう無理かなとも思う。 

 一方で、ぼくが感嘆してしまうほど正確に、番組での下手くそな発言の真意を理解してくれて、なぜテレビ番組に参加(出演)しているかも、思わず膝を叩きたくなるほど正確に理解してくれて、さらに、わたしたち日本国民の新しい生き方を一緒に考えてくれようとする方々も、たくさん、たくさん、いらっしゃる。
 その方々のことを思うと、ぼくは、今週も頑張らなきゃと思う。

 しかし、さらに一方で、疲労は蓄積している。
 独研が遂行してきた調査・研究も、たとえば国民をテロリズムをはじめ危機から護るための備えが日本政府には不充分であり、なかでも原子力発電所がテロに襲われたときのリスクについて、当初は不当にも無視していた時期もあったから、ふつうの国民のために、政府に「公平な立場から、改善について研究すべきだ」と提案してきた。
 日本のシンクタンクは、時の政府があらかじめ方針を決め、それに沿うような結論を導き出すという調査・研究が驚くほど多い。
 独研は、そうではなく、こちらから「政府の方針が間違っているから、それを正すために、この調査・研究をすべきだ」と逆提案をしてきた。
 ほとんど黙殺される。
 それでも、日本社会の凄いところは、どこにもいつでも少数ではあるが良心派と言うべき人々がいることであり、提案1000回に1回ぐらいの割合で、「それは、ほんとうはやるべき調査・研究かもしれませんね」」という反応がある。
 その様にして遂行してきた、政府機関からの委託による調査・研究プロジェクトは、すべて赤字だった。委託金額に関わりなく、祖国を実際に良くする調査・研究に仕上げるために、収益を計算せず、惜しみなく高学歴(大学院で修士号あるいは博士号を取得)の人材を投入し、海外出張もいくたびも遂行したからだ。

 独研は、研究本部と総務部に分かれている。後者は管理部門だ。前者の研究本部は、社会科学部と自然科学部を持つ。だからこそ「総合」研究所だ。
 赤字は、研究員を当時、多く抱えた社会科学部が主として生みだしてきたが、日本海などのメタンハイドレートを先進的に研究する自然科学部も、人員を極限まで、いや極限以上に抑えてなお、赤字を出し続けている。

 独研は潰れかけた。
 独研が潰れれば、ぼく自身は今よりはるかに、金銭的にも楽な生活ができる。
 しかし潰れれば、既得権益によって祖国の前進を阻んでいる側が、間違いなく大喜びをし、一部の外国勢力も喜ぶ。
 そして、日本を建国以来初めて自前の資源を持つ国に変える日本海のメタンハイドレートの実用化も、すくなくとも当面は、いや、ほんとうの真実を遠慮なく申せば、それどころか、すくなくとも何十年かは絶望的になる。

 そこで代表取締役社長として決断し、民間企業から委託された調査・研究プロジェクトはそのまま続け、政府機関から委託される調査・研究プロジェクトは、基本的には、休止した。
 政府機関から委託された調査・研究プロジェクトを担当してきた社会科学部の研究員は、独研を「卒業」して、国連や他の研究機関などに転職していった。
 社会科学部でも、黒字ではないが大幅な赤字にはならない民間から委託された調査・研究プロジェクトを担当している研究員は、現在も独研で奮闘している。
 独研は赤字をどこで消化するか。
 ぼくの年100回を超える講演会の講演料をすべて会社に入れ、テレビ番組のギャラも、芸能プロダクションに属さないから驚くほどの安さではあるが、すべて会社に入れ、そして、企画も情報収集も執筆も仕上げも一切すべてぼくひとりで行う会員制レポート(東京コンフィデンシャル・レポート、TCR)を発行し、その会員制レポートは順調に拡大しているから、、ようやく赤字に耐えている。
 さらに、ぼくの辛い個人借金も、投入してきた。

 今後、もしも祖国にとってどうしても必要な調査・研究であれば、赤字、収支とんとん、黒字を問わず、民間委託、政府委託を問わず、社会学部、自然科学部を問わず、断固として、取り組むことはあり得る。


▽上述の、政府機関から委託される調査・研究プロジェクトの休止は、たまたま政権交代が起きる前だった。
 すると、「青山繁晴は、自民党からカネをもらっていた」、「政権交代するともらえなくなったので、民主党を批判している」という趣旨の書き込みが、ネットに溢れた。
 こうした調査・研究は、政府機関からの委託であっても、政党とは何の関係もない。中立的な調査・研究であるからだ。民主主義国家ならどこの国にも、政党に左右されない中立的な仕事、課題はある。テロリズムから国民を護ることに、政党色は関係ない。
 そもそも、こうした調査・研究を遂行していることを、自民党であれ民主党であれ、政党はまるでご存じない。
 ぼくの公職は、原子力委員会の原子力防護専門部会・専門委員であれ総合資源エネルギー調査会の専門委員であれ、海上保安庁の政策アドバイザーであれ、いずれも平成19年までに任命された。
 たとえば、原子力委員会の原子力防護専門部会・専門委員は、「原発には巨大なリスクがあり、たとえばテロによって冷却できなくなれば国民を直撃する事態になる。リスクを直視して備えるべきだ」と、前述の調査・研究プロジェクトで防護・危機管理策を提案し、提案だけでなく実務として具体的に遂行してきたことが考慮されて、原子力委員会から就任を打診された。
 いわゆる「原子力村」の外に立つ人間が任命されるのは初めてだったから、ぼくはそれを評価し、受けた。
 政党から打診や任命をされたのではない。政党はまったく無関係だ。
 もしも自民党に任命されるか、あるいは自民党の影響下で任命されたのであれば、平成21年に民主党政権になったあとすべて解任されるはずだが、すべて続いている。
 そして、原子力新政策大綱策定会議の委員という公職は、民主党政権になってからの平成22年11月に任命された。
 すなわち、もう一度確認するが、政党とはまったく関係ない。

 それを「自民党からカネをもらっていた」などという虚偽の話にあっさりすり替えられたことに、ほんとうに驚いた。
 それこそ、どこかの政党や、あるいは外国組織から中傷されるのなら、戦う意欲が湧くし、実際、外国組織からは徹底的な中傷工作も繰り返されているから、それとは戦ってきた。
 しかし、ふつうの国民のために赤字を被って遂行してきた調査・研究について、その国民の中から貶める書き込みがネット上に溢れたために、身体から力が抜ける思いだった。
 だから、かなり長い間、何も反論しなかった。
 もともと「男は弁明するな」という家庭教育で育っている。
 弁明自体が嫌いなうえに、また、弁明に費やす時間もなく、この中傷・誹謗については放置してきた。 
そして、テレビで発信すればするほど、この中傷・誹謗は増えた。
 一方で、テレビで発信すればするほど、良心的に理解してくださる、ふつうの国民も増えたから、なんとか発信を続けて来られた。
 だけども、疲れは深く蓄積していった。


▽テレビだけではなく、この地味な個人ブログもできたら、やめたい。
 ぼくに何かをしろと要求し、これを言えと要求し、あれを言うなと要求し、そうしたことが、ほんとうに増えたからだ。
 こころから、深く、理解できる。
 しかし、ぼくも独研も、どなたの指図も受けませぬ。

 フジテレビで韓国製のドラマなどを放送していることに怒るデモが起きていることについて「発言しなさい」という要求が少なくない。「発言してくれませんか」という柔らかい、フェアなメッセージも沢山あるけど、「発言しろっ」という、まさしく要求も少なくはない。
 ぼくはテレビをあまり視ない。
 NHKのBS放送は、海外メディアのニュース放送をそのまま(副音声では原語で)流しているし、吹き替えなしの映画も放送するから、仕事部屋では視ることがある。
 そのとき、韓国製ドラマが流れていることがある。韓国製ドラマは、歴史物は、嘘で朝鮮王朝の歴史を美化してあり、現代物も、韓国人の生活ぶりや仕事環境を、これも美化してあるから、ぼくは全く視ない。
 そして地上波のテレビは、フジテレビに限らず、ほとんど視ないから、何をやっているのか、韓国製ドラマが多いのか少ないのかも知らない。(ちなみに、自分が顔を出している番組は特に視ない。気持ち悪いから)
 ぼくの信条のひとつは、おのれが直接、確認していないことについては発言しないことにある。
 では、韓国製ドラマが多いかどうかを確認するために、フジテレビを視るのか?そんな時間がどこにあるだろう。命の危機も感じながら睡眠を削っても削っても、山が崩れるように、未処理の仕事が残っていく現状なのだ。

 そのうえで、テレビの視聴者が、デモという行動で意志を示すのは、支持する。
 デモンストレーションは、いかなる事についても国民に保証されている正当な権利だ。
 また日本に対する国家的な工作を行うのは、北朝鮮と中国だけじゃない。韓国もアメリカも積極的に行っている。
 韓国は、ドラマや芸能人を巧妙に使っている。前述のように美化するのは、韓国の自意識過剰もあるが、日本国民に対する文化工作でもある。
 たとえば、日本の領土の島根県・竹島を侵略し、国際法からして不法に占拠していることに対して、日本国民の内部に抵抗感を減らす意図があると考えねばならない。


▽これから、ぼくはテレビ番組との関わりをどうするか。
 しばらくは、これまでとまったく同じ姿勢で臨む。
 すなわち「伝えるべきを伝えられる」機会となるなら、苦しくとも、参加する。
 こちらから「参加(出演)したい」と言うことは、これからも、ない。
 しかし上記のフェアなオファーがあれば、局を問わず、受ける。これまで述べてきたように、スポンサーは関係ない。

 先日、「男たちのクレド」という番組について、テレビ東京からオファーがあった。
 ぼくは、この番組も知らなかったが、番組内容の説明を聴くと、おのれの信条(ラテン語でクレド/Credo)をしっかり話せることが分かったから、受けた。

 ちなみに、スポンサーは「洋服の青山」だ。この創業者(故人)は在日外国人という説が昔からあり、ぼくがテレビに顔を出し始めて間もないころ、「青山繁晴は、洋服の青山の経営者一族であり、在日だ」という面白い嘘がネットにたくさん書き込まれたことがあった。
 ぼくの父は、「青山織物株式会社」という繊維会社の社長だった。繊維つながりで青山という名前で連想して、この思い込み(意図的な嘘もあったのかな?)になったようだ。
 青山織物株式会社は、明治維新から間もなくに創業した、日本でも古い繊維会社のひとつであり、伝統ある兵庫県・西脇産地の産元(小業者を束ねる立場)であり、父は何代目かの社長だった。家訓の通り、長兄が後継者となったが、繊維の構造不況で苦しんできた。
 今は亡き父は経営者として才があり、繊維工場のうち二つを潰して、自動車教習所に換えた。だから、ぼくは教習所がお休みの時に、所内で自動車の運転を小学生の時代から教わり、現在も富士スピードウェイなどのサーキットを走っているわけだ。
 話が逸れたが、ぼくが長兄に「洋服の青山と混同されて、青山繁晴も在日だとネットに書かれているよ」と、すこし噴き出しながら言うと、兄は「洋服の青山みたいに、儲かってれば、いいけどなぁ」と実感を込めて応え、ぼくは長兄の苦労を実感しつつ、申し訳ないけどもう一度、噴き出した。
 亡き父からの伝承によれば、ぼくの家(父方)は、もとは関東武士であり、戦国時代以降に姫路藩に移った。550年ほどの歴史を持つ。母方は、津山藩だ。
「洋服の青山」の創業者は、大蔵省専売局に務めていたというから実際は在日外国人ではないのではないかと思うが、独研の総務には「社長、またネットで中傷されるから、お断りした方が無難です」という意見もあった。

 しかし、ぼくのささやかな信念を直接、語れる機会はテレビでは今までになかったから受けた。
 実際、撮影では、自由自在に語らせてくれた。これをわずか5分ほどの短い放送に編集するから、TVタックルと同じく、意を尽くせない放送内容になるかもしれないが、女性ジャーナリストや男性アナリストから質問を受けているとき、手応えはあった。

 このように、これからも原則を貫いていくけど、テレビもブログもやめるときが来ることはあり得る。
 そのときも、物を書くことと、講演してみなさんと直接対話することは、やめない。
 しかし、それも命のある限りのこと。ぼくはいつか消え去る。大腸癌を手術して半年が過ぎた。
 今回の関テレ・アンカーのスポンサーの件で、理不尽な思いもしたけど、こうやって書いてきて、あらためて自分の立ち位置を確認できた。


▽それにしても、ネットとテレビとの対立、対話、関わり、いずれも深いなと思う。
 はっきり申せば、ネットの力は偉大だ。中東の民衆反乱だけの話じゃない。

 最近、北海道長万部町の公式マスコット「まんべくん」が8月15日の敗戦の日に「日本の侵略戦争が全てのはじまりです」とツイートし、怒りのコメントが殺到したということがあった。
 これを地上波の朝の民放番組が取り上げているのを、偶然、空港のテレビで視た。
 このツイートがけしからん、という雰囲気で取り上げているので、ぼくは思わず、「へぇ~。世の中、変わったもんだ」と声が出た。

 ネット世論がなければ、この「日本の侵略戦争が全てのはじまりです」という偽説こそ、正しいとされているはずだ。
 だって、インターネットが現れる前、ぼくが学生の頃はずっとそうだった。
 この番組に、女優さん(タレントさん?)が出ていらした。かつて、一度だけこの人と同じ番組に同席したとき、国際社会の基準で言えば立派なレフティスト(左翼)だなぁと感じたことを覚えている。
 で、お顔に「えっ?だって日本の侵略が始まりじゃないですか」という考えが書いてあるように見えた。
 もちろん、ぼくの勝手な推測だが、このひとはもっとどんどん発言するはずなのに、頬がみるみる膨れあがるばかりで、目を見開いたまま、黙っておられる。
 左右いずれであれ、真ん中であれ、信条・信念があるのなら、その場の雰囲気に迎合せずに、ありのままに発言すべきだ。
 それが、立場がどうであれ、仕事が何であれ、テレビ番組に顔を出す者の責任ではないか。

 しかし、うーむ、ネット世論がここまで日本を変えたのだ。
 ぼくの骸(むくろ)を踏みつけて進め、ネット世論。

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▼さて、今は9月1日木曜の朝、那覇の夜が明けてきました。
 青空のはじまりです。

 わたしたちの祖国に、いつか、ほんとうの夜明けがありますように。

 この長すぎる書き込みを最後まで読んでくださったかたがたに、こころからお礼を申します。
 そして、【その1】で触れた高校生くん、あなたは凄い。
 とにかく大人に物申しているのだから。
 できれば、ひとの志を信頼して、そのうえで物申してください。




(写真は、沖縄県庁と那覇の空。県庁の向かって左隣のパレットビルで、かつて講演し、白梅の塔のこともウチナンチュ、沖縄県民のかたがたにお話ししました。忘れられないビルです)