Our World Time

青春のエディンバラ

2011年07月20日 | Weblog
                (スコットランドの青い「国旗」がはためくパブ。客はみな、労働者たち。スコティシュ・ビアは、やっぱり、うまい)


▼スコットランドの古都、エディンバラで開かれているICGH(国際ガス・ハイドレート学会)に出席して、今日で3日目です。
 まだまだ学会は続くし、学会が終われば、再びフランス入りしてから帰国するので、今週の関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー」は参加(出演)できません。

 RKB毎日放送(福岡)のラジオは、エディンバラのホテルから電話で、いつものようにナマで参加します。
 スコットランドの時刻で、この深夜、日本時間だとあと5時間ほどあとの7月20日水曜の朝ですね。

 関テレ「アンカー」も来週の7月27日水曜は、いつものように参加(出演)します。
 25日には帰国して、福島原子力災害をも踏まえて開かれる、原子力委員会(内閣府)の原子力防護専門部会の会議や、総合資源エネルギー調査会(経産省)の核セキュリティをめぐるワーキンググループ会議などに出る予定ですから。
 これら会議では、いつもの通り、完全に自由な立場から発言します。


▼国際ガス・ハイドレート学会は、福島原子力災害もあって、世界のエネルギーの専門家から、まさしく注目が集まっている学会です。
 日本海のメタン・ハイドレートをめぐって韓国などに激しい動きがあることが、あらためて手に取るように分かって、衝撃的であると同時に、詰まりに詰まった日程を無理にでもこじ開けて、参加して良かったと考えています。

 それにしても中国からの参加者のなかに、マナーのあまり良くないひとが、少数ながらいるのは、中国と世界のために良くない。
 ふつう学者は、国際学会で人を押しのけるような行動を決してしないものだけど、観光地で怒濤のごとく買い物をしている中国のひとと同じく、諸国の学者を押しのけ、足を踏んで気づかずといったひとも少数いることに、やはり驚いてしまう。
 このブログを読むひとにも、中国のひとも少なくはないようだからこそ記しておきたい。
 学会であれ何であれ、国際社会はまったく違う文化や言語、大中小さまざまな国力の人々が交差する社会だから、誰もがご存じのように、マナーは絶対不可欠ですね。
 中国からの参加者も、話してみれば良き人がたいへん多いけど、バッドマナーで突進する人はとにかく目立ちます。
 簡潔に静かに、忠告をさしあげても、そういうひとに限って、聞く耳を持たずに、険しい顔で睨(にら)みつけるだけだったりもします。
 ぼくの言うことがフェアかアンフェアか、せめて一度ぐらいは耳を傾けてから、考えてほしいなと願います。


▼さて、今回の出張では「海外に出て、体調は大丈夫ですか」という書き込みやEメールを、思いがけず沢山いただいています。
 みなさん、ありがとう。
 大丈夫ですよ…というか、むしろ国内の時よりマシかも。

 癌の手術前の体力が充分に戻っていないのは、ちと辛いけど、いつものように時差はほとんど感じません。
 日本は今、7月20日の未明2時すぎ、スコットランドは19日の夕方6時すぎですから、かなりヘビーな時差があるし、エディンバラは緯度が高く(北緯56度)、日本で言えば北海道を突き抜けて、樺太の最北端よりも、さらに北です。
 だから7月でも寒い! 涼しいというより、間違いなく寒い。今年はなぜか、特に寒い。酷暑の日本から行くと、突然に冬に叩き込まれるに近い。

 そのために同道している独研(独立総合研究所)の青山千春博士(自然科学部長)と研究員の二人はいずれも風邪を引いて、四苦八苦しています。
 ぼくは、何も変化がない。
 昔から、世界のどこへ行っても、その気候がそのまま身体に馴染み、時差もほとんど影響しません。
 大腸癌をはじめ大病を立て続けに四つ、やったあと初の海外出張だから、苦しむかなぁと思っていたけど、環境の変化が影響しない体質そのものは何も変わらないことが分かって、ちょっとだけ良かったです。


▼ヨーロッパに来て、いちばん思うのは、日本でしきりに「福島原子力災害のためにヨーロッパをはじめ海外で日本不信が広まっている」と週刊誌、月刊誌、新聞、テレビで強調して報じられていることに、真実味がないことです。
 福島原子力災害の起きる前とまるで変わらず、お寿司をはじめ日本食はヨーロッパ人に大人気です。その食材の多くは、日本から輸入されたものです。

 だからといって福島原子力災害がきわめて深刻であることに変わりはありません。
 ただ、どうしてこうも日本のメディアは、祖国を貶めることに一生懸命なのか、元記者のひとりとして考えずにいられません。

 なでしこJAPANの凄絶な奇跡を、フランス人もイギリス人もドイツ人も、そして決勝で戦ったアメリカの人々でさえ、こころの底から応援してくれた雰囲気が、ヨーロッパに色濃く漂っていて、街角で、ふと涙が込みあげそうになります。


▼エディンバラは、不思議な街です。
 この街のカフェで、ハリー・ポッターの第1作が書かれたことで、すっかり有名になり、そして街並み全体が世界遺産にもなっているけど、そうしたことの前から、この古都の隠れファンは世界に多いと思います。

 ひとびとは、いつの季節にも穏やかで、街も地味といえば地味なのに、どこか青春の香りがする。

 まぁ、ぼくにとっては、かつて訪ねた地球上の印象深い街は、好きなところも好きになれなかったところも、20歳代で行ったところも50歳代で行ったところも、すべて区別なく、青春の街です。
 かつて住んだところも、どこも、そうだし。
 たとえば京都は、共同通信の記者時代に34歳ぐらいまで住んでいたけど、30歳をか~な~り~過ぎようが何しようが永遠に、青春の京都です。
 そして、独研(独立総合研究所)の本社は何度か移転していて、元の本社があったところはどこも、われらがみんなの青春の地です。竹芝から始まって、汐留、そして昨年まで本社があった新橋(いずれも東京都港区)。みんな、そう。
 なぜって、独研は日本という国家の青春のひとかけらのような会社でいたいから。

 これって、独研の社員ならみんな知っていること。秘書さんが「社長、いつまで青春ですか」と笑いながら、でも、ちゃんと分かってくれていること。
 しかし、今回のエディンバラはちょっと格別なのです。

 スコットランドは、ご承知のように大英帝国の一部だけど、独立を望む声も市民に強く、エディンバラは古都であるだけではなく、スコットランドの「首都」でもあります。
 屈せず、おのれの生き方を貫いて、それを内に秘めて穏やかでいる。
 うん、その気配が、すがすがしい。
 清(すが)しい空気が、物書きとしてのぼくを、もう一度、目覚めさせてくれる。
 その予感があるのです。





▽街並みは、こんな感じ。静かに個性を主張してる。







▽エディンバラ城。 ね?ハリポタですね。




▽疲れて、何気なく入ったカフェ。
 チョコレートケーキを頼んだら、なかに唐辛子のカケラが大量に入っていたので、びっくり。
 激辛のチョコケーキ! やっぱり寒いからかな。




▽ありふれた光景だけど、スコットランドは、これです。
 街角で演奏されるバグパイプ(さっきまで、マグパイプと間違って書いてアップしていました。ふひ)
 スカート(キルト)が音色と、いつもよく似合っている。


補足し、訂正します

2011年07月17日 | Weblog
 テレビ大阪の放送の全部を確認し、「大阪府民」のかたが誤解された理由が分かりました。
 たかじんさんと、ぼくの話の交錯するところで、確かに「大阪の大隊が一番、弱かった」という、たかじんさんの言葉に、ぼくが「それは有名な話」と応じているようにしか聞こえない部分があります。

 ぼくは、あくまで「中国、フランス、そして朝鮮半島の人々は戦争が弱くて、それは個人主義による」という話の流れで、「それは有名な話」と付け加えています。
 スタジオでは「大阪の大隊が一番、弱かった」という、たかじんさんの発言は、ほとんど、ぼくに聞こえていません。
 何か言葉を挟まれるように、たかじんさんが発言された記憶は確実にありますが、内容は聞こえていません。

「大阪府民」のかたの書き込みで、放送内容をすべて確認して、たかじんさんに、そうした発言があったことが、よく分かりました。
 あの番組は、生放送ではなく、収録して、それを繋いだりカットしたり、編集する番組です。
 番組に参加していたひとりひとりの音声は、個別マイクで拾われます。それが編集され再構成されると、実際のスタジオでのやりとりに参加していた者の受け止めとは大きく異なる場合があります。
 ぼくはふだん、自分の参加している放送を見ません。自分自身を見るのは、気持ち悪いから。

 しかし、今回は「大阪府民」のかたの名誉のためにも、編集後の放送を視てみて、「大阪府民」のかたのように誤解されるのも、まったく、やむを得ないと分かりました。
 ぼくの過去の発言をよく知るかた、あるいは、今回の放送で引っかかって調べられたかたなら、「あれ、この部分はおかしいな」と考えられるでしょうが、この放送だけをみると、誤解されても無理はありません。

 したがって「大阪府民」のハンドルネームのかたに、原因はありません。
 すべて、こちら側、ぼくやテレビ局の側に、原因があります。
 たかじんさんにも原因はありません。
 最終的には、スタジオで、ひとの発言をよく確認しなかったぼくにだけ、原因と、一切の責任があります。

 先の書き込みで「いったい何のことでしょうか。ぼくは決して、このようなことを申しませぬ」と記したことは変わりませんが、それは「大阪府民」のかたに原因があるのではなく、すべて、ぼくに原因があります。

「決めつけをなさる前に、決めつけて非難したり講釈される前に、せめて、すこしでもぼくのふだんの主張を調べていただきたいと願います。いまはネットもあるのですから」と、記したことも変わりません。
 しかし、あの放送の流れでは、むしろ「大阪府民」のかたの受け止めがふつうです。
 そこでとどまっても無理はなく、それ以上、調べてから話してほしいというのは、こちらの傲慢です。

 深くお詫びして、訂正します。

 難しいですね、収録してから編集するテレビ番組は…。
 しかし生放送で、ある程度の時間をとって話をさせてくれる番組は、当然ながら、オファーのある中ではごくごく限られます。
 生放送しか出ないということであれば、みなさんとお会いできる番組は、関西テレビの「スーパーニュース・アンカー」ぐらいしかなくなります。

 あぁー、テレビへの参加、特に、生放送ではなく収録・編集の番組はやめたいなぁ。
 しかし、それをやると、たとえば沖縄の盟友たちが「テレビに顔を出してくれないと、わたしたちが顔を見る機会がなくなる。関テレのアンカーは見られないのだから」と、いつもおっしゃることに背きます。
 つらいです。

 いずれにせよ、旧帝国陸軍のうち大阪出身者による部隊が「弱かった」という事実は、まったくないと考えます。
 逆に「強かった」という事例ならありますが、「弱かった」という史実はありません。
 たかじんさんは、大阪を深く、深く愛しているひとです。だからこそ揶揄する言葉も出るのでしょう。自虐のギャグが、印象深い、最高の持ち味でもあるのですから。
 そのうえで、大阪に司令部のあった帝国陸軍第四師団に属した連隊をはじめすべての部隊が「弱かった」という事実は一切ないと考えることを、責任を持って、ここに明記しておきます。

 すべての英霊に、胸中深くの敬愛を、常と同じく、遠くスコットランドの地から捧げます。


                                スコットランド時間 7月17日・日曜 未明3時過ぎ

たまには、こんな書き込みも、ありのままに。

2011年07月17日 | Weblog
▼パリ時間7月16日土曜の午後2時50分ごろ(日本時間午後9時50分ごろ)、シャルル・ドゴール空港の搭乗口で、英国エディンバラ行きのエール・フランス機を待つ。

 その時刻に搭乗開始のはずが、いとも簡単に遅れる。そのまま、ずるずると搭乗時刻が何度も遅れて、変わっていく。
 日本以外の国では、とにかく何もかも簡単に遅れる。
 もっとも日本でも、たとえば羽田空港はいつも離着陸の飛行機で満杯だから、よく遅れるようになった。
 しかし、いやいや、まだまだ次元が違う。

 海外でのフライトの遅れは慣れっこだけど、こういう風に、まるで遅れるのが当然のことのような、だらしない雰囲気のときは、ちょっとした嫌なことが偶然に起きることがなぜか多いんだよなぁ…と、こころの隅で思いながら座っていたら、きちんとスーツを着た黒人男性に巨大な鞄をガシンとぶつけられ、仕事をしていたモバイルパソコンの角が傷ついた。

 ま、どうってことはないんだけど、かなり気に入っている臙脂(えんじ)色の美しい天板がすこし剥がれたので、一応、彼に「ね、あなたの鞄がぶつかって、こうなりましたよ」と(英語で)言った。
 彼は「フランス語しか分からない」という意味のことを、フランス語で言うので、早口の英語で「あなたは英語は全く分からないと、そう言いたいのですか?」と聞くと、うんうん、そうなんだというふうに大急ぎで頷く。

 なんだ、英語、わかってんじゃんか。嘘つき。

 小さい傷だし、ほんとに悪気はないだろうから、弁償してくれとまで言うつもりはない。
 だから「あなたに悪気はないし、どうしようもないから、いいですけどね」と、ゆっくり英語で言って、終わりにする。


▼そしてようやく搭乗が始まると、白人の乗客はすべて何も聞かないで(つまりEUの域内国の旅客か、域外国の旅客かも何も確認しないで)通していた、きつい目つきのおばさま係員が、ぼくのパスポートを手に取り、ねちっこくページをめくってから「エディンバラが最終目的地か」とか、英語であれこれ聞く。延々と聞く。
 また、これか。
 人種差別の形を取らない、肌の色による偏見は確実に、ある。
 それも東京・パリ間とか、日本人の多いフライトの搭乗口ではまず起きないけど、こういうパリ・エディンバラ間とか日本人客の少ないフライトの搭乗口では、よくある。
 ぼくは「何か問題があるのか」と、かなりきつい口調の英語で聞いた。そうしないと、このおばさまはいつだって、彼らの言う「黄色人種」が来ると、こうするだろうと思ったからだ。
 乗客をいざとなれば乗せない権力を持つ、このおばさまは「問題はないわよ。ただ聞いているだけ」と、居丈高に言う。
 おお、権力をかさに喧嘩を売るなら、買いましょう。
 ぼくは、おばさまの目を覗き込んで「質問にはすべて正確に、フェアに答えた」と言い、パスポートを取り返した。
 おばさまは目を逸らした。では、さようなら。

 こういう時に、日本のひとが、どぎまぎしている光景を、たまに見る。
 よけいなアドバイスをするとすれば、もしも英語をあまり話さない場合は、思い切り日本語で言いたいことを主張してください。
 相手が母国語で、こちらが母国語で、なんでいけないか。
 堂々と母国語同士で言いあえば、相手は、わりとすぐに諦める。
 日本人でそれをやっている人は、ただの一度も見たことがないけど、諸国の人はそれをやる。
 そしていつも、すぐやり合いは終わる。
 言葉のからきし通じない相手と延々やっている暇は、どの人にも、ふつうはないから。

 海外に出る日本のかたには、できれば堂々としていてほしいと、本音を言えば、そう思う。
 日本国民は、強い者には弱いと、旅先で思われていることが、あとに続く旅行者に影響している面もあるから。

 そもそも、われら日本人の肌の色を「黄色人種」と日本の学校で教えていることが、ほんとうはおかしいと考える。
 ぼくらの肌の色は黄色じゃない。
 ぼくは黄色も大好きな色だけど、しかし黄色って、こんな柔らかい色じゃないでしょう?
 日本人の肌の色は、ナチュラルな淡いベージュに近いか、人によっては、ほどよい白さとも言うべき色であって、それを簡単に黄色というのは、白人の人類学に寄りかかりすぎじゃないだろうか。


▼搭乗口を過ぎて、コンクリートの地面に降りる。
 ヨーロッパではエディンバラに行くような、ちっこい飛行機に乗るときは、こうやって昔ながらに歩いて飛行機に乗る。
 このごろ、こういう時に、列を乱すのは中国のひとが少なくない。
 きょうも、眼鏡をかけた中国のお母さんが、娘の手を引いて中国語で何かを大声で言いながら、列に割り込んできて、白人に肩をぶつけるようにして先に乗り込む。


▼ちいさな古いジェット機に乗り込んで、思う。
 福島原子力災害で、技術力の高さについても自信をなくしかねない、ぼくら日本国民は、世界でいちばん時間に正確で、嘘をつくことそのものがよくないと考え、つまり上手な嘘をつくことがいちばんだと考える世界の大勢とは違い、世界でもっとも豊かな言葉の一つである日本語を駆使し、なめらかな自然の色の肌を持ち、マナーを乱して他人に迷惑をかけることをしない。

 素晴らしいよね。

 そして専門家の端くれとして申したい。
 福島原子力災害があってなお、日本の技術力は世界の至宝だから、われら日本国民、これからこそ世界にぐんぐん羽ばたきましょう。


▼と、ここまで書いたら、もう着陸態勢だ。
 スコットランドの田園が眼下に広がっている。
 パリの空の玄関シャルル・ドゴール空港も、まずは田園地帯に降下していくけれど、フランスのおおらかな美しい田園と、このスコットランドはまた違う古風な美しさを持っている。
 さぁ、モバイルパソコンのスイッチを切って、スコットランド王国の誇り高き首都へ、ぼくも胸を張って降り立とう。





※…無事に降り立ち、タクシーでホテルへ。そしていつものように、部屋でまずはパソコンをネットに繋ぐと、いきなり以下のような書き込みがありました。
「大阪府民」という匿名(ハンドルネーム)のかたが、こう書かれています。

~ここから引用~
本日放送のテレビ大阪「たかじんNOマネー」において、
司会者のたかじん氏が「大阪の兵隊は弱い」との発言をし、
「それは有名な話」と青山氏が発言をしたように聞こえました。
もし青山氏の発言ではなく、
私の聞き間違いであれば大変申し訳ありません。
~ここまで引用~

 いったい何のことでしょうか。
 ぼくは決して、このようなことを申しませぬ。
 日本兵は、世界でもっとも強かった。それは公平な事実であり、大阪も東京もへったくれもありません。
 ぼくは常々、「日本やドイツは戦争が強かったから外交が苦手であり、中国やフランスは戦争が弱いから、外交がしたたかになる」と書物でも講演でも申しています。

 聞き間違いであれば申し訳ない、と書かれているけど、がっくりしました。
 どうして、こういう思い込みに満ちた書き込みが、いつもいつも来るのかなぁ。

 決めつけをなさる前に、決めつけて非難したり講釈される前に、せめて、すこしでもぼくのふだんの主張を調べていただきたいと願います。
 いまはネットもあるのですから。

 ぼくの発言では全くないことを、ぼくの発言であると決めつけなさってから、「もし聞き違いなら」とおっしゃっても、さほど意味はありません。
 ひとを破廉恥罪(はれんちざい)の犯人と間違えて殴りつけてから、「もしも犯人でないのなら大変申し訳ない」と、おっしゃっているのと同じです。
 祖国の先達(せんだち)のかたがたを不当に貶めたと誤認されたのは、ぼくにとっては、生き方そのものにも関わることです。
 久しぶりのスコットランドの第1日が、こうして始まるのは、ちと哀しいですね。

 この書き込みで、スコットランドの写真を添えようと思っていましたが、正直、そんな気分になれませんから、次の機会にします。





生と死と青い空について

2011年07月16日 | Weblog
                                      (パリ市内で、2分だけ休憩)


▼いまパリにいます。
 フランスの時刻で、7月16日土曜日の未明3時半を過ぎたところ。パリ滞在の3日目です。
 今朝、次の訪問地の英国エディンバラに向かいます。
 スコットランドの「首都」エディンバラも、パリも、ヨーロッパのなかでいちばん好きな街に入ります。

 2月17日に大腸癌を手術してから初めての海外出張だと思います。
 大腸癌手術のあと入院先で、術後5日目にして仕事を再開し、6日目で外出許可を副院長から得て、社有車を自分で運転し講演先に向かい、講演して、7日目で、やはり外出許可のもと関西テレビの東京支社からの生中継で関テレの報道番組「スーパーニュース・アンカー」に復帰し、8日目で再び社有車を自分で運転して都内で講演し、そのまま帰宅、つまり退院…という半年前のことを今、パリの夜明け前に思い出しました。

 それがさすがに、いくらか無理だったのか、やがて激しい腸閉塞を起こし、死に直面しつつ、アンカーの視聴者のかたがたをはじめ、みんなに約束した講演などは完遂してから入院し、死の淵から甦り、急回復してその入院中に再び、副院長から外泊許可を得て講演先の兵庫県姫路市に向かう新幹線のなかで、3月11日午後2時46分の東日本大震災発生を迎え、新幹線が非常停車したのでした。

 大腸癌そのものは、切ってみればまったくの初期であることが判明し、転移もあるはずもなく命の危険は実質なかったけれど、そのまえに発症していた重症肺炎で一度、死にかけて、それから腸閉塞で死にかけて、二度、死に向かいあってから、考えてみれば、わずかな月日しか経っていません。

 もはや誰も、「よく海外出張に行けますね」と言わないほど、どうやら元気にはなったようです。
 ただし、きょうパリを重い荷物を持って歩きながら実感したのは、ほんらいの強靱な(自分で言ってしまって何ですが、ありのままに強靱な)体力は、まだまだ戻っていないということでした。
 世界のどこでも飛ぶように速く歩いていたのに、今はのろのろ。
 ぼくはパリで食べるエスカルゴが大好きなのですが、おのれも、エスカルゴ(かたつむり)になってしまいました。
 ふひ。


▼以前から、海外に出ると何気なく、ごく自然に魂から、生と死を考えます。
 ふだんにない刺激があるせいなのかなぁ。
 今度も、命がさりげなく甦って、さらさらと、小川の水のように息づく感があります。

 パリでは、仕事の合間を縫って、好きな画家クロード・モネの旧宅と庭を訪ねました。
 パリから高速道路で1時間とすこしのノルマンディ地方ジヴェルニーにあります。
 ここでは、何年間も未完で抱えている小説(2作品。短編と長編)の執筆について、大きなヒントが、いくつかありました。
 パリに向かう機中から、予感していました。

 エディンバラでは、福島原子力災害もあって世界の耳目が集まる「国際ガス・ハイドレート学会」に出席します。
 独研(独立総合研究所)からは青山千春博士(自然科学部長)と研究員も参加します。


▼ところで、インターネットテレビの「青山繁晴.TV」に、ぼくが参加した富士スピードウエイでの走行会(小レース)の模様がアップされました。

 うわー。
 自分の走りを大画面で見たのは初めてです。

 今回も練習の時間がどう工夫しても全く取れなくて(ふだんの過密日程に加えて、震災後ですから)、完全に練習ゼロで参加という、名門サーキットにも失礼な状態でした。
 しかも違うクラスのマシーン(車)が一緒に走るという小レースで、ぼくのロータスは参加マシーンの中では、他車と比較にならないほどのパワー不足。
「こりゃ最下位は間違いないや」と覚悟していたのですが、意外にも、レース後半でハイパワー・マシーンを2台を抜いて、ベストラップも、F1レーサーがこの富士スピードウェイで記録した平均的なベストラップから50秒ほどの遅れにとどまって、へぇ-。

 その抜いた直後の実況が、このネットテレビでうまく、とらえられていて、おのれのコーナリングで発生するタイヤの音や、マシーンの挙動、自分のコースどり、いずれもとても参考になりました。
 睡眠と休息なくサーキットに入っているから、まぶたは、ぱんぱんに腫れているし、もうぼろぼろの顔と姿で、声すらも疲れ果てていて、それは視てくださるかたがたに、ちと、失礼です。すみません…。
 サーキットに居る、走るための時間、サーキットへの往復のための時間、それを確保するために、前夜はいつも以上にハードに働いて、仕事を進めておかないといけないのです。


▼レースは、生きることそのものです。
 モータースポーツは必ず、ハイスピードで戦われますから、常に、生と死が同居しています。
 生と死が自然に一緒にあり、そして、謙虚と大胆がともにあります。
 それが、ぼくにとって生きることです。

 海外出張先でネットに繋いで、そのレースシーンを見ると、ふだんの海外出張とはまた別の、なにやら感慨がありました。


▼ネットテレビの「青山繁晴.TV」では、このようなレースシーンは、いわばおまけです。
 中心は、安全保障、外交、政治、経済、社会などなどへの問題提起です。
(まったく同じ名称で、ぼくと独研へのまことにアンフェアなサイトへも導こうとするサイトがありますが、それは無関係です)

 ずっと無料で維持してきましたが、このレースも撮影してくれたプロのカメラマンの費用や、編集とアップの費用などをはじめ多額のコストを大赤字で維持しているのも、もはやあまりにも無理、無茶になりました。
 スポンサーを募ることも検討し、スポンサーを確約してくれるところも複数、見つけましたが、完全なる自律、独立の独立総合研究所が発信するネットテレビに、特定のスポンサーが付くことはやはり、やめようという結論になりました。

 ちょうど、独研は新しく「インディペンデント・クラブ」(IDC)を立ち上げましたから、その会員(有料)になったかたは、フリーで見られることとし、それ以外のかたは、クレジット決済で見ていただける準備をしています。(クレジット決済の設定には、意外なほど時間がかかります。もうすこし待ってください)
「自分は債務整理をしてカードを持っていないから、現金でもOKにしてくれ」という書き込みもいただいていますが、人数の足りない独研・総務部でそれが可能かどうか、まだ分かりません。総務には伝えます。

「青山繁晴.TV」のなかで、いま有料化されるのは、新着動画のうち黄色い「i(アイ)」マークの入った動画だけです。
 他の動画は、これまでどおり、今のところどなたでも無料で見られます。(維持費を見ながら、今後、独研の総務部が検討していきます)


▼独研の社員や、独研を応援してくれるカメラマンたちや、みんなが努力して「青山繁晴.TV」という、ささやかな発信を続けられるように一生懸命です。
「これからも自分は無料で見たいのに、結局はカネなのか」という趣旨のEメールが来て、正直、すこし哀しかったですね。
 カネ?
 ぼくらは、利益を出していません。
 それに、一体どうやって、これからも大赤字で維持できるでしょうか。利潤ではなく、最低限のコスト・実費だけは捻出しないと、続けられるはずはありません。
 独研は、どこからも補助を受けないからこそ独研です。自律、独立であるために食い扶持はみずからフェアに稼ぐからこそ、株式会社なのです。利益のためではありません。

 とはいえ、落胆はしません。
 独研を創立して間がない頃、テロ対策の仕事で高知県警本部を訪ね、珍しくフライトまですこしだけ時間があったから、県警本部の隣の高知城を散策しました。
 そのとき、たまたま坂本龍馬の「亀山社中」をめぐる展示が城内にありました。
 龍馬さんは、いかなる殿様の援助も受けないために、日本初の会社として亀山社中をつくり、それを拠点に日本国の回天を目指しました。

 ああ、ぼくらの志は間違っていない。

 偶然にその展示を見て、そう実感し、土佐の青い空を仰ぎました。
 おとといも、きのうも、パリの空は天気予報を楽しく裏切って、青かったです。



【フランス】

▽パリのカフェで、これからの仕事の打ち合わせ。





▽ノルマンディ地方ジヴェルニーで、クロード・モネの旧宅に陽が差しています。





【富士スピードウェイ】

▽ヘルメットの内側に着ける防火マスクを被り、レースへ集中力を高めていく。





▼うん、眼こそ力だ。





▽自分に問いかける。「いかに走るか」そして「いかに生きるか」。





▽乗り込む。よっしゃあ、いくぜ、この野郎。





▽エンジンをテストする。非力・パワーレスなりに、マシーンを活かしたい。マシーンが身体の一部のような感もある。





▽世界きっての高速サーキット、富士スピードウェイの名物コーナーを駆ける。難しい。よれよれなりに、諦めない。




急告

2011年07月08日 | Weblog
▼第2回独立講演会の申し込み〆切は、7月19日の火曜あたりまで、延ばす方向です。
「〆切が近すぎる」という声が多いためです。

 みなさんの日程と照らし合わせて、ゆっくりご検討ください。
 講演会の詳細や、申し込み方法は、この一つ前の書き込みにあります。

夏へ

2011年07月06日 | Weblog

▼きのう7月5日火曜に、平成23年度前期の近畿大学経済学部での講義(国際関係論)を終えました。7月は英国のエジンバラやフランスのパリへの出張などがあり、休講があるからです。講義は、ふだんから4時限(1年生対象)、5時限(2年生以上)の連続講義で、決して楽ではないのですが、きのうは休講に対応して補講も行ったので、連続4時間半の講義、いや~、本心ではとことん疲れ果てました。

 しかし補講では、硫黄島の戦いの現代的な意義、「ぼくらはこの国際社会でいかに生きるのか」について、ある程度は講義できたので、いくらかホッとしました。このごろ、一般対象の講演でも、福島原子力災害をめぐることを中心に据えねばならず、硫黄島の英霊のかたがたと、沖縄・白梅学徒看護隊の少女たちについて話す時間がなかなか確保できず、苦しんでいますから。

 いまは7月6日水曜の夜明け前、午前4時15分。RKBラジオ(福岡)の朝の番組への電話ナマ参加(出演)まで3時間ほどです。ちょっとでも仮眠しないと、ね。夕刻には関西テレビの報道番組「アンカー」も控えています。アンカーが終わると、さらに大阪市内で経営者対象の講演会もあります。講演が本職ではないけれど、祖国と世界のこれからについて発信できる限りは発信していく、ささやかな責任は感じています。

 

▼6月は、お義母さんの思いがけない逝去もあり、原稿執筆について、会員制レポートの配信回数を正常化できただけにとどまりました。(5月がわずか1本で、6月中に大量7本を配信し、5、6両月で8本となり、月平均4本ペースを回復)。「ぼくらの祖国」の改稿の完成をはじめ、この夏たゆまず、書き進めていきます。

 写真は、神戸で講演したあと、わずかな時間、木陰で休んでいるところです。

 

▼第2回独立講演会「希望の夏」の申込み締切日が7月11日の月曜まで延長されました。関心のあるかたは、下記を参照してください(下記は独研の公式HPから転載)

 

 

第2回 独立講演会

講演日 2011年8月7日(日)
講演時間 開場:13時30分
開演:14時00分
講演内容 「希望の夏」
場所 OBP円形ホール(大阪ビジネスパーク)
〒540-0001 大阪府大阪市中央区城見 2-1-61
詳細は、こちらへ。
費用 有料(5000円)
申込み方法

記載要項を明記の上、下記講演会運営事務局まで、
FAXまたは郵送にてお申込み下さい。

<申込 記載要項>
氏名・参加人数・郵便番号・住所・電話番号・FAX番号

講演会運営事務局(株式会社アイス内)

郵送先:〒550-0002 大阪市西区江戸堀 1-22-38 三洋ビル 4F
        株式会社アイス宛
FAX:06-6443-2452

定員 500名
※定員を超えた場合、抽選となりますので、ご了承下さい。
申込み締切日 2011年7月11日(月)必着

※独立講演会については、弊社総務部では対応しておりませんので、ご了承下さい。