Our World Time

ボストンにあって千島を想う

2012年08月27日 | Weblog



▼いま、ボストンにいます。
 独研(独立総合研究所)の首席研究員(兼・代表取締役社長)としての出張です。
 ボストンは、アメリカ合州国(合衆国ではありません)の原点ともいうべき古都です。
 ハーバード大学があることでも知られています。
 しかし、そのハーバードには、中国の支配層や富裕層の子弟らがどっと押し寄せていて、彼らのなかには「ハーバード大学は今や、第二の中央党校(中国共産党の幹部養成学校)だよ」と自慢げに公言する人物が一部にいることも、かねてから知られています。

 ハーバードのキャンパスもボストンの街並みも美しい。
 けれども、ここもまた、世界の現実を知るべき場所でもあります。
 もっとも、今回ぼくがボストンにやってきたのは、中国とは何の関係もありません。

 ただ、ボストンは、中国の支配者やお金持ちがアメリカにいかに憧れているかが分かる場所のひとつではあります。
 共産党の独裁によって、膨大な数の中国人の生活や希望を抑圧し、それでいて、その独裁の利益を恣(ほしいまま)にする者たちはアメリカの自由と豊かさに憧れ、アメリカに押し寄せ、独裁に役立てるための科学技術を習得したりもするけれど、もっぱら国内と世界に対して虚勢を張り、箔を付けるためにハーバード大学すら含めて、アメリカで権威を「買う」。

 もちろん、そうではなく学問を追究するためにこそ夜昼問わず努力している、中国からの留学生もいます。同時に、こうした奇怪な現実があるのも事実です。
 それは、アジアの自由のために、日本が果たすべき役割がどれほど大きいかを物語ってもいます。
 2012年の夏の終わりのボストンに居て、あらためて、ふとこう考えます。


▼このボストンに来るために、ぼくの乗った飛行機が超えていったのは、千島列島が続く北の海です。
 そこからカムチャッカ半島をかすめるように、夏なお冷たいベーリング海を越え、アラスカに入り、北カナダの上空を経て、アメリカ東海岸のボストンに降り立ちました。

 機中で、いつものように睡魔と戦いつつ、映画をちらちら眺めながらモバイルパソコンで仕事をしていて、胸のうちは正直、悲しみでいっぱいでした。

 寝静まっている機内で、パソコンのキーを打つのは、当然ながら気を遣います。打音がしないように、キーを撫でるように文字や数字を入れていきながら、こころの眼は、足の下の機体を透かせて、北の海と島々を万感とともに見つめていました。
 それは、日本の海と島々です。

 千島の全島が、いまも、わたしたち日本国民の領土です。
 南樺太と合わせ、日本の最北の領土です。
 樺太の北半分とカムチャッカ半島はロシア領ですが、それより南はすべて日本国です。

 ところが、ぼく自身も含めて、敗戦後の日本国民みんなが、日本の北方領土とは四島だけ、すなわち「千島列島の南端の択捉島と国後島、そして千島列島ではなく北海道本体に連なっている歯舞諸島と色丹島の四島だけだ」という嘘を教わってきました。

 千島列島のいちばん北の端、占守島(しむしゅとう)に1945年8月18日、ソ連軍が日ソ中立条約を勝手に破って侵入してきたとき、すでに武装解除を始めていた帝国陸海軍は、たとえば島の缶詰工場で働いていた500人近い女子工員を護るためにも、もう一度だけ武器をとって戦いました。
 この時、すでに第二次世界大戦は終わっていましたから、ソ連軍の行為はもはや国際法で言う「戦争」ではなく、単なる侵入、殺人、傷害、強盗、窃盗、強姦といった犯罪行為です。
 わたしたちの、たった67年前の先輩方は、侵入者にいったん勝ったうえで、そののち再び静かに武器を置き、戦車を降りました。
 祖国が降伏した以上、それ以上の戦闘は、私闘になるからです。

 この占守島の戦いは、人間の尊厳を示した戦いです。
 たとえば、第11戦車大隊を率いた池田末男大佐は、陸軍戦車学校で人間性豊かな教官であったことが、当時の教え子で、敗戦後に作家となった司馬遼太郎さんの著作に敬愛を込めて出てきます。
 池田大佐の戦車隊は、いったん兵装を解いていた戦車を組み立て直し、侵入者のソ連軍を撃破します。みずからは、44歳にて、軍服ではなくワイシャツ姿で戦死なさいました。
 氷点下15度を超え猛吹雪に晒される占守島で、ご自分の着衣は常にご自分で手を凍らせて洗い、それは自分の仕事でありますと言う当番兵に、「お前は俺に仕えているんじゃない。国に仕えているんだ」と、さらりおっしゃったそうです。
 この池田大佐をはじめ日本の将兵の献身によって、島で働いていた女性たちは、多くは北海道に生きて戻ることができました。
 そして、みずからを武装解除した将兵は、ソ連軍によって拉致され、シベリアへ送られ、強制労働と飢えと寒さと傷病に斃(たお)れ、その多くが祖国を再び見ることはありませんでした。

 わたしたちは、義務教育だけで小中の9年間、そして、ひとによっては高校、大学も加えて16年か、それ以上の長きにわたる歳月の学校教育を受けます。
 しかし、たとえばこの占守島の戦いも、千島全島と南樺太が日本の領土であることも、まったく教わることがないというのは、いったい、どうしたことでしょうか。

 日本国民が「北方領土とは四島だけ」と思い込まされているから、ロシアの独裁者、プーチン大統領は「歯舞、色丹の二島だけは返してやっても良い」という姿勢を見せ、それを踏まえた「北方領土交渉」を日本政府は、10月にも再開しようとしています。
 しかし、たとえば、樺太をロシア語でサハリンと呼ぶことに、マスメディアも政治家も教育者も慣れきっていて、したがって国民もそう思い込まされている現状では、いったい、何の交渉でしょうか。
 歯舞、色丹は、四島の半分ではありませぬ。国後、択捉の二島とは、比べものにならないぐらい小さいのです。

 もう一度、申します。
「ぼくらの祖国」というつたない書を世に問うたのは、こうしたことを、日本国民が今までの立場や意見の違いも超えて、超克していくことに、わずかながら貢献するためです。
 このひとつ前のエントリー(書き込み)で記したように、「ぼくらの祖国」をひとつのテキストにして子供たちと語る機会があれば、と考えています。
 ぼくは、全国どこへでも、行きます。そして、決まった形式、決まった手続きがあるわけではありません。
 ぼくの日程は詰まりに詰まっている現実も確かにあります。しかし、ご縁と、志があれば、きっと機会はあります。


▼さて、ボストン出張のために、今週の関西テレビの「スーパー・ニュース・アンカー」(水曜日)と、ニッポン放送の「ザ・ボイス」(木曜日)はいずれも残念ながら、参加(出演)できません。
 RKB毎日放送の「スタミナラジオ」のぼくのコーナー「インサイドSHOCK」は、ボストンとスタジオを電話で繋いで、いつもと同じようにやります。

 やる、やらないは、蛇足ながらぼくの選択ではなくテレビ局、ラジオ局の選択です。
 まぁ、ふだんから「スタミナラジオ」だけは、ぼくはスタジオには行かず、RKB毎日放送のある福岡と、ぼくの国内出張先を電話で繋いで参加(出演)しているので、海外に行っても変わらないというだけです。

 アンカーやザ・ボイスのようにスタジオに出向いて生放送に加わっている番組に、海外から電話や中継などで参加するのは、コストを費やし準備を整えないとできませんね。
 ぼくとしては、それでもやりたいのが本心ですが、無理筋でしょう。

 来週は、もう日本に帰っていて、いつものように放送できますから、よければ視てください、聴いてください。
 いずれの番組も、ぼくの話は謙遜でなく、いつまでも拙(つたな)いばかりですが、あとで振り返れば、一回一回が貴重だったなと考えるときが、いつかは来ます。

 写真は、ボストンのホテルの部屋からみた夕陽です。


今まで言わなかった、ひとことを今、あえて魂から述べます。

2012年08月22日 | Weblog


 領土が問われている今こそ、つたない書ながら「ぼくらの祖国」(扶桑社)を手に学校で子供たちと話したい!
 子供たちと直接、話したい。
 学校の先生がた、子供を学校に通わせている父兄のかたがた、かつて子供を学校に通わせたかたがた、できれば機会を一緒に作りませんか。




                   ……………………………………………………




*しばらくのあいだ、コメントの承認公開制を、訳あって中止していました。
 しかし、ぼくに、上記の短いエントリー(書き込み)を書こうと、こころを決めさせてくださった最新のコメントがあります。ひとりの主婦のかたからのコメントです。それを、とりあえず、公開します。
 それは、ふたつ前のエントリー「ザ・ゲンバ」のところにあります。

 なぜ中止していたかは、いずれ、書きます。

(なお、これまでにもお知らせしたとおり、ほどなくこの個人ブログは移転します。すでに中傷コメントなどは、読むこともなく、スパムを通報した上で削除されていますが、移転先ではより強化されます)

さぁ、領土を一緒に考える4時間半(5時間かな?)です

2012年08月22日 | Weblog


▼この地味ブログをわざわざ訪ねてくださるかたは、「独立講演会」というものの存在をご存知のひともいらっしゃると思います。
 ふつうの講演会は、90分、1時間半の設定になっていることが多いのです。それは当然のことです。大学の授業でもひとこま、90分。
 聴くひとのことを考えれば、それが一応の基準でしょう。

 ぼくの講演では、例外なく時間が足りなくなります。
 ひとつのことではなく、地域、国内、アジア、世界、それから社会現象から科学に関わることまで、一見はバラバラなことどもから根っこを貫くことを掴みだして、それを聴衆のかたがたと一緒に考えたいのが、ささやかな志だからです。

 長年、講演時間が絶対的に足りないことで悩みました。
 そして、独研(独立総合研究所)で自然科学部長に加え総務部長代理も兼任するようになった青山千春博士から、「独研が講演会を自主開催して、時間無制限でやるのはどうでしょう」という提案があり、ぼくは即、採用しました。
 第1回を、東日本大震災の被災者の方々へのチャリティとして、阪神・淡路大震災から復興した神戸で行い、ぼくは連続6時間、話しました。
 ただ、聴衆のかたがたは、高齢のかたをはじめ、さまざまな体調のひともいらっしゃいますから、3時間づつに分けました。それでも3時間、ぶっ続けですから、たいへんだったと思います。しかし、独研のスタッフの印象では、前半の3時間を聴かれたかたがたは、名残惜しそうに、後半のみなさんと交代されたそうです。

 そこで現在では、4時間半の連続講演を基本にしています。
 実際には、集まったみなさんのお顔を見て、そのみなさんの体調も推しはかりながら、大丈夫そうなら、5時間になることもあります。
 最新の独立講演会は、8月19日の日曜日に、再び神戸で行い、物凄い数のかたがたが集まってくださいました。中学生から、ご高齢のご夫妻まで、ほんとうに世代を超えた、素晴らしい集まりになりました。

 そして5時間ちょっと、お話しし、あらゆる角度からの質問にお答えしました。
 メインテーマは、もちろん、尖閣諸島、竹島、北方領土の領土問題でした。

 ぼくは前日、完全徹夜のまま、東京から講演会場に向かい、体調はこれ以上ないほどに悪かったのですが、みなさんの熱意と志の高さに支えられて、あっという間の5時間でした。


▼さて、今度は、節目の第10回独立講演会です。
 東京で開きます。

 今回も、もちろんメインテーマは、わたしたちのかけがえのない領土、領海、領空です。
 領土をおろそかにして存続できる国家はありません。
 日本の沖縄県石垣市の尖閣諸島、島根県隠岐郡隠岐の島町の竹島、北海道国後郡の国後島をはじめとする千島全島と南樺太の北方領土は、すべて国際法に基づいて、わたしたちと、子々孫々の日本国民の領土です。

 子々孫々に、あるべき姿の日本を手渡すために、できれば、東京の独立講演会・会場でお目にかかりましょう。
 きょうから、申し込みの受付が始まっています。

 以下は、独研HPから、申し込み手順の一部を転記します。
 申し込みは、独研HP内の申し込みページだけで可能です。


~独研のホームページから転記~


第10回 独立講演会 (2012年 9月16日講演)

【講演日】
2012年9月16日(日)

【講演時間】
開場:13時30分
開演:14時00分 ~ 18時30分

【講演内容】
「中国、韓国、北朝鮮、ロシアへの外交を考える 」

【場所】
タイム24ビル 研修室 3F 西1~4
135-8073 東京都江東区青海2-4-32
TEL:03-5531-0024
ゆりかもめ「テレコムセンター」駅下車徒歩約2分
詳細は、こちらへ。

【受講料】
一般 5000円 / IDC(インディペンデント・クラブ)会員 4000円


【定員】
210名
※定員を超えた場合、抽選とさせていただきますのでご了承下さい。

【申込期間】
2012年8月22日(水)~2012年8月29日(水)正午 予定


※申込期間内のみ、申込を受付致します。

【抽選結果通知】
8月29日(水)午後以降
申込者全員に、当落の結果をメールにて順次お知らせ致します。

(後略)


~転記ここまで~


▼いま大阪です。
 このあと、関西テレビの良心派の報道番組「スーパー・ニュース・アンカー」生放送に、参加(出演)します!



ザ・ゲンバ  「唯一の道」を考えるために尖閣諸島の現場を一緒に見ましょう

2012年08月18日 | Weblog


 さしたる影響もない、ぼくごときの発信について、発信をさせない動きがこれまでに増して大きくなっている。
 中国・韓国・ロシアが、日本国の領土への侵犯を強め、北朝鮮がその隙を突いて日本の政治家をさらに取り込もうとしている今、この時にである。

 ひょっとしたら、ぼくの発信は、インターネット(この地味ブログや、ネットテレビの「青山繁晴.TV」など)と、「独立講演会」(独立総合研究所が自主開催している講演会)と、「東京コンフィデンシャル・レポート」(TCR/独立総合研究所から配信している完全会員制のレポート)、「インディペンデント・クラブ」(IDC/不定期に参加を募集)の集会、それに兄弟本の「ぼくらの祖国」(通称・赤本/扶桑社)、「救国 超経済外交のススメ」(通称・青本/PHP)といった書籍、すなわち自力だけの発信に限られるようになることも起きるかもしれない。

 しかし、ありのままに申して、ぼくはごく淡々としている。

 もしも、最後まで自力での発信は許される日本であるのなら、それだけでも日本は素晴らしい国だ。
 ぼくは、死の時まで、おのれを貫いて、ごくごくふつうに呼吸するだけだ。息を荒げたりはしない。



  * * * * * * * * * * * * * *



…さて、写真は、今から7年前に独研の研究員たちと、海上自衛隊のP3C哨戒機に乗り、日本国沖縄県石垣市の尖閣諸島と、その近くで中国が日本の海底資源をも盗掘している現場に赴いたときです。

 冒頭の大きな写真は、P3Cのコックピットから望む、わたしたちの尖閣諸島。
 左がぼく、右がパイロットです。
 できれば、みなさんも、このわが国の誇る精鋭の哨戒機内にいる気持ちになってください。
 ぼくの後ろから、ぼくの肩に両手を置いて島を見つめるのが、みなさんです。
 国際水準からしてほんとうに精強な搭乗員たち、地上の整備士たち、指揮する司令たちなのです。この日も、見事な低空飛行を敢行してくれました。


 あまりサイトが重くなっては、こんな地味ブログをせっかく訪ねてくださったひとに迷惑がかかりますから、下の写真はいずれもサイズを小さくしました。

            

 島の写真からは、わたしたちの尖閣に施設を建設し、きちんと利用すること、自衛隊の国際法に基づく当然の駐留が十二分に可能であることが、ありありと分かっていただけるでしょう。
 むしろ何もしないために購入しようとしている野田政権ではなく、東京都が地権者の意向通りに、そして国民からの寄付金で購入し、施設を着々と建設することを願います。
 そして日本政府によってこれまでずっと尖閣諸島に入るのを拒まれている、石垣市の中山義隆市長が無事、ふつうに入れるようになることを魂から望みます。
 なぜ市長が自分の市域に入れないのですか!
 中山市長は、45歳。石垣市に生まれ、八重山高校から、ぼくがいま教鞭をとっている近畿大学を卒業し、八重山青年会議所理事長などを務めました。ぼくは、この青年会議所の主催する講演会に講師として招かれて知り合いました。素晴らしい日本男児です。

 搭乗員たちは、日本の高度な技術を活かした海上監視、非常な緊張を強いられる作戦行動のあいまに、コーヒーを入れてくれる余裕もあります。(機器を使って作戦行動を行っている写真は、軍事技術情報の流出を避けるためにアップしません)

 中国の建てた櫓(やぐら)からは、明るいオレンジ色の炎がはっきり確認できました。この時点(2005年9月)ですでに、尖閣近辺の海底資源を実用化している動かぬ証拠のひとつです
 そして、その次の写真は、衝撃の船影です。
 これは、海上自衛隊内部の証言によれば、中国海軍の弾道ミサイル監視船です。東トルキスタン(ウイグル)をはじめ中国内陸部から打ち上げた弾道核ミサイルの動きをウオッチするために、尖閣諸島近辺の海にこんな艦船まで平然と、出動させているのです。

 そして、この下の最後の一枚は、哨戒機P3Cが沖縄本島の基地に帰投する直前の写真です。
 みなさん、尖閣諸島とその下の海底資源を万が一にも奪われて終われば、中国はこの美しい海の沖縄本島まで呑み込みます。
 沖縄の地元においても、ぼくなりにずっと14年ほど前から「中国、特に軍部は、沖縄を本気で狙っている」と声を枯らして訴えてきました。
 本土では「え?まさかね」という反応が多かったのですが、沖縄では、これも凄い男、日本男児の仲田和弘・前沖縄電力副社長をはじめ、当時から危機感を共有してきてくださった方々も少なくないのです。

 一日も早く尖閣諸島に、中山石垣市長や、沖縄全県の方々と一緒に、本土のぼくらも、あなたも、あなたも、ふつうに、ごく自然に行くことができるようにして、子々孫々に渡さねばなりません。
 それが、竹島を、そして南樺太や千島全島の北方領土を、やがて取り戻すことに、直結していく、唯一の道です。

 ぼくの発信もいつまで続くか分かりません。
 ぼく自身はこの一命ある限り、日本とアジアと世界に語りかけることを決してやめませんが、それがいつまで現実にみなさんに届けられるかは分かりません。
「光あるうちに光の中を歩め」というトルストイの小説があるがごとく、このささやかな声のあるうちに、どなたかの魂にひとりでも、ふたりでも、聞こえることを祈りつつ。

 雷鳴のとどろく、土曜日の東京にて。




Comment (1)

博多で会いましょう。竹島にもほど近い地で、一緒に考えましょう。

2012年08月13日 | Weblog


▼わたしたちの独研(独立総合研究所)には、インディペンデント・クラブ(The Independent Club / IDC)という会員制の集まりがあります。
 祖国の真の独立は、日本国民ひとりひとりの自立、独立があってこそ、という理念を基底に置いています。

 昨年の7月に活動を開始し、この7月から2年目の活動に入っています。
 現在、全国に400人の会員がいます。
 入会のご希望は、この数倍がいらっしゃいますが、なにせ独研内に置いたIDC事務局のスタッフがごく限られていますから、会の健康な運営を行うために、会員をいたずらに増やしすぎないよう、会員数を絞っています。
 会員は、入会希望を募る度に、純粋な抽選で全員を選んでいます。

 いま現在は、会員を募集していません。
 しかし、事務局の対応力をすこしづつ増強して、当面とりあえずは会員数を500人にする考えはあります。
 それが決定すれば、追加募集をおこないます。そのときは、独研の公式HPや、このブログでお知らせします。(なお、この個人ブログは、この8月末までか、遅くとも9月前半までに移転する予定です)


▼さて、IDCの2年目の活動では、なるべくさまざまな地域で少人数のIDC集会を開くことを始めています。
 1年目の活動では、どうしても東京・首都圏と、近畿圏での集会が中心でした。
 もっとも、たとえば雪上集会(スキー・ミーティング)は長野県で行いましたが、こうしたことは例外でした。
 それを見直して、ぼくの負担は正直、増えようとも、独研の資金負担が増えようとも、できるだけさまざま地域で開くこととし、先日、さっそく四国の阿波徳島で行いました。
 記者時代、共同通信・徳島支局が初任地でしたから、その関係地を回ったり、みんなでロープウェイに乗って眉山に上がったり、阿波おどり会館で、ぼくも阿波おどりを踊って、ぼくと会員のおひとりが「優秀賞」をもらい、なぜかぼくが最優秀賞になってしまったりしました。(会員のおひとりは、ほんとうにうまかった。ぼくは、たぶん一番下手だった)
 そして懇親会で、みなさんの質問をお受けしました。


▼次は、九州は福岡県、博多で行います。

 IDC事務局が掲げたフレーズは「青山繁晴が歌います、答えます」
 昨年にIDC京都集会を開いたとき、ライブハウス「都雅都雅」(とがとが)で行い、関西テレビの人気アナウンサー・ヤマヒロさん(山本浩之アナ)と男性デュオを組んで、アコースティックギターで生の弾き語りをやり、そのあと、CS放送番組の「青山繁晴が答えて、答えて、答える」(チャンネル桜)の言わばライブ版として、会場からの質問にどんどん答えていく、というのをやったからです。

 今回も、ライブハウスで行います。
 ただし、博多にヤマヒロさんに来ていただくのは無理なので、ぼくひとりですから、仮に歌うとしても、ライブハウスにギターを貸してもらってせめて1曲だけは、やるかなぁ、ぐらいに考えておいてください。
 中心は「答えて、答えて、答える」のライブ版ですね。

 以下は、IDC事務局が作成した募集要領を引用します。

************
日時:9月10日(月)夕方から4時間程度
場所:ライブハウス「博多エキマエ音舗(オンポ)」
   福岡市博多区 博多駅前3ー26-5 Mビル1号館地下一階
募集人数:20名(応募人数が募集人数を超えた場合は、地元の会員を優先させていただきます)
募集期間:2012年8月17日(金)1200まで
当選のお知らせ:2012年8月21日(火)前後
参加費用:たぶん5000円くらい
************

 さあ、今度は、博多で会いましょう!
 韓国大統領が不法侵入したばかりの竹島とも、ほど近い地で、ひとりひとりのかたと身近に考えます。


*写真は、IDC京都集会の時です。


魂から感謝

2012年08月10日 | Weblog



▼この写真は、42歳の会社員でいらっしゃるという男性が、ミクシィのコミュニティにアップしてくださった写真です。
 きっと、ご自宅のテレビでしょうね。君が代が世界に響く画面のまえに、つたないながらのわが魂の書、「ぼくらの祖国」を置いてくださいました。
 みんな、吉田選手の肩越しに歌いましたよね。

 このかたと、すべての日本代表選手たちに、万感の感謝を捧げます。


▼この写真を撮り、アップしてくださった男性は、ミクシィのプロフィール欄にこう書いておられます。

「仕事と育児で忙殺されていく日々ですが、毎日わからないことばっかりで、悩んで、そして少し前進して。自分がよりよく生きていくためにどうするのかということを考えています」

 胸に沁みる、雄々しい、フェアな、そして飾らない大和魂の言葉ですね。
 3連覇という絶景の頂点に立った、画面の吉田選手、同じく満月の虎のごとしの伊調選手、ニッポン本来の家族愛ですべてを超克し至宝のライフ・ストーリーを世界に語りかけた小原選手、それから、それから、どの日本代表も、この男性のような日本国民に支えられています。

 わたしたちは、何があっても、前へ行きましょう。前へ、そして前へ。



 8月10日金曜の朝6時7分、なでしこが、世界に伝わる笑顔で銀メダルを授与されるセレモニーを視ながら。

青春のとくしま/阿波の国徳島の書店サイン会で会いましょう

2012年08月02日 | Weblog


▼いま8月1日水曜の夜8時40分ごろ。
 大阪から帰京しました。
 大阪で関西テレビの良心派の報道番組「スーパーニュース・アンカー」の生放送に参加(出演)してきたところです。
 帰京は、ふだんより1時間早いのです。今日のアンカーは、オリンピック放送で1時間、繰り上がったからです。

 帰京してすぐ、仕事部屋の机に座りモバイル・パソコンを開いて、独研(独立総合研究所)から会員制で配信している東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)の執筆を再開したのですが、デスクトップ・パソコンのテレビ画面ではオリンピック中継が映っています。
 音を出すと原稿への集中力を欠くので、消音モードです。したがって、大半のいい場面は見逃しますが、おのれに打ち勝とうとするひとたち(選手たち)と一緒の時間を生きているのが嬉しいのです。


▼今日のアンカーは、実は、ふらふらの躯(からだ)でした。
 左足親指の巻き爪を手術で剥がしたばかりで、まだ血が止まっていないうえに、月曜日に大腸のポリープを、これも内視鏡の手術で切除したばかりでした。
 巻き爪の手術後は、ただ痛いだけのことだし、大腸のポリープは執刀医によると良性とのことですから、それぞれ、どうということはありません。
 大腸は去年の2月、すなわち東日本大震災と福島原子力災害が始まる直前に、癌を開腹手術で取りましたが、その後の詳しい病理検査で「Ⅰ期の、その前だった」と分かりましたから、これも、さしたることはありません。
 大腸癌は、そのあとの腸閉塞ではまさしく死に直面しましたが、癌そのものはもはや問題ないわけです。

 ただ今日のアンカーの時は、4日ほど、ほとんど何も食べていない状況だったから、さすがに、ふらふらだったのです。
 大腸の内視鏡検査に備えて、日曜から食事制限に入り、夕食は夜8時までにとらねばなりませんでした。
 その日曜は、独研が主催する独立講演会がありました。
 講演で集中力を高めるために、ほぼ何も食べないで会場に入り、4時間半ほど連続で講演し、そのまま、入院中の母を見舞に行き、母のいろいろな訴えを聴いて病院スタッフと相談したりしているうちに、夜8時の制限時刻を大きく越えて10時近くになってしまい、絶食のままになりました。
 そして月曜のポリープ切除後は、腸内の出血を避けるために、固形物を食べられない制限がかかりますから、結局、水分以外には何もエネルギー源がないまま、アンカーのために関テレの報道スタジオに入りました。

 もっとも、医師からの指示は、食事制限に加えて出張禁止、安静の維持でした。本来は、短くても入院するところですからね。
 この8月は、後半に海外出張もあり、アンカーを一度、休まねばなりませんから、今週のぼくに「大阪出張をやめる」という選択は最初からなかった。
 その今週のぼくは、独立講演会で声を振り絞ったために喉が潰れていて、さらに、体調が万全でないためにホテルのクーラーにやられて鼻水が止まらず、まぁ、大袈裟に言えば、足の痛み、腹の痛み、圧倒的な空腹、鼻水責めの四重苦の状態でアンカーに臨んだわけです。(四重苦はやっぱり大袈裟。いくらか集中力を欠いてもおかしくなかった状態、ぐらいが正確ですね)

 けれども、アンカー本番の間だけ、ピタリと鼻水も止まり、声も最低限の声は出て、痛みと空腹はしばし忘れ、おのれを信じることができました。

 帰京する飛行機の中で、再び、止まらなくなった鼻水をすすりながら、このささやかな存在の自分を支えるものはいったい何だろうと、ふと、思いました。
 今日は躯がフラフラだったけど、実は、その躯がいちばん支えてくれていると考えました。
 こないだ、徹夜仕事の最中に喉が渇いて、冷蔵庫をみたらパインジュースがあって、糖分で体を持たせようと思い、封を開けて一口飲んだら、何とも言えない味です。
 濃すぎる。
 どろどろです。
 しかし、いつものように気にせずに、最後の一滴まで飲んで、「ずいぶん変わった味だったなぁ」とだけ思いました。
 すると、あとで青山千春博士が「あれは薄めて飲むためのジュースで、特に、特に濃いやつだった。そのまま飲んだら、マジに死ぬよと言われているのに」と言います。
 しかし別段、躯に変調は起きませんでした。
 青山千春博士は「…気にせず、飲んじゃうのも、飲み干したあと平気なのもいつもの通りね」という感じで、呆れた顔で去っていきました。ふひ。

 そして、この躯をつくってくれたのは、今は介護を必要とする母と、亡き父です。
 それから鼻水が本番の間だけ止まったのは、メインキャスターのひとり、村西利恵アナが渡してくれた薬のおかげが大きいと思います。
 検査をするようにとアドバイスしてくれたのは、近所の開業医だし、そのアドバイスがなければポリープの発見が遅れたでしょう。
 巻き爪を剥がす手術をしてくれたのも、この開業医さんです。
 巻き爪は、かつて競技スキーで足を締め付けたことに端を発しますから、ずいぶんと長いあいだ痛みを抱えてきたのですが、開業医さんが「一気に剥がしてしまおう」と提案してくれたおかげで、ようやく終止符を打ちました。
 このように、何につけ、いつでも周りに支えられています。

 それはオリンピックという至上の場で、みずから鍛えた躯で戦うひとたちが、ひとりの例外もなく、周りの支えによって初めて自己鍛錬を続けてこられたことにも通じます。
 一級の選ばれし戦士たちと一緒にするのは、まことに気が引けつつ、共通する真実をやはり感じるのです。


▼さて、今週の週末、8月4日と5日に四国の阿波徳島を訪ねます。
 ぼくにとって、徳島は、すべての始まりの地です。

 ぼくは、慶應義塾大学の文学部を中退し、早稲田大学の政治経済学部を受験し直して、卒業しました。ひとりで早慶戦をやってしまったわけです。
 慶応は好きでした。嫌いでライバルの早稲田に移ったのではありません。
 文学部で哲学を学ぼうとしたのですが、ぼくは自分なりの新しい哲学を構築しようという志を持っていました。大学で講じられる哲学は、やや生き生きとしていないように感じました。
 そして、ぼくは何よりもまず、現実世界の改善に役立ちたいと願っていましたから、慶大の経済学部への転部を考えましたが、転部制度がありませんでした。(現在あるのかないのかは分かりません)
 そこで、人生は一度切りだからと考え、悔いのないように、慶大文学部を勝手に中退してしまい、早大政経学部を受験し直したわけです。

 そのために就職する頃には、26歳になっていて、共同通信も最初は「うちは25歳までの年齢制限があるから」と厳しく撥ねつけられ、「受験することだけは認める」、となるまでには、引いては満ちる潮のごとき交渉も必要でした。
 そして何次かの試験を超えて、ようやく記者になることができて、初任地が、共同通信社徳島支局だったのです。

 ここでいきなり、徳島地検始まって以来の特捜事件、大病院の史上最高額の看護料不正事件とぶつかり、その事件と表裏一体の側面もあった国立徳島大学医学部紛争にもぶつかり、体力に任せて、夜昼なく検事や警察官や、病院の医師たちや、医学部の教授たちと会って会って、議論していったのが、ぼくの原点です。


▼8月4日の土曜は、その徳島でインディペンデント・クラブ(独研の事務局を置く会員制クラブ)の、地元のみなさんを含めた会員とお会いします。
 そして8月5日に、全国から集まった教員のかたがたの大会で講演したあと、徳島市内の書店でサイン会を開きます。

 サイン会は、まだ少し余裕があるそうなので、下に出版社からのお知らせを再掲しておきます。
 もう直前ですから、参加をお考えのかたは、できれば、お早めに電話予約してください。

~ここから引用~

【ぼくらの祖国】サイン会開催!
青山繁晴さんサイン会
【  日  時  】 8月 5日(日) 14:00 ~ 16:00(予定)
【  場  所  】 平惣 徳島店
【  定  員  】 先着100名様
【 要 整 理 券 】 同書店にて本書をお買い上げのお客様に参加整理券を配布します。
【お問合わせ先】 平惣 徳島店 TEL 088-622-0001

~ここまで引用~

 扶桑社の編集者からのEメールによると、徳島以外からも参加できるよう、書店では電話予約も受け付けるとのことです。


▼いまは8月2日木曜の夜が明けました。
 まるで元気です。
 このあと、涼しいうちに繁子(毛が夏でもふさふさのポメラニアン)を夜明けの街へ散歩に連れて行き、早朝から、メタンハイドレートをめぐる議連の集まりへ出かけ、短く講演し、国会議員たちのヒヤリングに応じることから、今日は、ぼくなりの任務が始まります。
 そのあと、永田町で沖縄県庁からの出張者に緊急の要件で会い、海からのテロの抑止を専門となさっている良心的な学者と東大で会い、そして夕刻4時から、ニッポン放送の生放送ラジオ「ザ・ボイス」に参加(出演)します。