Our World Time

車中にて

2011年11月30日 | Weblog


▼みなさん、けっこう寒かったり、また奇妙に暑かったりのなか、お元気ですか?

 ぼくは先ほど、大阪で関西テレビの良心派の報道番組「スーパーニュース・アンカー」生放送への参加(出演)を終えて、いまは、次の出張地に向かう特急列車の車内です。
 もちろん、モバイル・パソコンを開いて、執筆しています。


▼執筆…そうです、「ぼくらの祖国」(扶桑社)の原稿仕上げを、まだ続けています。
 ここまでの送稿で、どうにか、年内発刊の実現は、確実にしました。
 というより、扶桑社のベテラン編集者・田中亨さんをはじめ、校正スタッフのかたがた、写真製版のかたがたら沢山の人たちが 「全社を挙げて」 (田中さん)、年内発刊に努力を続けてくれているおかげです。

 12月21日に書店に並ぶ予定は、12月27日に変わりました。すべてぼくのせいで、ずれ込みました。
 ごめんなさい。
 12月27日火曜に、都市の大きな書店に並び、翌日28日水曜には、全国の書店に並びます。
「もう予約しても大丈夫ですか」という問い合わせもいただいていますが、そうです、もう予約なさっても大丈夫です。
 前述したように、まだ原稿の最終仕上げは続いていますが、本ができあがりつつあります。

 写真をかなりたっぷり、それもカラーで入れました。
 表紙は、赤と白のデザインです。


▼ぼく自身は、いったい何日もう、お布団・ベッドに入っていないのか、分からなくなってしまいました。
 2週間はとっくに超えていて、もう3週間近いのではないでしょうか。

 26歳で共同通信に記者として入社し社会人になってからずっと、忙しい日々ではありましたが、こんなにも仮眠すら取れないのは、いくら何でも初めてです。
 毎日毎日、講演であったり、大学(近畿大学経済学部)での講義であったり、テレビ・ラジオへの参加(出演)であったり、原発の大きなリスクをテロリストや北朝鮮につけ込まれないようにするための公職での会議であったり、とにかく日程は詰まりに詰まっていて、それらも一切、人間としてごく当然ながら、手を抜くことはないし、いかなる日程もドタキャンはしませんから、執筆は細切れの車中や、世が深く寝静まる真夜中しかないわけです。
 睡眠は、タクシーの車内などで、5分取ったり、そんな感じです。

 そのさなかに、このひとつ前の書き込みで記した奇怪なことも起きたわけですが、いずれにせよ、天の命じるまま、いのちの最期の一滴、ひとしずくまでを捧げ尽くして、祖国が甦るための、ちいさなちいさな寄与を致すだけです。
 淡々とした気持ちです。


▼きょうは11月30日、あと数時間で、はや師走です。
 12月に入ると間もなく、サンフランシスコに向かい、毎年、参加している世界最大の資源・エネルギー・環境・宇宙をめぐる学会、「地球物理学連合」(AGU)に参加します。
 そのために、来週12月7日水曜のアンカーは、参加(出演)できません。VTRでの参加もありません。
 その次の週は、無事な顔を見せられるよう努力します。
 そのときにまた、お会いしましょう。


▼この特急はがらがらに空いています。
 ぼくの斜め後ろの席では、年配のご夫婦が、仲よく弁当を食べてらっしゃいます。
 温泉か何かに向かうのでしょうか。
 静かな会話も楽しそうで、奥さまは今、安心しきったような大あくびもしましたよ。

 こんなちょっとした、あたたかな光景を見ると、めげずにやろうぜ、という元気が胸中ひそかに湧いてきます。
 
 われら独研(独立総合研究所)は、国民を理不尽なテロリズムから護る民間防衛をつくるための独立系シンクタンクであり、日本の子々孫々に自前資源(日本海のメタンハイドレート)を渡すためのささやかな努力をする独立系シンクタンクでもあります。
 その社長・兼・首席研究員としての任務や、プロの物書きとして書店に良心的な本を並べることについて、やる気があらためて出るのです。


▼写真は、被災地の宮城県・南三陸町へ4月23日土曜に入ったときの一枚です。
 福島第一原発の構内深くに入った翌日です。

 地獄の炎のように、瓦礫が自然発火していた光景が忘れられません。
 このときのことも、「ぼくらの祖国」には書き込みました…。



こんな理不尽なことにも、命の時間を削がれます

2011年11月26日 | Weblog
 ぼくのEメール1通と、その前のEメールによるやりとり2通を公表します。
 相手先のご本人に、公表を通告しています。

 これが日本社会の今の、無残な現実のひとつです。



Tさん


▼わたしは、あなたの長文Eメールや問いに、すべてお答えすると約束しました。
 下掲のEメールの実際のやりとりにある通りですね。

 そのうえで、現在は、たいせつな急ぎの仕事のためにお待ちくださいと申して、あなたご自身から、下掲のように、待つというお返事をいただいています。
 それも丁寧に、いわば低姿勢で「はいわかりました。お忙しいところ大変申し訳ございません。お返事頂ける日を楽しみにお待ちしております。よろしくお願い致します」(※原文のまま)とお書きになっています。

 それにもかかわらず、そのやりとりからわずか1日しか経っていない、というより翌日に、いきなり「青山のウソ嘘うそつきだ」というタイトルのユーチューブをネットにアップされました。
 また「本当に青山繁晴さんは最低の人間だ」とツィッターで書き込まれました。
 そこから、まったく約束を無視して、延々と一方的な名誉毀損が続いています。

 わたしは、人として当然ながら、あなたが自ら約束された以上、わたしの話を聴いてから何か書かれるのなら書かれる、話されるのなら話されると信じていました。
 ですから、あなたが実際には待つことをせず、わたしの話を聴かずに、背中から切りつけるように中傷なさったことを、当初は何も知りませんでした。
 ところが、あなたに憤慨された非常に沢山の方から、Eメールや書き込みをいただいて、知りました。


▼あなたが不正義にも、約束を前触れもなくただ一方的に破り、健全な社会常識をまったく破り、わたしの話を何も聴かないまま、ご勝手に思い込んで、奇怪な思い込みを募らせてネットにアップされたために、あなたの話は、根こそぎ間違っています。
 フェアな客観事実にまったく反します。

 たとえば、独研(独立総合研究所)の仕事には、カケラも「裏」はありません。
 警察庁だろうがどこだろうが、この国の行政、特に危機管理において改革すべき課題を真正面から指摘し、改革の具体案を提起するために、独立系民間シンクタンクとして仕事をし、その仕事は手続きも内容も何もかも公正そのものですから、仕事(調査研究)の主題(タイトル)と正当な対価は、すべて公表されています。
 会計検査院の検査も当然、すべて受けています。
 あなたが「機密資料」だとか奇怪千万にも勝手におっしゃっていることは、法に基づいてとっくに公表されています。
 それを「裏金」だとは何たることですか。
 違法な中傷行為であるだけではなく、民から官を改革する真剣な努力を、極めて不当に妨害する行為です。
 疑問があるのなら、ご自分に酔っ払ったように「裏だ、機密だ」と言いふらす前に、当の官庁、警察庁であれどこであれ、堂々と正面から問い合わせ、お聞きなさい。
 ジャーナリストを自称なさるのなら、あまりに当然の、最低限の義務でしょう。
 こちらには一点の曇りもない。さっさと公に問い合わせなさい。


▼心ある国民のかたがたからは「T氏が明らかに約束を破った以上、青山さんは、もはやメールを出す義務がなくなった。当面の急ぎの仕事に節目がつけば、法的措置をとればいいと思います」というEメールと、個人ブログへの書き込みを、多くいただいています。
 適切な考え方だと思います。
 また「下劣、愚劣な行為には取り合わないで、無視してください」というご意見も少なからず、いただいています。独研(独立総合研究所)の自然科学部長である青山千春博士も、この意見です。

 しかし、わたしは、わたしなりの生き方として、いったん交わした約束は、まずは守る努力をします。
 相手が不正義でも、約束を履行する努力はします。

 現在、12月21日に発刊が迫り、発刊日まで1か月をとっくに切っている書物の原稿を、志の深い編集者に奇跡的に待っていただき、完成しようとしているぎりぎりの過程です。
 1週間を超えてほとんど眠っていない情況です。だからこそ、あなたにEメールを待ってくださるようお願いし、あなたは上記の通り、確実に快諾なさったのです。

 約束通り、Eメールを待ちなさい。
 それだけのことです。
 虚栄心や、自己弁護に動かされて奇妙な事をするのではなく、人間なら男なら、ご自分自身の約束を守って、約束通り待ちなさい。


▼あなたのこれまでの異様な行動からして、このわたしのEメールを一部だけ切り取ってネットにアップするといった怖れがありありとありますから、下掲のEメールのやりとりを合わせて、個人ブログで公表します。
 ただし、あなたに沢山の抗議メールが届くことが予想されますから、それを防ぐために、公表する際には、あなたのメールアドレスは、@マーク以下は削除し、あなたの名前はイニシャルだけにしておきます。

 青山繁晴 2011/11/26 午前7時12分


2011/11/21 07:44:35
T <tachibanakumi0112@…>さん:
>
> 青山繁晴様 はいわかりました。
> お忙しいところ大変申し訳ございません。お返事頂ける日を楽しみにお待ちしております。 よろしくお願い致します。  T


> Date: Mon, 21 Nov 2011 02:41:24 +0900
> > Subject: Re: 取材させて頂きたい内容は4点です。
> > From: info@dokken.co.jp
> > To: tachibanakumi0112@…
> >
> > わたしは今、〆切を過ぎた急ぎのたいせつな原稿のために完全徹夜をしていると ころです。
> > 約束した以上は、丁寧にお答えします。まずは、先日にいただいた長文のEメールにひとつひとつ答えます。
> > ただし、Tさんだけを優先するわけにいきませんから、ずっと前から蓄積している先約を果たしてつつ、お返事を書いていきます。
> > お待ちください。時間をいただきます。
> >
> >  あおやま 拝

(以上のEメールは、相手が多量の抗議メールなどを受けるのを防ぐため、相手の実名をイニシャルのTとした。また、そのメールアドレスの@マーク以下を…とした。それ以外は、すべて原文のまま)

たいせつな日本人

2011年11月26日 | Weblog


▼いま、出張先の北陸路で、午前4時38分。
 夜明けまで、あとどれくらいだろうか。
 ぼくは、出張での仕事を夜に終え、宿泊先で眠りなく原稿を書き続けている。

 きょうは11月26日土曜日だ。
 読者をながいあいだお待たせし続けた「ぼくらの祖国」を扶桑社から発刊する12月21日まで、あと、今日を入れて実質28日しかない。

 それなのに扶桑社の信頼する編集者、田中亨さんは、11月28日・月曜の正午まで原稿を待つ、これが最後の最後ですと、きのう教えてくれた。
 奇跡のような編集者、奇跡のような校正スタッフ、奇跡のようなすべての関係者と言うほかない。本はふつう、原稿が上がってから発刊まで4か月ほどかかるのだ。
 すでに表紙のデザインも決め、その校正も済ませ、写真と図版の手配も終わってはいるが、原稿の脱稿から25日ほどで本を書店に並べるのは、常識をはるかに超えている。

 その、出版社のみなさんへの尽きない感謝と、待ち続けてくださった読者への熱い気持ちで、ようやく、眼が、深い眠りでふさがれないよう耐えている。


▼祖国を甦らせるために戦う独立系民間シンクタンクの社長としての任務を、ぼくなりに一切、妥協せず、遂行し続ける。
 それと両立させつつ、こうやって原稿を書き続けていて、さっきふと、物書きに戻っている何とも言えない歓びを感じた。


▼きょうは、昼前まで、この宿泊先で執筆できる。
 そのあと、ここ北陸から神戸へ向かい、生まれ故郷の神戸、そして日本国をよくするために踏ん張っているひとたちとの公式会合に出て、あす日曜には神戸から福岡へ向かい、志を持つ個人のかた(薬局の店主さん)が主催する講演会(※この一つ前の書き込みをみてくださいね)で講演し、そあとの懇親会にも出て、あさって月曜の早朝7時には飛行機に乗って、帰京し、そのまま原発へのテロを防ぐための公職の会議に出て、同じく原発テロを防ぐための別の会議3つ、つまりは計4つの会議をこなし、夜9時半からは読売新聞の取材を受ける。

 その間に月曜正午の、最後の最後の、原稿〆切を迎える。

 ほんとうのぼくは怠け者なので、こんな社会人生活が待っていると、もしも学生時代に分かっていたら、永遠に逃げ出したかもしれないナァ。
 このタイミングで、奇怪な思い込みの嫌がらせも延々と受けているが、「青山さんが過去に受けてきた不正義の嫌がらせのなかでも最悪だから対処してほしい」というメールや書き込みを、沢山のかたからいただいている。
 こうしたことがあると、学生時代のぼくに分かっていたら、どうだろう。
 いや、逃げ出しませんね。


▼新刊の「ぼくらの祖国」には、硫黄島の英霊をめぐることも、書籍としては初めて、深くしっかりと盛り込んでいる。
 沖縄の少女たちの自決壕、旧ユーゴ戦争、イラク戦争、硫黄島、福島第一原発と、現場を歩いてきた。
 歩かせてくれた天命に、感謝している。

 ぼくは、現代の亀山社中としての独研、独立総合研究所のちいさな灯火を掲げつつ、もっともっと、物書きに戻っていく。
 その歓びは、サーキットに戻った歓びと、実は、よく似ている。
 ふひ。


▼写真は、硫黄島での一枚です。
 ぼくと握手している人は、さて誰でしょう。
 ただのおじさんでは、ありませぬ。硫黄島の秘密を、いちばん知っている素晴らしいひとです。
「ぼくらの祖国」に、たいせつな日本人のひとりとして登場します。


あれから一年

2011年11月21日 | Weblog



▼いま11月21日月曜の午後10時過ぎ、病院にいる。
 入院ではありませぬ、1泊の人間ドックだ。


▼去年の11月初旬、この同じ大病院で、生まれて初めての人間ドックを受けた。
 どうしても人間ドックに入らない、検診も受けないぼくを、独研(独立総合研究所)の秘書たちや青山千春博士が懸命に、病院に押し込んでくれた。
 まぁ、ぼく自身も、あまりの体調の悪さに調べる必要を感じて、やっとこの病院に来た。

 検査はいわば物凄いハードスケジュールで、休みなく次から次へ、血液も大量に採取され、ぼくは内心、『やれやれ、この検査でこそ病気になりそうだよ』と呟いていた。

 検査の途中で、筋肉量や体脂肪率、基礎代謝ではかる「体内年齢」が「36歳」と判定されたこともあって、正直、『ほらね』という気持ちもあった。
 まったくの健康過信、体力過信、傲りそのものだ。

 ところが、この初めての人間ドックで、大腸癌が、それもごく初期段階で見つかって、今年2月の手術になったわけだ。
 ドック入りが遅れていたら、今頃は、取り返しのつかないまでに癌が生長してしまって、もうこの世にいなかったかもしれない。
 ドックのおかげで、もうすこし、ささやかながら祖国に一身を捧げるための時間を、いただいた。


▼だから今年は謙虚に受けました…と言いたいところだけど、重大な原稿〆切と重なった。
 発刊が遅れに遅れてきた「ぼくらの祖国」を、発行元の扶桑社、なかでも田中さんという信頼感の深い編集者のおかげで12月21日に発刊予定となり、その原稿や写真、図版の〆切をぎりぎりの、そのうえのぎりぎりまで延ばしてもらいながら、続けている。

 そのために、目が回るほど忙しい検査の合間を縫って、検査室前の廊下でモバイルパソコンで原稿も書き、写真も選び、本の装丁なども最終的に考えて決めて、編集者に送るという、とんでもない人間ドックになっている。

 しかも、日曜からこの月曜の朝にかけて完全徹夜して、というか土曜から2日目の徹夜明けで、病院に入った。
 その土曜には大阪で長時間の生放送テレビへの参加(出演)が2本、深夜の収録が1本。計3本。午後2時半ごろから11時過ぎまで、ずっとテレビ局。
 日曜には、東京で「独立講演会」を開き、午後1時10分ごろから5時40分ごろまで、ぶっ続けで4時間半ほど講演した。
 だから、徹夜はいくらかは、こたえている。

 しかし『人間ドックで講演などは当然なくて、検査だけだから』と思っていた。
 それは、まったく甘かった。
 ハードスケジュールの検査は、連続の徹夜明けでは、実にきつい。
 それに例えば、どうでもいいけど身長は縮んでいるし、眼もかすむ。

 それでも、眼をこすりこすり検査を受けて、視力は「1.5以上」。
「以上、というのは何ですか」と尋ねると、「これだけ見えていて、それ以上調べても意味ないですから」ということだった。
 ただし、耳もいいはずが、高音を聴く力がわずかながら落ちているとのこと。
 眼も、視力がいいからといって、なにもかも安心ではありませんと医師からアドバイスをいただいた。

 体内年齢は、34歳。
 去年より2歳、若くなった。
 ただし、別に感激しない。
 若い、意欲的な女性の栄養指導士さんからは「禁酒してください。ヨーグルトや生クリーム、チョコを食べるのもやめてください。そうでないと、今度は肝臓癌ですよ」と迫られた。
 その通り、ぼくはお酒も甘いものも好きだ。
 お酒は、気合いを入れて呑めば一升半、しかし別に飲まなくてもいいけど、甘いものは、たまにドカ食いまでしてしまう。
 仕事で頭が疲れたからという口実で、ほんとうは意志が弱くて怠け者だから、原稿も進まないまま、甘いものをどっと、脳ならぬ胃に入れるだけだ。
 そして、そのまんま仮眠へと、眠り込んでしまったりする。

 栄養指導士さんは正しい。
 ふひ。


▼ちょっとだけ、かすかには嬉しかったのは、運動指導士さんから「身体が柔らかい。たぶん10年後も、20年後も、ほとんど変わらないでしょう。これは体質ですから」と言われたことだ。

 ぼくはもともと、柔軟体操とかストレッチはほとんどしない。
 しかし、この頃、股関節が硬くなったと思っていた。
 毎日のように飛行機に乗る生活だし、原稿を書くときも座りっぱなしだから。
 復帰したサーキットでも、レーシングカーのシートは、極端に狭く、腰をがっちりと固定する。股関節にいいとは思えない。

 だけど運動指導士さんによると、股関節はむしろ、平均よりずっと柔らかいとのこと。
 実は股関節が硬くなったのではなくて、おとどしだったか、スキーでジャンプして墜落し、左腰の骨を5本、引きちぎるようにすべて骨折したために、それをかばおうと筋肉が突っ張っているだけだという判定だ。
 腰は幸い、後遺症はない。
 それでも、足や腰の筋肉は無意識に踏ん張ってくれていたわけだ。


▼沢山の検査を受けるうちに、何人ものドクター、指導士さんから「たいへんな1年でしたね」と言われた。

 そう、1月に「あなたは癌です」という判定があり、その前後に、痛い痛い尿管結石、それから肺が半分、真っ白になって死に直面した重症肺炎、癌の手術は成功したのに、そのあとの凄まじい苦痛のイレウス(腸閉塞)で、もっともっと死に近づいた。
 尿管結石とイレウスはまだ治りきっていないまま、東日本大震災と福島原子力災害のなかに突入し、4月には、福島第一原発の構内に入って、癌のCT検査と合わせると、すいぶんと被曝もした。

 いまのぼくは、去年と同じ人間ドック用病室にいて、ただ淡々としている。
 神経としては、かなり馬鹿馬鹿しいことで、内心、憤慨していたりする。

 正直、こんなくだらないことで人間不信も感じるのなら、もう面倒くさいな、という気持ちもある。

 しかし、日曜の独立講演会で出逢った、さまざまなかたがた。
 そのひとりひとりと握手した、みんなの手のぬくもりを思えば、やっぱりこうやって人間ドックにも入り、戦うべきは戦わねばならないのだろう。

 そのうえで、真に戦うべきものと戦いたい。





*写真は、この書き込みとはまったく関係ない青山繁子です。
 忙しすぎるのはいいけど、繁子と会えない、遊んでやれないのは悲しい。

 日曜の夜、独立講演会のあとには、どうにか散歩に連れてった。
 繁子は今夜も、「帰って来ないかなぁ」と待っているだろう。
 この写真、「遊んでくれないの?」という顔のときの繁子です。

 講演会といえば、今度の日曜に、福岡県の小郡で個人のかたが志を持って開かれる講演会が、いよいよ本番です。
 まだチケットがあるそうです。
 ぼくと会おうかなというひとは、お出でください。

------------------------------------------
講演名: 青山繁晴講演会 in 小郡
    「日本だけが放つ光を掲げよう」

主催:青山繁晴講演会を開く会

開催日時:2011年11月27日(日)
開場 10:00
開演 13:00

場所:小郡市文化会館(大ホール)
   〒838-0142 福岡県小郡市大板井136-1
TEL:0942-72-3737

費用: 1,500円(全席自由)
   ※入場時には、チケットが必要です。
申込方法: 下記にてチケットを発売しています。

購入に必要なPコード「619-857」

店頭(コンビニエンスストアーのセブンイレブン、サークルK、サンクス)の各
店舗にあるチケット販売機、チケットぴあ店舗、チケットぴあのホームページ上
で購入できます。
詳細は、チケットぴあHPをご覧下さい。
チケットは、チケットぴあにて、講演日当日の昼12時まで販売致します。

問い合わせ:青山繁晴講演会を開く会
TEL:090-3418-0209

------------------------------------------

後日談つづき

2011年11月09日 | Weblog


▼きょう11月9日水曜の関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー」の「青山のニュースDEズバリ」コーナーの入り口で、MC(メインキャスター)のヤマヒロさんと村西利恵さんが、台湾と中国の地図について、しっかり訂正とお詫びをしてくれました。


▼それから番組終了後に、関テレの報道番組部長から責任ある話があり、視聴者窓口のひとに事情をきちんと聴かれたそうです。
 それによると、視聴者窓口のひとは「台湾が中国の領土であるかのような発言は一切していません。個人的にも、台湾の主権をを尊重しています」と、おっしゃったそうです。

 この一つ前の書き込みで、関テレに電話をなさり、この個人ブログにコメントを書き込まれた視聴者のかたの主張を原文からそのまま引用して記載しました。
 また、応対した視聴者窓口のひとの主張を、上記のように記載しました。

 双方の言い分を公平に、こうして記したことで、おしまいにしたいと思います。
 言った言わないの問題には、すべきでないと考えます。
 わたしたち日本国民と、良心派の報道番組「アンカー」がともに、台湾の民主主義に基づく主権と自由を、大切に考えていることが、結果として再確認できたのですから。


▼いま、ローカル線の特急車中にいます。
 きょうは大阪から帰京せず、次の出張地に向かっています。
 危機管理の仕事です。
 ひとりのプロとして、断固、祖国を護ります。

 写真は、車中で開いているぼくのパソコンです。ぼくはふだん、ワードよりも一太郎を使って文章を書きます。
 日本語への愛情が感じられるから。
 その一太郎の画面には、いつも、青山繁子(わんこ)がいます。

 駅で買った栗弁当を、さっき早速、食べました。
 うまかった。
 繁子にも、ひとくちだけ栗を食べさせてやりたかった。 わん。


後日談をすこし

2011年11月08日 | Weblog


▼11月3日の木曜、ぼくの出張先に、わざわざ関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー」の若手ディレクターとプロデューサーがやって来られました。
 アンカーのなかの「青山のニュースDEズバリ」のコーナーで使われた中国の地図で、台湾が中国と同じ色に塗られていた一件で、説明と謝罪にお見えになりました。

 ぼくとしては、ほんとうは「来なくてももいいよ、電話でいいよ」とプロデューサーの携帯電話にかけて、言おうかなと思いました。
 しかし今回は、「電話でもメールでも足りません。お会いして話をさせてください」という若手ディレクターの言葉を尊重したほうが、いいかな、と思い直しました。

 ディレクターとプロデューサーが現れ、ほんとうにこころからの誠実さで、「あまりにも申し訳ないことだと考えています」と謝罪されたうえで、経緯を説明されました。
 それによると「「たとえば、日本の学校教育で使われている帝国書院の地図では、台湾と中国は同じ色に塗られています。しかし、それと、報道番組としてのアンカーは姿勢が異なるべきです。また、青山さんが、台湾を中国の領土の一部と考えていないことは、われわれとしても重々、承知しており、その青山さんのコーナーで不用意な地図を、チェックミスで安易に使用したことを、深く反省しています」ということでした。

 あの地図は、関テレの美術部門で制作した地図だけれど、報道部としてきちんと対応したいという意味でもありました。
 ぼくからまず、「来週(11月9日)水曜日のアンカーで訂正をなさってください」と求めました。そして「ぼくの語りでの間違いであれば、放送界の慣習(番組内の誤りはどんなケースでもメインキャスターが訂正し謝罪するという慣習)とは関係なく、ぼく自身が訂正し謝罪します。しかし今回は、違いますね。ぼくとしては不可抗力でした」と述べました。
 ディレクターとプロデューサーからは「その通りですから、11月9日の水曜アンカーでヤマヒロから話させます」という答えがありました。


▼それから、「青山さんも、台湾は中国領土とお考えなのか」という趣旨のコメントを寄せられたかたから、再び、コメントがあり、その中にこう書いてありました。

「コメントを書いた当時、関西テレビのあまりの対応の酷さに怒りが冷めず、感情的になっておりました。ブログを拝見し、アンカーに対する誤解が解け冷静になった今、青山さんに八つ当たりするコメントであり大人げなかったと大変反省しております。アンカーに向けるべき怒りを青山さんに向けてしまいました。八つ当たり以外の何ものでもありません」(原文のまま)。

 さらに、このようにも書かれています。
「今、振り返ると、私自身、電話中、『青山さんがそんな(=台湾が中国領土である)立場なわけないでしょっ!!!なのに、そんな地図使うわけ!?』と言っておりました。
 また、ブログを拝見し、応対した男性スタッフが報道局所属ではなかったことと、彼の対応と報道局の対応とのギャップに驚きました。
 どうして報道局所属でもないスタッフが『台湾は中国領土ですので、訂正はしません。それが、関西テレビ・アンカーの方針です』と言い切ったのか腑に落ちません。最初に電話に応対した女性は事の重大さに気づき慌てているようでしたから、彼の応対は残念でなりません。アンカーを愛する一視聴者として、アンカーの信用を失墜させるような対応が二度とないよう、関西テレビに意見してみることにします」(原文のまま)。

 このかたのお気持ちは、深く諒解しました。


▼察するに、このかたの電話に対応した関テレ社員(報道部の所属ではなく、たぶん視聴者窓口のひと)は、おそらく、「日本が1972年に日中国交回復した時点で、一つの中国という中華人民共和国の主張を受けて入れているから、この地図でいいんだ」ということではないでしょうか。

 しかし、仮にそうだとすると不正確な認識です。
 日本国は、日中共同声明に基づいて、「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であると表明するところの、中華人民共和国政府の立場を、充分に理解し尊重する 」という立場を取っているのであって、台湾が中華人民共和国の一部であるというのは、あくまでも中華人民共和国の主張です。
 日本国の認識でも主張でもありません。だからこそ、その中華人民共和国の立場を「理解し尊重する」のです。
 したがって、台湾の国民と政府が、主権と自由を主張していることをもまた、決して軽んじることなく尊ぶのが日本やアメリカをはじめとする少なからぬ民主主義国家の立場です。。

 そして、たとえばぼく自身、台湾を訪れた際、現地で触れあった国民、市民から「中国共産党の独裁に呑み込まれず、台湾の主権と自由と文化を護り抜きたい」という強い願いを何度も受け止め、しっかりと支持しています。


▼ぼくとテレビとの、ちと辛い関係については、驚くほかないほど沢山のコメントがありました。
 これらについては、まだ話す気になれません。


ぼくとテレビの、ちと、つらい関係について

2011年11月02日 | Weblog


▼いま11月2日の水曜日夜6時50分、伊丹空港のうどん屋で「たこ焼きうどん」を食べているところです。
 思いきり大阪オリジナルで、おいしいです。
 大阪出身のO秘書(独研・秘書室第2課/社長同行担当)は、おいしそうに懐かしそうに「大阪のきつねうどん」を食べています。

 そこへ、関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー」の若手ディレクターから秘書さんの携帯に電話がかかってきました。
 電話を代わると、いきなり、「大変なことをしてしまいました。申し訳ない」。
 げ。何だろ。
 テレビに顔を出していると、いろんな予測不能のことがあるけれど、さて何だろう。
 ディレクターは言葉を続けて、「コーナー(青山のニュースDEズバリ)で出した中国の地図で、台湾を同じ色に塗ってしまいました」
 うーむ、何たること。
 ぼくはその地図を使って、チベット自治区と、四川省の説明をしたけど、東シナ海や台湾のあたりはまったく見なかったので、まるで気づかなかった。
 こうした地図は、関テレ報道部が作成し、ぼくはナマ放送の本番まで、見ることは一切ありません。
 だから、ぼくとしては不可抗力だけど、関西テレビ報道部になり代わって、台湾国民と、視聴者のみなさん、お詫びを申しあげます。

(その後、帰京し、この地味ブログに来た書き込みを見ると、生放送中に間違いに気がついた視聴者のかたがいらして、関西テレビに電話したところ、対応した報道部所属ではない関テレ社員、おそらくは視聴者窓口の関テレ社員がいい加減な答えをして、スタジオに連絡するのを拒んだようです。
 何ということか。
 関西テレビは生放送中に訂正し、お詫びすべきだったのに。

 この視聴者のかたが書き込みを下さったのはいいけれど、その書き込みの最後に『青山さんも、台湾は中国領土とお考えなのでしょうか?』とありました。
 何で、こんなことを言われなきゃいけないのか。
 このようなことを言われるのなら、テレビはやはり出たくない。

 テレビ局がやることを、一参加(出演)者が何も知らないまま全部、被らねばならないのなら、もはや出るわけにいきません。
 関テレの視聴者窓口?のそのような対応にも、この書き込みの最後の一文にも、明確にここに抗議します)


▼さて…日々、想像以上にいろんな要望、要請、お願いがやって来ます。
 Eメールと、この個人ブログへの書き込みはもちろん、どんなにか時間を掛けられたのだろうと思うほど丁寧な手紙などなども含めて、やって来ます。
 なかにはお願いというよりは、あからさまに一方的な要求だったり、さらには威迫、脅迫と言わざるを得ないものもある。
 それは別として、たくさんの「ねがい」が届けられ、そのなかでも意外なぐらい多いのが「テレビにもっと出てください」という願いです。

 ぼくは、ちと、つらい。
 ふひ。
 関西テレビの報道番組「アンカー」は、上記のような情けない事件はあっても、ほんらいは良心的な番組です。
 それでも、ほんとうはぼくにとっての適正なペースは、まぁ、月に1回か、本音を言えば3か月に1回ぐらいでしょう。
 ぼくは、ほんとうは、たいへんに怠け者だし、目立つのは嫌いだし。

 だけども、たとえば海外出張や、学会出席や、東京でのどうしても外せない仕事や、そうした事情でアンカーを一度でも休むと、ほんとうに多くのかたがたから「休まないで」という声をいただいて、驚く。

 それと、テレビ番組への参加(出演)は決して本業ではないけれど、やる以上は、一定の義務はきちんと果たせねばなりません。
 だからアンカーは、体調が極限まで悪いときでも、たとえば左腰の骨を5本折っていたときでも、これまでは毎週欠かさず、参加してきました。
 参加しなかったのは、体調などの理由ではなく、上記のように、責任上外せない仕事とどうしても重なったときだけでした。


▼それにしても、テレビはこれだけ批判を浴び、ぼろくそに言われつつも、みんなの関心を依然、集めているんだなぁということを、ちょっと不思議に思いつつ実感します。
 ぼく自身は、あまりテレビを視ません。
 もっと正確に言うと、東京の報道番組はおおむね音を消して、つけています。パソコンで仕事をしながら、ちらちらと目線を走らせて、何が起きているのかを掴み、これは、と思うニュースは、あとで当事者らに電話をしたり会ったりする努力を、ぼくなりにやります。
 音を消しているのは、(申し訳ないけど)テキトーなコメントが多すぎて、げんなりするからです。

 あと衛星放送で、原語の海外ニュースはよく視ます。それから映画、科学番組、音楽番組も視ます。
 何だ、よく視てるじゃないか。
 いま自分でもそう思いましたが、要は、バラエティ番組など現在の地上波のテレビで主流の番組はほとんど視ないし、在京テレビ局の報道番組も、僭越ながら、前述したようにコメントは聴きません。


▼さて、そのうえで、多くのご要望があるからこそ、少ないながらテレビ番組にも参加(出演)します。
 そして、ぼくにとって、テレビ番組に参加するというのは、見かけ以上に手間がかかります。

 こないだ、テレビ大阪の「たかじんNOマネー」では、10月22日土曜日の午後1時半過ぎに局に入り、2本分を収録してから、夜7時から9時前までの生放送に参加しましたから、凄い拘束時間だナァと思いました。
 現在のぼくと独研には、詰まった日程をこじ開けて調整するのが、かなりの力業です。

 それから、当日のそのエネルギー消費も、かなりなものだけど、テレビ番組に参加(出演)する前には、必ず、予定テーマに沿って当事者に会って話を聴いたり、政府当局者のうち信頼できる良心派に電話したり会ったりして、フェアな事実を確認するよう、おのれなりに努めています。
 これも、いくらかは、それなりには、エネルギーを使います。

「たかじんNOマネー」の初ナマ放送のテーマのひとつが「日韓」でした。
 韓国の電機メーカー・サムスンの常務だった経済人がゲスト参加されて「サムスンにいた時は竹島の話などしなかった.しても意味がない」という趣旨の話(正確な言葉は違います。あくまで趣旨)をされたから、ぼくは正直、こころの底から憤りました。
 このかた個人に憤ったのでは、まったくありませぬ。個人批判をするのでも、ありません。
 たとえばイギリス人やアメリカ人、フランス人が、おのれの祖国の領土を侵略し占拠している国の会社に役員として入るとする。
 そのような相手国の会社であっても役員としての招聘(しょうへい)に応じることはあり得ます。
 しかし役員となったあと、必ず、堂々と胸を張って祖国の主張の正しさを強調するでしょう。
 なぜか。
 それをしないとむしろ、人間として軽蔑されるからです。
 誰も口に出しては言わずとも、その人物と、そしてその祖国が軽んじられます。
 これを分かっていないことこそ、たった一度の敗戦から66年を経て変わらない、日本の病の根っこのひとつです。
 だからぼくは、おのれを励まして、真正面から批判しました。
 スタジオ内には、ちょっと閉口して笑いに紛れさせようという空気もあったけど、いえいえ、ここだけは笑っている場合ではありませぬ。


▼ただ、ぼくは本心では、激しい言葉を吐くのが嫌いです。
 しかし秒刻みで、視聴者に伝えるべきを伝えねばならないテレビ番組では、好き嫌いを言ってられない。
 おのれ自身を内心で叱咤激励して、発言しようと努めます。

 だから、番組が終わると、どっと疲れる。
 こころの疲労はすぐ回復するけれど、番組について次のオファーが来たとき、胸のうちでは、ちょっと登校拒否児童みたいになっています。

 この経済人のかたは、番組のあと大阪のホテルに泊まられたようでした。
 なぜなら、エレベーターのなかで、青山千春博士と偶然、一緒になったからです。
 そのホテルは、独研(独立総合研究所)にとって定宿です。ぼくはその時間、たかじんさんたちと打ち上げに行き、青山千春博士は仕事をするためにホテルに戻りました。もちろん、経済人は青山千春博士を知りません。
 経済人は「あー、今日のテレビは疲れた」と独り言をおっしゃったそうです。
 たいへんでしたね。
 ご苦労をかけて、こころから申し訳なく思います。
 変な奴に絡まれた、と思われてもいいですが、できれば、それで終わらせないで、日本国の経済人の生き方について、すこし考えてみていただけないでしょうか。


▼この番組のテーマ、日韓を扱う番組へのオファーがもうひとつ、ありました。
 オファー自体は、かなり前に来ていました。
 それはフジテレビの若手ディレクターで、アンカーなどのぼくの発言を見て、聴いて「どうしても出て欲しいと思いました」ということでした。
 番組名は「日中韓テレビ」。
 日本、中国、韓国から数人づつが出て、言いたいことを言い合う番組ということで、パイロット版を放送したとき視聴者の反響が大きかったので、深夜枠でレギュラーにしたいから、ぼくにも参加して欲しいということでした。

 ぼくは、芸能プロダクションのようなところとは関係を持たないので、以上のような話が、そのディレクターから独研(独立総合研究所)の総務部に直接、来ました。
 総務部から「どうしますか」と聞かれましたが、ぼくは、そのまま放っておきました。前述したように、「言い合う」というのが、ほんとうは好きじゃないから。
 たまに(正確には、ごく、たまに)顔を出す「TVタックル」は、まさしく言い合う番組だし、もう、それだけで充分でしょうというのが本音。

 しかし、そのディレクターから独研・総務部への申し入れは続き、総務部から「ディレクターが独研に来社して説明したいそうです」という話がありました。
「なぜ熱心なのかな」と総務部に聞くと、「ずっと(ぼくの)発言をウォッチしてきて、ネットやチャンネル桜での発言もすべて視てきて、こういう発言が日本には必要だと思った…そうですよ」と独研のY秘書(秘書室第1課/日程調整担当)は言います。


▼そこでディレクターに会いました。
 若手のひとです。
 ぼくはまず、「フジテレビにはデモが何度も起きていますね。韓国のドラマがそんなに多いのですか。韓国のタレントも、そんなに出ているのですか」と聞きました。
 前述したように、ぼくは地上波のテレビをあまり視ないので、こう聞きました。

 若手ディレクターは「確かに、かなりやっていると思います。フジテレビだけではないと思いますが」と答えました。
「関西テレビのひとたちに聞いたら、韓国のドラマやタレントは値段・出演料が安くて、それでいて視聴率は一定以上は稼げるから、やっているだけじゃないか…ということでしたが、そうなんですか?」と聞くと、「私は韓流ドラマなどを手がけたことはないですが、そんなところでしょうね」という趣旨の答えでした。

 そして若手ディレクターはこう言いました。
「デモが起きていることは正直、驚きましたが、私なりに、しっかり受け止めています。だからこそ日中韓テレビをレギュラーにして、日中韓で言いたいことを言い合って、公平に視聴者に判断してもらいたいと考えています。青山さんに、どうしても出てもらいたいのは、どんな場合にも、声の大きい中国や韓国に対して、言うべきを言い、フェアな意見を言ってもらえる唯一のひとだと信じるからです」
 ぼくは黙って聴いていました。

 このフジテレビの若手ディレクターは続けて、「日中韓テレビは、レギュラー化するに当たって、なかよしテレビという番組名にします」
 ぼくは驚いて、「それじゃ、やはり、出られませんね」と応えました。「最初から、なかよしになれと決めてあるのでは、言うべきことを言う番組にはならないでしょう」
 ディレクターは「いえ、言うべきことを言ってこそ、なかよしになれるという趣旨ですから」と譲らない。

 ぼくは、こう述べました。
「それでは、デモに参加しているひとびとの声を受け止めていることにならないでしょう。しかも、あなたはフジテレビの中で孤立しませんか。日中韓はとにかく何が何でも、ただ仲よくしろ、という趣旨の番組だと解釈されて批判が集中しても、フジテレビの誰もあなたを擁護しないで、あなたこそ悪者だとされてしまいますよ。ぼくが参加するしないとは別に、番組名を変えるべきです」

 ディレクターは局で検討するということで、帰られ、ぼくは同席していた青山千春博士の意見を聴きました。
 青山千春博士の意見はいつもシンプルです。
「出てみて、嫌なら、やめればいいでしょう。私は出るべきだと思います。社長(青山繁晴)の意見を、世の中にもっと発信すべきですから、ベストではない機会であっても、相手が社長に出て欲しいというその理由が、まともなら、出るべきです」

 やがて、ディレクターから連絡がありました。局内で激論もあったようです。
「どうにか妥協策として、なかよし?とクエスチョンマークを付けました。番組内で日中韓が徹底的に議論してみて、初めて、仲良くなれるかどうか分かるという趣旨です」
 クエスチョンマークだけで、果たして、その趣旨になるかどうか。
 しかし、この若手ディレクターなりに、努力していることは認めねばならないと考えました。
 そのうえで、具体的にどんなテーマになるかを問い合わせました。

 レギュラー化して第1回と第2回の放送は、田原総一朗さんらが出演して、もう収録が終わっているそうでした。
 ぼくが参加を要請されているのは、それ以降の放送で、第3回のテーマが「働くのなら日中韓のうち、どこか」、第4回が「嫁ぐなら」、そして第5回ががらりと変わって「豆腐料理を食べるのなら、どこか」。
 このテーマ一覧をEメールで見て、青山千春博士は「それぞれ、豆腐料理の回だって、文化的背景とかあるし、社長にしか言えないことがあると思うから、出るべきです。それに、もう一度言いますが、まずはいったん出て、嫌ならやめればいいと思います」と意見を述べました。

 ぼく自身は「いったん出て、嫌なら、やめればいい」という姿勢はとらない。
 いったん出たなら、できるだけ続けるべきです。やめるときは、よほどの理由があるときです。
 その姿勢でなければ、アンカーもTVタックルも、もうすでに、生涯二度と出ていないでしょう。
 ぼくは、若手ディレクターの努力を、もはや無視できなくて、参加(出演)することを決めました。


▼そして収録は、10月23日の日曜に、これも「たかじんNOマネー」と同じように、一気に3本撮り。
 テレビ局というのは、人使いが荒いなぁ。
 日曜の午後3時半から、実に夜9時半まで、6時間をスタジオの中。
「報道番組ではないので、交通費は出ません」という連絡が、独研の総務部にあったそうで、自分で車を運転してスタジオ入り。
 報道番組でないなら交通費が出ないというのは、どういう理屈か分からないけど、別に問い合わせる気もない。

 それはいいけど、スタジオに入って分かったのは、1本あたり1時間半近くも撮って、放送は20分だけ。
 あぁ、悪い予感がする。
 TVタックルと同じく、収録は長いけど放送は短いという番組は、ぼくの発言はほとんど使われません。
 それは視聴者には分からないから、TVタックルは参加(出演)するたび、「何で、あまり発言しないのか」、「何で、あの人のあの発言に反論しなかったのか」というEメールや書き込みが、どっと来て、本音では嫌になります。
 そんなことを言われても、ほとんどのケースは、編集でカットされているのだから、どうしようもない。
 一参加(出演)者が、編集に介入など実際問題、一切できないし、そもそも、とにもかくにも参加した以上は、テレビ局の編集権に介入すべきでない。


▼この「なかよし?日中韓テレビ」収録1本目の「働くのなら…」の回では、たとえば、野田総理が日韓首脳会談で通貨スワップを急拡大したことについて「ウォン安を人為的に作ってきた韓国がまず、自助努力をすべきであり、間違っている」と話しました。
 すると当然、韓国側の女性教授キム・キョンジュさんが「そんなことない」と全否定。
 それはいいけど、ぼくの横に座っている、というか、日本側のいちばん真ん中にいる参院議員にして元厚労相の舛添要一さんが、キム教授に「この人(青山繁晴)は、政治家じゃないから」とおっしゃった。
 政治家じゃないから無責任な評論を言う、とでも言いたかったのでしょうね。
 ぼくは、すこしも驚かなかった。桝添さんの言いぶりは予想通り。
 政治家なら責任あることを言う、とでも日本国民が考えているとお思いなのかなぁ。

 収録の2本目からは、日本側に女性作家のかたが加わった。
 このかたは、かつて女性週刊誌で「アンカーから外された」という話題で勝谷誠彦さんと対談し、ぼくの名前は出さないものの「アンカーで居残った男は、政府から不公正なカネをもらっている」という趣旨を発言された。(正確な言葉ではありません。あくまで趣旨)
 明らかな名誉毀損であり、独研の総務部からは「刑事告発しましょう」という声があがりました。
 ちょうどその頃、伊丹空港のエレベーターで偶然、勝谷さんに会ったから、この女性誌の内容に抗議すると、勝谷さんは「私はそんなことは全く考えていないし、発言もしていない。青山さんは、いちばん、そのようなことはしない人だから」とおっしゃったので、「しかし女性作家の発言に同意されていましたね。記事ではそうなっていました」と問うと、「お詫びします」と謝罪された。
 そして、独研の総務部長代理(実質的な総務トップ)でもある青山千春博士は「こんなものは放っておけばいいと思います」と、いつものように簡明な意見です。

 女性作家は、アンカーを外されたのではなく、関西テレビの当時の急激な経営難で、参加(出演)者が絞られただけのことだったけど、この女性作家のかたとしては不満だったのでしょう。
 ぼくが硫黄島の英霊の遺骨を取り戻そうという話をコーナーですると、CMのあいだに「そんなことより幼稚園を建てたりすることにお金を使うべきよ」とおっしゃってもいましたから。

 そうした不満から出た、思い込み発言であって、刑事告発や民事訴訟までするほどのこととは、ぼくも考えなかった。
 ぼくの読者や視聴者のなかには、ずいぶんと悔しく、不当だと思われたかたも沢山いらしたようだし、捜査当局の幹部は「刑事告発してください。すべきです。名誉毀損に充分に該当します」と明言された。
 しかし、ぼくは告発も告訴も見送りました。
 ぼくと独研に対する違法な誹謗中傷、名誉毀損については、もっと悪質な事例が少なからず、あります。そのような事例についてはすでに捜査が始まっているものもあります。
 女性作家のかたのケースは、番組を外されたという思い込みから来る不満で暴走して発言したと考えられ、悪質というより、いわば素朴な八つ当たりに近いですね。
 だから、ぼくの名誉は明らかに毀損されているけれども、告発も告訴も見送りました。

 いったん見送った以上は、水に流したと同じです。
 この女性作家のかたと、何年かぶりでフジテレビの控え室で顔を合わせて、ぼくは礼をもって挨拶しました。収録中も同じことです。
 どのひとであれ、発言をフェアに受け止めて、話すべきを話すだけです。

 この収録2本目からは、中国側に元北京放送アナウンサーも登場しました。
 このかたは、常に中国共産党の公式見解と、実質的に同じことを話されると理解しているけれども、上記の通り、どのひとであれ、ぼくの姿勢は変わりません。


▼さて、10月29日の土曜は、富士スピードウェイで開かれた「JAPAN LOTUS DAY」(イギリスのレーシングカー・メーカー、ロータスによるお祭り)でレースに参加する日でした。
 このごろは極めて体調も悪く、日程も信じがたいほど詰まっているし、マシーンも新しい、まったく乗り慣れていない、んじゃなくて、まるで乗っていないマシーンだったから、ふつうなら青山千春博士あたりから「不参加にしましょう」という声が出るのが世間の常識だと思うけど、青山千春博士はまったく逆。
「(ネットテレビの)青山繁晴どっとテレビの撮影も入っていますから、社長、頑張って予定通りにレースに出てください」。
 ぼく自身も万事、ドタキャンはしない、いったん交わした約束は守るということが原則だから、そのままレース参加の予定でいました。

 ところが、こういう時に限って「TVタックル」から、スタジオ収録のオファーが来る。
 講演と重なったときは、講演を絶対にキャンセルしない、できないから、直ちに断るけど、レースなら一考せねばならないかなと思いつつ、とりあえず独研から「検討します」と回答しました。
 すると、TVタックルの信頼する女性ディレクターから「TPPをやるんです。反対の論を張る青山さんが来てくれないのなら、企画自体をやめます」という連絡が来ました。
 そんなわきゃないよナァ、京都大学にも東京大学にも立派な反対派の学者がいらっしゃるし、これって単なるオドシだよなぁと思いつつ、なにせ話が来たのが、わずか数日前。
 そんなショート・ノーティスで言ってくるのも、ちとひどい、というか、いかにもテレビ的だけれど、時間がないだけに、断ったらホントに困るのかなぁとも考えてしまう。

 しかしロータスはロータスで、ぼくが東京ロータスセンターの信頼するスタッフに「TVタックルの収録でレースに参加できないかも」とひとこと言っただけで、「えぇーっ」と叫んで、珍しく顔が凍りつきました。

 困ったあげく、予定していた2本のレースのうち、午後のレースを諦め、早朝の1本目のレースだけ参加することにしました。
 ふつうは、レーシングカーをサーキットまでトレーラーに乗せていくのだけれど、ぼくはとにかくお金がないので、レーシングカーをそのまま富士スピードウェイまで転がしていく。(ナンバーは、もちろん付いています。)
 時間がないから、そのレーシングカーでテレビ朝日に乗り込むことになってしまいました。

 さぁ、それを当日の10月29日土曜に実行してみると、朝5時に自宅を出発して富士スピードウェイに着き、朝8時50分からのレースに参加し、11時に富士スピードウェイを出発して、スタジオ入りの午後1時までにテレビ朝日に着くよう、レースで力を絞りきったレーシングカーを公道でも運転して、スタジオに入ると、さすがに集中力がもう残っていないことに気づきました。

 ぼくらのレベルでも、富士スピードウェイのストレートでは、時速245キロぐらいに達する。
 わずかなミスで死が待っている。
 したがって消費する集中力は、はんぱじゃない。

 収録が始まって、それでも10分ぐらい経つと、ぐーんと集中力が回復してきました。なにせ国の運命を変えかねないTPPの話題です。
 収録時間が、以前の2時間から1時間半に縮まっているのも、助かった。
 しかし、放送は実質40数分。
 発言が大幅カットされることには変わりありません。

 その結果、放送のあと今回も来ました、「なんでもっと発言しないのか」、「なんで反論してくれなかったのか」というEメールや書き込みが。
 ぼくは、TVタックルが放送された10月31日月曜の夜は、独研が会員制で配信している東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)の「懇話会」で会員の質問を受けていたので、放送を視ていません。
 録画もしていません。

 だから、どのように放送されたか、どうカットされたかは、知りません。
 カットはテレビ局の編集権でおこなわれます。ぼくは関知しません。今後も、しません。

 あぁ、疲れる。
 フジテレビの番組も、きっと同じ結果になるでしょう。
 ナマ放送のアンカーも、今日のような悲しい事件が起きて、ぼくが台湾を中国領だと思っているのかなどという無残な言葉を目にしなければならない。

 これでもテレビという奴に、顔を出さねばいけませんか、みなさん。


(※冒頭の写真は、10月29日土曜、富士スピードウェイで走るぼくです。下の写真は、レース前のドライバーズミーティングで)