Our World Time

無念

2010年11月30日 | Weblog
ひとのご商売を邪魔するつもりはゆめ、ないけれど、アマゾンに補充がないために、定価よりもかなり大幅に値段をあげた中古品を、やむをえず買っているひとが、何人も何人も、このところ連日いらっしゃるのは、無念の上にも無念です。

ほんとうにおカネがなくて食費にも困っているのに志をもって勉強をしようと、この「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」を買おうと決めたひとが、泣く泣く、その値段の高い中古品を買われたことも、メールで知り、これだけは口惜しい。

物書きのこころに、傷を負ってしまった。
このブログって、このごろ個人的な感情を書きにくかったりするけど、ほんとうは単なる個人ブログです。
きょう、生まれてこの方、いちばん体調が悪いということもあって、この傷は消えない気がする。

定価より高く中古出品なさるのは、問題じゃない。
「定価より高くても買いたい人がいますか」、と問いかけているだけだから。ビジネスとして見れば、あくまで正常です。

感じるのは、ぼくの非力。
だから口惜しい。

ひとこと、お答えせねばなりません

2010年11月30日 | Weblog
▼拙著の「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」がアマゾンで売り切れになったまま経過していることについて、「買いたいのに買えない」というメールを、かなり沢山、継続して、いただいています。

 出版社にメールをいただいていることを二度、伝えました。ただ、そこまでです。
 増刷して、補充するかどうかは出版社の専決事項であり、ぼくが過干渉してはいけないと考えます。


▼最終責任は、ぼくに帰するとも考えています。
 ぼくが、オファーのあった中から出版社を選び、みずから書いたのですから。
 出版社が増刷してよいかどうか、なかなか決められないとしたら(…ただし今回がそうなのかどうかは全く分かりません。それは、しっかり付け加えておきます)、仮にそうだとしても、そのようなものしか書けなかったぼくの責任です。


▼買いたいひとがいる、読みたいひとが増える、それは、物書きの端くれとして、ほんとうに嬉しいことです。
 いまは、本を出してもあっという間に過去の本になり、まるで売れなくなるのがふつうの世の中です。特に、「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」のようなノンフィクション分野では、そうです。
 そのなかで、もう1年4か月も前に出した本が、ずっと読まれ続けるのは、奇跡のように嬉しいです。

 メールをくださった読者のかたがた、そしてメールは出さずとも買おうかな、読もうかなと思ってくださったかたがた、こころから感謝を申します。
 お買い求めになれなかったのは、著者として断腸の思いですが、ほんとうに、ありがとうございました。




訂正

2010年11月08日 | Weblog
こういう書き込みをいただきました。

~引用~
青山様、いつも楽しく読ませていただいてます。本文中に「福知山(兵庫県)駐在のカメラマン」とありますが、福知山は京都府ではないでしょうか?京都府福知山市と同名の地名が兵庫県にもあるのかと思い少し調べましたが発見できませんでした。兵庫県出身の青山さんが間違うとは思えないのですが、気になったのでご報告いたします。
~引用ここまで~

その通り!
間違えました。あちゃー。
そして「兵庫県の出身者が間違えるはずない」、ほんらいはその通りですね。お恥ずかしい。
ちいさい頃から耳に馴染んだ地名なので、おもわず、兵庫県にしてしまいました。
間違いは油断から生まれることを、あらためて知りました。

京都府民、福知山のみなさん、ごめんなさい。
ひとつ下の書き込みをのなかの福知山(兵庫県)という記述を、福知山(京都府)と訂正します。

苦渋   その1 (字数制限があるので、2つに分けています)

2010年11月08日 | Weblog
※きょう11月8日月曜、午前9時55分から放送されるフジテレビ「知りたがり」生放送に参加(出演)します。
 テレビ番組への参加をお知らせするのは、正直、あまり好きではありませぬ。
 ぼくも独研(独立総合研究所)も宣伝はしないことが原則です。
 すくなくとも、収録したコメントだけの放送は、お知らせしていません。2時間収録して、放送は30秒とか1分ということが日常茶飯事でもありますから。
 けれども今回は、まったく初めての番組ですし、生放送への参加です。
 意外なところでぼくがひょいと出てきて、「事前に知りたかった」と思われるかたも中にはいらっしゃるだろうと考えますから、お知らせしておきます。

 以上は、お知らせ。
 以下は、ひとりごとです。


▼11月3日祝日の水曜、大阪で関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー」の生放送に参加して、夜、帰京。
 ほんのわずかな間、自宅で片付けものをすると、もう翌朝、4日の木曜だ。そのまま京都へ向かう。

 新幹線の車中で、心身に鞭打って懸命に集中心を保ち、東京コンフィデンシャル・レポート(TCR/独立総合研究所から配信している完全会員制レポート)を書く。
 通路を挟んだ隣席の男性客は、ゆったりリラックスしていて、正直ちょっと羨ましい。
 ぼくはもともとは、移動の車中は頭をゆっくり遊ばせて、たくさんの新しい発想が浮かぶようにしていた。
 その時間もまったく取れなくなって、すでに9年ほどにもなる。むしろ、ほとんど車中しか原稿を書く時間がない。

 昼の午後0時28分に京都駅に着く寸前に、どうにか脱稿し、京都駅の構内を歩きながら片手でパソコンを操作して、0時29分、独研(独立総合研究所)の総務部へ送稿する。総務部から午後0時47分に、全会員へ配信されたことを、京都駅から乗ったタクシーの中で確認して、ホッとする。
 10月は配信回数が少なかったから、11月は早めにどうしても配信を再開したかった。
 このレポートは2000年3月30日に第1号を配信し、この日は第491号。
 10年と7か月、苦しみつつも、たゆまず配信し続けて、もうすぐ記念すべき500号だ。
 このレポートの会員は、まさしくぼくを支えてくれている。ぼくの発信としては、いちばん機密性の高い情報を提供している。

 京都駅から右京区に入り、志ある市民のかたがたに、ぼくなりに力を尽くして講演をいたした。記者時代に6年を住んだ京都は、ぼくにとって青春の地のひとつだ。
 講演のあと京都駅へ戻り、そのまま福井へ。
 本業の核セキュリティ(原子力防護)に関連する仕事に取り組むために出張する。
 福井県は、やはりすこし寒かった。宿泊先のちいさなホテルで、その仕事の準備をしていた。
 同時進行で、警視庁公安部外事3課の機密ファイルなどが漏洩した空前の大事件について、関係する政府当局者のうち、もっとも信頼できるひとびとの携帯電話に電話していった。
 すると夜半、「青山さんに見てほしい動画がネットにアップされています」という知らせがあった。

 いつかは出るだろうと考えていたし、先に放送されたTVタックルでも、そう発言したが、正直、今夜だとは思っていなかった。ただ、思わず『来るべきものが来た』と呟いていた。驚く気持ちは、ほとんどなかった。
 本来の仕事を中断して、44分の動画を4回、見た。
 内容からして『間違いなく尖閣諸島の9月7日の現実を撮った映像だ』と確信しつつ、あっという間に5日金曜の朝を迎えた。


▼早朝、まず、海上保安庁の信頼する幹部と電話で話した。
 そして、独研のY秘書と朝食をとり、タクシーで、今回の出張任務の現場へ入った。
 午前、独研(独立総合研究所)の社員たち、それに外部の最良の人材とも力を合わせて、その仕事を遂行し、昼、ふたたび海上保安庁の高級幹部と電話で話した。
 この時点で、ビデオについて報道ぶりは新聞もテレビも事実とは違っている部分があることを確認した。

 テレビ朝日の夕方の報道番組「スーパーJチャンネル」から、生放送への参加(出演)依頼が来たが、福井で実務遂行中だから、もちろん不可能。
 独研の秘書室がいったん、お断わりした。
 すると、電話でのコメント収録ではどうか、という打診になった。国民は真相に近づくべきだと考え、その時点で確認できた範囲だけを電話でお話しした。
 その後、関西テレビの福知山(京都府)駐在のカメラマンが片道1時間半をかけて、福井に来られた。カメラのまえで、先ほどと同じように、確信できることだけを話した。
 これで昼は終わり。昼休みは全部なくなった。

 すぐ午後の実務に戻り、再びみんなと力を合わせて、完遂。
 夜、ぼくはひとり特急列車で福井県から石川県に入り、小松空港から空路で帰京。
 列車の車中と機内、それに空港の超満員の待合室で、東京コンフィデンシャル・レポートの次号を書き続ける。
 正直、眠りたい。書きながら、2分か3分の仮眠を数回とる。これだけでも、ずいぶんと違う。力が回復する。ただし1時間ほどしか持たないから、また2分ほど仮眠する。この繰り返し。
 おれは猫か。
 猫はキャットスリープを上手に使って、しなやかに生きている。おまえ、猫に失礼だよ。ふは。


▼夜10時過ぎ、自宅にたどり着くと、毎日放送の情報番組「知っとこ」から電話取材。同じ姿勢で応じる。

 終わった直後、海上保安庁のきわめて良心的な高級幹部から携帯に電話。11時を超えて話していると、話している携帯に、ほかから電話がかかっているサインが出る。
 警察の機密情報漏洩をめぐって政府当局者から電話がかかってきたのかもしれないと考え、いったん海保幹部との電話を切ると、その電話はTBSの「サンデーモーニング」という番組だった。
 この番組からは、コメント収録の依頼が来ているのだが、電話は、その依頼の範囲内をはるかに超えて、尖閣ビデオの性質(いつ撮られたか、いつ編集されたか、どこの誰に渡っていたか)をめぐって詳細に、聞かれるものだった。この番組からは、同じことをめぐって繰り返し繰り返し、取材された。
 聞かれた以上は、ベストを尽くして、ほんとうのことを答えたい。

 その電話がようやく終わると、今度はフジテレビの「知りたがり」という番組からかかってきた。


▼明けて11月6日土曜になり、なにもかもが多忙を極めていたが、かねて独研の秘書室から予約の入れてあった耳鼻科に向かった。
 ここのドクターは、声帯の専門家としてアメリカでも知られている。
 ぼくの声は、滅多にぼくを褒めない母が「あんたの声は通る。どこでも隅々まで通る」と言っていた。自分ではおのれの声が好きではない。ただ、講演会の最初に、「みなさん、こんにちは」と呼びかけるとき、会場が広くても最後列の隅の人まで反応があるのが好きだった。

 ところが、講演が年に100回を超え、今のように120回ほどにもなると、声が潰れて、かすれたりするようになった。
 特に、講演の後半になると、聴衆のかたがたともっと直接に触れあいたい気持ちが高まって、マイクを離してしまったり、気づいたらスイッチを切っていたりで、肉声を張りあげて会場の隅々にまで届かせようとする無茶をやってしまうことがあるので、声帯に負担がかかる。

 そこで、この声帯専門ドクターに何度も予約を入れてきたのだけど、すべて、忙しくて直前にキャンセルしてきた。
 だから今日ばかりは行きたかった。第一、病院に申し訳ない。

 診察を受けて、自分の声帯を初めて見た。
 ドクターがマイクロカメラを喉の奥に入れるのは苦しかった。そもそも子供の頃から、鼻や喉に医師がなにかを入れるのが苦手で、むせてしまう。
 しかし声帯を見たのは、なかなか貴重な体験だった。
 一対のダークグレーの襞(ひだ)が、凄いスピードで細かく振動している。ドクターによると、「1秒に120回以上、振動しています」ということで、すこし驚く。

 ドクターは「声帯はきれいです。ポリープもありません。すこし、むくみはあるけど、心配ない。どしどし声を使ってください」とおっしゃった。
 ぼくが「はぁ、そうですか。何もしなくて、いいんですね」と答えると、「治療は要らないけど、講演の前と後には水をとっているでしょうね」
「いや、講演の時は集中しているので、何も飲まないことが多いです」と答えると、「それは駄目です。水をしっかり飲んでください」ということだった。

 そしてドクターは「青山さん、風邪を引いていますよ。だから検査もかなりやりにくかった」とおっしゃる。
「え? ほんとですか。何も気がつかないですけど」
 ドクターは笑って「いや、しっかり引いています。ふつうなら休むでしょう、こんなに風邪を引いていたら」
 ははぁ、そうですか。実際、なにも気づかなかった。


▼病院を出て、街角から、TBS「サンデーモーニング」のディレクターに電話。
 番組に出るわけではないのだけど、電話取材を受けたときに聞かれて、ぼくが答えたことには責任がある。
 ぼくがゆうべ答えた中身は、今朝(土曜の朝)の各紙朝刊と食い違っている。
 そこで確認取材を海保、検察、そして他の政府当局者に試みると、やはり、ゆうべの答えで正しいと考えるほかない。
 それを、このTBSの社会部出身の、優秀で熱心な感じの若手ディレクターに伝えた。

 この土曜日に、TBSの「朝ズバッ」という番組からも出演依頼が、独研の総務部に来た。
 これまで、ご縁のなかった番組から次から次へと連絡があるのは、すべて、福井から電話でコメント収録をしたテレビ朝日「スーパーJチャンネル」の放送を見てのことだという。
 しかし、ぼくはこの放送のとき福井県にいたから、この放送を見ていないし、そもそもふだんから、自分の喋っている場面など見る趣味はないので、ほとんど見ない。
 だから詳しいことは分からないが、どうやら、ぼくの話が新聞、テレビの一般的な報道ぶりと違っているから、らしいと分かる。

 土曜日はこのあと、海保、検察、そのほかの政府当局者に断続的に電話して、あるいは電話を受けて、事実を確認し、議論をし、提案をすることを続ける。
 扶桑社から出版予定の「ぼくらの祖国」の原稿の仕上げに、この週末は集中するはずが、またしても執筆時間がまったく取れない。
 一方で、危機のさなかにあっても真実をしっかり伝えてくれる良心的な海保幹部らに、深く感謝した。

 夜8時20分ごろ、TBSに入る。
 警備員のひとに、「こんな夜に見学にやってきた、おかしな人物」と誤認される。ふひ。
 収録が終わったのは、10時に近かった。正確には、9時50分だった。
 ぼくは、ディレクターの質問にすべて答えつつ、事件の背景をしっかり話そうと努めた。
 あの映像は、ほんらいは公開が前提だった。それが機密情報になってしまったのは、中国の容疑船長を放免してしまったからであり、映像を国民と世界が見れば「放免が間違いだ」と誰でも、保守もリベラルもなにも関係なく、分かる、分かってしまうからこそ機密にして封じ込めようとした。その本質こそ、報道されねばならない。

 しかし、どこが使われるかはまったく分からない。収録に応じる以上は、編集権はテレビ局にある。いつも言っている通りだ。
 この収録のあと、同じTBSの「朝ズバッ」のディレクターに会う。


▼疲れて帰宅、仕事と仮眠を繰り返すうち、11月7日日曜の夜明け前になる。
 まだ真っ暗だけど、青山繁子(ポメラニアン)が、散歩に連れて行ってほしいモード全開なので、散歩に出る。
 繁子、たいへんに喜ぶ。はしゃぐ。
 ぼくは、どうしてこんなにこいつを愛しているか。それは小さいからだ。無力だからだ。
 父性愛が強いよなぁと、おのれに感じることがある。ぼくに護られなければ生きていけないちいさき繁子に、ずいぶんと疲れを薄めてもらった。ありがと、シゲコ。もっと一緒にいたいよね。


苦渋   その2 (字数制限があり、2つに分けています。その1からどうぞ)

2010年11月08日 | Weblog
▼繁子を膝に載せたまま、仕事をしていると、「サンデーモーニング」の放送がある。
 収録2時間半、放送は30秒ほどだったかな?
 しかし収録に応じた以上は、これも予想の範囲内だ。

 この日曜、今度はテレビ朝日「ワイド・スクランブル」から連絡。月曜の朝に、電話でコメント収録に応じることになった。
 午後3時すぎ、フジテレビ「知りたがり」のディレクターら3人が仕事部屋のあるマンションにお見えになり、午後4時半までたっぷり1時間半、議論する。
「朝ズバッ」からは、スタジオ参加(出演)は今回は見送るとの連絡。場合によっては、同じTBSの「サンデーモーニング」で収録したコメントを使うとのこと。どーぞ。覚悟を決めて収録に応じたのだから、どのようにでも、どーぞ。

 夜、フジテレビ「知りたがり」のスタッフから、電話で確認取材。
 いやはや、いささか疲れました。ぼくはタレントじゃなく、評論家でもなく、テレビコメンテーターで食っているのでも、ありませぬ。
 安全保障の実務家であり、ひとりの物書きでもある。
 前者の仕事はかろうじて遂行しているけど、後者がこれでは遂行できない。

 ちなみに独研にとっても、この現状は問題がある。
 つい最近、ベテランで良心派の、人柄もよい新聞記者に「青山さんは、テレビに出てるし、お金がいっぱい入るでしょう」と言われて、ははぁ、世間はやっぱりそう見るのかな、と思った。
 テレビであれ講演であれ、その収入はぼくの懐には1円も入らず、すべて独研の収入になる。独研は、志を込めて遂行している調査・研究プロジェクトの総収支が創立以来ずっと赤字だから、その赤字をこれで補う。
 そのうえ、テレビはいわゆる「文化人枠」であって、スタジオ生出演でも地方なら例外なく赤字、東京でもいわゆる「些少」、ただし謙遜語の「些少」ではなく、ホントに些少、ましてやコメント収録なら、テレビ界以外のひとが聞いたら誰しも絶句するぐらいの額だ。
 これは海外の常識とも違うらしく、一度、アメリカ国務省の幹部に聞かれるまま、金額をありのままに言ったら、何度も聞き返された上に、最後は大笑いされてしまった。
 だから独研としては実は、ぼくにほかの仕事をしてもらった方が、はるかに独研の収支に貢献する。
 ぼくも1日は24時間しかなく、1年は365日しかないから、誰にも媚びず独立不羈(ふき)でいられるよう自分で食い扶持を稼ぐために会社組織である独研は、ぼくを本来は有効に使いたい。

 ただ、苦渋としては、それよりも、とにかく時間、命ある時間、二度と返ってくることはない時間という一番かけがえのないものを、周りからほとんど好き勝手に奪われることにある。
 それはやむを得ない。周りは周りでご自分の責務を果たすのに必死であり、その結果、ぼくの時間を奪うことにまで気を遣っている場合ではないだろう。


▼たった今の苦渋は、それだけではない。
 ほんとうの苦渋は、不公正な手段で真実を世に問うほかないと信じた海の保安官の苦悩が、不肖ながらこのぼくと共にあることだ。
 尖閣諸島のビデオをネットにアップした者は誰か、それがまだ特定されない以上は、その真意はまだ分からない。
 しかしアップした者であってもなくても、誠実な保安官ほど苦しんでいる。
 尖閣の海だけじゃない。竹島の海、北方領土の海、いずれの現場でも、同じ現場に入ると、保安官たちの引き裂かれた苦しみを、非力なぼくも共にする。
 現場にいない時も、東京にいても、その苦渋の共感は胸の奥にある。

 一般的なテレビ番組では、なかなかそれを伝えられない。
 しかし、ほんの欠片(かけら)でも、ふつうの生活者に伝えられるかもしれないのなら、自分が疲れるからといって、膨大な時間を取られるからといって、避けるべきじゃない。嫌がるべきじゃない。

 だけども、失われた時間を取り戻すには、睡眠を削るというか、なくす、それしかない。
 それでは、せっかく人間ドックに入って、躯づくりをすると決心した意味が失われる。
 この土曜にようやく診察が実現した声帯ドクターも、「食べてすぐ寝るのも、声帯にたいへん良くありません」とおっしゃっていた。
 しかし食べて眠くなった勢いで、ぐっと深く、短く仮眠する、それ以外にない生活をしている。
 テレビ局だけではなく、いわば「仕事の側」が、ぼくの躯をほんとうの意味で考えてくれることは、まったくない。
 独研の秘書室すら、ぼくを案じながらも、無茶な日程だってどんどん入れるほかない。

 そして睡眠を削りに削ってなお、特に執筆時間が失われるのは、回復できない。
 ぼくは最後には、ひとりの物書きであることが原点だし、それが根幹だ。ものを愉しんで書く時間がなくなれば、青山繁晴ではなくなる。



 まぁ、たとえば風邪を引いていても気づかないということが、どうにかぼくを支えているのでしょう。
 ひとの危機管理にささやかに寄与するのが仕事で、おのれの危機管理はしない。
 それで実は、どうにか持っているらしい。
 ふひ、五連発。
 よければ、みなさんも、どうぞ。誰しも生きるのはたいへんだから。ちいさく一緒に、ふひぃ。



にんげんドック2日目、そして大阪入り

2010年11月03日 | Weblog

▼生まれて初めての人間ドック、そしてざっと9年ぶりの健康診断の1日目は、目が回るほど沢山の検査が切れ目なく続き、やがて締めくくりに、心電図を長時間記録する「ホルター」を電極とともに胸に貼り付ける。
 11月1日月曜の16時すぎ、病院内のホルター検査室へ。

 室内は、壁にミッキーマウスの絵がたくさん貼られ、ベッドに仰向けになると、天井にも貼られている。
 そこへ検査技師さんが「確認のために聞きます。お名前は?」
 ぼくは思わず「ミッキーです」と答えそうになった。

 その声を、喉の先で止めて、内心で笑いをこらえた。
 技師さんは、ぼくの答えがないので、ちょっと慌てた感じで「お名前は?」
「青山繁晴です」と答えると、技師さんはホッとした感じになった。
 ぼくは「いや、思わずミッキーって答えそうになって」
 技師さんは「ああ、そうでしたか」と笑い、「これ、おこちゃま対策なんですよ。結構、たいへんなんで。子供の患者さんに静かにしてもらうのは」

 ぼくは、検査スタッフにミッキー・ファンが居るのかと思っていたから、自分の勘違いに呆れながら、ふと、そんな小さな頃から心臓の検査を受ける子供と、その親を思った。
 ぼくのごく近い親族にも、小児心臓病を患ったひとがいる。
 入院するとき、車のなかでは、幼かったぼくと一緒に賑(にぎ)やかだったのに、病院に着いた瞬間、なんとも言えない不安な表情になった。それが今も忘れられない。
 そして、ぼくは慶應義塾大学の学生時代、世田谷に住んでいて、国立小児病院の前の道を車で走るたび、ふだんぼくらの目に触れずとも、病気と闘う小さな子供がどれほど多いかをなぜか身近に感じていた。

 ぼくは今、ありのままに申して、自分を守らない生き方を選択している。
 しかし、それもほんとうは、丈夫な体に母が生んでくれたからこそ、できる。
 そして母乳で、生涯にわたる免疫力の基(もと)を与えてくれて、父もぼくら子供たちを護ってくれて、ぼくは今、烈しい職務に耐えられる心身でいる。
 その躯を、その命を、最後の一滴(ひとしずく)まで生かしきって、世にささやかに尽くしますと、硫黄島の英霊や白梅学徒看護隊の少女たち、亡き父、ご先祖さま、そして敬愛する、あるかたに、清い水を捧げるとき誓っている。

 そうであるのなら、これを機に新しい躯づくりもやろうと、ミッキーのいる天井を眺めていた。
 同じ絵を熱心に眺めた小さな子供の視線のなごりを、ありありとそこに感じた。


▼16時45分。宿泊先の病院個室に入る。
 16時50分。モバイル・パソコンで仕事を再開。
 きょうは早朝から、病院の廊下や、待合室や、検査室のドアの前で、細切れの細切れで仕事をして、看護師さんに同情?されていたから、とりあえず小さな机で落ち着いて仕事ができてホッとする。
 窓の外では、病院付属の看護大学の学生たちが、テニスをしている。がんばれ、命を預かる学生さんたち。


▼18時10分。病院内のレストランで、あらかじめ決められたメニューの夕食。
 おいしく、いただきました。
 巨大なエビフライを、大きな黒い目の頭ごと、ばりばり食べる。デザートに、でっかいケーキとグレープフルーツが出て、びっくり。へぇ、こんなに食べていいんだ。
 いつもこんなふうに規則正しく食事できたらなぁ。

 18時45分。個室に戻り、仕事再開。しかし膨大なEメールを、とりあえず分類するだけでどんどん時間が過ぎる。

 21時から、テレビで「TVタックル」を、ちらちら見つつ仕事を続ける。今夜はそういうわけで、最近では珍しく自分の発言するところを視た。自分の顔などテレビで見たくもない。
 タックルは、その時の担当ディレクターによって編集ぶりが変わる。ディレクターの個性を尊重しているのかもしれない。番組が終わったあと、「青山さんの発言もかなり放送されて嬉しかった」というEメールと書き込みを少なからずいただく。
 いつも言うとおり、編集ぶりはあくまでテレビ局の専権事項だけど、熱心に視てくださった視聴者に深謝。


▼21時20分。明日の胃カメラ、腸カメラに備えて、最初の下剤200ミリリットルを飲む。
 看護師さんは「22時にぐらいには就寝してほしいですね」とおっしゃっていたけど、とても無理じゃわい。
 25時30分。仕事はまだほとんど実(じつ)が上がっていないけど、さすがにこれ以上、起きていては検診にならないだろうと、就寝。


▼4時48分、起床。人間ドックの2日目、11月2日火曜が始まった。
 4時50分。パソコンで仕事再開。
 睡眠時間は3時間20分。ゆうべの寝入りはあまり良くなかったから、実際には、3時間を切って2時間50分ぐらいの睡眠かな?
 看護師さんには申し訳ないけど、いつもと同じぐらいの睡眠時間になって、かえって心電図などに実生活がありのままに反映されて、いいんじゃないかなぁと勝手に考える。

 5時40分。きのうの初日に、病院の「運動指導士」さんに教わったほやほやの腹筋とストレッチをさっそくベッドの上でやってみる。10分ほど運動して、仕事に戻る。

 6時06分。きょうの分の下剤を飲み始める。このあと指示通り15分おきに、実に9回、大量に飲み続ける。こりゃー、やっぱり仕事はあまり進まない。
 飲むのが下剤じゃなくて朝ビールなら、進んだかも。
 うそ。

 8時40分。看護師さんが、検尿を取りに来てくれる。
「どれぐらい寝ましたか?」
「…3時間前後です」
(苦笑しつつ)「いつもと同じですね?」
「はい、ごめんなさい」
(笑って)「いえ。大丈夫ですか?」
「大丈夫ですが、眠いです」

 10時20分。きのうのホルター検査室に戻り、ホルターを外し、そのあと胃カメラ、腸カメラへ。
 共同通信の記者時代の健康診断から、この胃カメラも腸カメラも大の苦手なんだけど、今回は、軽い麻酔薬のじょうずな使用で、ほぼ苦痛がなかった!
 進歩したのじゃのー、検査も。
 だけどやっぱり、ほんとは検査はキライ。

 13時40分。検査はすべて完了。
 おなかは、検査のために腸に吹き込まれた空気やら下剤やらなんやらでパンパンに膨らんでいる。
 シャワーで麻酔をふり払って、羽田空港へ向かう準備をする。
 看護師さんは「きょうは休みじゃないんですか」と、こころの底からびっくりの顔になる。
 えぇ、検査前の質問票に書いたとおり、休みはないんですよ。
 また検査結果をうかがいに、来ますからね、それまで、さよなら。
 心残りは、待合室にあったTARZAN(雑誌)の特集「自転車Q&A」を読めなかったこと。愉しそうな特集だったのににゃ。


▼独研(独立総合研究所)の本社で同行者と合流してから、空港へ。
 機内では、おなかが、ぎゅーと痛む。しかしまぁ問題なし。
 17時ごろ、大阪市内の関西テレビに到着。
 まず、お待ちだったメディア関係者と会い、日本の自主資源メタン・ハイドレートについてお話しする。
 19時半から、明日の報道番組「スーパーニュース・アンカー水曜日」の「青山のニュースDEズバリ」コーナーのために、いつもの激論開始。
 頭を整理するヒマがなかったのと、検査疲れで、ぼくは絶不調。
 しかしこういう時のほうが、生放送の本番では、集中心が高まったりする。
 正直、簡潔な議論にしたかったが、ぼくの話にまとまりが足りないこともあり、21時近くまで続く。

 このごろの日本外交の難局に、MC(メインキャスター)のヤマヒロさん(山本浩之アナ)と利恵ちゃん(村西利恵アナ)やプロデューサー、ディレクター、そのほかのスタッフ陣は一生懸命に、ぼくに質問し、議論してくれる。
 利恵ちゃんの問いかけの的確なことに、あらためて感嘆する。

 ぐったりとタクシーに乗り、定宿のホテルへ。
 ホテルでも、部屋に入らないまま、独研の関西駐在社員と、軽い食事をとりながら会議。
 終わって、車を運転して帰る社員たちと別れて、バーですこし飲んで、頭を整理しようと努めるけど、ほとんど、だめ。
 23時10分ごろ、部屋に入り、パソコンでの仕事を再開。
 明日のアンカー本番に向けて、今週も、次第次第に心身の集中を高めていく夜になる。





※さてさて、こうして初人間ドックは終わりました。
 写真は、病院個室から携帯電話で撮った、夜明けです。
 窓ガラスに、室内とぼくが映り込んでいます。

 人間ドック入りのことを、この地味ブログに記したら、びっくりするほど沢山の書き込みとEメールで「よかった。安心した」という声をいただきました。

 …検査結果はまだなので、安心はまだ早いのですが、でももちろん、意味されるところは、よおく分かります。
 青山の野郎がとにかく検診に足を運んだ、それだけでも、まずは第一歩、と思われたかたも少なくないようです。
 みなさま、ご心配をかけてごめんなさい。
 ふひ。

 そして、わがことのように心配していただいて、こころから、ありがとう。

 いまは大阪のホテルの窓から、夜明けを見ています。
 本日は、世は祝日ですね。
 テレビ番組も祝日なら休めばいいのに、と思わなくもないけど、番組を待ってくれているかたがたのために、きょうも、非力なりに力を尽くし切ります。


ちょこっと近況  お知らせしたいこともあります

2010年11月01日 | Weblog
▼こんな地味ブログの更新を、待っていてくれるかたがたがいらっしゃるのは、いただく書き込みやEメールで、よく承知しています。
 だから更新したいな、とは、いつもいつも思っています。
 このごろの日々は、いくら何でもここまで重なるか、というほど過密な仕事が重なっていて、どうにも個人ブログにまで、なかなか手が届きません。

 ぼくは一般的には、テレビにたまに顔を出したり、あるいは講演会を致したりというイメージでしょう。
 だけど本業は、ひとりの、しがない物書きであること、それから、核セキュリティをはじめとする国家安全保障や、公共的な企業の危機管理、それにエネルギーの課題やなんやかやの国家戦略をめぐっての、あくまで実務家です。
 評論家ではなく、実際に社会インフラなどを防護するためのシンクタンク、また自主資源をしっかり確保できる国に日本を変えるためのシンクタンク(独立総合研究所/独研)の一員ですから、外には見えないところでも、仕事の日程はどんどん積み上がります。

 このごろは、ジムにも全く行っていませんし、復帰したはずのサーキットも一度も行けません。
 人生には、どんなに忙しくても遊びが肝心だと思うぼくには、かなり辛い日々ですね。

 それでも、きのう10月31日の日曜日は、富士スピードウェイで開催されるレースに参加する予定でした。
 まるで練習ができていないので、きのうは、まさか勝とうとするのではなく、他の選手に決して迷惑をかけないように走ろう、完走だけを目標にしようと思っていましたが、台風14号の接近でレースそのものが中止になりました。
 このレース参加は、ネットテレビの新しいクルーが撮影し、「青山繁晴.TV」でアップする予定だったのですが、それをご存じのかたには、申し訳ない、そういうわけでアップはありません。
 きょうは、まず、そのことをお知らせしておきます。


▼さて、こうした日々のなか、忘れがたい日程もありました。

 たとえば、硫黄島の戦いを率いた栗林忠道・帝国陸軍中将を偲ぶ会が、中将のふるさとである長野県で開かれ、中将のお孫さんたちもお迎えして、ぼくなりに懸命に講演しました。
 あるいは、尖閣諸島を護る沖縄県民の集いが沖縄本島の宜野湾市で開かれたのに参加して、集まったウチナンチュ(沖縄県民)の多さと、世代の多様さと、なにより眼の輝きに、深いうれしさを感じつつ講演しました。
 これらは、あらためてしっかりと、この地味ブログに記します。
 ブログを訪ねてくださるかたがたを、とても大事に思っていますから。


▼おととい10月30日の土曜日は、久しぶりにテレビ朝日系列の「TVタックル」のスタジオ収録に参加してきました。
 きょう11月1日月曜日の夜、放送されます。

 この番組に、ぼくは2年ほど全く参加しませんでした。
 そして最近、また参加することになったのですが、海外出張と重なったり、上述の沖縄訪問と重なったり、あるいは外交・安全保障のテーマが番組で取りあげられなかったりで、スタジオ収録はしばらくありませんでした。

 今回も、実はスタジオ収録の予定はなかったのです。
 ところが前日に突然、番組から連絡があり、「急遽、中国のことをやることになったので、出てくれませんか」ということでした。
 幸い、この土曜日は予定が原稿執筆だけだったので、参加しました。

 スタジオに入って、収録が始まるまえ、いつも出演者の全員に、ぼくなりに丁寧にごあいさつをします。
 そのあと、出演者同士でしばらく雑談をするのですが、ぼくは今回初めて、何も話す気がしなくてずっと黙っていました。
 この番組のスタジオ収録に再参加した初回のとき、この雑談タイムで、評論家の森永卓郎さんに「右翼が戻ってきて良かったよ。右翼がいないと、つまらないから」と言われ、「誰が右翼ですか。違います。勝手な決めつけはしないでください」と応えました。
 収録中にまた、この森永さんが「右翼、右翼」と連呼され、「右翼は怖いんだ。私の横に右翼がいて怖い」と発言されました。
「右とか左とか、そんな愚かな分け方は、もうやめてはどうですか。ぼくはまっすぐ真ん中から日本を見直そうと呼びかけているのです」と反論し、放送ではその部分は、予想通り、すべてカットされるということがありました。
 だからといって収録前の雑談タイムが嫌になったりは、全くしていません。
 ただ、評論家と一緒に仕事をするより、実務家と仕事をしているほうが、ずっと楽しいです。
 とはいえ、たとえばみずから「評論家です」と常に明言されている宮崎哲弥さんは、盟友です。

 なんとなく、にぎやかに雑談する気分になれなかったのは、ほんとうは、京都の霊山(りょうぜん)の墓園にお参りしてから、ぼくがすこし気持ちが晴れないでいることが大きいと思います。
 墓参される人と、ほとんど出逢うことのなかった以前とは大違いで、たくさんの人が来られていました。それは、うれしかったのですが、おそらくはNHKドラマなどの影響で坂本龍馬さんをはじめ有名な志士の墓にだけ人が集中し、無名の志士の墓は踏み荒らされる、と言えば誇張になりますが、実感としてはそれに近いほど、たくさんのひとが著名人の墓だけを探して走り回るようすが、訪れるまえから分かっていることなのに、かなり辛かったのです。
 その人々に悪意はもちろんないのですから、批判するつもりはゆめ、ありませぬ。しかし、たとえば龍馬さんこそ、おのれよりも、名もなく斃(たお)れた志士たちの墓にこそ深い敬意を表してほしいのではないでしょうか。
 無名の志士や、それから誰一人お参りのなかった帝国陸海軍の将兵のかたがたは、どれほど寂しいでしょうか。
 その日は小雨が降り続き、ぼくはおのれでも意外なほど、元気を削がれました。
 日本はたった今、倒幕を必要としていると、ぼくは考えます。
 その現代の倒幕は、英雄伝説でやれるはずもない。
 名も要らぬ、利も要らぬ、わたしたちふつうの人間が連帯するほかに道はありません。
 無名の志士や、戦いに敗れた帝国陸海軍の将兵のかたがたの無念を、(ただし、あくまでもぼくが勝手に)思うだけではなく、「これで、ぼくらの祖国を甦らせることができるのだろうか」と雨中、考え込んでしまったのです。
 そしてもちろん、「おまえ馬鹿野郎、だらしのない、それぐらいでしょげるな」と龍馬さんにも東行高杉晋作先生にも叱られている気がしています。

 収録が始まると、出演者のうち、お一人がいきなり「ハノイで日中首脳会談がドタキャンになったのは、前原外務大臣がおかしなことを言うからだ」という趣旨の発言をなさり、ぼくは強く反論しました。
 国際社会のフェアな常識からしても、中国がきわめて不当、アンフェアであって、前原外相を含め日本国が何かを言われる筋合いは毛頭ありません。
 それにもかかわらず、日本の有識者からこうした議論が出ることは、予想されたこととはいえ、驚きです。
 ぼくの反論が放送されるかどうか、分かりません。そもそも、その有識者からの発言が放送されるかどうかも分かりません。
 TVタックルは、2時間ほど収録して、それを40分ほどに編集して放送する番組ですから。

 過去に、ぼくが話したことが95%以上カットされ、視聴者から「何で青山さんは発言しなかったんだ」というEメールが山ほど届いたことは、何度も何度もありました。
 驚くなかれ99%以上カットされたこともあります。そういうときは、他の人が発言している時に微笑したり、頷いたり、その人の眼をじっと見ているというような顔が映るだけで、ホントに番組が終わりました。
 しかしいつも言っているように、編集権はテレビ局にあります。
 編集されること、あるいは編集内容に不満があるのなら、タレントじゃないんだし、出なければ良いだけの話です。
 事実、編集があまりにも偏っている、すなわちカットされるだけじゃなくて、ぼくが出演タレントの意見(靖国神社は参拝すべきでない、といった、ぼくが賛成するはずもない意見)に賛成したかのように演出する、むちゃらくちゃらな編集があった番組は、即、参加をやめました。

 その、やめた番組もとても視聴率の高い人気番組ですが、タックルも、人気のある長寿番組ですね。
 たとえば、ぼくが大好きな沖縄、もっと正直に申せば愛している沖縄、そこに住むウチナンチュ(沖縄県民)のかたがたから「タックルだけは出てください。出ないと、沖縄では青山さんの顔を見られない」と繰り返し言われます。
 それに、TVタックルは、ぼくの発言をねじ曲げて編集したことだけはありません。
 ぼくがほとんど発言しなかったように放送することは年中行事です。また、発言を途中でカットして意味不明になったり、ぼくの申したかったことがほぼ伝わらないことも多いけれど、それはおそらく、ほかの出演者も同じ気持ちを持つでしょう。

 そして大事なことは、TVタックルのスタッフは、実は物凄くよく勉強していて、スタジオ収録の依頼に来られる時も、コメント収録で独研の社長室に来られる時も、話の筋が通っていて、気持ちがいい。
 テレビ局の人と話していると、たまに、あまりの不勉強ぶりに力が抜けて、どっと疲れが噴き出して、何も答えたくなくなったりすることがあります。TVタックルのスタッフには、一切、それがない。
 だから、これからも収録の依頼があれば、参加します。

 土曜日の収録は、中国をめぐっての議論は意外なほどあっさり短く終わりました。
 あとは、事業仕分けの話題などが続きました。
 ぼくの仕事は本来、縦割りで外交や安全保障に関わるのではなく、行政・政治のあり方から金融・為替・経済や教育、社会文化に至るまで統合し、トータルな(全体を包括する)国家戦略を練ることですから、当然、そういった話題でも信じるところをどしどし述べました。
 関西テレビの報道番組「アンカー」の生放送で毎週、そうであるように。
 ただしTVタックルでは、どちらかといえば、ぼくを外交・安全保障の「要員」と見なしているところも現時点ではありますから、例によって発言カットかもしれませんね。
 上述したように、まぁ、それは視聴者のかたも我慢なさってください。


▼あと、日本経営開発協会・関西経営管理協会というところの主催で開いている会員制セミナーの「青山繁晴の先見社長会」が、参加されるかたが多いということで、大阪でも開催されることになりました。
 これが、もうひとつの、お知らせしたいことです。

 このセミナーは、その場で自由なご質問を受けて、ぼくがオフレコ情報を含めてお答えするという特徴があります。
 企業の経営者だけではなく、どなたでも参加されて全くOKです。
 事実、20歳代の若い女性もお見えになりますし、どなたかが会員になられれば、その代理でどなたでもお出でになれます。

 これからの日程は、以下の通りです。
【東京】偶数月に開きます
2010年 12月 9日(木)
2011年  2月24日(木)
      4月21日(木)
      6月16日(木)
      8月25日(木)
     10月27日(木)
     12月 8日(木)

 時間は、13:30~15:40。休憩10分を挟んで、2時間たっぷりです。
 場所は、静かな雰囲気の芝パークホテル。
    (JR 浜松町 徒歩8分/地下鉄三田線 御成門 徒歩2分)

【大阪】奇数月に開きます
2011年  1月26日(水)
      3月23日(水)
      5月25日(水)
      7月27日(水)
      9月21日(水)
     11月16日(水)

 時間は、18:00~20:40。これは夕食付です。そして「水曜アンカー」に生出演した直後のぼくが全身から湯気を出して? 不肖ながらやって来る予定です。
 場所は、食事のおいしい帝国ホテル大阪。
   (JR環状線 桜ノ宮 西出口より徒歩約5分/JR大阪駅よりシャトルバスが運行)

 申し込みは、ウェブから簡単にできます。http://www.kmcanet.com/seminar/aoyama_president-meeting

 参加費については、上記のサイトをご覧になるか、日本経営開発協会:03-3249-0666、関西経営管理協会:06-6312-0691にお尋ねください。
 この参加費の決定などには、ぼくも独研(独立総合研究所)も一切、関与していません。参加費の何割かがぼくや独研に渡るということでもありませんから、ぼくや独研からお話しするのは控えます。


▼さて、実は今、都内の病院にいます。
 情けない写真は、その病室のぼくです。

 あ、青山の野郎、ついに倒れたか。
 と一瞬、思われましたか?

 そうではなくて人間ドックです。
 共同通信の記者時代は、社が、多忙を極める記者のために年に2回の徹底的な検診を用意してくれていて、必ず受けていました。
 共同通信から三菱総研に移ると、年に1回に減り、検診の内容もずいぶんと簡単にはなったけど、それでも定期検診があり、多忙ぶりが記者時代よりさらにずっとひどくなっても、きちんと受けていました。

 ところが、独研を創立すると、社員にはみな、当然ながらしっかりと健康診断を受けてもらいますが、社長のぼくは、記者時代より、三菱総研時代より、さらに比較にならないほど心身を酷使しているのに、なんと創立以来8年半、ただの一度もまともな検診を受けたことがありません。
 行政サービスの簡素な無料検診は受けても、時間とコストのかかるドックは、先送りしていたのです。
 独研の総務部・秘書室は心配に心配を募らせて、ついに強制起訴ならぬ強制ドック入りとなりました。
 気がついたら、一泊二日の宿泊人間ドックが日程に組み込まれていました。

 今回も、「信じがたいほど忙しいし、キャンセルしようか」という考えが今朝というかきょう未明の3時半過ぎに頭をよぎりましたが、総務部と秘書室の日程調整や病院選びの努力を考えると、さすがにそれはできませんでした。

 ぼくの躯(からだ)に、病的な異変を自覚するところは何もありません。
 睡眠の決定的な不足や、ほぼ毎日、飛行機に乗っているような移動の激しさなどで疲れています。しかし、それは病ではありません。痛みとか、あるいは衰えとか、それを感じる時は日常生活で全くないのです。
 とても丈夫な、壊れにくい心身に育ててくれた、両親に、こころの底からいつも感謝しています。
 しかし今回のドックで何が見つかってもまた、驚かない覚悟でいます。

 ドック第一日目のきょう、医師から「体内年齢は、年齢よりも22歳ぶん、若いです。体脂肪や筋肉量のバランスなどを複雑な方式で総合して判断していますから、いい加減な話ではありません」という話がありました。
 だからといって、安心はできないと考えています。
 体脂肪とか筋肉量は、大丈夫なのです。26歳で共同通信に入った時のズボンをそのまま、はいていますから。ズボンのウエストサイズは79センチで30年以上、変わりません。
 しかし、だからといって今回の人間ドックで、病気が見つからないとは限りません。まだ分かりません。

 あまり変化を感じないのが、ぼくの躯のキャラクターの気もしますが、それは丸々、わが母の母乳がつくってくれた免疫力のおかげです。ぼくの努力では、ありませぬ。
 それを言うと、介護中の母は「そんなもん、しらん」といつも、ひと言だけです。

 母の気持ちのなかには、「あんた自身がもっと、みんなのために、健康に注意しなさい」ということがあると思います。
 きょうも一方では、栄養士さんの指導タイムには「なんというひどい食生活をしているのですか」と、かなり叱られました。
 深く反省しております。(本心です)

 写真の手前に映っているのは、今夜の9時に飲む下剤です。
 明日の朝は、6時から何と9回も、大量の下剤を飲まねばなりませぬ。
 げげー。ぼくはお通じがいいのになぁ。こんなに飲むのきゃ。
 しかし胃カメラと大腸カメラのために必ず飲むように、という看護師さんの厳しくも、あたたかい指示が出ています。

 本気の躯づくりを再開しようと決めているので、しっかり受診します。
 きょうは検査の合間に、モバイル・パソコンで、ちょー細切れに仕事をする日でした。これもまた良きかな。