Our World Time

今日と明日について  (すこし手直ししました)

2010年10月12日 | Weblog

▼このところの国の内外の異常事態があまりに多いことなどから、今週は、どう工夫と努力をしても、大阪入りが不可能になりました。
 睡眠時間を削るだけでは解決のつかない、すなわち東京をはじめ、そこにどうしても居なければならない、外せない所用が生まれた時には、大阪に行けないことがあります。

 したがって、きょう10月12日夕刻の近畿大学経済学部での国際関係論の講義は、休講です。
 学生諸君には、当然ながら大学から休講通知がおこなわれます。
 他に本講義に関連するかたがたは、どうか、ご注意ください。この、関連するかたがたには、独研(独立総合研究所)の秘書室から、できる限りのご連絡をするよう、いま努力を尽くしています。

 また単に休講にするのではなく、日程がどれほど苦しくとも補講をおこないたいという考えで、調整を始めています。


▼あす10月13日夕刻の関西テレビの報道番組(生放送)、「スーパーニュース・アンカー」もお休みします。「青山のニュースDEズバリ」のコーナーはありません。
 これは先週10月6日水曜にメイン・キャスターのヤマヒロさん(山本浩之アナ)と相談のうえ、生放送のなかで、「来週は所用にてお休みします」と、ぼくからすでに視聴者のかたがたにお話ししました。

 なお、「VTRでの出演はないのですか」、「以前は、お休みでも必ずVTR出演があった。前回のお休みの時に、それが急になくなった。今回は是非、お願いします」というEメールや個人ブログへの書き込みを、驚くほど沢山いただきました。

 その通り、以前のぼくは、生で参加(出演)する水曜夕刻がどうしても空けられない時は、事前に関西テレビ報道部とロケ取材などをしてVTRをつくり、それを放送していました。
 これは、ぼくがそうしたいと言い出したのではなく、関テレ報道部からの強い要請でした。生放送をできるだけ休まないようにするのも、日程調整に四苦八苦し続けていますが、このロケ取材によるVTRづくりのための日程調整も、ありのままに言えば苦労はしました。
 しかし、いずれもとても大切なことと考えて取り組んできました。

 それは、関西テレビ報道部のみんなの志に応えるためでもあり、放送を待っていただいている視聴者・国民のみなさんの志、そして疑問や問いに、ささやかなりにお答えしたいからです。視聴者・国民のみなさんが、放送を通じてのぼくの問題提起や答えぶりに、賛成されるのか反対されるのか、それは問題ではありませぬ。

 前回、どうしても生放送への参加(出演)が不可能になったのは、7月21日水曜でした。不可能になった理由はいくつも重なったのですが、そのひとつは、介護をしているわが母を緊急入院させるためでした。
 母は、ぼくの精神の背骨をつくってくれた人です。
 ぼくは兵庫県に本社のある繊維会社の何代目かの社長であった亡き父のもと、三人兄弟の末っ子で、家督を継ぐことはなく、ひとり自立して東京で記者になり社会人として出発しました。したがってまさか母を東京に引き取ることがあるとは夢にも思わず、母本人はもっと夢にも考えなかったようです。
 ぼくは小学生の頃、バスの車中か電車の中だったかは忘れましたが、長い髭(ひげ)を蓄えたご老人が突然、間近に迫ってこられ、「あなたの眉のあいだの光を見ると、末っ子なのに長男の役割を果たすことになる」と言われたことがあります。
 もちろん、家督は長男がしっかりと継いだのですが、母については、その予言が当たったことになりますね。
 ご老人は、社会的な役割についても予言されましたが、それはここに記しません。

 話が思わず、それましたが、この7月21日の番組への参加(出演)のお休みを控えて、現在の担当責任者のおひとりに、過去と同じくロケ取材によるVTRづくりを「やらねばなりませんね、やりましょう」とお話ししたところ、この時に限ってなかなか具体化せず、ぼくが「急がないと間に合わなくなります」と話したところ、「ロケはやりません」という答えでした。
 テレビ界は、どこも見かけ以上に厳しい財政事情ですから、コストの問題かと思いましたが、彼によれば、そうではなく「番組を長続きさせるため」ということでした。
 正直、その時、よく分かりませんでした。もっと聞けば、誠実な彼ですから、きっと丁寧に説明してくれたと思います。それは間違いありません。嘘のない、原理原則のきちんとしたひとです。
 しかし、ぼくは単なる番組参加者(出演者)のひとりであり、番組作りに干渉する権限はまったくありませんから、それ以上聞くのは干渉になると考え、そこからは一切、何も聞きませんでした。
 この経緯が厳然とあるので、今回は、ロケ取材の提案もしませんでした。

 ぼくは、視聴者にもテレビ業界のひとにもよく誤解されるのですが、関西テレビと特別な契約などはありません。単に、ひとりの番組参加者(出演者)に過ぎません。
 それも、いわゆる「文化人枠」での番組参加です。ぼくはふだん、仕事に赴く時は基本的に同行者がつきます。秘書室員であったり、研究本部の研究員であったり、いずれにせよ独研から同行者がつきます。しかし地方でのテレビ番組参加(出演)に関しては、東京から同行がつけば即、赤字になります。必ずしも関テレだけのことではありません。
 ぼくはテレビ参加(出演)料であれ、講演料であれ、そういったものを個人の財布に入れることはありません。すべて独研の収入になり、それで国を良くするための研究プロジェクトの大赤字を補おうとしています(…実際には補いきれませんが)。

 その独研にとって、関テレをはじめ地方でのテレビ番組参加(出演)は、同行者がつくと赤字になるという収支の仕事であるのが現実ですから、独研として、代表取締役社長であるぼくに、どうしても体を空けてもらわねばならない時が出てきます。
 これも、ほんとうによく誤解されるのですが、独研はぼくの個人事務所ではありません。それなら、もっと楽だろうとは思いますが、坂本龍馬の「亀山社中」と同じく、世直しのために自立して、すなわち食い扶持を自分たちで稼いで、どこにも依存せず、どこの何に対しても自由自在の姿勢を貫く組織であるために、株式会社です。
 ぼくは社長であっても、その組織の一員です。
 世直しは、それを実際に遂行しようとするのなら、ひとりだけではなく組織であることが大切です。

 ありとあらゆる誤解、時には、曲解に囲まれながら、祖国が甦る日を信じて、自分たちに報いはないことを知りつつ、まことにちいさな、ささやかな努力をしているのが、独研のみんなです。
 ぼくは、その一員に過ぎません。

 ぼくは、短い、ただ一度きりの命のあいだに、いつかは組織人であることを終えて、ただひとりの物書きになりたいとは思います。
 しかし、26歳で共同通信という大組織の記者になってからこれまでずっと、組織の一員として生きてきました。
 力を合わせてこそ成り立つ組織の、その一員として、謙虚に世に尽くすことがまず大切と考えてきたからです。
 まだしばらくは、それを続けます。苦しくとも、独研の掲げる豆粒のような灯火を維持していきます。

 大袈裟なようですが、きょう大阪入りを断念し、休講と番組お休みが起きてしまうのは、そのためです。
 全責任は、ぼくにあります。
 たとえば関西テレビは、ぼくのお休みの理由と何の関係もありません。番組をたまにお休みすると、たくさんのEメールが関テレに来ることになりますが、なるべく関テレの志と意気を励ますような、あたたかなEメールでありますことを、ぼくの個人的な祈りとして、この地味な個人ブログの場に、書きとめたいと思います。