Our World Time

よく闘われることを、祈ります

2008年10月31日 | Weblog



▼10月30日木曜の朝、出張先の北陸で、独立総合研究所(独研)の研究員たちと日本のエネルギー安全保障をめぐる仕事に従事しているとき、独研の東京本社・秘書室から、ぼくにEメールが入りました。

 12月7日の日曜に予定されていた「時事インタビュー with 西村真悟」の主催者である『真悟の会・堺』のHさんというかたから「講演会中止」という電話があったという連絡メールでした。

 Hさんはその理由について独研の秘書室に、「総選挙に向けた決起集会を、党および各後援団体の主催で11月15日に行うことになり、講演会の準備を充分におこなうことができなくなるために中止します」と説明されたということです。


▼これが事実経過のすべてです。
 ぼくも独研も、主催者からの強いご要望をお受けして予定を入れていたのですから、その主催者の事情で中止ならば、それも、そのままお受けします。

 独研の秘書室がきちんと中止連絡を受けたのですから、ぼくが直接、主催者にお聞きすることはありません。
 主催者はきっと、中止の広報もきちんとなさると信じます。
 独研は独研で、公式ホームページに中止になったことを掲示しました。


▼それにしても、当日、行ってみようと考えておられたかたがたは、残念だと思います。
 ぼくも残念ですよ。

 しかし、総選挙に向けて決起集会を開かれるということですから、力をそこに集中され、ほんとうに純粋にこの国を愛しておられる西村真悟代議士が、よく闘われて当選されることを、祈ります。 


▼12月1日月曜の「大阪ブルーリボンの会結成5周年講演会」は予定通り開催されるのかと心配なさったひともいるようですが、上述のような経緯ですから、この催しとは何も関係がありません。
 安心してください。  




深い絨毯のような夜をみながら

2008年10月28日 | Weblog



▼みんなと同じく、ぼくにも、ささやかな信念があって、その一つがたとえば社交辞令やお世辞は言わないことだ。
 それから、事態がよくないのに「うまくいってる」などと誤魔化さないことも、ささやかな姿勢として、ふだん貫いている。

 そのうえで、申したい。
 ぼくのこの小さな個人ブログは今、大丈夫です。

 コメント欄をどなたにも開放し続けている以上は、あまりにも根拠なき中傷の書き込みもあるし、卑劣な、こころの疲れる執拗な嫌がらせもある。

 さらには、外国の勢力と思われる書き込みまである。
 わたしたちのこの祖国は、ある複数の外国から、見えない侵攻をたった今、受けている。
 それが戦争なら、軍事侵攻なら、悲惨であっても、眼にみえる。
 ところが、いま現実に受けている侵攻は眼にほとんどみえない。
 だから、骨の髄までぞっとするほど恐ろしい。

 このごろコメント欄をにぎわせている論争は、基本的には、その眼にみえない侵攻をもきちんと意識して、それにどうやって対抗するかを、みんなで議論している。
 あるいは、根拠のない中傷や、卑劣な嫌がらせに、どうやってフェアに向かいあうかを、みんなで議論している。

 だから、どれほど議論が激しくても長くても、大丈夫です。


▼おおくのひとが、自分の得には何もならないのに、フェアネスを、ただの個人ブログのコメント欄で確立しようと苦闘している。
 ぼくは胸の奥で感謝し、その無償の努力に深く敬意を払っている。

 たとえば、HAYABUSA2というハンドルネームのひとは、ぼくは講演の聴衆のなかに、きっとこの青年だろうと思う輝く眼をみつけたことがある。
 おのれの利益や虚飾のためでなく、祖国と世界をよりよくすることに役立ちたいと、本気で願っている若い魂を、その眼のなかに、ぼくは見つけたと思っている。
 祖国よ、あなたは、いい若者を持っている。

 書き込みが長くともいい、短くともいい、引用句があってもいい、なくてもいい、ミクシィをはじめ他のコミュニティへの誘いがあってもいい、それを断ってもいい、みんなの目指すものは、この小さな個人ブログの開放されたコメント欄にフェアネスがありますように、という目的で一致しているじゃないか。

 ぼくは社交辞令は言わない。こころにないお世辞は言わない。
 社交辞令やお世辞は、ひとを思うのでなく、自分を有利にするためにだけ使われることがあるからだ。
 他のかたが、社交辞令やお世辞を言うのは、かまわない。それは、そのかたの選択だ。 ただ、ぼくは言わない。
 それから、悪い事態を、問題ないとは言わない。
 ひとを思うのではなく、事なかれ主義で自分を守っているだけのことがあるからだ。

 そのうえで、ぼくは思う。
 アンフェアな書き込みや、外国勢力による書き込みがあるという現実に対して、みんなで頼まれもしないのに一生懸命に、どうしようかって考えて議論が白熱する。
 なんて素晴らしいことかな。
 そう、思いませんか?




 神無月の二十八日 午前二時まえ 静かな夜ふけに原稿を書き続ける、そのあいまに



(写真は、ことしラオスに入って、メコン河に近い古寺を訪れたときに撮りました。金色に輝く大仏さまの、その背後に、ひっそりといらっしゃった仏です。みあげる角度によって、驚くほど活き活きと笑っておられたり、厳しさをありありと漂わせた瞑想の表情だったり、おなじ仏の一つのお顔がまるで違ってみえることに、驚嘆しました。
 はっとするほどに美しい胸をした、永遠の仏さまです。
 ぼくはラオスと日本の新しい連携を本気で考えています。)









近況というやつかなぁ、これは

2008年10月23日 | Weblog



▼ひさしぶりに東京・湾岸の夜景を眺めながら、原稿書きです。
 新刊書の原稿と、独研(独立総合研究所)から配信している会員制レポートを、同時進行で書いています。



▼振りかえれば、10月14日の火曜に羽田空港から出発し、大阪の近畿大学経済学部での講義をはじめ、なかなかタイトな日程をどうにかこなした。
 翌15日水曜は関西テレビの報道番組「アンカー」に参加(生出演)し、その翌16日木曜には特急電車で福井県敦賀市に入り、独研(独立総合研究所)の研究員たちと大切な調査・研究プロジェクトに専心した。
 中身は機密です。

 独研の社会科学部と自然科学部の若い研究員たちが、ずらりと揃って役割を果たしているのをみると、胸の奥で勇気づけられた。



 その夜は、敦賀市のホテルで徹夜で新刊書の原稿を書こうとして、夜明けにパソコンに突っ伏して眠ってしまい、首の右を痛める。
 首は右にはまったく動かなくなり、左も動かしにくい。
 要は横を見るときには、首ではなく身体全体を動かすほかない。
 その動かない首のまま、17日金曜も敦賀市で調査・研究プロジェクトに専心し、夜に新幹線で帰京。

 しかし帰宅はせず、東京駅からほど近いところで開かれていた、若いひとたちのための講座によたよたと駆けつけて、ミニ講演をして、深夜になってからようやく帰宅。
 首は依然、動かない。
 だけど誰も気づいていないはず…と思う。



 あくる10月18日の土曜だけ東京にいて、朝から独研の社有車を運転して出かけ、情報源と会う。気づいたら3時間。

 午後に3週間ぶりぐらいにジムへ行き、トレーナーに動かない首のことを話す。
 人に首の一件を話すのは初めてだ。
 トレーナーに首と全身にスポーツマッサージを施してもらったあと、いつもと変わらないメニューでバーベルやダンベルを挙げる。
 首に痛みとショックは走るけど、トレーナーと相談し、指導を受けながら、最後までメニューをこなす。

 夕方からは、会員制レポート「東京コンフィデンシャル・レポート」のための情報収集と、新刊書の原稿書きに取り組む。



 あくる10月19日の日曜の朝、首は動かないまんま。
 トレーナーは、全身の筋肉を動かしたから大丈夫になるはずと言ってくれていたけど、残念でした、駄目でした。
 小さい声で本音を言うと、大丈夫どころか、悪化している。

 しかし独研(独立総合研究所)の秘書室が組んでくれた予定通りに、午前に東京を離れ、伊丹空港から車で神戸市の西部に入り、神戸流通科学大学の明るい雰囲気の学園祭で講演した。

 講演のあと、聴講されたかたから「さまざまな年代、幅広い世代のひとびとが聴きに来ていて、それに感激した」という趣旨のEメールをもらい、内心で共感した。

 みなさん、わざわざ聴きに来てくれてありがとうございました。
 講演のなかで、「お聴きになっているみなさんも、年齢は関係なく、ただ一度切りの人生の尊い時間を使って聴いていただいています」と述べましたが、いつも、ありとあらゆる講演のとき胸の内でそう思うのです。



 その夜は神戸で泊まり、動かない首でパソコンを覗きこんで、締め切りが来ていた論壇誌『VOICE』のための原稿を書く。苦吟する。
 金融危機とロシアの動きを軸に据えて、世界を読み解くことを試みている原稿だ。
 論壇誌の原稿であっても硬くならないように、そして論壇誌らしく現場の事実と分析、予測の組み立てを、広い視野で大きな流れとして捉えて、細部もかっちりと。
 そこが苦吟のしどころ。
 完璧にはいかなくとも、すこしは志すところに原稿を近づけたい。



 翌日の20日月曜には、車で神戸市の中心・三ノ宮へ向かう。
 車の中では、まだ脱稿できていない『VOICE』のための原稿の続きを書く。
 車内のほかの人が気を遣って静かにしてくれているのが、ちょっと辛い。

 三ノ宮に着き、生田神社で講演する。
 藤原紀香さんが結婚式を挙げた神社だそうな。
 神戸生まれのぼくが、幼いころに遊んだ湊川神社も近い。

 これは、全国の若手の神主さんたちの研修会だ。
 ずいぶんと講演してきたけど、神社で講演するのも初めてだし、神主さん、神職の集まりで講演するのも、初めてだ。
 なんと驚いたことに、この若手の神主さんたちの集団には、霊気がありありと漂っている。
 それも、これまでに遭遇してきたような、ひとの魂というより、もっと自然界に近い霊気という感触がある。
 これが日本の伝統なのか、日本の根っこなのか、あまりに不思議で、講演しながら実はちょっと緊張していた。

 学徒出陣をどう捉えるかについての研修会だったから、ふだんの講演とはすこし中身を変えて、沖縄戦、戦艦大和の最期、それから硫黄島について話し、動かない首のまま、懇親会にも参加した。
 そのあと別な場所で別なひとたちから政局の行方について、ちょっとディープな取材をし、深夜、車で神戸から大阪へ。
 車の中でも、モバイルパソコンで『VOICE』の原稿を書く。
 首はずーっと動かない。
 ま、反乱を起こしているというか、警告を発しているというか、頑固な首さん。

 大阪の定宿に着き、ぼくの身体をよく知っている練達のマッサージ師さんに、首をほぐしてもらう。
 しかし、ほぐれない。
 凄いな、がんばるな、首さん。



 あくる10月21日火曜は、定宿で、会員制レポートのための取材と同時並行で『VOICE』の原稿を書き続け、終わらないまま、車で近畿大学経済学部へ向かう。
 大学に着く直前に、ようやく脱稿し、送信。
 やれやれ。
 苦吟しすぎだよ、おまえは。

 揺れるタクシーの中で、あまりにも根を詰めて書き続けたために、ついにすこし気持ち悪くなり、講義を始めるときには、動かない首と、ぐるぐる回る眼、うっぷと吐き気の胸というか腹、というありさま。
 ふひ。

 しかし当然ながら、講義はいつものように完遂して、講義のあとは熱心な学生たちの質問に答える。
 学生たちも、貴重な人生の時間を費やして、受講している。
 講義しているうちに、吐き気はどこかへ消えた。

 近畿大学から、やはりタクシーで関西テレビに向かい、今度は車中で、新刊書の原稿書きと、会員制レポートの執筆に戻る。
 それにしてもタクシーは揺れる。

 揺れるなかで、これだけモバイルパソコンで書いて、よく乱視にならないなと、自分でも思う。
 しかし眼に異常は起きなくても、かつてはタクシーの中は頭を自由に遊ばせて、発想を喚起する時間だったことを思えば、いずれ、それに戻したい。

 関西テレビで、報道番組「アンカー」のメインキャスターのおふたり、スーパー人気アナのヤマヒロさん、大器の若手アナの村西利恵ちゃん、それにプロデューサー、ディレクター、ADらスタッフ勢揃いで、明日の放送のための議論を活発にする。
 動かない首だけど、その上に乗っかっている脳みそは、なんとか動かそうと、内心で必死じゃわい。
 首のことは、やはり誰も気づかないはず。
 自分で勝手にパソコンに突っ伏したのですからね、ひとに言ってどうする。

 大阪の定宿に戻り、二晩連続で、同じマッサージ師さんに、ほぐしてもらう。
 ようやくにして、すこし、ほぐれ始めた。
 多分、こうなれば、あとは自前の回復力で、急角度で良くなるはず。うん、頼むよ、わが首さんよ。



 翌10月22日水曜は、まず早朝に、福岡のラジオ局「RKB毎日放送」の生番組で「ニュースの見方」というコーナーに電話でレギュラー出演する。
 そのあと、新刊書の原稿と会員制レポートに取り組みつつ、関テレのディレクターと電話で打ち合わせ。

 この長電話の打ち合わせというか議論は、かなり辛いものがある。しかし放送の質を最大限に上げるためには、通らねばならないプロセスだ。
 その前後には、生放送に備えて、最新の情報の仕入れや、すでに仕入れていた情報の再確認などを電話やEメールで続ける。

 それはいつも通りなのだけど、今週はいつもより時間がかかって、プールで泳ぐ時間がなかった。
 ふだんは視聴者への礼儀として、放送前にはプールでわずかでも泳いで、脳みそを含めた全身をリフレッシュさせるのだけどなぁ。

 夕方には関テレに入り、報道番組「アンカー」の「青山のニュースDEズバリ」のコーナーで、今回はアメリカ大統領選挙について話す。
 よその国の大統領選挙について話しているのだけど、ほんとうのテーマは、わたしたち日本国民がアメリカと世界の歴史的な変化を、祖国の自律と、ほんものの独立へ活かしたい、という願いにある。
 いつものように時間との戦いだ。
 どこまで、その願いを伝えられたかなぁ…。
 とにかく、ぼくの話はすべて、みんなが自分の頭で考えていただくための問題提起だ。問題提起にすぎない。

 テレビカメラは、いろんなものをありありと映し出してしまうけど、首はそこそこ動くようになっていたし、視聴者には異常なくみえた…はずです。

 生放送のあと、伊丹空港から飛行機に乗る頃には、首はほぼ動くようになった。
 やれやれ。
 首さんの長い抵抗も終わりました。無駄なレジスタンスでしたね。はは。



▼そして無事に羽田に着き、ようやくにして今、東京・湾岸の夜景を久しぶりに見ながら、新刊書の原稿書きと会員制レポートの執筆に戻っているのです。



▼というわけで、「日中の興亡」に続く新刊書、「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」の原稿はまもなく仕上がります。

 仕上がったら、出版社の努力によって、日を置かずに緊急出版されるはずです。
 その頑張ってくれる出版社は、「日中の興亡」と同じくPHPです。

 新刊は長いタイトルですが、必然性のあるタイトルだと思っています。
 火道は、かどう、ぼくの造語です。
 意味は、できれば新刊書をパラパラとめくってみてください。

 実はもうアマゾンにアップされていて、予約を受け付けています。
 もしも、よろしければ、どうぞ。

 この長い出張中、伊丹空港に寄るたびに、ANAのターミナルビルの書店では「日中の興亡」がベストセラーの4位、JALのターミナルビルの書店では3位に掲げてありました。
 ひえー、意外。
 首の動かない情けないぼくでも、正直うれしかったです。
 新刊は、その「日中の興亡」の続編でもあり、金融危機と世界の運命に踏み込んだ新しい書でもあります。



▼ことしは、一つ前の書き込み「聴く」ですこし触れた、新規のことも検討課題かもしれませんが、物書きの原点に戻っている年でもあります。
 もっと書きます、もっと出します。








聴く

2008年10月09日 | Weblog



 すべてのことのなかで、一番はっきりしているのは、ぼくの残った命を、ただ一度切りの命のうち、わずかに残った時間と力を、祖国と世界に最後の一滴まで捧げたい、そのことだ。

 では、どうやって捧げ尽くすのか。
 それをめぐって、みんなに聴いてみたいことがある。
 みんなの意見を広く聴いてみたいことがある。

 ほんとうに聴くことができるのかどうかは、まだ分からない。
 個人としてのぼくは『勘弁してほしい』と思うことに関して、だから。
 しかし、もしも、聴くことになれば、みなさん、感じること、考えることをそのまま、ぼくに伝えてください。

 ぼくの考えの中心のひとつは、欲で動いて当然と思われているところへ、おのれの欲、すなわち名誉欲、出世欲、金銭欲、それから、自分だけはいつまでも生きているはずだと知らず知らずのうちに思い込む欲から来る保身の欲、それらから自由になって献身する生き方もあるという一石、ほんとうに小さな一石を投げて、そして死すことだ。

 それは、むしろ日本のたいせつな伝統だ。
 幕末という国家の青春に、次から次へと現れた人材は、多くがそうだった。
 坂本龍馬や高杉晋作だけじゃなく、無名の草莽(そうもう)の志士たちも、みなそうだった。
 あれからたったの140年、150年だ。
 日本人の王道は変わらない。

 武士道といふは死ぬことと見つけたり。


 二千八年、平成二十年神無月九日木曜日、朝六時五十分、出張先の北陸、敦賀市にて。





 あたたかい一杯のコーヒーを、ぼくに飲ませたいと思うひとの気配を、今、こうやって書いていて感じました。
 ありがとう、こころから。