Our World Time

実感、共感、痛感

2013年01月30日 | Weblog


▼「ぼくらの祖国」(扶桑社)が十刷に達しました。
 すこし前に決まっていたのですが、宣伝めく気がして、ここに書かずにいました。

 しかし、おととい兵庫県朝来市(生野銀山の地)、きのう京都、きょう1月29日に滋賀県甲賀市(忍者の里)と連日、つたない講演をして、いずれも「ぼくらの祖国」と「救国 超経済外交のススメ」(PHP)を求めてくださる長い列が、講演の前後にできたのを体験して、「読者になってくれたかたがたとの共通の喜び」という気がしたので、お伝えしておきます。


▼そして、「ぼくらの祖国」の続編を書くことを決めました。
 十刷となるのを契機に、どこかに修正すべき点はないかを最終確認しようと、おのれの原稿を読み返してみたのです。
 そのとき、「ここは続編に」とメモをして、途中まで書いたままになっている原稿をいくつか見つけたのが、きっかけです。

 こころに決するだけではなく、版元・扶桑社の信頼する編集者に、すでに伝えました。
 一日も早く出版できるよう、力を尽くします。


▼朝来市では、10代と20代前半あたりの若い人が、講演にたくさん、たくさん来てくれたのが印象的でした。
 ひとつには、少子高齢化のなかで朝来市にこんなに若い人がいるんだと、ちょっと驚きつつ、地域の未来のためにうれしく思ったのと、その若い人たちが、こんなにも祖国を真正面から見つめる時代が到来していることに、勇気づけられたのです。



*写真は、八重洲ブックセンター(東京)で「ぼくらの祖国」のサイン会をしたときです。
 みんなと、たいへんに愉しい時間を過ごしたことが、甦ってきます。
 続編を出すと、こうしたサイン会を開いて、正編と続編のいずれにもサインをして、お渡しすることができます。

 ぼくはサインをするとき、その読者のお名前をいちばん真ん中に大きく書き、おのれの名をその横に小さく添えるのを大原則にしています。
 読んでくださる人があって初めて、書物は書物になる、書き手が書いただけでは書物じゃないと考えるからです。
 そして、必ずおひとりおひとりと固く握手をします。
 希望されるかたには、男女を問わず、ハグもします。

 志を共にしている実感があるからです。
 そのとき、書を世に問うことをはじめ発信する責任も、痛感します。

 みなさん、あらためて、魂から、ありがとう。
 ありがとうっ。

(※サイン会の写真に映り込んでいる読者で、写真アップは困るという方がいらっしゃったら、このブログのコメント欄に書き込んでくださいね。即、削除します。ぼくの横に立ってサポートしてくれているブレザー姿は、上記の担当編集者のTさんです)






念のため

2013年01月28日 | Weblog
この個人ブログは、コメントが承認制です。
承認されたコメントしか、アップされません。
そして、現在の多忙で、承認の作業ができていません。
コメント欄がゼロになっているのはそのためです。

沢山のコメントをありがとうございます。
志をともにするコメントを頂くと、うれしく思っています。

え、もう…

2013年01月23日 | Weblog
…1月も、あと数日です。
 ことしも、アルジェリア事件をはじめ、凄まじい年明けになっています。
 もうそろそろ1月も終わってしまいますから、今年にぼくが出した年賀状(の文面)をアップしておきます。
 実際の年賀状には、最後のところに独研(独立総合研究所)の住所がありますが、申し訳ない、それはセキュリティ上アップできません。



 
             淡々と疾駆

▼昨年はもう一度、両親に深く感謝した年です。
 おとどしは重症肺炎で死に向き合い、そのあと大腸癌を手術し、それは数日で退院したけれど、退院後の腸閉塞で、より間近に死に直面し、その前年は、スキー・ジャンプで墜落し左腰の骨5本をすべて折ったのでした。
 しかし昨年は病も怪我もほとんどなく、後遺症もなく、さらに過密になった日程を淡々と、こなしていきました。
 ささやかな鍛錬はあっても根本は、親に贈られた体質です。「その後、体は大丈夫?」と優しい問いかけを沢山いただく昨年でしたから、まずは、これを報告します。

▼独研(独立総合研究所)も無事に生き延びて、ことし創立11年目を迎えます。危機管理・安全保障での、わたしたちなりの祖国への貢献に加え、日本国を建国以来初めて資源大国にする日本海のメタンハイドレートの調査・研究が、兵庫県、京都府、新潟県をはじめ自治体との連携もあって、わずかながら実を結び始めています。
 苦闘千里、それは変わりません。それでも、独研のちいさな存在理由は感じます。

▼ひとりの物書きとしては、昨年からノンフィクションの「ぼくらの祖国」(扶桑社)が、世のロングセラーの端っこに加わりました。ことしは文学にも復帰します。

  初日の出に、あなたさまのご健勝を祈ります。
  2013年元旦          青山繁晴 拝

▽ 株式会社 独立総合研究所 代表取締役社長・兼・首席研究員
▽ 近畿大学経済学部 客員教授(国際関係論)
▽ 経産相の諮問機関・総合資源エネルギー調査会専門委員(エネルギー安全保障・核セキュリティ)、海上保安庁・政策アドバイザー、防衛省・幹部研修講師

HP 【独研】http://www.dokken.co.jp【個人】http://shiaoyama.com

えぐられるからこそ

2013年01月21日 | Weblog


 先ほど、安倍総理の悲痛な発表で、7人の日本国民のいのちがアルジェリアで奪われたことが、対策本部の席上、明らかにされました。
 7人の戦士に、こころの底から哀悼を捧げ、まだ安否不明のかたがたの生存と無事を、深く祈ります。

 あぁ、抉られるようだ。胸も脳も、えぐられる。



 今回の事件で、交渉はありません。
 先週の木曜日、事件発生から間がない1月17日に、ニッポン放送の報道番組「ザ・ボイス」の生放送で、アナウンサーの飯田さんから問われて、ぼくは即座にそう答えました。
「ザ・ボイス」の直前番組のキャスターは「これだけ人質が多国籍だから、青山さんの言う強行突入が仮にあるとしても、それはどこが主導権を持ってやるのか」とも問われていましたが、それは主権国家のアルジェリアしかあり得ません。それも、17日の放送で申しました。
 番組のあと、独研(独立総合研究所)が配信している「東京コンフィデンシャル・レポート」(TCR)の速報でも、そのように記しました。
 したがって、人質の危機がどれほど深いかは、危機管理を本職のひとつとしている者として、胸に突き刺さるようにありました。

 しかし、砂漠の非業の死を、現実に総理の口から聞けば、無念、無残の悲しみと怒りが湧きあがってきます。
 北アフリカの衝撃波は、9.11後の世界の新段階として、これからも続きます。
 わたしたちは、新政権と共に、それに備えねばなりません。

 日本のマスメディアの、アルジェリア事件の報道ぶりには、根本的な間違いがあります。
 それは、敗戦後の日本の思い込みのまま、「抑止」ということの本質を知らないまま、この新しい現実を、通り一遍の批判だけで報じようとしていることです。
 意識や意見の違いがあっても、連帯すべきを連帯して、悲劇の再現を防ぎたい、それにわずかでも寄与したいと、リスクと戦うべき独研の責任者として、そう考えます。




こんな一枚が届きました (書き改めました)

2013年01月21日 | Weblog



▼写真は、つたない書物ながら魂を注ぎ込んで、したためた「ぼくらの祖国」の熱心な読者の撮影です。
 そのかたが、沖縄の摩文仁の海岸で撮って、送ってくださった、目の覚めるような美しい一枚です。

 このかたは、まだ若い女性ですが、海外でも国内でも沢山の経験を積まれて、ずっと日本と日本人を思って生きてこられたひとです。
 この写真を撮ったときも、「沖縄を護ってください」という声なき声が、しっかりと聞こえたということです。
 中国をはじめ、いかなる手からも祖国のかけがえのない一部である沖縄を護れ、沖縄県民と日本国民を護れという声だったのではないでしょうか。


▼この「ぼくらの祖国」(扶桑社)は、出版から1年を超えて、まだ読者が増え続けています。
 担当の誠実なベテラン編集者から「稀なことが起きている。この本を担当したことを光栄に思う」という趣旨の、印象に残るEメールが届きました。

 たとえばアマゾンの残り冊数は、ちょっとだけ目を見張るようなペースで少なくなっていきます。
 ただ、出版元からの補充は、お願いしても、なかなか行われません。
 読者が増えたといっても、実は、まだまだ日本社会で少数派です。それを謙虚に受け止めねばならないと考えます。敗戦後の日本社会は、ずーっと変わらずに来たのですから、そうは簡単に変わりません。「祖国」という言葉を冠した本が、出版元が熱意を持つほど読まれる日は、まだ来ていません。

「ぼくらの祖国」は、出版からまださほど時間が経っていないときなどにも、同じように、ネット書店で注文が増えているのに補充されないことが何度もあり、売り切れ状態のまま放置されたことが繰り返しありました。
 当然、買いたいひとは、困ったり、がっかりなさったと思います。
 今なお、同じことが繰り返されるのは、残念ですが、前述したように、ありのままの現実の反映でもありますから、出版元を責められません。

 しかし、読者が絶えてしまうことはなく着実に増えているおかげで、すなわち、著者のぼくではなく読者のみんなのおかげで、そう遠くないうちに間違いなく補充されると思いますから、もしも売り切れてしまったら、ほんとうに申し訳なく思いますが、待ってくださいね。

 書物というものは、著者が書いて終わりではなく、読んでくださるひとがいて初めて、ほんものの書物になるんだということを、あらためて実感しています。


みんなとの歩み

2013年01月16日 | Weblog





▼もうご存じのかたも増えてきたと思うのですが、わたしたち独研(独立総合研究所)の自主開催する「独立講演会」が回を重ねています。

 ふだんの講演会では、講演時間はおおむね90分、1時間半ほどと決められていて、なかなか語り尽くせません。
 もっとも、いくら時間があっても、祖国を甦らせるために、みんなで一緒に考えることが尽きないから、すべてを一度に話すことはできません。
 それでも「時間無制限」を掲げて、第1回の独立講演会を、2011年の5月22日に開きました。これは、東日本大震災の被災者のためのチャリティ講演会としておこない、集まった「受講料」はすべて、ぼくが、あの宮城県南三陸町に持参しました。
 町のふつうの職員だった、遠藤未希さんと三浦毅さんらが、みずからの命よりみんなの避難を大切に考え、最後まで「津波が来ます」という放送を続けてくださった、南三陸町ですね。


▼そこから始まった「独立講演会」のちいさな歩みは、去年の年末、12月23日の今上陛下ご生誕の日に第13回を数え、このときは過去最長の連続6時間半の講演となりました。
「時間無制限」といっても、実際は4時間半を基本にしています。なぜなら、過去の参加者の最年少では小学校4年生、最高齢では90歳を超えるかたがたが参加しているなか、みなさんの体力なども考えつつの講演ですから。
 4時間半でも、映画2本分ぐらいありますから、ふつうに考えれば、あり得ないほどの時間です。
 しかし、みなさんがいつも「あっという間でした」という感想をメールや書き込みや口頭で語ってくださいます。
 正直、いつも大感激です。

 その基本時間よりも、さらに2時間長い、連続6時間半というのは、独立講演会として最長だけじゃなくて、この世の講演会として、ひょっとして最長クラスかな?
 たくさんの参加者、400人近いかたがたが、ほとんど全員、最後まで、聴き入り、質問してくださったことに、あらためて感謝し、そしてその祖国を思う志の強靱さに深い敬意を表します。


▼そのまえの第12回(2012年11月24日土曜)は、亡き三宅久之さんをしのぶ会と重なったので、悩んだ末に、2時間ほどの講演で終えて、ぼくは「しのぶ会」に向かいました。
 そして、おととい2013年1月14日の祝日に、第12回の参加者のかたがたとの約束通り、「残り時間の講演会」を開き、大雪のなかを東京・お台場の会場に集まってくださったみなさんに、4時間の無料講演をしました。
 これで、合わせて6時間ですね。ふひ。

 それにしても、凄絶なまでの大雪でした。みなさんが無事に帰れるかどうか、こころから心配でした。
 なかには、常連の男性で、静岡から車で会場に向かいながら雪の大渋滞でついに会場に着かず、「半日ほど車の中に閉じ込められていました」という趣旨のメールをいただきました。ほんとうに、お疲れさまでしたね。次回はきっと、無事にお目にかかれます。


▼さて、この独立講演会の第14回の詳細が決まりました。
 以下は、独研の公式HPからの抜粋です。
 よろしければ、どうぞ申し込んでいただき、目と目を見合って、第二次安倍政権下の日本立て直しを一緒に考えましょう。


*第14回 独立講演会 (2013年 2月17日講演 : 申込み開始しました)

【講演日】
2013年2月17日(日)

【講演時間】
開場:12時30分
開演:13時30分 ~ 18時00分

【講演内容】
「 内政と外交の根っこを統合することを試みる 」

【場所】
神戸商工会議所 神商ホール(3階)
〒650-8543 神戸市中央区港島中町6丁目1番地
Tel.078-303-5804

「JR三ノ宮駅」、「阪急三宮駅」、「阪神三宮駅」からのりかえ。
ポートライナーで10分。「市民広場」駅下車。北へ徒歩約5分
詳細は、こちらへ。

【定員】
260名
※定員を超えた場合、抽選とさせていただくこともありますのでご了承下さい。

【受講料】
一般 5,000円 / IDC(インディペンデント・クラブ)会員 4,000円

【申込期間】
2013年1月16日(水)~ 2013年1月23日(水)正午
※申込期間内のみ、申込を受付致します。

※今回の申し込みは、独研ホームページにある申し込みページからのお申込みに限ります。

(*中略、詳細は、上記の独研HPをご覧ください)

【ご注意】
講演の録音と録画は固くお断りいたします。


▼ぼくは思うのです、独立講演会でみんなと濃密に触れあうときの、なんとも言えないほどの充実感と清々(すがすが)しさを。
 そして、それを、みんなで互いに共有できることを。

 そして、愉しさを共有できることも。
 第13回では、400人近い全員に行き渡るように、ささやかなプレゼントも用意しました。
 おとといの「残り時間講演」でも、ぼくの書斎(仕事場)に置いていた銘酒2本を、じゃんけん大会で、プレゼントしました。

 これからも、こうした、ちょこっと楽しいことも、やっていきます。
 会いましょうね、ね?



*写真は、独立講演会とはまったく関係ないのですが、先日の欧州出張のときです。
 国際機関が集結しているジュネーヴ(スイス)から、レンタカーで1時間あまり走っただけで行くことができるシャモニー・モンブランの山々です。
 気力、体力を振り絞る感じでスキーをしたのですが、なにせ仕事をしながらでもあり、そして、情けないことに山々のあまりの迫力に気押されて、おのれで納得できるような滑りは、ほとんどできませんでした。

 次回は、疲れをもうすこし取ってから、そして用具も、レンタルスキーじゃなくてエッジのちゃんと立っているスキーで、しっかり滑りたいです。ふひふひ。


追記 (下掲の、海外邦人のための講演について)

2013年01月14日 | Weblog

▼現在の予定では今回、アメリカには、このサンノゼ講演のためだけに行きます。
 ひょっとしたら0泊機中2泊。
 なんとか1泊機中2泊か、それ以上にしたいですね。


▼海外邦人のための講演は、これが最初で最後の、唯一の機会になる可能性もあります。
 独研(独立総合研究所)の財政状況としても、前後の日程の厳しさからも。


▼サンノゼは、アメリカ・カリフォルニア州のサンフランシスコ・ベイエリアの南岸です。
 シリコン・バレーの中枢の地域で知られていますが、アメリカでいちばん安全な都市とされ、温暖な明るいイメージがアメリカ国内でも浸透していると思います。

 アメリカでもっとも古くから日本人街のある街のひとつです。
 ロスやシスコに鉄道や車でスムーズに行けます。

がんばれ、邦人のみなさん、一緒に考えましょう、同胞(はらから)のみなさん

2013年01月14日 | Weblog


▼かねてから、海外で生きる邦人、同胞(はらから)のみなさんから、ぼくと独研(独立総合研究所)に熱い、志のある支援の声が届くことが、驚くほど多いのです。
 この、国際社会に出た日本人のみなさんは、ぼくと独研の日本、アジア、世界に対する考え、哲学、理念や、ぼくらなりのささやかな歩き方が、「むしろ国際社会の常識に沿っていると良く分かるようになりました」という声、あるいは「海外にいると日本を客観的に見ることができるから、祖国を思って心配でいてもたってもいられない」という声を、たくさん届けてくださるのです。
 そして、「青山さんの生の話が聴きたい」という声も、ずっと以前からずいぶんと来ています。


▼それになんとか応えようと、一度、ヨーロッパで講演会を企画したことがあったのですが、ぼくが大腸癌の告知を受け、手術となって、残念無念ながら中止となりました。
 ほんらいは延期だったのですが、現地で呼びかけや準備の労をとってくださったかたが、もう日本に帰国されたこともあり、この話はいったん、中止となっています。
 しかし、この企画があったからこそ、その期間、日本で仕事を入れていなくて、と言ってもわずか数日間ですが、ぼくは手術をすることができたのです。
 ぼくは決して、すなわち、、ありのままに言えば命のリスクを背負ってでも講演会のドタキャンをしない考えなので、この海外企画がまだ、企画途中だった幸運もあって、手術を手遅れにはならないうちに実行できて、いわば命を救われました。
 当時に努力してくれた邦人のかたがたに、あらためて、こころの底から深く感謝します。


▼さて、毎年12月に、サンフランシスコで開かれる世界最大級の、資源エネルギーを含めた地球科学の国際学会「AGU」(地球物理学連合)に、ぼくや独研・自然科学部長としての青山千春博士が参加し、メタンハードレートについて発表し続けてきたことを、ご存じのかたも多いと思います。
 その際に、アメリカ西海岸で結婚生活を送られているふつうの主婦のかたがたが、祖国を思って、ぼく、青山千春博士とちいさな会合を持つのが、このごろ定例化しています。

 その主婦のかたがたが中心になって、5月26日の日曜に、アメリカ西海岸のサンノゼで講演会ととバーベキュー懇談会を開くことがほぼ決まりました。
 往復の飛行機代も、現地の宿泊費なども、このふつうの主婦のかたがたにお願いすることはできませんから、独研の負担です。
 したがって、独研にとっては莫大な赤字です。
 しかし、今こそ、海外の法人のかたがたの志も集めて、祖国を立て直す時機だと考えます。

 できれば、アメリカ西海岸だけではなく、世界のいろんなところから集まっていただければと思います。
 もちろん、アメリカ西海岸の観光ついでに、日本からの参加も大歓迎します。


▼まだ詳細は決まっていませんし、もしも独研の厳しい財政状況がもっと悪化したり、国内で状況が急変したりすれば、変更になる可能性もまだ皆無とは言えませんが、できるだけたくさんのかたに、早め仁お知らせしておくために、あえて今回、書き込みました。

 続報を、どうぞお待ちください。


                  窓の外の、びっくりするぐらいの大雪をみながら、東京での独立講演会の直前に。


永遠のなかの新年 (すこし書き足しました)

2013年01月06日 | Weblog



みなさん、遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
いま、欧州危機のさなかにあるイタリアのミラーノ(ミラノ)にいます。
今回は、国際機関が集まるジュネーヴ(スイス)からヨーロッパに入り、フランス、イタリア、スイスを、レンタカーを運転し目まぐるしく行き来してから、ここミラーノに空路、入りました。

国内で、雪のあるところへ出張したときは、どんな無理をしてでも、どんなに短い時間でも、スキーもして帰京するのです。(おかげで、わりと最近に長野県で、スキージャンプで墜落して腰の骨を5本、折りました。腰に後遺症がないので、トラウマもなく、出張プラス無理無理スキーも継続です)

海外の今回ももちろん、仕事もしつつ、スキーをがんがん滑りました。ただし、国内でためにためた疲労もあって、おのれで納得のいく滑りはできなかったナァ。それに情けないことに、アルプスのあまりの荘厳さに身が縮んで、ろくに滑れないのです。
いつか、まったくスキーだけで長逗留して、アルプスの大斜面を克服したいですが…ま、すくなくとも当分は無理です。
胸の奥で、げんきな、新年です。


上の写真は、ミラーノ市内の古城にある、有名な紋章です。
古都ミラーノをかつて支配したヴィスコンティ家の遺したものですね。
力の象徴とされる青い蛇が、弱き者、なんと恐ろしいことに人間のこどもを呑み込むさまが描かれ、その右横には赤い剣です。

その通り、ヨーロッパ大陸はかつて、力と力の残酷なぶつかり合いの世界であり、国や公国や支配者がひしめきあっていました。
いわば、正直な紋章ですね。
それをEUという調和と助け合いの世界に変えていこうとすると、現在の、深い危機が新しくおとずれました。

日本の危機を考えるうえでも、ぼくなりのささやかな思索を深める出張になっています。

この年末年始は、ブログに書き残しておきたいことも沢山ありました。
いずれ、アップしましょう。
いまは、新しい原稿を書いています。ノンフィクション(論考)とフィクション(文学)の両方です。

ミラーノの歴史は、おおむね2600年ぐらいとされていますから、ちょうど、わたしたちの祖国の歴史とほぼ重なり合いますね。
その古きも古い、しかし感覚はとても新鮮な街に、夜明けが近づいています。
すこし寒いです。さきほど、半袖のTシャツのうえにフリースをかぶりました。

下の写真は、スイスのチューリヒ空港からアルプスを越えて、イタリアのミラーノ・マルペンサ空港に南下していく機内から山々に、ちいさな祈りを捧げていたときです。
この地味ブログを、わざわざ訪ねてこられるみなさんに、この一年、なによりも、なによりも健康がありますように。