Our World Time

連帯の幸福   (コメントの紹介を、書き加えました)

2010年09月25日 | Weblog

▼舞台劇「永遠の一秒」でのぼくの語りは、今夜9月25日土曜の夜の部で終わりました。
 明日9月26日日曜は、この語りが決まる前に決まっていた講演(松原青年会議所主催の講演会)のために大阪へ向かいます。

 そして、舞台劇そのものは、明日の日曜公演が、オーラス、最終公演です。

 先のブログで書いたように、ぼくと歴史観や戦争・平和観は違うのですが、ご覧になったかたは、満足そうな顔で帰られています。
 先のブログを読んだかたで、「じゃ面白くないのかな」というコメントを寄せられたかたがいらっしゃいますが、ごめんなさい、違います。誤解です。

 ぼくは歴史観や戦争・平和観が、ぼく個人の意見とは違うとだけ述べています。ハンドルネーム「ぎい」さんとも、歴史観などが一致しているのです。
 誤解があると、ブログを書くのをためらってしまいますが、何かを書けば、何かを発信すれば、必ず思いがけない誤解はありますから、ためらってはいけないですね。

 コメントを書かれたかたは、すでにチケットを買っていらっしゃるひとです。
 絶対、買ってよかったですよ。
 なにより、俳優さんたちの熱意に溢れた演技が、凄い。
 男優も女優も、若手もベテランも、主役も脇役も、有名俳優も新人俳優も、一切の区別なく、ほんとうに熱い演技を毎日、毎日、全力を尽くして見せてくれます。
 その俳優さんたちを支えるスタッフ陣、そしてすべてをまとめ切る監督とプロデューサー。
 その強烈な、日常の世界ではみることができないほどの連帯感に触れることができて、ぼくも幸福でした。
 観劇されれば、あなたもそれに触れることができます。

 そして頑張れ、「永遠の一秒」に集うて、想像も超えるような汗を流して練習して、明日の最終公演で、最後のすべてをぶつける俳優さんたち、支えるスタッフたち、畠山監督と高橋プロデューサー!


▼9月26日午前0時8分にいただいたコメントを紹介しておきます。
 コメントのなかに「たった今、観劇から帰った」とお書きになっています。つまり、ずいぶんと遠くから、ちいさな息子さんと来られたのですね。
 ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました。


有難うございました   2010-09-26 00:08:56

YK (※コメントには実名が書いてありました。ただ、今はコメントの公開を保留にしているから実名を書かれたのかも知れません。そこで念のため、イニシャルにしておきます)

本日たった今、「永遠の一秒」の観劇から帰ってきたところです。
きっかけは先生のこのサイトです。
若い作者の作品ですので、お決まりのパターンで期待を裏切られることを想定し、でも先生の語りということで多少の期待もあり行こうかどうしようかか迷っていたところ、中国漁船船長釈放で受けた強烈なフラストレーションに後押しされ、小学校3年生の息子とともに観賞させていただきました。
良かったです。
先生の登場の瞬間から感極まり、観劇中ほとんど涙が止まりませんでした。息子も飽きることなく最後まで楽しんでいましたし、私の涙に何かを感じもしたようでした。
伝えたいのに伝えられていなかったことが、少し伝えられたようです。
とにかく、本当によかったです。ありがとうございました。





▼ぼくは今夜、会場の「東京グローブ座」から、まっすぐ独研(独立総合研究所)へ向かい、容疑船長の放免という重大事態について、会員制レポートを力を尽くして書き、会員へ送りました。

 土曜の夜に配信するのも、ぼくなりの連帯の表明です。

 それぞれがそれぞれの現場で連帯し、やがてこの祖国に大きな連帯を生み出し、日本を甦らせたい。



歴史には転換点がある  (一部、手直しをしました)

2010年09月25日 | Weblog
 わられに屈服を強いる者どもよ、日本の現下の政治家や役人をいくらでも勝手に舐めてかかれ。
 しかし日本国民を、ゆめ、舐めるなかれ。



▼きのう西暦2010年、平成22年、皇紀2670年9月24日金曜日、夜7時05分過ぎ、ぼくは再び、舞台劇「永遠の一秒」の舞台袖に立ちました。

 そして語りの冒頭、こう述べました。
「みなさん、今日は日本にとって重大な、悔しいことが起きた日になってしまいました。日本の海である尖閣諸島の海で、日本が公正に逮捕した船長を、中国の圧力に負けて、屈服して、釈放を決めてしまいました。このドラマにも登場する若き特攻隊員が護ろうと戦ってくださった、日本が、これからどうなってしまうのか、その緊張感も持って、これからドラマを観ていただきたいと願います」

 もちろん、これまでの語りには、この部分はありませんでした。
 その分、語りが長くなり、舞台劇の監督をはじめとするみなさんには、迷惑をかけたのであろうと、きわめて心苦しく思います。
 しかし、観客のかたがたは、これまでをさらに上回る集中力で、この拙(つたな)い語りに、じっと耳を傾けてくださいました。その気配が、暗い舞台の袖に立つぼくに、ありありと伝わりました。


▼けさ9月25日土曜日、朝5時台に、ニューヨークで開かれた日本国内閣総理大臣 菅直人衆院議員の記者会見を、NHKの生中継で、観ました。
 冒頭に、船長釈放をめぐる質問が出ましたが、ある有力新聞(ブロック紙)記者による質問そのものもあまりに、ぬるく、総理の答えは、国民の怒髪天を突く怒りを、何ら理解していない答えぶりでした。

 しかし、予定通りにうまく答えたつもりの菅さんは、役人の作ったその答えの中に、重大な一句が含まれてしまっていることに、気づいていませんでした。
 その一句については、これから閣僚や政府当局者に取材を重ねてから、来週水曜の関西テレビの報道番組「アンカー」で、お話ししようと考えています。
 どの一句かを、今、もったいぶってこのブログに書き込まないのではありません。当事者の言い分などについて確認を重ねてからでないと、明らかにしないのが、ぼくのたいせつな原則だからです。


▼いまは午前9時を回りました。
 東京は、雨が上がりそうです。
 われら国民よ、立て、立とう。
 ゆっくりでいい、慌てないでいい、しかし確実に立とう。

 ぼくらには国家の青春があった。
 それは、倒幕の時代である。
 ふたたび倒幕の時代は来たれり。
 いち菅内閣のことを指すのじゃない。ぼくらの祖国の、永い歴史上のただ一度の敗戦と、その敗戦後の65年を、やがて根源から超克するために。


▼ふだんからぼくのささやかな発信に関心を寄せてくださるかたがたの中から、ぼくが語りを務めている舞台劇「永遠の一秒」を観に来てくださるひとが、増えています。

 そして感想の電子メールなどをいただき、ドラマの歴史観や戦争・平和観について、厳しい意見をかなりいただいています。
 ありのままに申して、その意見は、ぼくの個人的意見と一致する点が少なからず、あります。

 特に、ハンドルネーム「ぎい」さん、あなたの意見は、ほとんどぼくと同じです。いや、もっと正直に言いましょう。完璧に同じです。(きょうも懸命に演じる俳優たちのためにも、その意見の中身はここに記しません)

 その上で、あなたはメッセージの最後あたりに、こう記されています。
『今回の観劇体験では、自分の感性が世間様のそれと大きくズレていることを認識でき、かなり愕然としましたが、よい勉強になりました。』

 あなたの感性だけではなく理性は、ぼくと響き合っています。まったくズレていません。

 ぼくは先の書き込みにこう記しています。
『敗戦を終戦と表現していることを含め、ぼくとこの舞台劇は、戦争観・平和観、日本の歴史の見方は同じではありません。
 しかし、いのちを真摯に考え、突きつめていったら特攻隊員になった、という演出の畠山貴憲さんのありのままの述懐に思うところあり、生まれて初めて、舞台というものに、ごくささやかながら関わることになりました』

 この考えをぼくなりに貫いて、日程と時間の使い方について無理をして独研(独立総合研究所)の秘書室などに苦労をかけつつも、連日のように、舞台の袖に立っています。
 まずは、特攻の青年たちが、今のぼくらとかけ離れた存在ではなく、ごく身近な、ぼくらと直接に繋がっている存在である、それを、敗戦後の教育を受けて『あれは軍国主義の時代の狂った振る舞いだけだったんだ』と思い込んできた日本国民が、知ることが、出発点の一つになると信じるからです。


▼写真は、ぼくの語りに出てくる、アメリカ海軍の戦艦ミズーリの艦上で、撮りました。
 一枚は、とても有名な写真です。
 ミズーリに突入を果たす寸前の日本海軍の零式艦上戦闘機が画面左上にいます。
 そのミズーリの甲板上に、この写真が展示されています。それを撮りましたから、ミズーリのデッキなどが映り込んでいます。ウェブ上では、その写り込みはよく分からないですね。下の方には、他の展示パネルが映っています。
 この写真は、準備中の新刊「ぼくらの祖国」にも掲載するかも知れません。

 もう一枚は、突入した場所に立つ、日本人ガイドさんです(サングラスの男性)。
 この下に、ゼロ戦が遺した、小さな凹みがあります。
 背景は、かつて日本海軍のパイロットたちが目にした真珠湾の山です。







楽屋にて

2010年09月19日 | Weblog

▼いま9月19日日曜の午後2時45分。
 東京は高田馬場の劇場「東京グローブ座」の楽屋にいます。

 きのうから、舞台劇「永遠の一秒」の語りを務めて、きょうも午後の部(14時開演)の最初に、語りました。
 いまは夜の部(19時開演)に備えて、楽屋で、近く出版予定の「ぼくらの祖国」(扶桑社)の生原稿の直しと、補足執筆をしています。


▼ぼくの語りに台本はありません。
 打ち合わせも、ほとんどありません。

 きのう監督の畠山貴憲さんと、「台本なし、出たとこ勝負で行きましょう」と、打ち合わせただけです。
 ただ、畠山監督やプロデューサーの高橋匠さんをはじめとするスタッフ、そして俳優のかたがたが、なぜ、この舞台に深い熱意を持っているのか、なぜ、ほんとうに熱い思いで上演しているかについて、あらためてお聞きしました。

 そのうえで、ぼくが「語ろう」と決めたのは、19歳の特攻隊員が、アメリカ海軍の巨大戦艦ミズーリに遺した、ちいさな凹みをめぐることです。
 それは沖縄戦さなかのことでした。


▼当初の予定では、15分間の語りでしたが、監督のご希望で10分ほどになりました。正しい判断だと思います。長すぎてはいけません。

 ミズーリは、沖縄戦で、わたしたちの沖縄に砲弾を鉄の雨のように降らせただけではなく、日本が1945年の8月15日に降伏したあと、9月2日に、その甲板上で降伏文書の調印式があった戦艦です。

 しかし10分間で観客のかたに、伝えるべきを伝えるためには、ファクト・要素が多すぎてはいけないので、それには触れていません。
 いま、やはり触れるべきかな、どうしようかなと考えているところです。

 このように短い時間なのですが、観客のみなさん、そして誰よりも出演俳優のかたがたが真正面から、語りに込めた問いかけを受け止めてくださり、主演女優のおひとり(水野久美さん)は、ぼくに同行している独研(独立総合研究所)の秘書さんに「涙が止まらなくて…。演じる時に、これまで以上の力が出るようになりました」という伝言を残され、もうひとりの主演女優のかた(津山登志子さん)は、メイクさんによると、「大泣きしてしまったから、もう一度、メイクをお願い」と駆け込まれたそうです。

 ふだんの講演でも、10分間では、なかなか伝えきれません。
 ぼくの語りは、まさしく拙(つたな)いものに過ぎません。謙遜ではありませぬ。

 それなのに、意外なほどの反響があるのは、この、特攻隊員の青年3人が現代の日本にやって来るというドラマに、魂をかけて打ち込んでいる監督、俳優、スタッフのみなさんと、それから、決して派手ではないドラマを観ようと足を運んでくださる観客のみなさんのこころが、澄んでいるからではないかと、ぼくは胸の奥から思います。


▼写真は、花であふれた楽屋の廊下で撮りました。
 左端のぼくは、この格好で、語りを務めています。
 もちろん、ふだんのTV番組などと同じく、自前の服です。いつもは、ぼくは実はこういう格好か、ジーンズにTシャツです。

 まんなかは、独研の秘書室第一課(日程調整担当)のヨネ(米岡仁恵)。なんと元プロダンサーで、ふだんは日程調整をしているのですが、こういう舞台とか楽屋に慣れているので、今回は同行業務を果たしています。楽しそうです。
 右端は、楽屋でこまごましたことを担当してくれている、女優志望の井上ユリカさんです。よく気がついて、しかもさっぱりした眼のきれいな人。

 この舞台劇は、ほんとうに沢山の花が、俳優のかたがたや監督・スタッフに寄せられています。
 このなかに、ぼくへの花はもちろん、ありませんが、実は昨日、打ち合わせに来られた、あるFMラジオ局のかたが、凄く立派な花束を持ってきてくださいました。
 びっくりしました。
 みなさん、そう遠くない時期に、このFMラジオ局でじっくり語り、曲も選んでかける番組をスタートさせる話が進んでいます。


▼さて、この舞台劇「永遠の一秒」は、いまのところ、観客の数が少ないのが、正直、みんなの悩みです。
 もう一度、この下の書き込みを見ていただき、おひとりでも多くのかたがご覧になり、監督や俳優、スタッフのみなさんの志に報いていただけないでしょうか。
 

語りを始めます

2010年09月17日 | Weblog

▼先日にお伝えした「永遠の一秒」という舞台劇について、あらためてお話しします。
 いよいよ今日、9月17日金曜に、東京・高田馬場の東京グローブ座で上演初日を迎えます。

 これは、帝国海軍の銀河という悲運の爆撃機に乗り込んだ特攻隊員の青年たちが、現代にやって来るというドラマです。
 ぼくは、この舞台劇が始まるまえに、舞台の隅っこに上がって、語り役を務めます。10回ほど、上がります。
 語りの中身は、ぼくにほぼ、任されています。
 いつもの講演やテレビ番組と同じく、台本も何もなく、ありのままに魂に浮かぶままを語ろうと思っています。
 時間は、10分から15分ほどいただけるようです。語りとしては、決して短い時間ではありません。


▼今日の上演初日では、女優の斉藤慶子さんが、語りをなさいます。
 ドラマの主な舞台は宮崎県の特攻出撃基地で、斉藤慶子さんはその宮崎のご出身とのことです。

 ぼくの語りは、9月18日土曜から始まります。
 そこから19日日曜、20日月曜(祝日)と3日連続で務め、さらに23日木曜(祝日)から25日土曜まで再び3日連続で務めます。

 18日土曜と19日日曜は、午後2時開演の午後の部と、午後7時開演の夜の部があります。
 20日月曜は、午後の部だけで、夜の部はありません。
 23日木曜は、午後の部と夜の部いずれもあります。
 24日金曜は、夜の部だけで、午後の部はありません。
 25日土曜は、午後の部と夜の部いずれもあります。

 開場は、午後の部が1時半、夜の部が6時半です。
 
 チケットの購入方法など、詳細は、「永遠の一秒」公式ホームページhttp://www.eien-1.infoを、みてください。(独研では、チケットを扱いません)


▼9月9日に、この「永遠の一秒」の作者であり監督でもある畠山貴憲さんと、主演俳優のひとりの津山登志子さんと、ネットTV「青山繁晴.TV」(あおやましげはる・ドット・ティーヴイー)で楽しく鼎談(ていだん)しました。

 津山登志子さんは、高名で、きりりと美しい女優さんですが、それだけではなく、今は亡きお父さまが特攻隊員の生き残りであり、この舞台劇と不思議なご縁で結ばれているひとです。
 ネットTVはいつも、何の事前の打ち合わせもなく、作り・演出は一切なくやりますから、鼎談中にぼくはその事実を初めて知って、すこし頭のなかが真っ白になりました。
 津山登志子さんは、少女の時代には、父上のその特攻の話に反発していたそうで、お父さまから「なんとか13期」と聞いたのをおぼろげに覚えているそうです。

 ネットTVの収録中、ぼくは「海軍兵学校?いや、海兵なら13期では全然時代が合わない」と呟き、そして頭の中では「予科練だ。予科練13期ですね」と頭に浮かびながら、それを口にすることを忘れ、津山さんの引き締まったお顔に、特攻の白いマフラーを結んだお父さまの面影をただ探していました。

 いまアップされています。よければご覧ください。http://www.xn--rhtw6ui2tl3w.tv/


▼先日の書き込みの一部を以下に再掲します。

▽ニッポン放送が主催し、「がんばろう!宮崎」を掲げるMRT宮崎放送が後援する舞台劇、「終戦65周年平和祈念特別公演   永遠の一秒」に、ぼくも「語り」として出演します。
 この「永遠の一秒」は、特攻隊員を通じて、いのちそのものを考えるドラマではないかと、ぼくは思っています。
 敗戦を終戦と表現していることを含め、ぼくとこの舞台劇は、戦争観・平和観、日本の歴史の見方は同じではありません。
 しかし、いのちを真摯に考え、突きつめていったら特攻隊員になった、という演出の畠山貴憲さんのありのままの述懐に思うところあり、生まれて初めて、舞台というものに、ごくささやかながら関わることになりました。

 また、このドラマは、特別攻撃隊出撃基地のひとつになった帝国海軍の赤江飛行場(現・宮崎空港)を主要な舞台にしています。
 それに伴って、ドラマの収益の一部は、宮崎県の口蹄疫で重い被害を受けられた畜産農家への支援金として寄附されます。
 この点も、ぼくにとって大切なことです。

 主な出演は、塩谷瞬さん、伊嵜充則さん、住谷正樹(レイザーラモン)さん、中本賢さん、津山登志子さん、西尾舞生さん、千波丈太郎さん、ブラザートムさん、相楽清仁さん、原万紀子さん、水野久美さんです。
 語りは、女優の斉藤慶子さんと、ぼくです。

▽東京・高田馬場の東京グローブ座で上演されます。
 ぼくの出演日は、公演日のすべてではありません。9月18、19、20、23、24、25日の予定です。


▼このあいだ、9月13日の月曜に東北新幹線で宇都宮に向かいました。
 暮れなずむ車窓から、にほんの田園や街の息づくようすを眺め、そして 栃木県庁近くのホールで、4百人ほどの中小企業の経営者のかたがたに講演をしました。
 その2日前の11日土曜には、東海道新幹線で京都へ行き、京都から車で40分ほどのところにある立命館大学びわこ・くさつキャンパスで、これは千人ほどの中小企業の若手経営者に、お話ししました。
 いずれも民主党代表選を控えたタイミングで、中小企業のかたがたにお会いしたわけですが、若手役員からベテラン社長まで、日本経済の土台を預かる中小企業の責任者から、日本政治への焦燥や怒りを、ありありと感じました。
 政治に対してだけではなく、社会そのものの壊れ方に、深い不安を仕事や日々の生活のなかで感じておられることも、講演をしながら身近に感じました。

 わたしたちの祖国を甦らせるには、敗戦後の65年のあいだに思い込んだこと、思い込まされてきたことを正す、それが原点になると考えます。
 舞台「永遠の一秒」の語りでも、できれば、その目標を観衆のかたがたと共有したいですね。


 写真は、監督の畠山さんと、喫茶店で軽く打ち合わせをした時です。
 ほんとうに軽く打ち合わせただけで、畠山さんは、語りについて、ほとんどすべてをぼくに委ねてくれました。