Our World Time

あと何分

2007年08月27日 | Weblog



 ぼくが死ぬまで、あと何日?あと何時間?あと何分?

 ただ一度きりの、かくも短い命を、生きとし生けるものすべてと同じように終えて消え去るまで、ただ、ほんらいの目的、ほんらいの志に生きよう。





 

お答えします

2007年08月16日 | Weblog



 わたしは通常は、このブログの書き込みでの質問に直接は、お答えしません。
 しかし、わたしたちの日本国の名誉に関わることについては、すぐにお答えすべきだと思います。
 ですから、沖縄での旧日本軍の行動をめぐっての質問には、以下のようにお答えします。

             62回目の敗戦記念日の翌日、8月16日の未明4時36分


▼旧日本軍(帝国陸軍、帝国海軍)にも、護られるべき名誉は、確実に存在すると考えます。
 先の戦争に負けたからといって、旧日本軍がすべて悪者であったとする見方は、わたしたちが必ず克服すべき、間違った思い込みであると、これまでも講演やテレビ番組などを通じて主張してきました。

 たとえば硫黄島での日本軍の戦いは、敵であったアメリカ軍も称賛して、いまだにやむことのない、わたしたちの祖国防衛戦でした。
「慰安婦」をめぐっても、日本軍が女性を誘拐し連行したという指摘は、つくられた嘘であると考えます。


▼沖縄の旧日本軍の行動については、日本軍が組織だって沖縄県民を殺害したという説、それから、沖縄県民に対して明確な軍命として自決を命じたという説、いずれにも与(くみ)しません。

 ただ、まず県民殺害については、陸上自衛隊幹部学校の「沖縄作戦における沖縄島民の行動に関する史実資料」(1960年)、あるいは同じ幹部学校の「沖縄作戦講話録」(1961年)などの資料によって、将兵の一部が暴走した過ちとして県民殺害の事実があったと推量せざるを得ないと考えていました。

 わたしが、より明確に、兵の一部による暴走としての県民殺害を実感したのは、沖縄戦当時の住民によるスケッチを眼にした時です。

 これらの画を含む資料本は、那覇市のハーバービューホテルのツアーデスクの正面向かい側の書棚に、何気なく(つまり忘れられた存在として)置いてありました。
 たとえば、米軍の撒いたビラを拾った少女が、日本兵によって木にくくられ殺害される場面を目撃した住民が、描いたスケッチです。

 正直、頭を殴られた感がありました。
 沖縄戦をめぐって、わたしたち戦後生まれの日本国民が眼にすることのできる画像資料は、ふつう、アメリカ軍が撮影した写真や動画です。
 しかし旧日本兵(の一部)が住民に対して過てる行為をなすような場面は、アメリカ軍が撮影できるはずはありません。
 あるとすれば、目撃者が描いた絵、スケッチです。沖縄戦当時の沖縄の庶民に、カメラなどありませんから。

 目撃者の記憶がいつも正しいとはまったく限らないし、その記憶を絵にする時に、誇張が入る可能性も充分にあります。

 しかし、その時、現役の記者だったわたしは、そのスケッチが、ほぼありのままに描かれたものであるらしいという感触を、しっかりと感じました。
 それは、あの広島、長崎の一般庶民への原爆投下というアメリカの戦争犯罪によって、人間に何が起きたかを描いた目撃者たちのスケッチと、よく共通するものがありました。

 ハーバービューホテルのツアーデスクは、改装されて、いまはスケッチ集は置かれていないようですが、沖縄県内の図書館に行けば、同じものを閲覧することはできると思います。

 一方で、帝国海軍の沖縄司令官であった大田実少将は、自決のまえに東京の海軍次官にあてて「沖縄県民斯ク戦ヘリ。県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と、あくまで沖縄県民を護り、支え、思いやる訣別電報を打った指揮官であり、その県民を殺害する命令、あるいは命令に近いものを出したとは考えられません。

 また、帝国陸軍の第32軍(沖縄守備隊)司令官であった牛島満中将は、沖縄本島南部へ撤退したために民間人の犠牲を爆発的に増やしたと批判を浴びていますが、その批判は当たっているとしても、民間人を本島北部や本土へ避難、疎開させようと努力していた(ただし、わずかしか実現できなかった)指揮官であり、これも、県民殺害を命じたとは、およそ考えられません。

 したがって、沖縄県民の殺害は、一部の将兵の暴走であったと、わたしなりに判断しています。



 次に住民の自決について、今回、関西テレビの報道番組「アンカー」の沖縄ロケで取材した、白梅学徒看護隊の生き残りのかたは、「この手に、軍から、手榴弾を渡された。それが敵を攻撃するためのものだとは、まったく思わなかった。いざというときの自決用だろうと思いました」と語られていました。

 わたしは、この証言が真実だろうと思います。
 この生き残りのかたも、「自決せよという明確な命令だった」とはおっしゃっていません。いわば当時の暗黙の了解であったというニュアンスですね。
「生きたい、生きたいと言う沖縄県民に、日本軍が、いや自決せよと命じた」という一部の主張とは、ずいぶんと違うと考えます。

 同時に、日本軍の(命令ではなく)誘導は全くカケラもなく、沖縄県民が勝手に自決したのだ、16歳から17歳だった学徒看護隊の少女たちも、勝手に自殺したと、もしも仮定するなら、それは、わたしたちと同じ日本国民であるウチナンチュー(沖縄県民)の名誉を穢すことになります。


 なお、「アンカー」の番組のなかで、沖縄に九つあった学徒看護隊の生き残りの方々が那覇市内で集まられて、カメラに向かって集団自決について話されている場面は、わたしも、番組で初めて見ました。
 この取材に関しては、番組スタッフが独自に行ったもので、わたしが行った取材ではありません。
 ですから、わたしの主張を、あの場面が代弁しているのでは、まったくありません。
 わたしのコーナーといえども、わたしが自由に差配できるのではありません。

 それにしても、テレビ番組というメディアは、影響力が大きいのに、ほんとうに誤解を生みやすいメディアだと、あらためて痛感せざるを得ません。
 なによりも、時間が極めて、極めて限られていて、あの「アンカー」のわたしのコーナーは、テレビ番組としては異例とも言うべき恵まれた時間が与えられているのに、舌足らずの解説になって、哀しい誤解をも生みます。

 ただ、テレビ自体の責任よりも、やはりわたしの解説の仕方に責任があるとも今、考えています。
 わたしは、もともと、ひとりの物書きであり、充分に練って考えを伝えることのできる文章と、テレビメディアとは違いすぎるとは思います。
 しかし違うなら違うように接するべきであって、短い時間でも誤解なく言えることだけに話を絞り、ほんとうは伝えたいことであってもテレビメディアでは誤解も招きそうなものはあらかじめ諦めて出演するか、それとも、テレビ出演を一切、やめてしまうか、どちらかしかないなと、今、夜明けをみながら考えています。

 いずれにしても、視聴者、すなわちテレビをみている国民に責任があるのではなく、テレビ局と出演者に、誤解を生む原因があると考えます。



 わたしがテレビ番組では強い言葉で端的に述べ、今回の「アンカー」でもそうであったのは、『テレビの短い時間で、すべて理解されるのは、おのずから無理だ。せめて、ちいさな、しかしクリアな問題提起として、番組を見てくれたひとびとのうち、ほんの何人かの胸に残って、あの話は本当だろうか、自分で考えてみようかと、思ってくれるきっかけを作ることに徹しよう』という、わたしなりの決意があるからです。

 しかし、この考え方が正しいのかどうかをも含めて、おのれをもっと疑っていかねばなりませんね。


▼沖縄戦に、話を戻します。
 陸上自衛隊幹部学校発行の資料であれ、目撃者のスケッチであれ、白梅学徒看護隊の生き残りのかたの証言であれ、沖縄戦のある側面だけを伝えています。

 沖縄戦は、混乱を極めた戦いであっただけに、戦闘地域はそう広くないにもかかわらず、数限りない違う局面、違う現実があったと思います。

 だから、どこまでも類推ではありますが、わたしは上記のような理由から、旧日本軍の一部による過ちとしての住民殺害はあったと、わたしの主張としては、判断します。


▼そのうえで大切なことは、わたしたち主権者の財産である自衛隊は、その旧軍の問題を克服してきた軍事組織であることだと思います。

 わたしたちは、巨大な矛盾を抱えつつも…たとえば主権国家の軍事組織として、世界で唯一、ポジティヴ・リスト、すなわち『これだけはしても良いが他のことは全部ダメ』というリストを持たされ、国際法が認めるネガティヴ・リスト、すなわち『捕虜を殺害するなどの行為だけはしてはならないが、それを除けば、祖国と国民を護るためにはすべてできる』というリストを持つことが自衛隊だけには認められていない問題がありつつも、それなりに自衛隊を育んできました。

 その過程に、沖縄戦での問題の克服もあったと思います。
 だからこそ、陸上自衛隊の幹部学校の資料に、痛切な事実認定もあるのではないでしょうか。

 わたしが社長を務めるシンクタンクの独立総合研究所は、陸上自衛隊のAGS(高級幹部課程)の大佐(一佐)と中佐(二佐)を論文作成の研修生として、無償で受け入れていますが、この志が共通するからです。

 2001年9月11日の同時多発テロの直後、自衛隊による重要施設の警備が討議されたとき、戦前生まれの元官房長官が「自衛隊は国民に銃を向けるのか」と発言して反対し、それもあって結局は、実現しませんでした。

 自衛隊がインフラや皇居を警備するとき、銃を向けるのは、テロリストに向かってであって、国民に対してではありませんから、事実認識として間違っています。
 しかし、より根本的な問題は、この実力派政治家が、ほんとうは旧軍と自衛隊の区別がついていない、すなわち、われらの民主主義を信じていないことにあると思います。

 こうした根深い問題を克服するためにも、沖縄戦の問題を、まっすぐに見つめ直して、それによってむしろ自衛隊をさらに育んでいくことが大切ではないでしょうか。


▼そして、わたしは自衛隊をいずれ、日本国民軍にすべきだと信じます。

 わたしは記者時代から、防衛庁(当時)で幹部研修の講師を始め、満13年になろうとする今も、変わらずに務めています。

 その13年前の最初の講義で、「防衛庁はいずれ防衛省になる。放っておいても、必ずなります。しかし、防衛省になった、その時は、もはやマスコミが悪い、政治家が悪いという言い訳はできません。みずから国民に発信できるよう、備えてください」と語りました。
 また、「自衛隊は、国民軍になるべきです。これは放っておいては、決してそうならない。国民が主権者として、みずからそう決断するように、防衛庁・自衛隊も努力せねばなりません」とも語りました。

 すると、前者の話には、受講者、つまり防衛庁の幹部になったばかりの方たちから、「省になんか、なるはずはない。部外者が何を言ってる」と失笑が漏れ、後者の話に対しては、研修を担当する防衛庁官房秘書課に「あの講師は右翼だ。やめさせろ」と求めた人がいたのです。

 日本国は、世界の主要な民主主義国家で唯一、国民合意による国民軍を持ったことが一度たりともない国です。
 明治維新という近代革命で、国民軍を持つのではなく、天皇の軍隊を持ちました。
 そこがフランス革命後のフランス軍、独立革命後のアメリカ軍などと違うところです。
 その天皇の軍隊が大敗し、そこで国民軍を創るのではなく、自衛隊を持ちました。

 自衛隊は、アジア屈指の優秀な軍事組織ですが、軍法会議を持たない限りは、国際法が認めるところの主権国家の軍隊とは言えません。
 日本は長い歴史の国でありながら、まだ一度も、国民合意に基づく国民軍を持ったことがない、それを初めて持ちましょう、すなわち本物の国民国家になりましょうと訴えるのが、どうして右翼でしょうか。

 わたしは、左右両翼からぼろくそに叩かれていますが、それはやむを得ません。
 わたしが、ささやかなりに選んだのが、まっすぐ真ん中から、この祖国を見直すという姿勢だからです。

 沖縄戦の問題も、いずれ論争を超えて、国民の総意として「沖縄戦をも、まさしく克服し、それが少なからぬ沖縄県民にも理解される、わたしたちの国民軍を誕生させよう」というきっかけになればと、わたしは胸の内で切に願っています。


▼番組に登場していただいた、白梅学徒看護隊の生き残りのかたは、「TVタックルの大ファンで、いつもみているんです」と何度も話されていました。

 タックルは、いわゆる「左」の番組ではありませんが、そうなのです。
 わたしは、たとえば中国が沖縄に領土的野心を持っているという現実に、きちんと向かいあわれているのだなと感じて、内心で、とても嬉しく思いました。

 このことも「アンカー」で話したかったのですが、きのうの生放送で話しただけでも時間をたいへんに超過して、ディレクターからはCMのあいだに「あとの話は短くしないと、番組全体が壊れてしまいます」と警告されました。

 番組に出る以上は、限られた時間内で、誤解をなるべく生まずに、視聴者に伝わるべきを伝えるのは、出演者の責任ですから、ディレクターの警告はやむを得ないことです。

 このブログに質問をいただいたかたのおかげで、こうして、番組で言い足りなかったところを、ほんのいくらかは、補うことができました。
 見知らぬあなたに、感謝します。

 いま朝の6時40分になりました。
 この疲労のなかで徹夜はきついですが、すこし、お話できて、よかったです。