▼ある男性の名前のかたから、このような書き込みを、個人ブログにいただいています。
そのまま何も変えずに、全文を引用します。
~以下、引用~
独研のレポートの方に先に義理を果たすという考えは理解できます。ですがこちらのブログでも、私を含め数多くの方が心配し経過を知りたいという気持を持った方が日々訪れていると思います。もうそろそろこちらのブログでの義理も果たして頂きたいと思うのですがいかがでしょうか。
検診結果を聞くとこをここで書き込み、その結果をここに書き込むと発言した以上、それを待ってる方々が多数いるということも忘れないで欲しいのです。それはもちろん好奇心などでは無く、ただ心配しているだけなんです。青山さんが多忙な日々を過ごしておられるのは存じてますが、よろしくお願いします。
~引用、ここまで~
▼先週の火曜(1月11日)朝に、都内のある大病院で、まず内科医の最終診断を受け、その週の金曜(1月14日)朝に、同じ病院で外科医の診断を受け、それが本当の最終診断となりましたから、その日から、会員制レポートの仕上げに入っています。
同時に、別の原因で(※インフルエンザではありません)、夜に42度の高熱を発し、しかし翌日の責任をすべて果たすために、午前4時半には熱を下げ(実際に下がり)、一日中、一切の日程(仕事)を、まったくふだんと劣ることのない水準でやり切るよう努め、夜になると再び40度を超える熱を発し、翌朝にはまた下げて、日程をこなしていく。
今、こういう生活を送っています。
たとえば、前述したように外科医から最終診断を受けた1月14日金曜日、その日を例にとれば、その病院では診断のあと、さまざまな緊急検査と手続きがあり、想定よりずっと長い時間をとられてから、都内で開かれていた内閣府の原子力政策・新大綱策定会議へ向かいました。
策定委員のひとりとして、意見を必ず言うべきだと考えていましたから、会議終了前にちゃんと着かねばなりません。病欠にはしません。
独研(独立総合研究所)には運転手さんを雇うお金がありませんから、自分で運転して向かい、はやる気持ちを抑えつつ急げる範囲で急ぎ、どうにか間に合い、信ずるところにしたがって意見を述べ、そこから独研の本社に戻り、TBS系列(毎日放送制作)の「知っとこ」の内閣改造についてのコメント撮りを予定通りやり、終わると即、品川駅に向かい、新幹線によたよたと乗り込み、雪の積もった米原で、在来線にずるずる這うように乗り換えて京都府の福知山に入り、いろんな方と挨拶をしっかり交わし、全力で講演を始め、講演時間を延長しているうちに、すでに高熱を発しつつ、おのれでもどうにか納得できるレベルの講演には仕上げて、講演後に、訪ねてきてくださった方々と少しでもお話をし、ビジネスホテルの部屋に戻ると、ホテルで借りた体温計では計測不能の高熱に達し、この間、新幹線と在来線の車内でレポートの仕上げを続け、しかしホテルの部屋ではパソコンに向かおうとしても、どうにも無理で、ひたすら体温を下げて、翌日の日程・仕事の責任を万全で果たせるように努め、明けた土曜日の午前4時半ごろに熱が下がったことを確認し、これで今日の責任を果たせると、こころの底から喜び、無理にでも朝食を腹に押し込んで体力を維持し、朝まだ早い時間に再び、電車に乗り、かなりの時間をかけて、滋賀県の甲良町に着いて、力を尽くして、拙(つたな)いながら下手くそながら講演を致し、また電車に乗って大阪に向かうとき、強烈な高熱が突如、噴き出し、大阪に着いたら、奇跡のようになんとか熱を下げて、テレビ大阪の「たかじんnoマネー」という番組の収録を、ろくな出来ではないにしろ元気に終えて、最終便の飛行機に、へたり込むように乗って、自宅のドアを開けた、ほとんどその瞬間に、またどっと高熱が噴き出し…。
…たった今、この瞬間まで、このところ連日連夜ずっと、この繰り返しです。
そのなかに、水曜日の関西テレビ「アンカー」の生放送も、いつもの通りありました。
いったん引き受けた仕事は、いかなる私事があっても(事前の連絡で調整できるものは別として)穴を空けません。ドタキャンは、しない。
そして、ただ日程をこなすのではなく、ふだんと劣ることなくベストの結果が出せるように、力を尽くしきります。
しかし、ぼくはごくふつうの人間ですから、この状態では、レポートなどの仕上げに、時間は、いつもより、ずっとかかることになります。
会員に配信するレポートの質は、決して下げません。そのためには、時間だけは、どうしても、いつもより異常にかかってしまいます。
だから会員制レポートの会員にも、まだレポートが配信できず、報告ができていません。
書き込みをされた方は、「レポート会員にはとっくに報告していながら…」という前提でいらっしゃるようですが、うーむ、それは、ごめんなさい、違います。
忘れないで欲しい、そう書かれています。
ぼくが、忘れますか。
もちろん100%の善意で書いていらっしゃいます。それは、よーく伝わってきます。だから、お気持ちに、深く感謝します。
あなたのお名前(ないしハンドル・ネーム)も永遠に出しません。
ただ、事実に反する書き込みは、ぼくや独研の名誉を、丸々の嘘で貶(おとし)めようとする書き込みがこの個人ブログに来るだけではなく、有名サイトをも含めてネット上に山のようにあります。
ぼくを真心から心配してくださる方々にだけは、事実を踏まえていただきたく思います。
だから、ありのままにお伝えしました。
ぼくが休むとしたら、あらかじめ、一切の日程・仕事を入れないようにしてから、休みます。
今のところ、それは全く考えていません。
祖国と英霊と沖縄の少女たちに対する責任を、まだまだ、ほとんどろくに果たせていないからです。謙遜ではありませぬ。
静かな黒い夜の赤い高熱も、そのうち必ず、呆れ果てて退散します。
最後にひと言だけ申せば、いま健康上の最大の課題になっていることについても、やがて前述の外科医の執刀で手術をしますが、わずか1週間で退院し、そのまま日程・仕事に戻ります。
この信頼すべき外科医によると、それで完治です。
ご心配は要りませぬ。
▼今夜、高齢者大学・大学院での講演や、公共事業体とのシンクタンク社長としての協議を終えて、羽田空港から帰宅すると、PHPから「日中の興亡」が届いていました。
1月31日付で、第5刷が発刊されるためです。
出版社はこうして、増刷になると、そのうちの1冊を記念のためなのか、贈ってくれます。うれしい心遣いですね。
そして同じPHPから出版した「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」は一足先の1月27日付で第6刷が発刊されます。
いずれも少ない部数の増刷ですから、すぐに姿を消す(無くなる)かも知れませんが、それでも5刷、6刷が書店やネット書店に出るのは、もの書きとして夢のようです。
扶桑社から出す「ぼくらの祖国」は、ぼくの入院騒ぎで、また予定(1月末)より遅れてしまいますが、この経験こそが、文章をより澄ませて仕上げさせてくれると考えています。
お待たせして、こころから、ごめんなさい。
そのまま何も変えずに、全文を引用します。
~以下、引用~
独研のレポートの方に先に義理を果たすという考えは理解できます。ですがこちらのブログでも、私を含め数多くの方が心配し経過を知りたいという気持を持った方が日々訪れていると思います。もうそろそろこちらのブログでの義理も果たして頂きたいと思うのですがいかがでしょうか。
検診結果を聞くとこをここで書き込み、その結果をここに書き込むと発言した以上、それを待ってる方々が多数いるということも忘れないで欲しいのです。それはもちろん好奇心などでは無く、ただ心配しているだけなんです。青山さんが多忙な日々を過ごしておられるのは存じてますが、よろしくお願いします。
~引用、ここまで~
▼先週の火曜(1月11日)朝に、都内のある大病院で、まず内科医の最終診断を受け、その週の金曜(1月14日)朝に、同じ病院で外科医の診断を受け、それが本当の最終診断となりましたから、その日から、会員制レポートの仕上げに入っています。
同時に、別の原因で(※インフルエンザではありません)、夜に42度の高熱を発し、しかし翌日の責任をすべて果たすために、午前4時半には熱を下げ(実際に下がり)、一日中、一切の日程(仕事)を、まったくふだんと劣ることのない水準でやり切るよう努め、夜になると再び40度を超える熱を発し、翌朝にはまた下げて、日程をこなしていく。
今、こういう生活を送っています。
たとえば、前述したように外科医から最終診断を受けた1月14日金曜日、その日を例にとれば、その病院では診断のあと、さまざまな緊急検査と手続きがあり、想定よりずっと長い時間をとられてから、都内で開かれていた内閣府の原子力政策・新大綱策定会議へ向かいました。
策定委員のひとりとして、意見を必ず言うべきだと考えていましたから、会議終了前にちゃんと着かねばなりません。病欠にはしません。
独研(独立総合研究所)には運転手さんを雇うお金がありませんから、自分で運転して向かい、はやる気持ちを抑えつつ急げる範囲で急ぎ、どうにか間に合い、信ずるところにしたがって意見を述べ、そこから独研の本社に戻り、TBS系列(毎日放送制作)の「知っとこ」の内閣改造についてのコメント撮りを予定通りやり、終わると即、品川駅に向かい、新幹線によたよたと乗り込み、雪の積もった米原で、在来線にずるずる這うように乗り換えて京都府の福知山に入り、いろんな方と挨拶をしっかり交わし、全力で講演を始め、講演時間を延長しているうちに、すでに高熱を発しつつ、おのれでもどうにか納得できるレベルの講演には仕上げて、講演後に、訪ねてきてくださった方々と少しでもお話をし、ビジネスホテルの部屋に戻ると、ホテルで借りた体温計では計測不能の高熱に達し、この間、新幹線と在来線の車内でレポートの仕上げを続け、しかしホテルの部屋ではパソコンに向かおうとしても、どうにも無理で、ひたすら体温を下げて、翌日の日程・仕事の責任を万全で果たせるように努め、明けた土曜日の午前4時半ごろに熱が下がったことを確認し、これで今日の責任を果たせると、こころの底から喜び、無理にでも朝食を腹に押し込んで体力を維持し、朝まだ早い時間に再び、電車に乗り、かなりの時間をかけて、滋賀県の甲良町に着いて、力を尽くして、拙(つたな)いながら下手くそながら講演を致し、また電車に乗って大阪に向かうとき、強烈な高熱が突如、噴き出し、大阪に着いたら、奇跡のようになんとか熱を下げて、テレビ大阪の「たかじんnoマネー」という番組の収録を、ろくな出来ではないにしろ元気に終えて、最終便の飛行機に、へたり込むように乗って、自宅のドアを開けた、ほとんどその瞬間に、またどっと高熱が噴き出し…。
…たった今、この瞬間まで、このところ連日連夜ずっと、この繰り返しです。
そのなかに、水曜日の関西テレビ「アンカー」の生放送も、いつもの通りありました。
いったん引き受けた仕事は、いかなる私事があっても(事前の連絡で調整できるものは別として)穴を空けません。ドタキャンは、しない。
そして、ただ日程をこなすのではなく、ふだんと劣ることなくベストの結果が出せるように、力を尽くしきります。
しかし、ぼくはごくふつうの人間ですから、この状態では、レポートなどの仕上げに、時間は、いつもより、ずっとかかることになります。
会員に配信するレポートの質は、決して下げません。そのためには、時間だけは、どうしても、いつもより異常にかかってしまいます。
だから会員制レポートの会員にも、まだレポートが配信できず、報告ができていません。
書き込みをされた方は、「レポート会員にはとっくに報告していながら…」という前提でいらっしゃるようですが、うーむ、それは、ごめんなさい、違います。
忘れないで欲しい、そう書かれています。
ぼくが、忘れますか。
もちろん100%の善意で書いていらっしゃいます。それは、よーく伝わってきます。だから、お気持ちに、深く感謝します。
あなたのお名前(ないしハンドル・ネーム)も永遠に出しません。
ただ、事実に反する書き込みは、ぼくや独研の名誉を、丸々の嘘で貶(おとし)めようとする書き込みがこの個人ブログに来るだけではなく、有名サイトをも含めてネット上に山のようにあります。
ぼくを真心から心配してくださる方々にだけは、事実を踏まえていただきたく思います。
だから、ありのままにお伝えしました。
ぼくが休むとしたら、あらかじめ、一切の日程・仕事を入れないようにしてから、休みます。
今のところ、それは全く考えていません。
祖国と英霊と沖縄の少女たちに対する責任を、まだまだ、ほとんどろくに果たせていないからです。謙遜ではありませぬ。
静かな黒い夜の赤い高熱も、そのうち必ず、呆れ果てて退散します。
最後にひと言だけ申せば、いま健康上の最大の課題になっていることについても、やがて前述の外科医の執刀で手術をしますが、わずか1週間で退院し、そのまま日程・仕事に戻ります。
この信頼すべき外科医によると、それで完治です。
ご心配は要りませぬ。
▼今夜、高齢者大学・大学院での講演や、公共事業体とのシンクタンク社長としての協議を終えて、羽田空港から帰宅すると、PHPから「日中の興亡」が届いていました。
1月31日付で、第5刷が発刊されるためです。
出版社はこうして、増刷になると、そのうちの1冊を記念のためなのか、贈ってくれます。うれしい心遣いですね。
そして同じPHPから出版した「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」は一足先の1月27日付で第6刷が発刊されます。
いずれも少ない部数の増刷ですから、すぐに姿を消す(無くなる)かも知れませんが、それでも5刷、6刷が書店やネット書店に出るのは、もの書きとして夢のようです。
扶桑社から出す「ぼくらの祖国」は、ぼくの入院騒ぎで、また予定(1月末)より遅れてしまいますが、この経験こそが、文章をより澄ませて仕上げさせてくれると考えています。
お待たせして、こころから、ごめんなさい。