将棋巌流島決戦 団鬼六『果たし合い』で読む、伝説の真剣師 小池重明の晩年

2017年05月29日 | 将棋・雑談
 団鬼六『果たし合い』を読む。
 
 鬼六先生といえば、SMなどポルノ小説の大家であるが、私としては将棋ファンとしてのイメージの方が強い。
 
 今はなき『将棋ジャーナル』のオーナーになったり(その後大赤字を出して廃刊)、戦時中、捕虜になったオーストラリア人兵と、将棋を通じて交流したことを描いた『ジャパニーズチェス』。
 
 非業の死を遂げた森安秀光九段との思い出をつづった『牛丼屋にて』など、将棋を題材にしたエッセイに名作が多いのだ。
 
 団先生の語りには、独特の人情味があるが、その魅力を先生と交流の深かった先崎学九段はこう語っている(改行引用者)。
 
 

 団さんという人は、失敗した人間、寄り道や回り道をする人間に対して、異常なまでに寛容なところがある。
 
 それは、職業からくる気質というよりも、個人的な嗜好からきているような気がする。
 
 また、そのようなタイプの人間に頼られると、絶対に無下にはできない。

 
 
 といわれると、涙もろい人なのかといえば、そうでもなく、
 
 

 その情けのかけ方も独特であって、人情にほだされてというのとはちょっと違い、相手の人生に、ちょっとだけ付き合ってみるかという感じで、遊び心があふれていて、だから湿っぽくならない。

 
 
 その情でもなく理でもなく、「遊び心」という独特のスタンスが団先生の魅力である。
 
 そんな団先生による将棋エッセイの傑作といえば、名作『真剣師 小池重明』の元となった『果たし合い』であろう。
 
 賭け将棋を生業にし、アマチュアながらプロ相手に勝ちまくった、伝説の真剣師小池重明とのやりとりを描いたものだが、これがめっぽうおもしろい。
 
 この小池重明という人は、将棋の腕は一流だが、人としてはまったくダメダメであった。
 
 大酒飲みの博打好きと、これだけでもそこそこ問題なのに、加えて(へき)のようなものがあり、人生で重大な局面を迎えると、かならずといっていいほど、女とかけおちをしてしまうのだ。
 
 その際、人のお金も持ち逃げする。立派な犯罪である。
 
 そんなことをしていて、まともな生活などできるはずもなく、金もなくし、女も逃げ、もこわしてしまう。
 
 そうして尾羽打ち枯らし、頭を下げやりなおすことになるのだが、やはり同じことをくり返して遁走
 
 その「生き方下手」ぶりには、読んでいて
 
 「なんでそーなるの?」
 
 100万回くらい、欽ちゃんごとくツッコミを入れたくなる。まるで、西原理恵子さんのマンガみたいだ。
 
 ところがこの「ダメのフルコース」ともいえる小池重明が、将棋だけはおそろしく強いのだか、なんともすさまじい。
 
 プロを、それも並のそれでなく、田中寅彦中村修森雞二といった、のちのタイトルホルダーになる一流どころをも、次々と破ってしまう。
 
 その戦いぶりも破天荒極まりなく、二日酔いを迎え酒のビールでいさめながらアマチュア名人になったり。
 
 徹夜で飲み明かし、トラ箱にぶちこまれながら、そこから出てすぐ大山名人との対局(角落ち戦)に駆けつけ勝ったりする。
 
 その強さは、アマチュアながら、

 
 「特例で、プロにしてもいいのでは」

 
 という声が出たほどのものだが、このときもやはり、お世話になった人を裏切って女とかけおちし、ご破算にしてしまう。
 
 なにをやってるんや……。
 
 そんな小池の生き様を物語にしたのが団鬼六先生であり、そのもっともな関わりの時期が、『果たし合い』で書かれている。
 
 その圧倒的な力にもかかわらず、数々の不始末で将棋界から追放された小池は、すべてを失い、ボロボロの状態で団邸をおとずれる。
 
 そこで言うことには、
 
 
 

「将棋指南に、やとっていただけませんか」

 
 
 これには団先生も、大いにあきれることに。
 
 これまで散々、小池重明は人に迷惑をかけてきたわけだが、その被害者の中に先生もふくまれていたからだ。
 
 それを今さら「やとってくれ」とは、どの口が言うてるねん、と。
 
 はねつけてしまうのは簡単だが、団先生は思うところがあったのか、ここに、こんな提案をすることになる。
 
 

 「こちらが用意する刺客を倒せれば、やとってやろうではないか」

 
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
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