クレーコートの王者といえばトーマス・ムスターである。
テニスの世界には土のコートで無類の強さを発揮する「スペシャリスト」が存在する。
彼らのことを知りたければ、フレンチ・オープンの歴代優勝者のリストを見れば話が早く、9度(!)の優勝を誇るラファエル・ナダルや、やはり3度優勝のグスタボ・クエルテン。
その他カルロス・モヤ、フアン・カルロス・フェレーロ、セルジ・ブルゲラなど主にスペインの選手が目立つわけだが、私が個人的に
「クレーの王者」
と聞いて思い浮かべるのは、世代的にトーマス・ムスターだ。
ムスターは1980年代後半から、90年代にかけて活躍したオーストリアの選手。
クレーコーターらしいタフなプレースタイルと、サウスポーから繰り出されるパワフルなフォアハンドが持ち味だった。
トーマス・ムスターと聞いては、まず、あの悲惨な事故のことからはじめなければなるまい。
1989年のリプトン国際で、トーマスはトーナメントの山をかけ上がり、準決勝でフレンチ・オープン優勝経験もあるヤニック・ノアを破って決勝に進出する。
だがそこに、まさかの悲劇が待っていた。
試合を終えたほんの数時間後、トーマスは酔っぱらいの運転する車にはねられて、脚を負傷してしまうのだ。
当然、イワン・レンドルが待ち受ける決勝戦は不戦敗に。
いや、それどころか想像以上の大ケガであり、ツアーから長期の離脱を余儀なくされたのである。
半年近くコートに立てないこととなったトーマスは、回復どころか、選手生命の危機ともささやかれたが、ここからコート上で見せる以上の、不屈の闘志を発揮し周囲をおどろかせることになる。
車いす生活を送りながらも、カムバックにそなえ上半身だけでトレーニングを行った。ラケットを握って、腕だけで貪欲にボールを打ち続けた。
試合や練習でのケガならともかく、愚かな酔っぱらいの過失だ。あまりにもバカバカしい人生の不条理。
並の精神なら、自らの運命を呪い、やけっぱちになってもおかしくないというのに、トーマスはそれを受け入れた。
そしてただ、黙々と練習とリハビリに打ちこむのだ。
泣き言を言っても仕方がない。なげいて歩みを止めれば、その分時間を無駄にするだけ。
だったら、すぐに回復のため努力するのが正解なのは道理だ。
もちろん、理屈ではそうであろうが、人間なかなかそう簡単に割り切れるものでもないはずだ。
だが、トーマスはそれをやり遂げた。
彼はその疲れを知らないテニスのスタイルでもって
「ターミネーター」
「ダイ・ハード」
あるいは怪物並のタフさから
「ムンスター」
などと呼ばれたものだが、それはただ彼がコート上で強かっただけではなかったのだ。
静かな努力が花開いて、トーマスは見事にコート上に返り咲く。
いや単に戻ってきただけではない。より強く、よりタフになって帰ってきた。
彼はその年、第一線から遠ざかっていた鬱憤を晴らすようにフレンチ・オープンでベスト4に進出。
その他の大会でも、離脱前におとらぬプレーを披露し、見事1990年のATPカムバック賞を獲得するのだった。
(続く→こちら)