「どんな大差の将棋でも、一回はチャンスが来るんですよ」
そんなことをいったのは、藤井猛九段だった。
前回は、羽生善治九段が「七冠ロード」で見せた絶妙手を紹介したが(→こちら)、今回はそのライバルたちの熱局を。
将棋を観ていると、ときに一方的な内容で、終わってしまうことがある。
相手の研究にハマってしまったり、ポカがあったり。
はたまた一昔前の相矢倉や角換わり腰掛け銀なら、先手が攻めまくって一回も反撃のターンが回ってこない「後手番ノーチャンス」(これは観ていて切ない)といったパターンがあるが、そんなサンドバッグ状態でも終盤戦で一度は、
「あれ? これキタんじゃね?」
そう座りなおす瞬間があるというのだ。
たしかに将棋は「逆転のゲーム」と言われるくらいだし、かの羽生善治九段も、最後まで正確に指しての完璧な将棋は、年に1、2回あるかないかくらいだと語っていた。
もっとも、藤井九段は続けて、
「でも、そういうとき、ずーっと不利な局面を耐えて疲れちゃってるから、逃しちゃうんだよねえ」
そう苦笑いをされてましたが。
「将棋は優勢な時間が長い方が勝つ」
とは、たしか升田幸三九段の言葉だったが、それは精神的な疲労度の差が大きいということにくわえて、不利な方は時間も使うから、だいたい秒読みになっていることもあるのだろう。
今回は、まさにそんな藤井説を実証するような一戦を紹介したい。
1990年の天王戦。
決勝に進出したのは、森下卓六段と阿部隆五段であった。
新鋭同士のフレッシュな対決は、森下先手で相矢倉に。
この年、新人王戦で棋戦初優勝を果たし、「準優勝男」なる不名誉なあだ名を返上した森下は絶好調で、関西のエース候補である阿部相手に序中盤を押しまくって優位に立つ。
ただ、この将棋の観戦記を担当した先崎学五段によると、
「なにか見ていて、危ないぞ、という感じがあった」
堅実が売りの森下なのに、ちょっと勢いがよすぎると。
その懸念は当たった。
打たれっぱなしで、完封負けのピンチに立たされた阿部だが、森下に軽率な手が出て、目がキラリと光る。
森下の▲45桂が、調子よさげで疑問手だった。
筋の良さでは逸品の阿部から、すかさずカウンターが飛んでくる。
△66歩が「敵の打ちたいところに打て」の鋭手。
森下はこの手を軽視していた。
こうたたかれるなら、▲45桂では先に▲66桂と打っておけばよかった。
△63銀とさせてから▲45桂とすれば、後手に指す手はなく、ノーヒットノーラン級の完封だったのだ。
わずかな、ほころびを見逃さなかった阿部が、急激に追いこんでいく。
森下はあせったか、らしくない激しい攻めでせまるが、これがまずかった。
むかえた最終盤。後手の△85桂の王手に、▲87玉とかわしたところ。
森下の当初の予定では、△85桂には▲76玉で勝ちと見ていた。
だが、それには△75歩と打って、▲同金には△49角の王手飛車。
▲75同玉には、△64角打という筋で、なんと先手玉は詰んでしまうのだ!
▲76玉、△75歩、▲同玉、△64角打の図
秒読みの中、ギリギリでそれを察知した森下は、とっさに▲87玉とよろけたが、ここで阿部に、まさに「一瞬の大チャンス」がやってきた。
ここは△77金と打ち、▲86玉に△31角という必殺手があった。
先手玉の眉間を射抜く、あざやかなレーザービーム!
これで先手は、攻めの要駒である▲53の成桂が助けられず、まさかの逆転。
阿部は秒に追われて発見できず、△72飛と逃げたが、これではいけない。
▲83銀と打って、ピンチを脱した森下が、新人王戦に続いての棋戦優勝。
それも全棋士参加型の、ビッグタイトルを手に入れたのだった。
最後は相当おもしろい終盤戦だったが、これぞまさに藤井九段のいう内容。
どんな不利な将棋でも、なぜか最後にワンチャンスが来る。
でも、辛抱し続けて疲れているから、逆転の手を指すことができない。
△31角の筋も、阿部の実力をもってすれば、平時なら見えた手順かもしれないが、完封されそうなのを耐え抜いての秒読みでは、ちょっとむずかしかったのだろう。
森下だって油断したわけではなかったろうが、まさか圧勝のはずの裏に、こんなすごい絶妙手がかくされていたとは思いもしなかったろう。
まったく、将棋とはおそろしいゲームである。
(屋敷伸之の史上最年少タイトル獲得編に続く→こちら)