前回の続き。
郷田真隆九段と言えば、その実力にもかかわらず、挑戦者決定戦での勝率が悪い。
そこで、実際にどれほど苦戦しているのか数えてみようということで、まず竜王戦挑決は0勝1敗。
名人戦はリーグ戦だからむずかしいが、2度出場しているので2勝0敗。
ここまで8勝14敗で3割6分3厘。
これが野球なら首位打者だが、あの郷田真隆の勝率と考えれば低すぎる。
あとひとつタイトル戦は残っているが、一気の巻き返しなるか。
最後に棋聖戦。
ここまでの棋王戦と王将戦は、獲得こそあるものの、やはりうっすらと負け越しており、「挑決は苦手」というイメージを払拭できないでいる。
ただ、最後の棋聖戦は獲得経験も複数回あり、五番勝負に登場回数も一番多いということで、ここで一気の逆転もねらえそうである。
まず、1990年後期(当時の棋聖戦は年2度開催だった)第57期棋聖戦で挑戦者決定戦に進出するも、森下卓六段に敗れる。
このときの棋聖は18歳の屋敷伸之で、もしここでまだ19歳だった郷田が勝っていれば、史上初にして、今でも実現していない、
「10代同士のタイトル戦」
を見られたことになり、これには本人も「残念でした」と語っていた。
続いて半年後の1991年前期、第58期でも連続で挑決に進出するが、これも南芳一王将に敗れてしまう。
まあ、このあたりはまだ低段時代だから「これからさ」とかまえていられるところで、翌年の前期第60期棋聖戦では、阿部隆五段を押さえて初の五番勝負に登場。
続く1992年後期第61期棋聖戦でも、塚田泰明八段を破って2期連続の檜舞台。
どちらも、そのころ充実期だった谷川浩司棋聖に敗れるも、四段、五段のころにこれだけ挑決まで勝ち上がり、2度も番勝負に出ているというのが、あらためてスゴイものだ。
そこからしばらく、棋聖戦では鳴りを潜めるが、1997年の第68期では挑決に進出し、屋敷伸之七段に敗れるも、久しぶりに「棋聖戦男」ぶりをアピール。
そして翌年の第69期では、挑決で「システム」藤井猛七段を退けての、お待たせ5番勝負に出場。
そこでも、前期棋聖に復位した屋敷伸之から3勝1敗のスコアで奪取し、初の棋聖獲得。
ただ、翌年には谷川浩司九段にストレートで奪われてしまい、ここでも防衛戦での苦戦ぶりを露呈している。
しかし、こう見ると谷川も、羽生善治相手にこそ苦手意識に苦しめられていたが、他の「羽生世代」の棋士たちには貫録を見せている場面が多く、本当に
「アイツさえいなければ」
という時代だったのだなあ。
無冠になった郷田だが、2001年の第72期はそのキャリアの中でももっとも語られるべきシリーズかもしれず、まず挑決で深浦康市七段を破って5番勝負に。
「これまでは眼前の勝敗にこだわらなかったが、今回は結果を出したい」
という「美学派」が本気を出した羽生棋聖との勝負は、フルセットの激戦の末に郷田が勝利。
この一番は本当に両者力が入っていて、△57歩というイヤらしいタレ歩に、郷田の応手が驚愕。
▲49銀と打ったのが、郷田将棋にあこがれる金井恒太六段も、おどろいたというスゴイ手。
受け一方で貴重な銀も手放して、相当に指しにくい。
そもそも、こんな消極的な手は郷田が一番嫌いそうだが、指した本人はこれでまだまだと見ていたよう。
事実、ここから玉の上部脱出をめぐって激戦が展開され、クライマックスはこの場面。
ここで羽生は△75同馬、▲同玉に△73金と入玉を阻止するが、これが敗着になった。
手番をもらった郷田は▲31成桂と踏みこんで、△同金に▲同竜と切り飛ばし、△同玉、▲43桂から一気に詰まし上げてしまった。
△75同馬では△71歩、▲同竜、△53角か、単に△53角から△71金と竜を封じこめれば、難解ながらも後手有望だった。
これには友人である先崎学九段が、『週刊文春』の連載で祝福する一文を載せていたが、たしかに報われるべき人が報われるというのは大きなカタルシスである。
だが、ここでもやはり防衛戦がネックとなり、翌年には佐藤康光王将に2連勝スタートから3連敗を喫し、またしても1年で失冠。
その後は2003年の第74期に丸山忠久棋王に敗れる。
2013年の第84期と2019年の第90期ともに、渡辺明竜王・王将・棋王(王将・棋王)に敗れて挑戦ならず。
☆棋聖戦挑決 4勝6敗(獲得2)
以上が、郷田真隆による、挑戦者決定戦での受難の歴史である。
整理すると、
竜王戦 0-1
名人戦 2-0
叡王戦 0-0
王位戦 3-2(獲得1)
王座戦 0-4
棋王戦 2-5(獲得1)
王将戦 1-2(獲得2)
棋聖戦 4-6(獲得2)
合計 12勝20敗 3割7分5厘
たしかに、これは低い。
郷田の実力をもってすれば、本来はあり得ない数字だ。4割に届いてないとは……。
これ、一発勝負でない名人戦をカウントせず、優勝できなかった叡王戦の敗戦も含めると10勝21敗で3割2分2厘と、さらにヒドイことに。
これはもはや、「将棋界の七不思議」と言っていい内容だが、一番不思議なのは再三いうが、
「理由がよくわからない」
ことであって、おそらく郷田自身も自分に、腹の底から「なんでやねん!」と、つっこんでいることであろう。
ホンマ、なんでなんやろ。
(郷田が中村太地に敗れた、2013年の第61期王座戦挑決はこちら)
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