「投げっぷりのいい」棋士というのがいる。
現代では敗勢の将棋でも、あきらめずにがんばるのは、まあ普通というか当たり前のことである。
これが一昔前になると、負けを自分で読み切ってしまうと、そこでアッサリ投げたり、あるいは「綺麗な終局図」を大事にして、いわゆるクソねばり的な指し方を良しとしない棋士も多かった。
代表的なのは滝誠一郎七段や島朗九段。
真部一男九段のように、なんと奨励会三段のころ、四段昇段をかけた一局で早投げを披露したツワモノもいる。
1971年の東西決戦(当時は年2回、三段リーグの関東優勝者と関西優勝者の勝った方が四段になった)森安正幸三段-真部一男三段戦の投了図。
たしかに後手の森安が有利だが、四段昇段がかかった将棋をこの局面で投げるのは、おそらく将棋史全体を通しても真部だけだろう。
その系譜に、もうひとり加わるのが神谷広志八段で、前回のまだねばれたのに投げてしまった佐藤康光戦に続いて「そこで投げるの?」な一戦を。
2017年、第76期C級2組順位戦。
神谷広志八段と、増田康宏五段の千日手指し直し局。
ここまで7勝2敗で、自力昇級の権利を持っている増田にとって絶対に負けられない一番だが、神谷も降級点の可能性を残しており、やはり落とすわけにはいかない。
そんな将棋の方はどちらが勝つかわからない熱戦になり、むかえた最終盤。
増田が▲53飛と打って、後手玉に必至をかけたところ。
受けはないから、あとは先手玉が詰むや詰まざるやだが、まずはどこから王手をかけるべきか……。
というのを、ここから必死に読むのかと思いきや、なんとここで神谷は投げてしまったのだ。
え? 投了?
対戦相手の増田もビックリしたらしいが、さもあろう。
先手玉には△78銀、▲同玉、△56角とか、△69飛成と切る筋とか、危なそうな手順はいくらでもある。
格調が高いといえばそうかもしれないし、そりゃ読み切ってしまったんなら仕方がないけど、1分将棋はなにがあるかわからないし、とりあえず王手しそうなところではないか。
それを投了。
なんかもったいないなーと、口をとがらせたくなるが、実はそれどころではなかったことを、神谷は終局後に聞かされて愕然。
なんとこの投了図、増田玉には詰みがあったのだ。
手順としては、△69飛成、▲同玉、△78銀、▲同玉、△67金、▲88玉、△79角、▲98玉、△96香と追う。
ここで先手に飛車、角、銀という高い合駒しかないのが泣き所で、どれを使っても△同香成、▲同桂に△88金から簡単に詰む。
さほどむずかしくないように見えるこの詰みを、両者ともに見えていなかったそうだが、増田は
「詰まされても仕方ないと思っていた」
とコメントしていたから、そりゃおどろくだろうというハナシだ。
ちなみに増田の▲53飛が大悪手で、ここでは▲45角と打つのが攻防にピッタリで明快。
また、先に▲82角と王手して、なにか合駒を使わせて自玉の詰みを消してから▲53飛でも、問題なく先手が勝ちだった。
深夜2時。疲れと秒読みで「なんでもあり」になった、順位戦ならではのハプニング。
これを負けていたら増田は、順位わずか2枚差の石井健太郎五段に逆転されて、C2に足止めされていたのだから、とんでもなく大きな幸運となった。
(脇謙二の「勝ってるのに投了」編に続く)
(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)
仰る通り、後手有利とは言え、「約-930点」の解析結果でした。先ずは▲8七歩打で耐えろ!とのことです。真部氏も結果的には4段昇段出来たから良かったものの、この投了はいくら何でも早すぎですねえ。。。
そう、結果的には四段になれたからいいようなものの、なれなくて、
「あのとき、もっとがんばっていれば……」
とか後悔するのは最悪ですもんね。