フランクルの「人間とは何か」を読み始めているが、私のこのポンコツな頭ではなかなか入ってこない、と言うか、きっと著者のフランクルの言いたいことであろう数パーセントしか理解していないだろうことが否応なしにそれだけは分かってしまうのである。
しかし、そこから逃げてしまいたくはない、フランクルの根底に流れる意志への意味は確実に伝わっているのもまた嘘ではない。
どのくらい私にはこの本を丁寧に読めるのかはまだ分からず、その可能性はまだ産声もあげていない、ただ難しいものへの安易な拒否反応に従うような弱さは負の連鎖の一部でしかなく、私をほんとうの意味で喜ばせるものではない。
私にとって都合の良いものより都合の良くないものの方が生きる糧になる意味が深くあり、頭で考えるよりも身体を通し感じ考えていくようにして我慢強くこの本と向かい合いたい、私が生きている間に向き合える本には限りがあり、そして、その出会いには縁があり、その意味をどう正しく受け止めて、受け入れていくかは常に私の手中にある。
それだけのことする価値はこの本には大いにあるのである。
さて、今日もまたポンコツな頭で肩を凝らしてこの本に向かうのである。
どこまでやれるのかはちょっと楽しみであるのと同時に私はその私を叱咤激励するであろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます