久しぶりにほんとうに何を話しているのか、理解出来ないおじさんに会った。
それも統合失調症のような幻覚幻想を見ているような人ではなく、普通の会話が出来そう感じもするが、にもかかわらず、その内容はどうしても私を理解不能に陥らせていった、ただその人はその人自身の何かを分かって欲しいと言う渇望に顕わにしていることだけは分かった。
普通は何を話しているのか分からない人であれ、しばらく話しを聞いているとおぼろげながら何かを見出せそうなものである、私はそれを期待して彼の話しを聞いた。
彼とは三週間前にMCの前で会った、きっとそれ以前にも私は彼に会っているだろうが、私の記憶は曖昧だった。
彼は新宿にいつもいるとその時話していた。
その次の週、彼は炊き出しに来て、ここのゴミ拾いをすると意気込んできた。
その帰り、炊き出しの手伝いをしているおじさんが私が彼と話しているのを見ると、彼は私に奴は狙われていると言った、彼は炊き出しをしているところでは何か気に食わないことを炊き出しをする人たちに言っているらしく、いつかはやられるだろうと言っていた。
私はそれはダメだからねと注意すると、彼は黒々と笑っていた。
その日も彼は炊き出しに来ている時、ゴミ拾いをすると意気込んできたと言った以外に、ボールペンを二本あげたと話し始めたが、誰に何のためにどのような形であげたかなどは言わずに話のつじつまを合わせることなどをせず、会話を進め、そして、何かを吐き出すだけ吐き出すために話し続けた。
ゴミ拾いのことといい、ボールペンをあげたことといい、まず彼は良いことをしたということの自慢話をするのである。
良く知らない相手に対し、照れもなく自慢話をする者は心の成熟がどうしても遅い幼稚さがあるように思うが、そこには紛れもない愛情不足が痛いほど伺えるてしまう。
親からありのままの自分を認められると言う愛を与えられなかった彼の痛みを痛いほど感じながら、私はつじつまの合うことがない彼の話しのなかに、彼のつじつまを見出そうと、私の思い込みがそれが邪魔しないように気を付けながら彼の話しをただ聞いていた。
{つづく}
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