カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月でしたがお休みします。

夏の再会。その4。

2014-07-24 13:07:41 | Weblog

 この日アサダの父ツヨシは入院していたので、みんなの顔を見ることが出来なかった。そのツヨシはいつも言っていた「自分の息子は亡くなったが、その代り、たくさんの子供が出来た」と墓参りに来る私たちを子供のように接してくれる。アサダの死がなければ、こうした付き合いは到底有り得なかっただろう。そして、何もよりもアサダの誰からも好かれたその人間性がまったく薄れずに生き続け、私たちの繋がりを強くしている。毎年のアサダの飲み会、夏の再会は命の恵みと友達の大切さを私たちに伝えて続けている。それはアサダが口にして言えなかった遺言の一つかも知れない。集まる誰もが口にしないがそのようなことを何か一枚羽織るような形で感じているように思う。

 アサダが亡くなってから、ツヨシが上尾駅前で満面の笑みでみんなを出迎えなかったのは今年が初めてあった。見舞いには来なくて良いと言っていたとのことだったが、きっとみんなに会いたかっただろう。この夏の暑さが一段落する頃に快気祝いをしようと思っている。

 だから、いつも霊園には行かずに自宅で宴会の用意をしていた母ミエコがみんなを引率して墓参りに向かった。墓参りをしている間に遅れてきた連中も揃った。その中のタロウは墓参りに来るのはもう10年ぶりぐらいかもしれない。久しぶりに会ったタロウは小太りになっていた。だが、そこには二児の良いお父さんになった暖かみもあった。がしかし、そのお腹は笑いにために突かれた。

 アサダの墓の前では、線香を供えた後、みんなそれぞれ時間をとって手を合わせ、何か会話をしていた。何を話すのだろうか、と眺めていると、合わせた手を開いた後の顔たちは何か澄んでいた。それでも、その周りで「暑い暑い」とうな垂れながら、やっぱり今年も暑いとアサダの嫌がらせを感じていた。

 知らない間にオサノの首にはAKBのタオルが自慢げに巻かれていた。しかし、それには誰も敢えて触れていなかった。

 墓参りの後はすぐ傍にある荒川を眺めに行くのだが、今年はミエコ引率なのでそれはなかった。毎年ここでツヨシの話をしばらく聞くことが私たちの義務でもあったのがツヨシ不在のため、それが省略された。

 墓参りの後は隣にある牧場に行き、ジェラートを食べることになっている。それにはみんな二十数人がダラダラと歩いていくのだった。

 私も最後に「じゃーな、またな、アサダ」と言ってついていった。

 {つづく}

 
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